衛澤のどーでもよさげ。
2006年07月31日(月) うそーん。

今月は、調子はよくないけど決して悪くはないぞ、と思うようにしていたのですが、行動記録帳でもある手帳を繰って振り返ってみると、ほとんど病人の生活をしていました。七月は三一日あるというのにトレーニングジムには一一日しか出掛けていません……さぼり過ぎざますスネちゃま。
動く頻度が少なくなると、余計に身体を動かしづらくなります。先週は大阪出張があったり冷房風邪で寝込んだりしていて、本日ほぼ一週間振りにジムに行ったらば、これまで当たり前にこなしていたトレーニングメニューを辿るだけでくたくたになってしまいました。何だか分厚い肉襦袢を一枚被って運動しているような動きづらさ。
さぼると自分に返ってきます。自業自得であります。

トレーニングをさぼると頭の働きも鈍ってくるようで、大きな声では言えないけれど七月に書いた原稿の枚数はごにょごにょ……(さあみなさん御一緒に!)「駄目じゃん」。
自分の駄目振りを改めて原稿用紙換算で確認してしまいました。愕然。もっとがんばれ自分。
仕上がり原稿の枚数と言い、トレーニング日数と言い、紙の上で確認してあまりのアレでナニ振りに思わず口をついて出てきたのが本日付の表題であります。

徐々にではありますがそこそこ眠れるようにもなって体調も整いつつありますから、明日から月も改まることですし、心を入れ替えて精進致します。スペアの心は何処に片付けたかな(ヲイ)。
「精進」には「一生懸命に努力すること」や「ひたすら励むこと」という意味のほかに「肉食せず、菜食すること」という意味もあるそうです。「精進料理」の「精進」はこの意味ですね。こっちの意味でも精進してみたいと思います。
八月末には某ユニットのライヴも控えていますし、精進で体力増進しませんとね。


【今日の声ヲタ】
きっとそのとき牛乳は」の四コマめの台詞はどれも古谷徹氏の声で聞こえる。

2006年07月29日(土) のどいがいが。

先日、大阪へ出向いた日のことです。愉しい一日を過ごした後、最終電車を逃がさないように帰宅しなければ、と思っていたのですが、同席していた友人が「泊まっていけ」と言ってくれたので、甘えることにしました。
しかし、この日は当日のうちに帰宅する予定でいたので、眠前薬つまり眠剤を持っていなかったのです。ぼく自身も就寝時までこれを忘れてしまっていました。

それでも、寝つきが悪くとも眠りが浅くとも、短い時間でもうとうとするくらいはできるだろう、と考えていました。高を括っていたのです。深夜一時に消灯、その後、早朝六時三〇分に友人の目覚まし時計が鳴り出すまで、一睡もできませんでした。眼は眠くなるのですが頭の中ははっきりと覚めていて、一向に眠くなりません。
自分の不眠がこれほど頑固だということを、すっかり失念していたのでした。

更にその後、帰宅して部屋の掃除をして入浴をして、食事を摂って、その時点で午過ぎになったのですが、それでも眠くなりません。不眠が二七時間続いています。流石に屋外を歩きまわると目眩が起きますが、全然眠くないのです。
眠剤を服んで眠ってしまうこともできたのですが、半端な時間に眠って生活のリズムを崩してしまっても不味いと思ったので、日没までは起きていることにしました。その間に仕事をしたかったのですが、眠くない頭でも不眠が続きすぎていると碌にものごとを考えることができません。何もできずに時間を過ごすことになりました。

最終的には連続不眠は三七時間で終わらせることになりました。そのままではまったく眠くもならないのに、眠剤を服むと小一時間ほどで眠ってしまうのだから薬の力は大変なものです。
しかし。
睡眠不足というのはてきめんに体力や抵抗力を奪ってしまうのだということを、体感することになりました。眼が覚めたら喉が痛くて頭が痛くて身体が重怠い。如何にも風邪の症状です。冷房を早めに切るのを忘れていたのも決してよろしくありませんでした。

体力が落ちているところに冷房で冷えて乾燥した部屋で長時間眠ったせいで先ず喉をやられ、それから諸症状です。熱は出ていませんが、もしかしたら熱が出た方が治りやすいかな、てなこと考えながら、具合いが悪くなっていなかったら見ることができない予定だったオーサカキング開幕特別番組を見ています。
まる一日半眠らなかっただけで体力は落ちるし内臓(特に消化器)の調子は悪くなるし、これでもかというくらいに肌が荒れるし、睡眠不足はほんとうに怖いです。

みなさんにはどうか健やかな眠りがありますように。


【今日の興味津々】
「マクベス」で魔法の薬を煮込んでいた魔女は、やっぱりこまめに灰汁取りしたのだろうか?

2006年07月28日(金) 相談だ。

去る今月二六日は大阪某所でさる筋の人々にお会いする会合に出掛けて、そのついでに太陽の塔を見に行ってきました。太陽の塔を見に行ったことを当日の当頁に書いて、引き続きその夜の会合のことを翌日付の当頁に書こうと予定していたのですが、思い返すと、愉しかったのは確かでよいことも沢山あったのものの、自分のよろしくないところも浮き彫りになって記憶に再現され、抑鬱がひどくなりかけたのでやめました。

これは厭なことをできるだけ見ないようにするという狡いことでもあり、逃げていると指摘されても仕方がないことではありますが、取り敢えず気分や体調が低迷して仕事ができなくなると困るので。いや、既に困っているので。
適応障害だとか社会性がないとか嘆くことは簡単だけど、どうしたものか。こういうときは、牛乳に相談だ。


【今日のマイヒーロー】
ほしいなー、らいよんチャングッズ

2006年07月26日(水) でっけーなー……。

大阪某所でさる筋の人々とお会いするために出掛けていました。そのついでと言っては何ですが、ちょっと早めに出発して、某所よりもう少し遠い万博記念公園まで足を伸ばしました。「太陽の塔」を肉眼で見るためです。

これまで、何度か太陽の塔を見に行こうと考えたことはあったのですが、万博記念公園がある吹田市千里という街は、ぼくが住む街から電車を乗り継いで片道三時間も掛かる遠い街で、なかなか腰が上がりませんでした。
往復六時間もの長い間、電車という沢山の人が密閉された箱に入っていなければならないことが、複数人数が集まる限られた空間にいると不安発作を起こす可能性が常にあるぼくには大変な難関で、一人で行くのはかなり危険だ、という理由もあります。遠くへ出掛けるのが面倒とか、旅費が嵩むとかいう理由もあります。
こういう諸々で随分先延ばしにしてしまっていたのですが、別件で大阪へ出掛ける機会があったことと、死ぬ前に一度は実物を肉眼で見ておかなければならないという義務感にも似た気持ちと財布の余裕などの条件が重なって、ようやく実現したのです。

昼下がりに自宅を出て、夕方に万博記念公園駅(大阪モノレール)に到着しました。駅の正面玄関を出ればそこが万博記念公園の敷地内で、道なりに歩けば太陽の塔が立っている「太陽の広場」に辿り着きます。ぼくは「太陽の広場」は常時無料開放されていて、誰でもいつでも思い立ったときに太陽の塔のふもとに立つことができるのだと思っていて、だから万博記念公園内の各施設が「水曜日定休」だと知っていながら今日のこの日にのこのこと出掛けたのです。
しかし、この「太陽の広場」は「自然文化園」という施設の中にあり、「自然文化園」は常時無料開放されているものではなかった、つまり、赴いたぼくは「自然文化園」に入れなかった訳です。

