2025年03月30日(日) |
マリリン・モンロー私の愛しかた |
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※ ※このページでは、試写で観せてもらった映画の中から、※ ※僕に書く事があると思う作品を選んで紹介しています。※ ※なお、文中物語に関る部分は伏字にしておきますので、※ ※読まれる方は左クリックドラッグで反転してください。※ ※スマートフォンの場合は、画面をしばらく押していると※ ※「全て選択」の表示が出ますので、選択してください。※ ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※ 『マリリン・モンロー私の愛しかた』 “Dream Girl: The Making of Marilyn Monroe” 1962年に36歳の若さで他界したハリウッド女優の生涯を幼少 期からの写真やアーカイヴ映像、出演作品のクリップ、関係 者へのインタヴューなどで綴ったドキュメンタリー。 マリリン・モンローは1926年6月1日、ロサンゼルスでノー マ・ジーン・モーテンセンとして誕生した。母親は現像所で フィルムの編集係として働いており、父親はその上司だった というが正式の結婚はしていなかったようだ。 誕生した赤ん坊はすぐに近所の篤志家の家に預けられたが、 祖母は孫が緋嫡子であることを許せず、その殺害も図ったと いう。そんな祖母も死に、母親は多忙で会いに来なくなり、 赤ん坊は篤志家の許で育てられた。 その後モンローが8歳の時に母親がローンで家を手に入れ、 ようやく母子での生活が始まるが、同居人だった俳優から性 的虐待を受け、それを知った母親が逆上して俳優にナイフで 切り付けるなど、散々な幼少期だったようだ。 しかしそんな環境の中でモンローは周囲からは嘲られながら もスターへの夢を持ち続ける。そしてその夢が現実になり始 めるが…。こんなストーリーが多数の写真や映像と共に描か れて行く。 監督はイアン・エアーズ。ロサンゼルス出身だが現在はパリ に住んで画家やハリウッドスターのドキュメンタリーなどを 50本以上も作ってきたという監督が、トニー・カーティスを 題材とする中でモンローとのエピソードを知り、10年以上の 歳月を費やして作り上げた作品だ。 僕自身が1962年には13歳で、モンローの死には日本でも騒ぎ だった記憶がある。もちろんそれはセックスシンボルの突然 の死ということへの反応だったが、その後いろいろな情報な ども知ってそれなりの興味も持ったものだ。 そんな記憶と共に本作を観ていると、語られる情報には知っ ていたことも多かったが、それらが映像と共に語られると、 その臨場感というかこれが事実なのだという思いも強く湧き 上がってきた。 特に彼女の死に関しては、公式には自死ということになって いるものだが、本作では別の結論を引き出しており、しかも それを断言していることには少なからず驚かされた。実は僕 自身もこの説には賛同するのでその思いは特に強かった。 ただし僕自身は映画の説に登場する両サイドでは反対側の方 を有力と考えてもいたもので、果たしてこの映画の結論が正 しいかには異論は持つが、こういう説が検証されていること には気持ちよく納得した。 そして描かれるモンローの生涯が現代の女性に通じるもので あることにも感動した。それは女性の自立への道程であり、 現代女性の理想にも近いものであった。そんな素晴らしい女 性が意思半ばで他界してしまったものだ。 そんな悲しみも湧き上がってくる作品だった。それにしても モンローの魅力が満載でファンには宝物とも言える作品だ。 公開は5月30日より、東京地区はヒューマントラストシネマ 有楽町、シネリーブル池袋、新宿シネマカリテ、アップリン ク吉祥寺他にて全国順次ロードショウとなる。 なおこの紹介文は、配給会社彩プロの招待で試写を観て投稿 するものです。
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