500文字のスポーツコラム(平日更新)
密かにスポーツライターを目指す「でんちゅ」の500字コラムです。

2001年10月31日(水) 夢の原っぱの少年たち

 「君がそれを作れば、彼はやってくる」
映画「フィールド・オブ・ドリームス」の原作「シューレス・ジョー」(W・P・キンセラ)の著名な一節である。主人公はこの声に導かれ、トウモロコシ畑を切り開いて「夢の原っぱ(私は好んでこう訳している)」を作った。
 明日、東京ドームがトウモロコシ畑になる。プロ野球OBによる「マスターズリーグ」が開幕するのだ。札幌、東京、名古屋、大阪、福岡を本拠地とする5球団。そこに彼ら=往年の名選手たちはやってきた。「黒い霧事件」で球界を去った池永正明やプロゴルファー・尾崎将司の参加など話題も豊富だ。
 皆、野球がしたかったに違いない。でも今まではその場がなかった。リーグができ、今月初旬のミニキャンプに集まった選手達の表情は輝いていたという。そう、原っぱで遊ぶ子供のように。
 このリーグは、野球を「文化」としてとらえ、底辺拡大のために試合前の少年野球教室なども開くと言う。少年に戻った名選手たちの表情から、子供たちはきっと技術以上の「何か」を感じるだろう。
 そうだ。明日、あの原っぱに行ってみよう。私もまた少年の頃に戻って。


昨日のコラムの訂正(10/31)

 昨日のコラムで慶應大学の喜多選手のシーズン最高打率記録について批判しました。最終戦、代打で1打席のみの出場だったために、記録のための欠場と思ったからです。
 今朝の新聞に、彼の欠場は前日の守備で捻挫した右足の具合が思わしくなかったからだと書かれていました。「本人は出たがったが、将来のある選手なので休ませた」という監督のコメントも載っていました。もしかしたら記録の事も監督の頭にあったかも知れませんが、少なくとも足の怪我が積極的な守備の結果生じたものであれば、それは批判の対象にはなりません。

 結論。直接取材できない私の立場では事実関係が確認できないので、昨日のコラムについては勇気をもって潔く訂正しようと思います。それが物を書く人間の責任であり、つとめだと思うからです。ただ今後も批判すべきは恐れずに批判するという姿勢は変えないつもりです。



2001年10月30日(火) 六大学よ、お前もか

 神宮球場で今日、東京六大学野球秋季最終戦の早慶戦が行なわれ、慶應の喜多が打率.535を記録してシーズン最高打率を塗り替えた。しかし私はこの記録を称える気になれない。
 喜多は今日のゲームにスタメン出場せず、代打で1回だけ打席に立った(死球)。なぜか…。従来の記録は87年春に田宮実(早大)がマークした.519。昨日まで43打数23安打の喜多が、今日2打席凡退だと.511でこの記録を下回ってしまう。しかし1打席だけならたとえ凡退しても.523となり最高打率を守れる。つまりそういうことだ。
 主力の喜多を欠いた慶應打線は、早大のエース・和田の前に沈黙。1−5で敗れた。慶應は既に優勝を決めてはいたが、5チーム全てから勝ち点を挙げる完全優勝を逃す結果になった。勝負より記録優先…今季プロ野球で見られた醜い光景が、ここでも繰り返された。
 喜多は試合後、プロ志望を表明したらしい。しかし、喜多の記録は「ちょっと力があれば5割以上打ててしまうレベル」に成り下がった六大学のものに過ぎない。そんな所で「仮免」みたいな記録を作って喜んでいる男がプロの世界で通用するとは、私には到底思えない。


アクセスが急に増えてびっくり(10/30)

 月曜日に週末のアクセス数をチェックして驚きました。普段は土日合わせても10程度のアクセスしかないのに、今回は土曜17、日曜19もあるのです。一体何事かと思ったのですが、メールをチェックして合点がいきました。なんとこのページが「キューブくん通信」で紹介されていたのです。これが原因である証拠は「キューブくん外アクセス」の割合が多い事・・・つまり、メールから直接アクセスしたために「通りすがり」になっている人が増えた(と考えられる)ことからもわかります。つくづく「キュー通」の効果には驚きました。
 ともあれ、これまで以上に読んで下さる方が増える可能性があるわけですから、一層力を入れて頑張らなくちゃと思っています。おなじみの常連さんも新人さんも、どうぞごひいきに。

777Hit=nikenekoさん
800Hit=こみーゆさん

でした。ありがとうございます。(注 キューブくんのページのカウントです)



2001年10月29日(月) サッカー界にも「ハマの大魔神」!?

 身長190センチ。新大魔神が「横浜」に出現した。野球ではない。サッカーの話である。
 27日に行なわれたJリーグのヤマザキナビスコカップ決勝は、年間14位でJ1残留ガケッ淵の横浜Fマリノスが王者・ジュビロを破り、見事優勝した。ヒーローはPK戦で4本中3本を止める驚異的な活躍を見せたGK・榎本達也。渡英した川口能活の穴を埋めて余りある結果で、一躍その名をサッカーファンに知らしめた。
 最初は明らかに緊張していた。飛び出しのタイミングもバックラインとのコンビネーションもしっくりいかない様子が見て取れた。無理もない。川口の陰に隠れ、5年間でわずか3試合の出場。それがいきなりの決勝戦なのだ。しかし、逆に言えばこれ程「おいしい」場はない。活躍すれば目立つ事この上ないのだ。その意味で彼はスターになりうる「強運」の持ち主だと私は思う。
 だがその先は彼の力だ。あえて川口のいる横浜に入り、その練習方法を近くで見て、絶えず自分を磨いてきたからビッグチャンスをものにできたのだろう。この活躍は決して「奇跡」ではない。
 機は熟した。22歳の「ハマの大魔神」の今後が楽しみだ。


冷やかしは失礼だ(10/29)

