�蠧�記
DiaryINDEX|past|will


2002年01月31日(木) 白鷺とワーズワース

ちょっと風ひいたかなと思ってゆうべは早く寝ました。
たいしたことないみたい。

昨日は夕飯豆腐と人参と玉葱の煮物。林檎もむいて食べました。
はよ食べんと。

今朝はジョギングではなくてお散歩にしました。6時過ぎに出る時は
月が煌々としていましたが、7時に戻ってくるまでにはすっかり明けていました。

で、お寺さんの境内の中に、地蔵菩薩やら阿弥陀仏の立像とか頬杖をついているような仏様、あれは弥勒菩薩でしょうか?そういった石仏が沢山並んでいるところがあるのですが、今日よく見てみたら、それは戦争犠牲者のご供養の場所のようです。

お池に白鷺がきていました。あれは鷺だろうな。
公園で大勢の人がラジオ体操をしていました。ラジオ体操第一だけ参加しました。

今朝はまた豆腐と野菜の煮物。ヨーグルトドリンク。餅を二つ黄な粉餅にして頂きました。

娘の写真を親戚の方が送ってくださいました。彼女は亡くなった叔父さまにそっくりだ。とくに目がよく似ている。しかし、だからといって彼女が叔父のようになる
のではないかとは私は思わない。彼女は彼女の人生を生きるのだ。

田中さん更迭か。。。

何か冷えると思ったら、サッシの戸開けっ放しだった。掃除機かけるのに。
指もかじかんでる。
今日は恵比寿さんや大黒さんの頭の上の埃も拭っておいた。
マリーローランサンの絵にも埃があった。

どうしようもない虫食い林檎を裏庭に埋める。

雪印ってつぶれるの?雪印バターでお腹壊したことないんだけどな。

この間、といってももう去年のことになるかな、韓国冷麺にスーパーで買った
松坂牛味付け牛肉というのを見て、パパさんは偽物だと言った。でもあれで
お腹壊さなかったけどな。確かに後でパパさんの買ってきた牛肉の方が美味しかったけどね。あれはぼろぼろと細切れのようになっていて、全くこしがなかった。
柔らかいというより、ぼろぼろだった。パパさんの買ってきたのは確かに
美味しかったけどね。

で、またワーズワースの水仙の詩。おい、TOEICのテストは3月なんだけど。
大丈夫か?こんな調子で。問題集もぺらぺらとめくってみるが。

bliss n. very great joy; perfect happiness.

breeze n. a light,gentle wind → breezy adj.(of the weather)with
light winds blowing; (of a place)open to the winds.
gay and cheerful

ワーズワースは楽天家だとか、喜びの詩人だとか言われるけれども(へええ、そうなの?あ、私、幸せな人だ、とか言ったわぁ)、実はその反対の人生の暗さや悲哀を十分に知っていたのである。さればこそ喜びを喜びとして歌うことができたのである。人は悲しみを知らずして真の喜びを知ることはできないのであり、涙の流せない人は心から笑うことはできないのである。ワーズワースは幼くして両親に別れ
肉親の愛情を知らずに成長し、長じて後も親戚から交際を絶たれ、フランス革命の
人類解放の理想にも裏切られ、Godwinの人間完全性perfectibity of manの理想主義(なんだこれは?)にも裏切られ、自らも海外に隠し子を設けて、心ならずでは
あったがその女性を裏切る結果となり、生活難、思想的悩みなどに心身をすりへらしたのである。彼が人間を取り戻したのは、妹Dorothyの献身的な愛情と、裏切ることのない田園の自然とのおかげであった。

She(nature) has a world of ready wealth,
Our minds and hearts to bless-----
Spontaneous wisdom breathed by health,
Truth breathed by cheerfulness.

One impulse from a vernal wood
May teach you more of man;
Of moral evil and of good,
Than all the sages can. (Table Turned)

自然はわれらの頭や心を即座に祝福することのできる富を沢山持っている。
健康より囁かれる自ずからなる叡智も快活さより囁かれる真理も持っている。

春の森の一つの動きさえ人間につき道徳上の悪や善につき、あらゆる賢人以上に
教えることができるのだ。

昼食はこてっちゃんとキャベツ炒め。しっかり食べてますねー。これでは痩せないでしょう。
住所録の整理再び。

お二階のおばあちゃまがお手洗いがつまったことで相談に見えた。
うちのトイレに置いてある器具をお貸ししたら、一件落着。ケーキを少し頂いちゃった。

このところ私にしては頑張りすぎ。5時まで昼寝しよう。

夕飯は鶏肉のレモン胡椒、ほうれん草と卵のスクランブル。


2002年01月30日(水) 馬頭観音さんとワーズワース

よくねたー!今6時40分。少し走ってきます。

今日は息子も早く起きて登校しました。どうしていることやら。

午前中池の周りをまたジョギングしました。馬頭観音さんとか子育て観音さんとか
日蓮さんの銅像などがあるお寺さんの境内もお散歩しました。

えっと。数値は28パーセント。100分の28ということは、3割くらい脂肪がついて
いるんだわ。1キロでも増えると堂々たる肥満です。ボーダーラインですね。

今朝は夕べの鰻丼の残り半分も食べたし、牛乳も飲んだ。

そういえば、入院していた頃、赤ちゃんを置いてマンションから飛び降りた人が
おられました。今ではお元気じゃないかと思うんですが。今年年賀状とかクリスマスカードはきてなかったな。当時げえげえとだいぶ吐いて苦しそうでした。背中をさすってあげるとありがとうございますとかおっしゃっていましたが、私より4つくらい年上でしたかね。ねたにしてください、とか叫んでおられたけど。
誰からも忘れられてしまったら、自分がかわいそうですよね。

娘の叔父にあたる人は自分で自分に劇薬を点滴して亡くなりましたが。
とても几帳面な人だったそうです。ぽっちゃりしたかんじの人でしたが。
一度しかお会いしたことありませんが。
紫色になっていたそうです。お兄さんはそれを見て血が引いたらしいです。
心中したいと思って彼女もそれに従うと言ったが、本心彼女が死にたいと
は思っていないと思うというので、人を殺すようなことするな、と言うと、
彼は彼女にはブドウ糖を点滴したそうです。
お兄さんは、どうしてお前も死なないでくれと言えなかったのか、本当に死ぬとは
思っていなかったからだ、と言いました。二人でどこででも暮らしていける
ではないか、と。まだいろいろなことができたはずなのに、と。
彼は私が死ぬ前にもう一度会いたいと言った時、死んではいかんと言いました。
私は死なない、でもいつか死ぬその前にもう一度会いたいと言うと、また
いつでも会えると言いました。
人はみないつか他界するものですが。

娘はおこづかいはもらっていなくて、時給1000円の高級とりだそうです。
ケータイの料金もそこから出るとか。
でも一人で出かけるのは心配なので、まだ家族以外の人と外出はなかなかできない
ようです。

そういえば、いいお天気ねーと言ったらそうねーといってくれるひとが欲しいって
そうだなあと思いました。

政局混乱ですって?

ところで、全然話は違いますが、私、高校生の頃、数学の時間、まじめに聞こうとすればするほど、眠ってしまいました。
聞かないつもりはないわけですから、隠すこともできず、先生からかくんかくんと
うたたねする様子が丸見えのところで、口をぽかーんと開けて、あごを前に突き出して眠っておりました。
修学旅行で、おねしょもしました。

微分積分の方程式などを暗記できなかったばかりか、その内容はまったく把握できませんでした。中学の頃の数学は少しだけ楽しめたのですが。
でも、中学の頃は、失恋が多かったです。

で、真紀子さんはどうして泣かれたのでしょうか?

思い通りにはなかなかいかない。でも思い通りになってしまっても怖いですね。

息子は、今日はパパがいる曜日なので、早く帰ってきました。
でも、パパは、今日は昼間展示会のために仕事に出かけていきました。
そんなに遅くならないと思うけど。

ところで、弁天さまって弁財天なんですね。私、弁才天とか書いてしまったような気がします。
厳島神社。

で、ワーズワースの水仙の詩ですが。

開文社の英詩読本(荒牧鉄雄 岡地嶺著)によると、

ワーズワースは野山を散歩している際に、実際に見たり聞いたりする場面を、詩の題材にした人で、野原や日没や子供や風景などは好んで歌った。彼の有名な詩は大部分がそうであるように、この詩も詩人の妹Dorothyと共に散歩している時にヒントを得たものである(130ページ)。

あらら、私ったら、孤独なんて書いてあるので、一人で散歩していたのかと思っていたわ。とんだ勘違いね!

従って、ワーズワースの詩を理解するためには、Dorothyの詳細なJournals(日記)を是非参照しなければならない。この詩Daffodilsは詩人が34歳の時の作であるが、これより2年前の1802年4月15日のDorothyの日記に次のように記されてされてある。
(私たちがガウバロウ公園の向こうの森に行った時、水際近くに水仙が少し見えた。。。。進むに従って水仙はますます多くなり、遂に、木々の枝の下に、岸辺沿いに、長い帯のように続き、それは田舎の有料道路の幅くらいであった。こんなに
美しい水仙は見たことはなかった。水仙は苔の岩岩の間に生えたり、その周囲に生えたり、その上に生えたりしていて、中には、疲れて枕の上に頭を休めているように岩の上に頭をのせているのもあれば、揺れたり、ふらついたり、踊ったりするのもあり、湖水を渡って吹き寄せる風と一緒になって本当に笑うようにみえた。水仙は絶えず閃き変化して、大変陽気そうであった。)この日記を読むと、詩の書き出しの如く、ワーズワースはただ一人で山野を散歩していたのではないことになるけれども、詩は必ずしも事実どおり歌わなければならないというのではない。自分が
歌いたいこと、感じたことなどを最も美しく最も有効に表現することが芸術であり
詩である。

 憂き我を寂しがらせよ閑古鳥

と歌った芭蕉も、

 これぞ孤独の宝なり

と歌ったWordsworthも、等しく好んで求めたものであった(荒牧鉄雄 岡地嶺)。





2002年01月29日(火) 明太子スパゲッティとワーズワース

さて。

今日は一人で電車に乗りました。かねてより思っていたことができたし。

早朝ジョギングはできなかったのですが、ウォーキングはできたということに
しよう。

今日の朝食は、ねこごはん。って、ごはんにお味噌汁をかけたものですが。

で、昼食は、明太子スパゲッティ。ごぼうのサラダ。フランスパンのバタートーストとアイスコーヒー。750円かな。けっこう贅沢ですね。亀の餌はとうとう買ったし。

で、なんでしたっけ?わあ、もう3時だわ。晴天だ。けっこう風吹いてたと思うけど。まあ、冬というにはあったかいですね。

今日は子供も私も早く寝ないともたんぞ。欠伸が出るのが実に健康的。

で、ワーズワースの水仙の詩の最後の節。この頃、ひとつのこと覚えるのが
一度で覚えられません。だから、もう一度同じものを書き出してもいいかな?

