2002年06月30日(日) |
「サッカーのテレビ放映を考える」 |
なぜ、アメリカでサッカーが盛り上がらないか、 面白い視点の記事を見つけた。 簡単に言えば、テレビ放映がしにくいから、だという。 コマーシャルタイム取れないから、 番組スポンサーが付かない。会場でしか盛り上がらない。 だから、サッカーはなかなか拡がらない。 とても簡単な「アメリカ式理由」である。 では、日本では・・・? 同じことが言えないか、考えてみる必要がある。 大規模なサッカースタジアム、維持費が話題になるが その前に、本当に日本に根付いたのか、 客観的に検証しておく必要がある。 その一つの方法として、テレビ放映を考えたい。
「サッカーのテレビ放映を考える」はいかが?
2002年06月29日(土) |
「親の読み聞かせから、子どもの読み聞かせ」 |
昨年あたりから、読み聞かせが話題になってきた。 ブックスタートと呼ばれる、 乳幼児に絵本をプレゼントする自治体も増えてきた。 さて、親が愛情をもって読んであげる「読み聞かせ」 その次にくるのは、 子どもが親に読んであげる「読み聞かせ」であろう。 今でもあるのだろうか、「音読の宿題」。 家の人の前で3〜5回読んでくる、 家族はカードに感想を書く、という、あれ。 二重丸が欲しくて、何度も何度も声を出して読む。 このコミュニケーションが、きっと大切になってくる。 そんな気がしてならない。
「親の読み聞かせから、子どもの読み聞かせ」はいかが?
2002年06月28日(金) |
「誰も『ごあいさつ』なんて読まないという意見」 |
今、ビジネス界では、インターネット上に 数え切れないホームページが存在する。 しかし、大半が総務・広報主導で作った会社案内型。 自社ビルの紹介や、社長のご挨拶が幅を利かせている。 これでは、誰のためのホームページなのかわからないという。 一言で表現すると、今日のヒントになる。 そんなことは (笑)、社内のイントラででも流せばいい、 そう言いたげな講師は、ホームページをみれば トップの実力が見えてくる、とまで言い切った。 企業はそれに気づき、少しずつであるが、 目次となるトップページが変化していると私は思う。 しかし、自治体はほとんどが、同じ構成である。 (笑) よし、もう一度、構成を考え直してみよう、と思わせてくれた 大切なヒントであった。
「誰も『ごあいさつ』なんて読まないという意見」はいかが?
2002年06月27日(木) |
「アクセスカウンターは意味がない」 |
「伸びる企業のホームページ」と題した講演を聴いた。 辛口で知られるという彼女は、 正直に思ったことを話しているだけだった。 その中の一つが、このアクセスカウンターについて。 出来たら外して欲しい、今からでも、と言い、 だって、自己満足の世界でしょ?と真剣に訴えていた。 私もその意見には賛成である。 もちろん、自分のホームページには設置してない。 だって、カウンターばかり気がいってしまうから。 訪れてくれる人達には意味を持たないカウンター、 誰のために・・という視点が抜けている気がする。
「アクセスカウンターは意味がない」はいかが?
2002年06月26日(水) |
「ほんの少しの三感(危機感、緊張感、達成感)」 |
同僚が受講してきた研修会の復命書で見つけたフレーズ。 地域を元気にする三感王、のメモ付きだった。(笑) これって「ほんの少し」がキーワードだな、と思う。 ただ、地域だけでなく、いろいろな場面で使える三感王、 そんなことも思った。 仕事でも、人間関係でも、私たちの周りでは 「ほんの少しの三感」が必要であると思う。 一度、自分の周りを見回して欲しい。 ギクシャクしていたら、この中の一つが欠けていると 考えてみたらどうだろう。参考になるはずである。
「ほんの少しの三感(危機感、緊張感、達成感)」はいかが?
2002年06月25日(火) |
「朝刊より夕刊をじっくり楽しむ余裕」 |
最近、新聞を読んでいての感想である。 見出しや掲載してある写真の違いはあるが、 どの新聞も、似たようなレイアウトになっている。 それに比べて、夕刊は各紙オリジナリティに溢れ、 内容も面白い。 文化・暮らしに関する記事の取り上げ方は、 一度、ゆっくり読んでみるといい。 雑誌顔負けの話題提供を見ると、編集者の苦労が目に浮かぶ。 夕食の後にでも、のんびり目をとおして欲しい。 きっと、予想以上の情報に驚くはずである。
「朝刊より夕刊をじっくり楽しむ余裕」はいかが?
