500文字のスポーツコラム(平日更新)
密かにスポーツライターを目指す「でんちゅ」の500字コラムです。

2001年09月28日(金) 理想のプロ野球監督像=シューマッハー

 私の考える最高のプロ野球監督像はF1ドライバーのミハエル・シューマッハーである。
 F1ドライバーの条件は、爆発的な速さだけではない。スムーズなギアチェンジやハンドリングによりマシンを壊さずに完走する能力や、レース展開を読み、勝負どころで仕掛けるしたたかさも必要だ。さらに、シャシーやタイヤ・エンジンなど複雑な要素が絡み合うマシンのどこがライバルより劣っているか的確に見極めたり、走行時の車の挙動から読み取れる改良点などをチームスタッフに伝えたりして戦闘力のあるマシンに仕上げていく「開発能力」も不可欠だ。シューマッハーは、そのいずれもが卓越している。
 今季限りでユニフォームを脱ぐ2人の監督はどうか。星野仙一はパーツが揃えば爆発的な速さを見せる反面、車にムリをかけて壊してしまう事も多かった。長島茂雄はパワー満点のエンジン(打力)を供給してもらいながら、貧弱なシャシー(投手力)とのバランスを調整しきれず、トップでチェッカーを受ける事ができそうにない。
 さて、来季両チームのシートに座るドライバーは果たしてシューマッハーになれるだろうか・・・


外から見た日本は・・・(9/28)

 テロ関連の報道を見ながら、ふと考えた事があります。あの旅客機の突入をアメリカの新聞は「真珠湾以来」と書きました。と、すると、あの当時の日本は、今のテロリストたちのようにエキセントリックな存在として世界の目には映っていたのでしょうか。
 大日本帝国はいわゆる「ならず者国家」で、国民は洗脳されたテロリスト集団。天皇はラディン氏や麻原のような存在で、靖国神社はオウムのサティアンのようなものだったのか…。
 だとすれば、未だに靖国参拝にこだわる人たちは、半世紀を過ぎても洗脳が解けない在家信者みたいなもので、そういう人たちが国の中枢にいる今の日本は、改心し切れない「ならず者」に見えたりするのか…。
 うーん、アジアの人たちが靖国参拝に過敏に反応するのは、意外とこういう気持ちからなのかも知れない…なんて、違うかなぁ。



2001年09月27日(木) セの野球VSパの野球

 パ・リーグはきのう近鉄が劇的な優勝を遂げたが、その勝因は1試合平均5点近く取られながらも、5.5点取り返す打線の爆発力にあった。それにしても、今年ほどパのパワー野球が際立った年はないのではないか。
 昨日までのチーム打撃成績を見ると、ホームランでは近鉄の203本を筆頭にパの6球団全てが120本を超えているのに対し、セは3桁にも届かないチームが3つもある。1試合平均ではパは2.42本(両チーム計)、セは1.88本(同)。DH制によって投手が打たないとはいえ、野球の質が全く違うのがわかる。
 両リーグの首位(率順)を見ても、近鉄は打率(.280)・ホームラン(203)・得点(746)で12球団1位なのに防御率4.93は12球団最低という明らかな打撃のチーム。一方ヤクルトは、打率(.274)・防御率ともリーグ1位という投打のバランスで勝つチーム。実に対照的だ。
 近鉄とヤクルトの日本シリーズが実現した場合、従来型対パワー偏重型という、今季の両リーグを反映した戦いになる。
 史上最強の非常識軍団が従来型チームを打ち破れるか・・・私はぜひこの対戦を見てみたい。


パ・リーグの話題ばかりになってますが・・・(9/27)

 きのうの優勝の余韻をまだ引きずっていて、思わず2日連続でパ・リーグの話題を取り上げてしまいました(というより、先週の木曜日から連続ですね)。
 これまでのテーマを見返してみて気付いたのですが、セ・リーグの話題は9月14日の巨人選手の飲酒運転に関するものだけ。阪神ファンでありながらこんなにパ・リーグネタばかり取り上げてきたことに、我が事ながら正直驚いています。ま、それだけ今年のパは面白かったということもありますし、阪神が情けなかったので・・・ってこともあるんでしょうね(ぐっすん。。。)。
 ただ、きのう劇的な一発を放った北川は去年まで阪神にいた選手ですし、湯舟・山村の2人の投手や真弓コーチも阪神出身。最後に来て彼らの喜ぶカオを見られたのが救いでしょうか・・・来年は阪神にとっていいシーズンになるといいな。。。



2001年09月26日(水) これが本当のミラクルだ!

