しもさんの「コラムニストを目指して」

2001年11月30日(金) 「あったかぁ〜い「こら」の心を持ってる生き方」

「気になる一言」では紹介したけれど・・。
どうしても「生きるヒント」として紹介したくて。

学校の帰り道 道端の石を蹴飛ばしながら ジグザグに歩いていたら
見知らぬおじさんから 「コラッ 危ないぞ」の声が飛んで来た
夏の暑い日 川で泳いでの帰り道 空腹から畑のトマトをそっともぎ取ると
通りすがりのおじさんが 「コラッ 人のものをとったらいかん」
秋の夕暮れに 垣根越しの色づいた柿に 手を伸ばすと また聞こえてきた
「コラッ よそんちのものは盗るな」
だが今の大人からは「コラッ」がなくなった あの子もこの子も皆の子 
暖かみのある「コラッ」の心を忘れたくないと思う

親父たちに告ぐ「あったかぁ〜い「こら」の心を持ってる生き方」はいかが?



2001年11月29日(木) 「期待して待ってます、と言える生き方」

相手が忙しい時とわかっていて「飲みにでも行こうか?」誘われたら
「期待しないで待ってます」って言うよね。
しかし、私の知人は「期待して待ってます」と言い返してくる。
別に相手にプレッシャーを与えようという気などなくて、
単に「プラス思考でしょ?」と笑いながら・・・。
しかし、こういう発想は好きだな。
私が「期待されたら期待に応えようとする性格」と知ってか知らずか、
「期待しないで待ってます」と言い返すと、
きっと誘ってくれないでしょ、が本音かも知れない。(笑)
本当は期待しているのに、期待しないで・・と言うより
期待してます、と言い切った方が爽やかに聞こえた私である。

遠慮せずに「期待して待ってます、と言える生き方」はいかが?



2001年11月28日(水) 「乳児に絵本をプレゼントする生き方」

全国で「読み聞かせ」が話題になっている。
家庭教育の視点でも、親子をつなぐ大切な育児として注目も浴びている。
そして、さらに推し進めると、乳幼児の健康診断の時などに
「絵本のプレゼントをする」いわゆる「ブックスタート」が
来年度以降、話題になると予想される。
地元出身の絵本作家がいて、作品は教科書にも掲載されるほどの実力派。
いつの世も「教育の源は、家庭教育だ」と思っているからこそ、
子どものために「読んであげたい本」を心から選ぶ作業も苦にならないはずだ。
まだまだ、全国に向けて情報発信できるような事業として確立していないが、
そのうち、きっと役に立つはずだ。

「育自」のためにも「乳児に絵本をプレゼントする生き方」はいかが?



2001年11月27日(火) 「どの花みても、きれいだなと思える生き方」

通勤中、幼児が大きな声で唄っているのが聞こえた。
季節はずれの「チューリップ」。
「咲いた、咲いた、チューリップの花が、
並んだ、並んだ、赤・白・黄色。どの花みても、きれいだな」・・。
何気なく歌詞を聞いていて、はっとした。
小さい頃は、個性を大事にしていたんだな、どれが一番なんてなかったと。
詩人、金子みすゞさんの「みんな違ってみんないい」と同じ考えである。
それがいつからか、個性を重視するといいながら、順位をつけはじめ、
どれもいい、みんないい、という視点がなくなった。
こんな時代だからこそ、気持ちだけでも「チューリップ」で生きたいと思う。

素敵でしょ?「どの花みても、きれいだなと思える生き方」はいかが?



2001年11月26日(月) 「星の光の旅を感じる生き方」

しし座流星群のおかげで、天体に関心を示す人が増えた。
私も、久しぶりにお気に入りの「宙の本」を読み返してみた。
そこで発見したのは「北極星・ポラリスが400光年」だったこと。
今年は、東海道400年を記念して、各地でウォーキングを中心に
イベントが開催されているが、
今、私たちが見ている北極星の光は、
ちょうど400年前に発した光という発想はもどこにもない。
関ヶ原の合戦の頃に発した光が、昨年、地球に届いているかも知れない。
はじめて「光の旅」を意識した瞬間である。
せっかくの機会だから、

もう少し調べて「星の光の旅を感じる生き方」はいかが?