 阪神は今秋のドラフトで、「自由競争枠」でトヨタ自動車の安藤優也投手を獲得する事を決めた。安藤は150キロ近い速球を持ち、11月に行なわれる野球のW杯のメンバーでもある。有望な新人の獲得が早くも決まった事は、阪神ファンの私としては喜ばしい。
 だが、「あれ」は一体何だったのだ。阪神は当初、日南学園の寺原投手獲得を表明し、他球団に先駆けて本人と接触したではないか。なのにすぐにその方針を撤回し、別の選手に乗りかえる節操の無さは一体…。
 おそらく初めから「冷やかし」のつもりだったに違いない。ただ、一度は名乗りを上げないとファンが納得しないから言ってみただけなのだ。姑息である。これはファンをナメ切っているだけでなく、相手に対しても失礼極まりない。ここ数年、ドラフトでは競争を避けて安全パイ狙いに行くのが不満ではあったが、だからといって、こういう見苦しい真似は絶対にやめて貰いたい。



2001年10月26日(金) 「感じる」力

 ヤクルトが優勝を決めた。若松監督ではないが、「ファンの皆様本当におめでとうございます」。
 優勝の原動力は文句なしにMVPに輝いた古田。彼の一番素晴らしい所は「洞察力」だと私は思う。近鉄の強打線を1・2戦で見切り、以後勝負どころではほぼ完全に抑え切ったリードは見事としか言いようがない。
 野村克也氏はヤクルト監督時代、古田について「感じる力」が凄いと評した。古田は野村監督の傍に座って試合を見ながら、絶えず次の展開を読んではブツブツと呟いていたそうだ。同じ捕手出身の野村監督は、体じゅうで常に何かを感じようとする男の姿を見て、彼を本気で育てる気になったという。野村監督は南海監督時代にもスカウトに「ドラフト候補選手の知能指数を調べられないか」と注文を付けた逸話がある。
 知にこだわる野村氏が見込んだ古田はその期待通り、抜群の野球IQを持つ「日本一」の捕手に育った。36歳で迎えた今年の日本シリーズでは、その集大成を存分に披露し、(白状すれば)近鉄を応援していた私にとっても見応えのあるナイスゲームを作ってくれた。そんな古田にも「ありがとう、そして、おめでとう」と言いたい。


もうひとりの「感じる」男(10/26)

 今日のコラムは「感じる男」古田について書いたが、昨夜の神宮球場にはもう一人、抜群の「感じる力」を持つ男がいた。フジテレビのゲスト解説として招かれた野茂英雄である。
 例えば試合の局面に応じてアナウンサーが彼に話を振る。「次の球は何を投げましょうか(文字にすると何と陳腐な質問なんだ…)」。野茂が答える。「外スラ(外角のスライダー)がいいと思いますよ」。するとそれが面白いようにスバスバ当たるのだ。こうした配球以外にも、点差を考えた投手の心構え(もう1点までなら、やっても大丈夫…など)、さらには外野の守備位置まで、細かく神経の行き届いた話の展開に感心した。
 野茂は無口で何を考えているのかわからない所があるが、この「感じる力」があるからこそメジャーで何年も活躍できるし、2度のノーヒットノーランという快挙をも成し遂げる事ができたのだろう。一流の条件はインテリジェンス。私の持論である。



2001年10月25日(木) ○○のチーム

 「○○のチーム」という表現がある。○○には選手の名前…例えば、「日南学園は寺原のチームだ」という具合に使われる。意味合いとしては○○なくしては戦術が組み立てられない程、絶対的な存在だという事だ。
 パルマの中田は、チームの核・司令塔として迎えられた。しかしこれまでのところパルマを「中田のチーム」にし切れていない。ファンの不満も徐々に高まっていると聞く。一方小野は、短期間で周囲の選手と調和し、再三の好アシストなどで信頼を勝ち得た。主力の故障が相次ぐ中で必然的に彼に掛かる期待も増大し、今や「小野のチーム」に変貌しつつある。
 野球でも「○○のチーム」を痛感させられた。日本シリーズのヤクルト、○○は言うまでもなく古田である。ヒザに爆弾を抱えながらマスクをかぶり、巧みなリードで近鉄いてまえ打線を封じ込める。打てば激走、果てはヘッドスライディングでチームを盛り上げる。彼の発するオーラ、そして凄み…その存在感はまさに「古田のチーム」と呼ぶにふさわしい。
 崖っぷちの近鉄、チームを引っ張るキャプテン中村は、これに対抗するオーラを今夜発する事ができるだろうか。意地を見たい。


普段着(10/25)

 19日のこの項で、日本シリーズのキーマンとしてヤクルト・宮本を挙げた。小技と守備力が短期決戦ではウエイトを増すという根拠だったが、今夜も彼は送りバントを決め、5試合連続成功となった。守備でも昨日の初回にサインプレーで2塁ランナーを刺し、近鉄の勢いをそいだ。
 リーグ・プレイオフに敗れたイチローが、ヤンキースに勝つための条件を問われて答えた。「チームとして普通にプレーできること。もしくは、ものすごく特別な事ができること」。
 禅問答のようだが、今シリーズのヤクルトに当てはめれば、バントや堅い守備は「普段着」の野球の延長であり、これを着実にできる点で条件を満たしている。昨日は副島の一発という「特別な事」も起きた。モメンタム(流れ)は完全にヤクルト。これを引き戻すのは、言うまでもなく近鉄の普段着である「いてまえ打線」、とりわけ中村・ローズの爆発しかない。



