衛澤のどーでもよさげ。
2016年06月28日(火) なんかした。

へっぽこおじさんの衛澤です御機嫌よう。

これまで使用していた単車用のヘルメットの内装がへぼへぼになってきたので、思い切って新しくいいヘルメットを購入しました。SHOEIのJ-Cruise。これのアンスラサイトメタリックカラーを択びました。

新しい用品が手に入ると当然、走りに行きたくなります。季節は梅雨ですが折りよく晴天。早速出掛けました。

国道42号線をひたすら南へ南へ。中紀の日高郡由良町に入りますと港の方へと方向転換。県道23・24号線を走り継いで衣奈漁港を横切り、海沿いを走り山に登りアップダウンアップダウンしつつ時には細くて急な斜面やカーブをはらはらしながら通ります。

新しいヘルメットは快適です。これまで使用していたやっすいヘルメットと違って帽体は頑丈で軽いし内装はしっかり頭をホールドしてくれるし、だけどベンチレーションで頭の天辺は涼しいし、言うことなしです。

何より、J-Cruiseの特徴であるインナーバイザーがとても便利です。ワンタッチでスモークバイザーが上下。外側のバイザーは通常通りにかぶったまま、眩しいときにはインナーバイザーを下げ、明るさが必要なときはインナーバイザーを上げることができます。
これで、眩しいからと言って外側のバイザーにスモークを採用してしまい、夜間や雨天時の走行が危なかったりなんてことを免れることができます。
流石にお高いのですが、お高いだけの品質であります。

さて、自宅から60kmも走りますと、目的地に到着です。



このカフェは昨年、バイクを購入してからずっと来たいと思っていた場所。ケーキなどの甘味もありますが、ワッフルランチを注文するとグラタンやパスタなどのランチメニュー+ワッフル食べ放題です。
食べ放題。
食べ放題です(3回言った)。

ようやく来たぞと意気揚々と入店しようとしたところ。



何と お や す み 。
この日は月曜日。定休日は火曜日です。
今日は定休日じゃないやん……。
せっかく3時間かけて60km走ってきたのに。

何を言ったところでカフェが本日休業であることは覆りません。次の目的地に移動します。

もう一つの目的は、これを購入することでした。



道の駅の記念切符です。各地の道の駅で購入できるもので、私は道の駅巡りをしてこれを収集することを趣味の一つとしています。

これでお判りの通り、ここは白崎海洋公園。先程のカフェ「DeckCafe@shirasaki」は海洋公園の敷地内にあります。

白崎海岸は次の写真のような白い岩に囲まれています。



海は深い青色で、白い奇岩が多く並び、その白と青の対比は夏の陽光にとても映えて、「日本のエーゲ海」などと呼ばれることもある……そうです。
という訳で、このように「日本の渚百選」の認定証なんかもあります。




白崎海洋公園での目的としては「ワッフル食べ放題」、「道の駅切符」のほかに「ご当地限定ソフトクリーム」の存在もありました。白崎海洋公園限定のソフトクリームは「あまなつソフト」です。
昨年まで「みかんソフト」だったらしいのだけど、細かいことはよしとしましょう。



400えん。甘夏みかんの粒々が混じっております。
ワッフルは食べられなかったけど、これを食べることができたから、まあいいか……という気になりつつ道の駅内で休憩。
平日の日中のためか、道の駅の中は客が私一人だったのが多少気にならなくもなかった、かな。あと「北海道あずきソフト」も販売されていて食べたいなと思いつつ食べずに帰ってきてしまったので、次回はワッフルとともにやっつけたいと思います。

