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『這えば立て、立てば歩めの親心』と言いますが、本当に生まれたての頃のこと考えたら、格段に成長しているのになあ。いつの間にまだ起きてもいない心配の種ばかり探すようになっていました。時代も違うよ。躁鬱のケか。
這えば立て云々の和文英訳を知りたいと思いましたがすぐ出てきません。『親思う心に勝る親心』なんていうのがありまして、うーん、やっぱり親を亡くしてみると、親不孝ものの私にとってもどうしても親の存在って明らかに有難く感じざるを得ません。悔しいな。でも、いくら素敵な親御さんを仰ぎ見てため息をついても、これ以上自分を卑下するのはやめておこうと思います。私は私。もはや逆立ちしたってほかの人にはなれないもの。でも、逆立ちなら努力すればできるようになるかもしれない。今のところは逆立ちできたことないんですけどね。でも逆立ちの練習しても怪我しそう。
無理をしないで、リハビリ。少しずつ、リハビリ。少しウォーキングに意欲。
元気な人は元気だなあと思うが、よく言えばほとんど欲がない。また睡眠欲か。食欲は、食べてみたいと思うものをわざわざ自分で求めにいくほどではない。でもケーキ食べたい。やっぱり甘すぎて話にならない。やっぱり休みたいというのが本音か。オバマ氏はたいした人みたいですが、ご苦労様って感じで私はほんと駄目。協調性も何もありゃしない。悪気はないってつまらなすぎるよ。体力向上させようという気にもならない。美容院でさっぱり気分転換しようともしない。でも血圧の薬はまた飲みだした。苦しいのは嫌だというだけのことか。煙草は買いに出る。ごみの分別は気にしている。子供の着ていくものにもまだ気になるが、大事なのはもっとほかにあるだろという気がする。欠伸が欲も得もなく眠れそうで嬉しい。どこまで眠りこけて貴重な余命を冬眠に捧げれば済むのか。あの頃の無為な時を思い出す。桜が咲いて紅葉が散って季節の移り変わりをぼんやり眺めていた。一生過ぎやすし。ERのドラマだけ続きが見たいと思っている。旅行もしたいがどうも無理か。007見に連れて行ってもらった。ちょっとめまぐるしかった。眠くなった。また昼夜逆転。ごめんという態度もできないので、本当にまた粗大ごみに出されるべきじゃないだろうかと思う。やっぱりちょっと病気だな。血圧高いし、病気じゃないとも言えない。私だけじゃないとしても。後退する一方か?久しぶりに日本語について聞かれて間がるのが面白かった。日本語を人に教える仕事がしてみたいが、20代の体力と集中力があれば。
このところ、分別したり、判断したり自分がいいと思うようにしたがり過ぎて疲れていたような気もする。
マッサージクリームが欲しくなったところが、実に元気だ。
ねえねえ、知ってる?今光の速度で探知できる星や範囲よりもずっと宇宙は広いんだよ、というようなことを子供が言った。
喜怒哀楽を持ってうごめいている私も点よりも小さい。
今地球上で探知できた映像の星や星雲などは、大昔に既になくなっているかもしれないけれど、きっといつか存在したものに違いないと思う。
物質で構成されている生き物や人間が自分の欲望を最大限に表しても、それは点よりも小さいものかもしれないが、何かの働きの中で何かを吸収して 排出する。違うAとBが融合して違うCが生まれる。宇宙の中で地球も物質というよりは生き物のようなもの?地球も小さな銀河系の中でさえ点よりも小さいんだろう。小さなものどおし、相手の喜怒哀楽や存在は小さくないけど、 広い世界の中であれこれ惑う。
とりあえず、柔軟体操をしたい。筋を伸ばそうとして痛いのは、生きている証拠。気持ちいい。七転び八起きね。
体を動かすことはいい。でもまだ今は毎日ウォーキング何万歩といった目標は持とうと思っていない。キーボード叩くのだって体を動かしている。それなりに前向きなの。
