時々日刊たえ新聞
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2004年10月29日(金) |
アイルランドに行こう |
今朝珍しく朝刊を読む時間があった。すると次の詩が目に飛び込んできた(10月29日朝日新聞朝刊「きょうの詩、なあに?」から)
汽車に乗って 丸山 薫
汽車に乗って あいるらんどのような田舎へ行こう ひとびとが祭りの日傘をくるくるまわし 日が照りながら雨のふる あいるらんどのような田舎へゆこう 車窓(まど)に映った自分の顔を道づれにして 湖水をわたり とんねるをくぐり 珍しい顔の少女(おとめ)や牛の歩いている あいるらんどのような田舎へゆこう
ぱーっと記憶が開いた。わたしはこの詩によって「あいるらんどに行きたい」と口走るようになったのです。「日が照りながら雨のふるあいるらんどのような田舎にいこう」としばしば口ずさみ、「だからあいるらんどに行きたい」と昔も今も友人たちに話して来た。そして、この詩は茨木のり子さんの詩だと思い込んでいた。茨木のり子さんの詩集のどこを探してもこの詩が出てこないので不思議な気がしていたんだけど。今日30数年ぶりに丸山薫さんの詩であることを知って懐かしいやら安堵したやら可笑しいやら。(高校時代、文芸部で丸山薫さんや草野心平さんの詩を研究発表したことがある、その時に出会った詩だと思う)改めてこの詩を読む。今までは見渡す限り丘陵地帯の一つの丘の上で、わたしはお日様と雲の影の流れていくその真下にいて、赤い雲がやってくるのを待っていた、するとあちらからこちらに雨が迫ってきてあっという間に通り過ぎていく、その中にわたしが立っている・・・そんな光景をいつも描いていたんだけど、今朝この詩を読んでから描く光景が途端に変わった。わたしは一人じゃなくて、知らない人たちだけど誰かと汽車に乗っていて、丘や湖を通り抜けている、町に停まるとそこには人がいて動物がいて、窓に映った自分が微笑んでいるのが見える。車窓から見える丘の上で手を振っている人物は自分ではなくて、かつてのわたしのような誰か。渦中にいたわたしは見事に渦中からワープしている。(笑) 丸山薫さんのこの詩と再会して今日一日楽しい思いが沸々と湧き上がった。わたしこれからいっそう「アイルランドへ行こう」って口走りそう。いつか行きたい。
おまけ:今朝丸山薫さんの詩を読んでわたしは急に「○○先生」何とかかんとか(笑)という本を読んだことを思い出し、昔の読書ノートを探した。がノートそのものが見つからない。夫に聞いた。「アイルランドの獣医でうちに上下巻の本があったんだけど、何て名前の人だったっけ?」夫が「そうそう、あんたはあの本を読んでラジオに感想を書き送った。それが当選して、資生堂パーラーの食事券をもらったんだ」と言う。えっ!?そうだった?25年ほど前、資生堂パーラーでエスカルゴを生まれて初めていただいたのは覚えているけれど、あの食事はアイルランドに関するご褒美だったのか・・・完全に忘失していた。夫が「エリオット先生」の名を思い出してくれて、わたしは朝に続いて今夜もすっきりすることが出来た。(笑)「あいるらんど」は長いことベールに包まれてわたしの憧れでいてくれたんだなぁ。
今日の礼拝の特別賛美は「リリーズ・オブ・ザ・フィールド」による「秋のうた」。若い女性5人のハーモニーにピアノとベースギター(黒一点)の伴奏が付く。美しく優しい音色と言葉、心に染み入りました。メロディをお聞かせ出来ないのが残念。彼女たちのオリジナル賛美歌です。歌詞カードをもらってきたので記します。
「秋のうた」
もーいーかい?まーだだよ! はっぱのかげから赤い顔 ななかまどの実が顔を出しました
秋になると思い出す・・・ いつもそこに立っていた木 秋になると思い出す・・・ その木がななかまどだったことを
寒くなると ぬくもりが 悲しくなると なぐさめが 嬉しくなると 共感が ありがたくなる 秋です
もーいーかい?まーだだよ! 元気を出してと君の顔 知っていたのに忘れていました
秋になると思い出す・・・ いつもそばにあった笑顔 秋になると思い出す・・・ 恵みがいつもそばにあったことを
