時々日刊たえ新聞
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2004年09月26日(日) 日曜日

食事をするように日曜日教会に行く。10時からの教会学校成人科に出席する。今日の聖書の箇所は創世記45章、ヨセフさん物語のクライマックス。12人兄弟の11番目でお父さんに一番愛されたヨセフさんは兄たちの妬みを買って、ある日、穴に落とされ、エジプトに行く商人に売り飛ばされる。兄たちはヨセフが死んだと父に言う。嘆き悲しむ父ヤコブ。エジプトに売られたヨセフさんは、紆余曲折を経て、エジプトのパロの片腕となって執政官になっていた。ヨセフさんが夢の解き明かしをしたとおり7年の豊作の後に7年の飢饉がやってきた。エジプトではヨセフさんのおかげで食料の備えはばっちり!11人の息子とお父さんの住む土地カナンでも食べ物が尽きた。ヤコブ父さんは息子たちにエジプトに行って食料を調達してくるように命じる。エジプトにやってきて食べ物を所望するお兄さんたちに出会うヨセフ。万感の想い、胸が疼くヨセフ。

今日はそのヨセフさんが自分はあなたたちの弟ヨセフだ!と告白する場面だった。自分を制しきれなくなったヨセフさんは人払いして声をあげて泣いた。そして言った。「わたしはヨセフです。父はまだ生きながらえていますか」「わたしはあなたがたの弟ヨセフです。あなたがたがエジプトに売った者です。しかしわたしをここに売ったのを嘆くことも、悔やむこともいりません。神は命を救うために、あなたがたよりさきにわたしをつかわされたのです」(創世記45章3・5節)ヨセフさんがいとも簡単にこう言ったわけじゃないことはわかる。兄たちを恨みに恨んだに違いない。どうして自分だけがこんな苦しみを負わなければならないのか?と嘆き続けた年月だっただろう。父や故郷が恋しくてどれだけ泣いただろう。ヨセフさんは元々お父さんに溺愛されていて、高慢でいけ好かない少年だった。その彼が、長い年月恥辱に耐え続けた。耐えられたのは信じる神がいたからに違いない。ヨセフさんが、自分がこんな苦難を経てきたのはこの時のためだったんだ!と知った瞬間をわたしは感動を持って想像する。

この聖書の箇所を毎日読み進めながら1週間過ごして来たわけだけど、教会に行く車の中で、同乗しているyukikoさんとひとしきり語り合う。yukiko「うちのS(息子)は苦しんでいるんだよね。どうして自分ばかりこういう境遇なんだって。ヨセフさんもそうだったと思うの。今は地位も名誉もあってすばらしい人間に見えても"どうしてわたしばかり!?"と思ったはずだよね。人を許せなかったはずだよね」tae「ホントそうだね。どれだけ苦しみを繰り返したことだろうね」

人を恨んだり、何もかも嫌になったりすること、わたしにもしばしばある。小さな怒りや放棄だったら毎日ある。どうしてわたしだけ?なんていつも感じている。今の状況から逃げ出したくなることなんかいつも。だけど、神さまがわたしに何か計画を持っていることを信じている。だから何とか持ちこたえている。落胆しないぞ!って言い聞かせている。(これは朝ね。夜になると後ろ向きになっている^^;)Sくんが自分の不幸を嘆いて"どうして!?"と問うのも神さまに対して。向かうべき相手を持っているSくんにはいつか回答が与えられるだろう。「いつか」じゃなくて「今!」って彼は叫びたいに違いないけれど。わたしは「いつ」わかるのだろう?ヨセフさんが「このために、わたしは苦難を与えられた」と思えるように、わたしもいつか言うだろうか。きっと言うね。「何もかもこのためだったんだ。あなたたちには責任がない」と。人を心から許す時はきっとその人に感謝の気持まで湧き起こるに違いない。

ヨセフさんのことを学んだ後、礼拝で聴いたメッセージは「主にあって堅く立ちなさい」(ピリピ人への手紙4章1節)三上主事による。「堅く立つ」とは「離れない」ということなんだそうだ。そうか!わたしは一つの答を得た。うん、今はこの場を離れないゾ!(笑)どちらにしようかな〜♪神さまの言う通り〜♪で決まりだね。(^^)


2004年09月23日(木) 動物園好きです!

