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大丈夫ですよって父は言ったのだけれど、何が大丈夫だと思ったのだろうか。
私にとって贅沢って何だろう。。
すぐ時を忘れてしまう。 今、日曜の朝かと思ったが、今は土曜の朝。グレゴリオ暦でしたっけ何でしたっけ? 日本がグレゴリオ暦を採用したのは明治の初めか。
私は母を恨んでいる。 母はなぜ私を長兄夫婦と一緒に置きざりにして自分たちだけ引越してしまったのか。 きっと父と水入らずの生活を楽しみたかったんだろうな。 きっと私の学費のためだったのかもしれない。 多分私もできたら大きな夢を持ってニューヨークだのロンドンだのパリだのに渡って ハンバーガーショップでアルバイトをしながら。。無理か。。
みんな変わってしまうんだ。私が変わっている。三歳の時の私のからだはもうどこにもない。心は迷子になったあの頃のまま。熊本の鶴屋デパートの近くで迷子になって。
公孫樹を切らないで欲しい
お姉さんに子供がいなかったからって、男の子二人いるからって、母が安易に次兄を里子に出したりしたのがいけないんだ。 私が最初の子供に生まれるべきだった。 さもなければ母は子供三人も欲張ったり女の子を欲しがったりせずに長兄ひとりで打ち止めにしておくべきだった。そうすれば私がこんな目に遭わずに済んだんだ。
入浴剤に檜の香りというのがあって、よかった。
きっとよくなる。
1965年の夏に母と一緒に熊本から夜行寝台列車に一晩コトコト揺られて東京の祖母の家に戻ってきました。 あの時はまだ傷はなかった。何も知らなかった。 ふぅちゃんと二人で歩いていた時何故近所のけんちゃんが石を投げてきたのかもわからなかった。野犬もいた。 日本はあの頃もあの後も決して女が一人で旅しても安全な国ではないのだ。 友達って体力や気力や能力がないとできないのかな。そういうものではないだろうと思うが。
私みたいな人ってきっと一人くらいはどこかにいると思う。 会えないかな。 いないかな。あなたのようなかたはふたりとないのですからねですって。 それは人は皆似て非なるものだとしても。 どんなおばあちゃんでもおばちゃんでもきっと一人くらいはどこかに私と心が瓜二つの女の子があるんじゃないかな。 この間オンラインでかなりご高齢の親御さんが手を焼きご心配になっている娘さんに とても親しみを感じた。未だに心配して下さる親御さんがあるのが華があっていいなあと思うのですが。子供っていいなあ。
私とルームメイトになって一緒に弥次喜多道中してくれるような人 。無理かな。
確かに憲法に家族の助け合いが義務化されても本当に家族が助け合えるようになるかどうかは疑問だ。だいたい今迄私たちが助け合おうとしてこなかったかのように言われるのは心外だ。 父や母は教育勅語を刷り込まれて育ったが、 あれは憲法にあったか?夫婦相和し朋友相信じという理想は確かに彼らの根元になかったようには感じられなかったが。 犬も喰わない夫婦喧嘩もよくあった。 英語でも愛、友情、信、などが求められている時があるとは感じる。 しかし憲法にはあるのかな。 誰だって平気でくっついたりわかれたりするわけではない。 みんな大変なんだ。 子供の頃幸せなんていう言葉はインプットされていなかった。 幸せなんていう言葉があるから不幸になるのではないのだろうか。 違うかな。 でも年賀状などでは、健康や幸せを願う。 私の母は幸せそうな女性だった。 そうでもないかな。でも独身の頃より結婚してからの方がきれいになって見えたから、 きっと幸せな妻だったんだと思う。 もっと生きたかっただろうな。でも限界があった。 私も自分の限界を越えられないのだろうか。 私はこれだけのものなのだろうか。
見たくないおすすめ記事削除機能ないかな。 励ましのおすすめ記事というのがてんこ盛りで嫌になる。
自然治癒力がある。
理想の暮らし。
いい人ってどんなんだろう?
私もイエス様みたいに言いたいんだ。 人は食べものだけで生きているわけではないって。 これって贅沢かな?
腐女子が男の子同士の恋愛を鑑賞するのが好きとしたら、腐男子は女の子同士の恋愛を 鑑賞する男の子と考えるのが妥当ではないかと思う。
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