竜の爺の戯言日記
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2005年08月05日(金) ソニーDSC-F717が壊れた。そして名機になれない理由


子供たちの集まりである祭りの前夜祭に出かけて、いつもの通りカメラを構えてシャッターを切った瞬間、液晶画面が異様な動

きをした。続けて撮影して、直ぐその場で確認できる撮影画像の確認をしたのが、下の画像で、いくらセットボタンやダイヤル

を回したり動かしてみても回復せず電源を落としてみたりバッテリーを外してみたり、記録メモリーを差し替えてみたりしたが

、ついに回復は不可能となった。前夜祭はすでに進行していて、カメラを持つ私に撮影場面のあいずを送る係りの指示も眼に入

らなくなった。ウッカリしたことだが、ソニーの製品を信用しすぎていて、ペンタックスを携帯しなかったことを悔やんだ。最

近はソニーDSC-F717に頼り切っていて、ソニーDSC-F717が名機だという歴史的な評価はまだ確定していないのに、この高価な金

額が名機の証だと思ってしまっていたのだ。目の前が真っ暗になり、人知れずの機体にそむけぬ屈辱感を抱いてそっと会場を後

にした。写すという事が出来ないままその場に居続けることは、期待にこたえられないという評価と駄目な人間という晒し者に

成るようなものだ。
DSC03238・直前の万両DSC03239DSC03241

これを販売店に持ち込んだ。販売店の窓口で激昂して噛み付いてみても、写真の瞬間的機会はすでに過ぎてしまっていることを

理解していても、さらにこの窓口の人間は、ソニーDSC-F717の製品の保証を負っているわけではない事を理解してしまっても、

屈辱感が尾を引いていて声が思わず荒くなって仕舞う。お見積もりをいたしますか、と係員は鷹揚に対応しながら尋ねる。保障

期間が過ぎての故障の修理は有料だということは理解しているが、なぜ壊れたのか、その原因は機械が持つ先天的な構造欠陥で

はないのか、そのあたりをソニーDSC-F717担当技術の説明が欲しい、さらに早急にカメラを元通りにして戻して欲しい旨付記し

て販売店を出た。真夏の太陽の下、販売店の駐車場で、思わず激昂しそうになってしまった自分を恥じた。それが仕事とは言え

、修理の窓口の担当者たちは、怒りに震えた人間たちの気持ちも受け付けているのかと、思ったりした。

この返事が、修理部門の担当者から電話があった。日にちも経っているし、こちらはもうソニーDSC-F717を諦めてしまって、つ

まり、ソニーの現在販売路線にある818なる機械も、ソニーDSC-F717をバージョンアップして、性能がアップされているだろう

が、いずれ壊れるに違いない、という思いがあって、一眼レフのニコン、ペンタックスのカタログを取り寄せたところだから、

修理部門の担当者から電話があったと、妻が取り付いても反応は鈍かった。幾つかの説明の中で係員は、これは、やわらかい基

盤の接点の不都合による原因で発生したものであり、これは消耗部品としてお取替えいたします。この消耗部品と窓口手数料を

頂くということで処理したいと存じますが・・という。使えば消耗してしまうという部品が内部にあって、いずれは壊れるから

という説明は購入時のパンフレットにも、ソニーの商品カタログの何所にも明記されていない。そして何よりも驚いたのは、世

界のソニーと自ら技術の高さを世界にアッピールし続けているにもかかわらず、たった3年で消耗部品として購買者に責任を転

嫁させる製品完成度の低さだ。

いずれにしろ、修理されて戻ってくるカメラとその添付された理由は公開するとしても、私が再び手にするかどうかは分からな

い。また、いつ何時、撮影の瞬間に、写せない屈辱感を味わう、などということは2度とあってほしくないからだ。現在銀板の

ペンタックスを取り出して使っている。これは12年も使っているし、一度も不都合を犯したことが無い名機としての愛着があっ

た。最近あまりにも、デジタルに偏りすぎた自分と世界のソニーを信用しすぎている自分の愚かさをおもった。

ソニーDSC-F717が壊れた。そして名機になれない理由。▼しかしこれはこれで結構幻想的だが
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