 スゴい。信じられん。ホンマかいな!
 大阪近鉄のあまりにも劇的な優勝。最終回、3点のビハインドを北川の「代打逆転満塁サヨナラ+優勝ホームラン」で撥ね返す。漫画だってクサ過ぎて書かないようなドラマが現実に起こった。どんな形容もしようがない。しびれた。
 9回、先頭の吉岡がヒットで出塁。これだけでベンチは大いに盛り上がる。今年の近鉄は終盤でリードされていても決して諦めない。緊張を切らない。常に「何かが起こる」という期待をファンに抱かせ、それを何度も現実のものにしてきた。今年の近鉄は、まさに「見て損のないチーム」だった。本当に心から、この価値ある優勝を祝福したい。おめでとう!
 思えば去年は最下位。この優勝を本気で予想した人は少なかったはずだ。しかしいざシーズンが始まってしまえば、去年の事なんかもうどうでも良かった。ただ純粋に、野球を見るのが楽しかった。

 今やかの三ツのベースに人満ちて そゞろに胸の打ち騒ぐかな(正岡子規)

 まさに胸の打ち騒ぐ戦いの連続。そしてきょうの結末。パ・リーグのファンは胸を張ってこう叫ぶがいい。「これが本当のミラクルだ」と。


柔よく剛を制す(9/26)

 今日のゲーム、もう一人の「北川」の存在も忘れてはならない。20日のコラムでも触れたオリックスの「契約金ゼロ」ルーキーだ。
 近鉄の優勝が掛かりスタンドは超満員。ルーキー投手には荷が重いと思われたが、飄々と6回2/3を2失点で投げ抜き、ゲームを締めた。
 球速はせいぜい130キロ台前半。それでもいてまえ打線の名だたる強打者を討ち取ってゆく。まさに「柔よく剛を制す」。この言葉を生んだ柔道も今では体重別に試合が行なわれ、小兵が大男を倒す図は殆ど見られない。他の格闘技や、サッカーのようなボディーコンタクトを伴う球技でも、体格差は大きなハンデになる。
 でも野球は、優れた技術や人にない特徴があればやっていける。身体的資質の差を努力や工夫で補える。オリックスの先輩・星野伸之も然り。彼らの存在は、野球というゲームが決してパワーのある選手たちだけで成り立つのではないことを、教えてくれる。



2001年09月25日(火) 泣くな大輔

 24日の近鉄-西武は、中村のサヨナラ弾という劇的な幕切れ。近鉄のマジックは1となった。
 でも私はあえて、打たれた松坂の事を書きたい。きのうは164球目をスタンドに運ばれて14敗目を喫した松坂だが、これまでの勝敗数を足すと29になる点に注目して欲しい。パでこれに次ぐのはミンチー(M)の26、セでは山本昌(D)の21が最高である。つまり松坂は、日本一チームの勝敗に関わっている投手なのだ。
 「エース」の最大の条件は、フルシーズン、ローテーションの柱として働くことだと私は思う。勝敗の合計29という数字はチーム試合数の1/5に相当していて、この条件を十分に満たしている。シーズン終盤は、中3日を含めて松坂を軸にローテーションを回していて、このあたりにも東尾監督の信頼感の大きさが見て取れる。更に、完投12、投球回235.1という両リーグダントツの数字からも、簡単には交代させられない投手であることがわかる。
 昨日の試合後、涙を流したという松坂。しかし、ダメだから打たれたのではない。最後までマウンドを任される信頼感あっての敗戦でもあるのだ。だから大輔よ泣くな、胸を張れ!


このまま、いつまでも・・・(9/25)

 21日にローズについて書いたあと連休に入りました。そしてそれを更新する前に、やってくれました55号。
 新聞記事によると、やはり54号を打ったあと「気持ちがおかしくなっていた」(25日付け・日経新聞)ということです。でもこれで多少は吹っ切れたでしょう。残り5試合でマジックも1となり、優勝に華を添える新記録の一発も期待されます。

 白状すれば、九州出身の私は、3チームの中ではダイエーに一番思い入れがあったのですが、ここまでいいペナントレースを見せられてはどこが優勝しても文句の言いようがありません。きょう書いた松坂も、ローズも中村もその他の選手も、皆すばらしいドラマの立役者です。このままシーズンがいつまでも続いて欲しいような気分になったのは、あの10.19の時以来です。



2001年09月21日(金) 残心

 剣道に「残心」という言葉がある。相手に打突を加えたあともなお隙のない身構えをとり、油断のない心構えを持続することである。気合と自信のこもった打突は力強く、竹刀の振り抜きもピタッと「決まる」。反対に邪心や迷いがある時の打突は弱々しく、残心の身構えも頼りないものになる。
 今、近鉄・ローズの残心が乱れ気味だ。12日に54号を放ち、王の持つ年間最多本塁打タイまであと1本と迫りながら、5試合26打席一発がない。
 打球を上げようとすると得てしてアッパースイングになりがち。でもこれは、インパクトの瞬間にポイントがボールの上側に微妙にずれたり、ボールをこすり上げてバックスピンがない(伸びない)打球になるため、かえってホームランになりにくい。
 ローズも、無意識のうちに打球を上げたいと思っているのではないか。見る限り、普段よりややアッパー気味のスイングになっている。結果、しっかり体(たい)が決まらず、不十分な残心=フォロースルーになってしまっている。
 スイングに生じた微かな狂い。そこに、優勝争いと記録という2つのプレッシャーと闘うローズの胸中を垣間見る。


秋空の下、白球を追う(9/21)