「太陽の広場」の正面にある門扉は閉ざされていて、あと数十メートルも歩けば太陽の塔に触れられる、そんなところで足止めを喰いました。手で触れることができません。しかし。しかし。
門扉の前に立って太陽の塔を仰いで、ぼくは思わず声を洩らしました。
「おお、でかい!」
「……でけえ」
「でっけーなー……」
何度も、何度も同じことを口に出してしまうくらいに、見れば見るほど、大きいのです。岡本太郎という人は何と途方もないものをつくってしまったのだろう、とぼくはその場でどうしようもなく困ってしまいました。

でっけー太陽の塔
万博記念公園駅前から見る太陽の塔

ぼくが生まれた年に大地に立った太陽の塔。あまりにも有名なそれを、ぼくは確かに知っていました。しかし、ぼくが知っていたのは画面の上に平らに縮小されたものに過ぎなかったのです。それは発光体の上であったり、紙の上であったり。そんなもので知ったつもりになっていた自分を、叱りつけたい気持ちが身体一杯に奔騰しました。
でっけーのです。途方もなくでっけーのです。
物理的には高さ七〇メートル、接地部分の直径が二〇メートルに過ぎない(とはいえ、闇雲に大きいのはほんとう)のですが、近くで見ると、もっと大きく見えます。それは物理的な大きさだけを感じているのではないのでしょう。手で触れられる場所で見たら、きっともっと、もっと大きい。

門前で眺めることしかできませんでしたが、訪れてよかったと思いました。三〇分ばかり、西陽が強くはげしく照りつける門扉の前で、ただ、ただじっと見上げていました。動けなかったのです。
べらぼうに途方もなく巨大な太陽の塔は、街を見下ろしているのではなく、広く広く見渡しているように見えました。そして、眼に見えない何かを、電波のような熱のようなものを絶え間なく放射しているように見えました。この近くに住んで、毎日、太陽の塔を見ていたら、身体の悪いところが全部治ってしまうように思いました。
太陽の塔を見に来た或る老夫婦が「生命を質に置いても来てよかったね」と述べ合ったという逸話が残されていますが、それが得心できました。

この日が定休日で、間近で太陽の塔を見られないのだと知らないままに太陽の塔を見ようと遠くからやってきたのだろう人たちが、ぼくのほかにも何人もいました。或る人は立派な写真機を持って、或る人は大きな旅行鞄を引き摺りながら、大抵は複数人数でやってきて、門扉に貼り付くように、或るいはただ呆然と、どの人も暫く太陽の塔を見上げたまま直ぐには帰ろうともしません。口々に感想を言い合うことも、眼にしたよろこびを声にすることもなく、誰もが面を上げて太陽の塔を見ていました。

ところでみなさん、太陽の塔を正面以外から御覧になったことがおありでしょうか。正面から見ると判りづらくて、ぼくが知る限りどなたも指摘なさっていないのですが、太陽の塔には「うなじ」があるのです。

うなじ。

「うなじ」がある「塔」なんて、世界中を探してもほかにはないのではないでしょうか。この点においても太陽の塔は貴重な存在と言える。と、思います。なかなかセクシーです。


【今日の運動量】
歩数計によると13121歩。割りと歩いています。

2006年07月24日(月) 通りますよ。

去る七月一九日付の当頁に「便通がよろしくないので体質改善スープをつくってみた」という内容の記事を書きました。大鍋に一杯できましたので、きちんと毎日食べていました。そしたら。
食べはじめて四日目に通じがはじまり、五日目以降は快便であります。やっぱり御野菜をきちんと摂らなければならないんだなあ、と思いながら、今日はもう一度同じものをつくりました。今度は材料をごまかさずにレシピ通りに。

毒が出たか体質が改善されたかは判りませんが、身体の中に要らないものが滞る怠さはなくなったので、その分すっきりはしています。このスープを食べる習慣と数十分歩く習慣があれば便秘にはなりづらいかもしれません。或る漫画家さんのWebサイト経由で知ったこちらのページを参考にさせて頂いてます。
最初は薄味のスープにしておいて、飽きてきたらスパイスを足してカレーにしたり、味噌を足して味噌汁にしたり、好きな具材を足してみたり、いろいろと応用は効きそうです。

さて、先週末に続いて今日も大雨、という予報を聞いていたのに、当地方はくもり空ながら雨粒は落ちてきていません。もしかしたら短い時間のやみ間かもしれないと思って速やかに用事を済ませておこうと出掛けたときに見掛けたのがこちら。

塀の上のネコ

金網の塀の上を白いネコが歩いていきます。この頃は街角でネコを見掛ける機会も少なくなり、屋根や塀の上を歩いているネコもめずらしくなってしまいました。街にいるネコが少なくなってきたというよりも、私がネコと出会って構っていられる余裕を持って街を歩くという機会が減っているせいかもしれません。
ネコや犬を見ると、自宅に仲よくしてくれる獣がいるのはいいな、とは思うのですが、ひとり暮らしだと却って飼うことは難しいということも判っていて、だから野良さんが私のような者の家を巡回するという仕事をしてくれたらいいのにな、と随分身勝手なことをときどき考えてしまいます。一日一食くらいなら支給するからさ、と。


【今日のざわざわっ】
ヘッドフォンで聴く「OCEAN」終盤のコーラスがあまりにきれいで全身トリハダ。

2006年07月22日(土) 不均衡。

「豪邸」とか「大邸宅」とか、そういうものをテレビで見ると部屋数や調度の高価さや敷地込みの御値段などよりも、掃除にどれだけの手間が掛かってしまうのかが気になってしまう衛澤です。

確か昨年の初めあたりに大胸筋の発達具合いが左右で違う、ということをこの頁で書いた憶えがあります。あれから一年ちょっとが経って、大胸筋はほぼ左右均等になりました。そして肩や腕や首の筋肉も大分発達してきて、僧帽筋(肩の、首寄りの筋肉)と三角筋(肩峰周辺の筋肉)の区切りが眼に見えるようになってきました。

フリーウエイト(ダンベルやバーベル)を使う運動をするときは鏡を見ながら行ないます。正しい姿勢が取れているかどうかを確かめるためです。正しい姿勢が取れていないと、鍛えたい部分にかかる負荷が少なくなってしまうために巧く発達しないばかりか、関節や筋を傷めてしまうこともあります。スポーツジムの壁面に設置されている鏡にはこういう意味があります。自分の身体の発達具合いを確認できる機会でもあります。鏡の前で運動していて気付きました。今度は三角筋が不揃いです。
どうも左肩の方が発達しています。左右同じ重さのウエイトを使っていて、同じ回数しか挙上しないし、どちらかと言えば右の方が重みを感じずに上げられるのですが、発達しているのは左肩です。

