快賊日記「funnyface」

2001年10月31日(水) 陽の当たる国、その深き色を

戦国時代から近代初等の史料に水軍という用語は見出せない。
これはのちの人間が意図的に水軍という名を作り出したと考えられる。
じゃ、その当時の人々は彼等をどう呼んでいたのか?
これは三つに分けられるらしい。警固衆・海賊衆・船手衆がそうだ。
簡単に説明すると警固衆は海上での武力を買われ、船の警固についた
者達の事。海賊衆はその集団の事。最後に船手衆は完全に大名権力に
組み込まれた姿を指し、いわゆる今でいう海軍の事。と、そこで不思議な事に
気づく。「海賊」と「海軍」って相反した存在じゃない…?
決して交わる事のない関係。なのに水軍という言葉でひとくくり出来る。
というか、もともとは海賊だった人間が枝分かれし、大名に与した
人間がのちの海軍になったと…って、事は海軍も元をたどれば海賊って
事?…何か海軍の人間が聞いたら怒りそうな事実だな…。
でもだから日本の海賊の歴史はおもしろいのかも。
一つ一つどれを取っても外国と違いすぎる…というか、反対?
外国では海軍でのあまりに理不尽で過酷な労働に耐えきれなかった人間達が
いわば反乱のような形で海賊になったのに比べ、日本では海で武力を誇り
海賊行為をしていた人間達が大名に気にいられ雇われてしまったのが
海軍の始まりとなってしまったと…。興味深い事実だなと思う。
海賊行為を生業としていた海賊達は明らかに存在していたはず。
にも関わらず、それらを取り締まる海賊達もまた存在していた。
彼等はただたまたま大名権力に与してしまったのか?そこに意志はないのか?
例えばそれを守りたいというような気持ちは生まれなかったのかな?
海賊と呼ばれた彼等は自分達の正当性を主張している。
だからこそその権力の中にいればそれらのために必死で戦ったのか…?
自分達の存在は間違いではないと…。でもそれだけでもないような気がする。
大名達に与した海賊達は仕方なくではなくて、心からそれらを守っていた
ように思える。のちの海軍が海の外敵から必死で日本を守るように…。
血…を、思う。遙か昔からこの大地に流れる血。日本という国の血潮。
そんなものが彼等をそうさせたように思える。日本という国の国民性を
少し高貴なものとして捕らえて言ってしまえば、根強い愛国心を感じさせる。
それはきっと遙か遠い昔から紡がれたもの…。決して広い大地ではない
この日本。決してどこの国とも血を分け合わなかったこの国。
そんな国だからこそ感じられる国への忠誠心みたいなものが、偶然的に
権力者の配下になってしまった彼等を、いずれ海軍になるまでの気持ちを
抱かせたのではないかと感じてしまう。そう考えたら海賊から海軍が
生まれてしまったのも頷けるし、「海賊」ではなく「水軍」という言葉が
生まれた事も当然。やっぱり日本の水軍は日本の歴史抜きでは語れない。
彼等の勇士を思う時、そこには必ず海に色を落とす大きな夕日が揺れている。
それはまるであの日の丸のように真っ赤な色をたたえてる…。