2001年10月24日(水) 新庄’s ドリーム

 去年の秋、新庄剛志は悩んでいた。FA権を得た彼は数球団と交渉に臨んだ。阪神は彼を引き留めるために総額10億円とも言われる複数年契約を提示。しかし彼はその条件に背を向け、年俸わずか20万ドル(約2400万円)のメッツを選んだ。
 誰もがあっと驚き、ある者は嘲笑した。「通用するわけがない」…と。そんな評価に対して彼は「プレーで証明する」と敢然と言い放ち、見事この賭けに勝った。
ある意味、彼はイチロー以上に「夢」を掴んだのかも知れない。7年連続首位打者で、パ・リーグ球団に居ながらステータスを勝ち得ていたイチローに対し、新庄は所詮、関西のローカルヒーローに過ぎなかった。それが、渡米して言動がにわかに注目を集めると、いつの間にか日本中から愛される存在になっていた。更に時には4番も任されたクラッチヒッター(チャンスに強い打者)には来季、出来高込みの135万ドルの契約が用意されているという。
 彼の成功は他の日本人選手のメジャー挑戦の呼び水になるだろうか。私はむしろ「新庄より成績が下だったらどうしよう」と尻込みする選手がいるのではないかと思う。それ位今年の彼は眩しく輝いていた。


あえて言おう。負けてよかったと(10/24)

 マリナーズが敗れ、イチロー・佐々木のシーズンは終わった。でも私は悔しい反面、どこか「これでよかった」という気もしている。イチローは今年、「そこそこやるだろう」という好意的な予想さえはるかに凌駕する活躍を見せ、数々の記録と2つのビッグタイトルを手にした。さらにMVPという声もある中ワールドシリーズにまで出てしまったら、来季は一体何を楽しみにしたらいいのだろう。そう考えると、今年はここまででいいと思えるのだ。それに悲惨なテロに打ちひしがれるNYの人々にとっても…。
 今シーズン最後の1球がサヨナラ被弾という結果に終わった佐々木は言う。「日本に帰って、悔しさが残っているうちに体を動かします」と。イチローも同じだろう。あっさり1年目で全てを成し遂げてしまうサクセスストーリーより、雪辱に燃える物語の方が日本人的ではないか。



2001年10月23日(火) 攻めの守り

 マリナーズが負けた。10月のヤンキースはやはり強かった。
 明暗を分けたのは昨日の試合。佐々木のまさかのサヨナラ被弾。だがこの結果は佐々木だけのせいではなく、ピネラ監督の「攻め」の意識の欠如がもたらしたと言えなくもない。
 佐々木は気持ちで投げる男だ。以前NHKで、横浜時代の佐々木のブルペンでの様子を追った番組を見たが、緊迫した試合展開の時は張り詰めたテンションでマウンドに向かう反面、大差のゲームやリードされている場面では、気乗りしないタイプのようでもあった。
 昨日のゲーム、ブーンのホームランで先取点をもぎ取った時点で佐々木のテンションは最高潮に達したはずだ。勝負に「もし」はないが、直後の8回から佐々木を投入していたら、このゲームは取れたのではないか。1点を守り切る強い意志を指揮官が見せ、チームに喝を入れる為にも、「攻め」の継投という選択肢があったのではないか。
 近鉄が優勝を決めた試合、梨田監督は3点ビハインドであえて守護神・大塚を起用し、運をたぐり寄せた。勝機をつかむには、普段通りやろうという「守り」の気持ちだけでは不十分だと私は思う。


呪縛(10/23)

 マリナーズは2年連続でヤンキースに敗れ、ワールドシリーズ進出を逃した。プレイオフに入ってからのマリナーズは普段の「輝き」の様なものが感じられなかった。プレイを楽しむ表情が消え、修行僧のような顔つきでゲームに臨んでいた。選手たちにすれば、去年の意趣返しの思いがあったろうが、それが呪縛となって却って硬さを生んでしまったようだ。
 また、今回は良くも悪くもイチローのシリーズだったように思う。イチローが出塁し足でかき回す本来の攻めが出来れば圧勝するが、逆だと苦戦する。先のシリーズでも初戦でイチローが盗塁死してリズムが狂いかけた。
 勝負では「パターンの崩壊」は往々にして敗戦への序章となる。ボクシングでも執拗なジャブやボディーブローで相手を崩すが、これで一旦リズムを失うと立て直すのは難しい。イチロー封じに徹したヤンキースは、こうした勘所をよく心得ていたと言えよう。



2001年10月22日(月) ノーヒットでの投手交代

 ア・リーグ・プレイオフ第4戦はヤンキースが接戦を制した。
 このゲーム、5回までマ軍・アボットは被安打0、ヤ軍・クレメンスは1という息詰まる投手戦。しかし6回から両軍ともリリーフを送った。クレメンスは右脚裏痛をおしての登板なので予定通りの交代だろうが、アボットは「投球数」を考慮したと思われる。
 アボットの投球数は5回までで97球。100球メドのメジャーでは交代機だ。しかし被安打0は日本なら続投のケース。ここに日米の投手起用の「思想」の違いを見る。
 投球数を堅持するメジャー式の分業制に対し、日本では調子次第では130球を超えても続投させたりする。しかし、分業本来の趣旨はシーズン総体で1つでも多く勝つ事で、目先の1勝の為に先発を酷使しては意味がない。ポストシーズンも同様だ。
 酷使でローテーション投手が壊れ、代わりの投手で穴埋めすれば「谷間」を増やすのと同じ事。かえって勝ち星は減る。ならば予め先発が負うべき負担をリリーフ陣に分散させた方が合理的だ。逆に言えば、ノーヒットで先発を代えても抑え切れるスタッフを揃えられるかどうかも、監督の手腕のうちなのだ。


石井がもしノーヒットを続けていたら(10/22)

 きょうのコラムは、日本シリーズ第1戦のヤクルト・石井のケースと比較して考えてみて欲しい。石井は7回1死までノーヒットピッチング。北川の右前打で夢は潰えたが、もしノーヒットが続いていたら恐らく交代はなかっただろう。なぜなら、記録が途絶えた後の8回でさえ石井はマウンドに上がり、結果として143球も投げることになったからだ。
 メジャー式に今後の試合に影響を及ぼさない事を中心に考えるなら、4点差になった6回裏(この時点で球数はかなり多かった)か、最低でもヒットを打たれた後の8回は継投がセオリーだろう。日本シリーズの緊張感を中継ぎ陣に一度経験させておく意味でも、その方が合理的だと私は思う。
 「いてまえ打線」を初戦で完全沈黙させて勢いをそぐ意図も理解できなくはないが、反面、この投球数が石井の次の登板に影響しなければいいがとも思う。