自分が受験生の時はこんなに悩まなかったと思うのだが、悩んでみても本当にどうしようもない。せめて体を動かして暗い気持ちを吹き飛ばしたいが、何年も忘れていた椎間板ヘルニアがむくむくと現れて、歩くのも容易ではない。止血剤で生理が遠のいているようなのが楽といえば楽だ。それにしても何かにつけて馬鹿馬鹿と言われるのって本当に煩い。自分はどれほど利巧かと言いたくなる。夢の中でも自分が『どうせ私は馬鹿だよっ』と友達に嫌な顔をして見せたのも情けない。夢くらい楽しい夢を見たいなあ。情けないところもあるけれど、これでも自分としてはその時の最善を尽くしてきたんだから。
でも、悩んでも仕方がない、気にすまいと思っても気になることがある。 気になることは気になるうちは気にしていていいですよね。いつか気にしたくても気にできなくなるんだし。
ロマンポランスキー監督の『戦場のピアニスト』を見た。涙も出なかったし、感動したかどうかわからないが、力づけられる映画だった。どういうわけか、私だって闘ってきたぞ、という自負を感じさせてくれるものだった。
窮鼠猫をかむという諺があったけれど、それは鼠が猫を恐れていたからなのかな。恐れなければ鼠も猫を恐れないで甘えるし、猫も鼠を猫可愛がりするということか。と猫と鼠が仲良く暮らしているビデオを見て思った。
つまり鼠が飼い猫を恐れていたのは、飼い主が鼠を外敵とみなしていることを察知していたからだろうか。人がハムスターをペットとみなせばハムスターと飼い猫は同格にほぼ等しいか。昔欧州の歴史でペストは鼠を介して広まったという意識があったと思うが、今家の中に鼠がいないので、我が家なんて風邪ひいてなくてもインフルエンザの注射をしたりしているのは、わざわざ菌に体を慣らそうとしているわけ。戸外で雨に降られても、どこかで、雨なんかに負けないぞと思ったりしているわけ。雪の寒さに備えるのも望むところだと思っているわけ。元気だとね。
だからって犬と猿を両方飼おうという元気は今の私にはないのだけれど、でも息子は時々猿にも似ている。雄犬と息子は男の子どおしの遊びをしているようで、犬も被害を感じない程度なら、息子のボクシングポーズに黙っている。時々煩いぞ、と怒ってみせる。すぐ顔の近くに拳がきても。遊びと虐待の境界線はどこにあるか?格闘技で勝っても負けても虐待があったとは言わない場合が多いが、それは双方の覚悟とルールの土俵があるからか。
前向きってどういうことかわからない。食べられるものは食べている。これは前向きではないの?安心して幸せな気持ちで眠りたい。
矛盾してるよ、と娘に言われたのを思い出した。そう娘が言ったのは多分彼女が高校生くらいの頃だと思うが。どんな矛盾について言っていたのかはわかっていないのだけれど。絶対矛盾していないとは言えない。 人間存在の矛盾について述べよ、と問われた場合のことを考えたら、嫌よ嫌よも好きのうちなどという言葉を思い出したが、この論理で推し進められても困ると思う。
そういえば、携帯またどこに置いたか忘れた。
20代の頃、朝娘の大叔母様が娘に赤いかわいらしい傘を持ってきて下さった時に、私は笑ってありがとうございますとは言えず、突然泣き出してしまったことを思い出す。あーあ。とため息。ため息つけばそれですむか。
新年明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。と 今年は息子が自分から挨拶した。うちの息子が世界で一番元気に溢れた男 とは思わないが、私よりも元気で前向きじゃないだろうかと思いました。 子供が元気なのは有難いことですね。お父さんに似て、自分がものを食べる時に、私にも食べないかと気にしてくれるところが優しく育っているじゃないかと思います。お笑い番組が好きで『笑点』の寄席などを見てくすくす笑っています。
ところで、日本が一番早く不景気から浮上する必要はないと思う。浮上しなければいかんとしたら、みんな一緒に浮上した方がいいんじゃないか?いち早く浮上しなくても。みんなより10秒間くらい遅れて水中で息を止めて浮上せずにいたらどうかなと思う。それが堪えられないから大変なんだっけか。
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