時々日刊たえ新聞
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今日は久々課題のない休日。急かされる気持ちもなく心底のんびり。こんな快感は久しぶりだなぁ。(笑)そんなステキな昼下がり、ぼーっとしていると電話が鳴った。「Nです」と女性の声。えっ!?どちらのNさん?と聞き返してしまった。「子どもが学校で一緒だった・・・」あっ!あのNさん?わかりますとも!「改まって電話するほどのことじゃないんだけど、横浜に引っ越すことになったんで」「黙って引っ越してもいいんだけど、なんだか声をかけたくなって」と言って下さる。普段行き来がないけれど、地域のどこかですれ違う時は必ず声を掛け合い短い近況報告をし合う。そうだ、しばらくお会いしていなかった。Nさんは盛んに恐縮して「知らない間に居なくなっても、どってことない関係なんだけど、上の子が小学5年生の時ここに引っ越して来て、最初に学校で会って心に残る人だったもので」と言って下さる。うれしいなぁ。そう思ってくれて。声をかけてくれて。
息子が小学校5年生の時、わたしはPTA役員の学級代表を引き受けた。その時Nさん、ご主人の転勤でこちらに来たばかり、でも躊躇せず「やります」と言って別のお役を引き受けてくれた。爽やかでカッコいい女性。いつも姿勢が良くて美しいNさん。わたしもNさんが気にかかる存在。普段は忘れていてもね。(笑)出会った人をだいじにするNさん、いつも笑顔で挨拶してくれたね、わたしも見習おう。 あの時からそれぞれ身辺に変化がある。お互い専業主婦じゃないし小さかった子どもたちも大きくなった。「すべてよし」というわけには行かなくなっているけれど、それでも「よし」だね。わたしたち年を取ったけれど、人と出会って別れるけれど、心が温かくなった記憶は消えないね。(映画「きみに読む物語」じゃないけれど消えないでいてくれるといいなぁ)Nさん、いつかまたお会いしましょうね。それまで、さようなら。
札幌の住人の多くが今疲れているように思う。「多くが」と言うのはわたしがノーマルな住人と考えて。(笑)今冬は雪が多い。一軒屋の人たちの除雪は大変なことだろう。我が団地は除雪車が緑地の部分に雪を押しつけてくれるんだけど、その高さが例年になくそびえている。道路の脇の雪も排雪していないところではトンネルのように高い。藻岩山の山肌にある職場の駐車場は、すり鉢の底のようになって狭くなった。雪を積み上げる場所がない。排雪したくても積み上げた雪を崩すのは容易なことではないだろう。道路の脇に積まれた雪は運転する時悩ましい。脇道から出る時、脇道から出てこられる時、細心の注意をする。昼間寒さが緩んで(0度くらい)雪が少し解けた後、夕方になると道がツルツルになるのもうんざり。昨日も朝国道に下る道が滑ってドキドキした。今朝は適度に雪が降っている。安堵。そうそう、でもね、国道に出ると少し楽です。(その国道で12月に玉突き事故しましたが)近年新しい舗装が効を奏しているのか、幹線道路は解けるのが早い。いや、これは除雪をしてくれているからかしら。歩く時も足に力が入っているせいか、股関節が痛い。油断が出来ない。歩いても運転しても疲れます。札幌の住人ガンバ!(笑)
4月からこちらに赴任される奥村牧師ご夫妻、若き石橋牧師がここを読まれることがあったら、後ずさりするでしょうか?大丈夫です!札幌の地にも神さまがいらっしゃいますから。(笑)
2005年02月17日(木) |
昨日の朝のサンピラー |
2005年2月16日午前6:39撮影
当地の冬の朝日は○○マナスル(300mくらいの低い山)の稜線から昇ります。毎朝カーテンを開けてしばし山や空を見て飽きません。昨日の朝は厳寒。そんな日は朝日が見える前にこんな光の柱を見ることが出来ます。去年画像をupしたら(2004年1月24日の日記)、ZOU君から「サンピラー」という現象だと教えられました。以来このサンピラー、規模の違いはありますが時々見ることが出来ます。美しい情景を記録に留めておきたくて、携帯画像をここに貼り付けます。
