2006年02月27日(月) バウアーさんなんだってば。
そろそろ日本中の人が言いはじめた様子の「イナバウアー」切るところ問題。早めに書いておいてよかった……かなあ。
フィギュア女子フリーの演技があった日、つまり荒川選手の金メダルが確定した日のこと、友人がこんな画像を送ってくれました。
「イナバウアー」という単語からイメージしたものを素早く絵にして送ってくれる素敵友人。しかも筆ペンでね。絵心があり過ぎて、中央でイナバウアーやってる荒川選手に味が出過ぎてますヨ。
と、感心していたら愛読しています「
ほぼ日刊イトイ新聞」連載中の「
TVウォッチャーの逆襲」にまで似たネタが出てきて吃驚だ。もう「イナバ」ネタはどぼんです。
「イナバウアー」は1950年代の独逸(当時の西独逸)のスケーター Ina Bauer さんがはじめて成功させたスケート技術で、両足を180度に開き、一方の脚を屈曲させ他方の脚を伸展させた状態で横方向に滑走すること、だそうです。
上半身をぐいーんと反らせるのは荒川選手のオリジナル要素で、近いうちに「イナバウアーをやりながら上半身を反らせる」技は「アラカワ」とか「シズカアラカワ」とか「しーちゃん」とか呼ばれるようになるんじゃないでしょうか。
冬季五輪トリノ大会に関する御話はここまでにしまして、ちょっと告知。
季節の変わりめ、「木の芽時」と呼ばれる時期つまりいま頃ですね。梅の花がほころぶ辺りから新緑が萌えはじめる辺りまで、持病が出やすくなるため、私の体調はとても不安定になります。
そう言った理由からこの頁の更新や掲示板のおへんじが滞ったりすることもあるかと思いますが、御了承ください。
アタマの回転がいつもよりも更に鈍くなるだけなので御心配には及びませんです。
【今日の余波】
荒川選手金メダルで売上増の御米を売っている会社の母体
東洋精米機製作所は当県の企業です。地元が潤います。有難う荒川選手。
2006年02月25日(土) 人名は人名なのだけど。
「荒川選手おめでとう!&その瞬間を見ていたおれおめでとう!」の昂奮も一夜明けて落ち着く。荒川選手がぼくの記憶から立ち去って、「イナバウアー」という単語だけが取り残された。
この単語が想起される度に奇声を発しながらステージ上を駆け巡る男性ヴォーカリスト&遠景にギタリストの姿が脳裏に現れる。
違う。そこじゃない。切るところはそこじゃないんだ。
―――って、突っ込むところもそこじゃないんだ。
【今日の何度考えても】
何度考えてもどう考えても「スーパー大回転」という競技名はすごいよな。誰も回転していないのに。
2006年02月24日(金) 現地時間で服薬洩れ。
ショートプログラムに続き冬季五輪トリノ大会フィギュアスケートフリースタイル女子の部を、やはりライヴでどうしても観たかったので、今度こそはと昨夜2000時には就寝して今朝0300時に起床しました。生活時間に融通を利かせることができる自由業はこういうとき有難いものです。
あまりよく眠れなかったような疲れが抜けきらないような怠さとともに目覚め、2時間くらいぼんやりしていました。いつもと違う生活リズムで就寝したから調子を崩したかと思いながらぼーっとしているうちに、昨夜で服みきったはずの眠剤が一錠残っているのを見つけました。これを服み忘れたから深く眠れなかったのね。
ぼんやりしながら観た安藤選手の演技はどうにもキレがよろしくなく、何度か転倒もあり、「ミキティも眠たいんかな」と眠たい頭で考えましたが、トリノ市と日本の時差は8時間。現地は2100時過ぎだってば。安藤選手の演技は日本時間で0519時からの4分間。
0624時から荒川選手の演技。実に伸び伸びとして堂々として、滑走もスピードがあり、何よりフィニッシュの表情が快活ですばらしい。得点の発表よりもずっと早くに会場の観客が総立ち拍手をはじめたことで評価が高いことが判ってしまいました。この時点で総合1位。
続いて0632時から村主選手の演技。大技よりも細やかな動きやステップがうつくしく決まる人なので演技に派手さはないのだけど、完璧な演技。最後のスピンの速さは大変なものでした。思わず拍手。この時点で3位。
いやはやすばらしい。ライヴで観てよかった。
ショートプログラムで高順位につけていたコーエン選手(米)やスルツカヤ選手(露)の得点が気になるところ。しかしコーエン選手はジャンプで二度ほど転倒してしまったし、スルツカヤ選手も見ていて心配しなくてよいほどの安定した演技をなすったのだけど一度だけジャンプを失敗してしまい減点。
転倒の減点って大きいはずなのに、コーエン選手は2位、スルツカヤ選手は村主選手を抜いて3位に。スルツカヤ選手が最後の滑走者だったので、この順位がそのまま金銀銅の各メダルに。
スルツカヤさんはあの転倒がなければな。実はぼくが一番応援していたのはこの人。
五輪大会のみならずスポーツの世界規模大会開催期間中は開催国が何処であろうと現地時間で生活してしまう友人(日本在住)が「トリノと時差なしのO本です」というメールをよこしたのには失笑しましたが、電波を介して荒川選手の栄冠を称え合いました。
疲れが抜けきらないままじっとすわって観戦していたために背中が怠くて、「イナバウアー!」と叫びつつ背中を反らして伸びをしたら身体の何処かから「ピシッ」と音が聞こえたのは誰にも内緒だ。
ただいま0751時。これから外出準備をして出掛けます。定期通院日です。パラヴェーッラ!
