時々日刊たえ新聞
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2004年06月26日(土) 旅の余韻に浸る1(6/26+28up)

6月19日(土)から21日(月)2泊3日の東京の旅に出ることに決めたのは3月のこと。かおるさんが「6月にTDRに行くよ〜、アンバサダーホテルにお泊まりするよ〜」と言うのを聞いたら「わたしも行きたいっ!」と叫んでいた。(笑)わたしがしたのは飛行機のバーゲンチケットの手配だけ。お膳立てはすべてかおるさんがしてくれた。かおるさんと会いさえすれば、快適にTDRが堪能出来ると信じて疑わなかった。(^^)v
かおるさんの親友のTさんも先にこのツアー参加を申し出ていて、土曜日の夜は「うちに泊まって下さい」と申し出てくれた。お言葉に甘えることにした。Tさんとは去年の夏会っている。Tさんとかおるさんと加奈ちゃんが札幌に来て、旭川の旭山動物園ツアーを一緒にした。その楽しい思い出が忘れられない。謎の人(ネット上には姿を見せない!?)Tさんの一部を紹介すると・・・背が高くて、細身で、かっこいい女性です。外見も中身も爽やかな人。世界を舞台にした旅人です!
19日(土)は、一人お会いしたい人がいる。お正月沼津に行った帰りの東京で、会いたいと言ってくれたのにお会いしなかったことが心残りだった「りこさん」彼女と息子のこうちゃんは、5年前札幌に遊びに来た。漫画家・小沢真理さんの札幌オフ会が開催された折りのこと。小学生のこうちゃんに「札幌の大学においで!」と言ったことを思い出す。
飛行機を降りると、りこさんにレクチャーされた通りに都心の電車・地下鉄乗り継いだ。降りたところは東京のど真ん中(わたしにはここら辺が真ん中に思えるのです)、東京ドームの近く。りこさんちにいたら東京ドームに歩いて観戦に行けるね。(←いいなぁ)地下鉄駅至近、高層マンション。家にまでお邪魔するつもりはなかったんですが、すぐにお言葉に甘えてしまうわたし。(^^;)おしゃべりしたのはほとんどわたし、結局お会いしたかったのはわたしの方だったということがわかった。りこさんはいい聴き手です。ビルの上にあるジェットコースターや観覧車を眺めながらの昼下がり。美味しいお昼といい時間をありがとう。また会おうね。>りこさん

りこさんとお会いした後はTさんがこの辺りのどこかにいて、わたしを回収してTさん宅に連れ帰ってくれることになっている。3時にTさんよりメールが入る。りこさんに「待ち合わせするのにいい場所あります?」と聞いたら「○○○閻魔」と言う。そんなローカルな閻魔さんの場所、Tさん知っているかな?と疑いつつメールしたら「知ってます!」という返事。Tさんってホントどこでも知ってる人(ってことはどこにでも行っているってこと)なんだな。待ち合わせ場所でりこさんにさよならをし、Tさんにバトンタッチ。(笑)こんなにおんぶに抱っこでいいのか!?ありがたい。

Tさんと高いビル(シビックセンター)の展望台に登り東京を一望した。明日行くTDRも見えた。池袋のビルも新宿のビル群もよく見えた。それから小石川後楽園を散策した。傾いた陽が暑い。日陰のベンチに座って菖蒲の花畑、松の庭園を眺める。隣の東京ドームの喧騒が近い。しかし緑の中に埋もれて、都心にこんな静かな場所があるなんて、心が和むね。閉園時間が近づいた。Tさんに付いて歩いて人通りの少ない道を行き、大きな道に出、お堀に近づき、地下鉄駅に到着した。ここは、かおるさんやTさんが青春時代を過ごした場所らしい。(つづく)

