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鴨長明の方丈記は名文だけれど、彼の恋文も親近感を覚えます。生き辛い自意識を持て余す人があるものですね。なかなかに情熱的な恋文を詠まれているような。ベートーベンと似ていませんか。にていない?
ただ、行く川の流れは絶えずしてしかも元の水にあらず、は覚えていますが。
涙を恥じもせず
落ち葉の上に初雪が降る
すぐには覚えられません。ただ恋の辛さ哀しさはよく伝わってくる率直な歌です。おもいきらなければとおもうだにこのおもいをつたえずにはいられないというような。若い女性だったらうざいとおもわれそうなくらいですが。それで恋もままならなかったかしら。 でも若い女性がうざいとおもうだろうというイメージは私の決め付けだわ。無意識のうちに決め付けや思い込みが潜入してくるものですね。気をつけよう。
うちの旦那さんが鴨長明みたいな人だったらやってられなかったかも?
明日は師走か。
聴きにいきたいなとおもうコンサートがあるのですが。いきたいならいけよ私。 北朝鮮やイラクの歌のコンサートっていうのも東京であると嬉しいのですが、そうはいかなの焼ハマグリか?
そういえば、有楽町の献体の人体博物展みたくなのも行きたいと思っていてまだ行っていないし。
やっと一息ついて日記が書けます。
いろいろエピソードはないでもないけれど、とにかく休日が嬉しいのは幸せだ。
私にもっと才能があれば、いろいろキャラクターの面白さを描けるのにな〜。
なんて悠長なことを申し上げている場合でもないかも。とも思いますが。
失敗は成功のもとです。失敗しない人はない。
仕事のイメージトレーニング。
来月はまたテストでも受けてみようかな。
綾戸智絵さんの曲を聴いています。ジャズが歌える人って素敵だな。
so let me tell you again again
I love you forever forever forever
明日からまた三日間連続パートを取り合えず無事に。
午後は息子のクラブ活動の演奏会のお手伝いの打ち合わせ。
イベント参加を楽しめるようになったのは元気になりつつあるということで感謝感謝。
リーダーシップを取る人というのはたいしたものだなあと思います。 私はグループ活動のもなかなか浮きがちなのですが、とにかく自分のパートの責任を確実に果たすこと。
今日は早く寝ておこう。
今日はかなり土砂降りの雨でした。
最近の息子とのブームは、紅葉の歌を一緒に歌うことです。 私は長らくこの歌は秋を彩る楓や蔦は山のふもとの裾模様だと思っていたのですが、息子に指摘されて由紀さおりさんと安田祥子さんのCDを聴いてみましたら、松を彩る楓や蔦なんですね。記憶違いってあるものです。情景がかなり違ってきますね。
何とJohn Denverは1997年に亡くなっておられたんですね。ショックだな。 と言っても後の祭り。でも歌に出会うことはできるわ。
大丈夫。しかし何故ジョンデンバーの歌を聞いてアイコのアルバムを買ったのか。アンドロメダという曲があったせいかな。なかった?
何とアンドロメダってアンドロメダだったんですね。 などとわけわからないことを申しておりますが、子供の頃ギリシャローマ神話とか読んだ中で、化け物鯨の生贄になりそうになった姫のお話っておぼろげに覚えてはいたものの、すっかり忘れていたのですが、見栄っ張りの愚母のせいで怖い目に遭った姫なんですね。 そうとは知らず、勝手にアンドロメダ大星雲の中にアルコン星なんて架空の星を思い描いていました。 しかし一応ハッピーエンドかな。私はハッピーエンドが好きです。
夜更かしの後朝寝して、今日は一日曇り空で外は寒そうだったので、午後になってから動き出しました。 子供の水泳教室で色の違う帽子を買って。 大学祭で撮った写真を主人がパウチしてくれたので、それを持って息子と義母の家に行って、お線香をあげてきました。寿司をご馳走になりました。
今日もいいお天気です。今日は働けることに感謝して喜んで働く日です。
手洗いで洗っても、ほつれてくるネクタイと大丈夫なのがあります。
東北新幹線にマッサージサービスなんてあったんですね。知らなかったわぁ。
和をもって尊しとする。隣人を愛する。恩徳は身を粉にしても骨を砕きても 謝すべし。と結局無私を勧めるようになるものですね。今日は日曜日。神は 休み給へり。
高校の頃、男子バレー部の先輩がバレー馬鹿になるんだと語っていたのをふと思い出しました。
公園の交番のすぐ側でわずかな手荷物とともに横になっている眠っている日焼けした男性。 何年前にリストラされましたが、今はこんなに幸せです、と日暮れ後に人を集めて演説している人。
大道芸を披露して湧かせていた人。
夜の街路で托鉢の経をあげている僧。
穏やかに同世代の女性たちと語り合いながら道を行くカトリックのシスター。 take me home contry road じゃなかったわ。country roadsですね。
故郷ってどこだろう?じいちゃんばあちゃんたちには故郷があっただろう。 村の鎮守の神様の今日は楽しいお祭り日
故郷は遠きにありて思ふもの よしやうらぶれて異土の乞食(?)となるとても帰るところにあるまじや 島崎藤村違ったか?
