2009年12月31日(木) お終いの日。
今日でお終いです。
今日でお終いです、2009年は。だからと言って買いものに出掛けて「もう今日で終わりなんだし買っちゃえ買っちゃえ」などと散財しては、明日からの生活に困るというものです。
一年が終わるからと言って、自分の人生までが終わってしまう訳ではないということを、よく憶えておくべきだと思います。私は。
お終いの日にも、明日はある。
あと数時間もすれば、2010年という年がやってきます。私が物語を読みはじめたのは1970年代の前半、それから10年ほど経って、私はSFという分野に出会います。そして
御約束とは外れたルートからSFの門をくぐり、それでもやはり御約束のI・アシモフとA・クラークを通ります。御約束と言うより、基本です。通っておかなければならない道です。
A・クラーク氏と言えば「
2001年宇宙の旅」であり「
2010年」である訳ですが、遙か未来であった2000年代はやがてあれよと言う間にやってきて、夢と希望の、換言するなら空想の時代は現実となりました。民間人を乗せた旅客機はまだ宇宙には行っていないけれど、SFの産物でしかなかったテレビ電話や腕時計型通信機は現実のものになったし、週休二日が当たり前になって「半ドン」が死後になったり、かと思えばお休みの日にも街は休むことがなくなったり年末年始にものが買えなくなることもなくなり、いろんなところで時代は移ってしまったというのに、ここ20年ちょっと変わり映えのない自分がここにいたりして、あらあんたまだそんなことしてるの、なんて誰よりも先に自分自身に言われたりする何とも進歩のない私 in 新世紀です。
今年は何より一年中持病の調子が悪かったしで、うん、もう、あの……いや、ま、生きて年を越せるだけ有難いものでございます。ええ。「下手したらここで死んでたよね」ってことが何回かありましたことですしね。
当面の目標は、……あ、これ年が明けてから「今年の抱負」とか何とかで書くと思うんで、いまはやめときます。
えーと、じゃ、ほんとにただいま現在の、当面の目標は、紅白歌合戦が終了してから調理をはじめる年越し蕎麦ですが、過去に年越しに間に合わず、調理して部屋に戻ったら既に年が明けていたという悲しい事態もありましたし、今年はつつがなく調理を終えてテレビの人と一緒に「あけましておめでとう」を言って蕎麦を頂きたいと考えております。
ほんとうは「年越し蕎麦」というものは年内に食し終えておくものですが、我が家は「おめでとう」と同時に食しはじめです。その年にはじめて食べるものが年越し蕎麦……やっぱり変かなあ? 変な方がいいんだけど。変だからやってるとも言えるけど。
書きたいことはいろいろあったのですが、締切が刻々と迫っているとそれだけで脳内がとっちらかって巧くまとめられないので、ここまでと致しましょう。
締まりが悪いようではありますが、今日でお終いであって明日にまだ続くのですし、それはそれでよしと致しましょう。
昨日観に連れて行って貰った映画の感想も書こうと思ってたんですが、時期外しちゃった感じなので長く書くのはやめておいて、これから観に行く人に一ト言。
映画「
のだめカンタービレ最終楽章 前編」、テレビシリーズが愉しかった人なら観て損はなし。劇場に行きましょう。フジ系だから直ぐにテレビで放送するだろうしDVDも出るでしょって観に行かないのは大間違いです。
本作は、全編に渡ってSE(効果音)やBGMを特につくることなく、劇中の人物が練習に弾いている曲や、楽団の練習や演奏会で演奏される曲がそのまま全篇のBGMになりSEになります。実写「のだめ」のメインテーマとも言えるベト7(ベートーベン交響曲第7番)をはじめ、「ボレロ」や「魔法使いの弟子」、「トルコ行進曲(モーツァルト・ピアノソナタ11番)」が、のだめや千秋先輩の心情を表したり、動きを誇張したりするのです。これらの曲を、家の小さなスピーカで聴くの? とんでもない! 勿体ない!
せめて劇場のドルビーサラウンドで聴きましょう。たとえば、ル・マルレ・オーケストラの演奏シーンでは、下手に位置する木管などは右側から、上手に位置するヴァイオリンなどは左側から鳴ってきますし、沢山スピーカがあるから立体的に聞こえます。鳴ってほしいところで鳴ってほしい音量で鳴ってほしい音が鳴ることの気持ちいいこと。これを捨てる手はありません。
テレビシリーズを見ていた人は、劇場へ。パンフレットは鑑賞後に。マネキンアクションは健在です。
いろいろぶつ切りで切れトンボで放りっぱなしですが、こんなところで。
気が向いて時間があって体調がよければ加筆するかもしれません。
2009年12月25日(金) 過程。
降誕節に関係なく我が家に蜜柑が集中しすぎて(御国柄)食べきらんので半分割りにして手で搾ってジュースをつくったら利き手がすっかり蜜柑色になった衛澤です。こんなに手が黄色くなったのは小学二年生のときに肝炎を患って(黄疸が出ると白目まで黄色くなるヨ!)以来ですよ。
さて、少し以前から或るSNS内に出まわっていた「小説執筆過程バトン」、まさかの御指名を頂きまして、回答申し上げました。その回答をこちらにも転載させて頂きます。よ。
何だか偉そうな感じがしないでもないのですが、多めに見てやってください。一応商業誌に書いたりなんかすることもある人の回答です。
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■小説執筆過程バトン■
■書くならパソコン?携帯?パソコンなら使っているツールを教えて下さい
・ラフや設定やコンテを書くとき
*行きつけの書店で貰った○川書店ノベルティのシャープペンシル
芯は0.5mm、HB。20年使用(壊れないんだもん)。シャープペンシルは高級なものより貰いものの単純な機構のものの方が書きやすい気がします。
*A4判の、少なくとも片面が真っ白の紙(ミスコピーの裏など。なければ新しいコピー用紙)
紙は高級な紙より多少安くて紙面が粗いものの方がシャープペンシルの引っ掛かりがよくて書きやすいように思います(高級な紙はシャープペンシルの芯が上すべりして薄ーい字しか書けない)。
・原稿を書くとき
*
パイロット FP-50R-B-EF(習字用万年筆)
「一番書きやすくて字が濃い」という理由で一時ロットリング0.3(製図用ペン)で書いていたこともありましたが、それより更に書きやすくインクも入手しやすくリーズナブルなのがこの万年筆でした。15年くらい使っています。インクはカートン買いします。切らしたら仕事ができなくなるので。
*
コクヨ ケ−35 原稿用紙(400字詰50枚綴)
本来は縦長に置いて横書きに使う原稿用紙ですが、これを横長に置いて縦書きに使っています。枠線が淡い緑で目にやさしいのと、前半200字と後半200字の間の折りしろがないので文章の流れをぶった切られずに済むのとで、気に入って使い続けています。問屋さんでは10冊一ト組だそうで、10冊ずつ購入しています。
手紙を書くときにも便箋代わりに使います。御作法の本等を見てみても失礼に当たらないらしいので。
・原稿清書〜仕上げ
*PC(WinXP…Vistaは動作が重すぎて厭)
*
TeraPad(テキストエディタ/フリーウェア)