2001年11月25日(日) 「自分の名前、他人の名前を大切にする生き方」

娘の描いた絵が展示されているので、県立美術館へ足を運んだ。
しかし、絵のタイトルは省略されているし、名前は誤字、
何カ所も間違っていて呆れてしまった。
残念ながら、入賞作品を展示すればいい、そんな様子が浮かんできた。
間違えられた生徒の気持ちを考えたら、何度も見直すはずなのだが・・。
続いて、賞状授与式に参加したが、
今度は自分の名前を呼ばれても、「はい」という返事すらできない高校生が
大半で、またまたガッカリしてしまった。
一生のうち、一番耳にするはずの名前、もっと誇らしくして欲しいと。
病院でも、銀行でも、役場でも、
名前を呼ばれたら返事をするのは恥ずかしいことではないと思っている。
しかし、モスバーガーで、順番待ちの番号を呼ばれると、
「は〜い」と大きな返事をしている家族を見ると、
私の考えは古いのかな、と考えさせられてしまった。

でもやっぱり「自分の名前、他人の名前を大切にする生き方」はいかが?



2001年11月24日(土) 「月あかりの影を楽しむ生き方」

宇宙少年団、定例の観望会。雲もなく、風もなく、久しぶりの快晴。
5日前の、歴史的天体ショーの話題で時間があっという間に過ぎた。
光害がない山中を選んだのに、なぜか懐中電灯がいらないくらい明るい。
そう、月のあかりが私たちを照らしていることに気がついた。
それも、影ができるくらいの明るさである。
望遠鏡や双眼鏡で観る月は、目が痛くなるほどの明るさだった。
偶然にも月の前を飛行機が横断し、一瞬の部分月食を楽しんだり。
仕事から観望地に直接向かったので、何も準備してなかったが、
明るい月のおかげで、懐中電灯も必要なく楽しめた。
なんと子ども達は、月あかりの下で、
「かくれんぼ」や「だるまさんが転んだ」などをしている。(笑)
なんだか妙に楽しそうであるのを見て思ったね。

寒いけれど、たまには「月あかりの影を楽しむ生き方」はいかが?



2001年11月23日(金) 「一呼吸してから走り始める生き方」

駅伝というのは、難しいものだとテレビで観戦しながら思った。
自分より前のランナーが頑張って差を詰めてくる。
その勢いで走り始めるとペースを乱し、最終的には体調を崩すことになる。
そんなシーンを何度か見かけた。
解説の谷川真理さんは、経験の浅い彼らの走りに、こう説明していた。
「タスキを渡されてから、一呼吸してから走り始める余裕が欲しいですね」と。
これは駅伝の大切なポイントだと言う。
なるほど。仕事の中でも同じようなことをしているな、と反省した。
人事異動や業務の引継ぎのとき、ついつい前任者がひいてくれたペースで
仕事をはじめてしまう。
しかし、熟知した前任者と初心者の自分が同じペースでは出来ないことを忘れ、
走り始めてしまうケースがよくある。
今度は肝に銘じておこう。

自分のペースを確認するため「一呼吸してから走り始める生き方」はいかが?



2001年11月22日(木) 「話術を学びたくて落語を好きになる生き方」

今回の講演の講師は、自分の体験を語るだけではなかった。
人を惹きつける話し方が気になったから。
「私には落語家の友達もたくさんいます。はじめは話術に興味があって」
と彼は続けた。
その話術に関心を持ち、寄席などに足を運んでいるうちに、
自然と落語家の友達が増えてきて・・が本当のところだろう。
人前で話す機会が多いから、とさりげなくいうが、簡単に出来るものではない。
そういう私も、最近人前で話す機会が増えてきた。
落語でも聞きながら「コラムネタ探しと話術を勉強」しようかな、と思った。

あなたも「話術を学びたくて落語を好きになる生き方」はいかが?



