2005年10月31日(月) 恐喝多発日。
みなさんの中に、今日恐喝(洒落ではない)された方はおられませんか。何でも、西洋の風習が日本に多少歪んで入ってきた御陰で、およそ尋常でない恰好をした上で「御菓子をくれなきゃいたずらするぞ」という恐喝行為に走る若年層が増加しているのだとか。
世も末ですな。
万聖節に聖なる悪魔が闊歩する。大人相手にプチ強盗を働く輩は悪魔ですよ悪魔。オトナとしましては断固対抗する心づもりで(オトナゲない)。
【今日のトートロジー】
何者なのかよく判ってはいないのだが語感が不思議なので何度も口に出してしまう「ジャンドゥーヤ」。唱え続ける「ジャンドゥーヤ」。意味なく呟く「ジャンドゥーヤ」。
2005年10月30日(日) うらはあってもおもてなし。
突然ですが、漢字の四字熟語を三ツ、挙げてみてください。何も考えずに、思いついた順番に三ツ。できれば故事成語がよいですね。たとえば「福沢諭吉」などは漢字四ツで成り立っていますが、「熟語」として認めたくないです、私としては。
さて、三ツ挙げられましたか。
その挙げた三ツの四字熟語は、思いついた順番に
「あなたの人生観」
「あなたの恋愛観」
「あなたが死の直前に自分の人生を顧みたときの感想」
を表すと言われています。
「心理テスト」と言えば心理テストだし、「占い」と言えば占いだし、「ただの言葉遊び」と言えば確かにその通りです。
何れにしても、あなたは「当たってる」若しくは「当たってるかも」と思ったでしょう。これは、そういうものなのです。もっと言ってしまえば、「心理テスト」とか「占い」というものは「概ね誰もが当てはまることを曖昧に言い当てるもの」なのです。
また、この、えーと、便宜上「心理テスト」と呼びましょうか、この心理テストの最重要メタファは「四字熟語」です。四字熟語のほとんどは冒頭にちらりと申しました「故事成語」であります。つまり、ちょっと教訓めいた御話がくっついている訳で、大抵は「戒め」を含んでいます。
そういった、「万々歳ではない、少し教訓めいたこと」を「曖昧に」提示されるとちょっとした占い好きや心理テスト好きの人は「いやん、このテスト(占い)すっごく当たってる!」とか思ってしまうというバーナム効果のおまけ付き。
こういうものは構えずに「話のタネ」くらいに受け止めて、みなで笑うのがよござんしょうね。
ちなみに私が思い浮かべた四字熟語は順番に、
「支離滅裂」
「言語道断」
「森羅万象」
でした。どんな人生(恋愛)観ですか。振り返った人生が「森羅万象」って何ですか。
という草稿を書いた直後くらいに受信したメールマガジンにまったく同じネタが掲載されていてどうしようか迷った末にそのまま掲載してしまうところが「支離滅裂」なのでしょうか。
【今日の既視感】
アブラ○ンジって、スタ○リーだよ!
2005年10月29日(土) 予想し得たのだけどできなくて。
先月の渡航から早や二箇月近くが経とうとしています。手術を受けるためにすべての薬物及びサプリメント類を断って、何つーか、ピュアな身体になったはいいけれど、抱えていた病気までもが身体から去ってしまった訳ではないのですね。
ここ一〇と数年ずっと悩まされている不眠は薬をやめてもやっぱりずーっと続いているのです。帰国してから「暫く(薬の類いを)服んでいなかったから、よく効きますよー」などとかかりつけ医に言われながらもこの十数年で服んだことのないような軽い眠剤を処方して貰って服んでみたものの、案の定効かないのですよ。効かないので効かないと報告して、結局昨日、渡航前に服んでいた薬を再び処方して貰いました。
したら効き過ぎちゃって。
寝つきもいいなら持続時間もたいしたものです。日付が変わる頃に服んだ眠剤が翌日没までずっと効いているのですよ。眠くて眠くて原稿どころの話じゃありませんでした。身体を起こしていられないほどの眠気だったのでとっとと眠りました。
こんなに眠りやすい身体になっていて、それでも薬を服まないとまったくと言っていいほど眠れないので、今夜は昨日と同じ薬を半分だけ服んでみようと思います。以前服んでいた薬は渡航を機会に全部処分してしまいました。旧い薬を取っておくと便利なこともない訳ではないですが、危険なことの方が多いので。発作的にまとめ服みしてしまうとか。
【今日の自分への叱咤】
もっと危機感と緊張感を持て!
