moonshine  エミ




2007年03月30日(金)  また期末を越えた。

さあ、今日は正真正銘の期末の日。会社では、メインの口座の通帳が大モテの様子であった。ちなみに、経理部とは言いながら、うちの会社の経理は「主計」を実態としているので(って、この説明でわかる人はほとんどいないだろうけど・・・・)、通帳とか現金とか小切手、手形には、まったく触れません。それは「出納」の方々のお仕事ね。

そうはいってもやっぱり期末、忙しいですよ。4月が本番だとはいっても、とりあえず3月が終わってほっとした。

昇進が決まった上司。私がゆうべ、あんなに愛情あふれる日記を書いたことなんて露知らず(や、知ってたら恥ずかしいけど。)、また、今日になって、ヘッドハンティング的に会社を辞めた、私たちの元・上司に彼の昇進を知らせる喜びのメールを打ったなんてなおさら知る由もなく、今日もひょうひょうとしたものでした。

帰り際なんて、
「アンタ、どうせこの週末に、花見しようとしてるんでしょ。お願いだから、飲みすぎて大濠公園のお堀に飛び込んだり、舞鶴公園の石垣から落っこちたりしないでよ。」
なんて、小憎らしいことをのたまってました。
「あたしをなんだと思ってるんですかー!!」
って悪態つきながらも、やっぱり、そんな、この人が好きよ。悔しいけど・・・。

あー、今週がこの春最後の(もう!!!)、時間的余裕のある週末だな。
てなわけで、今日はブログも更新してます。
ラブラブです。
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2007年03月29日(木)  コングラッチュレイション!

ゆうべは仕事の後、飲みに行っておりました。9時前から2時間半ほどの間に生ビール5杯。けっこう酔っぱらいました。朝起きて体重を計ったら、前日よりもジャスト1キロ増えてました、ショック。早いうちに減らさねば・・・。

今日はトラブル発生もあって22時ごろまで仕事して疲れましたが、いい知らせを聞いたので、ごきげんはなかなかに麗しいです。

敬愛する私の上司が、4月から課長になられます。まだ38歳。社内では若くしての昇進です。彼は、「正義の刃をもつ男」。よってうちの会社では珍しく、ドメスティックな権力をもつ経営陣にも正々堂々と立ち向かっていきます。常務会の場で朝から肉弾戦(?)になってることもしばしば。経営陣にとっては煙たい存在でもあるわけですが、さすがに彼らも、うちの上司の存在価値がわからないほどお馬鹿さんではなかったということ。喜ばしい限りです。

今夜の残業では、最後、フロアで上司と二人きりになったので、「聞きましたよー、昇進の件。」とこっそり(まだ内示段階なので)言ってみたら、「あー。ま、今後はますます責任を押し付けられるってことよね。」なんて、彼一流の飄々とした(そしてある意味、核心をついた)お返事でしたが、おめでとうございます。あなたが評価されることは私の衷心からの喜びです。こんなにも尊敬できる上司に恵まれた私は果報者です。

この丸5年半の間、彼の下で、それこそ右も左もわからない新入社員のころから、手取り足取りしてもらってここまできたけど、いつのころからかわかってきた。私が教えてもらってるのは、業務そのものだけじゃない。彼は信念の人だ。もちろん会社に属する経理人は、利益操作ぎりぎりみたいなことに手を染めることもある(当然、合法な範囲内でね)。だけどだからこそ、貫かなければならないことがたくさんある。すべてのことをゆるがせにしない、あの毅然とした態度。それには途方もない意志と、それに見合うだけのたゆまない努力が必要なのです。

それにしても本当に優秀な人だよなあ。もちろん、理念だけでなく、真の実務家です。すごい思考力と行動力、問題解決能力をもってらっしゃる。そして進化に終わりがない。私もああなりたい!と思うけど、そもそもの出来が違う、とも思える・・・。

ということで、今夜は帰宅後、自宅にて彼のお祝い酒をいち早く一人で飲みました♪ お祝いの会をしてさしあげたいけど、いかんせん4月は経理の最繁忙期だからなー。でも、ちらっとでもしたい。しかし、部内で誰かそんなこと言い出すかなー。私が口火をきってもいいものだろうか(経理部所属暦は、私が上司の次に長いんだけど、私が一番年下なのよね・・・)。
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2007年03月27日(火)  カウントダウンはどっち向き?