Tさんの住まいは郊外の駅に至近で便利。まずはお腹を満たすべく餃子屋さんに連れて行ってもらってビールなんぞいただく。美味い!(笑)もちろん餃子も多種たくさんいただいた。特にエビのプリプリ餃子美味しかった。満腹&満足。Tさんの家にお邪魔する。シンプルで清潔な部屋。タンスはないけど箱庭がある。(笑)ビーズクッションに納まって座敷ネコのように和むわたし。ネットで出会ったMAYAHさんの住所がTさんちに近いと教えられたので電話してみる。MAYAHさん驚く。(笑)目の前のこの駅が最寄り駅だそうだ、電話の声が確かに近い気がする。(笑)後ほどMAYAHさんがこちらに出向いてくれることになる。MAYAHさん諸事済ませて駆けつけてくれたのが9:30過ぎだったかしら?それから誘われてわたしだけMAYAHさんのお家にお邪魔することになった。MAYAHさんのお父さんが在宅でヘルパーを利用されている。訪問介護事業所勤務のわたしが何程のことも言えないけれど、ご両親にもお会いしたくて、請われるままにお邪魔した。夜分に闖入してすいませんでした>おとうさま。笑顔のステキなお母さま、お会いできて幸いでした。MAYAHさんちの美猫・又五郎くんにも対面した。目のステキな気高い猫でした。わたしは一日のお遊びで目の下のクマが激しかったけれど、MAYAH邸の方々は夜でも美しく楚々としていた。感動。帰りもTさん宅まで愛車で送り届けていただいた。その時不思議なことが起きた。Tさん宅へのエレベーターに間違いなく乗って降りて部屋に着いたはずなのに、表札が違う。え?なんで!?単に建物間違えただけなんですが、同世代のわたしたちは本気で疑った。Tさんちが消えた!(笑)MAYAH邸訪問は真夏の夜の夢のような一時でした。

Tさん宅の夜は更けた。気兼ねのいらないTさん、心地いい。(気兼ねしな過ぎですいませんでした)敷いていただいた布団に転がる。都会の喧騒が聞こえる。風が強い。一日のお守りを神さまに感謝し、次第に眠りについた。


2004年06月19日(土) 訃報

昨晩新聞を読んでいたら、朝刊に松下竜一さんが17日朝亡くなられたことが報じられていた。息をのみ・・・ため息。来たか。去年の今頃、講演中に倒れた。倒れる以前から肺にのう胞抱えて喘ぎつつ生きてきた人だった。ノンフィクション作家、そして環境権を掲げて「草の根通信」を30数年出し続けた。わたしは29年間読み続けて来た一人。去年倒れてからは変則的だが周りの者が発行していた。それも後1号で終刊になることが決まっている。松下竜一さんの文章がわたしの目標。チェルノブイリの原発事故の起きた4月、当時3歳の息子と広島に旅した。その途中大分県中津市に寄って、松下竜一さんの家にお邪魔した。たくさんの本で傾きそうな書斎で少しお話した。何を話したか忘れてしまった。寡黙な人なのでほとんどお話されなかったと思う。松下さんもこんな来訪者があったこともとうに忘れてしまっただろう。紹介されて近くの日吉旅館に泊まったなぁ。松下センセの新しい文章をもう読めない。
センセ、よく生きました。その姿と文章でわたしの人生に多大な影響を与えて下さいました。ありがとうございました。


2004年06月15日(火) 怠惰

夕陽ががんがん輝いている中を車を疾走させて帰宅した。国道から上がる道は並木の影が所々トンネルのようになって、夕陽の当たる部分とのコントラストに目が眩む。暗さと明るさの中を疾走する時、タイムトンネルを通り抜けるようなワクワク感を味わう。