2005年10月28日(金) 「優先順位」と書いて「プライオリティ」と読ませては駄目ですか。
「やらなければならないこと」と「やるべきこと」と「どうしてもやりたいこと」が同時にぼくの手の中にあります。その何れもを「やりたい」と思ってはいるのですが、沢山の仕事の前にぼくの身体はかなり混乱を来してしまっているようで、巧く動きません。
コンピュータで言うと「コンフリクトを起こしていて処理がとても重くなっている」状態です。多分。
何とかして手許の仕事に優先順位をつけてその順番にこなそうとはするのですが、こういうときというのは、ほんとうにコンピュータのように処理が重くはなっても何とかそのタスクを済ませてしまえればいいのに、「やらなくてもいいこと」に手を出してしまったりするのがぼくという人間の駄目なところです。
「やらなくてもいいこと」は結構順調に進んで、ほんとうにやらなくてもよくなりました。
いい加減逃避行動はやめて先ずは「やらなければならないこと」を済ませてください。と、自分に頭を下げてみますが、そんなに頭を下げられてもできないものはできないんだもんな、と思っている自分も確かにここにいます。
取り敢えずは末日締切の原稿を何とかしないと。
【今日の年令を重ねても】
シュークリームは鼻の頭にクリームを付けないと喰えないのですよ。
2005年10月27日(木) 現実と現実性。
よくある「フィクションの、事実に即していない部分」が事実に即していないことを前面に出そうとして、事実に即したものを書くと「リアリティがない」などと言われてしまうことが往々にしてあります。決して稀れなことではなかったりもします。
つまり、現実を現実のままに書くと「現実性がない」と言われてしまう訳です。
「事実は小説より奇なり」と言うけれど、そうでなければ納得しないのが読者であり、読者を満足させなければならない編集者というもののようです。あまり突飛なことが現実に起きると「まるで小説みたい」などと驚くけれど、さほどドラマティックでもない、小説としては意外と言えるあっさりとした展開が小説の中に起きても「おもしろくない」ということになってしまう奇怪な現象。
小説に必要なものは「現実」ではなく「現実性」なのです。現実に起きることがどれほど奇怪な事象であっても小説の中で現実性があるならそれは「現実性があること」なのです。
現実をそのままに伝えようとすると「現実性がない」ものになり、現実性を持たせると「現実」から遠ざかってしまう。短絡的なことを言ってしまえば「うそをつく」ことが「現実性」を生み出すということです。
こんなことはいま更言わなければならないような重大なことではなくむしろ当たり前のことなのですが、それでも虚構を通じて実際を伝えたい者には大きな壁なのです。
【今日の感心】
御菓子メーカー所有の球団が優勝してチョコレートを無償で配っていて、その球団監督の名前が「バレンタイン」て、ようできた話やな。これは「現実性」? それとも「意外性」?
2005年10月26日(水) がんばっている人に。
「基本的に毎日更新」を旨としている当頁ですが、二日も停滞していて通ってくだすっているみなさまには大変申し訳ありませんでした。女子大生と密会(「密」でもない)したり、季節の変わり目の御約束通りに風邪を引きかけたり目眩が来たり、著しく腹が減ったりしていました。
あんまり腹が減るので今日はモダン焼きを喰いましたよ。配達させて。うひー何て贅沢。
さて、ちらりと申しましたように一昨日は卒業論文執筆中という女子大生と会ってきました。その卒論のテーマにごく近い場所にぼくがいるので御話させて頂いた訳です。このお嬢さんがとても元気な人で。
お住まいは関東地方なのですが、論文のために国内外をあちこち行ったり来たりしているそうで、そんな中、大阪を経由して当県まで来てくだすったのです。来るなり聞き取り調査をして、その足で和歌山城の天守麓まで登ってから帰途に着きなさいました。「元気」という一ト言で片付けてしまってはいけないような気がしています。
その卒論お嬢さんを案内してぼくも一緒に和歌山城址を散策したのですが、天守麓から見える紀ノ川の夕焼けを、彼女はとてもよろこんでくれました。うれしそうに「きれい」とはしゃぎながら携帯電話のカメラ機能で写真を撮ったり。その耳許に、ぼくは囁きました。
「あの夕陽の直ぐ傍に見えている煙突がある建物、あれがごみ処理場だなんていまは言わないけどね」