プレーンテキストで納稿の場合はこれ。HTMLソースを書くときもこれ。それぞれモード切替で行番号が付いたりタグに色が付いたりしてくれるので編集しやすいです。
*DreamweaverMX(HTMLオーサリングソフト)
稀れに「HTMLファイルで納稿」と指定されることもあるので、その場合はこれを使用します。テキストエディタでもできる作業ですが、エディタでやると文章の修正をするときに間違ってタグを削ったりしてしまうのが怖いので、Dreamweaverで。
*
OpenOffice Writer(MS Wordによく似たフリーウェア)
「Word形式(docファイルもしくはrttファイル)で納稿」という指定がくることもあるのですが、現在使用しているPCは自作機でMS Officeが入っていないので(購入すると馬鹿高い)、ほぼ共通のファイル形式を扱えるフリーウェアOpenOfficeを使っています。
*ViaVoice(音声認識ソフト)
清書するだけなら手入力より早いかもしれないので、試しに次の原稿で使ってみようと思案中です。
・基本的に原稿にはデジタル技術を用いません。
・画面の中にある字、横に並んでいる字を読むのが上手でないので、文章はできる限り紙に書かれたもしくは印刷された(できれば縦書きの)ものを読みたいです。
・原稿の、「ちょっと前に書いた部分」と「いま書いている部分」を突き合わせたりするときに紙原稿は便利です。デジタル原稿でもできるのかもしれませんが、二枚のファイルを突き合わせてスクロールさせたりアクティブに切り替えたりしているうちにきっと眼精疲労やそこからくる頭痛で仕事どころではない状態になりそうなので、避けています。
・少なくとも第3稿くらいまで、気になる部分があったり納得いかなかったりしたら第6稿くらいまでは、紙と万年筆でつくります。「概ね、こんなもんか!」というところまできたら、パソコンでテキストデータに直します。
・原稿のデータ化作業が外出先でもできるように一時は
sigmarion IIIを使っていました。割りと使い勝手はよかったのですが、キイの小ささとソフトウェアの不自由さがネックです。
ポメラに乗り換えようかどうしようか思案中。
■大体一話何文字程度?
大抵は字数或るいは枚数指定というものを受けて書くのですが、そうでない場合(つまり自分の都合で気ままに書いた場合)について回答します。
・短編:16000字前後(400字詰換算40枚前後)
・中編:36000字前後(400字詰換算90枚前後)
・長編:200000字程度(400字詰換算500枚程度)
字数やデータ容量でなく、常に400字詰原稿用紙換算で考えます。県の催しものか何かで10分間のスピーチを頼まれて「10分間というと原稿用紙5枚くらいですよね?」と訊ね返して担当者を黙らせたこともあります。駄目じゃん。
えー、こういう話はもの書きとして大変恥ずかしいのですが、だいたい短編を書こうとするときは400字詰原稿用紙30枚を、長編の際は400字詰300〜350枚辺りを目安に構成を考えながらコンテを切ります。しかし、実際に原稿を書きますと大抵それよりは長くなって、短編は40〜50枚に、長編は500枚程度になってしまうくせが、私にはあります。短いのが書けない手くせのようです。
■仕上がるまでの所要時間
依頼日から締切日までの時間に比例します。
最近の連載を例に引いてみますと、全12回月刊連載の各話が平均45枚程度、執筆期間は3週間程度です。但しこれは連載前に既に最終話までのコンテが切り終わっていて、あとは原稿を書くだけ、という状態になっていてのことです。平均して第5稿辺りが決定稿になっています。
締切なしの長編の場合は半年かかって500枚だったように記憶しています。
10年前の
恥ずかしい初長編(衛澤名義)
■書くにあたって気をつけてること、自分ルールは?
・小説を書くこと。
私の本業は小説を書くことなので「小説を書いてください」という依頼を頂きます。だから随筆や説明文や論文ではなく、小説を書くように気を付けています。
・「描写と説明文とは違う」ということを失念するな。
小説の中に混じっている説明文を、読み手は決しておもしろいとは思わないということを、かつて読み手であり、いまも時折読み手である私は知っているはずです。それを忘れずに書き手として働けということです。
・自分だけがおもしろいと思っているものは書かない。
・自分がおもしろいと思えないものは書かない。
・鉤括弧(会話など)は4行以上続けない。
・できるだけ単文で。
・主語と述語はできるだけ近くに。
・原稿用紙1/2枚くらいごとに音読。
これは気を付けているのではなく、くせです。学生時代に授業で本読みしたときに、声に出して口に出して愉しい文章の方が読んでなお愉しいと思ったことを憶えているので、そのようなものになるように。
また、近い音の語が幾つも近い場所に配置されることがないように。読点の位置のバランスを見たりも。読点の場所は息継ぎの場所でもあるので、なさ過ぎたり多すぎたりせぬように。書いたものを実際に口に出してみるとだいたいこんな感じのことがチェックできます。
・閉じ鈎括弧直前の句点は省かない。
「ああ、そうでした。」←こんなやつ。
新聞などでは慣用として省くことになっていますが、国文法では書くことになっていますし、私に「書く」ということ、読むことの愉しさを教えてくだすった恩師はやはり省かないで書くと教えてくださいましたので、これを守っています。
[ 余談 ]
この恩師は「句読点を丁寧に書かない人は文章が巧くならない」ということも教えてくださいました。なるほど確かに何度書き直しても納得いくものが書けないときというのは句点も読点も乱暴に書いています。句点が○じゃなくて△に見えるようなものや閉じていない○になっていたり、読点がゝや, になっていたり。そういうときは書写で構わないので原稿を書き直します。するとよくない点が判ることも多いです。
巧く行っているときの原稿というのは、大抵一字一字、楷書で丁寧に書いてあります。自分でも吃驚。
■年齢制限はありますか
私は「衛澤蒼」という筆名で書くときと「三条裕」という筆名で書くときとがあります。
衛澤が書くものは特に制限は設けませんが、三条が書くものはすべて成年指定です。というのも、三条が書くものはすべて性行為を題材にしているからです(早い話が三条はエロ作家です。しかもちょっと特殊な)。
衛澤名義では対象年齢を15歳以上と定めていますが、どのような内容であれ制限は設けない考えです。しかし版元が勝手にR指定を入れたりもします。思わぬジャンル分けをされてしまうことも。
■貴方の考える年齢制限の基準を簡単に
ヒトの生殖器そのものの俗称(場合によっては学名)が複数回出てくるか否か。
エロ(実際は読み手による「使用」)を目的とした作品の場合、これは必要なので連呼と言えるほどの頻度で出します。出す必要があるのです。それが必要でない作品の場合は複数回は出すようなことはありません。
ですから、性描写があるかないかは問題ではありません。同程度の性描写があるとして、衛澤名義で書くものにはそれでも年令制限を設けない考えです(版元次第)。
■シリアスかギャグなど、得意なものはなんですか
恥ずかしながら、得意なものはありません。
中でも恋愛を主題としたもの、ギャグもの、女性一人称は苦手です。
■キャラ書き分けの方法ってどうやってます?