などと思いつつ、関白宣言では、今日から俺がお前の家とあったような気がするのですが、これを書くと、著作権に抵触しますか?
都会の森の中でジョンデンバーの歌を聴いてからネットサーフィンで検索していきますと、島崎藤村の望郷という詩に出会いました。これは古典と考えて構いませんか?
そうだ。まだ裾よけを洗っていない。
うちの旦那さんにも故郷がある。
今日はいいお天気でした。
明日はお休みだ。バンザーイ!
竹箒で落ち葉を掃いていて、以前焚き火で焼き芋を作ったことを思い出しました。 今の家では焚き火は無理だものな〜。 やはりこうした思い出は一度出来たからまた出来るというものではなく、その時その時が貴重なのですね。
最期はどこで迎えたいか?というアンケートで、自宅で迎えたいと言う人は 2割という統計だそうですね。 自宅の布団の上で、家族に見守られながら思い残したことなどを語り尽くしてから大往生、というような人はたまにはあるようですが、それはたまたまとても幸運だっただけで、そうしようとしてできるものでもなさそうな気がするのですが、その人は前々からそういう予定で生きてこられたでしょうか?そんなに計画的には運ばないような気がするのですが、これは単に私の軟弱さでしょうか。 私などは、どこかに頭をぶつけて、およおよおよ、とか言っているうちにおだぶつだったりしそうな気がしたりするけれど、それもラッキーかもしれない。
ゆうべは主人が帰宅する前の夜8時から11時まで眠りました。眠らないともたないわ〜。
主人がボジョレーヌーボーを買ってきたので、それを飲ませてもらってまた眠くなって寝ました。少しは頭とか揉んであげたけどね。
1日3時間睡眠の人もあるようです。
公園の中に入っていくと、ジョンデンバーが歌っていた歌じゃないかな? counrty road take me home っていうような歌。オーストラリアからの青年かな?の歌声が聴こえてきました。いろいろな人が訪れるので面白いです。
鳳神社の酉の市行けなかったな〜。近かったのに。でも商売繁盛ではあります。 熊手もあるし、息子は酉年だし。
そろそろ来てもいい頃。おそらく生活習慣が変わったので遅れているだけでしょう。緊張している時間が増えたから。でもそれはいいことだと思っています。 ちゃんと準備しておけばいいこと。
運動神経がよくないので、とにかく体を動かす習慣に慣れることです。慣れつつあると思っています。でもまだまだです。
体力は徐々についてきていると思っています。先一昨日あたりだったかに切れて、昨日は主人に遊んでもらいました。 私も好きね〜。というか、必要不可欠なのだろう。非常に生理的現象なのです。
例年の検診の申し込みをしました。今までは異常なしでしたが、今回はひっかかったりして。でもその時はその時だわ。
とにかく仕事に落ち着いて慣れること。仕事を覚えてしまうこと。
何と今日はKeith Emersonのお誕生日だわ。I wish him a very Happy Birthday! だわ。だれも知らなかったりして。そんなことはないわよね。
源氏物語は皮肉なお話がほとんどのような気もしますが、この物語で救われるのはたまかずらと髭黒の大将のお話です。玉蔓って賢い女性だなあと感心します。
今日は驚異的に(?)お客様の入りが多かったです。 いろいろ申し訳ないこともありましたが、次はもっと気をつけて、落ち着いてちゃんと把握しておもてなしできるようになります。
今日は鰯の塩焼きと寿司とおみお付けです。快食快便です。 大根おろしを添えるのがやはり好き。生姜もかな。 引き続き玄米ご飯です。
そうだ。レインガードと洗濯はハミングしないと。
あと、もう少し体重を落としたほうが着付けも楽だと思います。
子供はデリケートで優しいので、私がお父さんと仲良くしたいと言うと、 でも喧嘩ばかりしているじゃない、と言います。 喧嘩するほど仲がいいのだと私は息子に嘯きます。
今日もお天気ですが、だいぶ肌寒くなってきました。
私は子供の頃から晴れて冷え込んだ東京の冬の朝が好きです。清清しい気持ちになる。
Shiatsu is hands on method of preventive health care and therapy that increases vitality, relieves fatigue, and stimulates the body's natural healing power by pressure applied to key points on the body. In addition, it offers the warmth of a caring touch. This is particularly important now when medical care has become so highly technical and specialized and when our hectic urban lives have so many sourced of stress, all of which take a toll on our bodies and minds. Even children often have busy schedules to keep and may suffer from physical and mental fatigue.Many people are anxious about the adverse effects of modern life on their health. There is no simple means to address their concern, but shiatsu offers a way to become aware of your body and to care for it---a way to take your health into your hands.
You can use shiatsu on daily basis to keep in touch with your own body. You don't have to drag through your days with a host of minor complaints. You can with patience and discipline, improve your health, appearance, and physical fitness. Furthermore, you can practice shiatsu with your friends and family, helping each other to a new physical awareness. Shiatsu is a wonderful way to give and receive caring without words and to share a few pleasant, relaxed moments in a busy day.