だって、ゆうべやったペン習字の詩、思い出せるかな?

洛陽城の東西、長らく時を経る別れを作す
昔去るに雪花の如く、今来るに花雪の如し 范雲(彦竜)

                    5世紀後半中国梁の国の詩人

いいんでないかい?と思ったら、うーん、正解は。。。

長らく時を経るの別れを作す ながらくときをふるのわかれをなす

と、

今来るに花雪に似たり いまきたるにはなゆきににたり

でした。今ひとつやな記憶力。でありますから。
はよ寝えや!と娘にも言われたわけですが。今眠っちゃったほうがいいのか。
今頃、おとうさんが我慢できなくなった気持ちがわかるわ、とか思っているで
ありませう。彼女は。

とりあえず、午後6時までは家にいないといけないので。もう一度ジョギング
行こうかと思ったけどやめて。

ああ、眠い。

For oft,when on my couch I lie in vacant or in pensive mood,they
flash upon that inward eye which is the bliss of solitude;and then
my heart with pleasure fills,and dances with the daffodils(The Daffodils by William Wordsworth).

flash vt.&i. send or give out a sudden bright light;(of the eyes)

become brilliant and sparkling.

come suddenly(into the mind);appear suddenly.

move past at great speed;send suddenly and quickly.


で、they flashのtheyはthe daffodilsだろうと思います。
これはフラッシュバックですかね?寝椅子に一人憩う時、風にそよぐ水仙の
群れの光景が閃く。心の眼に。フラッシュバックする。なんだかとても幸せな人という感じもしますね。心空しく思いに沈んでいても。どうでしょうか?私も幸せな
人間ですね。こうした詩で遊べるのは。

6時まで待っていなければと思っていた用事が済んだので、また4時半頃から
4,50分池のまわりをジョギングして弁天さんと八幡さん。あ、そうだ。
明日はお池の辺のお寺さんにもお参りしようかな。

子供と私は夕飯、鰻丼(中国産)、味噌汁、ひじきの煮物。
で、このひじきの煮物は冷凍食品だ。自分で煮付けることもあるんだけどなあ。

 今日は早く眠る。

 で、夕飯済んでから、私は息子より先に眠ってしまいました。1時間半くらい?
なにか夢も見ました。忘れましたが。
 息子はクリスマスにサンタさんにもらったというゲームボーイにはまってしまってご飯にしようと言ってもなかなか落ち着かず、今日は早く寝よう、本を読んであげるからと言ってもなかなかで、私一人で寝てしまったのですが、私が一眠りした
ところへ読んで欲しい絵本を持ってやってきました。
 そうだ。お風呂に入っていないわ。
 彼が読んで欲しいと持ってきたのは、すずの兵隊というアンデルセンの童話です。ほとんどひらがなで人形とか下水道などの漢字にふりがながふってあります。
おかあさんが読むの?というと、最初、息子は黙読のような様子を見せましたが、やはり私が音読しました。それからゆりかごの歌をカナリアが歌うよ、という出だしの子守唄を歌ってから、少しして、彼はいびきを立てながら眠ってしまいました。
 起きてみると、息子に出した鰻丼はほとんど手付かずで、お味噌汁だけなくなっていました。私は鰻丼もひじきの煮物も味噌汁も平らげたのですが。

 パパさんが帰ってきました。で、今までは、パパさんが独身の時から使っていた10年以上前の電話機を使っていたのですが、このたび、子機つきの電話機をかいまして、それが来たので、パパさんが取り付けてくれてます。

 お風呂のお湯入れたんだけどな。まだ保証書とか説明書とか読んでいる。
先に入っちゃうぞ。

 いびき、ですから、やっぱり絶好調とは言えないかも。
 でも、とにかく8時半に眠ったので、ほっと一息。
 


2002年01月28日(月) かもめと絵馬とワーズワース

今朝は子供は何とか学校にやったが、早朝ジョギングはできなかったので、
午前中1時間ほどジョギングした。そうしてみると、誰と約束したわけでもないので、午前中でもOKであるところが、専業主婦の自由さである。自分との約束であれば、自分さえOKならば、ジョギング三日坊主だった(TT)と落ち込むこともないのだ。

で、午前中の明るい日差しの中で眺めてみると、べんてんさんも、漢字で弁才天
(実は旧漢字)いわはんねんな、とか、読める。眼鏡をかけて字が読める楽しみである。こうした楽しみを、いままで視力がないわけでもないのにあまり考えていなかったかも。八幡神社の絵馬を眺めるのも楽しい。ささやかで優しい願いが述べられている。一攫千金させてください、とかいうのはなかなか見られない。競馬をやる人などは、当たらせて欲しいと願っているんじゃないかと思うが。

かもめが池で憩っている。

さて、思うに、私にはついもったいないお化けが出て、そこにあるものを食べてしまう癖がある。昨日も自分の座った席のまき寿司とかお菓子とか酒類をみな平らげてしまった。会費を払ったし薦められて食べたのだから食べていけないわけではないが、夫や子供に作った食事とは別に自分が食べたものをこれからは記入しようと思う。

さて、今日こそは、亀に餌を買ってくる。フィルムの現像は水曜日にできる。

娘の携帯電話の基本料は父親が出しているらしい。それ以上は娘の自腹だし、
メールだけならそれほどかからないから心配するなと言う。自腹というのはやはり
こづかいをもらっていると思うが、どのくらいもらっているのだろう?勉強は楽しくないが、今の高校の友達は面白くて優しくて大好きな子ばかりだ受験した甲斐があったという。女の子ばかりなんだな。

裏庭に植えた紅白の沈丁花はどうやら根付いたらしい。赤い方に日が差している。
大家さんが入れた植木屋さんが植えてくださったのではないかと思われる斑入りの
葉のも元気だ。

で、ワーズワースの水仙の詩をまた少し。

For oft,when on my couch I lie in vacant or in pensive mood,they
flash upon that inward eye which is the bliss of solitude;and then
my heart with pleasure fills, and dances with the daffodils.
そは心空しく思いに沈み、寝椅子にひとり憩う時、花 心眼に閃けばなり。
これぞ孤独の宝なり。かくて心は喜びに満ち、黄水仙と躍るなり。

で、また辞書で私の知らない単語、pensiveというのを引いてみます。

pensive adj. deep in thought;seriously or sadly thoughtful.

(of a poem etc.)expressing sad thought.

oft adv. (in poetry)often→many times;frequently.

oftというのは、詩的な言葉ですね。oftenはしばしばという意味でしたよね。

さて、正午過ぎた。一時中断。

さて、ところで、今朝の息子の朝食はホットミルク少々だけだった。

そういえば、昨日、シューベルトの子守唄をご一緒に歌って下さった方があった。
後半の歌詞を知らなかったのだが、カラオケでは歌詞が出てくる。シューベルトの子守唄のCDがあるといいかな。あ、あったかな?あの方が贈ってくださったCDの
中に。

おかしいな。ガーシュインのCDはあるが、ララバイやフォーレバーヒットポップス
セレクションのケースだけでCDが入っていない。聴いた後、ほったらかしだったのか。ダンスミュージックはある。ダンスミュージックはほかのケースに入れていある。ほかのケースにしまってしまった可能性があるな。とりあえず、ダンスミュージックを聴いてみる。前回のカラオケでダンスのお相手をしてくださった中国語の
先生は昨日はなかなかしぶい演歌を聞かせてくださったが、今回はダンスはなし。
管楽器のジャズがjazzyだ。これはなんという曲か。なんとかマチニー??
When the Saints Go Marching Inだった。

ハワイアンな曲も入っている。あの方はまだアクセスしていないなあ。どうなさっているのかな。
昨日静岡からいらしたなかなか素敵な女性のダンスは粋だった。

それにしても、痛ましい事件があるなぁ。。。

ペン習字の課題の練習。今日はヴェルレーヌの詩と中国の詩人范雲の詩。

夕飯はハムとレタスのサラダと茄子カレーライス。沢庵。

パパさんは塩鮭と冷奴と沢庵と豆腐と大根と椎茸の味噌汁。

今日は無意識に沢庵をだいぶつまんでしまった。
明日からは、ちゃんと食事を記入する。間食を慎むつもり。時間を決めて。

息子はパパさんにゲームボーイの攻略法を熱心に語りパパさんのゲームを励ましていた。今は寝ながらせいんとせいやというアニメを見ている。

息子が親父の会というのの主催の運動会に出ると言っている。

パパさんは久しぶりに昔の写真を見て懐かしがっている。入社当時の写真とか。




2002年01月27日(日) カラオケオフ

カラオケオフに行きました。とても楽しかったです。
今回は前より声が出たし、途中でちょっと涙が出そうになったけど、
たいしたことはなくて済みました(^^)

ゆうべなんだったので今朝はジョギングはなしでしたが、日曜日だから
お休みだったということにしよう。

で、明日はまた早朝ジョギングいたします。


2002年01月26日(土) 拍手とワーズワース

今6時です。1時過ぎに寝たような気がするんだけど。目がさめました。
ジョギング行ってきます。

6時40分にはもうすっかり夜は明けていますね。今日は弁天さんにも八幡様にも
ぱんぱんと拍手を打ってお参りする方を見かけました。私も一応手を合わせるだけでなくて、ぱんぱんしましたが、で、一応がらがらのひもにも手をかけましたが、
周囲に響くほどの音は出せませんでした。

私は娘の父親と婚約していた頃、先方の電話代が6万を超えたことがあったので、
心配になって娘にケータイの基本料金等を問い合わせたところ、3000円以内だと
言っていました。電話機は1円だったとか申しております。どなたのお財布から出るのでしょうか?月々のお小遣いとかあるのでしょうか?離婚の話の時に、祖父母の
養女にするという話も出たので、おばあさまからの線を思うのですが。
ケータイはいろいろなパンフレットを見てお得なのを選んだとか。お小遣いの出先はおばあさまではないでしょうか?私が贈った本は、@@せんせのところへいって(受け取った)というようなことを聞いたので、私がおばさまと呼んでいる娘のおおおばさまのご主人の親戚の方も、こころくばりしてくださっているのだと思います。
大人ばかりの中で育ったので、いいこにならざるをえなかったのだとか本人は申しております。学業にもスポーツにも励んでいるみたいですが、同じ年頃のお友達はあるのでしょうか。

さて。これからどうするか。

あれは済んだ。日日は少しかかるが着くだろう。今日は26日か。

さて、今晩は何にしようかな。

実はヘルスメーターがきたので、数値はわかったのだが。体重落としたいな。

さて、今日は土曜日。資源ごみも出したし。

それにしても、あの方はどうしておられるのかなあ。もう私のことなんて忘れてしまわれたのかしら?彼女の声を聞けたことを真っ先に伝えたかったのに。もうアクセスしていないのか。一期一会って。一期って一生涯という意味だったのか。一期の思い出というのは一生涯の思い出ということ。すべての客を一生に一度しか出会いのないものとして、悔いのないようにもてなせという教え。誰もが通る道なんだろうがなあ。そうでもないか?