2001年11月21日(水) 「11月を神帰月と思える生き方」

11月は「霜月」。誰でも知っている?
当然、霜が降りる季節であることからつけられた名である。
しかし、現実はまだ霜が降りる季節ではない。
雪見月、雪待月もピンとこない。
お勧めは、神無月の10月に出雲に出かけていた神様が、
帰ってくることから、神帰月という呼び名。
10月は神がいなかったから、不景気だった、調子が悪かった。
しかし11月は、神が帰ってきた。
これから、景気が上向くはず、いいことがあるはず。
そう思えるプラス思考で生活したいと思う。
どんなことでも二面性がある。

ちょっとひねって「11月を神帰月と思える生き方」はいかが?



2001年11月20日(火) 「自分の持っているものだけで何とかする生き方」

何かがわからなかったとする。
ついつい、インターネットをはじめ、図書館、詳しそうな人に聞くなど、
調べる方法を駆使して切り抜けることが出来る。
しかし、時には誰の力も借りず、自分の持っているものだけで調べてみては
どうだろう。そんな楽しさを朝のラジオで紹介していた。
今までに読んできた本、数々の辞書、パンフレット、チラシ、新聞、日記等。
たしかに時間がかかるし、そんなことしなくても、
という声が聞こえてきそうだが、そこにたどり着く過程を楽しめるし、
なんだか知らない自信に繋がっていく気がする。
あわただしい世の中だからこそ

「自分の持っているものだけで何とかする生き方」はいかが?



2001年11月19日(月) 「てるてる坊主のつくり方を掲載できる生き方」

しし座流星群の日、インターネットでは情報が飛び交っていた。
そして、天文ファンの期待を裏切ることなく、流星雨となった。
天気予報、ライブカメラ等、大賑わいだった。
ところが、私のお気に入り「Niftyのスペースフォーラム」では
てるてる坊主の作り方を、画像入りで説明していた。
なぜか、とても嬉しくなった。
うまく作らないと逆さになってしまいます、みたいな説明には
思わず苦笑いしてしまった。
いいなぁ、と呟きながらも、みんなに勧めたい。

「てるてる坊主のつくり方を掲載できる生き方」はいかが?



2001年11月18日(日) 「見て、触って、舐めてみるくらい観察する生き方」

娘の高校美術展の表彰式に出かけた。
審査した先生は、全体を通じてこう評価した。
「最近、写真を見ながら丁寧に描く人が増えてきたが、私は勧めない。
ひとつのものを描こうとしたら、見て、触って、舐めてみるくらい
観察して欲しい」と。
ハッとさせられたコメントであった。
自分の五感をフルに使って、そこで感じたことを描いて欲しいということだろう。
バーチャルで体験できるので、ついつい本物に触れる機会が減った。
バナナの匂いを嗅いでみて欲しい。予想以上の匂いがするはずである。

ゆっくり「見て、触って、舐めてみるくらい観察する生き方」はいかが?



2001年11月17日(土) 「お荷物にお荷物と気付かせる生き方」

凄い傲慢な言い方だと、怒られるかもしれない。
でも「お荷物は お荷物だとは 気付かない」という川柳が
ラジオで受けたくらいだから、勘弁願います。
「人づくりはまちづくり」「人は財産」そんな言葉を聞くが、
不良債権の人はないのか?という話には繋がらない。
なぜか?誰もが自分だけは不良債権だと気付かない、
いや、思いたくないからだ。
でも不景気の時代、不良債権は「金」から「人」へと動くはずである。
そのためには、心を鬼にして誰かがしなければならないこと。
(本当は自分がそうかもしれないが・・・)

あえて「お荷物にお荷物と気付かせる生き方」はいかが?




2001年11月16日(金) 「突然、と大騒ぎしない生き方」

不景気で、倒産・リストラが相次いでいる。
某デパートは、翌日の売り出しの準備をしていて聞いたという社員もいた。
みんな口を揃えたように「突然のことで・・」。
しかし、冷静に考えてみよう。本当に突然だったのだろうか・・。
ここ数年のお客の入りを感じ、そしてまた同じような業界の動きを見ていれば
「突然」という言葉は出てこないと思うのだが・・。
そういう私たち公務員も、平成の大合併と称されるように
水面下では、いろいろな動きがあるはずである。
「変化は突然やってこない」と教えてくれた人がいる。
その時を迎えた時「突然の話で・・」とコメントしないようにしたいと思う。

どんな状況になっても「突然、と大騒ぎしない生き方」はいかが?