【今日のほしいもの】
松岡修造氏の熱さの半分が。……半分でいいです。
2006年02月22日(水) 長靴を履いた脚の付け根で。
冬季五輪トリノ大会各競技を観戦したいと思いつつも八時間というビミョーな時差と伊太利亜の人の遅め遅めのライフスタイルにより、なかなか見られないでいました。時差が一二時間くらいあって昼夜正逆になっているとか、伊太利亜の人がもう少し早寝早起きだったりしてくれたら、もっとライヴ中継も見やすかったかと。
そんな条件下でもフィギュアスケート女子だけはどうしてもライヴで観たいと思い、昨晩は早めに就寝して今朝は早めに起床しました。フィギュアスケートショートプログラム女子の部は日本時間の午前三時から。終わったのは午前七時過ぎでしたから、現地時間では午後七時から一一時頃の間。そんなに深夜まで競技しなくても、も少し早めにしてくれましたら。
安藤選手が一四番め、荒川選手が二一番め、村主選手が二八番めと少し遅めの登場で、どうやら外にお勤めのみなさまの出勤時間辺りに重なるとの情報を得ていましたので、その頃にテレビを点けてみましたら、ボブスレーが走っていました。はひゃん。
チャンネル違いであります。ひとつチャンネルをずらすと丁度荒川選手が決めポーズを取りなさったところで……結局遅刻してしまった訳です。どぼん。
ライヴでは村主選手の演技だけを観ることができました。彼女の後に登場したコストナー選手(伊)やコーエン選手(米)と比べると幾分地味な演技でしたが、ひとつひとつの動きを地道に確実に遂げる姿は、派手にくるくる回転するより恰好よかったかも。
演技を終えた村主選手は両手掌を合わせ指を交互に組み合わせる「祈りのポーズ」を取りなさいました。その姿が何とも可憐で、もしかしたら村主選手は「祈りのポーズが似合う人日本一」かもしれない、とぼくは思いました。
フィギュアスケートの競技が行なわれた競技場の名は「パラヴェーラ」。新聞等には「パラベラ」と書かれていますが国営放送のテロップでは「パラヴェーラ」。ああ伊太利亜っぽい。
とても伊太利亜っぽいので「ペペロンチーーーノペスカトーーーレパラヴェーッッッラ!」と似非伊太利亜人になりすまして巻き舌で発音しながらトレーニングジムに出掛けました。ジムのテレビジョンは午前八時から放送されたフィギュアスケート録画中継を映していて、普段テレビなんか見ない常連おじさんたちも普段使わないテレビ間近のエアロバイクを漕ぎながら一生懸命見ていました。
ほんとうのことを言うと、カーリング女子とかスケルトン男子とかリュージュおばさん(米領バージン諸島代表アン・アバナシー選手)とか、見たかったんだ。
うっかりカーリングをはじめたくなってしまって、市内のスケートリンクを探してしまったことは内緒だヨ!
【今日のそりゃ当然】
デッキブラシを見つけたら、迷わず床をゴシゴシするでしょ!
