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年末にまた古本屋さんで古典落語などの文庫本を仕入れてきたのが、結構面白い。それから、これも古典的になっているのではないかと思うが、志賀直哉。母の死と新しい母、という短編を読んで、心配せずとも何とかなんていくものなんだな、と思ったり。うん、志賀直哉の小説、好きだな。
クリスマスか。10代の頃のクリスマス会は楽しかった。先日あの頃の学生さんが文化勲章を授与されているのを最近テレビで拝見したのを思い出した。30年前とあまりお変わりなく快活で、生物の研究は奥が深く興味は尽きないもののようだった。そういえばあの方は新潟出身の方だ。奥様とお子さんができたての頃に遊びに来られて、(奥様も優秀なので)家事なんて絶対しないだろうと踏んでいたんですが、結構やるもんですねえ!なんて笑っておられたのが懐かしい。あの頃は父も健在だった。お若い頃は、上役の教授とそりが合わなくてよく別の研究機関を渡り歩いたなんていうお話もあったが、専門分野に興味が尽きなければみんな笑い話でいけるんだろう。もうお孫さんもおありなんだろうな。一度うちの両親がお見合いの話を勧めたことがあったが、やはりご自分で見つけて奥様になられた方のお子さんとのお写真の方がずっと素敵だった。 お小さい頃はトンボ取りに興じたりされていたのだろうか。
しかし起きて座るのはしんどい。横になろう。
どうして起きたのだろうか?
ああ、そうだ。以前、私を雇用しようとして下さった気のいい青年があった。アフリカで動物を研究していてマラリアになりかかった美貌のアメリカ青年だ。絵描きさんでもあった。やる気さえあれば、国連大使にもなれる。その青年がいろいろ自由に生きられる道を教えようとして下さったのだが、私は乗れなくて落ち込んでいたことがあって、イエメンの青年に、気をつけてよ〜と言われたのだった。君日本のやくざって知ってるの?刺青彫る人新潟にいるんだよ、刺青彫るアメリカ人の女の子あるんだよって。 赤十字の難民キャンプで食うために男の人に体を売っているという女の子のメールにも考えさせられたが、その女の子と私との違いは何だっただろう?その女の子もご両親はもうなかった。私にもなかった。しかし私は子供を生んだが、彼女はまだ子供を育てられる状況ではないようだった。男の人に体を売ってもらったお金で食べ物を買ってがつがつ食べたところだということだった。悲鳴のようなメールだった。戦争は絶対しちゃいけない戦争が起こるとこういうことになるんだ、と彼女は言った。
そういうのの99パーセントは詐欺だとイエメンの青年は言った。僕沢山騙されたことあるもんって。それを思い出した。
私は難民キャンプから出てきて体を売って生きていた女の子の生き生きしていた頃の写真と暗い表情の写真を見た。お父様のお葬式の写真も拝見した。 私は彼女が私を騙そうとしたとは思っていない。でも彼女とメールしていて、自分の子供のことができなくなったので、私にできることって小さいと 感じさせられざるを得ないだけなのだ。 私ももう体も売れないと思うし。何故かっていうと、娘の父親がそれを望まなかったからだ。でも私は売らずに済んだか?私の父が僕じゃ駄目なんだと言って私を今の主人に頼んだのは、あれは売られたわけじゃなかったのだろうか?父は亡くなる前、酸素が無くなった金魚のように口をぱくぱくしていた。父はあんなに苦しまなければならないような何か悪いことをしたことがあっただろうか?
上野の鰻屋さんでパートをしていた頃、どこかのやくざの親分さんがお客さんで、若い頃、そこのおかみさんがうな丼を食わせてくれた時のあり難さが忘れられないというお話だった。 私がそこの鰻やさんをどうして辞めたかと言うと、同年代の女の子が年配の女性に対する激しい言葉を私に当ててくるのに疲れただけなのだ。 うちの主人は若い頃同僚の人と上司の人のものまねをして陰で笑い合っていたということだが。
結局私は閉じ込められているわけでもないこの部屋の中で、うちのわんこと同じように旦那に食べさせてもらいたいだけなのだろうか?