キャラクタの細部というのは書きはじめるときに既に判っている(設定されている)はずなので、地の文を使った描写の中に意識的に折り込んでおきます。名前や人称代名詞なしにその人を読み手に判らせなければならない場面までにそれが充分にできていれば、特に気にしなければならないことはないはずです。
会話文が長く続く場合(私はこれを避けるように気を付けてはいますが)は、本人の一人称、特殊な語尾等の話しくせ、他者からの呼びかけや三人称、思考パターン等を適宜くどくならない程度に組み合わせて会話文の中に混ぜて馴染ませておくという方法を取ると思います。
■プロットはどんな風に立てますか
1)先ずは一文になるようにまとめます。
物語は大抵「○○が△△してから□□するまでの話」というかたちにまとまるので(まとまらない場合はその一連の構想が実は破綻している場合が多いです)、そのかたちにして、物語の「はじめ」と「終わり」を確認します。
2)人物票を書きます。
物語の中で動く人物の名前や身体の特徴や生い立ちや家族や住んでる場所や着ている服や持ちものや……とにかくすべて書き出して、一枚の紙にまとめます。私は「人物票」という履歴書のような書式を予めつくってあるので、手当たり次第に書いたものをその票に転記するか、そうでなければ最初から票を用意してそこに書き込みます。
これを登場人物の数だけ書きます。
人物だけでなく、必要なら小道具や場所(住んでる部屋とかよく散歩に行く公園とか)の設定やラフスケッチもこの段階で書きます。これをやっておくと、後々とても楽です。
3)
妄想 構想します。
大まかな物語と人物像ができたら、それ等材料をもとに、ぶつ切りで、飛び飛びでいいので、好きなだけいろいろな場面を思い描いて人物がどのように動くのか観察します。
そうすると、この過程でおおまかなストーリイラインができてしまうので、次の作業に移ります。この段階を入念にやっておくと、書き手が人物の動きを考える必要がなくなります(よく言う「キャラクタが勝手に動く」という状態に早い段階でなります)。
4)ストーリイをだいたい四ツくらいに分けて紙に書き出します。
「四ツ」というのは「起承転結」に沿って考えるための「四ツ」です。「序破急」で考えたい人は三ツでいいです。
四ツに分けられた場面を、更に細かく詳しく構想します。この作業は繰り返されます。更に詳細に構想されたものを、また更に詳細に……という風に。
5)とても細かいところまで御話ができてきたら、今度はコンテ作業です。
この段階まで来たら何章構成になるか、時制の行き来はあるか(現原対変など)、誰のどんな視点で話を動かすか等々、判っているはずなので、それを箱書きにします。物語をつくる勘のいい人なら4)とこの段階はすっ飛ばして直ぐに原稿執筆にかかれると思います。私は不器用で忘れっぽいのでこの作業をしておきます。
書き上がったコンテを見ながら原稿を書きます。
……と、ここまで書きましたが、「プロット」と呼べるのは1)の段階だけですね。4)や5)になると、これはプロットではなく「あらすじ」になります。
この辺り、投稿原稿では結構厳密に見られてしまうので、出版社主催の各賞に投稿しようという人は「プロット(梗概)」と「あらすじ」を明確に書き分けられるようになっておくのがいいと思います。
とか何とか偉そうに言っておきながら、私自身まだ梗概と粗筋の違いは判っていません。知っているのは「あらすじ」は結末を書いてはいけなくて、「梗概」は結末まで書く必要があるということです。
■試しにプロット見せてください
「柴田が雨のごみ集積所で×××を拾ってから秋風の中一人でピアノを弾きはじめるまでの話」。
これはいま書いている御話の原形です。「×××」は、いまは明かせないので伏せさせて頂いてます。「柴田」は主人公のおじさんの名前です。亜美さんとは関係ありません。
参考までにまだ書きかけのコンテの写真をどうぞ。
これはA4判の紙を縦長に使って継ぎ足し継ぎ足し書いたもので、10mちょっとの長さになっています。これで、やっと全体の約半分程度。これも400字詰原稿用紙300枚くらいに収めようと考えていながらこの様子では500枚くらいになりそうな感じです。
■ここだけの秘密、あのお話の裏設定
私が書いた御話を御存知の方はおられませんでしょうから表題を上げずに申し上げますが、衛澤名義で書いているものはすべて現代日本が舞台のようでいて、私たちが住んでいる日本での話ではありません。
とか言っても御話が判んなきゃつまんないよね。あははん。
■最後に今後書いてみたい設定など教えて下さい
恰好よくとも何ともないおじさんが主人公の御話を。
「恰好よくとも何ともない」ってところと「おじさん」というところが設定です。いま書いてるのがこれなんですが。
---------------------------------------- ここまで↑
次に回答する人を指定もできるようですが、回答したい人にお渡しします。御自由にどうぞ。
できれば、もの書きさんすべてに回答して頂きたいです。回答することで自分のスタイルやくせが判ることもあるので。
さて、降誕節ということで有難いこの動画を。
人が神の御前で平等であるのなら、神仏もまた人の前において平等でありましょう。仏式で降誕節を御祝いしても何ら差し支えないはず。きっと東京立川にバカンスでいらっしゃった御二方はおよろこびです。
2009年12月22日(火) 白球を。
軟式のボールを、自宅向かいの小学校の壁にぶつけて「壁当て」をして遊んでいたのは、小学校に上がる前。幼稚園に通っていた頃から小学校三年生くらいまで、壁当てやキャッチボールを好んでやって、野球用のグローブやキャッチャーミットをほしがったり、連載中の漫画「
ドカベン」を愛読し手持ちのジャージに手書きの「2」の背番号を縫いつけて貰ったりしていたのは、三〇年以上前のぼくだった。
当時のぼくはそれらしかったかどうかは別にして、周囲の人すべてが「女の子」として扱ってくれていて、しかし野球大好きの活発な女の子なんてその辺の石を三個くらい投げれば一個は当たる程度の確率で存在していて、めずらしくとも何ともなかった。
この頃早くも水島新治先生は「
野球狂の詩」という、女性がプロ野球の投手を務める漫画を描いておられて、木之内みどり氏主演で映画化もされていて、その映画を何故かぼくも観ている。「ドカベン」の実写映画も劇場で観た憶えがあり、時期を同じくして「ドカベン」はテレビアニメーション化もされている。野球ブームだったのか、野球しか娯楽のない時代だったのか、その辺ははっきりと憶えていない。
