2003年03月23日(日) |
「戦争反対」のコメントについて |
戦争が始まって、数日が経った。 (その間、私は風邪をひき、発熱と下痢に苦しんでいたが・・) 情報は交錯し、何か事実で何が偽なのか、なかなか判断がつかない。 突然のように、軍事評論家があらわれてコメントをする。 その肩書きすら疑問を抱く私には、なぜか納得できない。 湾岸戦争の時、その空爆をテレビで見ていて、 なぜか映画のようだと感じた非現実性と、 アメリカのテロ事件のように、映像操作が作り出す報道の曖昧さを 痛感しているから、なかなかコメントが出来ない。 今回の戦争で、多くのWEB日記をつけている方々が、 自分なりの感想を書いているが、それはほとんどが、戦争反対。 私は賛成、と堂々と書いている日記になかなかお目にかかれない。 もしも相手が、イラクではなく他の国だったら、どうだろうか? いつミサイルをぶち込まれるかわからない距離の国が、 戦争相手だったら・・と考えると 私は「少なくとも今回は反対」くらいしかコメントが出来ない。 だって日本の場合、大都市の空爆より、原子力発電を狙われたら それだけで木っ端微塵なのだから。 もしも、今回のこの戦争が景気回復に繋がり、 リストラされた国民に仕事が与えられるとしたら、どうだろうか? やっぱり、戦争が自分の生死に、そして生活に密着した時、 はじめて賛成・反対のコメントが出来る、と思うのだが・・。 いかがなものでしょうか?
2003年03月14日(金) |
ありえない事故はなぜ起きたのか |
富士市のビル壁崩壊の事故。 各紙、朝刊はトップ記事扱いであった。 興味を引いたのは、朝日新聞のこの台詞。 関係同業者の意見も「考えられない」。 だから、私にはよく理解できない表現であった。 「ありえない事だから、事故」というのだろう。 見出しだけを流して読むと、 たいして気にならないのかもしれないけれど、 茨城県東海村の民間ウラン燃料加工会社の臨海事故の時も、 同じような感想をもったと記憶している。 予想が付かなかったから、事故になったのではないか。 ありえないと考えていたのに起きたから事故ではないのか。 そんな疑問を抱えたまま、この事故の顛末を眺めている。 おかしいと思いませんか? もう一度、読み直して欲しい。 「ありえない事故はなぜ起きたのか」 (笑)
2003年03月07日(金) |
「匿名」のクレームは、言葉の暴力に等しい |
「インターネットのホームページ、 知らない人に荒らされて、閉じることにしました」 そんなメールが時々私のもとに届くことがある。 これはインターネットの世界だから・・と思っていたが そうでもない。 最近では、新聞の投稿欄にも「匿名」を良く見かけるが、 本当にいいのだろうか?と思ってしまう。 「匿名だから言えるんだ」という論理もあるだろうが、 自分の身分を明かさず、言いたいことを言う、という図式は あまりに一方通行である気がする。 「匿名」イコール「自分の発言に責任を持つ必要がない」という 意味だけではないが、大切にしたい文字でのコミュニケーションを 「暴力」にしてしまう危険性を含んでいる。 「匿名」で言いたいことを相手にぶつけた側は、 すっきりするのかもしれないが、 クレームを匿名で受けた側は、言われっ放しでストレスも溜まる。 返事すら出来ないイライラは、 家庭に戻っても、休日を過ごしても、 頭の片隅に残っていることを理解して欲しい。 会話は、お互い名乗ってから始めるものだと思うから。
2003年03月01日(土) |
「年度」と切り離したい教育制度 |
娘の高校卒業式、天気は残念ながら小雨。 この時期、毎年「三寒四温」で、天候が不順な季節である。 そういえば大学受験の頃は、 毎年インフルエンザや風邪が流行る時期と重なる。 人によっては、もう花粉症にも悩まされている。 (桜が似合うはずの入学式も、昨年は散っていた・・) 人生の節目や、人生を左右する高校や大学試験が、 体調の崩しやすい冬に集中していることに、 少なからず疑問を抱いている人も少なくないはずだ。 行政を始めとした社会全体が、年度というサイクルで動き、 先生の異動などもその流れの中だから・・ そんな声が聞こえてきそうであるが、 日本全体で「教育力」に危機感を感じているのなら、 試験の時期、入学式、卒業式の日程も検討したらどうだろう。 試験の方法が目まぐるしく変わる教育改革よりも、 もっと根本的なところに目を向けた方がいいと思う。 最高の能力を最高に発揮できる環境づくりが、 私たち大人が子ども達に残してやれることだと、私は考えている。
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