早いものだ。今年度も、あと3日で終わる。

再三再四しつこく繰り返すけど、経理の本番は4月5月。来週になったら、今週までとは比べ物にならない仕事量になる。それでも、期末というのはいろいろあって自分のペースで仕事ができないもので、何かとあわただしい。夜10時・11時まで働かなきゃってくらいにほんっとに忙しくなったら、さすがに体力的にきつくて直帰→ばたんきゅう、てなもんだけど、この中途半端な忙しさと思わぬふりまわされ方でたまる微妙なストレスが、飲みに行きたくさせるんだよなー。

とはいっても、今夜もまっすぐ帰ってきました。
(たった2日連続で直帰したからって、この威張りよう・・・・)

日曜日にゆうきちゃんと食べた鶏肉のトマトソース煮込みが底をつきたので、今夜はまたお弁当のおかず作り。豚肉・キャベツ・玉ねぎ・にんじん・しめじの炒めものです。かわりばえのしないものを飽きもせずに作っては食べてます。

ゆうべは、お風呂の中で『人間は考えるFになる』(講談社文庫)を読んでいた。「われ笑う、ゆえにわれあり」などなど、多数のエッセイで有名な東大哲学科卒、御茶の水大学教授の土屋賢二と、本格理系ミステリ作家である(元?)名古屋大学建築学科の助教授・森博嗣の対談集である。途中までしか読んでないけど、お互いにマイペースで、実はあんまり話がかみあってないところも含めて、おもしろい。これ読んでると、土屋さんがすごく普通の人に思える・・・ていうか森博嗣がやっぱり個性的(話の内容は、いつも彼が自分の著書で書いてることと同じだけど)。理系の研究者って、意外とああいう人もいるものなのかなー。

あと、今月、ひっそりと夢中で読んでいたのは、日経新聞の連載『私の履歴書』でした。今月は宮城まり子。実はこの人のこと、私、これまで全く知らなかった。ねむの木学園、というのは聞いたことあったけど、歌手?女優?が出自の人が私財を投げ打って本気で作ったものだったとは。それに、とても有名らしいけど、吉行淳之介と深い親交があったということも知らなかった。スポーツ界のヒーローだとか実業界の名経営者だとか政治家、芸術界のプリンス・プリンセスだとかの自伝をこれまでこの欄で読んできたけど、宮城さんみたいな人が登場するのも、とても意義深いなーと思う。

こんなに落ち着いて日記を書けるのもあと数日か・・・。
やっぱり、4月になってほしくないかも・・・。
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2007年03月26日(月)  恋ってやっぱり。

タイトルは、やっぱり大好きな小沢健二くんの歌より。
でもあたし、この曲、聞いたことないんだよナー。ははは。

賢ちゃんと別れ話になってから2ヶ月くらい経つ。
そろそろ、それなりに整理した内容で書けるような気がするので、書いてみます。

彼と別れたのは、簡単に言うと、「嫌いになったわけでは全然ないけど、これからずっとうまくやっていくのは無理だね。きっと。。」ということだった。

彼とは1年半、社会人同士らしくきちんと誠実に、そしてとても濃密におつきあいをした。
長くもないが、いっときの情熱だけで駆け抜けるほど短くもない時間だ。
いろんなところに一緒に行ったし、おうちでごはんを食べたり飲んだりごろごろしたりした。
そうした中で、お互いの人間性、ってのは見えるものだ。
食べ物の好みも合ったし、遊びに行っても楽しいし、けんかをしたこと、その後の仲直りの痛痒い甘美さも含めて、彼のことがとても好きだった。
だから、別れるという決断に至るまでは、もちろん葛藤もあった。

でも今は、切ない気持ちがないわけでは当然ないが、とてもすっきりしている。
「きれいに別れたい。」っていう自分のちっぽけな美学みたいなのを貫けたから。
傷つけあってボロボロになる別れ方はしたくなかった、
だってこれまで、とてもいいお付き合いをして、楽しかったのだもの。

きれいに別れたいと思っても、相手のあることですから、自分だけではどうにもなりません。
賢ちゃんのおかげだ。
別れるか別れないかの話をした期間じゅう、彼は本当に男らしく、率直で、思いやりにみちてた。
「この人のこういうところが凄くかっこよくて、だから私は好きだったんだ。」
と、ある種、感動的なほどだった。
「いい男とつきあったなー。」
と思った。
だからこそ、きれいに別れたかったというのもある。

彼は私にとって、これからも特別な人だ。、
いっときの間、もっとも近くにいて、見つめ合ってた人なのだ。
私は彼の筋の通った男らしさや大人らしい如才なさ、よく切れる刃物みたいな鋭い賢さを尊敬してる。
そして、1年半の間、恋人として私を大事にしてくれたことにとても感謝してる。
もう会うことがなくても、これからお互いにほかの人とおつきあいをしたり結婚したりしても、
これからも彼を思い出すときは、とてもいい気持ちになると思う。
そうできる別れ方をするために、私も彼も努力をした。
その最後の共同作業は、私にとって誇りになりました。