寒くなると ぬくもりが 悲しくなると なぐさめが 嬉しくなると 共感が ありがたくなる 恵みを感じる 秋です
あなたの恵みはいつまでも暖かく あなたの愛は永遠に
リリーズは、うちの教会をメインにして幾つかの教会の数人の女性たちが作った賛美グループ。歌いだして5年だそうだ。結成した当初からわたしは彼女たちの賛美に心を寄せている。今ではあちこちの教会に招かれてコンサートを開いている。3年前にうちの教会でコンサートをした時、わたしは不覚にも涙あふれ、苦しみから引き上げてもらったという経験を持つ。歌には人を慰め励ます力があるんだね。彼女たちはそんなことは知らない。その時のWeb日記、今探しても見つからない。どこかに保存してあるはずなんだけどなぁ。 このリリーズがこの度CDを作りました。先週の日曜日手に入れてからずーっと車で聴いている。涙してしまった曲「話してごらん」も入っていて、この曲がかかるとわたしは当時の気持ちがよみがえって少しジーンとする。聞いてみたいと思う方いらっしゃいませんか?聞いて下さるならプレゼントしたいです。声をかけて下さい。(全7曲「秋のうた」は入っていません) ※「賛美」は「讃美歌を歌う」と同じ意味です。
2004年10月18日(月) |
さんちゃん病院に行く |
昼休みに、22才の息子さんちゃんよりメールが来た。咳が出るので病院に行きたいけれど保険証持っていない、明日の朝連れて行って。わたしはさんちゃんに電話した。その結果急遽今日受診することにして、わたしは、成人した息子を病院に連れて行きたいので早退させて下さいと同僚に言った。(笑)早退して16時に家に帰り着くと、さんちゃんすでに職場から早く帰っていてニコニコうれしそう。早退とか病院に行くとか、特別なことが好きなんだよね、さんちゃん。(笑) 近くの女医さんの内科に行く。さんちゃん内科にかかるのは久しぶり。体は丈夫だから、風邪の症状ぐらいでは受診することも無くなった。今回は2週間ほど喉の痛みが消えないようで、職場で心配されたらしい。診察室に入る時、わたしは「大きな息子ですが、親も一緒に入っていいですか?」とお尋ねして「足らん子でして」と笑いながら付け加えた。すると女先生、さんちゃんの顔見て急に優しく笑い出す。「どこかで会ったことがあると思ったら」と言うドクター。わたしはピンと来て「○○○○(スポーツクラブの名)ですか?」と聞いたら、その通りだった。(笑)さんちゃん照れ笑い。先生も息子の通うスポーツクラブのメンバーなんだそうな。わたしはこの先生を信頼している。患者の話を良く聴き、丁寧に説明してくれるいいドクターだと思っている。 さて先生はマイコプラズマ肺炎が流行し始めているので、念のために血液検査しましょうか?と言った。血を採るんだよと聞いた途端に、さんちゃん「いい、いい!」と手のひらを前に出して必死に拒否。彼は「嫌だ!」という代わりに「いい!」といつも言う。(笑)そうだった、さんちゃんは注射が大の苦手だった!
注射というと、彼が小学校1年生の夏が蘇える。学校でツベルクリン反応の注射が怖くて受けられなかった彼。担任の先生から「無理強いしてもいい結果にならないので、今回は見合わせます。夏休みに指定診療所に行って受けて下さい」とお手紙もらって来た時はガックリした。無理強いしてよ〜!!と思った。(笑)夏休みのその日、外は暑かった。2歳前のいりちゃんをおんぶして電車と地下鉄と長い歩きで街外れの診療所に向かっているわたしは、確実に腹が立っていた。ツ反ごときで、こんなに苦労するなんて!当時わたしは、さんちゃんの特異ぶりに、呆れたり困ったり怒ったり、自分の感情の起伏をコントロール出来なくて苦しんでいた。今なら笑っていられることも当時は笑えなかった。指定場所に着くと、学校でツ反受けれなかった子供の多いこと、長い列。受付で「注射が怖くて学校でツ反受けられなかった」旨話すと、さんちゃんの番になった途端に「あっ」と声を出す間もなく、三人くらいの大人が彼の体と腕を取って、泣く間もなく注射を打ってしまった。すばらしい連携&早業だった。安堵して、わたしはヘラヘラと笑った。