さて。Daffodilsの詩に戻って。

The waves beside them danced; but they outdid the sparkling waves in glee:
A poet could not but be gay,in such a jocund company:
I gazed and gazed but little thought what wealth the show to me had brought:
波輝きて踊れども、楽しき花には如かざりき。この愉快なる友を得て、詩人なんぞ楽しまざる。心行くまで眺めたり。されど少しも知らざりき、かかる景色の尊さを。(英詩読本 荒牧鉄雄 岡地嶺 開文社1959)

glee n. a joyful state; merriness and happiness caused by triumph or success. a song for three or four voices, singing different parts in
harmony.

ところで。彼は鉄道模型にどっぷり?鉄道模型ねえ。。。。線路は続くよどこまでも、、ってか?そういえば、B級映画でも、ロケットが飛んでいるだけで嬉しいんだとかおっしゃっていたっけ。ゴジラが好き?ゴジラねぇ。で、彼女と一緒にお芝居は見に行かないの?うちの家族も血液型ばらばらだけど、って、関係ないか。私も
そういえば、子供に鉄道模型して遊んだことあるけどな。一人でか?

どうも投票ボタンを押せないものがあった。あれは押せない。かなりの得票数があるようだけれども。なるほどねえ、こういうものか、と思った。どうだっていうんだ?お互い様じゃない?私のを見たって押せる人と押せない人とあるよね。そのときによってもちがうだろうし。でも、あれはついていけないなあ。羨ましくもないというよりは、何だか気の毒過ぎて。私にもああいう側面あるんだろうか。
なんてまたおにょおにょしてしまう。私にだって分裂傾向はあると思うんだけど、
同じ分裂だから相容れない世界なのかもしれないなあ。


2002年01月25日(金) 縮緬雑魚とワーズワース

今、朝5時です。2分過ぎか。

あーー、葉書等の整理していたら、私、どこへ足向けても寝られないやつだということがひしひしとしてきました。ああ。

で、またしても、徹夜になりましたが、とりあえずこれからジョギングしてきます。

今このあたりでは朝6時前だと暗いですね。今日はお馬さんの神社には寄らず、
弁天さんだけでした。

午前中眠りました。

ゆうべは息子がアトピーと喘息症状で夜中に泣きました。
娘は子供の頃やはりアトピーとか鼻炎とかだったようですが、この頃はきれいだ
そうです。味噌汁にキャベツなんていれるのか?大根の味噌汁の方がいいとか
言ってます。そのためにわざわざ買いに行くかいな。あるもんを使うんじゃ。

息子はまだおっぱい小僧です。困ったものです。おっぱいのことしか頭にない
とか言って胸を触りたがるんです。
お前にはだいぶ飲ませてやったというのに。
娘には初乳はやりましたが、あまり出なくて1ヶ月くらいでやめてミルクにしました。あの頃は、人前でぽろんと乳を出すのなんて平気でした。彼女の父親は複雑な
表情でしたが、彼女のおじいさまの前でもぺろんと出したことありました。
だってバスト1メートル超えてたもの。私は華奢で少年のような女の子に憧れています。私の体格ってたくましいんだもの。筋肉ウーマンじゃないけど、骨は細くありません。爪も丈夫です。それは母が縮緬雑魚を沢山食べていたからか、あるいは、牛乳をよく飲むからなのか。まだ骨を骨折したりした経験ありません。

今朝もほうれん草の味噌汁作ったんですが、息子はあまり飲みません。出汁もきいててまずくないと思うんだけれど。醤油と海苔巻の餅は食べました。

さて、耳鼻咽喉科。

あと、何と何があるのだろうか。

眼鏡かけないと把握できないような気がする。

さて、ワーズワースとタイトルしたので、ちょっとだけ。

outdoという単語。行為などが〜をしのぐ。まさる。出し抜く。とかあります。

outdo oneself だと、今までになくよくやる。非常に努力する。今までの自分を出し抜いてやるんですね。

fuuuu!!
ほっと一息。耳鼻科で粉薬ではなく、錠剤を頂いたので、子供が素直に飲みます。
結局娘に言われた大根と豆腐を買ってしまいました。スーパーで子供が落とした
ゲーム機を、後で探しに戻ったら、落し物として取っておいてくださいました。
拾って下さった方があるんですね。

今日は学校のクラスのお友達が授業のことなどのお手紙を届けて下さいました。
明日の土曜日は学校お休みなので、薬を飲んで週末ゆっくりすれば、喘息も治るんじゃないかと思います。帰りがけに担任の先生に出会いました。

そうだ。また娘にメールしてみようかな。





2002年01月24日(木) W.Wordsworthと弁天さま、ならびに八幡神社

今朝もジョギングしてきた。夜がすっかり明けていたけれど。昨日の朝は東の空が
赤かった。その前はまだ暗かったような気がする。今日も弁天様にお参りしたし、
ついでに、馬の銅像のあるあそこの神社にもお参り。

で、ゆうべ娘に、今朝食は玄米お結びだけだったりするといったら、彼女は家庭科の授業のお仕込みで、味噌汁と納豆くらい出さんとあかんと言うので、今朝はキャベツの味噌汁を作った。でも実は昨日の朝はパパさんが本物の松坂牛の格安をゆでたりした朝食だったのだ。で、昨日近所のお店でたまたま見つけた古代米というのがあったので、今朝は古代米のご飯だった。奈良平安朝の頃食された米らしく、炊くとお赤飯に似た味である。豆が入っている。少しクロっぽい。味は悪くない。子供も食べたが、味噌汁と納豆だせと言われたと言うと、いいこだ、と笑った主人は
時間がないと言って食べずに出かけてしまった。子供には食べさせろと言って。
時間があるとどうも途中でそばかうどんのスタンドに寄るらしい。キロロのような
可憐な少女がやっているのかも知れない(ま、この辺の想像はものの見事に裏切られるだろう)。

で、今日は郵便ポストに投函するものがあるし、あれとあれとあれとあれ。
これとそれもある。

にも関わらず、またワーズワースの水仙の詩である。
Along the margin of a bay:Ten thousand saw I at a glance,Tossing their
heads in sprightly dance.(Introduction to English Poetry by T.Aramaki
and M.OkachiKaibunsha LTD)

marginというのは、時間、金銭などの余地、余裕、あるいは、株式取引などの敷金
や委託証拠金(security),商業の販売収益、経済で生産費を償うのに足りる最低収益、可能性などの限界、ぎりぎりの線、極限(limit)などの意味もある。

で、1941年の1月にA.S.Hornby氏らによって著されたIdiomatic and Systematic
English Dictionary(kaitakusha)によれば、marginとはborder,edge,an extra
amount(of time,money,etc.)above the estimated minimum,a condition near
the limit,borderline,below or beyond which something is imppossible.
などとある。可能性などの限界。そうですね。

 the margin of a poolといえば、プール水溜りなどの淵、縁。

 だから、この水仙の詩におけるthe margin of a bayは湖水や湾の敷金ではなくて、湖水や湾の淵、縁なのですが。しかし。

 さて、着替えて郵便局行ってこようか。しばし、中断。

なんと掃除とはしてみるものである。今掃除機をかけていたら、このところ息子の小学校の制帽がないないと息子を責めていたのだが、なんと息子のデスクの裏側に落ちていたのだ。新しい帽子買わなくて良かった。

さて、郵便局は済んだ。家の中も片付いてきた。で、いよいよ名簿の整理にとりかかるか。でないと、彼女に結婚祝が贈れない。亀さんの餌はまだある。この餌は電車に乗って買いにいかないといけないので、もうしばらく先。このあたりの昔や小学校のことをご存じのかたについては。どうしようかな。1月末までか。

 裏庭の時には日の当たることもある場所に植えた紅白の沈丁花の株は枯れていないが、花はまだ蕾である。

 道を歩いていて思ったのだが、どうもこの間のコスモスと思って買った花はあれはコスモスではなかったかもしれない。似ている花が他所のお宅の花壇に植わっていた。きれいだが、コスモスではない。萩の花もつかなかった。どうしてだろうか。

 娘は父親の奥様のことを継母さんと呼び口煩いと言うが、口煩いのはそれだけ
自分たちのことを思ってくれているからだと感謝しているようではある。主人の親戚の女の子も自分を生んだおかあさんだと思っていたらそうではなかったと年頃になって知りショックだったが、自分が気がつかないくらいよくしてくれたおかあさんてなんて素晴らしい女性なんだろうと感動したりしたみたいだ。しかし、私の生んだ娘は、自分のお父さんの再婚した人を継母さんだなんて呼んだりして、ちょっとはしたないぞ。まるでシンデレラか白雪姫を気取っているんじゃないのか?まあ
私とだからだと思うが。まあそれは当たらずも遠からずかもしれないが。意地悪な継母なんて童話の中だけの世界で、実際は継母の方が夫の子供に神経をすり減らされているのだと思うが。しかしとりあえずお元気になられたようで良かった。この間60歳で子供を作られた方もあったことだし。まだ継母さんは40代なら、子供でもできれば白血病なんて引っ込んでしまうのではないだろうか?そうすれば私の生んだ娘も自由に好きになった人についていったりすることが可能になるかも。
なあんて、私勝手なこと言い放題。ほんとに困ったおばちゃんだわ。余計なお世話よね。陳謝。