 先週末、大学時代の野球サークルの合宿を手伝いに、長野県佐久市に行ってきました。きょう(21日)はあいにくの雨模様ですが、現地滞在中はきれいな秋空が広がっていました。
 その空を見上げながら、ふと彼らの顔を思い浮かべていました。大甲子園のマウンドの周りに集まって、同じように天空を見上げていた塚原青雲高校のナインを。
 彼らは長野県の代表・・・甲子園の空を見上げながら、彼らが思い出していたのは、この空。今、同じこの空の下で、下級生たちが来春に向けて白球を追っているに違いない・・・。そう思うとなぜか、疲れも筋肉痛もスーッと軽くなっていく気がしました。(でも、家に帰ってからは、やっぱり辛かったぁ。。。)

★444HIT目=「まっこちゃん」さんでした。ありがとうございます。



2001年09月20日(木) グラウンドには銭が落ちている

 今月4日、オリックスのルーキー・北川智規投手(横浜国大出)が1軍登録日数10日のノルマを達成し、出来高払いの1千万円を手にした。今後1試合ごとに200万円ずつ、最高で総額2000万円まで上乗せされる。
 ドラフト7位入団。「契約金ゼロ」はオリックスが球界で初めて採用した方式だ。年俸や契約金の高騰などで球団財政は年々悪化。しかも、億単位の大金を投じた新人選手が活躍する保証はどこにもない。そこで、ドラフト下位については、働いてから金を払う「実力本位」に転換しようという試みである。
 とはいえ、実働年数が短く、故障などで突然プレーできなくなる可能性もあるスポーツ選手にとって、契約金はいわば「保険」であり、一般企業での退職金の前払いにも相当する。逆に言えば、契約金なしでの入団はリスクが大きく、選手側に相当の覚悟がいる。それでも、プロ野球選手になるという夢に賭けた北川の活躍は、同じ夢を抱く者にとって大いに励みになるだろう。
 「グラウンドには銭が落ちている」とは、元南海監督の故鶴岡一人氏の言。北川が今後どれだけの銭をグラウンドから拾い上げるか、楽しみである。


優勝、おめでとう!(9/20)

 マリナーズが遂に優勝を決めました。イチローはメジャー挑戦1年目での栄冠。それも単にラッキーなのではなく、自らの活躍で勝ち取ったものだけに価値があります。本当におめでとう!(それにしても、年間100勝・貯金60をクリアって・・・スゴ過ぎます)
 今後はプレイオフ、ワールドシリーズと続くポストシーズンゲームに臨むわけですが、ここまで来たら佐々木と共に頂点を極めて欲しいものです。

 一方、新庄は打順を一つ下げて5番で先発。なんと4打数3安打3得点。チームも公式戦再開後3連勝と、申し分ない結果!! ひいきの阪神も1点差の勝利!!! 
 いつもは理屈ばっかり書いている私ですが、こんな日は素直に喜んじゃいます。(帰って祝杯あげよっと!)



2001年09月19日(水) 子規の愛したベースボール

久方のアメリカ人のはじめにし ベースボールは見れど飽かぬかも

今やかの三ツのベースに人満ちて そゞろに胸の打ち騒ぐかな

春風やまりを投げたき草の原

 明治35(1902)年9月19日、歌人・正岡子規は35年の生涯を閉じた。今日は百年忌に当たる。
 子規は無類の野球好きで、「ベースボール」に関する句や歌を数多く残している。雅号も幼名の升(のぼる)をもじって「野球(の・ぼうる)」と名乗る熱の入れよう。冒頭の3編は彼の作品だが、俵万智の「サラダ記念日」ばりにカタカナ用語を巧みに織り込んで野球の魅力を詠んだ作品群は、日本最初の「野球文学」の名にふさわしい。
 大学時代国文学を専攻していた私は、子規の作品に興味を持ち、卒論のテーマに選んだ。子規の享年・35を過ぎ、再び草野球に興じるようになって作品を見返すと、死の床にあってもなお、まりを投げたかったであろう子規の思いが、100年の時を超えてしみじみと偲ばれる。
 歌以外にも、野球解説書「松蘿玉液」、日本初の野球小説「山吹の一枝」など、魅力的な作品がある。
 読書の秋、一度子規の作品に触れてみてはいかがですか。


Do the BEST!(9/19)

 大リーグ再開2日目。マジック2のマリナーズも試合に臨み、イチローは3安打。野茂も11三振を奪う力投で勝利投手。新庄は2日連続で4番に座り2安打を放ち、チームも連勝した。
 ニューヨークを本拠地とするメッツの4番を任された新庄。時期が時期だけに普段以上の緊張を強いられただろうが、こういう時にこそ彼は真価を発揮する。新庄が緊張していないと言いたいのではない。一見チャランポランなようで、実は繊細な感受性の持ち主だと私は思う。だが逆に、極限状況で人一倍燃える性格も持ち合わせている。彼は、かつて経験した大震災と重ね合わせ、「傷ついた人々のために何かしたい」とアメリカ人以上に強く思い、プレッシャーを撥ね返したのだろう。
 「仕事に戻ろう」と大統領は言った。「戻るからには、ベストを尽くそう」と彼は思ったはずだ。内心激しく燃えながらもそういう切り替えを素早くできる所に、彼の真骨頂がある。