2001年10月19日(金) 飛ばないボールの影響はあるか

 間が空きすぎてやや白け気味だが、間もなく日本シリーズが始まる。以前書いた様に投打のバランスが取れた「優等生」ヤクルトと、圧倒的な打力で相手をねじ伏せる「やんちゃ坊主」近鉄という、全く対照的なチームの対決はなかなか興味深い。
 見所は、常識的にはヤクルト投手陣対近鉄打線ということになろう。だがその反面、リーグ最低の防御率だった近鉄投手陣が、ヤクルト打線をどの程度抑えられるかも重要なカギになる。
 気になることがある。両リーグの使用球の違いだ。今年のパ・リーグは近鉄・ダイエーの2チームが200本塁打を放ち、「ボールが飛びすぎるのでは」といった疑問の声も上がっていた。実際、日本シリーズに向けてセの使用球で練習している近鉄ナインから「ボールが重い」「飛ばない」といった声も出ているという。
 となると、セのボールを使う神宮では打力の近鉄は不利か…いやいや「飛ばないボール」なら近鉄投手陣もシーズン中ほどには打たれまい…待てよ、神宮は大阪ドームよりかなり狭いからそれでも柵越えの可能性はあるぞ…。
 ともあれ、ボールの違いが生み出す勝負のアヤにも注目したい。


職人の技が短期決戦のカギに?(10/19)

 日本シリーズ絡みの話をもう一つ。
 私は今シリーズのキーマンはヤクルトのショート・宮本だと密かに思っている。宮本はレギュラー・シーズンで67犠打を達成し巨人・川相の日本記録を塗り替えた。守備に関しても、リーグ内ではもちろん、日本一と推す人も少なくない。目立たないがチームにとってなくてはならない仕事をきっちりこなす、玄人好みの「職人」である。
 短期決戦では、派手な一発で勝負が決まる事もある。逆に、「振り返ってみるとあの場面でのあのバントが大きかったよな」というようなことも少なくない。あるいは、「あの打球が抜けてたらわかんなかったのに」なんてことも…。
 だからこそ私は、どんなシチュエーションで宮本に打順が回るか、近鉄強力打線の繰り出す打球を名手・宮本がどうさばくかにも注目したいのである。



2001年10月18日(木) 誰が彼をシャブ漬けにしたか

 JRA調教師の田原成貴容疑者が、8日に覚せい剤取締法違反と銃刀法違反で現行犯逮捕された。覚せい剤の水溶液や注射器、それに刃渡り19センチのナイフを所持していたという。
 田原調教師は通算1112勝、G1だけで15勝の元名ジョッキー。端正なルックスから「ターフの玉三郎」などと呼ばれるスターだった。
 だが、引退後調教師になった彼の挙動はこのところ不審で、関係者の間ではクスリの噂もあったらしい。しかし人権問題などで検査に踏み切れなかったのだという。
 だが、私が気にしているのは彼自身の転落の物語ではない。一番の問題は「誰が彼をシャブ漬けにしたのか」である。つまり、クスリの見返りに有益な情報を得たり、レースへの細工を依頼したりしていた人物の存在を否定できないのだ。
 田原容疑者は今年7月、オーナーや厩務員にも内緒で管理馬の耳に発信機を装着していたのが見つかり、50万円の過怠金が科せられている。もしこれが前述の「細工」のテストだったとしたら辻褄が合う。
 彼は覚せい剤については現在も否認しているそうだが、今後の捜査の行方次第では、公営賭博の根幹に関わる問題にも発展しかねない。



2001年10月17日(水) 「退部届」の是非

 11月6日から台湾で野球のワールドカップ(W杯)が開かれる。高校生として唯一代表メンバーに選ばれた日南学園の寺原隼人投手は、プロ選手とチームメイトになるにあたり、高野連から「特別に」退部届を出さなくてもプロと話ができるお許しを頂いたそうだ。
 高校の野球部に所属し高野連の支配下にある選手たちは、プロ関係者との会話を禁じられている。たとえ親子であってもである。その主旨は、平たく言えばウブな高校生が狡猾なプロ関係者に騙されないようガードすることにある。
 夏の大会が終わり高野連主催の大会がなくなると、プロ志望の選手たちは卒業後の進路選びのため、プロとも自由に話ができるよう退部届を出して高野連の支配を離れる。しかしそれは、以後好きな野球が実際上できなくなる事でもある。
 私は寺原に限らず全ての高校生が、夏以降はプロと接触できるように改めてはどうかと思う。卒業後も野球を続ける選手であればなおさら、ブランクを作って体をなまらせるのは良くない。希望すれば練習や後輩達の手伝いができるようにすべきだ。何より、「3年間」部活を全うさせる方が、よほど「教育的」だと思う。


高校生は高校生(10/17)

 今日のコラムは、高野連への意見であると同時に、打算的な大人たちへの批判も込めたつもりです。
 例えば、甘い条件で誘われて「野球留学」し、学校の広告塔になっている選手たち。彼らは、故障すればお払い箱という現実があります。このようにプロとの接触よりもよっぽど打算的で非教育的な現実がゴマンとあります。
 要は、プロ・アマに関わらず、子供たちが甘い言葉や法外な条件に踊らされないよう、周囲の大人が「責任を持って」ガードしてやること。これは理念の問題であって、退部届を出したから高野連や学校の責任の範疇ではないという規定の問題とは次元の違う話なのです。高野連の傘の下を離れても、彼らは相変わらず高校生なのです。
 そもそも、打算ずくの大人たちがいるせいでこうした規定が作られ、子供たちが、最高の技術集団であるプロの指導を直接受けられない状況にあることの方が悲劇的だと私は思うのですが・・・。