When we are in pain, or numb or sluggish, our instinctive response is to rub or press the area that bothers us. Even this simple action stimulates, to a degree, the natural functioning of the body systems. Applied systematically it will activate the body's natural healing power and restore the troubled area to normal.Though the natural response would be stretch rub, or scratch a particular area, most people today are more apt to try and ignore their discomfort or to take a pill.
Shiatsu treatment consists of pressure applied with the balls of the thumbs and fingers and the palms of he hands to specific points on the surface of the body. Traditional, these points have been called tsubo in Japanese, which is the same word used for a jar or pot. The tsubo on the body tend to accumulate fatigues and stress. Pressing them brings relief, as early man discovered instinctively.
The ancient Chinese, through observation and experience, developed a system of diagnosis and treatment based on nearly seven hundred points on the body and the meridian lines of energy flow which connect them. One important method of treatment was acupuncture, in which needles were inserted at points along the meridians to correct the energy flow. The knowledge came to Japan over one thousand year ago, and in the eighteenth century, practitioners of the traditional Japanese massage, or anma, incorporated this knowledge into their technique. In the 1920's, Tokujiro Namikoshi established shiatsu as a therapeutic system integrated with modern anatomy and physiology, coining the word shiatsu, literally "finger pressure", to describe his system.
The tsubo correspond to the muscles, bones, blood vessels, nerves, lymph vessels, and glands of the endocrine system that the lie beneath them. Pressing these points are not only stimulates the skin and relieves muscular stiffness, but regulates the nervous system, aids proper digestion, and stimulates blood and lymph stimulates the body's a natural recuperative power.
The essence of shiatsu lies in the use of the hands for both diagnosis and treatment. The sensitive fingertips can differences in temperature and stiffness, both indicators of the condition of the body. The type, degree and duration of pressure is then adjusted to meet the specific needs of each area of the body and each individual. Because of this, shiatsu should be applied directly to the skin whenever possible.
Though the skills of a trained practitioner cannot be acquired overnight, this should not stop you from discovering for yourself how shiatsu works and becoming better acquainted with the human body. By giving regular shiatsu to yourself and others, you will grow sensitive to the needs of the body and begin to recognize the surface conditions signaling irregularities in the body. The essence of shiatsu lies not just in hands-on diagnosis and treatment, but in the warmth of a mother's touch. If the attitude of the giver of shiatsu is both careful and caring, and the attitude of the receiver is open and receptive, the experience is sure to be beneficial for both.