2001年09月18日(火) 若乃花とマイケル・ジョーダン

 若乃花がファンの前に帰ってきた。と言っても土俵にではない。社会人アメリカンフットボールリーグ「Xリーグ」のフィールドに、である。
 17日、元横綱・若乃花の花田勝はオンワード・スカイラークスのディフェンスラインとして第2Qに初出場。たったワンプレイだったが、中学時代からの夢だったアメフト選手に、彼はなった。
 このニュースを聞いて、バスケットボールのカリスマ、マイケル・ジョーダンの事を思い出した。93年秋に突然引退を発表したジョーダンは、一転大リーグへの挑戦を宣言した。マイナー・リーグ球団の選手として1シーズン戦ったが、翌年の大リーグのストライキで夢を断念。でも、目標に向かって真摯に努力する姿は清々しかった。
 一つの世界で頂点を極め、栄光を勝ち得た選手が、全く違う競技に挑むのは勇気がいるに違いない。しかし、リスクを恐れず、ただ「スポーツをしたい」という衝動と自らの「夢」に素直に従った彼らに、私は好感を覚える。
 ジョーダンはこの秋、2度目の現役復帰をするという。スポーツを心から愛し、限界に挑み続ける日米2人の男にエールを送りたい。


上を向いて歩こう(9/18)

 大リーグが再開された。悲惨なテロの舞台となったニューヨークを本拠地とするメッツは、新庄の活躍もあって4−1で勝利。その瞬間、選手たちは優勝でもしたかのように抱き合って喜んだという。
 スポーツは被災地の人々に勇気を与えるはずだと、14日のこの欄で書いた。カージナルスのマグワイアは「ニューヨークの事を思えばスポーツゲームには意味がない」と言い、ダイヤモンドバックスのシリングは「ベースボールはあくまで娯楽。今は楽しむべき時ではない」と批判的だ。でも彼らは自分たちの役割や価値をわかっていない。新庄が口にしたように、野球選手にとっては野球をすることが唯一にして最大の事。悲しむだけでは、社会に貢献することはできない。

♪上を向いて歩こう 涙がこぼれないように…

 悲しくても自らを奮い立たせて笑顔を作る・・・それがやがて本当の勇気に変わる日が来ると、私は信じたい。



2001年09月17日(月) もっと熱パのテレビ中継を

 イチローの内野ゴロが好きだ。足が早いか、野手からの送球が早いか・・・そこには、スポーツの醍醐味の一つ「チェイス」(競争)の要素が凝縮されているからだ。イチロー自身の外野からの返球にも同じ事が言える。
 でも彼がこんなにスリリングなプレイヤーである事を、日本にいた間に一体どの位の人が認識していただろう。メジャーに行かなければ試合のテレビ中継は皆無に近く、本当の魅力が知られないまま記録だけが一人歩きしていたのではないか。プレーの記憶は、これほど鮮烈には残らなかったのではないか。
 今、彼のいたパ・リーグはし烈なチェイスのさ中にある。各球団が持ち味を存分に発揮し、野球そのものの魅力もセ・リーグのそれをはるかに凌ぐ。なのに中継は、NHKのBSや有料放送でささやかに行なわれているだけ。中村紀やローズ・小久保ら長距離砲の競演も、松坂のピッチングも、多くの人の目に触れることはない。
 海外への選手の流出も、いくら頑張っても報われないこうした偏った報道姿勢に一因があるのではないか。今からでも遅くはない。この歴史に残るデッドヒートを、1試合でも多く放送して欲しい。


意外かもしれませんが・・・(9/17)

 最近、この欄がテロ関連の記述ばかりになってしまいました。連日の報道も「戦争に向けて一直線」みたいな感じになっていますね。
 これまで私がテロ行為への批判や、宗教そのものへの疑念について書いた文章を読んだ皆さんは意外に思うかも知れませんが、私はアメリカの武力報復には基本的に反対です。
 日本は世界で唯一核攻撃を受け、戦争の悲惨さを一番知っているはずです。戦争によって多くの命が失われ、家族には憎しみだけが残ります。体の自由を一生奪われる人も多いでしょう。何より罪のない子供たちや女性たちが犠牲になってしまう事が、果たして正しい選択と言えるでしょうか。
 無差別テロは、もちろん許し難い暴挙です。でも、平和憲法を掲げ、国際平和都市を抱える日本のなすべきことは、闇雲に戦争に加担することではなく、武力行使以外の選択肢を提供する事ではないでしょうか。21世紀を再び「戦争の世紀」にしないために。