2006年02月19日(日) 大丈夫だよ。
急激に持病が悪化。天地がひっくり返ったような悪くなり方。持病というのは精神科領域の病気。鬱病とパニック障害の二つの診断名を貰ってはいるが、ほかにもあるのかもしれない。
突然動けなくなった。
身体を起こそうと腕を突っぱることさえできない。固形物が喉を通らない。頭蓋骨を覆う筋肉のすべてが緊張して痺れ続けている。まる二日寝込んで起き上がれるようにはなったものの改善されたのはそれだけで、実を言うと指が震えるので筆(硬筆)では文字が書けない。はじめてのことではないから別段驚きもしないけれど、随分困る。
昨日のことに、とあるルートで「まともな食事」というものをさせて貰えた。それが奏功したのか今朝は身体を起こすどころか歩きまわれるようにさえなった。だから「やはりきちんと栄養素を摂取できる食事をしなくては」と思い、買いものに出たはいいが、材料を買い込み、改めてそれを見て「この材料を調理して食べなければならないのだ」と思った瞬間に動けなくなってしまった。
「荷物を持って(自宅まで)移動する」
「買った材料を加工する」
「加工した材料を調理する」
「調理したものを口に入れる」
「口に入れたものを咀嚼する」
「咀嚼したものを嚥下する」
ざっと分けただけでもこれだけのことをしなければならないことの苦痛とそのための力が自分の身体の中にないことが明らかに自覚できる絶望が、どれほどの恐怖を喚起するか。
「人間として生きているからにはやって当たり前のこと」ができない状態にありながら生きてしまっている絶望は、当たり前のことを当たり前に実践できる人にはおそらく判り得ない。
意識しなければ呼吸できないときには「呼吸するのがしんどいからやめてしまおうか」とふと思う。「生きていればいいこともあるよ」なんて、死に近付いたことがない人の妄言に過ぎないことが全身で判る。
直面はしても死にはしない。明日になればまた天地がひっくり返ったように元気一杯になっているかもしれない。たいしたことはない。一二時間置きに三回の発作を起こしても死にそうに苦しくなっても救急車は来てはくれないしよしんば救急車が運んでくれても搬送先の病院は何もしない。できない。
それが精神科領域の病気。放っておいても死にやしないもの。死んだ方がましだってくらいに苦しくはなるけれど、死にやしないもの。
だから大丈夫。明日もきっと生きている。
2006年02月17日(金) いつも不利それが当たり前。
書き手が書きたいと考えているもの、書かなくてはならないものと、読み手が読みたいものとは、必ずしも一致しない。
「良作」と評価されているもの、され得るものと、読み手が読みたいものとが同じものとは限らない。
幾つもの「集合」が重なり合った部分を見窮めるのも書き手の仕事なのだろうけれど、その部分が書き手自身に書けるものであるということも、必ずしも言えない。
書けないものを書くと読めるものに仕上がらない。それでは意味がない。
確実に言えることは、「読み手は限られた時間と限られた金銭しか持たず、限られたものにしかそれ等を割かない」ことと「読み手は限りなく贅沢に我が儘に物語を消費する」ということ。
だから―――ということを、ここまでを読んだあなたが考える必要はありません。勿論考えてくだすっても大いに結構なのですが、この頁には大抵表題通り「どーでもよさげ」なことしか書かれないので、考えるだけ損かもしれません。
「損して得取れ」という言葉も、あるにはあるのですが。
【今日の昨日見たLOVE定額】
乗った電車の中から某携帯電話会社の駅貼りポスターを見る。赤とモノクロ写真の配置、岡田くんのソロショット、恰好いいと思った。彩度が高い赤と映えたモノクロ画は、少し青みが強い?
2006年02月15日(水) くえ。
一ト晩眠れば元気になると思っていたが、予想外に疲れ気味で今日はトレーニングジムで運動中にエンドルフィンが過剰分泌されてしまったヨ。突然後頭部がじわーんと痺れて意識がぽわーんとなるのだ。
危ないから早めに切り上げて鶏レバーと乳製品を喰った。元気が振るわないのは何かが足りないからだと思ったからさ。「何か」が栄養だと思っているところが拳禅一如を間違って実践してるよねー。
明日は他府県へ出張するので当頁の更新は多分お休みします&今日は早めに休みます。
出掛けるから天気予報を見て……って明日の近畿圏内は暴風雨ですか! 厭だなあ&神戸空港開港は見合わせるべきでは。
それにしても、神戸空港ってどうしてつくっちゃったんだろう。近くに伊丹空港と関西国際空港があって既に航路は過密だし、そこに半ば無理矢理空港を拵えたものだから関西国際空港離着陸機と航路が重なってしまってやたら飛びづらいらしいし、六甲おろしだの海風だの突風が吹いてまともに着陸路を確保できない場所だし、ぼくは幾ら便利でもこんなに危険な空港は利用したいとは思わないなあ。ぼくにとっては便利ですらないのだけど。
【今日のこんなときこそPKG】
「P=パンチ、G=ガード、K=蹴る」と言ったアナタのことをいまも忘れていません。間違ってないヨ!