2001年10月16日(火) ジャーニーマンの大記録への期待

 ボストン・レッドソックスの野茂英雄投手が、アメリカン・リーグ最多奪三振のタイトルを獲った。40傑の中でイニング数(野茂=198)より奪三振数(同220)が多いのは、ア・リーグでは野茂と9位のペドロ・マルチネスだけ、ナ・リーグでもトップのランディ・ジョンソンら3人だけである。野茂の同タイトル獲得は6年ぶり2度目。両リーグでの獲得は史上5人目になる。
 野茂は肘の故障などにも悩まされ、ここ数年必ずしも満足のいく成績ではなかったが、今シーズン最初の登板でノーヒットノーランを達成して健在ぶりをアピールした。トレードで5球団を渡り歩き、「ジャーニー・マン(日本風には渡り鳥)」とも呼ばれるが、おかげで古巣ドジャース以外の全球団から勝ち星を挙げるというおまけがついた。
 ところで、メジャー在籍丸6年になった野茂はFA資格を得る。本人は「必要としてくれるところでやりたい」と話していて、ドジャースと同じナ・リーグ球団への移籍も考えられる。こうなったらドジャースからも勝ち星を挙げて大記録達成をして欲しい。あくまで野次馬としては…だが。


「法治世界」の実現は不可能か(10/16)

 昨日の書き込みについて、「一理あるが、もし日本がテロの被害を受けても『平和主義』で解決するのだろうか」というご意見を頂きました。
 確かに難しい問題です。勿論、日本とて攻撃を受ければ「正当防衛」の権利はあります。しかし、十分に説得を尽くさず、自分からある国に乗り込んで爆弾を落とすやり方が「正当防衛」であるとは、どうしても思えません。当事国ではあっても、違う選択がある気がします。
 私は、「法治国家」ならぬ「法治世界」の実現を思い描いています。「今なら」日本はその旗振り役になる資格を持っています。今回で言えば、首謀者を外交的手段(武力以外)によって公の場に引きずり出してオウムの麻原のように裁きを受けさせ、同時に彼に同調する人たちが持つ不満に真剣に耳を傾けて問題の「根を絶つ」事。たとえ当事者となっても、私怨に基づく武力行使ではなくネゴシエーションで解決する姿勢を示せば、世界は必ず風をくれると私は信じたいのです。甘いでしょうか・・・。



2001年10月15日(月) 「新カントク」の楽しみ方

 日本シリーズまでの間延びしたインターバルを縫って、各球団の新体制が発表されている。新監督も、セ=中日・巨人、パ=オリックス・西武の4球団で誕生した。
 顔ぶれを見て、一番監督らしいのは中日の山田新監督。寡黙な中に強い意志や冷静な判断力、粘り強さなどを内包していそうだ。現役時代は日本シリーズでON巨人と名勝負を演じただけに、星野監督同様・対抗心むき出しで頑張って欲しい。
 原・石毛は、ドラフト同期生。入団以来何かにつけて比較された2人の、監督としての手腕やいかに。因みに引退後の2人は、原はNHK解説者&巨人ヘッドコーチ、石毛はドジャース・コーチ留学&ダイエー2軍監督の経験がある。個人的には原の解説は高校野球的=キレイ事や精神論が多過ぎて好きになれなかった。対して、石毛のBSでのメジャーリーグ解説は、ゲームの機微や日米の比較文化論的視点などを的確に織り交ぜ、キレ味では一枚上手である。
 伊原監督は伊東政権へのつなぎ…というより「摂政」の役割を負わされた感が強い。ただこういう地味な人が、古葉・上田両氏のような名監督に化ける可能性も十分あるので要チェックである。


日本の「売り」は何か(10/15)

 日本の総理大臣はじめ政治家の皆さんは、自衛隊を何が何でも海外派遣して、アメリカのご機嫌を取りたいらしい。小泉総理は「主体的に」を連発するが、本当に日本の主体的な立場や行動をアピールしたいのなら、日本が世界に誇る「売り」の部分をもっと利用した方がいい。それすなわち「平和主義」である。
 世界の教科書に「平和主義」が取り上げられることはあっても、自衛隊派遣については1行も触れられまい。こういう時こそ「平和主義」という特徴ある商品を、国際社会に売り込んだ方が日本の印象は強くなり、長い目で見て国益に叶うのではないか。例えば、イスラム社会との調停役やアメリカの暴走を諌める役回りを演じた方が、両陣営からも、そしてアジア諸国からも一目置かれる存在になれるのではなかろうか。
 先進諸国において、先の大戦後、武力紛争で人を殺していない稀有な国という立場をもっと有効活用する道はあると思う。



2001年10月12日(金) ポスト・イチローの「格」

 パ・リーグの終盤、福浦(ロッテ)と小笠原(日ハム)の首位打者争いは見ごたえがあった。特に最後の直接対決で福浦が4打数2安打して、ライバルに引導を渡したのが印象に残った。中村紀に次ぐ出塁率.424も立派である。
しかし、私はむしろ2位の小笠原を讃えたい。今季最多の195安打は文句なし。108得点はリーグ3位タイだが、1・2位が首位近鉄のローズと中村であることを考えると、最下位チームでのこの数字は三重丸だ。そして何より強調したいのは、全140試合に出場しての打率2位という点である。ホームラン数と違い、打率は常に下降する可能性を伴う。シーズンを通してスランプを作らず、高打率を残すのは実はスゴいことなのだ。
 「ポスト・イチロー」争いの意味合いもあった今年の首位打者。そこにはそれ相応の「格」も要求されたはずだ。残念ながら20試合…特にタイトル争い佳境の最終盤に何試合か欠場した福浦より、小笠原の方に私は「格」を感じる。
 小笠原はゲームに出続けることで、「リーグの顔」としての責任を全うした。福浦には来季、連続タイトルとともに、この「格」への挑戦を望みたい。


千葉マリンスタジアムの魅力(10/12)