2001年09月14日(金) 飲酒運転の巨人選手に厳正な処分を

巨人の元木大介内野手と高橋由伸外野手の2人が、7月に都内で飲酒運転をしたとして、警視庁から厳重注意を受けた。写真週刊誌の報道に基づき、警視庁が飲食店などの裏付け捜査をして事実確認したという。
 巨人では5月にも岡島投手が酒気帯び運転で警視庁から厳重注意を受けている。飲酒運転による事故が社会問題となり、罰則強化の議論も高まる中、過ちを繰り返す巨人選手・・・これは、当事者個人の問題にとどまらない。岡島事件の際、球団がきちんと「教育」を施しておけば、再発は防げたはずだ。にも関わらず球団は今回も「(既に)厳重注意している」と、これで幕引きと言わんばかりのコメント。事件後も2人は試合に出続けているが、プロ野球の社会的影響力や同一球団内での再発である点を重く見るなら、実際に事故を起こしたのと同等の処分が課せられてしかるべきではないか。
 「首位争いの最中だから」「人気選手だから」ということで球団が処分を甘くしているのだとしたら、もはやリーグ会長やコミッショナーに指導力を発揮して頂くしかない。実際に事故が起き、誰かが命を落としてからでは遅いのだから。



こんな時だからこそスポーツを(9/14)

 中止されていた大リーグが、17日から再開されるという。11日からの中止分も、シーズン期間を延長して全て実施される。
 悲惨なテロ。ニューヨーク市民にとっても、選手たちにとっても。スポーツどころではないかも知れない。しかしこんな時だからこそ、シーズンを全うすることが大切だと私は思う。
 思い出して欲しい。阪神大震災の時、神戸製鋼のラグビーチームが、そして「がんばろうKOBE」のスローガンを袖口に縫いこんで優勝したブルーウェーブの選手たちが、被災者にどれだけ生きる力を与えたことか。
 悲しみに打ちひしがれるニューヨーク市民のために、大リーガーたち・・・とりわけ地元のヤンキースとメッツの選手たちには「戦い続ける義務」がある。エンターテイナーは、他人を楽しませるために陰で血のにじむような努力をする。辛さを決して表に出さない事に、彼らのプロフェッショナルとしてのプライドがある。



2001年09月13日(木) 中田批判への反論

 12日のサンケイスポーツによると、パルマのMF中田英寿が10日の地元テレビ番組で、ファンから「いばりすぎ」との批判を受けたという。リーグ戦2試合連続引き分けの「戦犯」にされた恰好だ。
 中田は自らのオフィシャル・サイトで、リーグ開幕戦を終えた時点での問題点をこう指摘している。
1, DFラインとFWラインが長すぎる。
2, 両サイドの位置が低いためにサイド攻撃が少ない。
3, サイドチェンジが少ない。
 コンパクトなサッカーができず、だれた中盤で相手にパスを自由に回されてしまえば攻撃の基点である中田にボールがつながらない。サイドの上がりがなければ攻撃のオプションも制約され、持ち味のキラーパスも機能しない。つまり、中田個人の能力というより、チーム全体のフィット感の問題なのだ。冒頭の批判は、そのフラストレーションが言動に表れるからなのか、単に彼が日本人だからなのかは不明だが、スクデット(優勝)という目標のためにはチームメイトとの対話を密にし、時には強い態度を示すことも必要だろう。バッシングにひるむことなく「中田」を貫き、良い結果を出して欲しい。


破壊的教義の宗教はナチスと同じだ(9/13)

 相変わらず悲惨なテロの映像がテレビ画面から目に飛び込んでくる。きのうも書いたが、これがイスラム原理主義者たちの手によるものならば、彼らは狂信的な破壊カルトの一団であると断ぜざるを得ないし、報じられている指導者はオウムの麻原・・・いや、ヒトラーと同列に属すると言っていいと思う。ナチスがユダヤ人虐殺を正当化しようとしたのと同様、彼らはアメリカ人を殺すことを「正義」であるとうそぶく。
 宗教はその属性として排他的なものである。ある宗教の信者とそうでない人との間には理解を超えた壁が存在する。両者が折り合うことは本質的にはありえない。ましてや「原理主義」のような非寛容で破壊的な教義を持つ宗教においては・・・。
 もしこの世からあらゆる宗教がなくなれば、世界の紛争もかなりの部分がなくなるのではないかと、そんな風にさえ思えてくる。



2001年09月12日(水) 「街」が一つ消えた日

 目の前で巨大な「街」が一つ消えた。1つの都市に相当する万単位の数の人が働く世界貿易センタービルが、卑劣なテロによって一瞬にして灰塵に帰した。
 この日行われる予定のメジャーリーグの試合は全て中止。スポーツどころではないということに加え、大勢の人を一箇所に集めることはさらなるテロの標的を作り出すことになるので当然の判断といえる。
 それにしても・・・モスクワ五輪の例を引くまでもなく、平和が引き裂かれた時にスポーツはかくも無力だ。
 東京ドームの傍らに、先の大戦で亡くなった野球人を悼む鎮魂碑がある。戦争は数多の人々の命とその夢を奪い去る。為政者の、あるいは宗教指導者のどんな理屈も、罪なき人々がこの世を去らねばならなかった正当な理由にはならない。
 武力抗争に幕が引かれ、世界中で心置きなくスポーツを楽しめる日はいつ訪れるのだろう。


殺戮を肯定する宗教は邪教である(9/12)