2001年11月15日(木) 「平常時を大切にする生き方」

電子自治体に関する職員の講演会だったのに、
彼は私に、いろいろなヒントを残してくれた。
災害時に対する訓練とか組織、情報収集、情報発信などを決めているが、
その訓練は、平常時からやるべきだと言う。
普段から身に付けておかないと、いざという時に役に立たない、
という考え方である。
情報公開も、請求があった時にやろうと思っても、簡単に出来るものではない。
いつでも、公文書は情報公開できる、という平常の仕事こそが
緊急時、役に立つということであろう。
ついつい、普段の生活を軽く見る傾向にあるが、
あらためて、何気なく繰り返している生活のリズム。

災害時より「平常時を大切にする生き方」はいかが?



2001年11月14日(水) 「一度試してみて、限界を知る生き方」

自分の限界って考えたことがあるだろうか?
どうやって計るか、どうやって決めるのか、が問題である。
自分の出来る範囲で挑戦してOK、少しずつ出来る範囲を広げている。
できなくなった時点で、私の限界。
もう一つは、全然出来そうもないことに挑戦。少しずつゆるめて・・。
僅かでも出来たところの一歩手前が、私の限界。
もしかしたら、結果は同じかも知れない。
しかし、その結果にたどり着いた過程が違うと言える。
どっちが正しいというものではないが、

私は後者をお薦めする。
「一度試してみて、限界を知る生き方」はいかが?



2001年11月13日(火) 「室内楽は室内で聴く生き方」

空前、至高のメンバーによる室内楽の精華!
ベルリン・フィルの演奏を聴くことが出来た。
しかし、チャリティコンサートのためか、
会場は1000人以上の大ホール。
後ろの方に座った私の感性が弱いのか、と開き直っていたが
それだけではなさそうだ。
先日、小ホールでの室内楽は、私の記憶に残っているから。
大きいことはいいことだ、何人の人が集まるか、という発想で
このコンサートを企画したのであれば、それは間違いである。
大ホールではオーケストラ。小ホールでは室内楽などのアンサンプル。
それぞれの企画にあった会場の選び方は、大切な要素だと思う。
ホールも楽器の一部、と教えてくれた人もいた。
生き方も、自分の器にあった場所で活躍することを勧めたい。

あまり無理をせず「室内楽は室内で聴く生き方」はいかが?



2001年11月12日(月) 「何でも疑問をもち口に出す生き方」

きっと誰でも思っているんだけれど・・・。
国体って、どうしていつも開催地が天皇杯・皇后杯をとるんだ?
(どうして翌年、何十位にも順位が下がるんだ?)
第二東名って、どうして二階建てにしないんだろう?
(用地買収もしないですむのに・・・)
考えるとキリがない。
だけど、面白いものでちゃんと答えを出してくれる人がいる。
だから、どんどん疑問に思ったことは口に出してみよう。
インターネットで調べるより、きっと為になるはずである。
答えは他人が持っている。そう思って欲しい。

一人で考え込まずに「何でも疑問をもち口に出す生き方」はいかが?





2001年11月11日(日) 「自分で虹を作ってみる生き方」

芸術祭の後片付け。私が最後に水をまいていた。
快晴のため、自然と虹が出来るから一人で楽しんでいた。
偶然、女性が通りかかり「私、人工の虹を見るの初めて・・」と呟いた。
えっ?耳を疑った。
「晴天に水まきすれば、いつでも見れますよ」と私。
しばらく、話をしたが、虹は雨上がりに出るもんだとばかり思っていたらしい。
自然を愛し、人工的な虹は見たことがないロマンチックは認めるけれど、
誰かが(自然が)つくってくれるのを待っているのではなく、
自分から積極的に「虹の見える場所」にいく行動力を持ち、
積極的に見る姿勢を持って欲しい。
そういう私は、人工的な虹にしばらく見とれて、
自称・星のおじさまらしく、メルヘンの世界に浸っていた。

雨上がりの虹ではないけれど「自分で虹を作ってみる生き方」はいかが?



