�蠧�記
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母に沈黙を罵倒された時、私は彼女以外に信を求めた。
外国の物語に出てくる少女には、信心深いという徳があった。
今の私には、信じる事に義があるとは容易に信じられないが、子供の頃は疑い深い方ではなかった。
私は聴力も視力も誇れない。幼稚園の先生は、職員の集合写真撮影の時に、部屋で静かに待っていなさいと子供たちに注意したにも関わらず子供たちが覗きに来たので、罰として全員に園庭三周走らせたのだろうが、そもそも先生が部屋で待っていなさいと注意されたという記憶が無いので、他の園児がぞろぞろと 皆で覗きに行ったのに無批判について行って、叱られて罰を受けた。 ランニングは悪い事では無いが、罰として走らされたら、ランニングに良いイメージは持てなくなる。 だから私はその幼稚園の先生たちにあまり良い感じを持っていない。先生たちにとって自分の仕事をこなす事が大事で、子供たち一人一人に愛情を持っておられたようには感じられなかった。十把一絡げに扱われたという感覚しか無い。
日本のエンゲル係数は元々高かったし、今も高いです。教育費医療費がめちゃくちゃ高い。 食品会社は貧しい人を基準に考えているから、できるだけ低価格にしているし、日本はそれにも関わらず品質は良いです。 ただ生活で楽しめるのは毎日の食生活オンリーなので、希望が食に集中しがちなのです。
北陸等で雪、兵庫でも雪による交通渋滞ありと聞く。 三十七八年前も雪がかなり降っていた。
お母さんどこにいるの?
お父さんは川の流れに逆らって泳いでいるみたいでとっても気の毒わたしは極楽とんぼなの
蜻蛉になってしまったの?
お母さん、どこに行けば会えるの?
貴女の夢を叶えてあげたいと思っているけど、それは無理なのかもしれない。
貴女は自力の人だった。でも貴女のこの世での命は尽きてしまった。
私は弱い。身体も頭も。
私は貴女の願いを叶えてあげられないかもしれない。
貴女が逝ってしまってから、私は、歩いても歩いても貴女の所へは永遠に辿り着けなくなった。 私は貴女では無い。
私は貴女のようには生きられなかった。
貴女は親馬鹿だから、私が貴女より賢いと思っていた事があったみたいだ。
私は貴女に愛されたかったよ。貴女を愛したかったよ、お母さん。貴女のおむつを替えて、貴女の身体を洗って、あなたにお化粧してあげて、おさじで美味しいものを口に運んであけたかった。 でも貴女は私にそんな事はしてもらいたくなかったんだよね。
お母さん、私はもっともっと貴女と一緒にいたかった。
お母さん、貴女が私の寝床に横たわって、私に昔話をしてくれた晩の事も、私の髪を洗ってくれた事も、よく覚えているんだ。
これだけでは駄目なの? 私は貴女の体験した苦労を体験できない。
ただ貴女の喜怒哀楽の表情を思い出すだけ。
私は何が好きなんだろう?