人は、ひとりでは成長できないことがたくさんある。
好きになって、おつきあいをして、別れる。
そのすべての過程で成長できたなーと思う。
お互いの気持ちをぶつけあったこと、喧嘩して傷つけあったことも含めて、
私はとても一生懸命に恋愛した。
相手に不足なし!て感じだった。
彼との間に遣り残したことはもう何もない。
だから、賢ちゃんにはほんとに、ありがとうと言いたい。
狭い福岡、ばったり会うこともあるだろうけど、そのとききっと私はとても嬉しいと思う。
とても懐かしい気持ちであいさつできると思う。たとえその横にほかの女の子がいてもね。

ゆうきちゃんに言わせると、私は“恋愛体質”らしい。
そうかな? そうかもしれない。
実際、私は、男に溺れるタイプではない。
良くも悪くも、その人の色に染まれないし。
自我も自意識も強いし頑固だし、仕事も好きだし、友達もいる。ひとりで過ごすのも好きだ。

でも、確かに私は、恋愛が好きだと思う。
恋愛が好きっていうか・・・恋人、っていうのが好きなのだ。
恋をした数、おつきあいをした人は、28歳にしてはそんなに多くない。
ひとりの人とじっくりがっぷり組み合うのが好き。
好きになって、おつきあいをして、相手のことを知りたいと思い、相手にも自分を知ってほしいと思い、うれしいにつけ悲しいにつけてその人のことを思い出し、思い出され、いつでも心の距離は近くて、与え、与えられ、そのぶん、エゴもぶつけあって、っていう、友達とも家族とも同僚とも違う、恋人ならではの濃密な関係。

友達も家族も同僚も大事で、必要なもの。
優劣をつけるわけではなく、それと同じだけの強さで、恋人という存在は、これまでの人生において、私にとってはとても大切だった。
友達や家族を大事にしたり、仕事に一生懸命になるのとおんなじように、私は恋人にも手を抜きたくない。
あるときはかけがえのない安らぎであり、あるときはもっとも自分を悩ませるもの。
私にとって、恋人って、そういう存在だ。

自分のそういう恋愛感覚はとても好き。
そういう恋愛をこれまでにいくつかしてこれたのは、歴代の(笑)恋人のおかげでもあると思う。
彼らのおかげで、私はこれからも、恋愛っていう究極のぶつかりあいに、臆病にならずにいられると思う。

というわけで、これからも独身者の特権として(笑)、いい恋をしたいと思います。
人を好きになるのは楽しい。好きな人とおつきあいをするのは、つらいことも含めて、本当に楽しい。

そう、今、好きな人がいます。
(私と、それから賢ちゃんの名誉のために言いますが、賢ちゃんと別れてから知り合った人です。)
「早っ!」
「それは・・・・長続きしないんじゃ・・・」
「や、その人と出会うために、このつらい別れがあったのだよ。」
周りではいろんな意見がありますが、もちろんそれは、私の気の持ちよう次第。
恋愛は当事者にしかわからないのです。

これからいくつ恋をするのだろうなー。
わからないけど、私にはなんか、自信がある。
これからも、いい恋愛ができる。
だって自分はいつでも変わらないから。
ヘタな人は選びません。
ま、これからどうなるかわかりませんが、今は暖機運転よろしく、じっくりあたためているところなのです。
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2007年03月24日(土)  シンプル・シックにいきたい。

一日じゅう雨が降る土曜日である。

昼前に起きて、ベッドの中で本を読んでた。嶽本野ばらの『ロリヰタ』(新潮文庫)。前々から興味があったこの人の小説を初めて読んだ。思った以上に読みやすかったし、登場人物も思った以上に普通の人だった、とてもいい意味で。なるほどなー、と思った。

おなかがぺこぺこになったので、パスタを作った。ベーコン、小松菜、玉ねぎのペペロンチーノ。うーん。イマイチだったかもしれぬ。料理って、自分で作って自分で食べる分には、「うむ、うむ。よかろう」ってな感じなのだが、これを人に食べさせると・・・って考えると、なかなか厳しい。

洗濯して、アイロンがけして、こまごましたところをちょこちょこ片付ける。それからブックオフに本を売りに行って、手にしたお金で古本を2冊買い、駅中の本屋で立ち読みして「クウネル」の最新号を買い、特売のスーパーで食料品を買い込んで、帰宅。