2006年02月14日(火) もう出ない。
今月二本めの短編が仕上がる。いつもなら諸手を挙げて歓喜を叫ぶところだが今日は脱力中。仕上がった手書き原稿をデータに直さないといけないのだけど、元気が出ない。
摂取カロリー不足か? 計算してみたら今年に入ってからの食事はほとんどが基礎代謝量を下まわっている。その割りに体脂肪率は下がらないのだけど。
寝込んだ二日間分の仕事の遅れが半日に縮んだので、更に追い上げて遅れをなくしたいところだけども、その前に何かいいものを喰った方がいいのかなあ。
「いいもの」って何だろう。取り敢えず、チョコレートは暫く要らない。
【今日の新鮮】
ウスターソースって、こんなに旨い調味料だったのか。
2006年02月13日(月) 何か多分そんな漢字で。
毎度御世話になっております
蘇芳つぐみ絵師から「漢字バトン」をまわして頂きました。回答致します。回答致します。間違いございません。
----------------------------------------------------------- ここから↓
1.バトンを回してくれた人に対して持つイメージの漢字は?
「颯」
速くてさわやかで勢いがあり清音しかも擦過音。
2.前の人が「質問6」で答えた漢字に対して自分が持つイメージは?
「想」
→一見知的だが下心があるので気を付けろ。
「願」
→心ではなく頭を使うらしい。
「進」
→説明しやすいがその説明を理解する人は少ない。
※三ツとも部首を見てください。
「ふるとりにしんにょう」で判る人は案外少ないみたいです。
3.大切にしたい漢字を3つ
「一」
はじまりであり通過点であり目標であり戻るところ。
この字を丁寧に書く人は大抵いい人だ。
「武」
戦うことではなく争いを止めること。「二つの弋を止める」と書く会意文字。
「武は撫なり。止弋なり。禍乱を鎮撫するなり。禍乱を鎮撫して人道の本に復せしめ、愛撫統一することが武の本義なり」(説文解字)
書いて気持ちいい字でもある。
「志」
そこにある。いつもあれ。忘れない。
ときどき無性に人名に使いたくなる字。
4.漢字のことをどう思う?
好き。結婚してもいい。
5.最後にあなたの好きな四字熟語を3つ教えてください
「因果応報」
辞書を引くと [仏] と書いてあることがほとんどですが、フランス語ではないので気を付けてください。
「奇想天外」
日常に心掛ける。
「一汁一菜」
贅沢を言ってはいけない。我慢はせずに満足しよう。
6.次の人に回す漢字を3つ
「豆」
「噺」
「性」
答えづらそうな字ばっかりですが厭がらせではないので報復は不要です。
7.バトンを回す人5人とその人をイメージする漢字を。
桜井弓月さん→「凛」
月ノ瀬りとなさん→「実」
杉本彩さん→「艶」
稲葉浩志さん→「変」
小岩井よつばさん→「発」
「まわす」ことと「受け取って貰える」ことは別のことですからね。はい、投擲ーっ!
----------------------------------------------------------- ここまで↑
【今日の後悔寸前】
近隣の劇場では上映されなかった映画「CASSHERN」をテレビで観た。近所で上映されなくてよかったと思った。映画じゃなかった。
「映画に楽曲のイメージを邪魔された」という経験は、生まれてはじめて。曲の方が強かったんだね。
2006年02月12日(日) でしょう。
昨日借りたCDを聴きながら今日も原稿作業。とても冷える今日のような日は、語りかけるような「
結晶」が胸に染みてくる。
じわり。じわじわ。
誘い出されるように、かたちにならないものたちが自分の奥から溢れてくる。ああ、これにぼくが思う言葉のかたちを、物語のかたちを与えたい。
せつなく、やさしく、しんとして、ほのかな。
そんな曲を聴きながら、他人さまにはあまり大っぴらに言えないような内容の原稿を書いている自分が、ちょっぴり哀しくなった。仕事だから、なおのこと。
昔と言える以前のようなはげしさや猛々しさは失いつつあるけれど、まだまだぼくは枯れたつもりはない。むしろ、ぼくという何かはこれから生まれてはじまるのでしょう。
そしてずっと書いていくのでしょう。
【今日の不本意】
「パイン入り酢豚ドーナツ」って、何処かが間違っているような気がするのだが気のせいか。
2006年02月11日(土) きりきり働け。
発熱のため休業した二日分の遅れを取り戻そうと午前中から日没まで時間を詰めて原稿作業。食事も御三時のコーヒーも万年筆を動かしながら。
疲労感の割りにあまり進まなかった。後頭部から肩に掛けてが凝るのは、熱を出してからずっとトレーニングを休んでいたせいでしょう。身体を動かさない日が続くとこれだもんな。
頭だけがくたくたになってきたところで冬季五輪トリノ大会開会式(録画中継)を見る。オーストラリア選手団のみなさんが手に手に持っていたボクシングカンガルーの人形がかわいかった。ほしいな、あれ。確か夏季アテネ大会の開会式でも同じものをみなさん持っていらっしゃいましたね?