そんな時代、小学校の壁で壁当てするぼくの前を、たびたび真っ白な野球のユニフォームを着た少年たちが自転車で通り過ぎて行った。小学校の校庭で練習をする少年野球チームの少年たちだ。当時のぼくはその彼等の姿を見送りながら、多少「うらやましい」と思っていた。そして「野球狂の詩」の主人公、水原勇気のように少年野球の監督に認められて特例として少年野球の一員となる自分を空想……もとい、妄想したりもしていた。小さな題材から大きく妄想する素養はこの頃からあったようで、これは後に大変役に立つのである。
ここで気を付けておかなければならないのは、ぼくは確かに野球少年たちをうらやましく思ってはいたが、「野球ができること」をうらやんでいた訳ではなかったということである。正直に言うと、この頃のぼくは野球が特に好きだった訳でなく、いまとなってはまったく好きではない(野球好きのみなさん、御気を悪くされませぬよう)。
おそらく当時のぼくは、「野球ができること」よりもその「道具」、ユニフォームやバットやグローブをうらやんでいたのだ。かたちから入る様式美の人だったのだ。もしくはコスプレイヤー気質だったか。そうでなければ自分で布にマジックで「2」と書いたものをジャージに縫いつけてくれと母親に頼んだりしなかっただろう(「2」は「ドカベン」主人公、山田太郎の背番号)。
そんなことがあったのが一九七〇年代半ばから終わりにかけて。その後暫く、ぼくは野球のことなどすっかり忘れる。それどころか、通っていた高校の野球部員にはぼくに対して大変失礼な者が多かったので、野球に対して八ツ当たり的にマイナスの感情を持つようになってしまった。そんな訳で母校野球部甲子園出場時も寄付など一銭もやらなかった。
それはともかく。
一九九〇年代半ば、ぼくは或る漫画と出会う。川原泉女史の「
メイプル戦記」である。
これは一九九一年に、プロ野球の「不適格選手」について書かれた野球協約第八三条から二ツの条文が削除されたことを受けて描かれた作品で、その条文とは次の二ツである。
「医学上男子でない者」(つまり女子だな)
「不適当な身体または形態を持つ者」(意味不明)
(丸括弧の中のツッコミは作中で川原女史が付けているものをそのまま引用させて頂いた)
これにより、協約上は女子にも平等にプロ野球選手への道が開かれた―――そしてプロ野球セ・リーグ第七番めの球団が誕生、名を「スイート・メイプルス」、選手のすべてが(監督も)女子の球団である。さてさて、メイプルスが加わったその年のペナントレースは……というのが、大まかな「メイプル戦記」の御話なのだが、川原女史のことなのでそうそう素直なストーリイラインをつけることはない。
メイプルス入団テストを受けに来た中に、「自分は身体は男なんだけど心は女なんだ」という、甲子園出場まで果たした剛速球投手が混じっていて……更に不倫スキャンダルを重ねる強豪球団の花形選手の奥さんが夫に離婚届を叩きつけて入団、などなどスイート・メイプルスは比類なき個性派集団となり、一目置かれるようになり……とにかく、球団発足からペナントレース終了まで、いろんな問題を抱えながらメイプルスはがんばるんだ。そして―――御話の結びに、こう書いてあるんだ。
「よかったね よかったね 女の子でよかったね…」
これ以上書くことはできないが、川原泉女史の骨太少女漫画「メイプル戦記」は文句なしにおすすめだ! 哲学好きなら川原作品すべてがおすすめだ。読むがよろしい。
溜飲が下がるような爽快な物語「メイプル戦記」は野球協約が改正されてから五年後に完結(連載は改正翌年から)、長い時間が経ったが「メイプルス」はまだ御話の中のものだった。時代が二〇世紀から二一世紀に移っても、「メイプル戦記」はまだ夢物語だった。そのうち、ぼくやほかの人たちは「女性プロ野球選手」のことを忘れる。実現可能なものであることすら忘れて、夢を見なくなる。
S・キューブリック監督が映画に描いた遙か未来がついそこまで近付いてきた或る日、ぼくはテレビドラマの中に、自分が幼かった頃には決して見られなかったものを見た。子供が複数人登場するのだが、その中の一人の女の子が、少年野球の一員でこれから練習に行くという様子で、それはドラマの中で特別なものでは決してなく、当たり前の日常の一トコマとして描かれていて、ぼくはやっと、時代は動いたんだと思った。
「野球は好きだけど女の子だからチームには入れないね」……こういうことが当たり前に言われていた頃から三〇年。たった三〇年でこんなに変わるんだね、よかったね女の子たち。そんなことを思った数日後のことだった。
日本女子プロ野球機構発足。報を聞いたぼくの脳裏に「メイプル戦記」の冒頭のフレーズが浮かび上がる。
「よかったね おめでとう」
あの頃の夢物語は現実になりつつあるけれど、あの頃のぼくはもういない。ぼくではない沢山の誰かに、心から。
「よかったね、おめでとう」
ぼくが知らないだけで、国内各所には既に
ザワさんみたいな女子が沢山存在するんだろうね。
よかったね、よかったね、女の子でよかったね……。
2009年12月17日(木) 近頃。
新しくつくったPCのケースに付いている動作ランプの青色LEDがやたら眩しくてPC電源を落とし忘れて寝ることがなくなった衛澤です。
今日もぽつぽつと短い話題を幾つか。行けゴー。
■打楽器
打楽器がとても好きです。和太鼓、ティンパニー、マリンバ、カウベル、叩いて鳴らすものは大抵好きです。中でも
ビブラスラップという楽器が好きで、あんまり好き過ぎて購入してしまいました。
ビブラスラップ、御存知ですか? 北島三郎氏の名曲「
与作」やドラマ「水戸黄門」メインテーマ「
ああ人生に涙あり」の決めどころに、口で言い表せない音で鳴る「あの」楽器です。
大好きな楽器ですが、実際に鳴らしてみると、案外鳴る音が大きいです。自宅で頻繁に鳴らしていいものではなさそうです。演奏の仕方を教えてくださる方&演奏の場を提供してくださる方募集中。四十の手習い。
■コーヒー
ここ暫くどのコーヒーを飲んでも旨くありません。自分で淹れたインスタントコーヒーから友人に淹れて貰うインスタントコーヒーまで。……あれ、幅が狭い感じがする……コンビニエンスストアで購入できる缶コーヒーやチルドカップ入りのコーヒーを経由して、です。
どれを飲んでも旨く感じないのは、私の周囲で販売されているコーヒーが悉くまずいからという訳ではなく、私の身体がコーヒーを旨いと感じない体質にでもなったかのような。もしかしたら主治医に処方して貰っている薬の中に、コーヒーにとっての、酒に対する
シアナミドみたいなものが入っているんだろか。
飲んでもあんまり旨くないので、好んで飲まなくなりました。五年くらい前までは一日六〜七杯くらい飲んでたものですが。でも書きものをしているときに水分を沢山摂る習慣はいまも変わりなく、自宅だと水かお茶や生姜湯を、外部オフィスだとお茶やメロンソーダその他炭酸飲料をよく飲みます。