夜ごはんは、スーパーで買った梅ささみカツ。と、きのこのホイル焼きと、小松菜のおひたし、納豆。うむ、うむ。満足である。

今日はボクシングとかサッカーとかフィギュアスケートとかいろいろやってるね。ちらちらこういうのを見るのも悪くないなー、と思う最近。これからまた、部屋の片づけをちょこちょこする予定。ふつうに掃除しただけでは、部屋というのはだんだんに汚れていくものなのだ。細かいモノも増えていくし。来月になったら、しばらくは掃除機かけるくらいで精一杯になるだろうから、今のうちにしとかないと・・・。このごろ、着なくなった衣類の整理などにも精をだしております。シンプルな生活がしたいものだ。
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2007年03月23日(金)  魚ごっこ

あー、今週も終了です。おつかれさまでした。疲れたな。水曜日が休みだったおかげで、体力的にはまだ余裕があったけど、けっこう働いた感がある。

期末って独特の雰囲気があるのよね。“決算作業が始まる4月までに、どれだけ準備しておくか、それがコトの成否を決めるぞ!”ていうプレッシャー。“どうせ4月になったら地獄を見るんだから、今のうちにリフレッシュしときたい、帰れるときは早く帰りたい・・・”ていう本音。せめぎあう。

上司からは、「おー、あんた、着々と準備しようみたいやね」なんて言われたけど、全然まだ足りてないよォー。3月はあと一週間。気合入れよう。

と言いつつ今日も8時半過ぎで息絶えて、帰る。魚が食べたいなー、さばの味噌煮くらいなら、さっと作れるかな。とスーパーに寄ったら、さばの切り身は売り切れていた。いわしが非常に安かったので、「じゃあこれで。」とそれはそれで満足して購入、しかし帰宅してから、はたと気づいた。私が買ったの、切り身じゃない。一尾だ。ああ、頭を落として、はらわたを抜かねば・・・。えーん、こんな遅くから、手間かけたくないのにー。(慣れた人にはたいした手間でもないんでしょうが、いかんせん、私、魚の扱いなんてど素人なんです。)

まあ、なんとか適当にやって、煮汁にチューブの生姜をもりもりっと加えて、ささっと煮ました。うむ、美味かった。まだまだ改良の余地はあるが。

ビールを飲んだらものすごく眠くなってきたよ。
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2007年03月22日(木)  駆け抜けている3月です。

忙しい日々が続いております。

これが年度が明ければ、修羅場は経理の独壇場、酒も色恋も息抜きもなく、ただただ決算まっしぐらになるのだが、今はまだ、仕事だろうがプライベートだろうが何でもありの百花繚乱状態です。狂い咲き、って言葉あったよね。

最近のことを簡単に述べると、当社が上場前から20年来お世話になっていた、監査法人の代表社員さんが亡くなりました。癌だった。私なんかは親しくお話できる身分でもなかったが、ことのほか、ショックだった。泣くような立場でもないはずなのに、涙が出そうになりました。下っ端から見ていても、「すんごい人だなー」というのがよくよくわかるような、まさにカリスマだったのです。辞めた部長も、今の私の上司も、歴代の経営者も、本当にお世話になった。彼にとっては、当社は数多いクライアントのひとつでしかなかっただろうけど、彼はみんなを育てた。そして、私の親よりも若いのに、もう亡くなってしまった。その夜は弔い酒を飲みました。

その夜に限らず、よく飲んでたな、最近は。

昨日は、竹馬の友・しずりんと映画を見に行きました。「さくらん」。絶対的に足りなかった。原作を読んでいたからかもしれないけど。何よりもまず、土屋アンナがへたくそ・・・・。でも、今日になってからも、ずーっとその映画のこと、考えてました。映画に限らず、映像作品を見るというのが私にとっては珍しいので、いちいち反芻するのかもしれない。まあ、乙女チック作品ってことなんですかね、あれは。きゅんとくるところはあっても、ぐっとくるものが何もなかったもん。ちなみに、見終わったあとのしずりんとの共通の感想は、「この映画のために、菅野美穂や木村佳乃は、あそこまで大胆な濡れ場を演じる必要があったのか・・・?」ということでした。でも、お二人はとても綺麗でしたけどね。