2002年06月24日(月) |
「広報紙とHPの違いを意識する」 |
某新聞の投稿欄に掲載されていた記事。 これは、広報広聴の仕事をしている私にとって 大きな投げかけであった。 タイトルは「疑問を持った広報のネット化」 広報紙にサークル募集掲載をお願いしたが、 HPには掲載依頼していない、という御意見。 全国から電話の問い合わせで困惑した、というが・・。 ここで、なにいってるんだ、そんなの当たり前だろう、 と片付けるのは簡単だけれど、 私たちにも、反省する点が多々ある気がした。 広報紙は全戸配布といえど、たかだか数万部。読者は地元住民。 しかし、そのままHPに掲載すると、読者は全世界。 その違いを意識することから、 新しいメディアの活用を考える必要がある。そんな気がした。
「広報紙とHPの違いを意識する」はいかが?
2002年06月23日(日) |
「トトカルチョは、サッカーくじ、と覚える」 |
サッカーW杯、試合が白熱するたびに、 どちらが勝つか、賭けようか?ということになる。 それは、ビールであったり焼き鳥3本であったりする。 昔は、賭けのことを「トトカルチョ」って言ったよね、 もう誰も使わない死語に近いけれど・・という話をしたら、 トトカルチョは、イタリア語でね。(totocàlcio)と書く、 トトは、くじ。カルチョはサッカーを意味するから、 まさしく、サッカーの試合などを対象とした賭博の一種を トトカルチョということをある人に教わった。 恥ずかしながら、自分たちが賭けていた行為が、 トトカルチョだということになる。 (笑) 私はその時、初めて知識から知恵になった気がする。
「トトカルチョは、サッカーくじ、と覚える」はいかが?
2002年06月22日(土) |
「時には『たられば』を考えてみる」 |
あそこで、こうしていれば・・・。 ここで、ああしていたら・・。 なにをやっても「たられば」は言い訳がましく聞こえる。 けれど、時には、その「たられば」を楽しんでみるといい。 出航が1ヶ月延びなければ、タイタニック号は沈まなかったかも。 当日、1時間、出発が遅れなければ・・ 月がほぼ新月でなければ・・、凪でなく風が吹いていれば・・ 見張りが双眼鏡を忘れてなければ・・ 事故は起きなかったかも知れないし、 起きたとしても、犠牲者が少なかったかも知れない。 くだらないと思う前に、試してみるといい。 事件ではなく、自分の人生でも楽しめる。 暇になった時の、時間の使い方。お試しあれ(笑)
「時には『たられば』を考えてみる」はいかが?
2002年06月21日(金) |
「伝言より、触れ合い。メッセージよりマッサージ」 |
住民からの提言を受けるメールを、以前から設置している。 しかし、スペル間違いを見つけた。(教えてもらったのであるが) massage@〜 と綴られたアドレスは周囲を惑わせた。 癒し・リラックスの意味があるんだろうか?など・・ (本当は、単なるスペルのミスなのに・・∫(TOT)∫) 伝言;便りの意味がある「message」 マッサージ(をする)意味がある「massage」。 しかし「(ごまかして)改変する」意もあるし、 (情報・データ数値などを) 都合よい結果になるよう操作する(こと)」意があることも知り、 慌てて訂正した。 (笑) 気持ちだけは 「口で伝える行政より、一緒に汗を流し触れ合う行政」を心がけたい。 それにしてもよかった、気がついて・・・。
「伝言より、触れ合い。メッセージよりマッサージ」はいかが?
2002年06月20日(木) |
「もう少し歴史の重みを意識する」 |
ある新聞のコラムに、どこかの外国特派員のコメントを 紹介していた。 「日本の新聞には『歴史的』という言葉が溢れている」と。 確かに、サッカーW杯の記事は、この言葉が溢れていた。 しかし、それは歴史を変えるような大きなことだったのだろうか? 教科書に「2002年、サッカー杯、日本初勝利」と 年表に載るのだろうか? そう考えると、単語の意味を考えないと・・と反省させられる。 歴史とは、そんな簡単に変わるものではない。 私たちの意識が変わったとき、それは歴史的なことなのか。 今一度、言葉の使い方を調べてみようと思う。
「もう少し歴史の重みを意識する」はいかが?
