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しもさんの「新聞・書籍掲載文」
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2003年10月31日(金)
国体応援通し町民が元気に(45歳)

静岡新聞 朝刊(ひろば)

ベンチに座り、フィルムを入れ替えていたら、
スポーツには縁がなさそうな高齢者が、
興奮しながら私の前を通ったので、思わず声を掛けた。
「ホッケー、面白いですか?」と尋ねたら
「ルールもなんにも分からないけれど、
やっぱりうちに泊まっている選手だからね。応援しなくちゃ」
と、もう自分の孫を応援するかのような大きな声で
「よかったよ、応援のしがいがあるもの」と話してくれた。
「おかげでのどがかれちゃった」と言いながらも、
本当に嬉しそうに私に話してくれたせりふは
「大きい声で応援したのは、オリンピック以来だよ」だった。
わが町は、国体選手を地域の人が自分の家に泊まらせる方式、
いわゆる「民泊」という形で対応している。
対戦が静岡でも、他県の選手を精いっぱい応援する光景は、
ほほえましかった。
「ふじっぴー」を描いた手作り帽子をかぶる保育園児の声援から
自分がどっちのチームを応援しているのか
分からなくなってしまうほどの高齢者まで、
「ホッケー」というスポーツを通じて、町民が元気になっている。
「明日は、どこ対どこ?」なんて会話が
町のあちこちで聞こえてくる雰囲気こそ、
私たちの望んでいた国体の姿であるような気がしてならない。



2001年10月17日(水)
型にはまらない生き方を学びに(43歳)

読売新聞 朝刊(気流)

日本画家の秋野不矩さんが他界した。
静岡県天竜市出身で九十三歳だった。
インドをテーマにした作品と、彼女のパワーに触れたくて、
何度か「天竜市立秋野不矩美術館」に足を運んだことがある。
彼女の雅号「不矩」の意味は、型にはまらない、という意味であると、
生前、彼女が話していたことを思い出した。
男とか女とか、若いとか老いているとかに関係なく、
与えられた枠にとらわれず、自由に生きる。
そんな思いが「不矩」には込められている気がする。
「型にはまらない」彼女の作品から、
公務員という「型にはまりやすい」職業の私に、
何かメッセージはないだろうか。
もう一度、美術館を訪れてみようと思う。



2001年09月09日(日)
みんなハッピー(43歳)

読売新聞 朝刊(気流・日曜の広場・今週のテーマ「社会奉仕」)

子ども達のボランティア参加・社会参加が話題となっているが、
それは大人の発想から生まれたシステムでは、と懸念していた。
しかし、子ども達から「面白そう」「楽しそう」という声が聞こえてきた。
全国で開催されている「IT講習会」のひとつに参加を希望する、
幼児を抱えたママさん。
その間、代わりに面倒を見てくれませんかと
中学生・高校生に依頼したところ、「私でよければいいよ」という声が
返ってきたのだ。
託児がなければ講習会に出られなかったママ、
夏休みに何か社会奉仕したかった子どもたち。
そして、実施したらいつもとは違ったお姉ちゃんたちに遊ばれて
喜んでいる幼児ー。
中高生にメールが流行しているのも、
メールがくることで自分の存在価値を確かめているとも言える。
「自分は社会の中で必要とされている」と実感させてあげるだけでいい。
託児の世話を任された彼女たちは、まぶしいくらい生き生きしていた。



2001年01月26日(金)
「ビエンナーレ」ほのぼのと鑑賞(42歳)

静岡新聞 朝刊(ひろば)

県立美術館で開催されている「富嶽ビエンナーレ展」を見に出掛けた。
慌ただしく時間が流れ、ゆっくり21世紀の自分について
考える時間が取れなかった。
そこで、久しぶりの休日に妻とのんびりドライブしながら
静岡へ向かうことにした。
子供から高齢者まで多くの来場者でにぎわっていたが、
館内は美術館らしいゆったりとした時間が流れていた。
大作を眺めながら、何か生活のキーワードとなるヒントがないものか、
じっくり鑑賞していたところ、ある作品の前で足を止めた。
廃材100%利用だけれど、周りを囲み眺めている人たちが
なぜか思わずニコニコしてしまう作品。
宮沢賢治の「アメニモマケズ」の詩が浮かんできそうな謙虚さ、
そして言葉ではうまく表現できないその場の雰囲気から、
私は「ほのぼの」というキーワードをいただいた。
新しいジャンルへの挑戦も大切だけれど、
いま一度20世紀の歴史を振り返りながら、
周りの人が疲れた時にいやしてあげられる
「ほのぼの」とした雰囲気をもった人間を目指したいと
思わせてくれた作品に、
あらためて芸術の魅力、奥深さを感じた一日だった。