すでにいりちゃんが帰宅していた。定期試験の終了日で本来なら部活に出ているところなんだろうけれど、部活をさぼって解放感に浸っているようだ。その気持ちわかる。(笑)久しぶりに定時に仕事を終えたわたしとて解放感があって、さっそくパソコンの電源を入れてインターネット接続した。あぁ、のんびり〜。しばらくすると夫が帰って来た。(笑)そそくさとパソコンをたたむ。食卓でノートパソコンを開いているのでここに陣取っていては食事の支度も、新聞を広げることも出来ないのだ。我が家の万能食卓!
「鶏肉あるから親子丼作ろうか?」と言うと夫は「鶏肉生臭くて美味しくない」と言う。わたしの調理はしばしば手抜きで飽きられているようだ。(^^;)この頃は夫の方が早く帰宅することが多いので、夫が夕食の支度をする回数が多い。今日もやる気のないわたしを見て取ったか、彼が調理を始めた。こういう時は口出ししない。全面的に夫に任す。
わたしはいりちゃんの部屋に行ってベットで寝ている彼女にちょっかいを出す。母「古文どうだった?」娘「まぁまぁ」母「それじゃ100点かい?」(笑)娘「ううん、間違い見つけた」母「生物は?」娘「ダメ」(笑)
部屋には夕陽が斜めに差し込んで、全体がオレンジ色を帯びている。直接陽の当たらないベットに娘が大きな肢体を伸ばして寝ている。その横にわたしもゴロンと寝てみる。あぁ気持ちがいいねぇ。大きなぬいぐるみを挟んでわたしも夕寝する。開け放たれたドアの向うから夫の調理する音が聞こえる。うとうとしていると玄関がバタンと音がして、どうやら夫が出て行ったみたい。何か足りなくて買いに走ったな?わたしはむっくり起き出して台所の様子を眺めて、味噌汁だけ作ることにした。味噌汁だけはわたしの作った方が美味しいと彼も認めてくれていると思う。(笑)すぐに帰ってきた夫はやっぱり、パン粉を手に持っていた。(^^;)切らしていてすいません。ゆで卵沢山が水に浸けてあったが、夫が殻をむき出した。わたししようかと言うと「(ここ)狭いからいいよ」(^^;)
台所を退散してまた娘の部屋にしけ込む。もう一度ベットに入る。娘は寝息を立てている。わたしも目をつぶるが、次々と色々な想いに捕われて・・・そのうち祈りに変わった。窓の外は薄暗くなって来た。窓は閉じられているけれど冷気も感じられる。調理が済んだらしい夫は一人食卓に着いたようだ。夫は寝ている者を無理に起こそうとしない。「ご飯出来たよ〜」とも声をかけない。気配を察して起きると、野菜が添えられたお皿にイカフライとチキンカツとトンカツが並んでとっても美味しそう。大根とゆで卵のおでんも出来ていた。文句なく美味い!いりちゃんも起きてきていただく。息子は今夜は教会の友達とお祭りの夜店に繰り出すそうで帰宅が遅い。3人がそれぞれ静かに食事を摂る。あまり話が弾まない。かと言って気まずいわけでもない。(^^;)

食後は夫は食卓で新聞を読み出し、わたしはソファに寄りかかって新聞を読む。主婦らしいことは何もしない。子供たちが大きくなって手がかからないというのは何て楽なことだろう。自分のことは自分でする夫を持っているというのは何て楽なことだろう。怠惰と言えば怠惰だ。何かをしたくなるまで何もしなくていい。それを許してくれる家族に感謝する。


2004年06月13日(日) 出会う

虹掲示板に[うい]さんが初めて書き込みしてくれたのはつい先日5月26日のこと。「虹」をキーワードに検索してくださったか、バプテスト連盟所属教会の紹介サイトから来て下さったか、確認はしていない。それからの短い時間にだいじな言葉のやり取りが幾つかあった。自分のことであったり、虹のことだったり、聖書のみ言葉だったりした。その中でわたしが知りえた幾つかは、ういさんがすでにクリスチャンであって、しばらく教会から離れていたけれど最近西野バプテスト教会に行っていること、だいじな人と幾度か地上でのお別れをしていること、そして今また、神さまは確かにいて、ういさんを愛しておられるって事実にういさんが迫られているってことだった。
6月13日はういさんにとって特別な日だと察せられるので、この日に新しい信仰の表明をされるに違いないと踏んで(彼もそうしたいと願っていた、先週彼は転会する意思で信仰告白を書き始めた)、わたしは13日の礼拝は西野教会に行こうと思った。賭けみたいなものですね。(笑)
娘に「虹掲示板に最近来たういさんという人が信仰告白するかもしれないから西野に行くよ」と言うと「わたしも西野に行く」と言う。よっしゃ、連れて行ってやる。(笑)

