のづ随想録 〜風をあつめて〜
 【お知らせ】いよいよ『のづ随想録』がブログ化! 

【のづ写日記 ADVANCE】

2004年07月31日(土) 暑中見舞い

『暑中お見舞い申し上げます』という葉書が届いた。

 あまり能率の上がらなかった休日出勤を終え、ツマからの緊急指令のお土産を片手に俺はマンションに帰った。エレベータに乗る途中にマンションの集合ポストがあって、一応そこを覗いてみる、というのがパターンだ。
 宅配ピザのポスティングチラシの上に、一枚の葉書が寝そべっている。俺宛の暑中見舞いであるそれは、そのやわらかく優しい字体を見ればその差出人はすぐに見当がついた。ポストから葉書を取り出してみると、その見当に間違いはなかった。
『暑中お見舞い申し上げます』と季節の挨拶で始まった本文はおろか、宛名まですべて直筆である。今は宛名をプリンタで印刷するのはあたりまえになってしまっているのに、群青色の細いペンで書かれた俺の住所と名前は見慣れた味のある文字。手書きの暑中見舞いを送ってくれたことへの感謝の気持ちが胸いっぱいに広がるとともに、俺はある記憶を蘇らせていた。

 大学4年、就職活動では早々に内定をもらうことが出来た6月、俺はいよいよ学生生活に思い残すことのないように、という気分が大きくなってきた。
 そのときの俺の思い残し、というのが、どんな形であれ一度芝居をやってみたい、ということだった。
 旗揚げしたばかりの素人に毛が生えたような小さな劇団にもぐり込んだ俺は、12月にクリスマスをテーマにした芝居を打つ。その辺の紆余曲折はまた別のお話。
 俺は自前のワープロでこの芝居の手作りパンフレットを製作したのだが、そのなかにいくつかの手書きのイラストを添えた。
 そのイラストを提供してくれたのが(――もしかすると、当時の有無を言わさぬ上下関係の中で無理やり俺に描かされたのが)、今日届いた暑中見舞いの送り主だ。このことは俺の中に鮮明に残っていて、こんな小さなつながりのおかげなのか、今でも時折思い出したように開催される飲み会で笑い合える仲になっている。そして俺の芝居の記憶のひとつは、あの粗末なパンフレットに添えられたサンタの格好をした天使のイラストなのだ。

 暑中見舞いは追伸として、俺のケータイ電話で撮影できる画像が美しいですね、というようなことを添えて終わっていた。ココの姉妹サイト「のづ写日記」も見てくれている、というのが実感できる一言だ。嬉しい。
 だが、しかし。
 今やメガピクセルが当たり前の時代に、俺のケータイのデジカメはいまどき11万画素。おもちゃに劣る画質だと思っている。
 それを追伸で“美しい”と言ってしまった。
 もしかしたら、奴のケータイには日光写真くらいしか付いていないのかもしれない、そんな莫迦なことを考えながら家の玄関を開いたら、「シュークリーム買ってきてくれた?」とツマの期待に満ちた笑顔が俺を出迎えた。



2004年07月28日(水) 自宅更新の困難

 鳥取から帰って、初めての自宅からの更新となります。
 ご存知のように、昨晩は出張先のホテルのロビーに設置されているパソコンからこそこそと更新しました。まるでアダルト画像の収集でもしているかのように背後を通り過ぎる宿泊客を過度に気にしながらではあったけれど、とにかくインターネットにつながる環境さえあれば、ココの更新は何とかなる。便利なんだかどうなんだか。
 自宅に戻ってくると、やはり良くも悪くも様々な制約と言うかシガラミと言うか、容易にパソコンの前に座ることの出来ないナニかがあって、更新もままならない。先週は約3ヶ月ぶりの“土日休み”だったけれど、結局ココの更新のためにパソコンの電源を入れることはなかったしなあ。仕事とはいえ、俺は2ヶ月も家を留守にしていたのだからやはり相応にツマとのコミュニケーションも大切にしなければならない。
 まあ、ぼちぼち、更新は続けていきますので。

