�蠧�記
DiaryINDEX|past|will


2008年04月22日(火)

 『Wの悲劇』という邦画を見ました。薬師丸ひろ子さん、世良正則さんらが主演。悪くなかったです。

 Y


2008年04月21日(月)

 夫は私より若いのですが、時々私より早死にしそうな気がして不安になることがあります。依存度高すぎかもしれない。

 結婚式の時に、大丈夫ですよ、と言った父の言葉を信じておくぞ。心配しないぞ。


2008年04月15日(火)

 いつの間にかはまりやすい自分の癖ってできているんですね。

 子供の頃の性格って変えようとしてもなかなか変わらない。自分でもあまり意識していないこだわりってあるんですね。

 


2008年04月08日(火) ギリシャ語

およそ紀元前2000年ごろに、この言語を用いる民族がギリシアに。ギリシアには、何波にもわかれて民族が侵入したため(アカイア人、ドリス人など)、そもそもいくつかの方言が存在した。トゥキュディデスの『戦史』(巻三 112)には、アテナイ側が、スパルタ側のドリス方言に近い言葉を話す人たちを使って敵を欺いた話が載っている。

紀元前5から4世紀には、アッティカ方言によりギリシア悲劇やプラトンの対話篇など優れた作品が書かれた。このため古代ギリシア語といえば、アッティカ方言。これを古典ギリシア語ということもある。ちなみに、アッティカとは、アテナイを中心とする地方。今日、古代ギリシア語を学習する際はアッティカ方言を学習するのが普通。


 ヘレニズム時代から東ローマ帝国時代
古代ギリシア世界が衰退した後、マケドニアによる征服により、共通ギリシア語コイネーが成立。ヘレニズム時代は東地中海の共通言語。

続くローマ帝国の時代になると帝国東方ではギリシア語が準公用語(東方地域では皇帝の勅令などもラテン語とギリシア語で出された)となり、文化用語として用いられたが、この時には再び文章語では古典アッティカ方言が復活して、口語のコイネーは俗語として軽んじられた。

4世紀以降にローマ帝国の東方を継承した東ローマ帝国では、7世紀以降ラテン語に代わって古典アッティカ方言が文書の公用語として用いられるようになった。また口語としてのコイネーも発展を遂げ、ラテン語・イタリア語・フランス語・アラビア語・トルコ語・スラヴ語などから借用された語彙も用いられるようになった。また、それまで大文字しかなかったギリシア文字について、小文字・気息記号・アクセント記号が一般に普及した(これらは韻律明示のためヘレニズムの文法学者の創造に係るもの)り、単語の区切りにスペースが入れられるようになった(それ以前は連続して書かれていた)のも東ローマ帝国時代である。この中世の東ローマ帝国で口語として使われていたギリシア語が現代ギリシア語に継承されている。


 現代ギリシア語の成立
現代ギリシア語は、東ローマ帝国の時代から伝わる民間の口語(デモティキ)と、公文書や文学・神学書等で用いられてきた古典ギリシア語に近い文語(擬古典語)を元にした「カサレヴサ」の間を揺れ動きながら成立してきた。

まず口語では、ソフィアノス(1500−1552)の口語ギリシア語の文法書が文献上で最初。しかし18世紀のヴルガリス(1716−1806)は、擬古典ギリシア語を堅持した。

ミシオダクス(1730-1790)は新しい共通語を基礎にと主張。カタルジス(1720−1807)は口語民衆語を支持した最初の学者。アダマンティス・コライス(1748−1833)が、口語ギリシア語に基づき純化(カサレヴサ化)した新しいギリシア語を作る主張を最初に訴えた。

1821年に始まった独立戦争が1830年、ギリシア共和国として一旦成立後、オットーを迎えて、1833年、ギリシャ王国が成立。口語にもとづいた民衆語をギリシア語とすべき旨のソロモス(1798−1857)の主張があったものの、オットーとともに故国に帰った官僚は、コイネーに基づく古典的文語を標準とすべき旨を主張した。