 9月29日、私は千葉マリンスタジアムに行った。ローズのホームラン記録が掛かっていた試合である。しかし、私はそれよりも、初めて行ったこの球場のライトスタンドに興味を持った。
 なんとスタンドを埋めた観衆の8割…下手をすれば9割ほどがロッテのユニフォームを着用しているのである。これにまず驚いた。つまりは、リピーターがたくさんいるということだろう。応援スタイルも鳴り物を極力控え、メガホンではなく手拍子と声を合わせてのもので、清々しい印象だった。阪神ファンで、しかも去年の夏まで地方勤務だった私は、この球場に直接足を運ぶまで恥ずかしながらこうした事を知らなかった。
 「フランチャイズ」という言葉は日本球界にはあまりなじまないと思っていたが、それ以後は「そうとばかりも言えないな」と認識を新たにした。「また行きたい」と思えるボールパークである。



2001年10月11日(木) 「鎖国」より育成を

 阪神・川尻投手が希望していたポスティングシステム(入札制度)による米大リーグ入りを、球団側が拒否した。
 球団は理由の一つとして「優秀な人材の米国流出は、日本球界にとっていいことではない」ことを挙げたという。私は、選手の流出にただ戦々恐々とし、制度で強引に縛り付けるだけの「鎖国的発想」から脱却しない限り、球界の未来はないと思う。
 プロ野球界はこれまで、アマチュア球界が育てた選手を吸い上げる「搾取者」の立場にあった。しかし今、逆に自分たちが選手を持っていかれる側に陥ってオロオロとうろたえている。
 片やサッカー界では、プロ野球より活発に海外移籍が行なわれているが、国内リーグの空洞化論が出ることは殆どない。それは、Jリーグ球団は地域に自前のグラウンドを整え、ユースチームなどを作って次代の選手をきちんと育てているからだ。野球界が会社の宣伝に血道をあげ、「育成」に全く興味を示さなかったのとは対照的である。
 子供たちがキャッチボールをする場所すらなくなりつつある一方、芝生のサッカー場は着実に増えている。10年後、日本のスポーツ勢力図はどうなっているだろう。


テロ実行犯の顔写真に思う(10/11)

 少し前、新聞紙上に例のテロ事件の実行犯の顔写真が、一斉に掲載された。中には若者と思しきカオもあって、私は何とも言えない切ない気持ちになった。
 彼らは一体どんな思いでこのテロ行為に加わったのだろう。飛行機でビルに突っ込めと言われた時、どんな思いでそれを受け入れたのだろう。彼らだって、本当は死にたくなかったのではないか。そう思うと次第に彼らの顔が、日本の特攻隊員たちの顔とダブってきた。体制に翻弄される一兵士の悲哀を思わずにいられない。
 もちろん、今回のようなテロ行為は断じて許されるものではない。しかし、本当に憎むべきは、彼らを意のままにコントロールし、その命を虫けらのように扱う一部の指導者なのである。
 今、わが身だけは安全なところに置き、派兵を決めている先進諸国の指導者たちも、日本の政府もまた、同じ思考回路の延長上にあると私は思う。



2001年10月10日(水) イチローが残した記録と記憶

 スポーツ選手には「記録に残る」プレイヤーと「記憶に残る」プレイヤーの2種類があると言われる。メジャー初年度で首位打者と盗塁王の2冠に輝いたイチローは、記録にはもちろん残るが、同時に野球ファンの記憶からも消え去ることはないだろう。
 彼は、野球という競技が本来持っている面白さのエッセンスを具現化して見せた。それは、丸い断面の木の棒で球体を弾き返すという不確実性への挑戦であったり、ボールと人間との競争を演出するフィールドの微妙な距離のバランスであったりした。そのプレーの根底にあるのは、足の速さや肩の強さという「スピード感を生み出すための要素」であって、決してボールを遠くに飛ばすような「肉体的パワー」ではなかった。
つまり、これまで日米の野球の違いとして強調されてきたスピードとパワーのうち、後者は必ずしも野球というゲームに不可欠な存在ではなかったことを知らしめてくれたのだ。ここ数年繰り広げられてきた「ホームラン記録争い」を向こうに回し、球界にルネッサンスの風を吹き込んだイチローは、記録の数字以上に強烈な記憶として野球ファンの脳裏に刻まれたに違いない。


期待できる 高い修正能力(10/10)

 サッカー日本代表が、欧州遠征の第2戦を行い、ナイジェリアと2−2で引き分けた。この試合で私が注目したのは、前回の戦いの反省点をどれだけ修正できるかということだったが、とりあえずフィジカル面で押し潰されることはなかった。
 一番変わったのはディフェンス面だろう。森岡に代えて起用した宮本がうまくラインを統率して、失点を防いだ。中盤の稲本もしっかり粘り、伊東もスピードの強弱をつけた動きで相手を翻弄して柳沢と鈴木の得点を演出した。右サイドからの組み立てに課題は残ったが、広山の動き自体は悪くなかった。
 この欧州遠征は、司令塔を欠き2列目の森島も不在という中で苦戦を強いられたが、課題を素早く修正できたことが一番の収穫だったと思う。1敗1分という結果以上に、2002年に向けたいいデータが蓄積できたのではないだろうか。



2001年10月09日(火) 扇の要

 セ・リーグの優勝がようやく決まった。終わってみれば投打がかみ合ったヤクルトの順当な優勝だったが、終盤もたついてファンをやきもきさせた。
 もたつきの原因は、優勝のプレッシャーももちろんあるだろうが、古田の戦線離脱がやはり大きかったと思われる。古田は投手陣からの信頼が絶大である。古田の言うとおり投げていれば打たれないという確信が投手の球に力を与える。打線も、中核に古田がいるのといないのとでは、相手投手に与えるプレッシャーが全く違う。たとえ打てなくてもそこにいるだけで「重し」のようにチームに安心感を与える存在なのだ。
 普段の古田は理詰めの攻めを得意とするいわばボクサータイプのキャッチャーである。対照的に、闘志を前面に打ち出すファイタータイプの代表格はホークスの城島だろう。しかし、終盤ケガをおして強行出場し続けた古田は、間違いなく闘志でチームを引っ張っていた。泣き言一つ言わずに平静を装う姿は、チームの結束力を何倍にも高めたことだろう。
 「扇の要」では、一本の芯がたくさんの竹を貫いて束ねている。ナインの心を束ねる古田という芯なくして、扇が風を起こすことはできなかったに違いない。