2002年06月19日(水) |
「少なくとも、水を差さない工夫」 |
サッカー興奮から一夜明けた新聞。 いまだに「TV観戦の対応」記事が、掲載されていた。 山形県庁には、多くのメッセージが届いたという。 その中のひとつ。 「国中の盛り上がりに水を差すな」が印象的であった。 うまくいっている間柄や物事をじゃまする意の「水を差す」。 韓国では、こんな記事は見かけないだろうな、と思う。 国を挙げて・・・はこんなことが話題にならないはずだから。 行政が目立つ必要はない、 「まちづくりは人づくり」を掲げるのであれば、 国民の盛り上がりを、じゃまをしない心構えが大切であろう。
「少なくとも、水を差さない工夫」はいかが?
2002年06月18日(火) |
「自分の視点で新聞を作ってみる」 |
今、子どもの教育に「新聞づくり」を取り入れて、 自分の意見をまとめる等の知識をつけさせようとする 動きが活発である。 しかし、私としては、大人も挑戦して欲しい、と思う。 毎日の日記が無理なら、せめて壁新聞でも・・というわけだ。 何でもいい、自分にとっての重大事件をトップ記事にし、 見出しをつけ、概要をまとめたリードを考え、 自分が読者だったら・・を常に意識して割付をし、 人間の息継ぎにあった改行と・・・。 新聞づくりは、そう簡単なものではない。 しかし、こんな面白い作業もないことを知って欲しい。(笑) 騒ぐことが自己主張、それもいいが、 壁新聞で、自分の意見を主張するのもいい。 サッカーW杯を題材にしたらどうだろう。 にわかサッカーファンでも、簡単に出来ると思う。
「自分の視点で新聞を作ってみる」はいかが?
2002年06月17日(月) |
「漢字の力強さを知る」 |
毎日、飽きるように見ているサッカーW杯の記事・写真。 そろそろマンネリ化してきた内容に、 じっくり新聞を読まなくなった。 ところが、今日の新聞に、 久しぶりに「漢字二文字」の表現力(力強さ)を知った。 6/4 ベルギー戦 鈴木のゴール「待望」 6/4 ベルギー戦 稲本のゴール「会心」 6/9 ロシア戦 稲本のゴール「千金」 6/14 チュニジア戦 森島のゴール「一瞬」 6/14 チュニジア戦 中田のゴール「確信」 そして、決勝トーナメントを決めた瞬間のベンチ「歓喜」 説明のような見出しではなく、その時の私たちの気持ちを とてもうまく表現しているな、と感じた。 写真とタイトルが織り成す芸術を見た気がした。
「漢字の力強さを知る」はいかが?
2002年06月16日(日) |
「カズやジーコに感謝する」 |
日本の決勝トーナメント進出で沸く、サッカーW杯。 私の心に引っ掛かる人物が二人。 それが「カズとジーコ」。 原野に近いところから、宅地にまでした功労者として 特別席を用意してあげたい、と思う。 カズは、プレーヤーとしての意地があるだろうが、 そんなことは抜きにして、ここまで来た日本サッカー界を 自分の生きた証として味わって欲しい。 また「難しいことは、築き上げたものを維持することだ」と コメントしたジーコには、プロとしての自覚を教えられ、 日本選手が育っていった。 そんな若い選手を見つめながら、いつもの笑顔を見せて欲しい。 日本もここまで来た・・そう思うのであれば、 我々は彼らに対して、拍手をおくるぺきではないだろうか。
「カズやジーコに感謝する」はいかが?