今日は旭川の旭山動物園に行った。本当は25日(土)泊まり付きで行こうと思っていたんだけど、週間天気予報を見ていたら気が変わった。週末はお天気が怪しい。それなら快晴の日、日帰りで行こう!と思った。はい、正解でした。

朝7時前に家を出た。すばらしい青空!秋の風はそよと吹く程度。娘と二人のドライブは暢気で楽しい。道央自動車道も空いていて、気持ちよい走行。スピードに酔いしれていた。その時、もうじき旭川というところで、わたしは娘を泣かしてしまった。わたしはあることで娘の心を傷つけたことを知った。運転中でハンカチ貸してあげるわけにもいかず(¨;)何とか修復しようとするけれど、娘は言葉少な。困った!娘に許しを請うた。いつも情熱のほとばしるままに突っ走るこの母は、客観的でおっとりした娘の気持ちを察せずに、好き勝手なことを言ってしまう。ごめんね、許して。>いりちゃん!わたし(時間かかると思うけれど)悪いところ直すからね!(微笑)思いもかけぬ展開で、今日は仲良く楽しく過ごせるかしら?と危惧したけれど、そこはそれ、娘もわたしも素直な性格だから(笑)心からごめんねを言ったら、後はねちねちしない。その後は動物園を楽しんだ。

旭山動物園は、"世界を股にかけた旅人"たつきちさんが2年くらい前から「行きたい」と言っていて、わたしもどんなにいいところなんだろう?と興味津々で、去年の夏ついに一緒に行くことが出来た。"TDRのティンカーベル"こと横須賀のかおるさんとその娘加奈ちゃんとたつきちさんの3人の旅に便乗して、息子さんちゃんとわたしも旭山動物園を楽しんだのであった。いりちゃんには「いつか連れて行ってあげるね」と約束していた。今回チャンス到来!この動物園のことは、盛んにテレビで放送されているようで、おそらく皆さんの方がご存知と思うけれど、少しだけ書くね。

いりちゃんが特に気に入ったのは「ととりの村」と「ぺんぎん館」だったようだ。ととりの村は水鳥が憩っている。フラミンゴ、カモ、白鳥、ツルなどがいる。渡り鳥たちはここで休んでシベリヤの方に飛んで行く(らしい)。傷ついた水鳥たちも憩っているんだそうだ。
ぺんぎん館の水中トンネルに入ると、ぺんぎんが上を下を横をびゅんびゅん泳ぎまわっている。ぺんぎんの全身をつぶさに見ることが出来る。ぺんぎんってグロテスクなところがない動物ですね。全身かわいい。いりちゃんはぺんぎんと離れがたい様子だった。(笑)
去年は工事中だったあざらし館が開館していて、人がいっぱい。入ってすぐホールの中央には硝子張りの円筒があって、あざらしくんたちは上から下から入ってきては足元や天井を移動して行く。円筒の中のあざらしたちは宇宙の中に浮かぶ物体のよう、垂直に泳ぐ。天空or地表をゆっくり目指しているように見える。
ほっきょくぐま館はしろくまくんが水槽の中を悠然と泳ぐ姿が見れる。ふさふさした毛が水の中でたなびいている。巨大なぬいぐるみの水中ショーに見える。しろくまくんの居住区には人間が覗くことが出来るカプセルがあって運が良ければ目の前に大きなしろくまくんを見ることも可能。
「さる山」はサルの数からして札幌円山動物園には負けるけれど(さる山は円山の方が面白いです!)、一つだけ微笑むのは、サル山の公園の遊具が、柵の外にも同じように設置されていて、こちらは人間のお子さま用。(笑)見比べるとよろしいようで。(笑)
わたしのお気に入りスポットはオラウータン舎の前。柵の付いた住まいとジャングルジム様の大きな球形が高いところで繋がっていて、オラウータンは住まいと遊び場を綱渡りして行き来するらしい。前回も今回もわたしは移動の場面を見ていない。ベンチに座って綱渡りするのを期待を持って見つめてしまう。そのうち、うとうとしてきて、これがまた気持ち良い。旭山動物園のすてきなところは、いろいろな位置から動物を見せてくれる工夫がされているところ。上から横から下から・・・至れり尽くせり。他にもステキな見せ方あります。体験してみて下さい。