当地では雪祭りが行われています。毎年同じようなものだし寒いから行かなくても良さそうなもんだけど、毎年行ってます。基本的に雪が好きなんだね。温暖な地に生まれた者の憧れでしょうか。 今年は別の目的も持って行った。17歳の娘と「献血しよう!」と決めていた。学校の授業で献血のことが話題になったそうで娘は献血に興味がある。さらに彼女は自分の血液型を知らないので知りたいそうだ。娘は助産所で産まれて、そこでは血液型を調べなかった。母子手帳に記載なし。以来採血する機会もなく成長した。献血するのは血液型を知りたいって動機でもいいよね。(笑)
雪祭り見物の前に大通り地下の献血センターに行く。質問されたり書き込んだり丁寧な手続きをした。わたしは若い時に一度献血したことがあるけれど、その時は貧血があって多くの採血は出来なかった。この年になると果たしてお役に立つかしら?と気にかかる。今回濃度は良好。「400ml採血出来ますがよろしいですか?」と聞かれて、にこにこして「はい!」(笑)17歳のいりちゃんは濃度は十分だったけれど200mlしか採れない。18歳にならないと400ml採血出来ないんだそうだ。皆さん親切な応対をしてくれる。看護師さんといりちゃんは仲良く話が弾んでいる。いりちゃんは「どうってことなかったワ〜」とにこにこ顔。「これからも来よう」と言う。これから献血する喜びにはまるタイプだな。わたしは献血に娘は誘ったけれど、息子を誘おうとは(決して!)思わない。彼は尖端恐怖症じゃないかと思うんだけど、大騒ぎになるのは目に見えている。暴れ出すだろうな。(笑) そうそういりちゃんの血液型はA型と判明。あのおっとりぶりは0型の美徳じゃないかなぁと思っていたんだけれど、外れでした。 それにしても今日の雪祭り見物は寒かった!ほっぺたが痛くなりました。
札幌のキリスト教連合会では今日11日は「信教の自由を守る集会」を毎年開催しているんだけど、わたしはこの手の集会にもう何年も出ていない。「集会に出よう」ってタガがすでに外れてしまった。(笑)それで毎年自分に問う。いざとなった時(弾圧を受けるような事態の時)それでも信仰を持ち続けることが出来るか!?と。実際はその時にならないとわからないんだけれど。(^^;)
三連休の一日目。何だかとってもうれしくて、意義のあることをしたくなる。掃除じゃつまらない。パソコンとにらめっこも嫌。本は読みたいけれどソファに寄りかかったら絶対うたた寝する。また首が痛くなったら大変。 それで映画を観にいくことにする。そうそう「きみに読む物語」を観たい。泣けそうな予感。(笑)街に向かうに連れて雪模様。ラジオの天気予報では中央から北方面かなり降っているらしい。それでも行くモンね〜。
「きみに読む物語」この映画、単純で美しい。詳しいことを書くのは控えたい。これから観る人の楽しみを決定的に奪ってしまう。それでも一つ書いてもいいと思えるのは、わたしたちは一度愛した人を最後まで愛し続けることが出来るだろうか?相手が年老いて、自分のことさえわかってくれない時でも、愛しく思えるだろうか?奇麗事だと思われてもいい「愛したい」とわたしは言い続けたい。なぜならわたし自身が愛されたいから。
昨日仕事中に息子からメールが来た。「今日はHたちと教会に泊まります」11月にもしばしば教会に泊まりこんでクリスマスの看板作りに精を出した仲間3人。HくんとKくんとわが息子は同い年で22才。本当はここにTくんという22才も加わって見事に同学年のアウトローが四人揃うんだけど、Tくんは今は東京で暮していると聞く。Hくんは公立高校を中退して今は定時制に入りなおして高校生活を送っている。難しい熟語を好んで使う哲学的なアウトロー。Kくんは定時制高校を卒業し、今はまだ定職に就けない気のいいアウトロー。うちの息子さんちゃんは養護学校に通って就職して、今3人の中で一番お金があるアウトロー。(笑)同じ年の男の子はまだいるんだけど、この3人が不思議なことに一緒に教会に泊まったり遊んだりする。3人3様、一緒にいてもこの3人はそれぞれのしたいことをするに違いない。人に合わせるってことが苦手な青年たちかもしれない。わたしは凸凹コンビと呼んでいる。(笑)足りないところがあるからこそ(それを思い知らされて来たからこそ)足りない相手のことを受け入れられる3人なんだと思う。それぞれが足りないところを補い合っているのかもしれない。