2002年06月15日(土) |
「なんて読むの?この地名」 |
平成の大合併と騒がれ、全国で新しい都市が どんどん誕生している。(ちょっと言い過ぎかな(^^;;) ただ、ひらがなの地名が気にかかる。 読みやすいけれど、なんとなく・・ 合併の話題、最後のハードルが「新都市の地名」。 自分の住んでいた地名がなくなるという思いが、 反対運動へと続いていく光景を何度も見てきた。 にもかかわらず、ついた名称は「○○○市」と平仮名。 風土とか歴史、文化など、漢字に意味をもたせた地名が なくなる羽目になる。 読みやすい、書きやすい、あたりがやわらかい、 なんて理由で選ばれたとしたら、その市民の文化度を疑いたくなる。 わからない、読みにくい方が、覚えられるかも知れないのに。(^^;;
「なんて読むの?この地名」はいかが?
2002年06月14日(金) |
「『女装』を理由に採用」 |
新聞で見つけたのは「女装を理由に解雇」という見出し。 性同一性障害の男性が、女装して出勤して解雇されたらしい。 日本らしいな、と思ってメモをした。 ヨーロッパでは「性同一性障害」を理由に解雇は違法、 という判例がしっかりある。 男女差別撤廃や、男女共同参画社会実現を目指している 人達は、この事件をどう解釈しているのだろうか、関心がある。 女性の男装だろうが、男性の女装だろうが、 仕事をキチッとこなしてくれることが基本。 かえって「女装」できるくらいの人間の方が、 知識が豊富で、楽しいアイデアが浮かぶかも知れないな。 そこで私が社長なら・・
「『女装』を理由に採用」はいかが?
2002年06月13日(木) |
「にわかサッカーファンは、テレビで日本戦に限る」 |
明日の「ベルギーVSロシア戦」のチケットを やっとの思いで手にして、観戦にいくという人たち。 羨ましいなぁ・・と思いながらも、 私は決勝リーグ進出を掛けた「日本VSチュニジア戦」を テレビで見ることが出来る、かも知れない (笑)。 彼らは、なぜか見ることが出来ない。 私たちより、一歩も二歩も上を行くサッカー狂なのに・・。 そう、同時に始まり、ほぼ同時に終わるからだ。 最終(3戦目)の楽しみは、こんなところにもあるのか、と 苦笑いしながら、 きっと、ラジオや携帯テレビ持参で応援する人たちが スタンドには増えるんだろうな、と思うと可笑しかった。 本物のサッカー好きは、やっぱり現地の試合かな。 (笑)
「にわかサッカーファンは、テレビで日本戦に限る」はいかが?
2002年06月12日(水) |
「日食観測隊300人の歓声」 |
日本ではあいにくの雨空で、部分日食が見られなかったが 皆既日食を見ようと、北マリアナ諸島・テニアン島まで 出かけていったアマチュア観測隊。 好天に恵まれ、40秒の「リング」(金環食)を楽しんだらしい。 日本中が、サッカーW杯で盛り上がっている時の記事として 大きく取り上げてなかったが、羨ましかった。 当日の天気を恨んだが、自分が見えるところへ移動するという 発想が、なかなか浮かばないものである。 どうしても、サッカーW杯を見たかったら韓国まで行く、 そんな行動力が必要なのかな、と考えさせられた。 やはり、いい思いは待っているだけでは駄目だな、と反省。
「日食観測隊300人の歓声」はいかが?
2002年06月11日(火) |
「昇りより下りのエスカレーター設置を」 |
バリアフリー、ユニバーサルデザインが叫ばれ、 駅をはじめ、多くの公共施設で、エスカレーターが設置された。 しかし、そのほとんどが昇り。 山登りを経験している人は、昇りと下り、 どちらが膝に負担があるかは、ご承知のことだろう。 先日、下りの長い階段を、 おっかなびっくり降りている高齢者を見かけ、ふと思った。 やはり、利用者に視点がいっていないなと。 昇りのエスカレーターを、さらに歩いている人たちを見るたびに 左によけながら、そんな元気があるのなら階段を昇れよ、と 心の中で叫んでいる私がいた。 誰の為に、何の為にを、もう一度考える必要がありそう気がする。
「昇りより下りのエスカレーター設置を」はいかが?