いつもいつでも夢や希望や感動を壊すためにぼくはいるのさ。ふふふふ腐。
【今日の度々】
違う人だというのは判っているのですが、堤真一さんと筧利夫さんをよく間違えます。
2005年10月23日(日) そのままで。
巷は本日休日で、ぼくの友人も勤め先がお休み。貸したDVDをわざわざ返しに来てくれた。過日の当記事で「二〇〇円くらいのいいシャープペンシルを買おうかな」などと言ったので、事務機の卸問屋に勤めるその友人はシャープペンシルをプレゼントしてくれた。
「しめて六〇〇円」相当のシャープペンシル、だそうだ。「しめて」ね。「ちょっといい」シャープペンシルだと六〇〇円くらいするので、それに相当する売価の試供品を「まとめて」くれた訳です。それぞれだと一〇〇円、二〇〇円、三〇〇円と三ランクのヴァライアティ。流石事務機屋。
取り敢えずうれしいので礼を言って束を解こうとすると「せっかく六〇〇円なのにばらばらにして安くするつもりか」と文句を言いやがった。……馬鹿者ォ、一度に三本の線が引けても有難かねーんだよう。でも有難う。
その後、
ランドウォーカーが一般販売されるためには何が必要なのかを一時間強、真面目に討論する。
「すり足歩行でなく膝を上げての動歩行をするようになれば速度も出るし段差なども……」
「そのためには姿勢制御の部品やプログラムが……」
「強度や耐久性や軽量化の必要性を考え合わせると装甲の材質は鋼板よりも樹脂製の方が……」
「そうするとコスト面が……」
「ホ○ダがこの技術を買い上げて量産すれば……」
などなど。
ロボットが二足歩行なんてできたところで複雑な制御や細かい部品が必要なだけで工業製品としては無駄なのだけれど、ど素人のぼく等でさえ真剣にこんな話をするのだからマッドな科学者たちが論じていない訳がない。「
機動警察パトレイバー」を現実にしてしまうのも遠い未来ではないだろう。
こんな風にネタとともに現れて、少し非現実的なことを真面目に話し合ってくれて、「銘柄は何でもいいからとにかく旨いコーヒーを買ってこい」なんて我が儘を聞いてくれる友人がいるということは、ほんとうにとても有難いことです。
【今日の仕事ぶり】
末日締切分一本仕上がり。がんばった。
2005年10月22日(土) 空腹感がある訳でもないのに「腹減った」と呟く午後に。
あれやこれやで地球だってまわるんですよ。
あれやこれやでやることが沢山ある私も今日は締切がある原稿を書いていました。なかなかエンジンが掛からない私ですが、午から日没まで掛かって何とか三分の一本ほど書きました。「三分の」が付いてしまうところが哀しさを醸していますが、遅筆の私にしてはよくやったと思います。
……思っておかないとさー。
近頃「集中する」ということが難しくなってきて困っています。トレーニングにしろ原稿にしろ集中してやらないことには大変なことになってしまうのですが、集中するのに時間が掛かったり、時間を掛けても結局集中しきれなかったりということがしょっちゅうです。
私の亡父が晩年に「年のせいで根がなくなってきたから根のものを喰わなければ」と言っては蓮根だの大根だのをたびたび喰っていましたが、自分もそうしなければならなくなってきたのかな、などと、そろそろ鍋ものが恋しい冷たさの風が吹く晩秋の街を遠目に見ながら思いました。
【今日のそう簡単には】
誰にでも書ける訳ではない。だから「作家」だとか「小説家」だとかいう職業が成り立つんですよ?
2005年10月21日(金) かきかきかきかけかき。
あれやこれやあっちこっちどうしたこうしたと悩んでいる暇があったら、書きなさい。
間違っていてもいいから、書きなさい。
判んないままでいいから、書きなさい。
もの書きが書かなくて、どうするの。
と、改めて自分に対して思った本日でした。確か一〇年前にも同じことを思ったよ>自分。
書いたからってそれが何かになるかと言えば必ずしもそうではないのだけど、書かないよりはずっとましなのです。
沢山心地よく書くためにも、いいシャープペンシルでも買おうかな。二〇〇円くらいの。
いま使っている芯ホルダーがぽろぽろ外れるやつはタダなんですよ。まだ学生だったときに貰ったやつ。タダより高いものはないというのはほんとうなのかもしれません。
いま二〇〇円で「いいシャープペンシル」って買えるのかな? 構想のときにしか使わないけど。
【今日のヒロイズム】
苦しみながら「苦しんでる自分って恰好いい」と、思ってない?