そんな注射の思い出。彼は22才の大人になっても小学1年生の片鱗を残している。女先生は「無理強いはしないよ。君が納得出来なければ注射はしない」と言う。わたしは笑いながら「いえ、してやって下さい!」と半ば嫌がらせで言う。さんちゃんまたもや手を振って拒否。少しパニクっているか?(笑)先生は結局採血を断念した。「薬を飲んでも症状が改善されない時は血を採って調べようね。その時は君に納得してもらってからね」などと説明してくれた。さんちゃん、マジで注射にビビっている。(笑) ちょっと「足らん子」のさんちゃん。足らんおかげで目立つらしく、親の知らないところで多くの方に可愛がっていただいているようだ。心が温まる。
昨日の午後と今日一日「精神保健福祉実務者研修」に行った。「精神障がいを持った人への援助」の勉強。いい研修だった。「援助者は何も出来ないことを知るべし」その上で、「当事者の現実を理解しよう、肯定しよう、その人の中にある力を信じよう」てなお話に心動いた。(今手元に資料や筆記したものがないので、わたしの言葉に置き換えています)例えば統合失調症で幻聴が聴こえる人、幻聴が聴こえるのはその人にとっては厳然たる事実。「わたし」には聴こえなくても、聴こえている当事者には大変恐ろしいこと。その人が今の自分の状態を人に伝える、相談できる、助けを求めること、それが出来れば○。そのことを誉めようと講師は言う。うん、わかる。わたしたちだって「ダメだダメだ」と言われ続けたら元気出ないよね。人は誉められて自分の価値を見出し安心をし自信を回復していく。その通りだと思う。徹底的に援助者の姿勢を学んだ。援助者は人生観まで変えないとヘルプに行けないかもしれない。
二日目はグループワークをした。この研修は札幌市内の参加者が少なく、道内各地から来ている人の方が多かった。わたしのグループ(6人)も地方から泊りがけで来ている人ばかり。(札幌はわたしのみ)仕事は市町村の保健師、相談員、グループホームの世話人、わたしのようにサービス提供責任者など。この研修を申し込んだ時点で、それぞれ事例を一定のフォームに書き込んで事務局に送っていた。グループではその事例を話し込んだ。 事例の当事者はどういう人か?どんな社会資源の利用があるか?などを話し合って行く。とてもリラックスした話し合いだった。そうなったのも、この研修をコーディネートしてくれたケースワーカー(講師)のいいリードがあったからだと思う。講師の先生曰く「自分が普段話している言葉で話して下さい。話し合いをまとめようと思わないで下さい。事例を提出した人が少なくとも元気が出て帰れる話をして下さい」なるほど。そういう目標を持って話し合うのは良策かも。こんな事例:グループホームの世話人からの事例=統合失調症で入院していて、もうじき退院の予定の青年、これから前途多難だろう。彼にはどんな援助が有効か!?すでに安心できる受け皿(グループホーム)がある彼、必要なのは彼がこれから入る場所での愛の体験だろうと思うとわたしは口走ってしまった。愛されているという経験&実感なくしては彼は雄々しく歩めないに違いない。(こんな臭い話がOKの研修なのです) 午前中のグループワークが終わって昼休み、道東から来た若い保健師が、わたしに声をかけてくれた。「お話を聞いていて、わたしが今持っている困難ケースのヒントになりました」と言う。お昼を一緒に食べながらお話する彼女は話しているうちに急に涙を流した。何が彼女の心に迫ったのか?謎。(笑)午後からもう一つの事例を話し合った。それもまた事例を出した人が晴れやかな顔して「次の時には何とか違う方法で出来そう」と最後に語った。そうか、この手の援助は、援助者もどうしたらいいのか途方にくれることばかり。援助者同士が支えあう、当事者と援助者も支えあう、こういう面白い関係が生まれるんだ・・・と思った。グループワークの醍醐味を初めて知った。 わたしの事業所は、まだ精神障がい者のヘルプを実施していない。将来的に受けるかもしれないということがあって、わたし自身も希望して研修に行ったが、果たしてうちの事業所で精神のヘルプを受けるかどうか、わからないなぁ。越えなければならないハードルはヘルパー一人一人の人生観だろう。となると、このヘルプは途方もない。働く者の人生観を変えるなんてことが可能だろうか?沢山のことをこれからも考えて行くだろう。先が遠い。奥が深い。