 久々の更新ですね、とメールをくれた I.Hさん、どうもありがとう。



2004年07月27日(火) 久々の更新はこんなところから

 もうなんでもアリ。
 いまこれをどこで打ち込んでいるかというと、愛媛県は松山市、東横インなるビジネスホテルのロビーに設置されている無料インターネットサービスのPCから。別に誰かにこのばか文章を覗かれるような状況でもないし、とりあえず久々に更新しなければ、と思ったときにたまたまこんな環境が整っていた、という具合である。
 先週まで暗い日本海を見ていたと思ったら、今日は陽光に輝く瀬戸内海を横目にしながら高知県から愛媛県に移動してきた。我ながら大した出張をしているものだと思う。
 久々の松山のネオン街は鳥取のそれに比べて、誘惑の摩天楼と言っても過言ではない。なにしろ鳥取のこの時間(23時)の繁華街はほぼ深い眠りにつこうとしている。用もなくついさっきまで独りでぶらぶらと大街道(と呼ばれる松山市の繁華街)を散策していた。
 明日一日、松山に滞在して出張は終わり。
 ホテルの部屋に戻って、シャワー浴びて寝ます。



2004年07月18日(日) 続々オープン

 先週の15日、17日とふたつのお店がオープンして、鳥取での仕事の、最後の最後のヤマを超えた。で、まあ、こうして久々に更新。
 “新しいお店を開店する”という、いわゆる店舗開発という仕事を、直接的であれ間接的であれ俺自身はいつもどこか不得手に感じながらも入社以来ずっと携わってきている。ただ、新しい店を開店させ、ぴかぴかのお店にお客さまを迎え入れるというダイナミズムを味わってしまうと、店舗開発という困難な仕事も十分にそのやり甲斐を感じるものでは、あるんですね。
 開店のときは、だいたい『開店セール』というものがあって、カップラーメンや缶コーヒーがお安くなったりするのだが、こうした一般商品よりも、コンビニ主力商品のおにぎり、お弁当、サンドイッチなどが一律全品50円引き──というほうが当然人気は高い。また、ウチの店では力を入れている、フライドポテト、コロッケ、フライドチキンなどの“ファスト・フード商品”も開店から売り込みたい商品なのですね。開店当日から割引価格で売り込んで、お客さまに定着させるという目論見だ。そういうわけで、開店当日のファストフードの陳列ケースには山のように商品を並べなければならない。
 今の、ウチの一押しは『フライドチキン』。これを売り込むわけです。
 開店当日は本部からの応援社員も何名かやってくるが、店長も従業員もまだまだ店内業務はおぼつかない事ばかり。かといってたくさんのお客さんが来店しているのにその対応がマズかったりするのは一番よくない。
 商品が無い、なんていうのは言語道断なわけで。
 鳥取県はウチの店が初進出ということもあって、これまで開店したお店はどれも開店から大盛況である。店内はもう大混乱。応援社員もレジやら商品補充やらアルバイト教育などでてんやわんや。一押し『フライドチキン』などは作っても作っても追いつかないくらいに飛ぶように売れる。
 先日の開店でも、俺がちょいと『フライドチキン』の補充でも、とレジ応援にカウンターの中に入ったのがマズかった。1時間に100人以上のお客さまがわらわらと来店する状況が数時間も続き、俺はそこからひたすらフライドチキンを揚げ続けた。カーネル・サンダースになった気分。

 今週は業務の引継ぎと事務所の荷物整理を行って、今週末には帰る予定。
 会社に俺の机はあるのだろうか。



2004年07月12日(月) 眠れぬ夜

 正確に言うと今は7月13日午前2時。寝ろよ。
 疲れてたんだか、帰宅してシャワーを浴びたら激しい睡魔に襲われ、ベッドに横たわったらそのまま深い深い眠りの中へ。気がついたらこの時間でして、月曜の深夜番組『サルヂエ』と『タモリ倶楽部』(鳥取では月曜に放送されてんだよ)をすっかり見逃してしまいました。ばきっと目が冴えてしまいまして、ぼんやりジャパネットタカタを観るともなく眺めながらPCの電源をオンしたわけで。ああ、喉渇いたなあ。