We hope that shiatsu will become an essential and enjoyable part of your daily life, that you will come to a deeper understanding of your body and its natural recuperative powers, and that shiatsu will serve you as well as it has served so many others.
Chairman:Matsuko Namikoshi
SHIATSU originated in Japan, founded by Mr. Tokujiro Namikoshi(1905-2000).Today, SHIATSU is a common international language bringing people together from across the globe. The International Shiatsu Congress, which welcomes therapists active in various countries around the world, marks it's fourteenth session, on the 29th and 30th of September 2001 in Rome, Italy. Under these circumstances, our hope to organize an international shiatsu association is stronger than ever. "The International Shiatsu Association" is an active body established in response to this request. I trust that those related to Shiatsu in the world will become members and cooperate to contribute toward the development of true SHIATSU for the health and happiness of people worldwide.
駅前の商店街の中にある動物病院のガラス越しに、また子猫差し上げます、の張り紙と子猫が見えた。うちでは飼えないのかな。
4つの頃、私の顔を傷つけたのは猫じゃない。次兄だ。それなのに何故母は猫を愛護協会にやってしまったのだろう。母はきっと自分が飼ったわけじゃない猫を愛していなかったのだと思う。猫のみいは突然子供に空中に落とされて、ただ無我夢中で私の顔につかまっただけなのに、籠に閉じ込められて他所にやられてしまった。 私にとっても猫にとっても理不尽な話だ。次兄に乱暴をきつく叱ればそれで済むことで、猫はそれまでどおりいたって全然構わなかったのに。 祖母の介護や病気の義姉やら姪やらで母には多分猫のことを構っている余裕がなかったのだろう。しかし飼っていたのは母ではなく、倒れた祖母か伯母たちだったのだから、若い頃仕えていた姑が倒れて自分が責任者になった母は勝手に決めてしまったので、猫を可愛がっていた伯母や従姉妹たちにしたら、今まで留守だった嫁たちがずかずか入ってきて、自分達が可愛がっていた猫を自分の子供の仕業を棚に上げて猫の方を他所にやってしまうなんて随分横暴だと思う。しかも母はそれが悪いことだなんて思っていなかっただろう。血が噴出したか赤チンをどぼどぼつけたか、目の前が真っ赤に染まったあの時の恐怖は今でもまざまざと覚えているが、私は猫が嫌いではない。人に割合単純に愛情表現できる犬よりも猫の方が気が休まるような気がする。飼えないかな。
今晩はパスタとサラダです。スープも飲みたい。
今日もいいお天気です。
日曜日ですが、主人は子供を連れて仕事に行きました。 息子は今日連れていってもらいたいところがあるみたいです。
公園の中を通って仕事場にいく途中、銀杏の香がします。ぎんなんって臭いと思えばすごく臭いけれど、いい香りだと思うと何とも言えずいい香りです。 体臭などでも、そうですね。