2001年10月27日(土) その旅路の果てへ、僕らは

海賊達の話が世界から日本の海へ河岸を変えたので、うちらの話も
ちょっと指向を変えてベクトルを作品に向けてみようと思い立ちました。
「金色」…これがうちらの1stLive。この公演は梅雨時。公演中の雨は
やる側にも見る側にも最悪。だってすべてが鬱陶しくなるから。
でも結局はどうだったか…はっきり覚えていない。そう、実は公演の
前後をいつもはっきり覚えてはいない。覚えているのは…人のざわめきと
張りつめた空気。心地よいリズムとライト。そして受付の子の走って来る音。
アドレナリンが体中を駆けめぐる感覚…。「お客さんが止まりません!」
その叫びに本日一回目のトリハダ。「よっしゃー、行こう行こう!」船長の
興奮した声に「おう!」と答えて二回目のトリハダ。ピカピカのステージの
下に飛び出して、入り口まで溢れてるお客さんの姿に三回目のトリハダを
覚える。一発目の自分の台詞が緊張と興奮でちょっぴりうわずり気味なのを
内心で笑い飛ばした。「やばい…爆発するにはまだ早いでしょ。」
…でももう楽しくて嬉しくて止まらなそう…。台詞の合間に目が合えば
「あんた達すっげぇ楽しそうだよ!?」…そりゃそうか。やっとここまで
漕ぎ着けたんだもん。この場所に。生まれてから今まで長くかかった道のり。
そしておそらくはそれ以上に続いていくであろう長く幸せなこの旅路…。
うちらの芝居にお客様の反応もベリーナイス!後はもう走って走って…
そういや「金色」のベースというか、奥底にあるテーマみたいのって「怒」
…怒りだったと思う。悪に対する、社会に対する、何も出来ない自分に対する
それ…怒り。そんなもんを「金色」の奴らは打破するために走って走って…
そして最後には次の扉を開けて、笑顔を見つけて。何てあの頃の自分達に
似ているんだろう。うまくいかない自分に苛立ち、認めない社会に悪態を
ついて。それでも信念を曲げられず、ただ闇雲に走って走って…。
今でもそれは同じだけど、一つだけ違うとすれば今のうちらには快賊船が
ある事…かな?「金色」の奴らがたどり着く場所を見つけたように。
本番が終わったら泣きたくなった。そして笑いが止まらなかった。
少しだけ抜け殻みたくなった後、うちらは次の航海の支度を始めた。
怒りの原動力で走り出したうちらは、そりゃもう強いし図々しい。
前向きに生きる覚悟を決めたから何でも出来る気になってる。
だからいきなりで悪いけど、次は世界平和でもうたってみようか?
そうしてうちらは2ndLive「日の本グラフ亭」へと船を進めた。



2001年10月23日(火) 海、その勇者の大地にて

「三十日雨風ふかず、海賊は夜あるきせざなりと聞きて、
夜中ばかりに船を出して阿波のみとを渡る。夜中なれば西ひんがし
も見えず、男女辛く神仏を祈りてこのみとを渡りぬ」これは
海賊に対して悪魔のように恐ろしいイメージを持っていた紀貴之
の「土佐物語」の一遍。そう、海賊は皆同じ。たとえ海が違っても…
絶対的な武力を誇りとし、人知れず闇夜に紛れて彼等の船は
滑り出す…略奪するために…。
しかし、日本の水軍に関しては少し違うらしい。
もちろん時代を遡れば、それが彼等の生き方であった時もある。
でも私達現代人が認識している水軍と呼ばれる彼等は、西洋の海賊よりも
より、軍事的というか、国や政治や戦に大きく携わっていたらしい。
室町時代…相次ぐ戦乱の中で大きく活躍したのが、彼等…水軍。
有名な村上水軍もこの時代から。彼等は西洋のプライベーティアとも違う。
金で買われてどっちにつくとかじゃない。そう、日本の水軍のおもしろい所は
あくまでも海賊行為を続け好き勝手に生きていた輩ではない所。
そうだった時代を超えた後の、ある種日本史として語れる程の役割を
担っている所。紀貴之の詩なんてバカみたい見えて来る。
水軍と西洋海賊の決定的な違い。それは彼等には戦う意味があり、国がある事。
西洋の海賊は国を捨てた集団。ただ己のためだけに生き、散って行く。
陸の掟も自国の法律も一切受け付けない、いわゆる治外法権の中だけで
好き勝手にしてた悪党共。水軍にはそれが、ない。
というか、元々が勢力争いが海にまで広がった事が始まりだから当然と
言えば当然。だから彼等は自分の大名のため働く。あらゆる合戦に現れる。
もちろんその中で彼等は好き勝手やる事もしばし…やっぱ海賊だし。
とは言え、戦乱の日本の海を所狭しと戦う彼等の活躍には、目を見張る
ものがある。そして彼等と共に日本の歴史も動いて行く。
さらに時代が違えば彼等の役割も変わって来る訳で…。
今は小さい日本で戦ってるけど、いずれは広い海に出て別天地を目指すかも。
そして鎖国の日本のため、今度は外敵から国を守ったり…。
そう、彼等は言うなれば海の戦士。そしていずれは海の番人に。
だからこそ彼等は強くて格好いい。海という自由な世界に身を置きながら、
そこにとどまり武を奮う。国を背負って戦い続ける…。
…夜明け前に人知れず、彼等の船は滑り出す…彼等の大地へ。
今、「FunnyFace」にて、彼等の歴史は始まった。