素直そうな顔をしていても、今年の元旦に実家の父の後添えさんに見せた私の顔は酷かったではないか。なんで私があなたの力にならなくちゃいけないのよ、なんて随分手のひらを返したような物言いだ。今のところ法律的に多額の借金取りが私のところに追いかけてくるわけではないし、彼女が物事を進めるのにまず私の兄と進めなければいけないのにそれが忙しくてなかなかつかまらないで四苦八苦している状況などについて私はもっと思いやりを持って、兄がいない間に、少なくとも、黙って聞くくらいはしてあげても良いのに。彼女は今一人なのだ。愚痴を言える人は
あると思うが。しかし、実際時代劇や物語のように明確な悪役を作らない時こそ、
このように自分でも思ってもみないようなことを口走ったりすることになるのかも知れない。私には義母の愚痴が私を責めているようにしか感じられなかったのだ。
彼女は寄る年波の心細さから私を頼りにしてざっくばらんに状況を話していただけなのに。彼女はとても情けない思いをしただろう。私の心がはしたなかったのだ。
気が小さいのだ。
あんなに世話になっておきながら。人の心のアナログさというのは始末が悪い。
お互いに何の悪気もなく、ただよりよく生きたいという気持ちであるがゆえに
ショックなのだ。でも、気を取り直して。

こういう私の娘にまたはしたないところがあるのは似た物どおしなのかもしれない。あの元気な娘は、また期せずして父親の期待を裏切ることになるかも知れない。

なあんてまた私のしょうもない空想癖が。なるようになるさ。神様がいいように
してくださる。なむあみだぶつだ。

それにしても私の昔のお局様の結婚祝、なにかいいものないかなあ。

古代米というのは、やっぱり昼間眺めてみたら、お赤飯みたいなものだ。赤紫色だな。

さて、再びワーズワースの詩。

in sprightly dance のsprightlyというのはgay,cheerfulとある。

tossing their heads in sprightly dance

toss vt.& i. throw, esp.through the air without using great force

トスというのは、バレーボールのときに聞いた言葉だ。私にとってはバレーボールのトスというのはとても難しいものだった。ポンと弾く感じが。
 しかし、今回辞書を引いてみて、気がつくのは、軽く、無造作に、投げたりほおったりするものらしい。無造作。
 wanderはaimlessであり、without any destination
floatはfreely,aimlessly
tossもwithout using great forceなのだ。

なのだ。なんだかばかぼんのママというよりは、ばかぼんのパパなのだ。

葉書やお便りの整理をしていると、なんとたくさんの素敵なものに出会ってきたことかと愕然とする。なかなか捨てられない。それはすでに過去のものであって、
過去はもうないもの。今しかないとしても。住所だけ拾って処分しようとしても
そこに込められた友愛としか思えないものがにじみ出ている言葉たちを、私は
また忘れてしまうのではないかと心配で捨てられない。
私の心の正体というのは、このようなエゴの塊であるのに、こんなに救われてきたのに。
 


2002年01月23日(水) 彼女と同じ布団でおしゃべりしつつ眠りたい

夜は寝たほうがいいと思って横になっていたんだけれど、どうもやっぱり興奮していて、眠れない。
私、こんなに早く彼女の声が聞けるなんて信じられない現実だ。

だって、ものみの塔の活動していたある年配のおばさまは、当時かなりご年配だったにも関わらず、自分や父親を置いて出て行った母親に会いたいとは思えなかったとおっしゃっていたし、もっと何十年も先の話、ひょっとしたら、骨になったら拾ってくれることもあるだろうか、と思っていた。彼女が60歳で私が80歳以上になったら会えるかな、と。
 彼女と別れるとき、私は、別れるとは思っていなかった。疲れたのだろうと実家に返されたとき。元気になったら帰ると彼女に約束した。実家にはもはや行くのであって、帰るところとは呼んでいなかった。私は不本意なときでも自分から実家に帰らせていただきます、とは思えなかった。帰りたいとすれば、ピアノの前に。自分のデスクに。立てひざをついて煙草をふかしながら悪態をついていた仏像の前に。嫁ぎ先から実家に行ってみると、もはやピアノはなかった。女は三界に家なしだ。騒ぐほどのことじゃない。でも、高校生の時は一日3時間以上弾いていた。小学校の時はお稽古の日に30分も練習する程度だったが。
パパさんは、携帯電話はとてもお金がかかるから、こちらからかけてあげなさいと
言ってくれた。しばらくはメールだ。
彼女は息子のことを弟くんと言ってくれた。知りたいことがたくさんあるようだ。
みんながんばっているんだけど。。という彼女の声が。大変なんだ。。
電話するの勇気を出したと言っていた。
でもこんなに早く会える(やはり声を聞くと会うかんじがする)
なんて。もしかして、彼女も今眠れないだろうか?でも、夜が明けるまでは携帯
の音は鳴らさない。
それにしても彼女のイントネーションはほんまに関西のこぉやなぁ(^^9
頼もしいなあ。できたら、ふたりで旅とかしてみたいがなあ。そんな場合じゃないかな。うう、以前よりだいぶ太っているから写真は恥ずかしいよぉ。。って
実は彼女を生んだ後乳牛みたくになっとったやんか。何をはずかしがっとんねん
いまさら。そんなんとちごて恥ずべきことはあるけどな。
でも、うれしい。夢みたいだ。声を聞けるなんて。
それにしても私は17歳のときあんなに大人じゃなかったなあ。もっとのぼtっと
しとったなぁ。いまでもかもだけど。そないにまだ大人にならんでええよ。
もうしわけないがな。

また弁天さんにお参りジョギングしてきた。ジョギングとか早足のウォーキング
している人けっこう多いな。かなり元気一杯の年配の女性たちとか、目に力入って
いたような。ひょっとしてホームレス。。?というようなとぼとぼ雰囲気であるいているひともあった。おっちゃんホームレスとちがうの?と話し掛けたら、失礼な
って怒られたかな。冷たいなあ早朝の空気はかなり。私もかな。

明日も早く起きたい。


2002年01月22日(火) 弁天さまとワーズワース

さて、今日は晴天のようです。このあたり。昨日の雷鳴や稲光はなかなか景気が
良かったです。

で、私、今までは、野菜などの生ごみをごみに出していたのですが。今朝は、
裏庭に穴を掘って埋めてみました。

実は、お正月の松竹梅、竹の華瓶に松と梅と黄色や白の菊と赤いナンテンなども入っているのですが、これも、旬を過ぎた後、ごみ捨てに出すのが忍びなくて、裏庭に埋めたんです。菊の花びらと松とが顔を出しています。

夕べは早く寝て、今日は、早起きとは言えなかったけど、まあ、起きて仕度できました。でも、もう少し早く起きた方がいいですわたし。そうすれば、ジョギングも
早朝のお散歩もできるし。夜明けのコーヒーも飲める。え?夜明けのコーヒーって
ちょっと違う?そういえば、あのあと、パパさんはすぐに眠らず、何かキッチンでごそごそしたりするけれど。夜明けのコーヒーとはちがうのかな。

そういえば、昨日の早朝ジョギングとお散歩した途中で、お池の辺の弁天さまに
お参りしました。早朝音出すのが気が引けて、がらんがらんとは鳴らさなかったけど、50円お布施。明朝はお参りできないかな。今朝は自分で目覚ましかけなかったから早起きできなかったのよ。今度からは目覚ましかけなきゃ。だってそのための
目覚し時計よ。使わなくちゃもったいないわ。置物にしておいても。
そういえば、マックも置物になっているのよ。パパさんはマックを大事にしている人に送る送ると前からおっしゃっているけれど、明日こそね。

で、三日続けてワーズワースを引きずっている私も珍しいわ。一応始めたことは
一段落させたいのよね。

margin n. a border;edge a blank border of a printed or written
page

an amount beyond what is needed

provision for increase, error,etc.

the difference between the cost and selling price of

goods

で、中間マージンはどのくらい、とかいう言い方が商取引などで使われるのでは
ないかと思われるのですが、だから、マージンって日本語に入ってきてますよね。
英語にkaroushi(過労死)という日本語が英語として登録されているように。

しかし、このワーズワースの水仙の詩の中で出てくるmarginという単語。
これ、自分が水仙の詩を英語で書こうとして、思い浮かぶでしょうか?

Continuous as the stars that shine And twinkle on the milky way,They
stretched in never-ending line Along the margin of a bay:Ten thousand saw I at a glance,tossing their heads in sprightly dance.

銀河にきらきら輝ける星屑のごと限りなく湖水の淵にうち沿いて果てしなき線と続きたり。楽しく踊り首を振る一万の花ただ一望。(荒牧鉄雄 岡地嶺 英詩読本
開文社)

この詩The Daffodilsの第一節に出てくる湖水というのは、lakeですが、この2節目に出てくる湖水というのは、bay。ベイもレイクも日本人でも比較的知っている単語
ですが、どちらも湖水と訳されています。ワーズワースは同じひとつの湖水をlakeともbayとも呼ぶ。

 さて、ここでちょっと詩から我に帰って、日常の些事に思いを致したい。
TOEICの公式ガイド問題集の料金を郵便局に払い込むこと。亀の餌。みかこさんに
電話あるいは結婚祝い。大家さんにこのあたりの昔についてご存知の方についてご相談。
 
 そういえば、今週の日曜日の午後はカラオケオフ。

近くのリサイクルショップで昔の漫画を1冊買った。彼女の大好きな漫画だわ。2巻目。この漫画なかなか面白い。私のためになりそうなセンスです。

 で、亀の餌はまだ冷凍庫にいくらか残っていました。まだいける。

 一晩寝かせた骨付きチキンのクリームシチューがグー。お茶漬けが美味しい。

 95歳になる祖母はベッドだと夜中目がさめたときに自分の家でないような気がしてしまうので、畳に布団にしたら落ち着いたそうです。私はベッドにしたいと思っていたけれどなあ。布団の上げ下ろしが苦にならなくなってきた。

 で、またしても、ワーズワースの詩の中のmarginに拘る。これって、余白という
意味がありますね。印刷物などの欄外。leave a margin 余白をあける。a bottom
marginはページなどの下部の余白。本当に私ったら知らないんだから。これでよく
テストを受ける気になるわ。でも、受けて実力を知るというのもいいものです。

 ところで、この詩では、marginって淵とかへりとかいう意味。the margin of a leafは葉っぱのへり。along the margin of a bayは湖水のふちにうちそいて。
で、lakeとbayは違いますよね。同じように湖水と訳されていますが。

 あっとここで気がついた。私アメリカ英語の辞書でワーズワースの詩の中の
言葉を引いていたわ。こっちの辞書なら大丈夫だろう。これはオックスフォード大学の出版だ。ロンドン。

 で、bayですが。part of the sea or of a large lake,enclosed by a wide
curve of the shoreとあります。湾。入り江。しかし、ハドソン湾とかビスケー湾ほどの湾でしょうか?どうも疑問。

 第一節でのlakeの一部がbayで、それを拡大して眺めた感じですね。

 で、この詩では直接関係ないかもしれませんが、bayには、bay-treeというのが
あって、これは月桂樹ですね。bay-laurel: kind of tree or shrub with leaves that are used in cooking and are spicy when crushed.月桂樹の葉はよくシチューなどに入れますね。bay leaf:ゆうべもシチューに入れましたが。
市販の乾燥した葉を使ったのですが、昔は庭の葉を契って入れたものです。スパイシーですね。ヨーロッパ産ローレル。bays:bay wreathというのは、月桂冠。
laurel wreath given in olden times to poets and heroes,victors in war
and athletic contests;詩人や英雄などに与えられたのですね。それゆえ、名誉
栄光などの比喩に使われることがある。

こう見てみると、いろいろな意味がありますね。三方を山に囲まれた山ふところもbayです。米国では森林に囲まれた草原もbayというとあります。

bay-window張り出し窓。私のようなものには羨ましい窓です。

わーーーーーーーーーい!!!!!