(パート2は本業多忙につき更新できず。あしからずご了承を…)



2001年10月05日(金) ハングリーになれる才能

 日米ともに、プロ野球のレギュラーシーズンが終わりに近づいている。今シーズン最大のトピックは何といってもイチローの活躍だろう。現在打率首位。盗塁も今日で55となり、トップのセデーニョ(タイガース)に並んだ。2つのタイトルのみならず、MVPまで獲得しそうな勢いだ。
 イチローは、ハングリー精神の塊である。収入の話ではない。野球に対してどこまでも貪欲という意味だ。メジャー初シーズンで故障もせずに活躍できるのは、スポーツクラブ並みのトレーニング機器を買い込み、理にかなったトレーニングを欠かさないからである。技術面でも、オリックス時代の終盤にメジャーを想定したシミュレーションをゲームの中で行ない、渡米してからもフォームの「仕様」を変えて適応してみせた。そこには「うまくなる」ことへの渇望感が感じられる。つまり、気持ちは常に「ハングリー」なのである。
 サッカーの中田は言う。「マラドーナが左だけでなく右でも同じように蹴れたらとてつもない選手になったはず。技術の探求には終わりはない」と。天才と呼ばれる2人の最大の才能は、ハングリーになれる才能のことなのだ。


急がれるフィジカル対策(10/5)

 きのうトルシエを支持する内容のコラムを書いたが、その夜のゲームは見事な負けっぷりになってしまった。まずボールの支配率がいつもと全然違う。当然、シュートも望めない(なんと前半ゼロ!)。
 要因はただ一つ、フィジカル面で優るチームへの対応が遅れていることに尽きる。中盤で当たり負けしてボールをキープされると、DFはズルズルと引かざるを得なくなる。コンパクトなサッカーができない分、左右の上がりも制限され、攻撃のオプションも乏しくなる。
 それでも、中田や名波などフィジカルの強い選手や小野のように卓越したテクニックを持つ司令塔がいれば局面打開も可能だが、昨日はその誰もいない非常事態。しかしW杯本番で彼らが削られてケガをすることは十分ある。図らずもレギュラー陣が壊れた時のスペアに不安があることを露呈し、「噛ませ犬」に噛み殺されたこのゲームを教訓に、対策を練り直す必要がある。



2001年10月04日(木) トルシエの力、私は信じる

 「2002年W杯はトルシエ監督でいいのか」…と、幾度も論争が繰り広げられてきた。結論から言えば、私はトルシエを支持する。
 トルシエが直接指揮していない若い世代の代表と比較してみる。U20は6月の「世界ユース選手権」(アルゼンチン)で、オーストラリアとアンゴラにそれぞれ0-2,1-2で敗れた。U17も9月の「U-17世界選手権」(トリニダード・トバゴ)でナイジェリアに0-4,フランスに1-5と大敗した。2大会に共通するのは、不用意な失点が多く決定力に乏しい事。つまり何年か前の日本代表の姿のままという事だ。
 とすると、日本の実力はFIFAランキングの上昇ほどには上がっていないのかも知れない。それを世界で十分戦えるチームに仕上げてきたのは他ならぬトルシエである。批判も多かったフラット3など「組織力」をことさらに強調した戦術をおし進め、足りない能力=特にフィジカルの差を補うチーム作りに活路を見出す選択は、正しかったと私は思う。
 日本時間5日午前1時、欧州遠征中の日本代表はセネガルと対戦する。W杯に向け、熟成段階に入った「チーム・トルシエ」の戦いに注目したい。


猛虎の意地(10/4)

 今、テレビでヤクルト-阪神戦を見ていた。ヤクルトが勝てば優勝が決まるというシチュエーションの中、対する阪神は甲子園で2-1、神宮で4-0と目前での胴上げを連続で阻止していて、今日も4-4で延長戦をしのぎ切った。
 1日の甲子園での和田の引退試合も、最近ついぞ見ることのなかった気迫あふれる「伝統の一戦」だった。万年最下位のチームが見せるこのところの「意地」に、来季へのほのかな期待を抱かずにいられない。
 先日、理想のチーム作りができる監督をF1ドライバーになぞらえたコラムを書いたが、今の阪神に最も欠けているのは高出力のエンジン=長打力だ。シャシー=投手力・守備力はそこそこ安定している、足回り=機動力もよくなってきた。欠けた部分をこのオフ補強し、戦闘力のあるマシンに仕上げてくれさえすれば・・・よそう、鬼が笑う・・・。

500hit=kohchinさんでした。ありがとうございます。(キューブくんのページのカウントです。)



2001年10月03日(水) 世界新の陰に小出監督のしたたかさあり

 高橋尚子の世界新記録が生まれた30日のベルリン・マラソンは、これまであまり目にしたことのないレースだった。大統領のジョギングに伴走するSPのように、5人の男子ランナーが高橋を取り囲んで一緒に走っていたのだ。
 男たちは「ガードランナー」という。男女同時スタートのレースで小柄な女性選手が押されて転倒しないよう、守るのが彼らの仕事だ。またレース中はペースメーカーや選手の風除けとしても機能する。記録狙いのレースでは今や常識的な戦術である。
 ベルリンは、高橋にとって「プロ」としての最初のマラソンだった。プロランナーは出走すればいくら、新記録はいくらと細かい契約を結んでレースに臨む。記録更新の成否は、このレースの賞金額のみならず、選手の商品価値=今後の単価も大きく左右する。その大事なレースを選ぶ際に小出監督が重視したのは、ベルリンの平坦なコースや冷涼な気候よりもむしろ、ガードランナーを付けられる点だったと私は思う。
 小出監督が見せる「ただの酔っ払い」の表情は、相手を油断させる刑事コロンボのヨレヨレのコートみたいなもの。その裏には、実にしたたかな計算がある。