そういえば、「女王の教室」以来に3ヶ月間見続けたドラマ、「華麗なる一族」も最終回を迎えました。鉄平の猟銃自殺という原作の大筋を崩さず、しかし何とか現代の世論に納得いかせるものにしようとした、スタッフの苦心を感じました。原作では(と偉そうに書くが、原作は本屋で立ち読みしただけです)、鉄平は遺書も残さないし、あんなに綺麗な死に顔でもない。三雲頭取も正妻の寧子も、原作ではキモになる台詞がカットされてしまった。それでも、私があのラストに得心がいったのは、やっぱりキムタク(敢えてここで鉄平とは言うまい、)が最期に言った、「でもどうして僕は、明日の太陽を見ないのだろう」というセリフゆえだ。確か原作にはなく、ドラマ化にあたって誰が考えたシナリオか知らないが、いささか唐突な感があることも含めて、とっても絶妙だったと思う。原作での鉄平は失望と絶望に彩られた憤死を遂げたが、ドラマの鉄平は、最後の最後まで勇気をもったリーダーだった、彼は遺書までしたため、覚悟をもって死に臨んだようだったが、結局は混乱の中で最期のときを迎えたのだ。だから彼の死は肯定も否定もされるべきものではない。そう思えた。しかしいいドラマだった。役者さんてすごいね。テレビというものからこんなに遠く離れた生活をしてるけど、またドラマを見たいな、と思えたよ。

まぁほかにもいろいろあったけど、とりあえずオヤスミナサイ。
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2007年03月16日(金)  浪花節じゃないよ人生は。

うーん、今日も飲んできましたよ。といっても飲んだのは2時間ちょっと。理性は全然保ってるけれど、ああ、キーボードを打つ指が、おぼつかない。誤字・脱字があったら、お許しください。

学校を卒業したばかりのころを考えると、もう、体力もないし、世の中のいろんな事情もわかってる。組織の中にいると、急に何かが変わるわけでもない。だけどそれがわかっていても、醒めてはいない。仕事は年々、きつくなるわけだし。仕事に限らず、やっぱり負うものは、増えていくわけだし。負わないことを選ぶことで増えていく心の負担もある。

続きはまた今度にしましょう。今週もよくがんばった。

今日のオコトバ;
上司(状況はじゅうじゅう承知しつつも)
「いやー、なんとか、『エイヤー!』でお願いしますよ」
監査法人
「いやー、最近は、浪花節が通用しなくなってるんですよ、情勢的に」

笑いあってるけど、実際、火花があって怖かった、、、笑
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2007年03月15日(木)  時間軸を歩き続けるのだ

今に始まったことではないけれども、毎日は慌しい。特に何をしなくても走り去る日々よ。仕事して、飲んで、家事して、本読んで。それだけだって時間は全然足りないくらいよ!

考えることを書こう書こうと思いながらもそんな感じです。
ただ、私は元気。欲望の何ひとつ、衰えてない感じ。

ゆうべ寝るのが遅くなったので寝坊して、今朝は雨で、道路も渋滞していたのでいっそのこと、と歩いて会社まで行った、寒い朝だったけど会社に着くころはホカホカで目も覚めた。仕事は忙しかった。帰りのバスでi-podを聞きながら、自分がどうしてこんなにもキリンジが好きなのか考えた。夜はいつものお店で美味しいお酒を飲んだ。先月も先々月ももう私には遥かな過去のことだ。もちろん自分ってのは長い年月でかたちづくられたもの。だけど確かに私は今を生きてる。あのときともいつのときとも違う。いつだって楽しかったけどやっぱり今が一番いい。未熟ゆえの楽しさなんて、過ぎてしまえば戻りたくはないものよ。
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2007年03月12日(月)  東京に行って、帰ってきました。

今日も福岡は寒いです。でもおうちに帰ったら、暖房つけてビールをくいっとな。

週末は東京に行っていました。
まだ人生でたったの2度目の上京ですから、その興奮たるや想像に難くないでしょう。二次元の限界に挑戦するかの如く、はりめぐらされた鉄道や地下鉄を自由に駆使して、大股の早足で大都会を闊歩する人々。林立する高層ビルだけでなく、都会に住む人たちのことも、「なんかかっこい〜」なんて、ポカンと口を開けて見上げてしまうのです。自分の足で自分が決めた道を歩きたい。かわいくないくらいにそういう性分だけども、エスコートされるのも悪い気はしない。身勝手なものですね。

簡単に旅の記録を。

1日め:
空港から品川へ。ホテルにチェックイン。27階でした。窓の外の壮観に感激しつつも、「どうか地震よ来ないでね・・・」と願わずにいられない小心っぷり。

東京駅で降りて丸ビルで待ち合わせ。有楽町を歩いて銀座へ。フレンチレストランへ行く。瀟洒な内装といいお店の人のサービスといい、「今にもプロポーズでもされそうな」高級っぷり。メニューを見たら、目の玉が飛び出るほど高くはない値段設定で安心。好きなものをその場で選べるコースでした。料理もワインもすっごく凝ってて、「披露宴におよばれするの以外で、こんなに贅沢なフレンチ食べるの初めてだー」と感激。感激しつつも、ボトルで頼んだワインとかこくこく飲んで、陽気になる。