今ね、3つのときから会っていなかった娘が声聞かせてくれた。うそみたあい。
元気な娘おおおおおや!うれしいいいい。(TT)




2002年01月21日(月) The Daffodils by W.Wordsworth

これを読んでくださる暇のある方は、前日に詩の本文がありまして。

そこで、私の曖昧な単語について、イメージしたいのです。

float vi.& t. rest on a surface of a liquid or be held up by air,

gas or liquid; move about freely or aimlessly.

ここで思われるのは、第1行目のwanderに似通っている。

 wander(あてもなくさまよう、放浪する)も float(浮く、水中、空中に
浮かぶ、漂う、浮流する、浮かべる、漂わす)も、aimlessであり、without
any special purpose or destinationなんですね。無目的。freely。

 あてもなくさまよっているときに、詩人は沢山の水仙がそよ風に揺れている光景に出会う。そして自分もその水仙たちとともに踊るような心地になる。

 I wandered lonely as a cloud that floats on high over vales and
hills,

これを、荒牧鉄雄と岡地嶺という人たちは、

 山谷を高く行く雲か一人寂しくさまよいぬ

と訳しているのですが、この英詩読本は、本当に英詩を読んで欲しい気持ちばかりで、著書がどういう人であるのかは全く書かれていない。小説とかだと、作家の
略歴とかよく出ていますのにね。この方たちは本当に英詩に没頭してしまっている。無私ですね。

 私がこの詩を書き出したのは、古典なら著作権にひっかからないと思ったからなのですが。

 さて、ここまでは本日書いたものとはいえ、夜中です。
 で、ゆうべ私はもし朝5時前に起きていたら、ジョギングしようとふと思って、
まあ無理だろうと思ったのですが。朝5時前に起きておりました。で、朝方チャット
を致しましたときに、ゆうべの希望を幸運にも思い出せて、チャットの仲間にも
促して頂いて、何と私としては信じられないことに、思ったことを実行できました。1時間ほどジョギングとウォーキングをしたんです。Full of thanks!
まだ夜は明けておりませんでしたけれども、池では鴨や家鴨などが目を覚まして
いてぼ、ぼ、ぼ、ぼ、と鳴いているのが聞えました。泣き声はすれども姿は見えず。カエルの鳴き声もあったような。

 さて、また話は変わりますが、私、豚肉きらいじゃないんですね。で、回教の
神アラーを偉大でないとは決して思わないし、回教徒の文化を尊重しないつもりは
ないけれども、豚肉を食べたら、やはり回教徒には登録されないでしょうね。なとと思いました。

 で、せっかく近来まれに見る快挙のジョギングなのに(ちなみに、呼吸は、
足並みにあわせて、吸って吸って吐いて吐いて)、帰宅してから、睡魔がすぐ
玄関まで到着してましたので、主人に子供のこと頼んだのですが、主人も今日は
仕事が早めで、早く出かけてしまい、で、また、子供は遅刻です。。

 母親に起こされずとも自分から起きる気にならない?起こされるのって嫌だよね?目覚し時計一人一個ずつあるのよ。

 って、いくらやりたいことがあって眠くならないからって、やっぱり主婦は
夜は眠くなくても、体を休めた方がいいです。早寝早起きしてこそのジョギング
と思いましょう。

 このあたり、今さっきから、ものすごい雷雨です。今午後3時過ぎか。

パパさんに言われていたのは、亀さんの餌と玉葱。

 会いたいなあと思う。

 そっか。玉葱ありました。今さっきパパさんから電話あって。亀さんの餌は
明日だわ。

 あとはあれとあれ。

 そうだ、小学校の企画のあのこと、大家さんにご相談できないか。

 朝早起きして、夜明けのコーヒー。飲む習慣というのも、いいわね。
午後の紅茶とか。

 そこでまたワーズワースの水仙の詩に立ち返って。

valeというのはvalley谷の詩的な言葉ですね。水仙を黄色とは見ずにgoldenという。金色の水仙。輝いていますね。
私が生まれた年より2年前に書かれたこの英詩読本(開文社)には、黄色の水仙と訳してありますが。

で、花屋さんの水仙ではなく、野で出会った

a host of, a crowd of 無数の 金色の水仙の群れ。

湖の辺の木陰。

golden daffodils ,fluttering and dancing in the breeze

風にそよぎ舞い踊る。

flutterというのがそよぐのでしょうが、to flap the wings rapidly; to
wave,move,or beat rapidly and irregularly.

 




2002年01月20日(日) 詩の鑑賞ワーズワース

今日は私の誕生日。でもうちのくまとうさんがPCを明渡してくれたので、
古典的な英詩の鑑賞をしたいと思います。

ジョンダンの詩を読もうかと思ったのですが、今回はワーズワース。水仙という
詩です。
先日花屋さんで黄色い水仙の花の鉢を見ました。そこを通るたびに目がとまります。でも、買っていない。

昨日沈丁花の紅白の株を一株ずつ求めてきました。540円。で、さっき、裏庭の
午前中に日の当たる場所に植えて水をやりました。花屋さんは、外じゃないと
駄目、とおっしゃってました。

で、水仙はまだ通りすがりに目をとめるだけですが。

英国の詩人ウィリアムワーズワースは、一人さびしくさまよっていたときに、
突然みた、一群れの黄色い水仙を、と語っています。

で、私は家族もちですが。家族とともに歩いているときは、なかなか長々と
花屋さんに留まらせてはもらえません。子供が赤ん坊のとき、幼児のときは
子供にお花きれいだね、とか言っていたのですが。
で、一人で夕飯の買い物などをしているときに、出会うんですね。水仙。

         The Daffodils

by W.Wordsworth

で、これでToeicの点数につながるとも思えないけど、気の向いたものだから
仕方ない。だから何?と言われれば、登山家がそこに山があるから登るんだという
ようなものだ。

  I wandered lonely as a cloud

That floats on high o'er vales and hills,

When all at once I saw a crowd,

A host, of golden daffodils;

Beside the lake, beneath the trees,

Fluttering and dancing in the breeze.


Continuous as the stars that shine

And twinkle on the milky way,

They stretched in never-ending line

Along the margin of a bay:

Ten thousand saw I at a glance,

Tossing their heads in sprightly dance.


The waves beside them danced; but they

Out-did the sparkling waves in glee:

A poet could not but be gay,

In such a jocund company:

I gazed- and gazed- but little thought

What wealth the show to me had brought:


For oft, when on my couch I lie

In vacant or in pensive mood,

They flash upon that inward eye

Which is the bliss of solitude;

And then my heart with pleasure fills,

And dances with the daffodils.


   ところで、空耳アワーって今でもやっているのかな。

誕生日なんだから、好きなもの買ってきておかあちゃんがご馳走してよ、
とパパさん。
 食べることは今日は忘れるというプレゼントくれないかな、と思ったが、
つい、豚のひれかつが食べたくなった軟弱な私であった。
 ふのりとせりの味噌汁が好評だった。鰹節で出汁とってね。
たくあんも美味しかったし。
私はやはりとんかつとキャベツの千切りの組み合わせはノーベル賞ものだと
思うのだ。
 で、玄米ご飯も美味しい。

 明石やさんまさんのテレビ番組を見ている。やっぱり笑うなあ。

 それにしても、当たり前のことだが、やはりワーズワースは詩人である。

inward eye 心の目

 で、水仙の群れは踊っていて心躍らずにはいられない、と。

 ところが、同じ水仙を見ても、心躍らない詩もある。
ワーズワースはこの詩の中で、水仙のことを愉快な友と呼び花との出会いを
孤独の宝と喜んでいるが、R.Herrickという人は、何もかも変わっていくことの
無常に対する嘆きを水仙の美しさに込めている。同じことだろうか??

 で、私は安穏な主婦にも関わらず、旅とか放浪とかのジャンルにしているので、
さまようということについて、辞書で遊んでみる。

 wander move or go about from place to place without any special

purpose or destination;come and go slowly; leave the right

path; get lost.become confused; be absent-minded;

get away from the subject.