教会学校の仲間に事情を話して教会学校をお休みすることにした。女性会(旧婦人会)が13時からあるけれど、もしや遅れたら困るから司会を辞退し「証」というお話をする役目を引き受けはしたけれど念のため代行者も用意してもらった。今日、自分の教会の礼拝休むことに何の支障も無い。(^-^)/ 憂いなく西野バプテスト教会に向かった。

西野教会の礼拝に参加するのは初めて。いい教会だと思った。玄関入った所からスロープがあって、お花や人形が優しく温かく配置されている。人を迎える用意がされていると感じた。礼拝前の時間でまだ大人の教会学校をしていた。中田牧師がお話されていた。どうぞと促されて、終わる直前だったけれど参加した。一人、右側に若めの男性がいる。ういさんかな?最後に自己紹介で名前を言っていただいて確かにういさんであることを確認した。(微笑)

礼拝が始まって賛美歌歌うと司会の女性が講壇から降りて子供の近くに行って「子供のためのメッセージ」を始めた。これがとってもいい。易しい言葉と長くないお話。そして「神さまありがとう」の賛美歌に手話を付けて、伝授しながら一緒に賛美した。わぁ、このパターンいいなぁ。わたしも小羊会でやりたい!その後に中田牧師のメッセージが始まった。聖書の箇所は詩篇1篇、題は「幸いなことよ」中田牧師は先日まで入院されていて、今日は久しぶりの説教だったようだ。いつものお髭の顔がちょっと痩せていた。賛美歌も着席されて歌っていたし、説教は教会員の勧めだったそうで椅子に座ってされた。先生が冒頭で「西野っていいなぁと思いました」と言われた。人の痛みを分かち合ってくれる人たちがいると言われた。入院生活を余儀なくされていた牧師が開口一番、静かに万感込めてそう言う。説教を聴きながら「流れのほとりに植えられた木」それはわたしたち。最期まで神さまの作られた流れの水際に立つ木であり続けたい。そう思った。

さて礼拝が終わってから中田先生はちょっと困惑気味に、ういさんの転会の表明を促した。バプテスト教会は他教派から転会する時は、自分の言葉で「信仰告白」というものをして(多くは自分で書いたものを読む、書いたものを牧師が事前に読んでGOサインが出るんだと思う)教会員の同意を得て迎えられるという手順になっている。ういさんは牧師に転会の表明はしたようだが「信仰告白」を披露していなかったらしい。肯ける。きっとギリギリ完成した信仰告白なのだ。だから中田牧師は困惑しながらもういさんの表明の後に「それじゃここで皆さんに手を挙げてもらいましょ」と半ばやけくそ、こうなったらすべて「神さまにお任せ」状態で教会員の意思の確認をした。当然ういさんは西野教会の信仰の仲間として迎えられた。

変わっていると言えば変わっている。ういさんは中田先生の言葉を押し切って無理に「信仰告白」を読もうとはしなかった。控えめに講壇に立って信仰の表明=現在の気持ちを語って「信仰告白」はこの封筒に入れて持って来ましたと言った。十何通あるだろう色とりどりの封筒が講壇に置かれた。「良かったら持ち帰って読んで下さい」と彼は言った。わたしはその封筒たちの色に見とれた。もう一つ見とれていたのは左側にあるピアノの上、白いレースのピアノ掛けの上に何束ものガーベラの花が会衆席に向かって置かれていて、その量と彩の愛らしさに、席に着いた時からうっとりしていた。何て粋な教会だろう。これだけの花束を並べるなんて!最後に、その花たちはういさんから礼拝に参加した人たちへのプレゼントだと紹介された。封筒と花たちは呼応していたんだね。わたしは5つの花束が包まれた一つの花束をいただき、自分用に一通の封書をいただき(黄色)、あと二通の封書も渡されたままにいただいた。こんなセレモニーも珍しい。(微笑)