2000年12月08日(金)
冬の夜空観望でホッとひと息(42歳)

静岡新聞 朝刊(ひろば)

宇宙少年団のリーダーが年末の、いや世紀末の忙しさの中、
冬の夜空観望会を開催してくれた。
21世紀を目前に控え、なんだか理由もなく落ち着かない私を、
ホッとさせてくれたのは、なんと「月と惑星」だった。
地球の影で少し欠けている月は、満月の月より神秘的だったし、
地球と同じ太陽系の惑星たちは、いくつかの衛星を従え、
この千年何事もなかったように輝いていた。
インターネットで検索した宇宙の情報ではなく、
寒い中、流れる雲の様子を気にしながら見た
宇宙の神秘さと懐の広さを実感したら、
ちびまる子ちゃんが失敗するたびに
「この広い宇宙の中ではいろいろなことがあるんだよ」
というせりふを使う意味がわかったような気がした。
私の失敗や悩みなんて、宇宙的規模で考えればたいしたことではない、
くよくよしないで頑張ろう、と思わせてくれる
不思議なパワーを感じさせてくれる。
今の時期、金星、木星、土星といった惑星が夕方から顔を出しいる。
年末、忙しいことは承知のうえで、
冬の夜空を見上げることをお勧めしたい。
宇宙の力を借りて、気持ちがす〜っとする体験を、
ぜひ味わってほしいと思う。





2000年12月01日(金)
「詩とメルヘン」と私 (42歳)

私にとっては、いつまでも素敵な贈り物である。
初めての出会いは23年前、今の家内とつきあい始めた頃。
学生の私が出来るプレゼントは、月に一度、
最終ページに自分の思いを綴ったメッセージ付きの「詩とメルヘン」。
東君平さんの「たりだりの日々」がお気に入りだった私。
プロポーズの言葉は「『詩とメルヘン』持って、お嫁においで」
だったと思うのだが、記憶が定かではない。
ところが、突然「メッセージ欄」がなくなり、
私は表現の場を失った。
ふたりはなんとか家庭をもったが、それから数年、
詩を読む時間は仕事に変わり、
心に余裕がなくなっていた時期があったなぁ、と思う。
そんなある日、小学5年生になった娘が、本屋で手にした本が
なんと「メッセージ欄」復活済みの「詩とメルヘン」。
その月から、私のギフト相手は娘に変わったが、
高校1年になった彼女の月に一度の楽しみになっているようなので、
続けていきたいと思っている。
時々、お気に入りの詩をノートに書き出したりしているし、
学校でも美術部に入り、毎日私にはよくわからない絵を描いている。
夏休みには「美術館めぐり」をした。軽井沢も鎌倉にも足を運んだ。
これも「『詩とメルヘン』の影響かな?」と
一人で喜んでいる私がいる。
たぶん、何年かして娘が嫁にいったら、
またギフト相手は家内に戻ることだろう。
つきあいはじめた当時のメッセージを読み返しながら、
「なぁ、今も変わらないだろう?」という台詞を、炬燵に入り、
蜜柑を食べながら、言いたくて言いたくて・・・。
これが「詩とメルヘン」と私。夢はきっと叶う気がする。
編集者の皆さん、
是非「メッセージ欄」はなくさないようにお願いします。
(静岡県)



2000年11月24日(金)
ピアノの連弾、公民館で聴く(42歳)

静岡新聞 朝刊(ひろば)

週末に公民館で開催しているミニコンサート、
今回はピアノの連弾であった。
一台のピアノを二人で弾くと、音に広がりや厚みを感じて、
ソロとは違った楽しみ方を知った。
主線を弾くブリモ、伴奏を弾くセコンド、二人の息はピッタリだった。
そんな彼女たちがアンサンブルの楽しみを
「音楽を通じて相手と会話ができるから」と表現してくれた。
ひとりが楽譜をめくり、ひとりがペダルを踏む。
ワルツの曲は、弾きながら二人の体が仲良く左右に揺れていて、
とてもほほ笑ましい雰囲気に包まれていた。
ときには、お互いのひじがぶつかったり、予期せぬ事が起こるけれど、
それをとっさにカバーしていく楽しみもあるらしい。
とにかくスリル満点です、とまとめてくれた。
お互いが信頼しあうことが、アンサンブルの基本中の基本なんだと、
あらためて気付かせていただいた。
いや、それは仕事にも、子育てにも当てはまる考え方、
とにかく複数で何かに取り組む時の基本なんだと気付いたら、
何だかとても得した気持ちになった。
アンコールで二人が弾いてくれた「猫ふんじゃった」を思い出しながら、
温かい気持ちで帰路についた。