今日の説教の中で三上主事が「昨夜教会に3人の青年が泊まりました。わたしは忙しくて彼らの相手をすることは出来なかったけれど、この建物の中に一緒にいる仲間がいると思ったらどんなに心強かったか」なんて話をした。さりげなく彼らの存在を肯定してくれる。感謝。彼らが今朝、教会とコイノニアハウスの雪かきをしてくれたことも説教の中で知った。今朝は重たい雪がたっぷり降り積もっていた。雪かきをしてくれる若者がいるってことはホントありがたい。どれだけ助かるだろう。ありがとう!この凸凹コンビがちゃんと居場所を持っていられるのが教会。彼らはそれぞれが否定されることなく、教会ではのびのび振舞うことが出来るのだと思う。世間的に見たら変な3人だけど(笑)何てステキな青年に育ったことだろう。
2005年02月05日(土) |
ベルリン・フィルと子どもたち |
今日は仕事の後、学校で模試を受けた娘と街で待ち合わせて映画を観た。夕方すすきので娘と待ち合わせ・・・珍しいです。期限が短い映画鑑賞券を二枚いただいたので。夕方18時過ぎに始まる映画はあまり無くて、ちょうどいいのが「ベルリンフィルと子どもたち」一抹の不安がよぎる。オタク映画かしら?幼い子ども物語かしら?しかも映画館に入った途端、娘に声をかける中年男性あり。中学時代の教頭先生で音楽の先生だった。「バレーボールやってるかい?」なんて聞かれて「いいえ」バツが悪そうな娘。熱血音楽教師が観る映画・・・ちょっとヤバイかなぁ。(笑)しかし、ことの他いい映画でした。ドキュメンタリーで登場人物沢山、役者でない人たちの皆表情の魅力的なこと。
見栄えも大して良くなく、いかにも落ちこぼれ風の少年少女たちに一人の男性振付師がダンスを教える。ロイストン・マルドゥームって有名なダンサーなんでしょうか?顔にはシワが深いんだけど目が大きくて魅力的な表情と身のこなし。イスラム系かしら。ジーンズにシャツ、左の耳にリングがぶら下がっている。彼が熱く子どもたちに「君たちには可能性がある!」と語りかける。「沈黙して集中しよう。わたしの声を聴け、自分の体を解放しろ」と訴える。くすくす笑ったり、おしゃべりしたり集中しない子どもたち。何度教えても覚えられない子どもたち。体が動かない。体の状態は心の状態だ!とロイストンは決め付ける。厳しい練習に不満顔の子どもたち。ロイストン自身が映画の中でインタビューに答えて自分の生い立ちを語る。病弱な母、4歳の時に母が亡くなってから誰にも心を開くことが出来なかった辛い少年時代、その時ダンスの映画を観てダンスに身を投じることになる。彼の少年時代は自分の価値を探す旅だったのだろう。彼は熱く語る「子どもたちは自分がどんなにすばらしいかってことに気付いていないんだ」
もう一つのドキュメンタリーはベルリン・フィルの練習。首席指揮者「サイモン・ラトル」のリードの魅力的なこと。演奏者の一人一人の表情や演奏が変わって行くのが魅力的に撮られている。何よりもサイモン・ラトルの表情のすばらしいこと。彼は自分が幼い時(確か4歳)、音楽に取り憑かれた体験を語った。ドラムを叩いた時「これだ!」と体の底から震撼したそうだ。以来彼は体で感じたことに忠実に身を任せた。音楽の道を歩んだ。変わり者だったが彼を理解し愛する友人が少しだけいた。「音楽は贅沢品じゃなくて必需品だ」と彼は言う。彼の体と心が音楽をしたくてウズウズするんだってことが画面を見ていてわかる。突き動かされる感動で楽器を鳴らしたり体を動かしたり、それが芸術と言われるものに達するのだってことが了解出来る。自分の感情に如何に忠実に体が動くか、自分を変えて行くことが出来るか。このことをオーケストラの指揮者とダンスの振付師が子どもたちに教えた。 ベルリン・フィルと子どもたちが演じたのはストラビンスキーの「春の祭典」。冬のさ中に演じられたこの音楽とダンスは、子どもたちをすばらしい踊り手にした。彼らは、その後の人生で苦難に挑戦する勇気を与えられたかもしれない。否定的な言葉や態度で自分を語っていた子どもたちが「出来そうな気がする」「何とかなりそうな気がする」と言う者に変えられていく。この映画は人間が変わっていくドラマのように思えた。
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