2001年10月13日(土) 追伸:「ファニーフェイス」に夜明け前

地獄に堕ちた勇者共…そう、あれほどの脅威を誇ってた彼等は
もういない。カリブ海や地中海を欲しいままにしていた彼等の話は
とりあえずお終い。もちろん本当はまだまだ彼等の武勇伝は
ありますし、話したい事もそりゃ、たくさん。知ってる限りで…。
ま、でもそれはまた別の機会にでも。次は少し海を変えまして
我が日本国に焦点をおいてみようかなと…。
そうです。日本の海賊を忘れちゃいけません。
日本の海賊…すなわち「水軍」です。次回からはこの水軍のお話を
ちょこっと書いていこうと思っております。
このような稚拙な文を楽しみにしてくれてる数少ない皆様、ありがとう。
そしてしばしお待ちを。今度は日本の暴れん坊「水軍」の奴らと共に
皆様にお会いしたいと思います。
…人知れず…夜明けと共に、奴らは船を波に滑らせる…
奴らの船が港を出る頃、お知らせします。
くれぐれも乗り遅れませんように…。
では後日、快賊船「ファニーフェイス」にて会いましょう。



2001年10月09日(火) 僕らは生きていく、そのためだけに

人間の歴史とは何て戦いの連続なのだろう…昔の偉い人が言ったそうで…
確かにそうかもしれない。とはいえ、こんな時代に戦争という名の
戦いはあまりに現実味を帯びてない事のように思える。
例えそれがそれぞれの言う聖戦だとしても…。
人の歴史なんて短いもの。今まで続いてきた歴史もこれから刻まれる
歴史も…すべてを合わせても、この地球という星の長い歴史の中の
ほんのわずかな記憶でしかない。そしてその中の個人の一生なんて
さらに小さくて…まるで擦り傷程度の形しか残さない。
それでもこの小さな身には、その短くはかない一生がとても大事で…
だから少しでも深く長く刻みたいと思ってしまう。
だってどうせ皆いつかは死んじゃうんだもん。だからこそ投げやりではなく
必死で生きたいと願う。どうせいつかは朽ちる運命なら、何でもしたい
好きな事全部やり遂げたい。言いたい事吐き出したい。誰にも何にも邪魔
される事なく、自分の命の終わりは自分で決め、そして見届けたい。
誰かに終わりを余儀なくされたり、不本意に他人の手で幕を下ろされるなんて
絶対に嫌。きっと誰もが思う事。それでも理不尽な行為は自分の意志とは
無関係にやって来て、その身をさらって行こうとするかも。
だったらやっぱり戦う。そのための戦いなら絶対、する。
傷がいつかふさがるように、自分が残した足跡はやがて消えてしまう。
でもそれでいい。だからこそ正しく生きられる。今はただ生きたいと思う。
いつか来る死に恐怖する事なく、卑屈になる事なく、何をどうしてでも
生きたいと思う。快賊だからね。お宝がまだあるから、そのためには
最短距離の真っ直ぐという道を選んで必死であがきまくってでも生きたいと
思う。こんな時代だからこそ、生きる意志の強いものが生き残るんだと
知ってるから。そう、いつかの海賊達のようにいずれ土に還る日がくるまで。
その時にはまた、夢を波にあずけて…でもとりあえず今は、まだまだ道が
長く長く続くであろう事を知っているから、前を向いて生きていく。



2001年10月04日(木) 地獄に堕ちた勇者共

強者共が夢の後…今日もただおだやかに海はそこにある。
息をのむほどに激しい潮騒も、今は黙り込み…波は静かに足下を
くすぐるだけ。通り過ぎた夢と終わった過去。彼等はもういない。
生あるものすべてに終わりがあるように、彼等の旅にも終わりがある。
それはもちろん夢見るような終わりではなくて…
捕まった海賊達に待っているのは死刑という名の終わり。
そう、旅の終わりは人生の終わりを意味する。海賊とはそういう生き物。
もちろん助かる人間もいる。果てしなく続くと思われるような、
長い長い投獄生活。もちろんそこでの生活は最悪。
半分以上はそこで病死してしまうし、仮に出れたとしてもその時には
見るかげもないくらいやせ細ってしまっているのが常。
それでも生きて帰れるのだから。海賊船での夢物語を手に今度は
おだやかな生活をきっと送れるはず。もっとかしこいやり方は賄賂。
これはもう昔からの約束事みたいなもので、人間って欲深い動物だから
自分の欲を満たすために相手の欲を満たす事なんてすごく簡単で確実。
そうやって生きながらえる海賊達もいる。あれだけ死に対して
何も恐れてなかった男達も、やはりいざとなると違うようで…。
こうやって必死で生き残ろうとする奴らもいたらしい。
しかし腐っても彼等は海賊。たくさんの人々を恐怖に陥れ、悪行の
かぎりをつくし、死刑という脅し文句をあざ笑って来た男達。
死に際だって派手に格好良く散ってみせます。
辞世の句っていうのかな?日本の武士達は死に際に辞世の句を詠む習慣
みたいのがあったけど、海賊達のは何ていうんだろう?
とにかく処刑される前、大勢の人々の前で最後の悪態をつくわけです。
どんな事言ったんだろう?でも好き放題して生きてきた奴らだもん。
きっと最後も自分勝手に言って死んで行ったんだろうな。
「そうだ。愉快に短く暮らすってぇのが、俺のモットーだ」
バーソロミュー・ソバーツはそう語る。きっとその時も同じ。
派手な格好で現れて、自分のぶんどった宝を大げさにばらまいて、
そしてニヤリと口元をゆるませて…同じ言葉をはいたに違いない。
そして…「斬ッ!!」…大きな音と共に命を結ぶ紐が切られ、
男の体は宙に舞う。踊ってるみたいに揺れて…やがて静かになる。
そして静寂。長い長い静寂が訪れる。たくさんの男達の命をすって
涙をすって血を洗い流して、そしてたくさんの男達の夢と浪漫を
飲み込んで、海は今日もただおだやかにそこにある。
海は永遠に変わらない。ただ黙ってすべてを見てるだけ。
笑えないほどの悪行と、笑いが止まらない程の自由を手にして
彼等は海を走り続けた。そして幕が閉じて去って行った。ただそれだけ。
…強者共が夢の後…彼等は地獄に堕ちた勇者共。夢は未だ波に預けたまま…。