 私は公正中立を旨とするマスメディアに身を置く者の一人として、いかなるイデオロギーにも与しない。しかし、宗教を口実にした殺戮には吐き気を覚える。
 イデオロギーは理屈を伴った思想である。誤った理屈であればそれを論破することで活路が開ける可能性がある。しかし宗教は特別な理屈を必要としない「妄信」であるから、説得は意味をなさず始末に困る。
 今回のテロの根源をたどれば、イスラム教とキリスト教の根深い対立に行き着くだろう。この2つの勢力がもし今後も殺戮を奨励するのなら、残念ながらそれは「邪教」と呼ばざるを得ない。それは殺人を「ポア」と呼んで正当化しようとしたあのカルト教団と何ら変わらない。聖戦などこの世には存在しない。
 私は問いたい。アラーは真にこうした殺戮を望んでいるのかと。私は問いたい。キリストが全知全能なら、なぜこうした悲劇の連鎖を断ち切ることができないのかと。



2001年09月11日(火) 「心技体」

 「心技体」。相撲の世界において、強くなるために求められる3つの要素である。
 しかし、この3つが全て揃わなければ、決して強くなれないというわけではない。舞の海や寺尾・若乃花のように体に恵まれない力士でも、技と心でそれを補うことは可能だ。
 それとは逆に、体も技も卓越しているのに、心が原因で負けてしまうこともある。
 大関・魁皇が今日で3連敗。綱取りを目指し、体も技も充実して臨んだはずの秋場所だったが、なかなか心が伴わない。普通は仕切りを繰り返すうちに「気」が満ちてくる。「気」は「心」の領域。なのに、今の魁皇は「頭」であれこれ考えすぎ、「心」がおろそかになっているように私には見える。優勝経験のある魁皇でさえ「平常心」でいることは、かくも難しいものなのか。
 「心技体」。これは相撲の世界だけのものではない。メンタル・テクニック・フィジカルは全てのスポーツに当てはまるエッセンスだ。中でもメンタルの充実なくしては、一流にはなることは難しいだろう。魁皇はこの壁を自力で破れるだろうか。一つ言えるのは、それができない限り、彼が横綱にふさわしい「品格」を身に付けたことにはならないということだ。



2001年09月10日(月) 「痛みに耐えて頑張る」のは美徳ではない

 大相撲夏場所千秋楽、横綱・貴乃花が右ひざを亜脱臼しながら決定戦で武蔵丸を下した相撲には、ある種の感動があった。しかし、結論から言えば、あの強行出場は間違いだったと私は思う。
 貴乃花は名古屋場所に続き、きのう始まった秋場所も休場。7月にフランスで手術を受け、リハビリ中である。大相撲は「観客に見せてお金を取る」プロスポーツというビジネスの一つ。横綱はその興行の核である。だから本来、毎場所出場してファンに姿を見せることが横綱に課せられた義務だろう。1つの取り組みと引き換えに2場所を棒に振るほど故障を悪化させてしまったのなら、それは義務をはき違えていることになる。
 また決定戦の相撲は、本人が万全でないだけでなく、武蔵丸にも「人気横綱をスクラップにできない」という精神的ハンデを負わせてしまった。本割はともかく、決定戦は辞退する方が「フェアプレー」だったとは言えまいか。
 ケガを押して戦うことは、決して美徳ではない。最高のパフォーマンスを見せられないなら、それはプロとしてファンに見せるに値しない。私は満身創痍の貴乃花よりも「憎たらしいほど強い」横綱を、毎場所見たい。


これまで書いた文章のフォローです。(9/10)

 これまで書いてきた文章について、事後の情報が加わったものなど、いくつか整理しておきます。
 8/27に書いた、アルペンスキーのヘルマン・マイヤー選手の交通事故については、復帰まで1年ほどかかるとのことですが、最悪の状況は脱したようでホッとしています。
 9/3には、『(歌舞伎町の火災に)居合わせた人の心がけが悪かったわけではないだろう』と書きました。その後マージャンゲーム店が賭博に関与していたことや、「飲食店」がいわゆる「抱きキャバ」だったことがわかってきましたが、死者を悼む気持ちには変わりありません。
 日南学園・寺原のW杯メンバー入り。選出過程には疑問を呈しました(9/6)が、彼個人に関しては豊かな才能を大舞台で発揮し、国際経験も積んで欲しいと思います。(ちなみに宮崎はカミさんの故郷。思い入れも強いので、出たら目一杯応援します。頑張れ、寺原!)



2001年09月07日(金) 伊良部がメジャーで学んだのは?