朝起きると雨が降っていた。今日で休みは終わりだと思うと歯噛みしている自分がいる。(笑)よし!今日は一番したいことをしよう!そのための環境整備をしよう!仕事に行くさんちゃんを送り出して(夫はすでに5時に仕事に出ている)まず最初にゴミを捨てた。傘差して外に捨てに行った。髪もとかさず顔も洗っていないのに知り合いのご主人に会う。(笑)掃除機かけた。床にホコリが浮いていたから。茶碗も洗った。乾いた洗濯物をたたんだ。雨降ってるから洗濯はお休み。ソファのカバーにしている布を上下ひっくり返してピンと張って掛け直した。このソファの上で今日一番したいことをするんだから。実はわたし昔はそういうところに拘る人間だった。(笑)さて、わたしが一番したかったことは、かねてより一気に読みたかった「ライフ・レッスン」という本を読むこと。ソファに寄りかかって足を投げ出して他の用事をすることなく心行くまで読みたかった。ライフ・レッスンはこの頃狂い読みしているエリザベス・キューブラー・ロスさんとデーヴィッド・ケスラーさんの共著。(これまた借り物)朝9時前から昼過ぎまで読み続けた。高校生の娘が起きてくる頃には「いりちゃん、この本もいいワ〜!」といつものように感動を伝えずにいられない。この頃母がエリザベス・キューブラー・ロスさんに傾倒していることを彼女はよく知っている。母の「感動した!」攻撃に迫られたのか、娘もついに先日「人生は廻る輪のように」を読んだ。バンザーイ! 存分に本読んだ。朝家事しただけで後はしなかった。(笑)夕方になると明日からまた仕事だと思うと気分が萎えた。今読んだ「ライフ・レッスン」の言葉を思い出して自分を奮い立たせた。「げんにおこっている事態を否定したり、泣き言を言ったり、変えようとするのではなく、黙然としてそれを経験すればいいのだ」「はい」
教会へ礼拝しに行く。この夏ネットで声をかけて下さって、すでに何回もうちの教会に来て下さっているEさんと今朝もご一緒。確か同い年、彼女にも空を見上げているような風情があって、わたしたちちょっと似たところがあるような気がする。これからEさんとどんな風にお付き合いしていけるのか、楽しみでもある。 午後は女性会の例会。しかし、わたしの愛するyukikoさんが、同じ盲人仲間のKさんの家に乗せて行って〜と懇願してくれたので、女性会を振って西区のKさん宅に行った。二つのことを比べたら、yukikoさんをKさん宅に連れて行くことの方が、はるかに大事だ。yukikoさんが人の手を借りようとすることにわたしは大いに賛成。喜んでアッシーします。Kさんはヘルパーさんの介助で昼食中だった。目が見えない、しゃべれない、歩けない・・・何重も障がいを持っているKさん、会う度に機能が衰えている。ただし生きる気力が衰えていないのがよくわかる。今日はほとんど言葉が聞き取れなくて、ヘルパーさんがKさんの手を握って「あいうえお・・・」と読み上げるとKさんが指に力を入れて音(オン)を拾う作業をしてくれた。それで人の名前やある言葉が浮かび上がった。「ハ」と「レ」で「ハレルヤコーラス!」Kさん、かつてバリトンで鳴らした聖歌隊員だったそうだ。わたしがKさんと出会った頃はすでに言語障がいを持っていたからその雄姿は見ていない。Kさんと別れる時、yukikoさんはいつも「今日が最後かもしれない」と思うのだそうだ。
早めに夕食を済ませ、早々にお風呂に入った。汗を流したい!それで半身浴とする。湯船に椅子を持ち込んでそれに座ってじっと我慢の子、15分もしたら汗たらたら流れてくる。祈って過ごすことが多いけれど、今日は聖書を持って入った。開いたところが「幼子のようでなければ天国に入れない」のくだり。それから好きな箇所で「山を動かすほどの信仰があっても愛が無ければ無に等しい」ってところを読む。メガネに膜がかかる。(笑)思惑通り、汗たっぷりかいてスカッとした!