B'zのニューシングル「
衝動」を貸して貰いました。青山剛昌氏の手になる裏ジャケット画に吃驚。この描き下ろし絵のためだけにCDを買ってもいいという気になると同時に、「描いて頂いて済みません」とB'z関係者でも何でもないのに思ってしまいました。
ところで、今年の「名探偵コナン」劇場版前売観賞券購入特典の絵柄が例年と違って青山氏描き下ろしではないのは、このジャケット画を描いていて手がまわらなかったから、なのでしょうか。
この画でコナンくんが教えて貰っているのは「F」の押さえ方か? 指がつらないようにね。
【今日の到着】
2006年度版「
よつばとひめくり」が届く。今年も何でもない毎日を。
2006年02月10日(金) 通常通り営業致します。
昨日の朝にはすっかり平熱に戻って元気になりました。本日より通常営業再開です。仕事を休むのがまる二日きりで済んだのでよかったです。暫くぐったりすることになるかと思っていましたが、さほどしんどくもなかったので当記事も休みませんでしたね。
また、昨日は某アーティストのファンクラブから会員限定ライヴ先行予約の案内が届いて早速申し込みましたし、その御陰もあってか生命力と言いますかテンションと言いますかボルテージと言いますか、そういうものが上がってきて無駄にハウリングを起こしたりしていました。
八月。行く気満々です。ふふ。ふふふふふ。
元気になった今日は何をしていたかと言うと、丁度定期通院日に当たっていたので注射して貰いに行ったり常用薬を貰いに行ったりついでに理髪店に行ったりと午前中は走りまわっていました。
午後からは歯科医に行って上顎全体の型を取って貰いました。印象剤(歯型を取るための寒天みたいな素材)がやわらかくて喉の方に流れ込んできて、窒息するかと思いました。鼻で呼吸をすれば窒息することはないのですが、年配の方などはこれを喉に詰まらせて呼吸できなくなったりするんじゃなかろうか、なんてことを、ぱかっと大きな口を開けたまま考えていました。雑煮の餅よりやわらかいんじゃないかな。
【今日のこんなに好きなのに】
まりこがいない、探しているのに。イシハラでもハヤシでもなくコンビニ限定。
2006年02月09日(木) カラダが、燃えるように熱いんです…。
と、
宇能鴻一郎先生文体で呟いてしまったりするほど、熱が出ました。体温計の目盛振り切って測れなくなりました。
と言っても、婦人体温計の話です。ぼくは婦人用の水銀体温計と、とても旧い型のデジタル体温計を各1本ずつ持っています。このうち、デジタル計は信用していません。計測値がまちまちで、当てにならない。電池が切れたら測れないし。
しかし、婦人体温計は、発熱時には使えないのでした。忘れていました。暫く熱を出していなかったので。
婦人体温計とほかの体温計とはどう違うかと言うと、先ず婦人計は目盛が細かくて0.5分単位で測れます。デジタル計だと小数点第2位まで表示されるようです。そして、計測可能上限値が38度。38度以上の熱が出ると測れない。
そもそも婦人計は基礎体温などを測るために使用するもので、風邪などの発熱時には一般計を使うべきです。こちらは上限が42度です。これの目盛を振り切るほど熱が出てしまったらそれは生命の危機です。
昨日の午後はずっと熱が高く、いつ測っても水銀柱が一番右端まで伸びていて、それは確実に38度以上なのですが、38.5度なのか40度なのか判りません。
年令を経てくるとなかなか熱が上がらないものです。高い熱を出して体内殺菌するだけの体力がなくなってくるからだと言われています。婦人計で間に合わないほどの熱が出たぼくは、まだ盛んな身体を持っているのだとちょっとした自信を持ちました。間違った自信でもいいのです。
ぼくが何故婦人用体温計を持っているかと言うと、最初にホルモン剤投与を御願いした婦人科医先生に「先ず基礎体温のグラフをつけて持ってきなさい」と言われ、その目的のために病院で買ったからです。
性同一性障害のホルモン治療には基礎体温計測は特に必要ないのですが、当時(8年前)はまだ医者も患者もよく判ってなかったもので。
【今日の擬人化】
「
さつまりこ」を「まりこ」と呼ぶ素敵さん発見。
2006年02月08日(水) いいわけて。
「風邪ひいてるから!」「風邪で熱出て体力落ちてるから!」と言い訳しながら、普段は節制している食事をじわじわと豪華にして摂取カロリーを増やそうとするのはやめなさい>わし。
昨日は書き上がった短編のデータ化(手書き原稿をテキストデータに直す。これをしないと納稿できない)を5時間掛かって済ませたら、38度まで熱が上がってしまった。3年振りの発熱らしい発熱。
一ト晩眠ったら37.3度まで下がった。今日も1日寝ておきます。
【今日の最近の私】
「
私一人」の装丁写真の真似がマイブーム。
2006年02月07日(火) 乗れなかった。
1500時、外出先から帰宅。直ぐに作業開始。その辺りから急に咳が出はじめる。頻回に渡って咳き込むため、喉も胸も痛む。身体の表面は暑く感じているのに芯の部分には寒気がある。
これはもしやいま流行りのアレでは、と思い、検温してみれば37.3度。微熱だが、熱の出はじめかもしれない。