でもドーナツ専門店のカフェオレやコーヒー専門店の本日の云々はやっぱり旨かったりするんだな。
あと余談ですが、タイランドに行った際は「coffee」を「コーヒー」と発音しないように注意しましょう。「カフェー」と発音するとよいです。
■文具・事務機
文具・事務機の類いが大好きで、ものによっては必要がなくてもほしくなったり買ってしまったりすることもしばしばあります。「御用の際はお呼びください」の三角札とか「検収済み」の判コとか、一人事務所の我が家にはどう考えても必要ありません。でも見るとほしくなって大抵手に取ります。
「掃除中です。しばらくおまちください」の立て看板とか、B4版までOKのカードラミネーターとか、そんなの絶対使わないから! それが判っていてもほしいものはほしい。
このような折りに私は学ぶのです。「ほしい」ということと「必要である」ということと「購入可能である」ということは、それぞれ別の、違うことなのだ、と。
でも文具・事務機って愉しいよねー。私の懐に金銭と空間と健康があり余っているなら、B全版までOKのコピー・スキャナ・FAX複合レーザープリンタとかオフィス用オフセット印刷・製本機とか、脊髄反射の勢いで買っちゃうところです。あと「冷やし中華はじめました」の幟。ぜひほしい。
■性同一性障碍
ここ一〇年ほどの間に「性同一性障碍」という言葉は巷に広がり、その語の意味まではともかく、これを聞いたことがある人の方が、聞いたことがない人の数をそろそろ上まわろうとしているんではないでしょうか。当事者の中にも「『性同一性障碍』という言葉が世間に出まわった頃」が「ものごころついた頃」と等号で結ばれてしまう若い人たちが現れていると言います。隔世の感ですな。
一〇年ほどの間に国内での治療がはじまり、頓挫し、戸籍上の性別を訂正できる法律ができたり、私個人のことを言えば「性同一性障碍」を主題に据えた小説を書くよう依頼されて書いたり(後のことにその小説は要らないものだったと判りましたが)、治療のために海外へ渡ったり、いろいろありました。
地元に性同一性障碍当事者をはじめとするセクシャルマイノリティのための自助グループをつくって、早くも満五年、六年めに入りました。ようやく「グループ」として稼働して、軌道に乗ろうかというところです。
今後も性同一性障碍及びほかのセクシャルマイノリティについての情報を仕入れて仕分けて求める人に提供してゆかねばなりません。そうは思っています。思ってはいるんですが、その方面のアンテナが、かなり鈍くなってきています。
要は、私自身の「性同一性障碍」についての興味が薄れてきているのです。自分がその当事者であるということも特に意識しなければ感じずにいられる日々を有難くも過ごさせて頂いているためかそれとも気持ちがたるんでいるためか、使命感とか義務感とか、そういうものの嵩が目減りしてきています。それでね、思うんです。そろそろ隠居かなー、業界じゃ年寄りかなー、と。
■自腹本
もともと遅筆で、それなのに締切を前倒しして納稿しないと気が気でない私ですが、それでも何とかやってきました。中には「こんなんで済まん!」と内心絶叫しつつ納めたやっつけ原稿もありましたが、そんなものでも編集側や或るいは読者さんから高評価を頂くこともありました(むしろ練りに練って仕上げたものよりそういうものの方が評価が高かったりする。ちょっと落ち込む原因にもなるが)。
そんなこんなでやってきて、最近ちょっと同人ベースでの出版に意識が傾いています。体調と相談しつつではありますが。
意識が向いている分野の業界をフィールドワークしていますと、みなさん大変な勢いで執筆&出版&イベント参加してらっしゃいます。毎月とか隔月とか、そんなペースでイベント参加して年に七冊も八冊も本を出して(つまり書いて書き上げて納稿して)……その気力と体力は何処から調達してらっしゃるのか、ぜひ知りたい。
もしや私などが二〇代の頃まで無意識にやっていた「字面だけで自動妄想→自動的にストーリイライン構築→細部設定(愉しい作業)→書き出しと結び成立(仮)→コンテ作業→執筆→修正→……」という一連の流れを年に何回も繰り返しておられるのか……それはもう「若さ」としか言いようが。
何かと疲れやすいこの頃を過ごしている私ですが、あわよくば
大阪で行われるイベントに出品してやりたいなどと夢見がちな心で思っています。思うだけならタダだしな!(持病のため人混みに入ると目がまわるのでイベント会場にはいられません)
■本日の所要時間
三時間+入浴時間(湯舟の中で草稿をつくったので)
■今日見つけた名言
「私たちが愛する人々の幸福を願うのは当然である。だが自分たちの幸福を捨ててまで、これを願うべきではない」
(バートランド・ラッセル/英国/論理学者・数学者・哲学者)
2009年12月14日(月) てんさい。
私が参加させて頂いてます幾つかのSNSのうちの一ツ、某SNSで「好きなP紹介バトン」(仮)というものを頂きまして回答したのですが、そのSNSで交流してくだすっている人とその外で私と関わる人とでは層が違うようなので、転載してみます。
SNSの人はみな共通言語というものがあって、特に説明もなくいきなり書き出して大丈夫だったのですが、それがSNSの外では何処まで通じるのかな、という興味もあります。
改めまして、「好きなP紹介バトン」(仮)。
※便宜上「P」となっていますが、P名を持たない人もどうぞ。
(註:「P」とは「プロデューサー」のことです。某動画サイトでは秀れた楽曲や動画を発表する投稿者には特にP名を与える慣例がある。動画のタグに「○○P」とあるのはその動画を投稿した人のP名。)
※ボーカロイドを持たないP(PV師等)もどうぞ。
※暫定版なので、お好きに質問追加どうぞ。
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■簡単に自己紹介してください
片田舎のしがない三文文士。喰うのは速いが書くのは遅い。
■今回語るPを簡単に教えてください
ニコニコ動画での名を「わんだらP」、そのほかの場所では概ね「F.Koshiba」と名乗っておられる、渋好みの曲をつくるアーティストかつVOCALOIDプロデューサー。
音も言葉も充分に研いでから衆目の前に出す。その周到なことに気付く人は稀れなのかもしれないが、一旦気が付けば目を離せなくなる秀作のつくり主。「伝説のKAITOマスター」なる称号を与えられている。
主にKAITOを主唱に使うが、ほかに初音ミク、がくっぽいど、巡音ルカと3人のVOCALOIDを使う。
作詞、作曲、調声以外に小説を書いたり絵を描いたりもする。ときどきネタも繰る。生真面目な風でいて、案外お茶目さん。
■そのPの代表作は?