その後永くフランスのパリで活躍したプシハリス(1824−1929)が民衆口語が通時言語学的に公用語として適切であり、「カサレヴサ」とよばれる当時行政言語に主流であった「コイネー」に基づく擬古典的な官僚的文語的純正文語(カサレヴサ)は、通時言語学に反した復古的な人工的な擬古復古体で公用語でも文学語においても失当である旨自著「わが旅」等で文学作品の名著の著作による実践をも行い、現代ギリシア語は口語によるべき旨の主張を国際的な学者・作家として初めて言語学的依拠とその著作で立証した。しかし、その「口語」は、ギリシアの革命の舞台となった、ペロポネソス半島とアテネの口語を「民衆口語」として、数ある方言のうち「アテネ方言」のみを指称するもので、当時の方言をまとめるには、かつてのコイネーを基盤とする純粋文語(カサレヴサ)の方が、ギリシア全体の共通語として(方言をまとめるために)より一般化しやすい言語であった(西海沖の地域を除く東域の諸島・北ギリシア本土・小アジアの当時の人には土語とカサレヴサしか解する言語はなくアテネ方言は全く通じなかった)。方言学者は、両陣営にも属さず、地域方言をその「口語」として、教育・言語使用に「ディモティキ」ではなく「方言」を使用することを折衷案として主張した。エーゲ海のサモス島やスミルナで女子校の運営にあたったレオンディアス・サッフォー(1832-1890)は、学校教育においても方言を推奨し言語論争に「方言」の重要性を提起した。「カサレヴサ」の長所と、アテネ方言の「ディモティキ」との折衷言語よりも「民衆語である方言」の重要性を強調した。

20世紀の首相ヴェニゼロス(1864−1936)は、新憲法にカサレヴサ(純粋文語)を公用語にすることを記載した。ただし、初等教育については、トリアンダフィリデス(1883−1959)の主宰する「教育学会」が文法書を口語(デモティキ)で出版し、初等教育については民衆口語(アテネ方言化)化が公的に行われた。やがて、メタクサス(1871-1941)の独裁政権の下ではカサレヴサではなくデモティキが正式な国語と制定され、またその後の政変で再度カサレヴサに戻され、その後、1964年ゲオルギオス・パパンドレウ(1888-1968)政府がカサレヴサとデモティキとをともに公用語(併用)とし、軍制下ではカサレヴサが公用語に再度戻され、その後の1974年7月24日の民主制回復で、1976年コンスタンディノス・カラマンリス(1907-1998)政府によりデモティキのみが正式な公用語と定められ今に至る。

Α α=[a](アルファ)άλφα
Β β=[v](閉鎖音から摩擦音に紀元後数百年に変異)(ベータ:ヴィタ)βήτα
Γ γ=[γ], [γ]は[x]の有声音、但し前舌母音の前では[ʝ] (ガンマ:ガマ)γάμμα, γάμα
Δ δ=[ð](閉鎖音から摩擦音に紀元後数百年に変異)(デルタ:ゼルタ; θ の有声音)δέλτα
Ε ε=[e](エプシロン)έψιλον(単純なエ)
Ζ ζ=[z](ゼータ:ズィタ)ζήτα
Η η=[i](後1世紀から)(イータ:イタ)ήτα
Θ θ=[θ](英語の無声 th)(シータ:シタ)θήτα
Ι ι=[i](母音の前で硬口蓋化 [j])(イオタ)γιώτα
Κ κ=[k]([i]、[e]の前では [c])(カッパ:カパ)κάππα
Λ λ=[l](ラムダ:ラムザ)λάμβδα, λάμδα
Μ μ=[m](ミュー:ミ)μι
Ν ν=[n](ニュー:ニ)νι
Ξ ξ=[ks](クシー:クシ)ξι
Ο ο=[o](オミークロン:オミクロン)όμικρον(小さなオ)
Π π=[p](ピー:ピ)πι
Ρ ρ=[r](ロー:ロ)ρο
Σ σ, ς=[s](有声子音の前で[z])(シグマ)σίγμα ςは語末のみ
Τ τ=[t](タウ:タフ[taf])ταυ
Υ υ=[i](移行期の[y]を経て後5世紀乃至10世紀に変異)(ウプシロン:イプシロン)ύψιλον(単純なウ)
Φ φ=[f](紀元後数百年に変異)(フィ)φι
Χ χ=[x]、[ç]([ç]は前舌母音の前で実現)(紀元後数百年に変異)(キー:ヒ)χι
Ψ ψ=[ps](プサイ:プスィ)ψι
Ω ω=[o](オメガ)ωμέγα(大きなオ)
記号:ディモティキ(民衆口語)では、いわゆる「トーノス」(τόνος)の記号類は「´」のみの「モノトニコス化」(単強勢化)され簡略化され、気息記号「‘」〈[h]〉(音韻上で無標である有気音記号)、「’」等は廃され、「`」「^」等は、「´」に融合され、有強勢(文法的に有標の際)のみ「´」で記される。またこの強勢記号は語末から3番目の音節のうちに置かれる。カサレヴサでは古典語のテキスト表記に倣った古典式の記号・符号を維持している。