さて、話を急ごう。わたしはういさんと初対面だったけれど、彼のことを何十年も前から知っているような気がして安堵していた。うれしかった。たくさん話さなくても十分だった。こんなステキな信仰の再スタートに立ち会わせていただいて幸いだった。この気持ちをさっそく言葉にしてみようと思った。自分の教会に戻って、13時からの「女性会」でお話しようと心に決めた。本当は5月に函館に行った時のことをお話しようと思っていたんだけど、それは取りやめ。今起きたばかりのことを新鮮な思いのままお話出来るかなぁ。心配だったけれど必要なことはちゃんと語らせていただけるもののようです。昂ぶることなく平安にお話することが出来たと思う。一つの花束が5つの小さな花束に別れていて、5人の女性の手に渡った。一人の人の信仰の再確認が彼女たちの食卓をも祝してくれたに違いない。色違いの二通の封書も二人の女性の手に渡った。この封書は二人の手に留まらず、他の何人かに引き渡されるだろうと予感する。わたしも封を開いて静かに読ませていただいた。虹が出会わせてくれた出会いだけど、それは神さまのされたことだと思う。
さぁ、これからわたしも「主の教えを愛し、その教えを昼も夜も口ずさんで」(詩篇1篇2節)歩んで行こう。


2004年06月04日(金) 思い切って書いてみよう

雪解けからこの方、出かけるのが嫌になったり、人の言葉にクサクサしたり、人を恨んだり、鏡の中の自分が醜く見えたり、年を取ったなぁとため息が出たり(笑)、今までのわたしとは違う側面が見受けられるようになった。思考回路にも滞りあって短期記憶が抜け落ちていて愕然とすることがある。あれ?これ更年期と関係あり?
それでマイナスイメージが湧くとき、わたしがすがるのは好きな詩であったり言葉であったり。
手始めに、先週までこの詩を口ずさんでいた。

  「あいたくて」   工藤直子

だれかに あいたくて
なにかに あいたくて
生まれてきた−
そんな気がするのだけれど

それが だれなのか なになのか
あえるのは いつなのか−
おつかいの とちゅうで
迷ってしまった子どもみたい
とほうに くれている

それでも 手のなかに
みえないことづけを
にぎりしめているような気がするから
それを手わたさなくちゃ
だから

あいたくて(以上おわり)

いっそう恋しい気持ちが募るんだけど、慰めになるんだなぁ。そして今週は車の中で思いっきり楽しいCDを流している。沖縄の具志堅ファミリーの「琉球ゴスペル」で(笑)「感謝さびら」というタイトル。この中にこんな曲あり。

「ラララ ジョイ ジョイ」  プレイズワールド31
  作詞・作曲:不肖
  訳詩:ノア・ミュージックミニストリー

ジョイ ジョイ ジョイ
ジョイ ジョイ ジョイ

ラララ ジョイ ジョイ ジョイ ジョイ
歌おう 喜び 歌おう
ラララ ジョイ ジョイ ジョイ ジョイ
歌おう 声を合わせ
たとえ今 つらくても 
イエス様の愛があるから
いつでも満たされて 心は喜びでいっぱい

ラララ ジョイ ジョイ ジョイ ジョイ
歌おう 喜び 歌おう

ラララ ジョイ ジョイ ジョイ ジョイ
歌おう 喜び 歌おう(以上おわり)

あまりに単純なメロディと言葉、夫婦+子供6人の8人ファミリー。子供の声がまっすぐで楽しげ。今週のわたしは少し素直な心持ちになりました。わたしも単純。(^^;)


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