「wanderer」(sm1550571)。
生まれはインストルメンタル、後に歌詞が付き編曲が変わり、女声ヴォーカルによって歌唱され、その後に男声ヴォーカルによる歌唱、メモリアルエディションの成立、更に編曲が改められ……このように多彩に変遷した曲はほかに見られない。これだけ手をかけたということは、おそらくつくり主たるわんだらP氏御自身に、この曲についての特別な思いというものがあるのではなかろうか。
強い思いが詰まったこの曲がより多くの人々に知られることを運命づけたsm1550571が氏の代表曲と言って差し支えないものと考える。氏は「伝説のKAITOマスター」であり、氏が紡ぐ楽曲の上で遙か旅行く者として知られることとなる旅KAITO(氏がこのように呼ぶ)の、その旅の原点でもあるのだから。
また、「わんだらP」というP名の由来となった曲でもある。
■そのPを知らない人は、まずどの作品から視聴するべきでしょうか?
やはり「wanderer」(sm1550571)か。
氏の原点であること、スタンダードな4拍子であることから考えてこの曲から。初めての人にも馴染みやすいのではないだろうか。いきなり変拍子の曲を聴かせて吃驚されてもちょっと困る(氏自身が「万感吟遊」(ショート版:sm1632132)の投稿者コメントで「変拍子のため馴染みの薄さから受け入れられないかもしれませんが」と述べている)。
聴かせる相手がちょっとした通好みであったり渋好みであったりするなら「万感吟遊 ピアノアレンジ」(sm3996446)を。
■最初に視聴した、そのPの作品は何ですか?
おそらく「そよぐ真昼の歌」(sm2141441)。
「おそらく」というのは、「VOCALOID KAITO」を知ったばかりの私は「KAITO」タグの再生数の多いものやネット上の話題に多く上るものをとにかく片っ端から聴いていて、誰がつくった曲かということを確かめてはいなかったからだ。
それから暫くして、ようやく「自分の好みの曲調と調声」というものが判りはじめた頃にこの曲と「
千年の独奏歌」(sm3122624)を知り、「千年〜」も好きだけどこっちのがもっと好きかな、と思っていたという記憶が薄らとある。
両曲の決定的な違いは何処にあったか、というと、誤解を怖れずに言うなら「歌謡曲っぽさ」だったと私は考えている。
「千年の独奏歌」からはプロの匂いがした。細部に施す遊びや趣向がプロの仕事で、編曲や仕上げ方はヒットさせることを狙った「歌謡曲」の様相で、華やかですらある。なるほどこれは誰からも好かれてさっさと殿堂入りするだろうと思えた。
対して「そよぐ真昼の歌」にはその華やかさというものはおよそなかったが、一日中プレイヤのリピート機能に任せて際限なく繰り返して聴いていても飽きもせず厭にもならない、味わい深い曲であり、KAITOの南方風の謡い方となめらかな声は心地よかった。長い時間聴いて疲れるどころか、じわじわと味が出てくるのだ。ほほうと感心する私が、氏の曲が「スルメ」だと言われていることを知るのは、もう少し後のことである。
多くの消費者に媚びず、しかし丁寧なつくりの「そよぐ…」の方が私には好もしかったのである。
■そのPにハマったきっかけ、理由は?
きっかけは「わだつみ」(sm2768013)。
毎日毎日「KAITO」タグを放浪して「KAITOの歌」を何百曲と聴いて、だいたい「KAITOの声」と「その声でうたう詞の内容や曲調」の傾向が判ってきた頃のこと。それまで聴いたものの何れとも、だいたい判った傾向とも、まったく違うKAITOに出会った。それが「わだつみ」だった。
張りのある太い声、よどみない発音・滑舌、謡曲や演歌の技法が混じった歌唱、太鼓の低い音が取る海洋を表しているのだろうリズム、鳴ってほしいところで盛大に鳴る銅鑼(シンバル)、それに何だ、この詞の語彙の豊かさと語選の的確さ、仕上がりのうつくしさは!……それまで出会ったことのないKAITO=わだつみさまの大きな逞しい手で喉首掴み上げられたような気分だった。それは一視聴者、というよりも、つくり手の端くれとして感じた衝撃であり畏怖であったと言える。
すごい曲だ、誰がつくったんだ!……私はこのときはじめて「誰がつくったのか」を確かめ、「わんだらP」というP名を知ったのである。
P名を知れば当然マイリストを覗くことになるのだが、覗いてみて判ったのは「ああ、『wanderer』や『そよぐ真昼の歌』の人か」ということだった。ほかにも氏の曲は幾つか聴いたことはあって、「わだつみ」がはじめての出会いではなかった。
そうして氏の曲をすべて一ト通り聴くことになるのだがそれを通して、作品に共通してつくりが丁寧であること、一聴して直ぐ判るほど浅い作品はつくらないこと、言葉の研ぎ方が非凡であることなどが判り、職人気質の制作姿勢が感じられて、私はこの師匠に一生着いて行こうと思ったのだった。
■あなた自身はそのPの作品の中で、どれが1番好きですか?