ゆうべはさすがにくたびれていて、朦朧としていました。 子供のクラスの忘年会も幹事の一人なのに、一次会で精一杯でした。 夜中に夢の中で、子供の担任の先生に、どうしたらいいの?と叫んで、目がさめても、おかあさん、おかあさん、どうしたらいいの?と叫びましたが、母はいないのだ。主人は少し放っておけばといいました。親はなくとも子は育つ。蓼食う虫も好き好き。まあ、たまに泣くのも休まるものです。
休日があるということは実に嬉しいです。休めることは有難い。 でも家の中のこともやらないとまわらないので、さっき飲んだドグマチルとセルシンが少し効いてきました。 さて。昨日は昨日。今日は今日。明日は明日。お天気だから洗濯物が干せて気持ちがいいです。風も通しています。
久しぶりに裏庭を見たら、コスモスのピンクの花がまだ咲いています。秋桜か? 私がいなくなっても、次に入った人の目も楽しませてくれたらいいな。
世の中よくできているもんだ。
とはいうものの、機械音痴の私は、全自動洗濯機よりも、近頃は、やっぱり手洗いがサイコー!と思っているところです。 ワイシャツなどの襟の汚れには洗う前にスプレーをかけますが、手で絞る力はまだ今ひとつなので、洗濯機の脱水機能を使っています。 しかし、布巾や雑巾などを絞るのに、生ぬるいとびしょびしょしてしまう。 しかも私の絞り方は左利きなので、他の人の絞った布巾を絞りなおすのは手間です。
今日は国際女子マラソンだったんですね。 エチオピアのアレム選手、やっぱりすごい!やっぱり人との競争というよりは、自分自身のことですね。
昨日『世界で一つだけの花』を息子のクラスメイトのお父さんが歌っておられました。ナンバーワンにならなくてもいい、世界で一つだけのオンリーワン。オンリーワンが何十億?(^^)>
息子は土曜日に水泳の級が上ったのに、その賞状を駅のホームで線路に落としてしまったらしい。どうもぽかんと抜けたところがあるのはどっちに似ているのかな。私か。
できないなできないなと思いがちだったりするのですが、仕事場の暦か何かに、日日の訓示のようなものが書かれてありました。できると信じることが何かをなすとか?いいことしているつもりでも、果たして本当にいいことだったのかわからなかったりしますけどね。例えそれでも精一杯やるのも一興。
今日はいいお天気です。いつのまにか冬ですね〜。
今日は仕事場でミーティングがあったのでちょっと驚きました。でも若女将も素敵〜。ぼおっとしていて、お誕生日おめでとうございますも言えませんでした。
今晩はジャガイモの塩コショウバター炒めとビーフステーキ。小松菜そえるかな。おでんとめかぶとろろ。
今日は午前中お天気が良かったので、洗濯物を干してから出かけたら、少し遅れてしまいました。でも、少しずつ仕事の内容がわかりつつあると思っています。でも折角少し応用がきいたところで、お醤油をつけて帰るのを忘れました。今日は早く寝て明日に備えないと。やはりめざすのはパーフェクト。
ゆうべはハヤシライスとサラダでした。玄米入りご飯で。 ハッシュドビーフには大根の葉や乾燥椎茸なども入れました。 サラダはカリカリベーコンとゆで卵とレタスをマヨネーズで。
安売りキューリと残っていた蕪を芥子漬けに。舅にもらった芥子漬けの素で。なかなか美味です。
娘が少し元気になってきたようなのでほっとしているのですが、心配の種はどっさりあります。心配の種は生きがいになり得るのかもしれません。心配しなかった方がおかしかったかも。
しかし目下のところはこれから三日間の仕事をやり通せるかどうかです。とりあえず今日一日。足袋は干したし。と、思い出した。もう一つやることが。
それにそろそろ来る頃だし。さすがに先月は3回に減りました。 体重も少し減ってきました。
ふう!息子に夕飯食べさせてほっと一息。キューリぽりぽりがんまい! 体はえらいですが、パートを始めてから、いろいろ言われても、あまり落ち込んでいません。家の中のことも、仕事場の刺激で前よりきれいにしておこうという気も増えたし、いい影響があると思っています。以前は特にたいしたこと無くても涙が出たりしていましたが、仕事を始めてから、体はきついけれど、泣いたりすることはなくなっています。実のところ、安定剤ももう飲んでいないのですが、万一のためにとってあります。
しんどいことは覚悟していたし、それに慣れることを企図していたのだから、しんどいから辞めるということはできません。一年以上続けると言ってしまったし。とりあえず一ヶ月は続けます。
私が緊張しても、もともと元気な人たちの輝き(?)にはかないませんが、急にではなくても、いい刺激だと思います。
正直なところ、土曜日の仕事は特に恐怖です。でも怖くない怖くない。怖い対象に対するほど、チャレンジしていくことが必要だと思っています。