午後1時には動物園を出た。これから動物園に入ろうとする車の列が長かった。そうか、やっぱり入場者は多いんだね。山あいの広い土地、そう多く入場しているとも見えないんだけどね。

帰りこそは左車線でゆっくり走るからね、と娘には言ったんだけど、ひとたび自動車道に乗ると、うれしくてアクセル踏み込んでしまうわたし。(^^;;ハンドル握った自分が怖い。あっという間に札幌に到着してしまった。日帰りで十分楽しめますね。旭山動物園これからも病み付きになりそうです。


2004年09月13日(月) 驚くべき恵み

この土曜日から日曜日にかけて、心温まること(=心揺さぶられること)が幾つかあった。土曜日には教会の小羊会の子供たちと、神愛園(清田)という特別養護老人ホームに行った。去年もこの時期に行っている。敬老のお祝いが目的。この施設では毎朝9時からホールで礼拝をしている。それに参加して、その後、わたしの拙いリードで子供たちと手話をしながら賛美した。一番前で終始満面の笑みの男性は目が見えない。この人は去年もだったけれど「主われを愛す」の賛美歌を一緒に大きな声で歌う。何て楽しそうだこと!うちの教会員の高齢の女性もここに入居していて、にこにこしながらこちらを見ている。手を振らんばかり。いや、わたしの方から手を振ってあげれば良かったなぁ。「海と空つくられた主は」「主イエスはすばらしい」を手話つきで賛美した。「主イエスはすばらしい」は先日西野教会に行ってKさんから教えていただいたもの。この手話が子供たちに案外受けて、すぐに覚えてくれた。「神さまといつもいっしょ」の方は、何故か、覚えてくれなかったので(わたしの歌が下手だったからでしょう)披露しなかった。後日のお楽しみに取って置く。子どもたちはいつに無くお行儀が良くて、可愛さ倍増!(笑)やる時はやるんだ〜!楽しい訪問だった。しかし行き帰りの子供たちの騒がしさはすごかった。車が揺れる!車中の人形を好き勝手にひっくり返し引っ張っり(笑)これ欲しい〜とほざき(即座にあげないよ〜と応える!)しまいにゃ「あっ〜ジュースこぼしちゃった〜!」だって。やれやれ。ま、楽しかったから許す!(笑)10:30には教会に帰着した。