まだまだ書き足りない・・・(10/3)

 近鉄・ローズへのダイエーの四球攻めについて、2日間書いてきたが今日も書く。(心底、怒ってるんです!)
 コミッショナーに続いて、パ・リーグ会長もダイエー球団に厳重注意をした事で、機構側からのリアクションは打ち止めだろう。だが、私にはもう一つ望みたいことがある。それは、ダイエー応援団による首脳陣の糾弾である。彼らはファンの代表として「頼むからみっともない真似はしてくれるな」と言うべきだ。監督・コーチの恥は自らの恥と受け止め、明確な謝罪や、場合によっては辞任を迫るぐらいの気概を見せて欲しい。彼らの声は球団も決して無視できまい。
 もう一つ、読売新聞がこの問題について一貫してベタ記事扱いしかしていないのが気に入らない。王監督時代、バースに同じ事をやった負い目もあるのだろうが、自称「球界の盟主」の親会社として、こうした問題にはきちんと見解を示すべきではないだろうか。



2001年10月02日(火) 最後のひと葉

 昨夜、引退試合を迎えた阪神・和田。堅実なセカンドの守備も、巧みな流し打ちも、もうこれで見られなくなってしまうのかと思うと寂しい思いで一杯だ。
 和田は、チームという「空間」を安定させる存在だった。経験の乏しい選手ばかりの小粒なチームでも、和田がいるだけで締まった印象になった。相手にとって最も嫌がられたのは、長打力のある外国人よりも、「うるさい」和田だったろう。
 和田が入団した1985年、阪神は17年ぶりの優勝を果たした。その喜びを、大学生だった私も神宮球場のスタンドで共有した。しかし以後は低迷が続き、その間に優勝を知る選手が和田一人になっても、チームが再び美酒に酔う事はなかった。引退セレモニーで和田が流した涙にこめられた一抹の悔しさは、私自身の思いでもある。
 長く厳しい冬。今、最後のひと葉が静かに散った。しかし、落ち葉は土に返り、やがて芽吹く若葉の糧となる。これから指導者となる和田もいつの日か、若い木を葉の生い茂る立派な大樹に育て上げてくれる・・・そして、再び暖かな春の日差しを体一杯に浴びる日がきっと来る・・・私はそう信じている。


さよならダイエー(10/2)

 近鉄・ローズに対する醜い四球攻めから一夜。川島広守コミッショナーは「フェアプレーを至上の価値とする野球の本質から外れている。」と、不快感をあらわにした。当然である。
 昨日も書いたが、本当にそう思うなら関係者を厳罰に処すべきだ。特に王は再犯である。「選手に任せている。個人的には彼に頑張って欲しい」などという言い逃れは、罪を秘書に押し付ける政治家同様、実に見苦しい。
 また、若菜バッテリーコーチは「王・長島は野球の象徴だから記録は残したい。彼ら(外国人)はいずれ国に帰るんだから」と人種差別的な発言までする始末。「うちから打とうというのが間違い」とも・・・。それが彼らの品性なら言うべき言葉はないが、ただ一つ確かなのは、私が王ダイエーを応援する事は二度とないということだ。
 素晴らしいものになる「はずだった」今年のペナントレースに、大きな汚点を残した彼らを、私は決して許さない。



2001年10月01日(月) 「八百長」に厳罰を

 2001年9月30日。この日は、日本プロ野球の命日として歴史に刻まれるかも知れない。
 福岡で行われたダイエーVS近鉄戦で、年間ホームラン日本記録のかかったローズが、現記録保持者・王貞治率いるダイエー投手陣から四球攻めにあったのだ。かつてセ・リーグでバース相手に行なわれた「記録つぶし」の悪夢がまた繰り返された。
 前日の29日、私は千葉マリンでのロッテ戦を観戦したが、ローズに対しては両チームの応援席から分け隔てなく拍手が送られ、球場全体が記録への期待に満ち溢れていた。観客は記録に向けた勝負に金を払ったと言ってもいい。「お客さんに失礼や。ああいう事するから日本の野球はだめなんや」という四球攻めに対する中村紀の言葉は正論だ。
 今回の行為は「八百長」的暴挙である。プロ野球協約の趣旨に反するし、ファンへの裏切り行為でもある。これに対して観客は料金の払い戻しを求めて当然だし、リーグ会長やコミッショナーは、八百長に関わった者全てに対し数シーズンの資格停止など、厳しい処分を課すべきだ。でないと、近鉄の劇的な優勝で息を吹き返しかけたプロ野球が、本当に死んでしまう。


記録の値打ち(10/1)

 大リーグではB・ボンズがマグワイヤの年間70本塁打の記録を更新しそうだ。片や日本では、暴挙によって記録更新の芽が摘まれようとしている。日本選手のメジャー移籍でプロ野球の「空洞化」が危惧されているが、これではメジャーに憧れる選手が増えるのも止むをえまい。そもそもファンを無視しておいて、「プロ」を名乗るのさえおこがましい。
 王の記録はもはや、倒産した一流企業の株券同様、紙切れほどの値打ちもない。汚い手を使って記録を潰すのは、名誉を守る事ではなく汚す事だ。サラリーマン社会さながらの「上司へのゴマスリ」野球など、わざわざ金を払って見る価値もない。
 近鉄のアドバイザーのラソーダ氏は「子供を大事にしなさい」と言う。子供たちが大人になった時、またその子供たちを連れて来てくれるから、と。でも、見苦しい四球攻めを見たスタンドの子供たちの何人が、「また来よう」と思うだろうか。


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