騙す騙されるということがどういうことなのか、私にはまだよくわからない。私は騙されていたい。でも、私に騙されたと思っている人もあると思う。期待しないで生きようとしても、無意識に何か期待していることがある。
それにしても、子供の頃の水炊きクリスマスが楽しく思い出される。ふうちゃんは元気だろうか。息子さんも大きくなられたんだろうな。
私にはもうマラリアの予防注射でもなんでもして旅行に出たりする元気はないのだろうか。インフルエンザの予防注射はされたけれど、高熱が出ないのも何だかさびしい。でもお天気の今日、出かけるよりも、ベッドに横になりたい。
息子は受験生だが、ゲームに夢中になっている。
サンタさん、うちには来ないよ、と言いながら、窓拭きをしてくれた暮れもあったっけ。促せば洗濯物も干すようになった。テレビに興じながら。
娘がお腹にいた頃は、毎朝お経をあげたなあ。こっくりこっくり居眠りしながら。
しかし、子供にできることって何だろうか?生まれた時嬉しかった。10代の頃は私自分が子供を生むなんて夢にも思わなかったから。不思議だった。それだもので、10人でも生めるなんて言ったことがあったが、今思うと正直なところ、もう一度出産に耐えられるとは思えないのだ。ERで太ったおばさんが妊娠に気付かなくて産気づく場面があったが、いいなあと思う。私にはそんなことはないのか。私はうちのかみさんじゃなくて、おかあさん。
何か目からうろこみたいなことないかなあ。羽が生えたり頭に輪が出たりしないかな。朗らかになるようなことないかな。雪も降らないのか。
やっと少し心身の不調が落ち着いた。欠伸が出るのが最高。眠ろう眠ろう。
好きなだけ湯船に浸かって。入院してもいいけど、見舞いにはとても行ってられないよ、一人だよ、と旦那さん。うちの旦那さんは声を聞いたり現れたりすると部屋がぱっと明るくなる人なのだ。ま、私にとってね。だからうちでごろごろしていよう。私がそうしたからって刑法にはひっかからないと思うよね当然。
ということで、どこかでパジャマも着ないと私の色気の無さに文句を言っていた旦那さんがあったが、私はパジャマや着物をを着るとよく眠れないので、久しぶりに何も着ないで眠らせてもらった。どこだったか東欧の学生さんが何も着ないで眠るとテレビで語っておられたが、私も10代の頃から誰に気兼ねもなく裸で直に布団をかぶらないと眠れなかったのだ。羽毛などではなく、綿の布団が湿気を吸って煎餅布団になってずっしりと重たくなったのが最高だ。軽い布団では物足りなくて寝心地が悪い。我が家は雅の出ではないですし。暖房は切って冷たい空気の中で、しんしんと寒ければ毛布など使うけれど、ゆうべは理想的な煎餅布団ではなかったが、裸が直にひんやりした布団にあたるというのが最高である。その布団の中の精神空間は自由。 西の方では豪華なダブルベッド用の様なお布団が新婚に用いられるということだったが、私の子供の頃の布団は重たい煎餅布団だったのだ。眉毛などを剃ったこともなかった。
この頃息子が、髪伸ばすの?と盛んに聞く。結婚してからショートカットの時が多くて、伸ばそうとしても途中でまとまらないと思って挫折することが多かったが、最近はポニーテールにできるくらい伸びた。白髪が目立つようになったが、まだ黒い部分の方が大勢だ。 私の髪が今までに一番長かったのは、2,3歳の頃と高校生の頃だけだった。高校の頃は三つ網で登校するのがその学校の先生にあまり身だしなみについて目をつけられたり叱られたりしないで済む道だった。
ところで、アラブの留学生は、うちの主人が新婚旅行にかぶって行ったような帽子をかぶっていた。彼の故郷では男性はターバンを巻いたりしているのが普通だということだが、新潟市の街中のデパートで彼はやはり帽子をあれこれと眺めていた。うちの主人も結構気に入った帽子などにこだわりを持っているようだ。私の父は帽子をかぶったことは無かったので珍しかった。
父方の祖父は白いスーツを着たりしてしていたが、父のトレードマークは 眼鏡で、眼鏡をしていない時の父はほとんど見たことがなかった。
アラブの留学生と同郷の女性は、上品で可憐なネッカチーフを身にまとっていた。美しいお顔立ちの上になかなかにお洒落だ。彼女も故郷では目だけしか人に見せずにお顔を隠しているということで、私がお茶を飲んだことがあるSさんのお母様もお姉さまも黒いネッカチーフのようなあの布で、お目目だけしか他所の人には見せないということだ。彼女(留学生?日本に医学を学びに来ている人の奥様?)とはナイストゥーミーチューしか言葉を交わせなかったが、お話してみたいなあ。それにしてもあの若いカップルはなかなかに美男美女だった。