 どうやら来週半ばから週末には鳥取を引き払うことになりそうだ。
 約2ヶ月の鳥取砂丘生活にいよいよ終止符。新規開店のお店も今週末の残りふたつとなり、こちらでの仕事はほぼ完了したようなもの。あ、三角クジを600個作ンなきゃなんないんだけどな。週明けには若干引継ぎなどを行って、来週末に一度池袋の本社に顔を出せればいいかな、というところである。
『次の長期出張はA県ですか。それともN県ですか。そんなウワサですよ』
『今度は北の大地へ行くそうですね。タイヘンですね』
『もう机はありませんよ』
 最近、部署の同僚から届くメールはだいたいこんな内容の一言が添えられている。本人の窺い知らぬところで全く勝手に盛り上がっているようだ。まあ、本社の5階で机にへばり付いているよりはずっといいやあ、という気分もあるのだけれど。
 鳥取生活、あと10日(くらい)。



2004年07月09日(金) デジカメ騒動、その後

オット「実はですね。デジカメを無くしてしまったようなのです」
ツマ『それは何故ですか』
「仕事でお店の撮影に使ってから、見当たらないのですよ」
『それは変ですね』
「最近、地べたに直接落っことして充電池のフタが閉まらなくなったり、サイズのでかいのが鬱陶しくなったりして、新しいのが欲しいなあなどと思ったのがいけなかったのでしょうか」
『猫みたいに、死に際は飼い主から離れるってやつですかね』
「訳のわからないことを」
『それにしても困りましたね。ツマは今度の旅行にオットのデジカメを借りようと思っていたのに』
「そうですか」
『そうです』
「旅行はもうすぐですね。ならばいっそのこと新しいのを購入してしまいますか。オットもお金を出すので」
『オット“が”お金を出すのですね』
「オット“も”お金を出しますから」
『オット“が”お金を出すのですね』
「……オット“が”、です」

 よく理由もわからぬままデジカメを紛失する、というオットの失態をツマは激しく糾弾するかと思っていたのだが、元来このテのデジタルものにはめっきり弱いツマはそれほど驚く事もなく、2代目デジカメの新規購入案をあっさり了承してくれた。
 しかし、オットは鳥取にいて、ツマは埼玉にいる。目処をつけている機種はあるから、鳥取で購入してすぐにそちらへ送ろうか、と提案したが、
『でも、鳥取で買うよりこっちで買ったほうが安いよ』という。言われて見ればその通りである。この辺りの経済観念はものすごくしっかりしているのがツマだった。
 仕事帰りのツマにビックカメラのデジカメ売場に寄ってもらい、そこから連絡をもらった。ツマの声の向こう側には売場の活気ある声が聞こえていた。
「カシオの○○○っていうやつとか、ミノルタの×××ってやつとか、あるでしょう?」
『どれもおんなじに見えるんですけど……』
「(そんなワケねーだろう)」
『ええと、どれかなあ』
「小さくて、液晶画面が比較的大きい機種なんだけどね」
『エキショウってなに?」』
「…………。撮影した後に、画像を確認するでしょう? その画面のこと」
『──ああ、ありましたよ』
「それなんかいいと思ってるんだけど」
『──っていうか、ツマはこの売場の人だかりに疲れました。もう帰りたい』
「……」
『デジカメも、なんだかよく分かんないし』
 ここまでデジタルに弱いツマにその購入を任せて大丈夫だろうか。
 実のところ俺は初代デジカメを紛失してしまってから、カタログを集め、雑誌のデジカメ特集を拾い読み、インターネットで使用感を調べ、大型家電店で実際の機種を触るなどして一気に情報収集を開始した。とは言っても、ツマが旅行でデジカメを使うのはこの週末なので、じっくり検討する時間は無い。はっきり言って、ほぼ一日、仕事をサボってデジカメ新規購入に時間を費やしました。
 で。
 なんとか機種選定を終え、仕事帰りのツマに指定したデジカメをSDカードを購入してもらいました。その日俺は仕事で夜もバタバタしていたのだが、ツマからは『なんだか分からないけれど言われるままにデジカメ買いました』と、すこしこちらを不安にさせるようなメールが届いた。

「どう? デジカメは使いこなせそう?」 次の夜、ツマに電話をしてみる。
『……まだ箱から出してないのよねえ』
「おいおいおいおいおい。せっかく旅行に間に合うように買ったんだから、ちゃんと使いこなしてくれよ」
『ツマには到底使いこなせるとは思えないのですが……』
「大丈夫。とにかく『写真を撮るぞ』って時には赤いボタンを押して、『写真を見るぞ』って時には緑色のボタンを押せば、とりあえずは大丈夫だから(実際、そういう安心設計なのである)」
『そんな、おばあちゃんに言って聞かせるような説明をしなくても……』
「ちゃんと使ってね」
『最悪の場合、使い捨てカメラを10個くらい持っていくかも』