ごせんさんは、ええかっこしいのおひとやさかいな
私に農業は無理かな?有機農業されている女性見かける。
父は土地持ちでは無かったので、研究者になった。ほとんど無知で心身障害もあるが、私も農業経営の研究者でありたい。
宗教について、正直なところ、私は関心を持たざるを得なかったが、信仰信心ということについて、公に 得度も洗礼も受けた事は無い。
しかし、教会に入ったら、そこの人たちがしている作法を真似るし、お寺にお参りしても、神社参拝でも、そこに示された作法に従う方だ。だが、子供の頃からの馴染みが薄いので、日に五回のお祈りと豚肉禁忌は無理かもしれない。
自分に自信があるとは言えない。今まで親をはじめとして色々な人に世話になって、影響されて、一人で生きてこられたとは言えない。 しかし、できれば私も、自燈明法燈明、自分の頭で考えて自らを拠り所にして自分の言動を決めていきたいのだ。人の言う事を鵜呑みにしてうまくいくとも思えない。 精神的な支えも欲しい。
とりあえずしたいのは、大根おろし、人参おろし、それに、林檎も摩り下ろしたくなってきた。
日本は国土があまり大きく無いから、広大な土地でたくさん作れる国の作物が大量に入ってくると負けてしまう、と戦々恐々とせざるを得ない。国産を守りたいから外国製品には関税をかけてもらいたい。しかし消費者としては、やはり低価格の商品に惹かれざるを得ない。しかし国産も頑張っている。
頭を剃った私の顔はホビットに似ている。耳が尖って見える。 目も割と飛び出ている方ではないかな。 眼球を中に押し込むようにすると、目の疲れに良いような気がする。
体に余分な脂肪が沢山ついている。だから肝臓も腎臓も膵臓も弱っているのだ。 いつ食べられなくなるかわからないという不安で脂肪を貯蔵しておきたくなるのかもしれない。胆石は、お腹の中に宝石を持っているのだと考える。何色だろうか? 脂肪がついていれば、飢餓状態になっても、しばらくは食べなくてもそれを燃やせば死なないだろうと体が守りに入っていて、だからアレルギーも、過剰防衛的なのだ。 脂肪を燃やさなくてはいけない。 とりあえずは1日ウォーキング1時間、犬では無いが、朝晩二回30分30分。20分ずつでも良い。 6200歩以上。 しはらくは水分を摂っていれば、本当にスリムになりたければ、断食するのも今の私には必要では無いだろうか?
精神力に自信無し。
母が還暦の頃母は健康体重あるいは美容体重に見えたが、鎮痛剤を使い過ぎたようだ。きっとそんなに太々しい神経では無かったのだろう。
今日は亡くなった父の誕生日だ。
父は祖父母が四十過ぎてからできた末っ子長男だった。 異母姉や同腹の姉が複数あった一人っ子弟なので、私には異母兄弟は無いが、複数の兄がある妹なので、少し似ているかもしれない。 父には母程生き生きした感じは無く、どちらかというと地味な人で、口もさほど達者では無かった。 しかし、私について、夫の両親に、おとうさんおかあさんからご覧になって至らぬところは多々ありましょうが、どうか温かい目で、というような事を言ってくれたのは、とてもありがたかった。 そんな風に言ってくれる保護者がいるといないとでは、世間の風当たりは時にかなり厳しいものがあるのではなかろうか。母や母方の祖母は、あまりそういう言い方はできなかった方で、祖母は母が転校した新しい学校の先生に、前の学校では級長だったんですよ、などと言って、結構モンスターペアレントで、 それを恥ずかしいとも何とも思わなかったんだよ、という事だった。 父は恥ずかしがり屋さんであった。 母が天真爛漫に振る舞い語るのがハラハラして仕方なかった。 まあ実際は、父は三十過ぎてからかなり酒呑みになったので、お酒飲んで酔わなければいいお父さんなんだけどと母を悩ませた時期も少なく無かったが、昭和の日本は飲みニケーションというところは大きかったのだろう。父は母が亡くなるまで母を女性問題で悩ませた事は無かった。
しかし父の言葉使いにもちょっと首を傾げたくなるものはあった。 あれはきっと、あまりに思いがけない事が起こったので、何と言っていいか言葉使いを間違えてしまったのではないだろうか?あの言い方はちょっと酷い、それを言うのも憚られるような言い方だった。 いくら相手方がそれまでに世間の無理解に慣れているようなところもあったにせよ、あれは。
驚きの余り言葉を失うと、間違った事を言われていても、それを肯定した事になるとしたら、怖いことだ。 母はなぜ否定しなかったのだろう?あんなに女性を馬鹿にした発言に。なぜ反論しなかったのだろう? 馬鹿馬鹿しくて争う気にもならなかったのか?言葉が無かった。失礼過ぎて。
自分をほめるなんて面倒くさい。
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