彼等の国を舞台にした映画を一つイギリスアメリカ経由で買ってみた。しかし思うにあれは、英国人青年の眼を通して描かれたイエメン文化ではないだろうか?女優さんはイエメンの女性は顔を出すのを怖がるのでレバノンの女性が演じているということだった。
そういえば、舞妓さんたちが外国の人に追いかけられているということだが、私だってアラブの女性とお茶飲んだりしてみたいものなあ。それにしてもイエメンが舞台の映画の中の女性たちは結構のびのびとしていて、心優しい若いアラブの青年はなかなかに翻弄されているようだった。
愚痴のままに救われていくという言葉がある。
勿論、愚痴ばかりは言いたくない。となると黙ったらそれも何だかよくないかもしれない。いいのか。
しかし、頑張れと言われてもできるようにしかできない。しかしできるようにはできているともいえるかな。
一つの音楽を最後まで聴く根気はないが、でも愚痴は言えている。死んだら愚痴も言えなくなる。
まだお腹がすくと、食べられる。出血も今は止まっている。
ゆうべは犬の散歩に出られたし。近来稀に見る快挙だ。ということを喜んで、止めておこう。と思うのだが、
何だかボーボワール女史の、『娘時代』に出てくるカトリックの家庭で育った少女がお母さんに、どこのうちにも一人くらい屑がいるものよ、屑はこの私よ、というところが思い出されて、しょうもない。
一体何がそんなに悪いのか。イエス様は信仰の薄いものたちよ、思い煩うな、くよくよするな、その日の苦労はその日一日だけで十分だ、とおっしゃったし、くよくよしようもないが、素直で明るいのが一番という母の言葉も どうも頭が重くて効き目がない。私が二十歳で修道院にでも入っていれば、もっとみんなうまくいっただろうかと思っても、過去は変えられない。前を向いても灰色の空のようで何も見えない。
とはいえ、空といえば、ゆうべは犬の散歩の時、新潟に来て、初めて昔懐かしいオリオン座が見られた。子供の頃の家から見られたオリオン座。母が メダカをうじゃうじゃとかえしていたあ頃。あの頃の母の笑顔はお日様の様だった。人はどこから来て、どこへ行くのだろうか。母はどこへ行ったのだろうか。浄土真宗で葬られたが、母は、私はね、自分が悪いとは思ってないの、と言っていた。私も彼女が悪いとは思えない。長男のところの方がいいかと嫂のところにお経本と一緒にお仏壇を持っていったが、浄土真宗のお仏壇はどこかの倉庫に入れられてしまった。母は極楽往生できたのだろうか。この頃お経をあげる元気が無い。伯母を思い出して伯母のお骨はどこにあるのだろうか、祖父のお骨はどこにあるのだろうかとどこかにお墓参り行きたくなっても、どこにお墓があるのかわからない。
主人の故郷では、お盆に無縁仏さんたちを供養する風習がある。
だから、お仏壇が無くても、無縁仏さんのように、今ここで、想うだけでもいいかもしれない。忘れてあげた方がいいのだという説もある。風になって吹いているという歌もある。母も伯母も、風や雨や雪になって地を潤しているのかも知れない。
どうすればよかったのだろうか?私にはわからない。イスラム教に惹かれても、メッカに巡礼には行けない。
キリスト教に惹かれても、クリスチャンとして生きていくことはできない。
でも生きている。駄目でも生きている。世の中には偉い人、素敵な人、沢山ある。ため息しか出ないこともあるが、今はまだ、息を吸って吐くことができる。愚痴を言っても仕方がないけど、犬が吠えているみたいに吠えてしまう。愚痴でない言葉がどこにある?でも愚痴を言われると逆切れ。
愚痴でない言葉。人を癒す言葉がどこにある?頑張っても駄目頑張らなくても駄目でも、大昔からみんな同じ。一人でも人に会ってもやっぱり愚痴。
いつもそうだったわけじゃないさ。こんな時もある。明日は明日。
続かないものは続かないし、続くものは続く。それをできるのは私じゃないのに、何を拘っているんだろう。
何を目指したらいいんだろう。目指してできるものならば。
性質が悪いか知れないけど、私、愚痴愚痴おばあちゃん好きだったりしたことあるから、美しく老いられなくても、失望しない。嫌な人は聞かないだろうし、聞く人もある。聞いてうまく相槌打てないこともあるけど、それもそれだ。