その後、1800時、2100時と3時間ごとに検温してみたが、少しずつ少しずつ、熱が上がっている。一ト度咳き出すとこんこんこん……と7〜10回くらい連続で言わなくてはならなくなってきた。頭痛や、肩から上腕に掛けての筋肉痛などもはじまる。
早く寝よう。今月はみっつの締切があるし、来週には他府県へ出掛けて人に会う予定がある。ずるずると具合いが悪い状態をいつまでも引き摺るよりは早めに休んでさっさと治そう。そう思い、書きかけの短編を気合いで規定枚数書き上げる。ビバおれ!と諸手を挙げつつ就寝。
ここまでが昨日の御話。
風邪は、何となーく具合いが悪くなってきて喉の痛みや倦怠感、最終的には発熱と徐々に症状が出てくるのに対して、流行性感冒つまりインフルエンザは急激に発熱などの症状が出てきて、風邪とは大きく異なるにもかかわらず風邪と思い込みやすい。
という風に聞き及んでいたし、長く寝込む訳にも行かないので、起床時の検温ではほぼ平熱に戻っていたが病院に行ってきた。何ごとも早めの対処が肝要。
医師と対面して諸症状を伝え、喉の目診と躯幹部の聴診をして貰い、風邪と診断。流行性感冒ではなかった……流行に乗りそびれたようだ。
「流行性感冒ではない」という診断の理由は「家族に罹患者がいない」それだけの様子で些か頼りなく感じなかった訳ではないが、取り敢えず薬を貰って帰宅。食事を摂って薬を服んだら、軽く頭痛が残っているだけで結構平気な状態になった。咳止めや去痰剤が効いてくると随分楽になる。
何より、流行性感冒の初期症状によく挙げられる「急激な食欲の低下」がないのだから、心配するだけ損なのかもしれない。熱もないし。
しかし、早く完治させたいので、原稿も早く仕上がったし、大事を取って休んでおくことにします。もしかしたら2〜3日当記事の更新もお休みするかもしれませんが、御心配には及びませんのでよろしくどうぞ。
【今日の違和感】
「晩御飯」を「夜御飯」と言うようになった世代の境い目は何処?
2006年02月06日(月) 山積。
読みたい、或るいは読んでおかなければならないだろう本を買ったはいいが、読む時間がない。未読の本が自室の中にある状態というのは実に落ち着かない。
では、書く時間を減らしてでも読むべきなのだろうか。
読めば、これから書くものは確実にこれまでと違ってくる。その違いは誰にも判らないほど微細かもしれないが、確実に変わる。いまのままではよろしくないと思っているので、おそらく読んだ方がいい。
しかし、読んだものに似たものを書いてしまう危険性も多分にあるので、やっぱり書く仕事を済ませてからの方がいいだろうか。
というようなことを考えている間にも「読まない日」が増えていく。書かないと原稿は仕上がらないしね。
【今日の何れにしても】
雨の日に洗濯したのか、洗濯した日に雨が降ったのか。
2006年02月05日(日) 情熱の。
ぼくが通っているトレーニングジムは四階建ての建物の三階にあります。一階がプール、二階がスタジオルーム、三階がジムです。四階に何があるのかは知りません。おそらく管理事務所でしょう。
さて、年が明けてからというもの、昨年とは打って変わって体調がすこぶるよろしいぼくは今日もジムで二時間ほどトレーニングをして汗を流していました。その終盤、午前一一時頃です。デジタルプレイヤで音楽を聴きながらエアロバイクを漕いでいたら、突然だん!だん!と建物全部を揺らすかのような振動が断続的にありました。ぐらぐらっという地震のような揺れではありません。だん!だん!と、大勢が一斉に床を踏みならすような振動が足許から響いてきます。
あ。
そう言えば階下のスタジオルームでは、日曜日のこの時間はダンスを教えています。どうやらフラメンコを十数人で踊っている模様。
フラメンコはイスパニアの南方、アンダルシアで発達した、歌・リズム・舞踊が一体になった芸能です。日本では「歌だけ」、「舞踊だけ」と分けて捉えられることが多く、ぼくが通うジムが入っている施設でもカルチャースクールを開いて舞踊だけを教えているようです。
フラメンコは「下へ下へと大地に向かって踊る」と言われています。特に足裏全体で大地を叩き、大きな音を立てる踊り方は特徴的です。強く足を踏み鳴らすので、フラメンコ用の靴の踵は堅い木でできていて、更にゴムの緩衝材が付いていて、爪先と踵には釘が打ってあるそうです。
その独特の靴はおそらくスタジオルームでは履いてはいないのでしょうが、それでも二階のスタジオルームから見れば天井に当たるジムの床や壁を揺するほどの足の鳴らし方は、きっと随分練習した成果なのだろうと感じられました。そしてフラメンコというものがとても情熱的なことも。
ぼくはじっくりとフラメンコを見たことはありませんが、ステップのリズムと振動だけで情熱を感じさせる舞踊は、見ればきっとうっとりしてしまうほどのものなのだろうと思いながら、耳ではハードロックを聴きながらエアロバイクを漕いでいました。
一生懸命漕いでいたら、尻を擦り剥いちゃったよ。
【今日の靴擦れ】
いままでずっと「靴に咬まれる」というのは全国的に通じる慣用句なのだと思っていました。
2006年02月04日(土) 便利?