疑問符はセミコロン(;)を用いる(Unicodeでは、U+003B の SEMICOLON とは別に U+037E に GREEK QUESTION MARK (erotimako) が割り当てられてはいるが、Windows のギリシア語 IME では U+003B が出てくる。

現代の現用言語(langue vivante)である「ギリシア語」は、古代からの継続言語であり、「現用言語のギリシア語」の完全な理解には古典ギリシア語の素養も不可欠である。


[編集] 表現
基本表現:こんにちは=καλημέρα σας
こんばんは(午後の挨拶)=καλησπέρα σας
お元気ですか=Πώς είστε; または Τι κάνετε;(; は疑問符)
はい=μάλιστα またはくだけた表現で ναι
いいえ=Όχι
いつ(何時)=πότε;
どこ(何処)=πού είναι;
だれ(何人)=(男性形:ποιός;)(女性形:ποιά;)
はい、元気です。で、あなたはいかがですか=Καλά, ευχαριστώ. Και εσείς;
ようこそお越しくださいました=καλώς ήρθατε
お目にかかれて恐悦至極です=καλώς σας βρήκα または χαίρομαι που σας βλέπω
どうぞおはいりください=περάστε παρακαλώ
どうもありがとうございます=ευχαριστώ πολύ
どういたしまして=παρακαλώ
ほんとうにすみません=λυπάμαι πολύ
どうなさられたのですか=τι συμβαίνει;
なんでもございません=τίποτε または τίποτα
ほんとうですか=αλήθεια;
ちょっと手をかしてくれませんか=μπορείτε να με βοηθήσετε λίγο ;
なにをお望みですか=τι θα θέλατε;
ちょっと待っていてください=περιμένετε λιγάκι παρακαλώ または περιμένετε ένα λέπτο παρακαλώ
お会いできて嬉しい=χαίρω πολύ
知り合えて嬉しい=χαίρομαι που σας γνωρίζω
楽しいときをすごさせていただきました=περάσαμε ωραία
ごちそうさま<特に決まったギリシア語の言い方はないが>=καλή χώνεψη!<が相当>
いつでも来てください=ελάτε όποτε θέλετε
おいとまします(ごめんください)=Να με συγχωρείτε または αντίο σας!
またお会いしましょう=καλή αντάμωση
よい旅をお祈りします=καλό ταξίδι
すみませんここを通してください=παρακαλώ, αφήστε με να περάσω
早く医者を呼んでください=καλέστε γρήγορα ένα γιατρό
どうしたのですか=τι έχετε;
早く良くなってください=ελπίζω να γίνετε καλά σύντομα または περαστικά!
ここに来てください!=ελάτε εδώ!
これはおいくらですか=ποσο κάνει αυτό; または πόσο κοστίζει αυτό;
(我々は)とてもたのしかった=Περάσαμε ωραία!
(私は)とてもたのしかった=χάρηκα πολλή!
同慶の至りです=συγχαρητήρια!
(年に1度のお祝い用の決まり文句)「御誕生日おめでとう:メリークリスマス:新年おめでとう」=Χρόνια Πολλά!
新年おめでとう!=Ευτυχισμένος ο καινούργιος χρόνος!
感謝をこめて!(ありがとうを感謝を込めて述べるとき)=Στα δυο χέρια σας!
乾杯!=Στην υγειά μας! または形式的表現では Στην υγειά σου!
御成功を祈ります=Καλη επιτυχία!
貴方のおかげです=σας είμαι υπόχρεος
了解(その通り)=Μάλιστα!
一時にあの場所でお会いしましょう=Θα συναντηθούμε εκεί στη μία!

[編集] 文献
HANDBUCH DER NEUGRIECHISCHEN VOLKSSPRACHE(Albert Thumb、DE GRUYTER、1910年→1974年、翻訳として『現代ギリシャ民衆口語ハンドブック』八木橋正雄、私家版、1992年)
口語民衆語文法・方言を記載した記述文法
『現代ギリシア語文法』(関本至、泉屋書店、1968年)
現代ギリシア語ディモティキの規範文法書
『現代ギリシャ語の基礎』(八木橋正雄、大学書林、1984年)[ISBN 9784475017626;4475017629]
カサレヴサとデモティキの比較についても記述し、方言にも配慮した唯一の日本語文献
『現代ギリシアの言語と文学』(関本至、渓水社、1987年)
「現代ギリシャ語キプロス方言のアウトライン」(八木橋正雄、『プロピレア』4号、p49-55、1992年、及び11号、p40-46、1999年、日本ギリシア語ギリシア文学会)
キプロス方言の記述文法を記述


youyou |MAIL

My追加