 モントリオール・エクスポズは6日、伊良部秀輝投手を解雇した。伊良部は右ひざと右ひじを傷めて故障者リスト入りし、メジャー復帰を目指してリハビリ中だったが、8月26日の3Aでのテスト登板前夜に深酒で体調を崩し、謹慎処分を受けていた。
 ポイントは「シーズン途中での解雇」という点だ。契約は2002年までだから、通常は故障の回復を待ってシーズン終盤にメジャーに上げ、来期の戦力としてのテストをする。にも関わらずこの時期解雇したのは、存在自体がチームに悪影響を及ぼすと判断されたのだろう。
 「彼はメジャー入り以来、期待されたようなスターになれず、ひどいフラストレーションを感じていたのだろう」というトーボーグ監督の談話(球団公式サイト)の行間からは、伊良部がメジャーでも傲慢に振舞い、スター扱いを要求し続けた事が読み取れる。
 伊良部は、野茂や佐々木・イチローなどのようなセンセーションを巻き起こすことはついになかった。そして彼自身もメジャー生活から何かを得たとは思えない。
 唯一得たものが「自己制御ができなければ職を失う」という教訓だけだとすれば、皮肉なことである。


読んでくれてアリガトー!(9/7)

 コラムを書き始めてから、早や3度目の週末。平日せっせと書き綴った拙文は13本になりました。
 この項を書いている時点で、アクセスはのべ270件あまり。でもこのところ、リピーター(私は勝手に「定期購読者」なんて呼んでます。。。)が多くなってきてるのが嬉しい限りです。
 これまで、なんとか大勢の人に読んでもらいたいと、小マメに更新したり、興味のありそうな人のところに「こんなん書いてみたんですが・・・」と声をかけたりして『営業』してきました。それでも今までは1日20件程度が限界だったんですが、きのうついに30件/日の大台を突破(32件)しました。このページにたどり着いて下さった皆さんの所には私もお礼参り(!)するようにしていますが、改めて感謝します。
「皆さん、ありがとうございまーす!!!!!!!!!!\(^○^)/」
引き続き、これからもよろしくお願いします。では、また来週。



2001年09月06日(木) 寺原、W杯代表選出に疑問あり

 11月に台北で行われる野球のワールドカップ(W杯)日本代表に、日南学園の寺原隼人投手が選出されそうだという。寺原は甲子園で球速154km/hを計測し話題性は抜群だが、何を意図して彼を選んだのかよくわからない。
 シドニー五輪では、アメリカは現役大リーガーを出場させず、マイナー選手のみ。逆に韓国は全員がプロのオールスターで臨んだ。日本はロッテ・黒木や近鉄・中村らプロが参加したが、アマ中心の構成だった。これだけ選出基準がまちまちでは、真の実力は比較できない。私は国際試合ともなると大いに燃えるタチなのに、この時はメダルを逃してもどこか白けた感じだったのは、「これが現在考えられる最高の戦力だ」とは思えなかったからだ。
 だからこそ、プロ野球のシーズン後に開かれるW杯には豪華メンバーを期待したのだが、相変わらずのプロ・アマ調整メンバー。本来ならプロ側がイニシアチブを執り、メジャーで活躍する選手なども招集して戦ってこそ、W杯はオリンピックとは違った存在意義を持つ。
 寺原を「人寄せパンダ」的に加えるより、W杯のコンセプト=将来像を固める事の方が先決ではないか。


デジタルビデオの連続写真に感激(9/6)

 私は今、草野球にはまっています。何度かこの項でも書きましたが、私がプレーしているのは、インターネットで選手を集めたチームです。
 そのメンバーの中にスキー雑誌の編集者の人がいて、練習試合で撮影したデジタルビデオの映像をもとに、選手全員のフォームの連続写真を作ってきてくれました。かつては特別な機材を使わなければできなかったのに、今は市販のカメラと多少のパソコン知識があれば簡単にできてしまうんですね。
 さて、連続写真で見た私の打撃フォームは? ステップが狭すぎて腰が十分に入りきらない、さらにグリップの始動位置が低くバットが遠回りをしている・・・ことなどが客観的に見て取れました。うーん、デジタル技術ってすごい!
 今はこうした欠点を直すべく、日々自主トレに励んでいます。ますます本業がおろそかになるなぁ。。。(おいおい)



2001年09月05日(水) 地区優勝後のイチローに望むこと

 イチローのいるマリナーズがプレーオフ進出を決めた。地区優勝も時間の問題だ。ルー・ピネラ監督は、優勝決定後は主力選手をなるべく休ませる方針らしくイチローもこれに該当する。ポスト・シーズンを考えれば、これは正しい選択である。
 だが、個人的にはイチローになるべく多くの試合に出場して欲しいと思う。
 1年目のイチローは、日本より肉体的にタフなメジャーでフルシーズンを戦ったことがない。だから、休みながらシーズンを乗り切ることにも合理性はあるのだが、逆に出続けた場合にどうなるかという経験値が蓄積されない。休まないと故障しかねないというならまだしも、おそらくは長くなるだろう今後のメジャー生活への試金石と捉えるなら、あえて休まないという選択肢もあろう。
 また、イチローは既にスーパースターであり、オリックス時代同様彼のプレーを楽しみに球場に来るちびっこも多いだろう。ファンとの交流会でイチローの首っ玉にしがみついた子供が、彼の出場しないゲームを見てがっかりして帰る姿を想像して欲しい。試合に出続けることもスーパースターの宿命と心得、残り試合フル出場を目指してもらいたい。


モカ党の私が喫茶店に入らないわけ(9/5)