2002年06月10日(月) |
「敵を欺くには、まず味方から」 |
サッカーW杯は、日本の勝利で揺れた。 翌日の新聞各紙は全て一面、トップ記事扱いである。 私も、試合当日は朝からテレビを中心に見ていたが、 気になったことがひとつある。 先発メンバーの予想を、いろいろな角度からしていたが 誰一人、森岡を外す人がいなかった。 怪我はたいしたことがなく、 今日も守備の要となって活躍してくれるでしょう、のコメント。 蓋を開けたら、先発はおろかベンチにも入っていない。 これをどういうことだろう (笑) 日本の解説者も知らないとしたら、対戦国ロシアは・・・。 我々国民もこぞって騙されていたのかな? そう考えたら、この言葉が浮かんできた。日本の勝利に「乾杯」
「敵を欺くには、まず味方から」はいかが?
2002年06月09日(日) |
「子供というより、DNA(分身)です」 |
西城ヒデキが、生まれたばかりの自分の子供について、 こうコメントした。 自分の子供より、自分の分身といった感覚だという。 男児ならわかるけれど、女児なのに(笑)。 ただ、男性からみるとお腹を痛めたわけでもないので、 どうしても女性より、その思い入れは弱い。 (そんなことない、という男性もいると思いますが・・) だからついつい子供の用事より、自分の用事を優先してしまう。 自分を大切にしなさい、自分を好きになりなさい、と 言い続けてきた私。 子供を分身と考えられたら、そんなことはないんだろうなぁ、と 思いながらメモをしてみた。
「子供というより、DNA(分身)です」はいかが?
2002年06月08日(土) |
「うまくなるには、基本に忠実、一対一に強くなる」 |
出場してくるチームだから、どこの国もうまいけれど、 特に強いチームの特徴は、これかな、と思う。 派手なプレーも、みんなを驚かせるプレーも、 基本の積み重ねであることは、誰もが気付いているはず。 また、サッカーでもバスケットでもラグビーでも、 チームプレーは確かに大切なスポーツであるが、 ボールをもったら、敵は目の前の相手一人という、 一番大切なことを覚えておきたい。 これは、仕事でも同じことが言える。 課として、係として仕事をしているけれど、 交渉こどは常に、一対一。 他人のせいにしない、他人に頼らない、の姿勢で交渉し、 自分の仕事を掴んでいく心構えが欲しい。 そんなヒントをいただいた、 イングランドVSアルゼンチン戦であった。
「うまくなるには、基本に忠実、一対一に強くなる」はいかが?
2002年06月07日(金) |
「ユニフォームを引っ張る姿は見たくない」 |
私の視点がおかしいのだろうか。 サッカーW杯、リプレイで見るシーンは、ほとんど 相手のユニフォームを、引っ張ったり押したりしているシーン。 プレイ中はわからないけれど、画面いっぱいに映し出される そんなシーンのりプレイは、あまり子供に見せたくない。 スポーツだから・・・を理由に説明すればいいのだろうか? 審判に見つからなければいい、と説明するのだろうか? これだけのマスコミが、こぞって報道している杯だからこそ、 教育面の配慮が欲しいと思うのは、私だけだろうか。 サッカーが世界中にタバコを普及したと反省し、 今回は「禁煙大会」という言葉も見つけたのは、つい最近である。 以前にも取り上げたが、Jリーグが発足した頃から 子供たちの髪や服装が乱れた、と感じているから、 ルールを無視した反則シーンを、何度となく見る子供たちが 心配になってきた。
「ユニフォームを引っ張る姿は見たくない」はいかが?
2002年06月06日(木) |
「与えられている情報を『脱常識』の視点で」 |
災害情報が、今回の講義のテーマだった。 あっという間に、一時間半が過ぎたのは、 私たちがなにも疑問に持たなかったことを、 「実は・・」と次々と紹介してくれたからだと思う。 飛行機にはバックミラーがついてないから、 尾翼がなくなってもわからない。(パイロットへの情報不足) 踏み切りの遮断機の高さは、馬が飛び越さない高さである。 (だから、子供がくぐってしまう高さなんだぁ・・) 常識と思っていることを、一度「脱常識」の視点で 見てみるといい。 意外と面白いことに気がつくかもしれない。 「地震の時のマイカー規制」「マイカーは最高の避難場所」 どちらの情報が知らされていて、どちらの情報が正しいと思う?
「与えられている情報を『脱常識』の視点で」はいかが?