 頼むからちゃんと使ってくれ。2代目デジカメ。



2004年07月03日(土) デジカメがない

 どうも、デジカメがない。
 先月末のお店の開店の撮影用に使ったのが彼の最後の姿だった。事務所には持ち込んではいないし、部屋にもない。車の中のどこかに転がっているかと思って這いつくばって探してみたのだが見つからない。探すのを止めたとき見つかる事もよくある話らしいが、探すのを止めたら無為に時間が過ぎていくだけでやはりデジカメは出てこない。
 デジカメだぞ、デジカメ。デジタルカメラ。
 えへ、無くしてしまいました──と簡単に済まされる代物ではない。「それより僕と踊りませんか」なんて気分ではないのだ。

 仕事にもプライベートにもフルに使えるように、ということで会社が用意するデジカメには見向きもせずに自前で購入したのが確か3年前の年末。以来、昨今の新商品ラッシュに浮気心を抱きつつもがしがしと使い続けてきた。
 仕事で使う機会が多くなってくると、そのサイズが気になってきた。通常のコンパクトカメラサイズで、がっちり片手でホールドできるようなデザインが気に入って購入したものの、山岳写真家じゃあるまいし一介のサラリーマンがそれほど激しい状況の中で撮影する事などないのだ。寧ろその筐体の大きさが鬱陶しくも感じるようになった。やむを得ずストラップを手首に通して持ち歩くが、ふとした拍子に地上に落下させてしまった事は何度もあった。撮影しないときはネックストラップかなんかでぶらりと首から下げられるような小さいカメラが市場を賑わしているけど、アレはアレで消費者のニーズに応えているのですね。最後に使った時も、メモを取りながらデジカメを小脇にはさんでいたら、思いっきりアスファルトに落下させてしまって、充電池を収める蓋が閉まらなくなってしまうアクシデント。泣きたくなりました。ちょっと泣いたかも。

 辛うじて支給される雀の涙ほどのボーナスで新規購入を検討したいが、実はいよいよ我が家にもDVDプレーヤーなんぞを導入しようではないか、ということにもなっている。一番に購入するソフトは『M−1グランプリ』にしようね、とツマと意見は調整済み。

 さて、どうしたものか。デジカメ。



2004年07月01日(木) あれま、もう7月

 明日は担当店舗の開店なので朝7時過ぎにはお店に到着していなければならない。今日はとっとと寝てしまおうと思っていたのだが、のづ随想録を更新しろ、というアヤシげな脅迫状メールが届いたのでココを更新することにしました。

 傍らのテレビで、NHKのアナウンサーが『7月2日午前零時になりました。ニュースをお伝えします』と事務的に言った。映像にはグレーのスーツのフセインが出てるけど、今日はもう何回も見たよ。
 山陰地区は関東と比べてテレビチャンネルが1局少ないんだ。
 山陰放送はTBS系。山陰地区唯一のAMラジオもやっている、地元の大手放送局の様でもある。そしてCX系山陰中央放送があって、もうひとつが日本海テレビ。これが恐らく日テレ系で、つまりテレ朝系の局がないことになる。よって日本海テレビの深夜にはテレ東の『でぶや』、テレ朝の『タモリ倶楽部』(どうも1ヶ月遅れの感がある)あたりを放送していて油断できない。普段ならビデオ録画までしてツマと欠かさず見ていた『内村プロデュース(テレ朝)』はどうやら放送されていないようだ。
 放送局は少ないが、地方の番組が見られるのは嬉しい。こちらで見られるのは『痛快!明石家電視台』『探偵!ナイトスクープ』など。関西圏なので『吉本新喜劇』『クイズ紳介くん』とかが見られるかと思っていたが、これは残念ながらやってないみたい。まあ、あんまりゆっくりテレビを見ている時間もないんだけどなあ。
 “止まったイラスト・写真だけのCM”はたくさんやってます。深夜のみならず、ゴールデンタイムにしっかり「パチンコUFO 本日新装開店」なんて平気です。深夜になると、ビデオショップ●●にAV女優の○○が来店します!なんてCMやってるんだから目も覚めるっての。

 なんてことを『痛快!明石家電視台』の村上ショージに笑いながら打ち込んでます。


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