2001年11月10日(土) 「身体のすべてを使う生き方」

人間、生きていても使わない機能が沢山ある、ということを知った。
特に、薬指。手の指の中で一番使わない指だという。
そこに目をつけたのが、宝飾産業。
指輪は、左手の薬指、と決めたのは、
なにも心臓に近いから・・が理由ではなさそうである。(笑)
リングが丸いという根拠はあるらしいけれど、
薬指につけることは根拠がないらしい。
しかし、陽があたらなかった薬指は、いまや大活躍となっている。
さあ、身体を点検してみよう。
せっかく持って生まれた身体の一部、きっと何か意味があるはずである。
与えられた機能を使いこなす楽しみが増えた。

ふだんあまり使わない「身体のすべてを使う生き方」はいかが?



2001年11月09日(金) 「死ぬまで何かを続ける生き方」

わが町でも芸術祭、真っ盛り。驚くほどの作品の数々。
中でも、高齢者の作品は、何ともいえない趣がある。
そんな作品を見ていたら、ある人がこう言った。
「その人が生きてる間に、何をしたかではなく、
死ぬまで何を続けたかが大切だよね」と。う〜ん、納得。
プロじゃないんだから、上手い、下手ではなく、
一生涯を通じて続けている何かを持っている人が輝いている。
そんなことなんだと思う。
作者の職業欄、無職と主婦ばかりが目立つ芸術祭だけれど、
働くばかりのお父さん、今からでも遅くない。
死ぬまで続けられる何か探しの旅に出掛けてみよう。
まずは、その材料探しから・・
それだけでも、楽しい人生が持っている気がするから。

ねぇ「死ぬまで何かを続ける生き方」はいかが?



2001年11月08日(木) 「自分の夢を自分でつぶさない生き方」

以前書いたコラムを読み返していたら
「夢は本人が潰さない限り、つぶれない」というメモを見つけた。
もう7年以上も前の作品である。
夢は誰かが潰したんじゃない。
潰れたとしたら、それは自分自身が理由だといいたかったのだろう。
これからも、他人を失敗の理由にすることはやめよう、と思う。
成功したときは、みんなのおかげ。失敗したときは、自分が悪い。
最近、少しずつだけど、そう思えるようになってきた。(嬉しい)
もう一度、自分の夢について考える時間を持ってみよう。
いくつになっても、夢はもつことができる。

今度こそ「自分の夢を自分でつぶさない生き方」はいかが?



2001年11月07日(水) 「10年先を考えながら過ごす生き方」

ラジオで、いまだにオゾン層が破壊され続けている、
という話を、お天気キャスター森田氏が熱っぽく語っていた。
10年ほど前に、フロンガスの使用を禁止しているのに・・・。
と、いうことは10年以上も前に、私たちが便利ということで
使用していたフロンの影響が、今出ているということである。
皮膚癌が増え、一番影響を受ける爬虫類が減った、とも言っていた。
今、私たちが何も疑問をもたずやっていることが、
もしかしたら10年先の私たちの子供たちの負担になるとしたら、
それは大変なことだと思う。
環境問題が話題になっているときは、マスコミも取り上げる。
しかし、今はオゾンホールの拡大はなかなか話題にのぼらない。
以前より、環境問題は深刻になっているのに・・とまとめていた。
今回ばかりは、はっとさせられた。
目先の事件ばかりに気をとられず、自分たちが今できること。

「10年先を考えながら過ごす生き方」はいかが?





2001年11月06日(火) 「青春と書いた箱を大切にできる生き方」

押入れを整理していたら、奥から「青春」と書かれた箱が出てきた、と
ラジオで誰かが言っていた。
中から、昔の日記や雑誌の切り抜きなど、懐かしいものが溢れていたらしい。
注目は、自分の青春時代を、しっかり「青春」と区分できた感性。
つい「中学〜高校時代」「大学時代」と分けたがるのに・・・と羨ましかった。
いや、今でも青春だから・・と言い訳するのはたやすいが、
そうとう楽しかったのだろう、本当に充実していたのだろう、と思うと
今回だけは素直に「羨ましい」と思った。
自分の青春時代の思い出を「青春」という区分の箱をつくり、
思い出と一緒に閉じ込める。
何年後かに開けたときの感情は、私たちの想像をはるかに越えているのだろう。
いいなぁ・・と思いながら是非、若い人に勧めたい。

「青春と書いた箱を大切にできる生き方」はいかが?