これは私の心の状態じゃないか。すぐ心がさまよってしまうのは。


 



   


2002年01月19日(土) ハンドベル演奏会

息子の健康カードによると、前回よりも体重は増えずに身長が2センチ増えている。
普通の範囲であって肥満ではないが、厳密に言うと、標準体重よりも4キロオーバー。

私は健康体重よりも何キロオーバーかな。ヘルスメーターがまだ来ない。

今日はまた晴天なので、外にせんたくものを出していられるのが嬉しい。

今晩は何に、、あ、そうだ。キャベツを買うように言われてた。
で、あそこの路地のあのお店で焼きそばのそばを買わねばならない。

ところで、トルコの喫茶店には必ずあるという水煙草とはどのようなものか
知りたいと思っている。

で、風邪をひいている時のことですが。
風邪をひいている時に人にうつさないように気遣うのは尊敬に値するけれども。
うちの主人にもそういうところがあるのは偉いなあと思っている。親しき仲にも
礼儀がある。
しかし、時には、風邪をひいていても睦みあいたい気持ちにお互いがなることが
あって、そのとき睦みあったからといって必ずしも風邪が悪化するというわけでも
ないこともある。

都立病院のある医師は私がガンであっても普通に生活してかまわないとおっしゃっていた。普通に夫婦生活をしてよいのだ。昨日仲良くしてしまったので内診は嫌だ
と申し上げた時に、仲良くするのはいいことなんですからね(^^)とおっしゃっていた。で、今は検診では異常なしである。

ハンドベル演奏会。なかなか良かった。天上の音楽に遊んだかんじ。
実際演奏するのはとても大変そうだ。しかもベルはとても重たいようだ。
うちの息子がHarry Potter Series の中に出てくるHermioneに似ていて好きだと言っている少女もすごく重たくて難しいと息をはずませていた。彼女は抽選に当たってかえるの歌を演奏できた。うちの子は抽選にはずれたが、はずれた子もハンドベルを持って鳴らすことができた。
ディズニーの曲は子供もほとんど聞いた記憶のある曲。
アンコール曲Amazing Graceも素晴らしかった。バプティスト教会の外で演奏するのは初めてとのこと。
指揮、独奏は菊地るみ子さん。エレガントで豊かな声量の方だ。

これはPTAの活動だと思う。PTAのひとたち、快活で優しい。担任の先生や教頭先生
も。早起きしよう。寝坊して、えっとえっとあのう。。とどもった電話を受けてくださったのは教頭先生だった。教頭先生のPC講座も良かった。なかなか傑作で笑える先生である。ぶ男というわけでもない、おしょうゆ顔である。

小学校のランチルームが会場と聞いていたが、人数が多いので変わったのだろうか?体育館が会場だった。で、体育館はじっとしているとかなり冷え込んでくる。
お天気がいいので、コートにマフラーは暑いかと思ったが、後半はコートを着込んで拝聴した。小学校の床はけっこう冷たい。冬は厚手の靴下がいいかなと思った。

娘のお父さんがテレビのコマーシャルでAmazing Graceの歌声を聞いて、ええなあ、とつぶやいたのを思い出す。あのCMの歌声は自然で伴奏なしで素晴らしかった。私は今黒人霊歌SpiritualsというCDの中に入っているAmazing Graceを聴いてみて、これも素晴らしいが、これは、日本の演歌的に節回しに幅が広がっている。

地図亀のちずちゃんが、ここ何日もかけてずっと丘に這い上がろうと頑張っていたが、ついに丘に上がっている。それともあれはパパさんが乗せてあげたんだろうか?
ミシシッピという緑色の亀、みっちゃんは、水の中から顔を出している。相変わらずだ。この亀さんたちの表情、姿を絵に描いてみたいと思うが。私は絵下手糞だけど。でもそのうち。描いてみたい。

で、お店が閉まらないうちにそばやさんとキャベツだ。

男性度女性度というサイトで自分のを調べてみた。別にそれでどうということもないのに、けっこうこの手の好きなんだな、私。
で、結果はボーダーラインで、男性的でも女性的でもないらしいが、男性度のほうがほんのちょっぴり多く出た。ちょっと男っぽいのかな、私は。生物学的には女性なんだけど。気持ちも女性だと思うけどな。レズビアンじゃないし。
でも、スカートってほとんどはかないなあ。ジーンズのパンツとかスラックスばかりだ。学生の頃は学生服はスカートだったし、ワンピースなどもよく着ていた。
この頃はめっきり足を出すのは恥ずかしい。寒いし。ミニスカートの女の子とか、
健康的でいいなあと思うんだけれど。冬にスカートをはいたらぽよよん改革だ。

パパさん指定の麺のお店で焼きそばのたまを買ったら残っていた天麩羅も安くして
もらえた。天麩羅は好きだが、自分で揚げるのはとてもとてもはらはらどきどきしてなかなかリラックスして揚げようという気にならない。娘のおばあさまの揚げた
天麩羅は最高だった。兄嫁の実家のお母様の天麩羅もまた違ったかんじで最高に
美味しかったが。

明日は先日書きかけたダンの詩を味わってみたい。これは古典だ。


2002年01月18日(金) Hiragana

Sunny today.

My hiragana soft is broken.What should I do?

書けるかな?書けた書けた!!

再起動でOKか。

本を送った。普通の方が安いのだけど、彼女に対するものの値段を値切りたくなかった。小包で送った。どうか届くまであの本がねじ折れたりしませんように。

今日はカップラーメン優れものシリーズに浮気してしまった。

ゆうべのは、今までとまた違ったよさがあった。うちのパパさんて、初めて会った
ときにはちっとも印象的じゃなかった。
足揉みするときは、こちらの期待は押さえてただ心を込めるといいですよね。
期待してけんもほろろだといやなので。
くたびれていると、頼まれても、こころこもらないこともありますが。

子供の頃父の按摩をするときは、まだ荒っぽい気持ちでした。
そうではなくて、相手の気持ちにアンテナの周波数を合わせるような、耳をすますような、心をすますようなかんじになれると、パパさんもその気になってくれますね。
久しぶりにお友達と指にぞくっとするおしゃべりをしていて、パパさんの指に私の
意識が。。。

そうだ。この間思ったんだけど。人と待ち合わせして遅れないかどうかで消耗するのであれば。

一人で映画見に行くというのも悪くないよね。と思ったんですが。
ジョギングを始めるのも悪くないと思うんですけどね。
また続かない、とか挫折したとか思いたくないし。
でもそのうち。

思ったことを実行に移してみて完了するとすっきりしますね。

そうだ。明日はハンドベル演奏.抽選でチャレンジに当たるかしら?うちの息子。


A VALEDICTION:FORBIDDING MOURNING

by J.Donne

As virtuous men pass mildly away,

And whisper to their souls, to go,

Whilst some of their sad friends do say,

The breath goes now, and some say, no;

So let us melt, and make no noise,

No tear-floods, nor sigh-tempests move,

'Twere profanation of our joys

   To tell the laity our love.


Moving of th' earth brings harm and fears,

Men reckon what it did and meant,






2002年01月17日(木) 1月17日

今日は阪神大震災の日だが、その数年前に娘の叔父にあたる人が他界した日でも
あったような気がする。
違うかな。
あれは何とも驚いたとも頭の中が真っ白になったとも。。

夕方息子を迎えにいって、耳鼻科に連れていこう。
で、その前に、あれとあれ。
あれも確認して電話。

ちょっと一服。今日はこのあたり路面が濡れています。

そうだ。彼女に年賀状してなかった。

さて、とにかく、あれは済ませてこよう。久しぶりに共通一時テストのマークシート方式に立ち返った。

今日は病院はお休みだなあ。明日にするか。

ひとつは済んだ。返信まち。もう4時か。迎えには行ってみるか。久しぶり。
今日はけっこうウォーキング。でも、いまさっき、しっかり食べた。ほっと一息。

沈丁花の香りはきついような気がするときもあるけど。270円で小さな沈丁花の
蕾みつきの株に挽かれた。冬に植えてつくことあるかしら?植木いじりのこと
まだほとんど知らない。クチナシの植木鉢が何とか窓際で生きてて、斑入りの
も何とか。サラダに入れる、あれ、なんていうのだったか度忘れした、あれも
根に水を吸わせたら、また生えてきた。

子供の頃風邪でお医者さんに行く途中、金木犀の香りがしたのは、秋だったんだな。

突然、何もかもあなたのせいだ、と言われたのを思い出した。

そうだ。リサイクルの彼女に子供服送れないか聞こう。

7年か。




2002年01月16日(水) ヘルスメーター

デジタルの体脂肪なんとかというヘルスメーターを買いました。いつ届くかな。

痩せないと思いますけどねえ。ぽよよんは隠れ肥満に突入しているような気がするんですが、今までのヘルスメーターをどうも信用できなくなっていて。はっきり
知りたい気がして。これにはパパさんも反対しませんでした。
子供は昨日でしたか身長体重測定だったんですが、まだ健康カード見ていない。

雑貨コーナーをうろつくと、いろいろな優れものがありますねえ。
我が家にはまだ携帯電話もないんですが。

今晩は七草粥もどきです。遅ればせながら。

うちの息子がくまのぷーさんだからといってパパさんはぷーさんのヘルスメーターは承知しませんでした(^^;;

そうだそうだ。明日はTOEICのテストの申し込み書をみな書いて投函できるか??
ほっほっほ。郵便ポスト活用しておりますの。申し込み期間の締め切り過ぎているかと一瞬思ったが、大丈夫だった。

包装して贈ろうと思った本がない。


2002年01月15日(火) 自分自身を発見する本に向かって

昨年の暮れだったか、自分自身を発見する本All About Meというのを買った。

いろいろな質問について自問自答するものだ。こういうのはやるとしても多分10代の頃に済んでいていいような恥ずかしさのあるものだけれど、どうして今こういうものが必要なのだろう。

書こうとすると、実に自分の心が曖昧なことを知る。自分はこうだ!とはっきり
書けるところがとても少ない。これがはっきりしている人は一角の人なんじゃないかと思う。

子供たちに許可しない3つのこと、というのは、殺人、盗み、偽証と書いた。

マイオピニオンという項目があって、次の問題に対する私の意見は、

妊娠中絶 反対 銃を所持する権利 反対 生活保護制度 賛成 死刑制度 反対

不法移民に対する権利とサービス 賛成 ドラッグの合法化 反対 

同性愛者の平等権 賛成 婚前交渉 ??賛成 ですかね。

婚前交渉は私はしたのだから、反対できない。しかし、婚前交渉は愛していても許さないわ、という女性がいても、頼もしい、かっこいいんじゃないかと今は思う。

妊娠中絶反対というのは、自分はしたくないししなかった、せずに済んだ、という実に恵まれたものだから、相手の人柄に感謝すべきで、すべての人にあてはめられるとは思えない。やはり中絶しなければならない状況もあるのだろうと思う。しかし反対。中絶はして欲しくない。なるべく。レイプは許せない。この場合は中絶か。あってはならないと思う。

もし息子や娘が16歳以上で子供を生みたい彼女に生んで欲しいというのであれば、妊娠していた場合は、やはりぜひ生んで欲しいがなあと思う。学業とか10代での
子育てでは、やはり大変だろうし、私自身が自分の一人の子供であっぷあっぷしている状態なのに、しっかり支援できるのか自問してしまう。が、しかし、できたら
おめでたいことだ。何はさておいても、若い人たちには勉強ややりたい仕事など
があったならば、私が育児を手伝えれば、などと思う。中絶は体によくない。
しかし、私の個人的な鬼が笑うような心配の内容は、自分の子供は、僕には無理としり込みするタイプで、なかなか孫の顔は見られないのではないかということだ。
あるいは、私に対するスキンシップの濃さからして、このべたべたぶりをされたら
女の子はうんざりしないか?などと思うが。とにかく、このべたべたを許してくれる女性に出会えたら、その女性のロボットともなっ生涯尽くして欲しい。どうも落ち着きがなくて心配だ。もっと自信を持って。
でもやっぱり定職が決まらないと、子育ては難しいですよね。やっぱり愛情とか
信頼とかできるかどうか。愛だけではむずかしいですよね。