或るコーヒー専門店では、カップに下の写真のような蓋を問答無用無条件に付けてくれます。
ぼくは外でコーヒーなどを飲む機会もあまりなくてよく知らないのですが、これはアイデア商品ですか? ほかのコーヒー店でも使用されているのでしょうか。写真手前の小さく開いた穴に口をつけてカップの中身を飲むらしいのですが、これはちょっとした罠ですよ。
温かい飲みものをストローで飲んだことがある方は気付いていらっしゃると思います。
熱いところから細い通路を通して舌の上に飲みものを運ぶと、熱いのですよ。カップの縁に口をつけて啜ると冷たい空気も一緒に吸い込むので口の中に入るまでに幾らか冷めて滅茶苦茶に熱いことはあまりないのですが、ストローやこの蓋を通して飲むと、火傷するくらい熱かったりします。
給食のシチューをストローで啜って舌を火傷したおバカさんなんて学年にひとりやふたりじゃなかったでしょ?
充分に冷ましてから飲みましょうということなのかもしれませんが、それでは「冷めにくいように」との配慮であろうこの蓋の存在意義が薄れてしまうのでは。んんー?
【今日のいまのうちに】
世間は「純愛ブーム」らしい。……「イタコLOVE」を映画化するならいまだと思うが(?!)。
2006年02月03日(金) たとえば…たとえば。
毎度御世話になっております
木口アキノさんから「喩えバトン」をまわして頂きました。私を色でたとえると「アクアブルー」だそうです。静かに闇の中で光ってみましょうか。ぴかーん。
----------------------------------------------------------- ここから↓
Q1:自分を動物に喩えると?
A1:……ち……
ちよちち?
動物であって動物でない、しかし生物ではある……一ト言で言うなら「得体が知れない」とか「不可解」とか「謎」とか……多分、これが一番近いのではないかと。よく判んないけど。
Q2:自分を好きなキャラに喩えると?
A2:……ち、ちよちち? そうでなければ碇ゲンドウ。
常にサングラスと手で眼と口許を隠すという自分以外に対する臆病さや感情表現の不器用さ、年令相応の大人であるふりをしつつ幼児性が抜けきれていないところなど、他人とは思えない。
自分と似ているから、好きではないのですが。ちよちちは好き。
Q3:自分を食べ物に喩えると?
A3:東坡肉丼。
実在しませんがつくることはできます。東坡肉+丼飯。東坡肉と御飯の間には白髪ねぎを敷いて。簡潔単純にして腹一杯。
「東坡肉」は「トンポウロウ」と読みます。中国の、とても時間が掛かる煮込み料理です。東坡さんが最初につくった肉料理なので東坡肉です。東坡さんの気持ちが判るような気がします。
書きものをしながら豚肉を煮込んでいた東坡さん。つい書きものに夢中になって煮込んでいることを忘れてしまって、三日間も煮込み続けてしまったのだそうです。これが東坡肉のはじまりだとか。鍋が焦げつかなかったか東坡さん。
Q4:まわす人を色で喩えると?
A4:虹色虹色ぐーるぐる。はい、持ってってー!