2001年11月05日(月) 「伝統を大切にする生き方」

最近、巷では「創立100周年の記念事業」が花盛りの高校であるが、
その学校の持つ「伝統」を大切にしてきたといえる。
100年間という歴史が、学校の校風を作り上げ、
卒業生は、その「伝統」をかすかに記憶にとどめ
何気ない「日常生活」を続けている。
その学校を卒業したというだけで「ステイタス」となっているようだ。
しかし、今年のセンバツ大会準優勝校で、
夏の甲子園大会にも出場した仙台育英(宮城)が暴力事件で
春まで試合が出来ないという話をラジオで聴いた。
甲子園の常連校として実力をつけている野球部員が、
どうしてそういう事件を起こしてしまうのか?
野球部としての「伝統」は、どこにも見あたらない。
長い年月をかけて、先輩達が作り上げてきた「伝統」は
一時の感情で簡単に崩された。
そして多くの先輩達が「情けない思い」をしたはずである。
事件を起こした彼らは、現役部員だけでなく
みんなに迷惑をかけたことに気付いて欲しい。

私には関係ないと言わず「伝統を大切にする生き方」はいかが?



2001年11月04日(日) 「休日はひとつのイベントを楽しむ生き方」

昨日の雨がウソのように、晴天に恵まれた日曜日。
我が町でも「芸術祭」が開催された。
観客は例年以上に最後まで残っていたと感じていたが、
開会と閉会では、メンバーが大部分入れ替わっていた。
各地で、ウォーキングやスポーツ大会などのイベントが重なり、
あちこちに行きたいと思う家族もいるだろう。
しかし、どれも中途半端に終わる可能性がある気がしてならない。
ひとつのイベントに決めたら「最初から最後まで」つきあってみて欲しい。
きっと、いろいろな事が、見えてくるはずである。
一度に、いっぱい体験しなくてもいい、と思ってみよう。

じっくりと「休日はひとつのイベントを楽しむ生き方」はいかが?



2001年11月03日(土) 「意識して受けを狙える生き方」

真面目な人達が集まると、真面目な運動会になってしまう。
失敗せぬよう、慎重に慎重に・・・。
そして、何事もなく種目が終わっていくなんてつまらない。
職場の運動会に参加して、そう思った。
確かに競技だけれど、親睦親睦。
二人三脚で転び、ムカデ競争で転ぶ。背負っていた籠をひっくり返す。
そんな心の余裕が欲しいね。
サーカスの中で一番難しいのは道化師、という話を聴いたことがある。
大切なことは、まわりの雰囲気を見て道化師になれるかであろう。

時には「意識して受けを狙える生き方」はいかが?



2001年11月02日(金) 「殺人事件で悲鳴をあげる生き方」

ラジオから流れてきた台詞だった。
「最近、よほどのことがあっても、驚かなくなっている」って。
毎日のように、殺人事件がニュースで流れ、
私たちは、本当は大変なことに麻痺している気がする。
「でも、うちのおばあさん、今でも殺人事件をテレビで見ると
悲鳴あげるんです」と会話は続いた。
昔は、みんなそうだった。私だって・・・。
それが、日常茶飯事のように流れる殺人事件のニュースに
驚かなくなっている自分がいた。
生命の大切さを、あらためて実感したマンガにも出逢った。
二度としてはいけないことではない。一度でもしてはいけないこと。
やっぱり心に刻んでおきたい。

生きている限り「殺人事件で悲鳴をあげる生き方」はいかが?



2001年11月01日(木) 「自分の老いは自分で決める生き方」

最近、元気なお年よりに合う機会が増えた。
いや、楽しそうな高齢者と話す機会が増えた、と言っておく。
先日、テレビで中坊氏が、自分の老いなついて語っていた。
それが冒頭の台詞。
老いは誰が決めるものではない、自分が感じ、自分で決めるものだと
彼は言いたかったのだろうか。
それは、老い方にも言えることである。
限りある人生、どうやって老いていくか、
一度じっくり時間を掛けて考えてみるのもいい。
それ以後の生活が、少しながらでも変化するはずである。


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