ぶらっと公園に行って木と空と人を眺めた。曇っていたけれど、風がなく穏やかな天気。しばらくベンチに座って帰ろうと思っていたら、ムクムクと歩きたくなった。今までなら、こんな時はほぼ確実に藻岩山に登っていると思うんだけど、去年痛めた股関節がこの頃また怪しいものだから、ハードな歩きを自粛している。平地をゆっくり散策するくらいなら大丈夫だろう。川沿いをのんびりゆっくり歩く。少しだけと思っていたのに、何と2時間半も歩いてしまった。あちこちで太い木が根っこを持ち上げて横倒しになっていたり、切り株が瑞々しい肌色だったり、幹や枝が途中で折れて隣の木に寄りかかっていたり。9月8日の台風の被害は一目瞭然。木々の悲鳴が聴こえてくるようだったが、一方で再生しようとする力も感じて、結果的に元気が出た。娘がわたしに「一人で公園に行って淋しくない?」と聞いたけれど淋しくないよ。映画にも山にもどこへでも、行きたいと思ったら一人で行く。もちろん友達と行くのも好きだけど。お気に入りの場所なら黙って何時間いても大丈夫。一人でいるようで、いつも一緒に歩いて下さるお方がいるから。(^^)v
実は日曜日から心に引っかかっていることがある。3日(日)礼拝後に臨時教会総会があった。大変大事なことを決める総会でして、議長を仰せつかったわたし、人前に出るのはとっても嫌だけど心意気でお受けした。もちろん、祈って臨んだことは言うまでもありません。(笑) 議事を進行していて困ったことに出くわした。発言しようと手をあげてくださる人を指名する時、名前が出てこない。(ーー;)「○○さんどうぞ」と名前で呼びかけることが出来なくて、ただ「どうぞ」と言うしかないシーンが何度かあった。どの方も親しくお話するし、今まで日常的に「○○さん」と呼びかけてきた人たちばかり。どうしたことだ!?その総会には目の見えない人が二人出席していた。確実に名前を呼んで、目の見えない人にも、誰が発言しているかわかってもらいたいところ。その方たちを少なからず疎外したに違いない。う〜ん、申し訳ない! 総会が終わってから、隣で副議長していた年上の男性に「名前が出てこなくて困りました」と話すと「IWASEさん、あがってたんじゃないの?」とおっしゃる。実は全くあがっていないんですよね。議長なぞするのは大の苦手だけど、わたしあがるってことは滅多にありません。その証拠に忘失したお名前、どうしても一人未だに思い出せません。これは脳細胞の摩滅の問題じゃないでしょうか?ショックで水曜日の今日までお話することが出来ませんでした。今後、議長・司会の類はお断りした方がいいんじゃないだろうかと悩んでいる。あるいは発言者に先に名前を言っていただくのが良策か!? わたし、いつか誰の名も忘れてしまうかもしれません。今は親しく呼びかけているあなたの名も、出てこない時が来るかもしれない。誰のことを忘れても諦めるとして、神さまのことは忘れないでいたいなぁ。
今日もまた教会のお話。(笑)わたしが参加する教会学校のクラスの名前は「いずみ」クラスと言う。いずみクラスには50代後半のNさんという方がいて、この人は滅多に休まないし、休む時は必ず電話を下さる。Nさんが連絡も無く教会に来ないなんてまずない。ところが今日、Nさん定刻になっても来なかった。Nさん、どうしたんだろう?「胸騒ぎがする」という年輩の人までいて、同じクラスのTさんとわたしはだんだん心配になってきた。(いずみクラスはTさんとNさんとわたしが常連)Nさんは数年前にご主人を亡くされて、以来一人暮らし。連絡も無く電話にも出ない・・・倒れているんじゃないだろうか?TさんとわたしはNさんのマンションに行ってみることにした。今日の聖書の学びはヤコブの手紙1章で、わたしが教師だったけれど、せっかく勉強してきたのに発表できず残念・・・なんて、わたしは全く思いません!(笑)車を飛ばしてNさんのマンションに駆けつけ玄関呼び鈴を鳴らすが、応答なし。管理人さんに話をしに行く。即座に対応して下さって鍵を持って一緒に部屋に向かった。もしチェーンが掛かっていたら?その時は中で倒れているのが必至なので、チェーンを切る算段を管理人はされていたと思う。鍵を回すと、チェーンは掛っていない!念のためわたしは中まで入らせていただいて、声をかける。トイレとお風呂も覗く。スリッパもきれいに揃えてあるし、これはお出かけしたに違いない。中で倒れているってことだけは無かったことがわかって、ホッ。その時教会から携帯に電話が掛ってきて「Nさんが教会に来た!」と知らされた。良かったぁ!無断で留守のお宅に侵入してしまったけれど、これで良かったんだと安堵した。教会に戻ってNさんに謝る。Nさんも「ごめんなさいね」と恐縮しながら「こんなに心配してくれてありがとう」と半ば喜んでいる。心配になれば自宅にも駆けつけますとも。教会家族ですもの。あは。
ここを読んでいるあなたなら、留守の家まで覗かれて・・・迷惑でしょうか?うん、確かに迷惑でしょうね。(笑)
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