左右均等に負荷をかけていて、それでも上腕二頭筋(いわゆる力こぶの部分)は右の方が発達していて太いし、うーん?
左右を等しく鍛えるというのは基本なのですが、なかなか難しいようです。挙上姿勢が正しくないのかな、と大胸筋の不均衡のときと同じことを考えたりしています。


【今日の御天気】
三日連続大雨の後のくもり晴れ。いまのうちだ、と洗濯機フル稼働。

2006年07月21日(金) 真夏間際の。

土砂降りの中、定期通院。定期注射の病院も持病を診て貰う病院も大雨のためか待ち時間なし。行きつけの理髪店も病院の近辺なので散髪もしておくことに。ここも待ち時間がほとんどありませんでした。
月に一度の散髪はちょっと愉しみな行事です。バリカンで刈り込んで貰うと頭が一ト周り小さくなるし、職人さんに髭剃りをして貰うと肌がつるつるになります。でも、午前中につるつるにして貰ったのが、夕方にはちょびちょびっと髭が伸びてきて、顎を撫でると指が引っ掛かるようになるのにはちょっぴり哀愁を感じます。

帰宅して、食事を摂りながらテレビのニュースを見ていたら、アナウンサー氏が「またまた、おさがわせのこのひとが……」と真顔でさらっと述べた上に訂正なしでさらっとそのニュースを終わらせてしまいました。
「お騒がせの……」って言いたかったんだよね。そのお騒がせの人は今月末に投票が行なわれる当市の市長選に出馬するあの人だったので余計にアナウンサー氏の間違いが印象付いてしまいました。


【今日の案外美味】
こういうカツでカツ丼をつくる。

2006年07月20日(木) お前か!

少し前から、ルウを使わずに数種類のスパイスを自分で調合してカレーをつくる、ということをしています。手許にあるスパイスを毎回全部使うのではなく、今日はこれとこれとこれを入れてあれとそれは入れない、という感じで組み合わせを取捨選択しつつつくっています。そして判ったことが。

カレー独特の、「カレーの匂い」としか言い得ないあの匂いの中心は、ターメリックにあったのです。
カレーの黄色っぽい色の素がターメリックだということは知っていましたが、匂いの核の部分までがターメリックだとはよもや思わず、ちょっと吃驚しました。だって、ターメリックだけの匂いをかぐと、カレーの匂いではなく、とても精神衛生上よろしくない匂いがするのですよ。
だから「まさか」と思っていて、しかし今日、たまたまターメリックが入っていなかったところに少しだけ混ぜてみると「あの」カレーの匂いがしたので、確信したのです。厭な匂いも薄めればいい匂いになる原理がここにも。

このようなことはぼくがいままで気付かなかっただけで、世間さまでは知っていて当たり前のことかもしれませんが、いままで知りたいと思っていたことを、伝聞した智識からではなく自分の行ないによって知ることができた、それがとてもうれしくて、ただいま有頂天です。


【今日の矢先に】
歩数計を購入した途端に連日大雨。

2006年07月19日(水) おおらかではなく大雑把では。

暑さのために食事の内容を考えるのが億劫になってきて、身体にいろいろ不足しているな、とは自分でも思っていて、特に野菜不足は何とかしなければならないと痛感していました。というのも、持病が強く出てきたことで服薬量が増え、その副作用で便通が著しくよろしくなくなってきたからです。
お腹の調子を整えるにはやっぱり御野菜だよな、しかし何種類もの野菜を摂るのは結構面倒だ、などと思っているところに「体質改善スープ」なるものを教えて貰いました。

キャベツ、玉ねぎ、セロリ、トマト、ピーマン、人参を、自分が食べやすいかたちと大きさに適宜切って、水(ミネラルウォーターが望ましいらしい)と出汁を入れた鍋で煮る。出汁は鰹節、昆布、鶏がらスープの素で取り、味付けは生姜と天然塩で。これを少なくとも一週間、毎日食べていると身体の調子が整ってくるのだそうです。
調理方法は簡単だし、野菜も沢山摂れるし、スープ仕立てになっているから暑い季節でも食べやすそうです。「体質改善」の効果がさほどでないにしても身体に悪いことはないだろうから、つくってみることにしました。

先ず買い出しに。キャベツは半玉、玉ねぎは三個、セロリ……長ねぎで代用しよう、トマトは缶詰でもいいらしい、ピーマンは必要量が一個らしいけど一個だけは売ってないし……大きめのパプリカで代用してやろう、人参一本……別に三本使ってもいいよね、三本一ト袋。鶏がらスープの素……固形コンソメの買い置きがあったからそれでいいや、鰹節も買い置きがある。買いもの終わり。
このようにおおよそな感じで少しずつ材料を変えてしまうことによって、最初につくろうとしていたものとは違うものができてしまったりすることも往々にしてあります。聞いたことと出てきたものが少しずつ異なって違うものになっていく過程は、伝言ゲームによく似ていると思います。

煮るだけなので簡単にできましたが、後によく聞いてみると、材料を変えてしまうと体質改善の効果は薄れてしまうそうです。また、このスープは最初は体質改善のために考案されたものですが、いまは排毒(デトックス)や減量(ダイエット)のためのスープとして広まっているのだそうです。油や砂糖を使わなければ味付けを変えてもいいとのこと。
前述の範囲で基本に忠実につくってみましたが、やっぱり肉が少し入っている方がいいと思いました。鶏肉の皮を剥いで入れるとよさそうです。ベーコンでも旨そうだけど油が出ますからね。

大鍋一杯にできたので、一週間食べ続けるということは充分可能でしょう。排毒や減量の効果は期待していませんが、体調(特に腹具合い)が整うといいなと思っています。


【今日の食ブームの変遷】
ざるそば→メロンパン→ペ○シNEX→卵かけ御飯。右往左往。

2006年07月18日(火) きみに伝えよう、と。

いつも「有難う」と思うのに、咄嗟に口から出ないのは何故だろう。口に出すタイミングを逃がしてしまった後でいつも「言えばよかったのに」と思う。

思ったことを口に出してしまわないように気を付けなければならない時間を二〇年以上も過ごしてしまったせいだろうね。
二〇年掛かって身についたものは二〇年掛けて直すしかないねえ。遅すぎる気もするけれど、独逸には「遅くても何もしないよりはまし」という諺があるらしいしね。

昨夜、偶然見たテレビドラマに、犬がテレビの前にすわって落語を聞いている場面があった。その犬は落語好き、ということを言いたい場面だったらしい。劇中のテレビ画面に映っていたのは、柳家小さん師匠だった。
小さん師匠の落語を気に入っているラブラドールってのは、何だかとってもシヴいじゃないか、とドラマの本筋とは関係がないところで感心してしまった。


【今日の食生活に】
暑い季節は素麺くらいしか喰えない、という人が多いのだから、「ビタミン配合素麺」とか「カルシウム強化素麺」とか、「食物繊維が入った素麺」とか、あってもいいのではないか。

2006年07月17日(月) 少ないと言っても人口の数パーセントは。

読者投稿型実話系四コマ漫画雑誌(こう書くだけでB社の雑誌だとよく判る)を読む。女性向けにぶっちゃけた内容の雑誌なので非ジョーに生々しい恋愛話などが載っていて、海の日だというのに何だかちょっと気持ちが引けてしまったりした。
生々しいと言うか生ぐさいと言うか。