2001年10月01日(月) その名のもとに僕らはいる

きっかけは何だったか…なぜそうなったのか、そんな話し合いさえも
あったかのかも覚えていない。ただ僕達はあたり前のように、
そうする事が自然な事のように船を漕ぎだした。広い広い海の中へ。
そりゃもう大きすぎるくらいの旗を掲げて…。
その旗には実はいろんな願いや思いが込められてたりする。
例えば夢だったり希望だったり。例えば喜びだったり怒りだったり。
そして例えば正義だったりもする…。「正義」読んで字のごとく正しい行い。
「義」とは、人間の行為のうちで万人によって良いとされる所のものだとか。
人間は誰でも正義を知ってるし持っていると思う。悪い事を悪いと思える
心を皆持っている。とはいえ、万人に認められる正義ってどんなもの…?
これは勝手な言い分だけど、正義の定義は人それぞれ違うと思う。
でもだからこそ己の信念に真っ直ぐに目を向ける事がとても大切。
魂は嘘つかないから。だから例えば自分のこの先の人生が変わって
しまうような事になっても、人として正しいと思える道を選べたら、
その正義は自分を強くするし、誇りにもなると思う。
逆に人の犠牲の上に成り立つ正義は嘘だと思う。
誰かを傷付けるため「正義」という名のかさの元拳を振り下ろせば、
それはその人間の正義でしかありえない。っていうか、もう正義かどうかも
怪しい所。報復には報復を…まるでいつかの海賊。
それは長い人間の歴史の中で繰り返された日常事のようなもの。
やられたらやり返す。繰り返し繰り返し…。
そこで傷ついていく者、死んでいく者、生きていく場所をなくす者、
人間としての心さえもなくす者…そんな人達を省みず、
ほんの一部の人間のエゴによってその正義は繰り返される、繰り返す…。
どんなに文明が発達しようと、どんなに新しい技術が生まれようと、
人間が天災にかなわないように、人は変われないのかな?
だったら万人の認める所の「正義」ってどこにあるのかな?
実は、ここにある。そう、うちら快賊にはそれがある。
いきつく先はそれなの?って…そうです。うちらは知ってるから。
偽りの正義は何の役にも立たない事。きれい事だけで渡っていけない
世の中を、きれい事だけで渡っていく覚悟があるから。夢だけで生きて
いけないこんなご時世を、夢だけ食って生きていける強さがあるから。
正義はふりかざすもんじゃないって知ってるから、正義感を振りかざし
うちらはそんな事を叫びながら舞台に立つ。怒りと希望を胸に。
怒り…破壊する人間へ。それにどれだけの人の心がつまってるかも
知らないくせに。そしてその武力に武力で答えようとする人も同罪。
そして希望は幼い瞳へ。ゆがんだ正義を見て本当の正義をみつけられる
ように。本当は皆知っている。正義は一つだと。
かかげた旗にはでかすぎる夢。でも大丈夫。一つ一つクリアしていくから。
だってそのために集まったんだから。それぞれの旗をかかげるために。
その名のもとに、僕らは存在してるんだから。


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