白崎海洋公園に通じる道の途中ではこのような奇岩を拝めたり、



「万葉公園」と名が付いた、和歌が刻まれた碑が二つばかり並んだスペースがあったりします。



「万葉公園」は幾らか期待して立ち寄ったのですが、「万葉」成分は二つの碑だけ、「公園」要素も薄くて何だかアレです。

2016年06月10日(金) おしぼり。

既に暑さと湿気に参ってぐったりぴーちゃんの衛澤ですご機嫌よう。

私がまだ学校に通っている頃によく言われたことです。
喫茶店等に入ったときに、先ずおひやと一緒におしぼりが出てきますよね。このおしぼりで手を拭く訳ですが、中年のおじさんになると顔を拭いたり、顔だけならまだしも耳の後ろを拭いちゃったりするようになるんだって。更にひどい人になると腋の下まで拭くらしいよ。
という、笑い話の姿を借りた中年男性に対する揶揄。たびたび耳にしたものです。

その頃の、つまり十代の私は、おしぼりで顔を拭くことはありませんでした。拭きたいと思うこともありませんでした。顔に脂が浮きがちな中年男性は「脂ギッシュ」などという造語で以て蔑まれておりました。当時の私にはそのつもりはありませんでしたが、やはり中年おじさんのことなど理解しようという気持ちすらなく、「中年男のやることは判らん」と思ってました。

しかし二十代も半ばを過ぎると、時折顔を拭くようになりました。疲れが皮膚の表面に浮いてくる感覚があるのです。それを拭うことで少し疲労が癒えるような気分になりました。三十代にもなると恥ずかしいこととも思わなくなり、取り敢えずは同席の人に「おっさんくさいことして御免ね」などと断ってから、毎回顔を拭くようになりました。

そして四十代も半ばを過ぎようといういま、耳の後ろまで拭きたいです。何故この行為が非難され得るのかとさえ思います。
だっておじさんになると身体からは脂が抜けていくけれど、頭部特に顔面の皮膚には疲労とともに脂が浮いてくるのだもの。拭って楽になりたいのだもの。それは束の間の憩いだもの。
まだ大っぴらに耳の後ろを拭いたことはありませんが、五十代にもなればためらいもなく拭くようになるんじゃないかなと思います。

振り返ってみると、そして改めて見ると、十代の若者というのはとても世界が狭い。自分とその周辺という限られた世界で生きていて、その範囲の常識が世界の常識でありその範囲で尊ばれる智識こそが至高でありそれ以外は取るに足りぬものだったりして、それなのに万能感に支えられている。皆、凡人に育っていくけれど自分だけは何処か違ってただの凡人にはならない、自分はつまらない大人になどならないという根拠のない予想を空想する。

おしぼりで顔を拭くなんて常識外、耳の後ろを拭くなんて羞恥の骨頂。私はそんなことをしないし、大人になっても絶対しない。それが若者の当然という名の主張でありとても個人的な不変神話。
そういう若者を見て、おじさんは「自分の世界を我がもの顔で生きてるなあ」と思います。特にうらやましくはない若者の特権です。

十代の若者は、子供と呼ばれることを厭がるけれど、やはり子供だと思う。「大人は判ってくれない」などと言うけれど、ほんとうに判っていないのは子供の方だと思う。「大人になったら判るよ」という大人の言い種を子供はとても嫌うけれど、いくら丁寧に説明したところで子供が決して納得しないことを大人は経験的に知っているし、体験してみなければ受け容れられないことがあるということも判っている。
子供は大人の手掌の上で踊っているに過ぎないのだ。それはともすれば甚だ滑稽なのだけど、大人は嗤わない。自分の行いが滑稽だということに気付いたとき、結構恥ずかしいということも知っているから。

そういうことを思うようになったので、この頃は自分より年長の人たちがやっていることを揶揄したり嗤ったりということがなくなりました。子供嗤うな来た道だ、年寄り嗤うな行く道だ。この言葉が実体験となりつつあるこの頃です。

首筋は拭いても腋まではまだ拭こうと思わないのだけど、もっと年を取ったら私もおしぼりで腋の下まで拭くようになるのでしょうか。実際に腋を拭いている人は見掛けたことがないけれど。


エンピツユニオン


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