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2018年03月28日(水)

ベランダの猫柳に猫が遊びに来ればいいのにな。

いつかの晩に、鳩の番いがベランダに遊びに来た。あれはもう一回り以上も昔。
十年一昔ですもんね。
次の日の朝、鳩の糞がベランダに沢山落ちていたわけですけれども。
私は嬉しかった。燕の巣を見つけても嬉しい。蜻蛉が入ってきた時も。
実は香水の香りよりも愛犬の健康な糞の香りの方が芳しく感じたりするので困ったものです。

ただ、体調の変化で色々に感じられるんですよね。厩の香りも、日によってはマスクをして掃除しないとしんどかったり、全然平気で芳しい時がある。

でも部屋に明かりが灯っていたの、二羽とも関心を持って、巣作りの可能性の相談でもしていたんじゃないかな?鳩の訪れは平和の訪れ。

最近はこの辺りも結構街ですが。




2018年03月10日(土)

楽しい事って何だろう?
本当の自分って何?
今口を閉じて呼吸している。鼻は詰まっていない。地獄耳という程いつでも耳がよく聞こえるというわけでもないが、然りとて、全く聞こえないわけでもない。水の音は聞こえる。外で小鳥のさえずりが聞こえる事もある。ど近眼だが、裸眼で針に糸は通せる。
眼鏡やコンタクトで見える様にもなる。
蜂に刺されたり、プールで溺れたり、転んだりするのは、確かに不注意。気をつければいい。骨折の経験はない。バレエを始めたらすってんころりんが怖くて続かなかった。
だからって私に出来る事がないとは言えないだろう。
裸眼で糸を通せるのであれば、手芸に挑戦すればいいのにとも思うが、最近は特に裁縫に挑戦したくもならない。
でも日記を書けているではないか。
私は素直なところと天邪鬼なところがあると思う。強情なところもあるらしい。
そりゃあそうだ。私の立場になったら強情にならない方がおかしいと思う。
お世辞を言う人より怒る人に親しみを感じたりするのは、自分にも喜怒哀楽があるからだ。怒っていると言われた時に、自分は怒っているのではないのにと思う事があったような気がする。理性と感情というが、人間だもの、感情が無いはずがない。
それが強いと言われるのは残念だ。その人は私ではないし、大体その人が私を強情と感じるのは、何か私に自分の言う事を聞かせたいのに言う事を聞かないということだろう。もし私が聞かん坊だとしたら、我儘元気ということか。
つまらないなあ。自分の生まれたての赤ん坊の時の写真を見ても、お世辞にも別嬪さんとは言えないし、人が私の話を聞いて笑うのは私がどん底の時。
やっぱり自分の話をするのは愉快にはならない。
やはりナマケモノのドキュメンタリービデオなんかがいいな。しかしピューマに喰われないようにとびきり高い木の上で生き延びてくれ。陰ながら応援しています。


2018年03月08日(木)

鹿児島って暖かいんだなぁ。


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