★ 夏海の日記 ★
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3月から私は、岡崎まで満員電車に揺られながら、トリマーになるべく、就労支援の施設に通っています。 就労支援施設で、全国初のペットコースなのだそうです。
一昨年の年末に、精神の障害者手帳の申請をし、 手帳が届くまで という3ヶ月をめどに、B型作業所という施設に去年の5月までいました。 B型施設とは、一般就労に向け、生活のリズムを整えながら、一定の時間を拘束されることに慣れ、作業をする集中力を養うことを目標に作られている作業所で、 お給料は、月にMAXでも1万5千円くらい。時給計算で、1時間100円ちょっと。 まぁ、お金を稼ぐことが目的じゃないので、悲しい程安いです。 就労時間は4時間。1時間毎に15分の休憩が入り、お昼休みは60分。なので、朝2時間、昼から2時間の作業で、拘束時間が9時(〜9時半)から、4時までの、約7時間でした。 長いねぇ…
私の目標は、障害者枠での就労でしたので、手帳が来るまでの我慢と思っていましたが、責任者夫婦が気に入っているのと、良い仲間数名がいたのと、仕事が楽しかったので、悲しい程安い給料も、ま、いっかって感じでした。
手帳が届き、施設のスタッフとも話し合い、職安の障害者枠で就職活動をしたのですが、職安の人いわく、緊張が激しいのであれば、いきなり企業ではなく、A型施設への就労という選択もあるよと提案され、B型の責任者の人と2人で施設を見学。 取り敢えず、3日間午後からの2時間体験実習をして、正式に職安の紹介状を貰って面接を受け、6月からB型に就労が決りました。
B型の就労施設というのは、最低賃金(当時750円)が保障され、雇用保険にも加入することができます。就労条件は、 障害者手帳を持っていること。 また、 基本1日に4時間、1週間に5日程度落ち着いて働けること。 社会性(協調性)があること。 言っている意味の理解力があること。 も求められます。
一般就労に近い、でも、病気に対する理解が一般就労より高く、通院遅刻や休暇が認められ、 私が通ってた会社は、特に体調(心の調子も)が悪い時には休んだり、遅刻や早退も自由にできる『ユルい』会社でした。 50歳を過ぎた人も16歳の人もいて、聾唖(ろうあ:耳の聞こえない人)も、身体の障害、喘息など、病気の障害、心の障害を持った人、色んな人が20人くらい、2階建の古民家?で作業していました。
どんな職場でもあることですが、『ゴリラ(と呼んでいる)』がいて、そのストレスの為に職場に行きづらくなった時には、代表の人がサポートしてくれて、1ヶ月で立ち直ったのですが、 もう一頭『ゴリラ』が現れ、また間の悪いことに、それが職員だった為、代表もサポートしきれず、自力で何とか対応しなければならない状況に陥りました。
そして、私のせいなのですが、ある日遅刻をし、でも、そのタイミングが仕事が始まる前ギリギリの時間だったのです。 その日は代表が休みの日で、私の仕事開始時間を新米のスタッフが決めました。誰にも相談せず、15分からだと。 つまり、私のお給料がそのスタッフの裁量で15分削られたのです。 私は納得できず、体調不良を理由に、途中で早退し、翌日も休みました。 金曜、代表にその事を伝えると、全てのスタッフが、全ての権限を持っているので、彼女の言葉は間違っていなかったと説明されました。 が。 その日、通院の為に、同じ時間くらいに出勤した私に、代表は、「じゃー、5分からね」と言った。じゃー、あの15分は、何だったの?と思った。
また、『指導員ゴリラ』のあまりの傍若無人さ(私達は、仕事中に喋ると注意されるが、指導員の中で、そのゴリラだけは絶えず喋っている。また、仕事中に寝てたり、コーヒーを飲んだりして休憩してたりする時もある。それを納得出来ずに代表に手紙を書いたが改善がみられない。)に、ある日、とうとうキレてしまい、疲れたからと説明し、1週間休みを貰いました。 障害者を雇用すると、市だか県だか国だかから会社にお金が入ります(1日5千円!だと聞きました)。そのお金と、内職(私達の仕事)の仕事で入ったお金で、私達のお給料を支払い、スタッフのお給料もまかないます。(私の作業所では、トイレとキッチンにペーパータオルが置かれてあり、今年に入ったら、浄水器まで設置されていて、びっくりし、そのお金の使われ方に疑問を感じていました。) 私は本気でキレてしまったので、もう私を雇うことによって支払われる補助によって、『ゴリラ』を養うことに我慢出来なくなりました。
以前通っていたB型施設に連絡をし、相談に乗って貰おうと思いました。本当は、それはA型施設に対して礼儀を欠く所業なんだけど…それは、お互いに理解しつつ、内緒の会談です。)
私には、もう無理な段階に来ていて、これ以上そこでストレスを感じたまま通い続けると、良くなって来た体調を崩し、就職出来なくなる恐れがある。 何より、ストレッサーが指導員と言う立場で、対等ではなく、改善が見込めないこと。 を考え、辞める覚悟で1週間休みを取ったこと。 を伝え、 1.アルバイトをする 2.岡崎のペットコースに通い、トリマーの資格を得る 3. アルバイトをしながら、B型施設の人数に空きが出るまで待つこと を選択肢として考えていることを伝えました。