それはともかく。

その雑誌に「どんでん返し」という表題で、こういう四コマ漫画が載っていた。
とある夏の日にA子は素敵な彼氏と付き合いはじめた。身長も高くてきれいな顔だちの人だ。彼は「お前を大事にしたいから」と言ってなかなか手を出してこない。そのうちに夏が終わり、同時にこの恋も終了。やさしくていい人だったのに何故別れたのかと友人がA子に問うと、A子応えて曰く
「この前やっとホテルに行ったの……そしたら彼、女だったの! ちんちんついてなかったの!」
という「どんでん返し」の落ち。

そうか、「ちんちんが付いていない人」=「女」なのか。

世間では至極当たり前なのだろうことに久し振りに気付き直した気がする。ぼくが心ならずも片足を突っ込んでいる「ギョーカイ」では「ちんちんが付いていない人」には幾通りもあって、たとえば「ちんちんを欠損してしまったネイティヴ男性」や「生まれつきついていなかった男性」や「ネイティヴ女性」や「生まれたときに付いていたが苦痛なので切除した女性」などなどがいるのだということをいつも考慮に入れることになっていて、先に書いた等式のような単純な図式には直ぐには行き当たらない癖がついていた。
だから、改めて眼から鱗がフォーリンダウンである。

四コマ漫画では仔細は知り得ないしその必要もないのだが、ギョーカイに片足を突っ込んでいるぼくは少しだけ気になるのだ。A子さんは、彼にちんちんが付いていなかったというただそれだけの理由で彼と別れたのだろうか。男女の恋愛にちんちんは不可欠なのか。そうすると、たとえば後天的に欠損してしまった男性は、その時点で彼女や妻との関係の解消を迫られたりするのだろうか。

ちんちんが大事なものだということは、ぼくも四六時中体感している。なくて困ることもある。しかしこれは男性としての視点で感じることである。女性にとっても、ちんちんは不可欠なものなのか、とちょっと不思議な気持ちになった。
同時に、世間では「男」=「ちんちんが付いている人」が当たり前なのだということ、そして「男女の愛情を交わす行為」=「雌雄の生殖行為(凸型生殖器を凹型生殖器に挿入すること)」が世間の当然になっているということを、改めて確認する。

世間とギョーカイとでは世間の方がより距離を置いたところにあるような場所で生活していると、ギョーカイ越しに世間を見ることの方が多くなってくるので、意識してギョーカイが重ならないところから世間を見る習慣は重要だ、と常々気を付けてはいても、ときどき小さく吃驚する。「ああ、そっか」て感じに。


【今日のしまった】
市長選投票所入場券(葉書)の下に「ゴ」がいたので葉書越しに叩き潰してしまった。選管のみなさん御免なさい。

2006年07月16日(日) 恒例か。

毎年、梅酒を仕込もうと思い立つのだが、それが毎年いま頃の、梅の実が店頭からなくなってしまった頃だ。今年も見事に外した。
仕込んだ梅酒が特にぼくの愉しみではないことが一番の原因だろうな。


【今日の翻ってみよう】
「言っても判らないだろうから言わない」ってのは、とんでもなく失礼なことじゃないか?

2006年07月14日(金) 揺らぐ世界。

ぼくが住む街の保健所は、坂道の天辺にあります。徒歩やエンジンのない乗りもので昇るには多少喘がなくてはならない程度の坂です。

ぼくはここ暫く不調続きで、外出のために身辺を整えるということをしないで数日を過ごしていました。髪も髭も伸び放題です。

ぼくは県から障害者手帳を交付して貰っていて、その手帳の有効期限が近付いているので更新の手続きを、保健所でしなくてはなりません。

今週に入ってから当地方は晴天続きで、しかも連日、馬鹿みたいに気温が高いです。鰻登りか鯉のぼりか知らんけど気温上がり過ぎや、と文句のひとつも出ようものです。

さて、これだけの条件を列記すれば、今日ぼくがどのような体験をしたかの見当がおおよそつくと思います。今日の当地方の最高気温は三五度でした。
「暑い」という言葉では表しきれない熱暑の中、自転車で急勾配を昇ります。陽差しは肌を刺すようで、足許からは輻射熱に焙られて、その上吹く風は熱風です。睡眠障害のため寝不足と疲労が蓄積している身体が熱に包まれながら有酸素運動を続けると、自分と世界とが如何にも乖離して見えました。しかも世界は水底から眺めているかのように微かにも歪みながらゆらゆらと揺らいでいます。

自転車で坂道を昇りきり、書類を持って保健所の窓口に辿り着く頃には噴き出した汗で着ているシャツはぐっしょり濡れて、ぼくはあまりの熱さに息切れしています。何とか窓口でお姉さん職員を捕まえて用件を告げると、椅子に掛けて待つように指示がありました。
後頭部の痺れと視界がくーるくーるとまわる感覚を覚えながら待っていると、お姉さん職員が呼び出したのだろうおじさん職員が出てきて用件を聞いてくれました。でも何だかおじさん職員はぼくを胡散くさそうに見ています。一ト通りぼくが告げたことを復唱するとぼくが見せた障害者手帳を何度も見直しながら「ちょっと待ってね」……。

結局、ぼくがすわった直ぐ隣りの先客に応対していた先刻とは別のお姉さん職員を捕まえてぼくが告げたことをそのまま伝言して、おじさん職員はいなくなりました。何のためにいるんだおじさん。思ったけれど身体の内側にこもった熱が引かなくて頭がくるくるするし痺れるし、そろそろ身の危険を感じはじめていたので早く帰りたいばかりでした。
二番目のお姉さん職員は滞りなく書類を用意し、受け付けてくれましたが、何だか心なしか怯えた感じ。何やろか、と思わなかったではないけれど、とにかくぼくは早く帰宅して横にならないと重力に横にされてしまいそうな危険を感じていたので、手続きが終わり次第、御礼を言って帰途に着きました。

建物の中でも風景は揺らいでいて、見えるものが揺らいでいるのはあまりの暑さに陽炎が立っているせいだと思っていたのは違ったのだということが判って、更に危険を感じました。早く早くと急いだぼくが通りかかった場所にちらりと見えた鏡の中に。
髪はばさばさで無精髭をぼそぼそ生やしてよれよれのシャツを着てふらふら歩く憔悴しきったおじさんは、行き倒れ寸前の住所不定者そのものです。

ははあ、こりゃ胡散くさいよねえ。
おまけに障害者手帳の性別欄には「女」と記載されているのに今日提出した診断書はかかりつけ医が気を利かせて「男」と書いてくれているし、本人は見た目おっさんだしで、胡散くさいことこの上ない。
職員さん御免ねー、と思いながら折り返しの階段を下っていたら自分が真っ直ぐに歩いているか否かも判らなくなってきたのでさっさと帰りました。帰り道も陽差しが厳しく輻射熱は陽差しより強く、熱風に包まれる街は揺らいで見えました。