 このHP(注:キューブくん)のプロフィールの「好きなもの」の項に、私は「珈琲」を挙げました。反対に「苦手なもの」には「たばこ」と書きました。
 私の好きなコーヒーは独特の甘い香りを放つモカ系。特にモカ・マタリが気に入っていて、ここ数年毎朝のように飲んでから家を出ます。
 でも私は滅多に喫茶店には入りません。たばこの煙がそこにはあるからです。モカフレーバーなどの香りを楽しみたくても、隣席でたばこを吸われるとそうもいきません。かといって、喫煙をやめてくれと言うのも気が引けますし、無粋な感じがしないでもありません。こうして結局、喫茶店から足が遠のくというわけなのです。
 宴席ではさして気にならないたばこも、大好きなコーヒーを前にすると、やはり煙たい存在になってしまうんですよね。(^^;)



2001年09月04日(火) もっと「やんちゃ」な松坂が見たい

 1日のロッテー西武戦(千葉マリン)で、松坂がプロ入り初の無四球完投で勝った。高校時代、既に完成された印象があっただけに、これまで無四球試合がなかったことは意外だったが、確かに四球連発で自滅するケースもままあった。
 だが一方で、この荒れ球は松坂の魅力の一つでもある。新人の年に日ハムの片岡を空振りさせたような、時折打者の顔の高さに投じられる快速球など、荒削りながらも猛々しさがあった。
 その松坂の投球が、このところどうもおとなしくなってしまった。フォームを見ても、高校時代は踏み出した左足で体を支えるだけではなく、地面を掻いて上体を引っ張るような力強さがあったが、今は腰高で踏み出した左足がグラグラと揺れている。ピンチの時に、打てるもんなら打ってみろとばかりに速球で真っ向勝負を挑む一方、抜いた球で打者をおちょくるような、いい意味での「やんちゃ」ぶりも影をひそめた。
 私はもっと「やんちゃ」な松坂を見たいのだ。無四球試合は彼の一つの成長の証ではあろうが、ただオーソドックスにまとまるのではなく本来の魅力も消さないで欲しい。「角を矯めて牛を殺す」ようなことのないように、望みたい。


青色LED訴訟は現代版「地主VS小作農」だ(9/14)

 青色発光ダイオード(LED)を開発した米カリフォルニア大教授の中村修二氏が、以前勤めた日亜化学工業を相手に訴訟を起こした事件を見て思った。これは現代版の「地主VS小作農」の争いだと。
 今回の訴訟は、特許技術の開発者に十分な対価・報酬が支払われてこなかった日本の企業システムの不備を指摘したものだが、これは大地主に搾取されてきた小作農を連想させる。不況の中、大地主(大企業)たちはリストラと言う名の小作農切り捨てを進めている。地主が一生面倒をみてくれない以上、小作農は自分の土地(特許権)を持ち、その土地を耕して自立するしかない。
 これから、こうした「農地開放」を求める訴訟が次々と起こされるのではないか。そんな予感を抱かせる。



2001年09月03日(月) JOMO杯に見たアレックスの熱い思い

 2日に行われたJリーグドリームマッチ「JOMOカップ」(日本選手選抜VS外国籍選抜)。招待選手として参加のエムボマや、華麗なボレーシュートを決めた中村俊輔などに目が集まったが、私は外国籍選抜に入ったアレックスに注目していた。
 ブラジル国籍のアレックスは、日本への帰化を申請中。これが認められれば即代表入りの可能性もある実力者だ。しかし、現状では「代表実績が全く無い選手の一人」に過ぎないこともまた事実である。
 そんなアレックスにとって、JOMO杯はただの親善試合ではない。「日本代表相手の擬似国際試合」であり、「即席チームの一員としてすぐさま活躍できる」ことを誇示する場でもあった。
 前日(1日)の磐田戦でフル出場した疲れを全く感じさせない運動量や攻撃の基点を作り出すボールキープ、そして何より鋭い眼光から、この試合に臨むモチベーションの高さが感じ取れた。エムボマからの浮き球のワンツーを左ゴールライン際で折り返し4点目に結びつけたプレーでは、ポテンシャルの高さも遺憾なく見せつけた。アレックスは代表入りしても間違いなくやってくれる。私はあらためてそう確信した。

夏の終わりに「運命」を思う(9/3)

 夏休み最後の31日、埼玉県長瀞町で巨大な岩壁が崩落し、遊んでいた高校生が足首切断の重傷を負った。1日午前1時ごろに新宿歌舞伎町で起きた雑居ビル火災では、44人もの人が命を失った。同じ1日、私は家族と一緒にディズニーランドに行き、一日中遊び回っていた。
 ケガをしたり亡くなったりした人と、私たち家族との間に何らかの差があったわけではない。事故に居合わせた人が日頃の心がけが悪く、私たちが良かったというわけでももちろんない。
 私は運命論者ではないが、ちょっとした巡りあわせで人の生き死にが左右されるのだということを思わずにいられないショッキングな出来事だった。
 無くなった方たちのご冥福と、ケガをした少年の回復を心から祈りたい。


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でんちゅ [MAIL]

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