その足で先日お電話いただいた松浦さん宅に駆けつけた。午前中ならどうぞということだった。久々にお邪魔するので、家がわからなくなってしまった。一度行った場所は忘れないという特技を持つわたしには珍しい現象。(笑)肝炎の難病を患っているカメラマンの松浦忠孝さんは、午後になると疲れが出て臥せるとのこと。奥さんも去年両足首を骨折して足を引きずっている。重病人の松浦さんの顔は、ますますステキに輝いていた。ダンディでロマンスグレイ!(77歳)そして「死ぬことは全く怖くないです」と言う。死に向かっていても心はますます若返っているそうだ。死ぬまで勉強だそうで、ベットの回りには本があふれていた。松浦さんは毅然とまっすぐに聖書や神さまの話をするけれど、傍らの奥さんはその真面目っぷりに、ふふふと微笑んで、だけどご主人の言うことを妨げない。わたしはこのご夫婦と会って帰って来ると確実に元気になる。祈り方が変わる。くどくど祈るな、神さまに祈ったことは必ずそうなると確信して祈れ・・・これは前回お邪魔した時に教わったことだった。今回も同じように熱く語られた。神さまの計画は必ず成る!信じている器に応じて与えられる=沢山信じているものは沢山与えられる・・・のだそうだ。松浦さん自身がそのように与えられてきたそうだ。わたしにも少しわかる。わたしと家族もいつも必要なものが与えられて来た。さて、奥さんとわたしは大笑いの連続。真面目で神々しいばかりの松浦さん、同時に子供のように素直な松浦さんをネタにして。その話の内容を聴いていたのかどうか、松浦さんはお澄まししてベットで背を寄りかからせてワープロ叩いていた。最後に松浦さんが「さて、あなたの問題はどうなりましたか?」と問う。「はい、ここに来たら解決しました」と言うと「そうですか、それは良かった」と微笑まれた。(^^)ホント良かったです!帰路についた時、わたしの心は確実に神さまに向かって「ありがとうございます!」状態。(笑)美味しい食べ物と、たくさんの知恵と、本と、愛をいただいた。会葬御礼用の絵葉書セットまでいただいた。(葬式用に自分の撮影した画像ですでに用意されたそうな)「本番の葬式に来てくれたらまた同じもの上げますから」(笑)クリスチャンの良き先輩=モデルを見てわたしも最後の日までこんな心と笑顔で生きていたいなぁと思う。


2004年09月08日(水) 台風が来て

わたしの職場は札幌市民の山?藻岩山の南斜面にあって、背後はすべて森、眼前は遠くには山並み、近くには家並みが下に見えて、うっとりする景色なのです。神さまと人の両方の息遣いが聞こえるようなとでも言いましょうか。(笑)春も夏も秋も冬も外を眺めて退屈することがない。目の前にポプラが立っているというのも、とっても気に入っている。ところが今日は怖かった。台風18号による雨と風が強くなって、木々は大揺れに揺れた。森全体が唸り声をあげているようだった。そのうち、目の前でポプラの大木が何本も電線に倒れ掛かるのを見た。ポプラはどれも太くて枝を沢山伸ばして、青空の中に一本一本すっくと立っているけれど、強風にはもろいみたい。実は職員駐車場でも大きな木が倒れて、一人のヘルパーさんの自家用車の上に覆いかぶさってしまった。もう一台、リヤウィンドウが直撃されて、硝子がこなごな&車体ベコベコ、気の毒なことになってしまった。それを見て、支援センターのわたしたちは、自分の車をただちに安全な位置に移動させた。(;^_^A

ポプラの木が電線に倒れ掛かっているためなのか、施設全体が停電と断水になった。電話も終日不通だった。昼食・夕食を作るために、厨房の職員は大変な労力を費やしたことだろう。退社の17時になっても停電は解消されていなかった。坂道を車で下りると、国道はところどころ信号機が止まり、信号が動いていても横や斜めを向いているのがほとんどだった。そんな被害の中でも、空を見上げると虹が出ているのに遭遇した。朝は我が団地の北側窓から見つけた。何度も消えて何度も現れた、幅の太い虹。被害の後の午後3時くらいには、豊平川の向うに虹を見つけて安堵した。二つも虹を見つけて満足していたけれど、退社時更にもう一つの特大アーチを見た!天空に大きく伸びて、札幌全体を包み込むような大きな虹だった。今日は何て一日なんだ!

家に帰りつくと停電だった。団地なので停電すると水道のポンプが作動しない。水も使えない。電話もダメ。折りしも、今夜は前夜式(お通夜)に出席する。あわててろうそくを用意し(クリスマスグッズから出す)、娘に使い方を教え、喪服に着替えて飛び出した。18:30の開始に遅れた。遺影の何てステキな笑顔だこと。この方の優しい声、笑顔、態度を忘れないだろう。やるべき仕事を終えて、向うの世界に飛び出して行ったんですね。そうそう、説教された牧師が「この恵みを感謝します」と言った。教会ならではだね。(笑)
帰宅すると、電気も水道も電話も復帰していた。夫と子供たちが鍋をつついていた。(笑)