で、同性愛の平等権。観念的には認められるが、自分の子供が同性愛だとしたら、
やはりちょっと残念だとは思う。夫は同性愛自体に嫌悪感を示すが、それはちょっといただけない。残念ではあるが、認めないわけにはいかないと思う。残念なのは、やはり孫の顔、であるが、養子縁組というわけにいかないか。

しかし、私自身の観念と内面の情念にはやはり矛盾がでてきそうな気がする。
たとえば、父の後添えさんの人柄を尊敬していても、母が生前、やきもち焼き
だった言動の思い出などとの兼ね合いで、問題が生じてきたりするのだから、私の建前など当てにならないのだ。父の彼女との結婚に手を貸したのは、兄や兄嫁たちではなくて私だったというのに、この間の態度はひどかったかもしれない。
が、まあ、法律的には別にもう会いに行かねばならないということもない。これ以上不愉快なこと聞くのは勘弁してほしい。私は自分で墓参りでもすればいいのだ。
というようなこともあるわけで。

孫の世話してあげるわ、なんて気軽に口約束して話が違うなんていうようなことに
ならないように注意したほうがいいかも。自立ってどういうことだろうなあ。

経済力というのは、男が持つべきとは決まっていないと思うが、個人的にはやはり
息子には経済力生活力を持って欲しい。合法的な生活力。まじめにこつこつと仕事する態度。人柄。経済力のある女性にかわいがられるほどの魅力ある男でありつづけることもたやすくないと思う。苦しいときも助け合って。って、私が言うか?って私は助け合っていない?いるつもりなんだけど。それを夫に認めて欲しい。反省するところはいろいろあるけど。

娘の父親に、何かしてやる、という気持ちより、させていただく、という気持ちの大切さについて、語られたことがあった。

その話が印象的だったせいか、私は人にこれだけしてやってるじゃないの、とか、あげてるじゃないの、とは言いたくない気持ちが強くて(だれでもそうよね?)それゆえ、これだけしてやってるのに、と責められると、その言葉の荒さに辟易したりする。
これは間違っているのだ。夫は主夫ではない。私が主婦なのだから、夫に皿を洗わせては主婦がすたるのだ。自分の立場を忘れてはいけない。
しかし、今までは、病気で世話になっている感謝でいくらかあったかわいげが、
元気に頑張ろうと勢いがでてきたときに、せかされると、かちーんときもちが
はじかれてしまったりする。まるで私がなにもしてないみたいに。疲れているから、してやってることというのが大変だったのだろう。それを理解しなくちゃ。
つまらないことでがたがたいうのはなさけないが、これは日記なので、言わせてもらう。誰も好きで病気になっているわけじゃないのだ。

これから子供と一緒にどれだけ成長できるか。理解のある母であろうとしても、
長い間にはひどい正体がでるような気がする。未熟な私不満は必ず出るに決まっている。いいおかあさんにはなれないかも。
一人っ子といっても、やはり息子は人様に安心して差し上げられるものに育って欲しい。で、孫ができなくても、ともに生きていける相手に巡り会えたらやはりとびきりの幸運に違いないと思う。

そういう人に巡り会えなくても、何か打ち込める好きな仕事に巡りあえるかどうかも気をもむところだ。趣味とか。

しかし、とりあえず、今は息子が嬉嬉として父親とともに会話している姿にほっと
する。
好きな女の子に嫌われて、僕はだめだ、とか落ち込んでいたこともあったし。

まったく私は社交は苦手だ。
貧乏性なんだ私は。

娘はどうなのかなあ。私とは環境も育ち方も違うし。でも、彼女は私のように
成人してから義母と出会ったのではないから、私とよりも、義母とのつきあいのほうが、いろいろあっても、結びつきは濃くなるだろうと思う。でも、こういっちゃ
なんだが、娘には、あまり人に気を使わないで、自分の実力を蓄えて欲しい。
したいこと、許されることはどんどんして欲しい。

息子のクラスメイトの空手を習っている少女たちは元気一杯で輝いていた。
たぶん、あの娘も自分から空手を習い始めたというから、元気にやっているのだろう。
父親が癇癪を起こしてテレビを壊した時に、あれはおばあちゃんのテレビや、
ゆるさへんでえ、と言った娘は、あまり人に虐げられそうなタイプではなさそうに
思われた。それほど心配はしていない。

でも、やっぱり何か贈りたいな。本でも。
彼氏とかいないのかな。女子高では。私は高校のときバレンタインのチョコを
クラスの男の子に渡したりしたことあるけど。子供だったものなあ、私は。
今でもそうだ。キスすると子供ができるのよ、なんて母にからかわれていた。
娘を赤ん坊のとき、風呂に入れてくれたっけ、母は。
あれからいろいろあってね、キスしても、子供できなかったことあるのよ、おかあさん。もっと話したいこといろいろあるのよ。ま、息子とキスしただけじゃ妊娠しないわよねえ。

死刑制度はねえ。反対かな。どうも。わからないけど。世の中むずかしすぎる。
私も酷い性格って言われたことあるけど。。うーん。
わからない。屁理屈にもほどがある。やはり殺人は許せない。あの酷さと私の酷さ
と同列に考えるのは自分自身に対して失礼だ。けど、死刑が罰になるのか?
本当に怖いことばかりだが。いやなこともおおいが。といってみのむしになっていてもしかたないか。
殺された人もその遺族も殺してしまったものの神経も気の毒だ。
どんなにか苦しむだろうか。松本被告は苦しまないのだろうか。拷問を受けても
平気な神経なのだろうか。

私にも寿命があるのだから悔いのないようにしたい。

飢えているときとか、貧すればどんするともいわれるが、しかし、コルベ神父だったか、人の死を代わってあげた、というようなひともある。どん底にあっても。
人はそういうふうに生きられるのだろうか?

私はとてもまねできないかもしれないが、苦しいときこそ、自分の真価が問われるのだと考えて、何が大切かを子供や自分に問いたい。

しかしなあ。欝で動けないときよりも、前向きなときのほうが怖いと思うなあ。
かちーんんときちゃうと。あまり頑張らないように。

人が冷酷非情に見えるとき、その人は本当に冷酷なのだろうか。あなたは酷いと
なじられてもなんとも感じていないように見えるとき、その人は本当に何も感じて
いないのだろうか。信じられない。鬼としか思えない。後悔している申し訳ないと
思っているようにも見えない。
たとえば何かの会社の責任者が何かを述べるとき、なんだか心が通っていない棒読みのように見えて気が治まらない。こういうことによく人はなんともやりきれない
思いを抱かせられたりする。もっともののわかった対処の仕方があろうにと。
しかし、涙ながらに申し訳ないことをしたと感情を表せる人よりもその人は冷酷な
人柄であるのか。
クールに見える人が本当にクールで感情がないのか。

人に傷つけられたとき、人を傷つけた時、傷つけざるを得なかった時、自分だけが
一方的に傷つけられているとしか思えない時、能面のように悪魔的に見える慙愧の心を持ち合わせていないように見える相手の心が、なじりにえぐられていないと私には信じられない。私は責められると心が石になって強くなる。否応もなく泣かされるのは許しによってだ。優しくされるよりも責められたほうが楽で、許されるほうが痛かったりもするのだが。

なんだかわけわかんないこといいました。すみません。

それにしても、どうしてあんないいひとが、とか、いいこが、とかいうような
話がよくあることなのだから、なんとも。

理不尽不条理の中。祈ることしかできない。癒されること。

そうだ。柔軟体操しよ。

うちの体重計古いなあ。




2002年01月14日(月)

自然がいい。

今日も晴天だ。

そういえば、いつから煙草吸っていないんだろう?

草原を翔ける、チータみたいに。

チータはウサギを捕らえてもそれをかわいそうなどとはおもわない。

心がえぐられてる。私が加害者だと思っていた。あはははは。おかしいね。


2002年01月13日(日) 自由って

幻想なのか。

今日は新年会に誘われていたんだけれど、いけない。

昨日携帯の番号を教えてくれた彼女にかけても現在使われておりませんと
いう声が出てくる。

4,5回かけたんだけどな。

疲れたなあ。

そういえば、今朝方久しぶりに夢に娘の父親が出てきた。笑っていたし、優しかった。
別れてから何度夢に出てきたんだろ。彼が再婚相手と幸せそうな夢とか。

吉本ばななさんのキッチンの単行本に出てきたオカマのキャラクターが、神様って
いないのかしら、というところなどを思い出す。


2002年01月12日(土) ん?と思ったこと

昨日は夕方日が落ちてから駅前のマクドナルドに行った。

何叱られたわけでもないのに、保護者会の後、頭痛というか眼痛が全然治らないので、パパさんの夕飯の前に、外食でサボっておかないと、続かないと思ったのだ。

さてマクドナルドのハッピーセットというのを頼んだ息子は、相変わらずどんくさい。このへんのことについて事細かに説明する元気はないが、本題に入ろう。

何に、ん?と思ったか?と言うと、

食事が終わって任天堂のゲームボーイアドバンスというゲーム機に夢中になって
いた息子のところに、二人連れの女の子が現れた。空手の練習の帰りらしい。
一人は息子のクラスメートらしい。で、そのクラスメートの女の子は、空手仲間のもう一人の女の子に、うちの息子を紹介した。うちのクラスのぽっちゃりした@@
ちゃん、って。それはまあいい。
で、そのクラスメートがアドバンス?とか声をかけたとき、うちの息子は、

クリスマスにサンタさんがくれたんだ、と言ったのだ。

どうして?まだ信じているの?それとも受け狙い?

なぜなら、その少女はそれを聞いて笑った。私も笑った。

しかし私は、正月になってから、あのクリスマスプレゼントはサンタさんではなく
おとうさんだと教えたのだ。え?だってカシオのキーボードは?というので、
あのときは私だったな、と思って、あれはおかあさんかな、と私は正直に答えた。

それなのに、まだ、友達に、サンタさんを信じているふりをしているの?

本人に直接聞いてみると、

ねえねえ、もしサンタさんがいるとしたら、夜何時ごろくるのかな?