----------------------------------------------------------- ここまで↑
今日の表題は渡辺真知子さんのシングル曲から。1979年発表。たーとーえーばー(じゃかじゃーん)たとえばたとえばたとーえばー(歌うなってば)。
【今日のたはは】
アベちゃんの「あたたたたたた!」は初代のイメージを損なっていなくていいななどと考えつつ聞いたメロディアスなギターの弾き手はやはりTAK。仕事を択ばない人です。
2006年02月02日(木) だらだらとで構わないので。
演劇なり映画なり小説なり漫画なりの「御話を伴ったもの」に同じように出会って、そのうち「窮めて遺憾な」作品に出会ったとき、「稀れなる愉しさ」を持った作品に触れたとき。
いつも思う。
件の作品について五時間ぐらい話し込んでくれる相手はいないものかな、と。
自分の意見が言えて、自分とは異なる意見に腹を立てることがなく、「御話」の構造が判っていて、「五時間話し込む」体力と時間がある人、随時募集中なのです。(使用言語は日本語に限る)
……現れないんだよ、これが。
【今日のそれを言う前に】
「パクリ」と指摘することはとても簡単。それよりも、指摘の対象よりももっと上手に模倣してごらん。
2006年02月01日(水) お腹一杯。
映画を観に行ってきました。今日は「ファースト・デイ」なので。
他所の街はどうなのか知りませんが、ぼくが住む街では毎月1日は映画の観賞料金が安くなります。1本1000円。観たい映画が複数あるし、こういうときでもないと街外れのシネマコンプレックスまで電車とバスを乗り継いで行くこともないので、えいやっという気持ちで行くことにしました。朝から雨でした。
観てきたのは「
博士の愛した数式」と「
THE有頂天ホテル」。午を挟んでこの順番で観たのですが、この順番で観てよかったです。
「近頃観ることができる映画」と「常々観たいと思っている映画」を観た、というのが観た直後の感想です。
「博士の愛した数式」。
映画を観ても、ドラマを見ても、漫画を読んでも、小説を読んでも、ぼくは先ず最初に「御話として」それを捉えようとするくせがあります。その視点からこの映画を観ると、「挿話の集まり」です。
勿論、御話というのは幾つもの挿話からかたちづくられるものでもあるのですが、この映画の場合は沢山の挿話が集まっているけれど、それ等は同じ人物が同じ設定で同じ舞台に出てきてその共通項は認識できるのだけど、その沢山がひとつの御話になりきっていない感じがしました。
観ていて愉しいのだけど、何かが足りない。絵や描写はとても上手なのだけど、御話を組み立てるのがあまり巧くない漫画を読むような。
そのもの足りなさは「原作を読んで補完しろ」ということなのかな、とエンドロールの最中にぼくは思いました。ぼくがここ1年ほどの間に観た映画というのは何れもそんな感じで、何か喰い足りない部分があって、原作があるものは原作を読まねば、という気になりました。今回この映画を観てもそう思ったので、近年、映画というものはそのようなものになってしまったのだと思ったのです。そのように思って観るなら、不満は残らないのだと思います。
でも、映画ってそういうものでもないのですよね。
「THE有頂天ホテル」。
観終わったときに「うわーお腹一杯!」とほんとうに両手でお腹を叩いてしまう、それくらいの満足感がきっと御覧になったどなたにもあるに違いない映画です。御話が緻密に組み立てられているのだけどその緻密さをまったく感じさせない、技巧と意匠が凝らされた構成にただただ感服です。
たとえて言うなら、長さが違う導火線が付いていて大きさもそれぞれ違う沢山の花火に時間差を付けて点火して、それ等花火が爆発していくさまを見ているよう。しかもその導火線は複雑にこんがらがっていて、どの花火が次に爆発するのか、いつ爆発するのかが予想できるようなできないような。予想したものが爆発したときは爽快だし、予想しないものが爆発すると吃驚できる。実に愉しい。
「御話を受け取る愉しさ」というものを久し振りに感じたように思います。
とにかく、考えなくていいのです。いつからか、御話を伴ったものはその御話について「いまの表現が意味するものは?」とか「この場面が言おうとしていることは?」などということを考えなければいけないものになってしまっていて、ぼくを含めたみんなは「御話を読む(紙媒体でなくても)とはそういうことだ」と思い込んでしまっていたのではないでしょうか。
この映画はそれをしなくても細部まで判るようにつくられているし、第一考える隙を与えてはくれません。では終始或る種の緊張を以て観ていなければならないものかと言えばそうではなく、一ト息つきたいときには一ト息つかせてくれて、盛り上がりたいときに盛り上がらせてくれます。見たいときに見たいものを見たいタイミングで見せてくれます。そういう意味で過不足のない映画でした。
エンドロールの最後に「End」の文字が出て、その瞬間に拍手をしたくてたまらなくなります。
贅沢を言えば、パンフレットにホテルの見取り図を載せてほしかった。載ってはいるのですが、とても小さい。
それから、パンフレットは変形版ではない方がよかった。本棚に収めにくいんだってば。
前半の憲二くん送別会の場面、大変な長まわしの上にカメラがぐるぐるまわっていてすごいですよ。
【今日の愉しい余録】
映画館のど真ん中の席でSTOMPの
ドルビー研究所トレーラーを観るのが好き。