ほろ酔いになって、銀座の大通りを歩く。銀座といわれて真っ先に思い出すのは、北村薫の『街の灯』(文春文庫)。昭和初期の銀座が舞台になった一話が収められているのだ。鳩居堂も資生堂パーラーもおっきな時計も、ちゃんとありました。そこからちょっと道に入って、小さなバーへ。タリスカー、バラライカ、ジントニック飲んで帰る。

2日目:
寝坊。昼は東京で初めてのラーメンを食べる。何から何まで違うものですね。地下鉄七隈線の天神での乗り換えに「ありえない、この遠さ!」なんて憤慨していた自分の軟弱っぷりを思い知らされるかのような、東京駅での京葉線への乗り換え。東京の人は、ほんとによく歩くな。ちょっとランドでも冷やかそうかと思ったけど、存外時間がなかったので、イクスピアリへ行く。

夕方、渋谷へ。ハチ公広場に出た瞬間、あんまりといえばあんまりの人口密度に、「ここで合流なんて絶対無理!」とパニクりかけたが、さすが東京っ子はみんな冷静。あっさり邂逅して、センター街を抜け、道玄坂を少し上って、今夜は和食のお店へ。このお店、福岡にもちょっと前にできたけど行ったことはなかった。福岡店もあんなに華やかなのかな。とってもいい雰囲気でした。さんざん暴露話をしあいつつ、ビールと焼酎、ぐびぐび飲む。昨今は東京でも、九州に負けないくらい、焼酎リスト(特に芋)が充実しているものですね。山手線の最終で帰る。

3日め:
浅草へ。冷たい風と雨。しかし天ぷら屋さんに入って天ぷらそばを頼んでおいしく食べてる間に、雨はすっかりあがっていた。さっきまでが嘘のような青空と日差しの中、雷門をくぐって浅草寺へ。お正月の太宰府天満宮にも匹敵しそうな人出です。外国人さんもいっぱい。お寺で噂のおみくじをひいたら、案の定、凶だった・・・。悔しくなって揚げまんじゅうやみたらし団子、雷おこしなどやけ食いの食べ歩き。

表参道へ移動。
道行く人も、カフェに入っても、さすがにお洒落です皆さん。そして表参道ヒルズへ。さすがに福岡にはない高級感。テンション上がる。ショップも、福岡では見たことのないのがいろいろ入ってました。なんにも買わなくても楽しい。その後、原宿を経由して汐留へ。友達の勤める高層ビルや、日テレ本社ビルなど見学。空港でおいしいパスタ食べて、急いで機上の人に。

東京に行っても飲んだくれてるのは我ながらどうかと思いますが、好きな人たちと美味しいお酒が飲めたってことで、OK、OK。友達も、福岡で遊ぶのと東京で遊ぶのとではやっぱり雰囲気も違って、羽目をはずしすぎないように気をつけつつも楽しくお喋りするのは、とっても新鮮でした。ありがとう。

22時前、自宅最寄駅着。スーパーに寄ったらポイント5倍の日だったので、おみやげでずっしり重くなったカバンをものともせずに、お米なんて買ってポイント稼ぎましたよー。へとへとだったけど、洗濯し、お米を炊いて、明日のお弁当のおかずを作る。3日間外食が続いたので、お野菜いっぱいの粗食が恋しかったのですもの。ソーセージ、キャベツ、玉ねぎ、まいたけをざく切りにして鍋にぶちこみ、ことこと煮てブイヨンで薄めに味つけ。日々を地道に過ごすからこそ、たまの贅沢が楽しいってもんよね!
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2007年03月08日(木)  東京タワー

パソコンがおかしくなった・・・・。それは、ゆうべから。
ファイルやウインドウの開け閉め、インターネットの接続には何の問題もないんですが、液晶がおかしい。
なんというか、画素が粗くて、ふつう白いはずの背景がエメラルドグリーンに。
いちお、思いつく限りのことはやってみたけれど、あんのじょう、どうにもならず。
10分と見てたら視力が一気に低下しそうな色をにらみつつ、書いています。
あー。
どうすっかな。

あれからゆうべも今夜ももちろん、実家に電話している。そのたびに泣いている。
今朝、ぴーちゃんを埋葬してきたらしい。
結局、実家のすぐそばの、親水公園に。
人もたくさん散歩するし、きれいで、さみしくないところだからって。
ぴーちゃん、ありがとう。って何度も言ったらしい。
ぴーちゃんは土に還る。
そんなの嫌だ!て叫びたいけど、それが、いちばんいいのだ、とも思う。
おねえちゃんが、お母さんのケイタイに、「千の風になって」の着メロをダウンロードしてあげたそうだ。