【今日の比べてみると】
熱中時代」と「熱風王子」はどちらが熱いか。

2006年07月13日(木) うれしいとたのしいよ。

あまり調子がよろしくなく、仕事もできないので仕方がなく横になって点けっ放しのテレビを眺めていました。映っているのはどうやらこの日が初回放送の新作ドラマ。例によって原作付き。しかも原作は漫画。原作なしにほかのメディアを凌ぐおもしろさを放つドラマっつーものをつくるってのは不可能なのだろうか、などと冷めた気分でぼんやり見ていたのですが、原作者の名前が記憶の一部に引っ掛かりました。

この人の名前、聞いたことがある。もしかしたら知っているあの人ではないだろうか。

そう思いつつもその日は身体が動かないからそのドラマを眺め見ていたのであって、直ぐに確認することはできず、そのまま忘れていました。
そして数日後の今日、忘れていたそのことがぽっと頭に浮かんできたので、ちょちょいとネット検索をして調べてみました。

ああ、間違いない。確信した途端に顔が勝手に笑ってしまいました。
その原作者さんは、ぼくが中学生だった頃から高校生だった頃に掛けて毎月購読していた雑誌の常連イラスト投稿者でした。その頃は勿論素人さんで、別の筆名を名乗っておられました。後に間もなく筆名を改め、現在の名になってからもその雑誌に投稿なさったり、ときには執筆側に混じって漫画を描いたりなさっておられました。

検索から御本人のサイトに行くことができて、しかしそのサイトには投稿者時代のことは書かれていませんでした。当たり前でしょうな。
しかし、サイトに掲載されているその人のラフ画を拝見して、確信したのです。技術や絵柄は当時と変わっていましたが、画から滲み出る雰囲気や描線の躍動感には当時の作風の名残りが窺えます。
二〇年ほど前の投稿作品を通してしか存じ上げなかったのですが、素人時代を知っている人が漫画家としてデビューして、「このマンガがすごい!」に取り上げられて、更には作品がドラマ化されるという躍進を続けていることが、とてもうれしい。

先に述べましたように、その人とは面識がないどころか、ぼくはその人を雑誌越しにしか知らなくて、その人はぼくのことなんか存在すら全然知らない。そういう限りなく他人でしかない人なのですが、いまも他人でしかないのですが、うれしかったのです。
言ってしまえばまったく自分とは関係がないところにまでうれしいことを探しに行っている訳で、パレアナさんの「よかった探し」に通じる強引さが滲み出す一件ではありますが、うれしいことはいいことだと思っているのでこれはこれでよろしいです(きっぱり自己完結)。
自分もがんばろう、という励みにする、ということで。


【今日のいつの間にか】
シーツに糊付けしていて、自分にまで糊付け。

2006年07月12日(水) ねられん。

フミンであります。フミンと言えば、ムーミンとかユーミンとかトメルミンの仲間です。うそです。でもトメルミンとはよく似ているかもしれない。
私が申しますフミンとは、不眠即ち睡眠障害のことであります。ついでに言えばムーミンはカバではありません。妖精です。妖精ゴラス。大正テレビ妖精。

持病が顔を出すと生活に支障が出るのでかかりつけ医に相談してドラッグコントロール、つまり投薬内容の見直しをして貰うのですが、これがあまり巧くいっていないのです。鬱病という病気はただひとつの症状が出るという訳ではなく、いろいろな側面を持っています。睡眠障害もそのうちのひとつです。
睡眠障害にもいろいろありまして、寝つきが悪い、眠りが浅い、眠りが短い、四六時中眠い、状況にかかわらず急激に眠り込んでしまう……などなど、「ただ眠れない」だけではないのですね。私がここ三箇月ほど右往左往しているのは入眠障害と浅眠のためです。「寝つきが悪くて、やっと眠っても直ぐに眼が覚める」です。
この結果、「睡眠時間が短い」だけで日常生活が普通に送れるのなら、あまり気にしなくていいのですが、睡眠不足による疲労や目眩や頭痛、倦怠感などが如実に表れて仕事どころではなくなってしまうので非常に厄介です。

投薬内容を変えつつ、逐次かかりつけ医に症状を報告して薬を調整して貰います。巧くいけば服薬量は変えずに、たとえば眠前に服んでいた一錠を夕食後に変える程度で症状は改善されます。しかし、今回は巧くいかなくて、寝つきがよくなったか思うと眠りが浅くて充分に眠れなかったり、巧く眠れるようになっても鬱の主症状である抑鬱や、倦怠感や目眩や頭痛などのいわゆる不定愁訴が出てきたり、或るいはもうひとつの持病であるパニック障害が抑えられなくなってしまったりと、なかなか落ち着きません。
だからと言って、直ぐに死に繋がる病気でもないので、気長に調整する訳です。こんな風に症状を列記すると苦闘しているように思われるかもしれませんが、絶え間なく苦しい訳でもなく、時折すっきりしている時間もあるので、そんなときはトレーニングジムへ出掛けたりウォーキングに出掛けたりします。

そう言えば、私と対面した人は一様に、私が鬱病持ちであることを告げると「そうは見えませんねえ。今日は躁ではないですか?」というようなことを仰いますが、それは鬱病についての智識が浅すぎるというものです。鬱病は日がな一日一秒も欠かさず落ち込んでいる病気という訳ではないのです。
近年は鬱に関する情報も広く行き渡るようになり、キ○ガイなどと後ろ指差されることも稀れになりましたが、それもまったくない訳ではなかったりしますし、病気というものは罹患してみないことには「朧気なイメージ」だけで捉えられてしまうものなのですね。鬱という精神の病にしろ、性同一性障害という疾病にしろ、まだ大半の人が「イメージだけ」で理解して(いるつもりになって)います。

持病のイメージだけで捉えられたからと言って、そのイメージによって私自身が私以外のものに変えられてしまうかと言えば決してそうではないので、どのように思って頂いても私は構わないと思っています。かの岡本太郎先生も「誤解の満艦飾になれ」という御言葉を残していらっしゃいますしね。でも大抵の人は誤解を厭がるので、やっぱり誤解はしないに越したことはないです。
他人さまがどう思っていてもいいからとにかくぐっすり眠りたい、というのがいまの私の一番の希望です。症状がひどいときは他人さまが思っていることなんて構っている場合ではないです。


【今日のCM】
このCMの「食べました篇」が大好きです。その次は「喜んで篇」ね。

2006年07月11日(火) 何故にくるくるか。

友人が、めずらしくて衝動買いしたものの、家族に大不評で開封の機会を失ったから、ということで、これをくれました。

キャンデーではないソーセージ

上の写真は、いわゆる「ぺろぺろキャンディー」のように見えますが、ようく見ると細くて長いソーセージです。いったい誰が何を思ってソーセージをくるくる渦巻きにした上で串に刺したのか、どうにも解せないのですが、確かにめずらしいですね。屋台などで焼いて販売すると人気商品になるかもしれません。

しかし。
実はこのくるくるソーセージは、食べにくいのでした。天辺から順番にかじると、渦巻きがほどけてどうにもなりません。ケチャップだとかマスタードだとかの調味料がついていたら大変なことになります。
味は普通の安価なソーセージと変わりません。

気になるのは、私の友人が私に何かをくれるときの理由が「要らないから」とか「誰もほしがらないから」とか、何だかネガティヴなことです。


【今日のいま更】
気が付けば七月……二〇〇六年も半分過ぎてしまった。

2006年07月10日(月) 正義は正しいか?