着付けがまだ手間取るので、明日も早めに出勤します。
昨日は早めに出勤したので、落ち着いて働けました。 雨でも結構出かけて見える方は多いようです。
主人が投票した人は当選しました。 私が投票した人は落選しました。 主人は、私が投票した人のことを、頼りないと評していました。自分が投票した人の方がちゃんと政治してるよ、と。私は頼りない人を頼ってあげるのも悪くないと思うのですが。夫婦でやり方が違っていてもいいと思います。まだ若いんだから、一度くらい落選するのも悪くないだろう。
今日は雨が降っています。 雨夜の品定めというのを検索していて、源氏物語のHPを覗くことになりました。
色々な世界があって、なんともいえない。
先週は徳川家康の遺訓というのを東照宮で見かけて、堪忍は無事長久の基、不自由を常と思えば不足なし、ふむふむ、などとやっているのですが。
自意識過剰も大変ですが、見られていることを意識するのも悪くないと思います。お客様に帯を直して頂いちゃった、と申しましたら、洗い場の女性が、よかったじゃない、とおっしゃいました。だって私は茶道の心得もないのに、お客様は心得のある方が多いんだもの。着物での立ち振る舞いって足腰の鍛錬になりそうだわ。
ざるのような私がちゃんとものになるでしょうか? 社員の人にどやされちゃった、と主人に申しましたら、何日行ったの?と訊きます。八日くらいかな?と申しましたら、まあ、うちにいるよりいいだろう、稼いでもらおうとは思ってないよ、と主人。 女性がほとんどの職場ですが、一人男性社員があって、仕事が速いです。おそらく私より若い方ですが、仕事には精通しているようです。 理不尽だ、と言いたい状況もありますが、とりあえず、続けて通います。 定期券も買ってしまったし。慣れる慣れる。200年以上続いているんだから、私一人くらいではびくともしないさ。マイペースでいこう。
選挙に行きました。足袋や襦袢を洗ってアイロンかけたり。
磯野きりこさん、ご結婚なんですね〜。おめでとうございます!
夕飯は、八宝菜、白身魚のフライ、大根と豆腐のおみおつけでした。
NTTの電話やパソコンが繋がっているのは有り難いことだと思いました。 携帯の充電ができなくて。旦那さんはまだ相手にしてくれるし。
パートの仕事について。 それにしても、まだ着物の着方がちゃんとしていません。うる覚えも怖いです。 もっと神経を研ぎ済ませたいのですが、私は本当に鈍です。 でも毎日いろいろなことがあって、まだまだ新鮮です。刺激があって楽しいです。とにかく続けたいです。
家の中の整理も進んでいるのですが、なかなかです。
今日は少し曇っています。でも袖なしで空気の入れ替え。
少なくとも三日は続けてね、と息子が言うので、とにかく五日は続けたわと 思います。
午前中息子のクラスの忘年会の打ち合わせ。 ビンゴゲームやクイズなどを企画しています。
携帯っていろいろな機能がついているんですね。うまく使えれば便利なんだろうな。
主人に、本当に駄目なんだね、と言われたことがあって、私は本当に駄目なんだと思ったことも多かったですが、ふと、どこがそんなに駄目なんだ?という問いが湧きました。元気な問いだ。
人は思いがけないことを口にしてくれます。例えば主人は、私のことを、頭いいなあ、と言ったこともあるし、馬鹿だなあと言ったこともある。ということは、頭いいのか馬鹿なのかよくわからないです。 どっちやねん?!という振り子も左右によく揺れました。 この頃はどっちでも気にならなくなってもきたのですが、言われた時は結構インパクトがありました。だって何が頭いいのかその時はわからなかったし、何が馬鹿なのかもわからない。だって馬鹿ですからね。もともと住んでいる世界が違うから、彼が自分の価値観にあてはめてどうこう言う言葉の端々をつなぎあわせて想像するのですが、彼の美学に私は合わない部分もすごく多い。似たもの同士なんだと彼が言ったことがあるのも、どこが似ているのか私にはわからなかったですが、ふうん、と聞いていただけでした。彼の心の中の物語における彼と私、私の物語の中の彼と私とは、別の世界のことに違いないと最近は思うのですが、それも面白いと思うのです。 息子がゆうべ、好きな果物はマスカット、嫌いな果物はバナナ、と突然言いました。 主人は、お母ちゃんはバナナ大好きだよ、この世にバナナさえあればあたしは一人でも生きていけるわ、ってなもんだよなどと笑いながら息子に言う。 息子がバナナが嫌いな理由はわかるような気がするのですが、しかしバナナが嫌いでもマスカットが好きなら、生きていけるんじゃないかな。 