明日っから東京に行ってきます。
どうかこれからも、私たちが希望をもって生きられますように。
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2007年03月06日(火)  ぴーちゃん天国へ。

きょう午前、実家の桜文鳥ぴーちゃんが天国へ行った。昼休みの終わりごろ、母親からメールがあった。びっくりして電話したら涙声の母が出た。

2−3日前から羽ばたく元気がなくなり、今朝はもう、足が弱くなって歩くことはおろか、えさを食べることも水を飲むこともできなくなっていたらしい。

父親は仕事に出る時間を遅らせて、手の中にぴーちゃんをそっと抱き続けてぼろぼろ涙を流していたらしい。10時になって、ようやく母にうながされて出勤していったあとは、母が抱いていた。30分ほどして手の中で苦しげにばたばたと体を動かし始め、口をぱくぱくさせたので、母親が水滴をくちばしにつけてやると、ゆっくりと伸びをして、ぐったりと、息をひきとった。母親はわんわん泣きながら、それから1時間近く、抱き続けたんだって。

このように、父と母から本当にかわいがられていた小鳥だった。

雛だったぴーちゃんがうちに来てから11年半だった。
文鳥の寿命は平均7-8年といわれるのだから、本当に長生きしてくれたし、その間、病気もせずいつもほんとに元気だった。

手乗りの小さなその存在が、家族を、特に両親をどれだけ慰め、結びつけてくれたかわからない。
11年半の間に、就職した姉が実家を出て独立し、私も大学生になり就職し
て家を出た。家族にはいろんなつらいこともあった。でもぴーちゃんはいつもうちにいた。

毎朝、起きると父はまず必ずぴーちゃんの餌とお水を替えて、出勤する前には必ず籠から出して遊ばせた。家の中はどこでも自由に飛びまわって、家族の足にまとわりつき、父の手に抱かれて頬ずりされた。母親は、「朝は忙しいんだから、もう籠から出さないで。そのうち、うっかり踏んづけちゃうよ」と言いながらも、やっぱり毎朝ぴーちゃんを抱き上げていた。籠の掃除もこまめにしていたし、寒い冬ともなると、夜にはダンボールを切り開いたものを籠の周囲にあてがって防寒させていた。ぴーちゃんは私よりも姉よりも、当然、父と母になついていて、私たちの手の中ではじっとしていなくても、父と母にはいつまでも抱かれていた。籠の中に戻されるときは、いつも本気で嫌がった。

最期も長患いせず、ちゃんと、父と母に抱かれて死んだ。大往生だろう。両親も、のちのちまで悔いが残るってことはないと思う。10年を過ぎた頃から、寿命を考えるといつ逝ってもおかしくない、覚悟はしておこうね、と両親は言い合っていたらしい。それでもやっぱり、この日がくると、悲しくないわけがない。

父も母も、年の功で現実を受け容れることには長けているとはいうものの、心配になったので、仕事を早く切り上げて、実家へ向かった。予告して行くと気を遣うだろうと思って、実家の最寄の駅まで行ってから電話をした。打ちひしがれていて買い物になんて行けなかったかもしれないので、何か買っていくものはないかと聞いたら、「買い物には行った」と母が言う。「ぴーちゃんにお供えするための花がたくさん要るから、買いに出たよ」と。

そして家に帰ると、ぴーちゃんは、きれいな小箱の中、ティッシュにくるまれ、まわりにたくさんのお花と果物で飾られていた。

「花はこれだけじゃないとよ。ほら」と、うながされて見ると、花瓶に色とりどりの花が飾られていた。「ぴーちゃんを埋めたら、お父さんが当分の間、毎日、お参りに行くだろうから、そのためのお花を買ってきとうと。」という。
さすが、うちの母だ、と思った。どんなに悲しいかしれないのに、ちゃんともう、こんなことをしてあげられているなんて、やっぱり愛情の深さと、強さだよね。

眠っているようにきれいな体だった。抱き上げると、冷たいけど、生前のまま羽は柔らかく気持ちがいい。母が臨終の様子を話しながらまた泣くので、私もぴーちゃんのことを思い出して、そして、今朝、弱っていくぴーちゃんを抱きながら泣くしかなかった両親の哀しみを思って、たくさん泣いた。

それでも、泣き止んだ母は、急に寒くなったこのごろのために、ストーブの灯油を注ぎ足したり、お風呂をわかしたり、私の食事の準備をしたりと、せっせと動き始めた。「お母さん今日はもう、なんの気力もないだろうから私が・・・」なんて思って来たけど、やっぱりそれは杞憂なのだった。私は母のこういう強さが本当に好きだし、こういう性質を、多少なりとも子どもの私たちも受け継いでいると思う。

