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2008年05月08日(木) ■ |
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ソフトバンクってほんま腹立つ |
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世の中でソフトバンクのショップの店員の態度が悪い事は 有名ですが。 実際ほんまどないやねん!と大阪弁丸出しで怒鳴りたくなるくらいよ。
わたしは携帯電話のショップ店員なんて なんだかんだ言いながらソフトバンクしか知らないから こないだ友達についてドコモいってカルチャーショックをうけたです。 自動販売機で飲み物を買えるカードをくれるし (わたしなんてただの付き添いですよ) 隣の席に、かなり無茶な事をいってる女がいたのだけど その対応も素晴らしい。 店員のカガミ。 あのおかしなこ事を言ってる学生の子 是非ソフトバンクに鞍替えしてほしい。
ソフトバンクはどういう基準で、店員の教育しとんのかな。 容姿で決めてないか? あ、こんなこと言ったら世の中のソフトバンク店員が つけあがるからゆっとくけど あなた方まったく美人じゃないわよ。 化粧も下品だし、まーあの対応だったら性格悪いこと 間違いないし!
あーむかつくー。 こんな小さな世界で悪口ゆってないで どっか掲示板行こうかしら。
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2008年04月24日(木) ■ |
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さーて。 |
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そろそろ日記をかきたくなってきた。
お父さんが死んでしまって半年経った。
こんな悲しい事は今まで出会ったことがなかった。 とすると、今まで泣いたり落ち込んだりしてたのは たいしたことなかったのだなあと思う。 死んでしまった事実はもちろん悲しいんだけど そのあとのいろんな思い出やらがつらい。
死んでしまうことは人間しかたのないことだよねえ。 でも、どうしても悔やんでしまう。
ご飯を飲み込みにくくなっていたのに 一緒に生活していたのに、それを話す事ができなかったお父さん。 お父さんが仕事から帰ってきてご飯を食べるとき 居間へとっとと移動していたから、 一人で食べていたお父さん。
病院嫌いで怖がりで、自業自得だと責める気持ちはあったけど 弱音を吐けないように私達がしていたのかなーとか どうして気付いてあげられなかったのかなーとか。 64歳。 そんな年、わたしの年で考えると あと倍は残っていない。
今まで耳にタコが出来るくらい、使い古された言葉を 自分でしみじみ使うことになってやっと その意味を理解できるんよね。
生きてる人間は、毎日死んでいった人のこと 考えて過ごす事なんてできない。
でも、他の人よりも前向きな気持ちが少なくって あと、人との別れ恐怖症なわたしは ずいぶんだらだらした半年を過ごしてきたと思う。
そろそろ重い腰をあげなければ。
こないだ暇な休みのとき 1年だけ一人暮らしをしていた街に行ってみた。 駅は覚えてるんだけど、なんせ10年以上前のことで 町名を覚えてなくって手探り状態。 勘だけを頼りにうろうろした。 ビックリするくらい様変わりしてたので たどり着くのにどんだけかかったか。
きっとないだろうと思ってた2階建ての緑のハイツ、当時は畑の中に 建っていたんだけど ずいぶん褪せた緑色になってたけど たくさんの新築一軒家の中にぽつんと残ってた。
あのときの感動ったらすごいね。 何一つ覚えてないのに、どわわーーっとそのときの 自転車に乗りながらみた風景とか、 花のにおいとか、考えてた事とか、好きだった人の顔とか 今は付き合いのない沢山の顔とか いっぺんに思い出した。 どれもなんで今まで忘れてたの?という感じ。
自分のことを見つめなおす、これまたありふれた言葉だな。 でも本当にそういう気持ちになれたの。 ここでいったん何もかもリセットしようって 少しだけ元気になった。
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2007年10月08日(月) ■ |
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親が死ぬということ |
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お父さんがまもなく死んでしまうことになりそうです。
こわくて私達は、余命について聞けていなかったから 単にこれが寝たきりになるはじまり段階なのか 本当に命が尽きかけているのかがわからないのだ。
ここ1週間で急に身体がガタガタになり 20歳くらい老けてしまったように思う。 まだ64歳なのに。 何もしてあげられていない。 どうしよう。
本当に人間はどうして生きるのか? 死ぬのは決まっているから、どうして死ぬの?とは思わない。 どうして生きなければならないのかな? 冥土の土産のためにわたしたちは思いで作りをしてるだけなのか。
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