2004年09月04日(土) 宝物

今朝起きたら、テーブルの上に手紙があった。娘がわたしに宛てて書いたもの。ルーズリーフ3枚にびっしり書かれていて、最初に沢山の「ありがとう!」の言葉が連ねてあって「さて、この頃お母さん元気ないネ。"更年期だから"なぁんてジョーダンゆってるけど・・・」と、わたしを気遣ってくれている。わたしのことが気になって、昨夜遅くネット接続して昨日の日記も読んだそうな。(笑)「いりはジョーダンゆうお母さん好きなのよん。まぁ、どんなにきついジョーダンでも、いりにはユーモアだって伝わるし、そうやって表現することっていいと思うの」なんて書いてくれている。娘に指摘されて落ち込んだなんてことは断じてありません。(笑)自分の問題で元気が出ないってことは確かにある。この頃自分が何をしているのか、何を望んでいるのか、よくわからないんだなぁ。ちょっとしたことに動揺してしまう。拘ってしまう。人がわたしをどう思うかって問題より、自分が何をするのかって方が大きな問題なのです。わたしは今岐路に立っているような気がする。生き方を変えなさいと神さまから促されているような気がする。
さて、娘の手紙には最初から最後までステキな言葉が沢山散りばめられていた。わたしへの感謝のことば、神さまのこと、彼女自身の本心も書かれていた。わたしが気付かず彼女に押し付けていたことも感じた。全文公開したいくらいだけど(笑)この手紙はわたしの宝物だから大事に取っておこう。(笑)これからも元気が出ない時は、しばしば読むでしょう!ありがとう!!>娘。

今朝は実は他にもうれしいことがあった。一通のメールをいただきました。「今のたえさんが私は大好きです」(*^.^*)ありがとう。同性です。(笑)
更に一人の方から、出勤前に電話をいただいた。クリスチャンカメラマンの松浦さんの奥さまから。一瞬、訃報か!?と思った。(ーー;)電話をいただくなんて珍しい。このご夫婦はわたしの信仰のパトロンだと、わたしが勝手に思っている。「わたしたちも今ヘルパーさんに来てもらっています。あなたはどの地域でお仕事しているのかしらと思って電話してみたのよ」と言う。ご主人の病気が重くなっていることを聞く、その事実の重さと対象的な奥さまの明るい声にわたしは「そんなにさらっと言うんですか!?」と笑って問い返してしまった。奥さんも去年足を骨折して歩くのもママならないそうだ。それでもご夫婦で祈り場(と決めている場所がある)に毎朝車で出かけ、祈り、日曜の礼拝は欠かさない。祈りと礼拝に集中して体調を整えているとのこと。体が動く限り、このご夫婦はこの生活を止めないだろう。「わたしも今苦しいことがあって祈り続けているんです。こんな時にお電話いただくのは不思議な気がしています」とつい告白してしまった。(^^;)「一度こちらにいらして下さい」と言われて「はい!」と答えた。お互いに「祈って下さいね」と言いあって電話を切った。わたしはご夫妻のところに急いで駆けつけるべきじゃないだろうか。
※松浦忠孝さんは「いのちのことば社」から写真集数冊出版しています。


2004年09月03日(金) 気付かなかった(ーー;)

食事の後に娘とくつろいで話していた。「お母さんって面白いけれど、お母さんの冗談がわからない人いると思うよ。隣で聞いていて、きついなって思う時あるよ」ガーン!「確かに冗談ばかり言ってるけれど、そんなにきつい?自分じゃ自覚していなかったよ」(^。^;)
こうやってまたもや自分のことを客観的に見る機会を与えられる。しずしず。
わたしの冗談(軽い口上)で今まで傷つけてしまったかもしれない方たちにお詫びします。ごめんなさい。もう少し考えながら言葉にします。同時に言葉が多くてごめんなさい。でもね、自分を殊更卑下しません。こんなわたしでも良かったらお付き合い下さい。少しずついい方向に変わりたいと思うのです。


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