私は何だか違う自分がもう一人主人の中で生きているような気がして不思議です。冗談を言われるようになってよかったです。床に包丁を突き立てて騒いだこともあるんですが、それでも、子供の頃に、鋏や刃物を人に渡す時は、刃を相手に向けないこと、自分の方に向けて柄を相手がつかめるように渡すのだといったアドバイス、誰が言ってくれたのか、母だったかな?そのアドバイスにも今とても助けられているような気がします。無造作だと、私は悪気無く刃を相手に向けて渡そうとするような子供ですから。母がイライラした時は新聞紙を破く、と言っていたのも、役に立っていると思う。 翌朝ビリビリになった新聞紙を眺めると、本当に自分が馬鹿なのがわかるのですが、そんな私を神仏が憎むとは思えない。馬鹿なやつだとお思いでしょうと思う。 だから主人をつかわしてくれたんだ。主人は私に私の知らなかった情けをかけてくれるのです。 私はあなたの気に入るようにはできないからお別れしませうと言った私に、彼は子供まで生ませてその子を可愛がってくれるのですが、まったく人生ってわからないものですね。負けたよ、身も心も捧げる、なんて言わせたいとは、私はまったく考えていませんでした。ほうぞう菩薩が十劫の時を経て成仏するお話と同じくらい不思議に感じられます。摂取不捨の御仏のお慈悲みたい。
よく眠りました。健康的です。快食快便。
今日は文化の日か。 あの人のお誕生日なのを思い出しました。あの人って女の人なのですが、猫ちゃんやハムちゃんの中に埋もれて暮らしている優しい女の子(あ、奥さんなの)です。友達として忠告してくれたことがある人なので、友達と考えていいかな? 私は聞いているようで聞いていなかったのですが、耳痛くても正しい忠告だったので、やはり友達だ、と思うのです。
阿諛ってどういう意味かご存じでした?あゆって読むんですね。私は知らなかったので、辞書でひいてみました。おみくじをひいてみたら、大吉だったので、ほいほいと喜んで読んでいたんです。そのおみくじに書いてあった。
我に阿諛する者は吾が賊なり、と。 褒められると嬉しいのが人情ですが、それでいい気になっていてはいけないと。 そういうことなんでしょうね。
あゆ 1 【▼阿▼諛】 (名)スル 相手の気に入るようなことを言ったりしたりすること。へつらい。 「―追従(ついしよう)」
私は結構鮎追従することがあります。友達にね。だから、私が賊かもしれないな。でもへつらっているつもりはないんです。思ったことを言ったまで。思い浮かばないことは言えませんからねえ。
ところで、鮎ってあまり頂いたことがないんですが、美味しいものなのかしら?鮎の塩焼きとかって旬はいつなのかしら?
吾って何でしょう?また国語辞典。で、我と同じ意味だけれど、あ、って読むんですね。吾妻あがつま。
本当に知らないことが沢山。
阿諛は、揶揄とは違うんですね。揶揄は、やゆ。阿諛はあゆ。全然違うのね。 で、揶揄は以前辞書ひいてみたことがありますが、またひいてみます。
揶揄は、からかうこと。なぶること。ですって。からかわないでよ、とか言われて驚くことがありますが。まったくわからないことばかりですよね。わからないのは私だけか。
で、もうひとつ。
我を非としてむかうる者は、吾が師なり。
我を是としてむかうる者は、吾が友なり。
私は本当に人情の機微に疎いのですが、あまり気にせずに働かせて頂きたいとこのように思っております。
すると、おまえは駄目だ、と言う人のおっしゃることは、先生だと思って伺うと、結構ためになるかもしれませんね。
それにしても、好きな人と離れていて、その人がどこで誰と何をしていても、信頼しています。でも会えたらやっぱり嬉しいな。
野菜が玉葱とレタスだけ。サラダ。卵茹でる。結局肉野菜炒め。ゆで卵は明朝。
鏡台の整理したい。
随分以前に買った『OLの電話ここが間違い』という本をぺらぺらとめくっています。基本的に私は正直者だと思うのですが、社会人として仕事ができるようになるには、色々と知らなければならないこと、気配りがとても必要ですね。
しかしとりあえず、気楽にやります。
アニソンってアニメソングのことだったのね(^^)> カーペンターズとかうただひかるとかみたいにミュージシャンの名前かなと思ってしまった。 いやあ勘違い勘違い(^^;
もし何もかも望みが叶ってしまったら、つまらない。 思い通りにならないことが多いですが、悔しい思いは明日へのエネルギーとなる。
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