「1番好き」ということはただ一曲きりを択ばなくてはならないということなのだろうが、それは無理というものだ。だが、何とかできる範囲で絞り込んでみよう。
「コンドル」(sm4916562)
フォルクローレ風変拍子、不思議なコーラス、落ち着きと確固たるものをはらみ凛としたヴォーカルの声、平易な言葉を択びながら多くの人が言おうとしてなかなか言えぬことを表す詞、心臓をわし掴みにされる思いだ。
この曲には思うところ多く、題材に取らせて頂いて物語を書いてみたいという気持ちまで、書く書かないは別にして、持っている。
「日照雨」(sm7908362)
音の渦、言葉の妙、ヴィジュアルの力。この曲はほかの誰がどんなに模倣しても似たものはつくれまい。感性の豊かな人ほどこの曲の影響を受けているに違いない。絵筆を執ったり物語の筆を執ったりした人は数多いと聞いている。
iPodに歌詞を入力してもこの曲だけが文字化けしてしまうのは何故か。この曲こそ詞を味わいたいというのに。
(註:
「日照雨」について……F.MEMO(F.Koshiba氏ブログ)より)
「wanderer」(sm1550571)
原点だから。
それから、個人的に氏にアレして頂いたということもあり、「wanderer・改」は外せぬところ。大人になったKAITOも恰好いいしね。
「わだつみ」(sm2768013)
あの衝撃は忘られぬ。
無理やり抜き出したこの四曲、順位はつけかねる。
■あなたがそのPに惹かれる理由は?
「自分の辞書」を持っておられる。ほかの誰とも同じでない、御自分だけの辞書を。しかもその辞書は収録語数が怖ろしいほど多い。このような御仁を、私は好きにならずに、尊敬申し上げずにいられません。
逃げぬ・媚びぬ・諦めぬという姿勢が御作のみならず投稿者コメントやブログなど、お書きになるものを総合して或るいは端々から窺える。一ト言で言うなら「ストイシズム」でしょうか。ぶれない己れと、それから逃げない己れ。あやかりたいところであります。
■そのPのファンをしていて嬉しかったことは?
氏の曲動画を視聴するに際し、動画コメントに言葉のうつくしさや味わい深さについてのコメントが見られると、まだ日本語は、母国の言葉は滅びずにいられるのかもしれぬ、と思えること。
■あなたがしているファン活動があれば教えてください(例:毎日巡回している、PV作った等)
マイリスト巡回はファン活動だったのか。それはすべからく。
ニコニコ動画アカウントを持たない人やブロードバンドに恵まれていない人には氏から頂いたmp3などを収録したCDを差し上げています。
■ファン活動の際に心掛けていることは?
相手がいる活動の場合は(聞けとか見ろとか)、無理強いしない。
自分の日常活動に支障を与えない。
氏御自身に迷惑がかからぬように(かけちゃったこともあるけど)。
■そのPについて、何かもえた(萌えた/燃えた)エピソードがあれば、教えてください
・ラーメンタイマーロックしました(「万感吟遊(FULL)」(sm1715802)動画コメント)
・赤福パフェとか食べてたらいい(F.MEMO 08/05/10)
・無限ぷちぷちのメイド編、幼なじみ編、ツンデレ編で、たまに出るであろうセリフを、「裏の説明を見なくても予想できる自分がちょっと悲しかった午後」(F.MEMO 08/07/02)。
・もっと思い切った
若作り 音作りに励みます!(「軍神オーディン」(sm7685347)投稿者コメント)
■「ああ、自分はつくづくそのPが好きなんだな」と思う瞬間を教えてください
ファン歴18年の或る音楽ユニットのニューアルバムを買ったのだが、まだ封も切っていない。同ユニットの、世間では入手困難と言われているライヴチケットも取れたのだが行く気が芽生えず友人に譲った。数年前、腹を切った(手術した)直後でも平気で行った彼等のライヴ……もしも氏がCDを手売りなさると仰るならば直ちに馳せ参じる気満々なのに。
とか思っている自分に気づいたとき。
■そのPと面識、交流等はありますか?
えー……人数が少なく特定の人のみがおられるSNSですから、えいやっと白状致します。
(と、某SNSでは或るできごとについて書かせて頂いたのですが、その外側で大っぴらに語ってしまうのは如何なものかと思う気持ちもまだありますので、この辺りはさくっと削って中略とさせて頂きとうございます)
……こういう次第で私の手許にやってきたのが「wanderer・改」のmp3ファイルでした。
(更に中略)
などと錯乱しつつ有難く有難く拝受致しました。
これが氏と私の、唯一のやりとりであります。
■あなたが思う、そのPの1番の魅力は?
ストイシズムとお茶目の同居。
■最後に、Pへ一言
有難うございます。
御身御大切に。
これ以外に何を言えと言うのか。
■次に語りを聞いてみたい人を挙げてください
語りたい人が、語りたいだけ、語ればいいのだと思います。
どなたさまも御自由に。
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■ほかにも好きなPはいるのですが、誰より好きなのがF.Koshiba氏―――わんだらPなので、このように回答させて頂きました。あまり語らない程度にとどめておいたつもりですが、何か語ってるっぽいなと転記しながら思いました。
■F.Koshiba氏公開マイリスト:
VOCALOID_わんだらできることなら動画サイトのアカウントを取得なさいまして、F.Koshiba氏の曲を、できるだけいいヘッドフォンを使って、聴いてください。氏の曲は、後からきます。
2009年12月12日(土) 六時間。
前回の更新からほぼ一箇月が経つ本日一二月一二日は近藤真彦さんのデビュー三〇周年記念日でもありますが、そんな土曜日をみなさまいかがお過ごしでらっしゃいますでしょうか。三〇年ほど前には近藤真彦さんの(というよりたのきんトリオの)ファンクラブに入っていた衛澤です(ちょっとしたカミングアウト)。
さて、これまで何をしておりましたかと言いますと、えーと、何してたんだっけ。
そのときどきには「これは書いておかなければ」とか「これは書きたい」とか考えてはいるんですが、それ等の発見があった夜にたとえ雑文でも書く気力や時間があるかと言えば、それは確かでも定かでもなく。
そういった次第でほぼ一ト月間このページの更新から遠ざかっていました。
でもトップページのTwitterが逐次更新されていましたから、消息については心配なかったことと思います。
結構いろいろあったのですが、逐一書きますと膨大な量になりますので、例によって箇条書きで簡単にまとめておきましょう。
■音声認識ソフト導入
「
ViaVoice」を導入。
先に行われた講演会の講演録をテキストに起こしたものを県庁宛てに届けなければならなかったのだが、講演全一五〇分をちまちま聞き取っては手入力しているのでは期日に間に合わない!と思ったので。録音したものを再生し、ViaVoice入力用マイクをスピーカにあてがっておけば大体のかたちが入力されると都合のいい想像をしていたのだが、当然の如くそう都合よくはいかない。