2002年06月05日(水) |
「他人に向かって、ツバをかけることは許さない」 |
サッカーW杯、チケット販売をめぐるトラブルは 試合と同じくらいの関心ごとのように、毎日話題になる。 しかし、テレビから流れてきた映像に、私は久しぶりに怒りを覚えた。 確かに、対応した人が事務的で頭にきたのかもしれない、 しかし、暴言を吐き、ツバを掛け、 しまいには首をつかんで押し倒しガラスを割る、その行為は許されない。 いや、許したくない、許してはいけない。 そんなに人間を狂わせるのなら、サッカーW杯なんてやめて欲しい、 本気でそこまで思ったシーンであった。 感情に任せて、殴りかかるほうがまだいい。 ツバを吐きかけるという行為が、どれだけ人間の尊厳を傷つけるのか、 彼はわかっていない。 こんなシーンを見せられた私は、一夜明けてもけっこう凹んでいる。
「他人に向かって、ツバをかけることは許さない」はいかが?
2002年06月04日(火) |
「そんなに日本が好きなら、ゴミを捨てないで」 |
サッカーW杯、ベルギー戦の前から、国内各地で 「ニッポン・ニッポン・・・」の声援が聞こえてきた。 それは、何かに取り憑かれたような声援であったと思う。 1時間半の間「ニッポン」を叫び続けた多くの若者は、 W杯が終わった後も、自分たちは「日本人」なんだという 自覚を持って、生きて欲しい。 え〜「日本」と「ニッポン」は違うよ、 なんて言葉が返ってきそうだが、終わった後、 本当に我々「ニッポン」が、試される気がしてならない。 W杯の期間中も、政治も経済も動いている。 彼らのパワー、エネルギーを何かに使いたい、 そんなことを思いながら、2−2の引き分けを ため息をつきながら見ていた私である。
「そんなに日本が好きなら、ゴミを捨てないで」はいかが?
2002年06月03日(月) |
「サッカーW杯、写真の勉強に利用する」 |
「サッカーW杯」溢れんばかりの写真が、紙面を賑わせている。 広報担当としては、写真の勉強にはもってこいである。 特に、カメルーンVSアイルランドの翌日の新聞、 ゴールに突き刺さるボール、悔しがるキーパー、 ガッツポーズの選手、そして、大観衆のスタジアム。 その一枚で全てが語られていた写真は、私を驚かせた。 AP配信の画像であるが、動きのあるビデオよりも、 サッカーW杯の興奮を伝えている気がした。 これから期間中、毎日のように写真を見ることができる。 どうせなら、楽しむだけでなく勉強しちゃおう・・ そんなつもりで見ると、もっともっと面白いことに気がついた。
「サッカーW杯、写真の勉強に利用する」はいかが?
2002年06月02日(日) |
「サンタクロースは、みんなからプレゼントをもらっている」 |
テレビドラマ「ゴールデンボウル」でこんな台詞があった。 「サンタクロースは誰からもプレゼントをもらえない」 この視点は面白い・・とその場ではメモしたが、 いざ書こうと思ったら、う〜ん・・・待てよ・・となった。 確かに、目に見えるプレゼントは、もらっていない。 しかし、全世界の子ども達から「笑顔」というプレゼントを いただいている。 その、満面の笑顔が見たいから、 彼は、プレゼントを与えて続けているのかもしれない。 クリスマスのその日、一番幸せなのは プレゼントを配って歩いている、サンタクロースだと気がついた。
「サンタクロースは、 みんなからプレゼントをもらっている」はいかが?
2002年06月01日(土) |
「みんなのための一人、一人のためのみんな、の実践」 |
娘の在学する高校の文化祭。午後から足を運んでみた。 入り口で渡された「プログラム」。 校長のこのメッセージは、あくまで「実践」を望んでいた。 言葉としては、とてもわかりやすいフレーズであるが、 いざ実践となると、とても難しいこと。 だからこそ、この言葉の実践を望んだのだと思う。 ある同じ目的で集まったグループのメンバー、 「知識の共通認識」より、まずは「同じ目的意識」を持つことが 最初にやることではないだろうか? 「団結力」という古くさい言葉を、うまく言い換えた表現である。
「みんなのための一人、一人のためのみんな、の実践」はいかが?
|