TRICK−劇場版2−」を、例によってレイトショーで観る。公開前から「必ず劇場で観る」と決めていたものの、劇場が自宅から随分遠くなってしまったものでなかなか出掛けられずにいま頃になってしまった。
感想は、結論から言うと「おもしろいので観に行くが吉」。但し、テレビシリーズをおもしろいと感じた方限定。「TRICK」という作品は「おもしろさ」が独特のかたちをしているので、「何がおもしろいのか」と首を傾げている人も結構多いのではないか、と私は思っている。

シリーズを通して御覧になった方は既にお判りのことと思うが、「TRICK」はストーリイそのものは特に笑うようなものではない。ただ、ストーリイを飾りつける部分、つまり地名だとか登場人物の名前だとか、人物のサブ設定だとか、ストーリイの進行に直接は関係がない部分に笑える仕掛けが必要以上に沢山施されている。それも、万人が笑えるものではなく、一部の人がこっそり笑ったり、笑えずにいる人に「いまのネタの何がおもしろいか」を説明してあげる優越感のようなものを感じたりできるような、そんな仕掛けだ。選民意識をくすぐると言うか。
今作も一九八〇年代前半を「懐かしむ」ことができる年令の人でなければあまり笑えないのではないか、と思う。「片平なぎささんが白い手袋を着けている」ことにちょっと笑ってしまうか否かが、ほかの部分で笑えるか、ストーリイの結末により悲しみを感じられるかにかかってくるのではないだろうか。

「TRICK」は奇妙な作品で、観ている時間の半分は笑っていることができるのに、確かにおもしろいのに、観終わった後味があまりよくない。逆から言うと、後味が悪いストーリイなのに沢山笑える。
シリーズを通して大抵は、超常現象をまったく否定する物理学者上田次郎教授と、「超常現象の大抵は奇術で再現できる」が持論の奇術師山田奈緒子が、或る寒村にやってきた「自称神様」や熱心な信者を抱える新興宗教の教祖やカリスマ占い師などが住民に見せる「奇蹟」は「奇術の応用に過ぎない」ことを暴いてみせる、というストーリイである。「或る寒村」には「奇蹟を行なう者」によって不利益を被る「少数派」がいて、「奇蹟を行なう者」を崇めたい多数派に疎んじられている。しかし「少数派」はやんごとなき事情を抱えていて、上田と山田を頼ることになる。

上田と山田は放送または上映時間の一時間若しくは二時間を一杯に使って東奔西走したり窮地に陥ったりしつつ「奇蹟」が「奇術」に過ぎず、「奇蹟を行なう者」は神でも特殊な人種でもなくただの人間であることを、テレビシリーズや映画のどのエピソードでも結局は暴いてしまう。それも、上田も山田もそれぞれの利益を確保するために、窮めて利己的に。
「依頼人」は存在するものの、上田と山田のどちらも「依頼人のため」ではなく依頼人がもたらす「報酬」を得るために行動する。そして、奇蹟が奇蹟でなく奇術であることを明らかにするという彼等の行為は、すべての人に有益なことではなく、むしろ多くの人に不幸をもたらす結果となる。
つまり、「自称神様」にせよ、新興宗教にせよ、占い師にせよ、その者たちの「奇蹟」を「奇蹟」として信じることによって倖せになっている人も大勢いて、「奇蹟」を奇蹟でないと明かされるとその人たちは拠り所を失くして路頭に迷ってしまうということだ。

さて、ここで問題になってくるのは、「奇蹟」は「奇術」に過ぎないことを暴くことは果たして正義なのか、もしも正義であるのなら正義とは正しいことなのか、ということである。

世の中を凶行で恐慌に陥れる巨大宗教や巨額の鑑定料を取り高価な開運グッズを売りつける占い師は、一見すると悪徳で、誰のためにもなっていないように見える。しかし確かに「信者」は存在するのである。そうでなければ宗教は大きくはならないし、占い師は有名になることもそれによって鑑定料を引き上げることもできない。
信者たちは誰も倖せになりたくて、或るいは周囲の人を(自分が倖せになった方法で)倖せにしてあげようとしている。「騙されている」とは思ってもいないだろうし、おそらく思いたくない。たとえ眼にした「奇蹟」が「奇術」に過ぎないとしても、それが判っていても、それを「奇蹟」と信じていたいのである。
「信じていたい」即ち「騙されていたい」人たちに「騙されるな」と真実を明かしてしまうことは、果たして正義だろうか。もしも正義であるならば、正義は必ずしも人を倖せにするものではなく、ときには不幸にすらしてしまう、ということにはならないだろうか。
ついでに関係があるようなないようなことを言うと、手品はタネを明かさないから手品として愉しめるのであり、手品の窮極の目的は「人を愉しませること」である。

「TRICK」では、主人公の上田と山田は、必ず「奇蹟は奇術に過ぎない」ことを暴いてしまう。そしてそれを依頼した者たちには一応は感謝される。しかし一方で、暴かれたことによって困る人たちがいることが必ず描写される。主人公たちはストーリイの序盤に提示された目的を果たすのだが、それがために苦境に立たされる者があり、ときには恨み言を残していく。
これが「TRICK」の後味の悪さの正体である。自分が倖せになることで他人が不幸になることもあるし、正義と思っての行ないが或る人たちには害にしかならないこともあるのだ。
しかし、シリーズを通してこの後味の悪さは、ラストシーケンスで一時的に忘れることができるように構成されている。クローズアップはされない。この御陰で観客は取り敢えずは「おもしろかった」とこの作品を観たことをよろこぶことができる。これが「TRICK」という作品のトリックだと言える。その後、何を思うか何も思わないかは観客次第ということになる。

とにかくサービス精神旺盛な作品である。木だけを見て森を見ないのもまた一興かもしれない。
この作品が、私以外の大勢にとってもおもしろい作品だったのだと確信できるできごとがあった。私がいつも利用するシネマコンプレックスは週末のレイトショーにはあまり観客が入らないのだが、この作品は封切から日にちが経っているにもかかわらず大入で、しかも、エンドロールが終わって客席の照明が点くまで観客が誰一人として席を立たなかった。ほかのどんな作品も、エンドロールが終わるまでには何人かは退場してしまっていたというのに。それだけ「TRICK」がおもしろかったということなのだろう。何処にどんな仕掛けがあるか判らない作品なのでフィルムが終わるまで見逃せない、という理由も勿論ある。

映画ポスターの図柄の中心にいる割りにはほとんどいないのと同じだった矢部刑事。出番が少ないからせめてポスターでは真ん中に、という配慮だろうか。
同じ方向を向いて並ぶ上田と山田。山田は前方の何かを指差している。この図は劇中にも登場するが、劇中と異なった部分もある。街でポスターを見掛けたら山田の指先をようく御覧あれ。
劇場に見に行ったら、パンフレットは必ず買おう。愉快な特別付録あり。

お終いに雑記。「TRICK」を観るといつも書道教室に通いたくなる。どんどん書けー! がんばれ次郎号。冒頭に登場するジャスパー・マスケリンは実在の人物であり、言うまでもなく終盤への伏線である。

【今日の発見】
和装で自転車に乗っている御婦人を路上で発見。「着物で自転車」が可能なことだとはじめて知る。

2006年07月08日(土) TAROになれ!