というのが息子の答えだった。


2002年01月11日(金) そういえば

ずっとタイトルなしだったわ。

これから書くときは、タイトルをつけて書こうかな。

今日も晴天。
一昨日は徹夜してそのまま昼寝なしだったので、ゆうべはパパさんの足揉み最中に
眠くなって寝ました。
子供もどうも自分から早寝早起きの生活ではないけど。パパさんとゲームボーイに
夢中。

今日は保護者会だ。眼球がぐりぐり疲れている。洗濯終わったらシャワー浴びて
から行こうかな。


2002年01月10日(木)

パパさんがPC動かなくなったので、みな白紙の状態にしたらしい。

お気に入りもきれいさっぱり消えている。

パパさんは私のことを考えすぎだと言う。おとうちゃんが考えなさ過ぎなのかも
知れないけどね、それで合っているんじゃないの?と彼は言う。
合っているのかな。よくわからない。根拠のない思い込みのような気もする。
でももし彼がそう信じてくれなかったら、息子は存在しなかった。娘もそうです。
私がどんなにわがままでも、かなわないと思う。

贔屓目かもしれないけれど、私はパパさんはいい顔をしていると思う。

ちなみに。何と言われても眠り倒した後で働らけるようになった時点で思うのは、
やはり言うことを聞けないのは、不調だったからだ。愛情がなくなったからでもなく、怠けたかったからでもない。眠ればまたごみ捨ておばさんだってトイレ掃除だって厭わずいそいそとやるのだ。分別ごみのしわけだって厭わない。地球環境にだって優しくなれるのだ。子供の世話についても自立についても厭わない。
しかし、不調なときは、どう励まされても文句言われても、動けなくなるのだ。
そういうときにいろいろ言われると、ああ、一生奴隷のように使おうという気なのか、この病人を、という恨みが沸いてくる。使い物にならないと見るとそうも冷たくなれるのか?と。そこでパパさんが言う。不調なら不調だからって言えばいい。
その辺の兼ね合いですか。自覚が足りないかも。
これって自然じゃない?おかしい?男性だってそうですよね?仕事で疲れているの
にもっとかまってほしい、ってありますよね。こんなに頑張っているのに。思いやっているのに。僕って一体何?って。で、夫は一人で十分ですね。
健やかなる時も病めるときも助け合うって誓ったのよね。
義母にも申し訳ないことをした。でも、追い出されてほっとしてる。母は私の中に
いるから。私は母とは違うと思うけど。私もガンとはつきあっていかなくちゃ。

ところで、戸籍を勝手に変えられることなんてあるの?結婚した事実もないのに?
ひどいですね。安心していられませんよね?
一応納得して苗字変わるのだってすごく消耗するのに。変わってる変わってるって
変わらざるを得ないじゃないですか。異文化の融合だもの。ずれているかもしれないけどね。

ということで、今日はいくらか元気なんですが、やっぱり毎日コンスタントに体力増進、エゴイスティックにならずに自己実現していきたいです。エゴはエゴですが。自ら自由を放棄するような所業は避けたいです。

あ、こども、給食のマット忘れていった。

ちなみに。不調のときって、いつも不調で無能だったってきがするけど、
それって大袈裟ね。耐える能力だってあったし。
私と挟みは使いよう。



2002年01月08日(火)

今日もこのあたり晴天です。




2002年01月07日(月)

息子に味噌ラーメンを作った。ほうれん草と焼豚。

息子はまだ宿題も書初めもしていない。


2002年01月05日(土)

こどもが出かけようとして、みそれが降っていると言っていた。

雪積もるといいのにな。2メートルの積雪の中で生まれたぽよよんです。

昨日は結局イチゴのショートケーキでパパさんのバースデーパーティーしました。
チョコのネームプレートとか予約できなかったので、スーパーでケーキ作りコーナーのところで、そういうのを買ったので、ほんのちょっぴり手作りだぞ。
ここ10年ほど、不調だった(いつもじゃ)ぽよよんは、いつもお正月はゼッ不調で、それにまぎれてすっかりパパさんのお誕生日は忘れて過ごしていたのだから、
憶えていただけ上等と思って頂かないと。でももう年は忘れたほうがいいのかもねえ。ことさらに憶えていないほうが。

そういえば私は、自分のことを名前で言う話し方を、ぶりっこと思っていたのですが、この頃ぽよよんは、とか申しておりますな。こどもの頃パパママという呼び方には抵抗あっておとうさんおかあさんだったのに、こどもの保育園のお友達に@@くんのママとか言われているうちに、すっかりママになってしまいました。
呼び方って影響されますね。

そうだ。まだ紅白の千枚漬けやなますが残っている。

日本海側やら東海地方やら雪と聞くのですが、この辺はまた晴れている。
ゆうべは早く寝て15時間は眠ったかな。
着てるもののまま眠ってしまったので、つまらない夢を見たようなきもするが
忘れてしまった。



2002年01月04日(金)

今日は息子のお父さんの誕生日。

でね、息子と、パパがびっくりするようなプレゼントをしよう、と相談していたのですが。

全然わからない。

何を喜ぶだろう?


2002年01月03日(木)

さてさて。今日もお天気です。

そこで、アンドロメダ大星雲のとある星、アルコン星というところへ、
どうやって行こうか、と考えると、この間、夢の中で体がふわりと浮いたので、
やはり、飛んでいこう、とぽよよんさんは思うわけです。

ケーブルテレビにカトゥーンネットワークというアニメが24時間つけっぱなしというのがありまして、その中に、スティーブンスピルバーグ監督も制作に携わっているというPinky & Brainという世界征服を企む2匹のネズミのコメディが
あるのですが。
この2匹のネズミのうち、ピンキーは気のいいあほですが、ブレインは脳味噌が
頭でっかちのようで、やっぱりあほです。いつも失敗して頭をぶつけたりふんだり
けったりの目に遭ったりして実験室の籠の中に入れられてしまうのが決まりなんですが、ブレインは諦めない。Try to take over the world!世界征服をめざすのだ!とピンキーに言うのですね。ぽよよんは息子がこんなアニメに毒されているなんて!とまゆをひそめていたのですが、own the world 世界を手に入れる、などと
言うと、007のスパイものの映画なんかでは、悪いやつでありますが、どうも、
ピンキー&ブレインは、その生き様が哀れを誘い、そして、やはりさすがにスピル
バーグ。なんだか優しい気持ちにさせられるかなしいピエロのようなコメディなのです。

月とか火星とかに、人工衛星を打ち上げて、アポロ11号が月面に着陸したのは
何年のことでしたっけね?1969年。ここでソ連よりアメリカが優位になった、とかって世界史の参考書に書いてありますけど、関係ないですよね。地球の人類が初めて月に着陸したのですね。アームストロング船長だったかな?そこまではこの参考書には書いてない。この間、火星にも着陸したはずだ。これもアメリカさんか?
最新版の世界史の参考書買おうかな、なんていっていたらきりがないですかね?

今朝はあわ餅で雑煮にしたんですけど、昔庶民はあわやひえを主食にしていた、
高床式住居、とかってありますよね。まあなんと昔の庶民は貧しかったのね、とか
思ったものですが、ここの集合住宅が将来化石になって出てきたりすることはないのかしら?
あわ餅ってぜんぜんまずくないですよ。美味しいです。

そうだ、遅ればせながら本日中に新年のご挨拶を。

旧年中は大変お世話になりありがとう存じました。
本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。

昼間駅前まで買い物に出たとき、息子のクラスメートのバートン君はお姉さまやおかあさまと凧揚げをしに出ていた。彼のお母様はすごくいい女ってカンジ。はっぴを着てお祭りで太鼓とか叩いても、かっこいいだろうな。風もなくいいお天気だった。それなのにうちの息子は終日家の中でパパさんとゲーム。昨日散歩にでたもんねーとか言って。
あ、リンクしてくれたお友達が、息子のことに関心があるとおっしゃっていたんだわ。大食い競争みたいなテレビ番組に興じている。

ポストに年賀状出しに行って大家さんに出会った。
大家さんはご主人のこと、おやじどのってお呼びになるんだわ(^^;
大家さんご夫婦はお二人とも美しい白髪。ロマンスがあって結ばれたご夫婦のような気がした。でもあの素敵なご主人は、足を痛めて今なかなか思うように動かれないらしい。早く痛みが治りますように。


2002年01月02日(水)

久しぶりにあの晩のようにただ見ているだけの眼が現れた。
私を理解し、私に期待しない眼。
何年ぶりだろう。12,3年ぶりか。

とてもなつかしい。

そんなものは幻想なのだ。駄目なものは駄目なのだ。

くだらない人生。つまらない女。舌切り雀の欲深おばあさんのほうがまだ愛らしいところがある。

これからもっと砂を噛むのか。

何のために生まれてきたのか。

役所が開いたら離婚届をもらってこよう。
今なら旦那さんも愛想が尽きているから出す気になるだろう。私は一人で生きるべきなのだ。それができないなら野垂れ死ねばいい。
家族も恋人もいらない。

あっはっは。紙切れなんて関係ないじゃない。
どこまでおばかさんなんだろうね。

わかってくれるひとのところにいきたいのは自然だろう。
この世でそれを求めるのは無理だよ。私には大切なものが欠けている。
私はそんなに弱くない。私が一人で死ねないなんてそんなの思い込みだ。

どうしてこんなにつまらないことばかり考えるの?

せめておばあちゃんへのお年賀のお花の支払いをしてから。
ほら、今度出るときは身辺整理をしてからにしたいって言っていたじゃない。

TOEICのテストも受けたいって言っていたじゃない。

大学時代の友達もまた会いたいですって年賀状下さったじゃない。
電車の中で彼女がアイスクリームは何がお好き?と尋ねたことを思い出す。思いがけない言葉だったので、答えられなかった。今だったら答えられる?ハーゲンダッツのバニラが好きよ、とかって。私は鳩派なのよ。私だってそうだ。

苦しいのは私だけじゃない。父の後添えさんと仲良くしようとしてうまくいかない
ことなんてよくある話だ。珍しいことじゃない。呆れた話だけど、あわないものは
あわないのだ。だんなさんとだって水と油だ。パパさんに理解を求めるほうが間違っているというわけだ。味方なんていらないよ。気を使うのはもうお互いうんざり
だものね。

多分2年以上たっていれば、保険は下りるのだ。半分は娘にだが、葬式代くらい出るはずだ。優しくて人柄のいいパパさんは引く手あまた。

アンドロメダ大星雲の中のひとつの星。そこに冒険の旅に出かける。
雪の女王っていう話があったっけ。女の子は男の子の心を溶かして眼の中のかけらが流れ落ちると男の子は目がさめたようになるけれど、雪の女王の心までは溶かせない。

新年早々くだらなすぎる。


















youyou |MAIL

My追加