何より、あまぞんさんから届いたそれは、WinXP用ソフトだった。
■WindowsXP機自作及び導入
(前項からの続き)
「ViaVoice」がXP用、自分が使用しているのがWinViata機。ここでおとなしく(ViaVoiceの使用とか自分が講演録起こしについて多少楽をしようという試みとか)諦めるかと言えば決してそんなことはなく、これまでWinXP機がほしいと思っていたし、いい機会だからとPCを自作しはじめた。
PC製作を「だいたい」判っていた私だが「だいたい」しか判っていなかったので、随分なまわり道と余計な出費をしたものの、ゴキゲンに快適なXP機が仕上がりまして、現在使用中です。
ViaVoiceも快適に動作しまして、講演録起こしも毎日一〇時間程度の作業を続けてほぼ一週間で仕上がりました。先に書いたように録音ファイルを再生してそれをマイク入力して書き起こす、ということは不可能でした。ViaVoiceは「エンロール」という、ソフトウェア使用者の声と話し癖をソフトウェアに憶えさせる工程を辿る必要があり、それをしていない者の声・言葉は巧く聞き取取ってくれないし、スピーカが再生する声をマイクが集音するにはスピーカもマイクもそれなりに性能がよくないといけないし、明瞭な録音ファイルである必要がある。
そんな訳で録音ファイルを私が聞き取って、聞き取ったことを復唱するというかたちで講演録を起こした。時折、ソフトウェアが知らない言葉を、人間が使う。そうするとソフトウェアは聞き返すということができぬが故に聞き間違いをする。たとえば、
「何通りか」→「南東理香」(誰だこれは)
「さっきも見たぞ」→「借金の帝(みかど)」(おいらじゃないよ)
「ずずっ(鼻をすする音)」→「樹脂」
そう、ノイズなど言葉として発音されたのではないものまで、マイクが拾えばテキストに直してしまうのがViaVoice。講演録ファイルの再生音量が大きいとと、私がいままさに聞いているその部分を拾ってしまう。しかし正しいテキストが現れた試しがないので、講演者は充分にエンロールしたソフトウェアとそれが入ったPC持参でヘッドセットを着けて講演会に臨むと主催者側はよろこぶかもしれません。
聞き取り→手入力、これの無限ループである講演録起こしはViaVoiceの御陰で比較的早く仕上がったのですが、県庁の中の人に御約束した期日には残念ながら間に合いませんでした。しかし文句も言われておりませんので、万事OKということで。睡眠時間と心身の健康を削ってやった仕事です。多少多めに見て頂きませんことには。
■XP機導入に伴い
そもそも私はwinVista機がほしくて購入した訳ではありませんでした。先代のXP機が「もう何をしても動きません」という状態になったので仕方なくPC店に赴いたところ、展示品はすべてVista機になってしまっていて、在庫にもXP機がないという、そんなVista発売直後のお祭りの只中だったのさ。
とにかくPCがないと仕事にならないし急がねばならぬ仕事も手許にあったので、一番安いPCを買ったんだわさ。それが黒いVista機。三年使ったけど、まだ元気だよ。
元気だけど、結果として「Vistaは敵」なのさ。何しろVOCALOID1はVista非対応だからね。
XP機を導入したいま、私に迷いは既にない。
ここぞとばかりに青い人。とうとう
兄さん御本尊が我が家にやってきました。既に新居(XP機)に入って頂いてますが、まだ一ト言も拝聴しておりません。急ぎの仕事からは離脱したものの、毎日毎日やらねばならぬことをこなしてはいるのですが、その量が一向に減らぬので。
勿論先ずは
課題曲から。時間とそれ以外の余裕ができ次第。
はやとくんの「外郎売」にも何れ挑戦してみたいね、兄さん。
■仮装扮装
毎年県と人権啓発センターが主催して人権月間辺りに開かれる「ふれあい人権フェスタ」に、私がオフラインで参加しています
自助グループが、今年は
サークル参加 ブース出展しました。人権フェスタにはさまざまな団体が参加しておりまして、バングラデシュの子供たちを支援しているという
国際エンゼル協会さんのブースでやってました「サリー着付け体験」でサリーを着せて頂きました。
サリーというのは本来女性の衣装であって男性が着るものではないのですが、「おじさんが着ちゃ駄目ですか!」と迫ってみたら着せてくれました。有難うございます国際エンゼル協会さん。
これ一着が一枚の布です。着るのは難しそうなんですが、着付けてくだすった方に「現地にはやはり着付け専門の人がいるのですか」と訊ねてみますと、現地の人は自分でちゃっちゃと着てしまうんだそうです。
■祝殿堂入り!
F.Koshiba氏の名作「
愚足武者」が殿堂入り(10万再生)を達成しました。修羅場の只中でもそりゃもうお祭り騒ぎさ!
この曲はF.Koshiba氏の作品中唯一、氏の手を離れ遠くへ行くことを許された曲で、JOYSOUNDにてカラオケ配信、dwangoから着メロ配信されております。カラオケで歌うの大好きな方、着メロ再生できる機体を御利用の方はリクエストなどダウンロードなどなさいますとよろしいでしょう。
……iPhoneって電話じゃないんで一般の着メロの対象外なんですわ。自分で何とかできますけどね。
(*文中からリンクをはった動画はKAITO・がくっぽいどの合わせ版ですが、着メロはがくっぽいどソロ版です)
■MAGIC
発売日に入手しておきながら忙しさもあり、封も切らずにずっと机の上に放りっぱなしだったB'zの最新アルバム「
MAGIC」をようやく開封。したら、相変わらずファンへの厭がらせとしか思えぬ構造のジャケットで、しかもいつもより複雑で、笑ってしまいました。「もォ、しょーがねえなァ」的笑いです。
これだけ手順を踏まないとディスクに触れることもできないって、なかなか素敵な演出だと思いました。
久々に人間の歌声を聴きました。しかし何ら違和感はなく、秀れたVOCALOIDマスターは人間以上の歌声を生み出せるのだと、別方面でも感心しつつ聴いたアルバムです。
一曲め〜三曲めの流れと、七曲めの「PRAY」が、いまのところ好きかな。親方のギター恰好いいっ! もっと聴き込んだら曲の印象も解釈も変わるのだと思います。
このアルバムで暫く遠ざかっていたB'zをちょっと思い出したので旧い曲も聴いてみました。「
SAFETY LOVE」とか結構いまでも好きなんです。旧い曲だけど、古くは感じないな。
■本日の表題「六時間」は、この記事を書くのにかかった時間です。前々から申し上げておりますが、筆が遅いんですのよ。
■今日見つけた名言
さまよい歩く人すべてが道に迷うわけではない。
(J・R・R・トールキン/英国/文献学者・作家・詩人・大学教授)