ぼくが生まれたのは一九七〇年四月のこと。万博開幕の日から三週間ほど経った日に、ぼくは生まれた。だからぼくにとっては「万博」と言えば生まれ年の大阪万博のことであって、昨年開催された万博は「愛知博」だとか「環境博」だとか言って貰わないとそれと判らない。
大阪万博と言えばそのシンボルは「太陽の塔」。ぼくが生まれた年に大阪府吹田市の千里丘陵に現れた巨大な塔の、その異様なまでの存在感は、万博の記憶がなく、一度も万博記念公園を訪れたことがないぼくでさえ記憶の底にこびりつくような憶え方をしている。同じ年に生まれた、特異な存在だ。その生みの親は、「岡本太郎」という人である。

ぼくは「岡本太郎」という人のことは「本業は芸術家の、テレビによく出てくる変わった人」という程度にしか思っていなかった。しかし、一九八五年前後に或る人の随筆に「岡本太郎先生が『芸術は、巧いではいけない、きれいではいけない、人が見て「何だこれは!」と思うものでなくてはならない』というような意味のことを何処かで仰っていましたが、これは至言だと思います」と書かれているのを読んで、「岡本太郎先生という人はすごい人なのだ」と思うようになった。
このぼくが又聞きした言葉は太郎先生の「今日の芸術」という本に著わされている「今日の芸術は、うまくあってはならない、きれいであってはならない、ここちよくあってはならない」という言葉を指しているのだということは、後も後、つい最近知ったことだ。

その後、太郎先生の作品を折にふれ見ることになるのだが、何れの作品もすごいのである。「すごい」としか言いようがないのだ。何処がどんな風にどうなっているからすごいのだ、と説明できない、と言うよりは説明している場合ではない「すごさ」を、作品のそこかしこから発散している。おそらく太郎先生の作品で最も多くの人に知られている「太陽の塔」を想起して頂ければ、このことは御理解頂けると思う。
その「太陽の塔」と対をなすと言われる巨大壁画「明日の神話」は、メキシコで描かれてから三〇年以上も行方不明になっていた。それが昨年発見され、日本に運ばれ、ほぼ一年掛けて損傷部分が修復され、今日から我々が自由に見られるかたちで公開されている。昨夜は除幕式が行なわれ、それを中継する特別番組が放送されていた。ぼくも見た。

昨夜放送された特別番組は、「明日の神話」が描かれ、その後行方不明になり、昨年やっと発見されて修復を施され、公開されるまでの経緯を紹介するとともに、太郎先生を改めて紹介する映像も流していた。それによると、「岡本太郎」は、岡本太郎が岡本太郎の意志によって岡本太郎として自立し、岡本太郎であり続けようとしたが故に「岡本太郎」であった、とのことだ。
この同じ名前が何度も出てくるくどい文章が一体何を言わんとしているのかを説明するには、先ず「岡本太郎」がぜんたい何であるのかを説明するところからはじめなければならないが、それをするためにはおそらく文庫本一冊分以上の文章が必要になるだろうから、ここでは省かせて頂く。手っ取り早くかつ愉しく知りたいと仰る方は「なんだ、これは!」という判りやすいWebページがあるのでそちらを一ト通り御覧頂きたい。

特別番組の後半で「Be TARO!」を叫ぶ人が複数見られた。「TAROになれ」、「TAROであれ」ということではあるが、これが「岡本太郎を模倣せよ」という意味では決してないことは、太郎先生をよく御存知の方や昨夜の特別番組を御覧になった方はよくお判りのことと思う。己れが己れとして己れであり続けること、死を身近に置いて生をよろこぶこと、何者をも拒まず何者にも同化しないこと、正も邪もなく表現を行なうこと……そういうことを「Be TARO」という言葉は表しているのではないだろうか。特別番組に御出演の天海祐希さんは「自分になること」と表現なさっていた。
除幕された「明日の神話」を、ぼくはまだテレビ画面越しにしか見てはいないけれど、眼にした瞬間にぼくの「Be TARO」ははじまってしまったのだと思った。縦五.五メートル、幅三〇メートルの巨大な壁画は、人の一生を容易く動かしてしまう大きなうねりを持っている。すごい。一見しただけでその内包する発散する膨大な力に言葉よりもため息よりも先に涙が出てしまったのは、ピカソの「ゲルニカ」を教科書で見て以来のことだ。

「明日の神話」は東京汐留で八月末日まで一般に公開されている。行けば無料で見ることができる。近隣に赴く予定がある方、在住の方はぜひ直接御覧になることをお勧めする。ぼくも何とか機会をつくって行きたいとは思っている。
ぼくは「明日の神話」修復のための寄付を、「TARO MONEY」を購入するというかたちでさせて頂いた。金額はささやかなものだけれど、自分が最も大切にしている「書く」という行為によって得た金銭が「明日の神話」のために使われた、つまりは「ぼくが書く」ことが現在公開されている「明日の神話」の中に生きているのだと思うと、とても有難いし、うれしいし、愉しい。

こうしてTAROの間近にいることをよろこびながら、ぼくはぼくの「Be TARO」を実現させたい。


【今日の漠と】
洋の東西を問わず、サッカー選手には「濃い」顔の人が多いように思うのだが、気のせいか?

2006年07月05日(水) 夏は夜、そしてカレー。

清少納言女史はエッセイの中で「夏は夜」と言い切った。確かに夏の趣きは夜にこそ、とは私も思う。そして夏を過ごす活力を生み出すのはカレーだ、とも私は思っている。

カレーの香り。夏の暑さや湿度にくたびれた身体がともすれば失いがちな食欲を、鮮やかに刺激する。食すれば胃腸も調う。具材を工夫すれば栄養のバランスも巧い具合いに取ることができる。夏こそカレーと言うべきではないだろうか。
しかし、市販のルウを使うカレーは、胃もたれや胸焼けを引き起こすことがある。何故か。小麦粉と油脂分が沢山含まれているからだ。

そこで、ルウを使わないカレーをつくってみる。欧米を経由しない、中東方面風のカレーを試みる訳である。鶏などで出汁を取り、そこに好みの具材を入れ、好みの香辛料で味を調える。今回はターメリック、クローブ、オールスパイス、コリアンダー、バジル、ガーリック、ジンジャー、パセリなどを使ってみた。あまり深く考えずに思いついた香辛料だけを入れてみたのだが、きちんとカレーの香りと味になっている。テキトーでよろしい。

香辛料は片仮名で書くと調味料にしか思えないかもしれないが、漢字を使う別名を持っているものが多い。ターメリックは鬱金、クローブは丁字、コリアンダーは香菜。ガーリックとジンジャーは言うまでもなく大蒜と生姜。何れも漢方薬の原料となるものである。胃腸その他の内臓の調子を整えてくれる。
香りがおいしい、食しておいしい、身体においしい。調理は簡単、肉も野菜も豆も米も一度に食すことができて、摂取する栄養や熱量も調節可能なカレーは理想の料理と言っていいのではないか。