と、何をうだうだ言っているのかというと、どこにエネルギーを注ぎたいか決まっていないんだな今。できていたことができなくなり、好きだったこともつまらなくなったりすることありますね。そんな疲れるようなことしてないだろって自分は疲れるようなことできてるんだって誇りも埃。
ちょっと大事にしたかった年配の方にたてついちゃったことに自分でショックを受けていて、でも謝れないものだから。
こんな時もあるさ。
それにしても、子持ちの私がマザーテレサになりたいったって、これからバージンになることを目指すような無理さ加減なのに、マザーテレサがどうのと言ったら、そりゃ次元が違いすぎるよ、と息子が言った。マザーテレサってどんな人か知っていたのか?あいつ。舌切り雀のおばあさんになる方がずっと確立は高いな。雀のお宿を探しに行くおじいちゃんって本当いい役でいいわね。その逆は?おじいさんが頭にきて雀の舌をちょん切ってしまったのを心配して雀のお宿探しの旅に出るおばあさん。ただの有閑マダムじゃないの。と感じてしまうセンスが冴えないなあ。
美容院か。まだ機が熟していない。と言っているうちに来年になりそう。
どうして病院に行かないんだろう?薬を毎日1錠ずつなんかで治るわけない。 クリスマスも土曜日も大嫌い。大人になんてなれない。ポーカーゲームの遊び方なんてちっともわからない。後何十年生きたって私は大人になんてなれない。
どうして人間の女なんかに生まれてきたんだろう?どうして人間に生まれてきたことを喜べるの?数字も言葉も大嫌い。どうして雀に生まれてこれなかったの?
次兄の顔の肉を麻酔なしで皆えぐり取りたい。そうしなければあの善良な坊ちゃんにはわからないんだ。前夫は思い切り殴り返すくらいで構いませんけどね。どうせどちらも無邪気な男の子だ。腹が立ったら殴ってのつぼに放り込んでやるとかの野蛮人、倭寇の子孫だ。どうして私は延々と生き続けているの?あんなおっとり優しいぽっちゃり坊ちゃんたちののろけを聞くためにのこのこ出かけていくんじゃないよ。のーたりん。
どうして自分の身を守ることもできないの?右の頬を打たれたら左の頬を向けてもっと殴っていいよって?本当に畜生以下だ私は。tonnda owaraigusada.kannkokuno kokkaino ranntouwo waraenaiyo.
iyana ブラッシング wo iyagaru inu no tsume no aka wo sennjite nomitai.
くだらない。本当にくだらない。どこに行ったって何をしたって駄目なものは駄目なんだ。こんなとろさでは肺気腫にもなれない。
でもとろいなりに少しは学習の跡も見られると思うけどな私だって。やっぱり本能は危険を回避しようとするものだ。最善を尽くしているさ私だって。天命は私の仕事じゃないから天の神様の言うとおりあべべのべだ。天皇陛下もどちらさんもご心労が胃腸に回ってきて痛々しいけれど、誰か一人だけそんなにいい思いをしている人がどこかにあるわけじゃないし、お互い様痛み分け。あったらとてもおめでたいことだ。そのちょっぴりのおめでたさで一時頑張れたりすることもありますもんね。
それにしてもハッピーディワリもメリークリスマスも受け取っているじゃありませんか。私。日本人だ。神仏習合もあるし。アラーの神様の思し召しのままに、って申し上げたつもりの時もあったし。信用ならんな。噂を信じちゃいけないよ、私の心は初心なのさ、って山本リンダさんが歌ってらしたけど、私を信じちゃいけないよという面もありますけど、でも、やっぱり噂を信じちゃいけないよ、っていうのが本当ですよね。だけど、私、どうしても、あれはああだったのだ、と言いたかったことがあったりする。それ、まだ言えてないんですよね。もう20年にもなるんですから、今更言ったって仕方ないですけど。
国だって宗派だって網の目のように分裂して別の道を行かざるを得なくなっていくことがありますよね。偉大なお父さんソロモン亡き後の息子たちの争い。ヴィクトリア女王亡き後の戦争なんかもなかったですか?怖いなあ。聖書でカインとアベルの何とかもあったし。これって多分犬の兄弟でもありますよね。親子兄弟が敵味方に分かれて殺しあわなければならなかったこともありましたよね。大義名分を掲げて。義なきをもって義とすと親鸞さんはおっしゃった。
私の母はとても気さくな人のように見えたが、あたしは人が嫌いなの、とすねていたことがあった面影を懐かしく思う。私も実にかわいいもんだ。
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