その前に、クリニックのケースワーカーさんにも、同じように相談をしていたところ、何が一番嫌なのかと聞かれました。私は、 A型施設から一般就労へ移行しようと言う意識がとても低いこと。 障害者であることが有利であり、障害者手帳を使って、何でも少しでも安くならないか と言う意識の人達に染まるのを私は潔ぎ良しとしないこと。 何か問題が発生すると、障害者だから仕方ないじゃん、ま、色んな人がいるからねの一言で片付けられるのが嫌なこと
と伝えたところ、夏海さんらしいと言われ、岡崎は遠いので、アルバイトが良いんじゃない?ってアドレスされてました。
そのことも伝え、さてどうしたら良い?と相談したところ、 私の今まで溜まったストレスによる、精神的な疲労を抱えている今、アルバイトを始めてしまって果たして大丈夫なのか、を一番心配している。仕事を始めるのは良いとして、やっぱり駄目でしたとなった時の精神的ダメージを考えると、アルバイトを勧めることは、怖い。 遠いけれども、岡崎へ勉強に行ってはどうか? と提案されました。 何にせよ、一度連絡してみて、見学してみて損はないと。 それにしても、よくそんな施設を見つけることができたねー!と感心されました。 私はたまたまラッキーだったと答えました。
名古屋ドームで『わんにゃんドーム』というイベントがあり、その冊子を手に入れる機会があり、それをたまたまパラパラと見ていたら見付けたんだと。 ただ、岡崎は、遠いよなぁ…と、寝かせてあったことを伝えました。
運と引きが良いのが、私が生き残って来れた財産です。もう駄目だと思った時には、何か誰かに助けられるから、今まで死なずに生きて来れた。ありがたいことです。
2013年03月13日(水) |
言葉の暴力 〜 一言の重み 〜 |
人は、いとも容易く人を傷つける。 teaは、私にキチガイと言う言葉を浴びせかけた。 夏海さんは、何を言っても心に響かないから、わざと傷付く言葉を選んで、心に残るように注意しているんだとも言われた。 私の中に残り続ける心の傷のことなど何も頓着しないで。子供のような笑顔で、そう言った。
高校生の頃、自習の時間にさぼって友達3人と、その中の1人の家に遊びに行った。 私にとって、初めての『冒険』だった。 時間を忘れて、次の時間もさぼってしまった。 大した内容の授業でもなかったが(雪が降ったら、雪合戦をするような先生だったな…)、その教諭が騒ぎ立て、校内放送で呼び出されたそうだ。 普通の顔で学校に戻った私達は、その騒ぎで担任に職員室に呼び出され、説教された。 そして、家にまで電話されてしまった。
部活を終え、家に帰ると、母に怒られた。そして、最後の一言。 「あんたには、サジを投げてたわ」
は?『投げてた』?
『投げた』ではなく?
いつから『投げられて』いたんだろう? 私が何をやって来たの?清く正しく生きて来たでしょ? 部活もやり、父親の決めた塾へも通い、反抗もせず、転校続きに文句も言わず、虐めにあっても助けも求めず、手のかからない子供を演じて来たでしょ?
守るべき人と位置付けていた母親に裏切られた最初の言葉だったかも知れない。 その後、何度も近づいては裏切られを繰り返している。
最近、ある人に心ないメールを貰ってしまった。 「私のアドレスを削除して下さい。自立できない、頑張っていない人を私の知り合いと認められませんから」
うーたんと離婚し、teaと離婚し、また結婚したこと が、 彼女にとって『自立していない』『頑張っていない』ことなのらしい。
teaの言葉のDVとパワハラから逃げて離婚し、 母親に、「あんたと一緒にいたら、私もウツになるわ」と、同居を拒絶されて、 生活保護を受けろと言われ、 生活保護を受けるなら、車を売らないといけないので、(就職する範囲を広げる為に)スクーターを買うと言ったら、2度とうちに来るなと言われた。 ・・・この歳になって、また母親に棄てられた。
緊張と怖いよーで毎日歩き続け、高いマンションやビルを見上げては、
ど・れ・に・し・よ・う・か・な
と、飛び降りる場所を選んでいた、最悪な年末年始を生き抜き、 今、生きているのが奇跡だと思える私の何を知って、頑張っていないと言い切ってしまえるのか?
言葉の暴力は、怖い。 一度浴びてしまったら、もう『聞かなかったこと』にはできない。 私は傷付き、また のたうち回る。
有難いことに、今の私は調子が良い。 やるべきことがあり、トリマーの資格を取るという目標がある。 家に帰ると、相方のKBが私を笑わせ、泣かせ、見捨てられた子供にしないと安心させてくれる。
一度聞いたことは、なかったことにはならない。 でも、今の私には、相方のKBや 信用に値する友達や、魂の片割れと思える友達がいてくれる。
一度聞いたことは、なかったことにはならない。 でも。
愛すべき人達に支えられながら、私は私の道を生きていきます。
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