ルウを使わないカレーは比較的胃にやさしい。小麦粉を使わないためとろみがつきづらく、米飯にかけて食すには多少不向きではある。しかし、トマトや豆類を入れることで幾らかのとろみをつけることはできるし、汁物として捉えることを選択肢のひとつとしてみるものよさそうだ。
ただ、具材に鶏もも肉を使う場合は、余分な脂身は徹底的に取り除いてからにするべきだ。胸肉のように脂がほとんどないのは煮物としてつまらないが、煮汁の表面に脂の球がプカプカ浮いているのはよろしくないと私は思う。

さっぱりカレーで夏も元気に。やはり旬の野菜を使うのがより旨いのではないかな。


【今日の名と実】
数年振りにペ○シコーラを飲む。原材料名に「安息香酸Na」という何とも心落ち着きそうな名前のものが入っているが、実は防腐剤。

2006年07月04日(火) ベージュ色の罠。

「ベージュ」と呼ばれる色を御存知でしょうか。和名を「白茶」という、こういう色です。
英名「beige」、和名「白茶」
上に示した色はモニタの発色能力によって多少違ってくるので飽くまで近似色ですが、茶色の淡いやつでこんな感じの色、ということを判ってください。
この色が衣服等の身に着けるものに用いられたとき、ちょっとした罠になります。

一九八〇年代の半ば辺りから洋服にダウン素材が使われるようになりました。ダウンとはくたばることではなく、羽毛のことです。一九八〇年代半ばよりももっと以前から服飾の世界では使われていたのかもしれませんが、カジュアル衣料としてリーズナブルな価格で一般に普及したのはこの頃のことです。
先ずはダウンベストが流行しました。袖がない上着ですね。この少し後に袖が付いたダウンジャケットが普及しはじめました。

ダウンベストもダウンジャケットも、ダウン即ち羽毛が使用されているのでふわふわもこもこしていることがお判りになるかと思います。
さて、注目はダウンジャケットなのです。

或る冬の午後、しんと冷える街で友人と待ち合わせをしていたときのこと。少し離れたところにとても筋肉が発達した、ボディビルダーのような体格の男性が上半身裸で歩いています。あれほど鍛え上げられた体躯ならこれみよがしに剥き出して歩きたくもなるかな、とは思ったものの、幾ら何でも冬に上半身裸は寒すぎるだろう、とちょっと呆れながらもう一度見直すと、その人は筋肉隆々の半裸男性ではなく、ベージュ色のダウンジャケットを着た男性でした。
という、うそのようなほんとうの話を、私は複数の人から聞き及んでいます。

この話は「ダウンジャケットの罠」のようにも思われますが、問題点はベージュ色にあるのだと私は思っています。ほかにも、こんな話があります。

夏に向かい気温も高くなってきた或る日のこと。スポーツクラブのプールに通いはじめた或る女性は普段眼鏡を掛けていますが、プールの中では眼鏡をゴーグルに換えます。そのゴーグル越しに、何と全裸の男性がいるのが見えるではありませんか。全裸男性は何喰わぬ顔で水に入り、さっそうとクロールで泳ぎはじめます。
何て大胆な。いやしかし、スポーツクラブの規則では水着を着用しなくてはならないはず。見てはいけないと思いつつもどうしても見てしまうその眼が見たのは、ベージュ色の海水パンツをはいた男性だったそうです。ゴーグルのレンズにも眼鏡と同じように度が入っていればいいのに、と思ったとのこと。

更には、如何にも童顔の若者なのに頭がつるつるの人がいて、剃っているにしては毛根すら見えないきれいなスキンヘッドだ、と思っていたらベージュ色のバンダナを頭に巻いた人だったとかいう話もあり、ベージュ色の罠に引っ掛かった人の話は後を絶ちません。

このような見間違いどっきり体験は決してめずらしいことではない、ということですね。と、すると、全身ベージュ色でトータルコーディネートして街を歩けば、擬似ストリーキングや擬似ヌーディストになる、ということでもあるのでしょうか。

……ほんとうにどーでもよさげな話だなあ。


【今日の私だけでは】
劇団ひとり氏とグッチ裕三氏を時折見間違えます。

2006年07月02日(日) 感謝を沢山。

昨日の朔日は大阪市内にてとある会合に参加させて頂きました。「その筋」では著名なM木氏やD肥氏、法学の○島教授をはじめとするみなさまと御話させて頂く、とても和やかで有意義かつ愉しい会合でした。
この日はじめてお会いすることができたM木氏も人当たりのやわらかい方で例外ではないのですが、私が出会う人々はいつもどの人もとても善良で親切な人ばかりです。この日もとても親切親身に接して頂き、些か対人恐怖を潜ませている私は大変有難く、かつ大変うれしかったです。
同じ面々で行なわれた食事会ではネパール料理を頂きました。ネパール料理初体験の私には二つの意味で刺激的で、愉しくおいしく頂くことができました。

こういった恩恵を受けるたびに私は、私からもほかのみなさまに何かして差し上げられるようにならねばな、といつも思うのですが、なかなか思うようにはいかないもので、それが申し訳なくもあります。
連絡先が判る方には御礼状を差し上げましたが、改めて、同席させて頂きましたみなさまにはこの場で御礼申し上げます。有難うございました。

特に○島教授は、昨年はじめてお会いして以来まだ二度めの対面だというのに、話し方が年々下手になっているくせにどんどん自分のことばかりを話してしまう私の話を大変我慢強く聞いてくださり、私が書いたものを誉めてくださり、そればかりかとても上手に相槌や質問を挟んで気分よく話せる演出までしてくださるのです。食事会からの帰路では大阪の地理に明るくない私を、目的地に確実に辿りつけるように乗車路線を調べて駅のホームまで送り届けてくださいました。
このような他人を気分よくさせる気遣いを、それと気付かせないように気易さとユーモアに包んで気前よくくださった○島教授を、私はとても恰好いいと思いました。
○島教授のような大人になろう、と、そして私も教授と同様に歩数計を腰に付け、毎日一万歩歩くようにしよう、と思いました。

当夜は大阪南部に自宅を購入したタイランド渡航の先輩、W辺氏の御宅に一泊させて頂く。同居犬の真島くんは三箇月前に会ったときよりも大きくなっていて、W辺氏は相変わらず気さくで気前よく、深夜に訪れたにもかかわらず両者とも私とよく遊んでくれました。
彼等もとても善良です。彼等の善良さの前に私は自分が如何にも矮小であることを実感してしまいます。地道に努力して、も少し大きくなろうと思います。

と、このように、感謝と反省を思う本日でした。反省にはめずらしくておいしそうなネパール料理の写真を撮ってこなかったことも含まれています。

昨日は気が張っていて何とか元気でしたが、やはり都会の人混みや他人さまと会話することは私の精神を甚だ疲弊させてしまったらしく、帰宅すると気が緩んで困憊が顕著になり、床に伏しました。眠ったら回復しましたが、年々歳々他人さまとの接触が下手になっていくのはどうにかしないといけないと思っています。愉しかったのは間違いないのにな。


【今日のそうだよね】
自分は精一杯やっているのに相手が不当に非難してくるんだよね。お互いそう思っているんだよね。


エンピツユニオン


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