母は、私にはメールしたものの、父には連絡していなかったらしい。「多分お父さんはもうわかっとうとよ。でも、聞きたくないだろうから、お父さんが連絡してくるまでは、こっちからはしなかったんよ。」と母は言う。

やがて父が帰ってきた。父はまず、「ぴーちゃんはどうなった。」と聞いた。「ぴーちゃんは、だめだったよ。」と母は答えた。父は、ぴーちゃんの小さな棺を見て、「こんなにきれいな体、埋めるなんてできない。しばらく置いておきたい。」と言った。こういうとき、我が家では父の好きなようにさせるのが不文律である。母が、「でも、悪くならんかいな。」と控えめにいった。父はしばらく考えて、「遠くに埋めるのはやめよう。うちのマンションのすぐそばに埋めよう。毎日、とおることができるから。管理組合の会長さんにだけ断って、埋めさせてもらおう。」と言った。そして、「こんな日が来るのはわかっとったんよ。11年以上も癒してもらったんだから、最期もちゃんと抱かせてくれたんだから、悲しみすぎちゃいけない。ぴーちゃんもきっと幸せだったと思ってくれる。お父さんとお母さんも幸せだった。」と言った。

ぴーちゃん、うちの家族と、長い間いっしょにいてくれてありがとう。家を出た私とおねえちゃんの分まで、お父さんとお母さんの愛情を受けてくれてありがとう。うちにいて、幸せだった? 最期は苦しかった? しゃべれたら、なんて言ってくれた? 
ぴーちゃん、ありがとう、ありがとう。
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2007年03月04日(日)  よく遊ぶ。

土曜日、遠方より朋来たる。
太宰府の九州国立博物館で、2度目の「若冲と江戸絵画展」を鑑賞。常設展も、けっこうゆっくり見てきた。ちょうど美術館を作る仕事に携わっている連れは、私とは違った視点で興味深げだった。

天満宮では、テントを張って「福岡の美味しいお酒展」をやっていた。当然のように吸い寄せられる私たち。試飲というにはちょっと多いんじゃないの?ってくらい、なみなみと注がれる日本酒たち。よく晴れた空の下、立ったまま2、3杯くーっとやって、顔が上気する。なんたる贅沢。なんたってタダだし(笑)

天神へ戻って、まだ暮れきらない夜6時から、飲み始める。魚が安くておいしいことで有名なお店らしく、胡麻さば、いかと山芋のホイル焼き、あじの刺身、白子のてんぷらなど、次々食べる。どれもとびきりおいしい。そして飲む、飲む、飲む・・・。当然ながら、安いはずのお店なのにけっこうなお勘定になる。

しかしそんなこたぁものともせずに、2軒目へ移動。雑誌かなにかで見たことある、「オスカー」というバーだった。いやー、オーセンティックな雰囲気で、大人のバーでした。久々にああいうところに行ったかも。おいしいカクテルを3杯ほど飲んで、喋る・喋る・喋る・・・。

ところでこの2軒は、福岡に住んでいるのは私のほうなのに、なぜか、連れが選んでくれたものだった。ごはん食べに行く(飲みに行く)お店って、あれこれ考えながら自分で選ぶのも楽しいけど、「どこに行くのかなー?」ってわくわくしながらついていくのも、また楽しいものですね。感謝。

今日は、昼、回転寿司を食べに行く。(また魚・・・。)そして来週の旅行のために、空港を下見。空港を利用するの、1年半以上ぶりなもので。国内線だし、まあ心配ないとは思うけど、生粋の方向音痴のわたくしのことですので。
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2007年03月02日(金)  やっぱり、ありがとうだな。

今日は、うれしいうれしい金曜日。たとえ、自分の職務柄しょうがないとはいえ、ほかの部署にとっては煙たくて仕方ないような仕事が目白押しだといっても、やっぱり今日は金曜日! 気にかけすぎてちゃしょうがない。誠実に、でも卑屈にならず、やるべしだ。

仕事のあとは、同期と久しぶりに飲みに。彼女の体調があって、一週間、当初の予定より伸びたのだけど、その間にちょうどよく(?)事態の進展もあり、効率的でした(?)

友達も同僚も先輩も後輩も、いろんな人にありがとう。

そして賢ちゃんにも。ありがとう。
昨日、正式に別れたんだけどね。
あ、そのうち、もうちょっと詳しく書きます。

明日は土曜日。
2回目の、若冲たちの絵、見に行く予定です。
それから飲みに行く予定です。
わくわくするな。早く寝らねば。
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