2000年10月21日(土)
「ホッケー」でまちづくりへ(42歳)

静岡新聞 朝刊(ひろば)

先日、「とやま国体」の視察に出掛けた。
無論、平成15年に静岡県で開催される国体の下見のためである。
わが町は「ホッケー」ということで準備を始めたものの、
どうしてもイメージがつかめず戸惑っていた私にとっては
大変な収穫であった。
平成15年までの三年間、「まだ三年も」ではなく、
「あと三年しか」だということに気付かされたことにあった。
静岡国体より、あとに開催される地域の人たちも、
大勢で富山を訪れていたし、町民全体で「ホッケー」を
キーワードにまちづくりをしていく必要性を実感したが、
それはまた、一朝一夕にはできることではないことも知った。
シドニー・オリンピックで見た開会式のセレモニーなどを
参考にしながら、せっかく全国から訪れてくれる選手を、
町民みんなで歓迎できるまちづくりをしていきたい、と思った。
沿道をどんな花で飾ったら喜んでもらえるだろうかと
考えていた花の会のメンバーをはじめ、
多くの方の知恵が必要となってくる。
インターネット等から得られる
豊富な情報・知識だけでは片づけられない、
人を喜ばす地元ならではの知恵を大切にしていきたい。
これからの一年が最も大切な期間になる気がする。



2000年09月21日(木)
障害者演奏に金メダルを(42歳)

静岡新聞 朝刊(ひろば)

田村亮子選手がシドニー・オリンピックで
金メダルをかけて戦っている時間、
精神障害の人たちだけでバンドを組み、演奏活動をしている
「やすのりバンド」のコンサートを企画・運営していた。
何カ月も前にスケジュールを組んでいたために、
まさか日本全国の人が、テレビの前にくぎ付けにされる日に
なろうとは予想もしていなかったし、
台風の接近で、午前中から豪雨の繰り返しになるとも思わなかった。
正直なところ、だれも来なかったらどうしよう、と
客入りを非常に心配したのも事実であった。
ところが私の心配をよそに、
彼らの活動を理解してくれている多くの人たちが集まり、
一生懸命に演奏するビートルズナンバーに手拍子でこたえ、
最後まで盛り上がって幕を閉じた。
1時間以上たたき続けた手は痛くなったけれど、
久しぶりに私に感動を与えてくれたコンサートであった気がする。
大きな拍手を受けて嬉しそうに頑張る、障害者。
それを温かく見守る観客とスタッフのメンバー。
オリンピックほど話題性はないけれど、演奏者と観客、
どちらにも「金メダル」を贈りたいと思った瞬間であった。



1999年10月14日(木)
不安がよぎる原発の耐震性(41歳)

静岡新聞 朝刊(ひろば)

東海村の臨界事故に対して、浜岡原発を抱える静岡県も、
それなりの記事が新聞紙上をにぎわせている。
しかし、ふと私の脳裏をよぎった疑問がある。
今、内部の点検、危機管理マニュアル、職員の教育などが
話題になっているが、一番大切な建物自体の耐震については
全然触れられていない。
わが町も、東海地震に備えて、役場庁舎の耐震工事を進めている。
阪神・淡路大震災以降、多くの自治体が危機意識の中で、
対策をとっている。
しかし、どうだろう。活断層の上に位置する浜岡原発が、
果たしてマグニチュード8以上といわれている東海地震に
耐えられるのか、心配である。
地元の町長をはじめ、関係者に内部を見学させて、
「安全です」というコメントをいただいても、
それはパフォーマンスでしかない。
「木を見て、森を見ず」の言葉通り、全体を客観的に見ないで、
東海村の事故ばかりに気を取られていると、
足元をすくわれる気がしてならない。
ただし、東海村の事故は決して対岸の火事ではない。
事故の大きさ、風向きによっては、
私たち静岡県民ですら被害を受けたかもしれないことを念頭に、
もっと根本的な「エネルギー論議」をしないと
いけないのだろうと思う。
自然豊かな静岡県であるならば、その自然を利用した「発電」を
真剣に考えるべきではないか。