2005年10月20日(木) わやくちゃ。
ぼくが書いたものに足りないのは「ストーリイ」と「意外性」なのだそうです。改めてそう言われてみるとまったく以てその通りなので嘆息するしかありません。しかし、ひとつの御話としてそのふたつが欠けていることは致命的ではないでしょうか。
……ああ、そうです。致命的です。そのように御指摘も頂いております。
基本的に「自分で何とかするしかない」事柄なのですが、誰かに相談に乗って頂きたいのも確かです。でも、こんな相談、いったい誰にすればいいのですか。誰に相談したらいいのか判らないことは誰に相談すればいいのですか。
物語を読んだ数も書いた数も多くて、物語の構造を判っていて、自分の好み以外の視点で物語を捉えることができて、他人の愚痴を聞くのが嫌いではない人がいれば。
そんな人、私の近くにはいなさそうです。いたら手を挙げて教えてください。
【今日の進捗状況】
そして締切がある仕事が先送りにされる、と。
2005年10月19日(水) かなしひ。
仕事が行き詰まっていますし、筋肉も刺激しっ放しではなくときには休ませないといけませんので、今日はトレーニングジムをお休みして朝からずっと机に向かっていました。
何時間も机に向かっているものの作業は進まず、身体は怠くなるばかり。くたびれます。運動して身体を動かすと疲れはしますがくたびれはしないのですよ。仕事はくたびれます。判りますかね。
くたびれて午前の仕事終了。ということにして届いた御弁当の蓋を開けます。さあ喰うぞ、と割り箸を割……。
この瞬間、私の頭の中には「ツィゴイネルワイゼン」が流れました。ひどい。あんまりだ。
【今日の寂しさ】
仕事机と食卓が同じというのはもの寂しくもあります。外食に出掛けるのはただの贅沢ではなく気分転換でもあるのですね。
2005年10月18日(火) 借金はありません。
今日は首がまわりません。筋力トレーニングの際に何処かで何かを間違ったらしく、左側を向くことができません。向くと左肩の背中側がひどく痛んで「いてててて」と声を上げなければならなくなります。
右側には顔を向けることができますが、やっぱり左肩が少し痛みます。
これでは「ライヴをこなすための体力をつくろうとして筋力トレーニングに励むも筋肉疲労のため喉の筋肉が緊張してしまって声が出なくなってしまった」某アーティストを笑えませんよ。
明日は首がまわりますように。
首がまわらないだけでいろいろなことができなくなってしまいます。
【今日のほっと一ト息】
GABAのビター、とても旨いのですが、旨いので沢山食べてしまう危険性高過ぎです。
休憩に一ト粒食べる、くらいがよいのでしょう。
2005年10月17日(月) おべんとおべんとうれしいな。
今月から昼食に給食弁当を取っています。いよいよ事業所らしくなってきました我が事務所。一食三五〇円でこれだけ喰えたら充分ではないですか。
今日の献立はヒレカツ、小芋のそぼろ煮、大根と昆布の酢のもの、スパサラダ。これだけを自分でつくろうとすると三五〇円では済まない上に時間も手間も掛かります。この御弁当が毎日届くんですよ。うれしいですねえ。
午前中はトレーニングジムで身体を動かして汗をかいて、帰宅してこの御弁当を頂いて、午後から就寝までの間に仕事をします。仕事と言っても、最近やっているのはどれも金銭にならないものばかりでアレがナニなのですが。
【今日の驟雨】
私が外出している時間限定。
2005年10月16日(日) ひとこひしさに。
仕事場の模様替えも一段落しまして、落ち着いてみたら秋の空気は肌寒くなっていて……少しもの思いに耽ってみたりしました。
ちょっぴりアンニュイでセンチメートルなアナタのラッキーアイテムは昆布。今夜は昆布を身体に巻きつけて眠ってみてネ。翌日、意中の人はきっとアナタに声をかけてくれるハズ。「こいつ昆布くせえ!」って言われても気にしちゃダメ☆
……と、乙女向け占い雑誌の似非記事のようなことを。
こんな阿呆なことを考えなくてもよいように、どなたか秋の夜長を私と語り明かしてはくださいませんか。何故だか今年はやけに人恋しいのでございます。
いままでは可能な限り人間と対面することを避けてきたのにね。
【今日のもの忘れ】
毎日「弁当の写真撮らなきゃ」と思ってはいるのですが、実物を眼の前にすると喰うことしか頭になくなってしまいます。
2005年10月14日(金) 模様替え。
仕事の環境を調えて作業効率を上げる試み。仕事場の模様替えを一念発起してはじめました。ぼくの仕事場で仕事をする人はぼくひとりなので、模様替えもぼくひとりでしなくてはなりません。
いつも書きもの作業に使う作業机を冬仕様に変えることも模様替えの目的のひとつです。いま使っている作業机には暇をやる心づもりで、散らかり放題の机上を片付けて、テレビやコンピュータシステムを移動して結線をやり直して、移動したものやものを退かした台の上を拭き掃除して、掃除機を掛けて……午後一杯を使って半分が終わりました。
午前中は午前中で、かかりつけの心療科医に定期通院に出掛けて、ついでに模様替え後に必要になりそうなものを見つくろいにホームセンターにも立ち寄ったりして、しかも三軒ほど梯子したもので自転車で街中を東奔西走していました。
くたくたになりました。ぐったり。今日は仕事をお休みしてもいいですか。
……こういうのを、もしかして「本末転倒」と言うのでしょうか。
【今日のあのね】
素人さんには判らない工夫をするのがプロの仕事のひとつなのですよ。
2005年10月13日(木) 一日中電車に乗っていたような気が。
大阪の某医大病院のジェンダークリニックに行ってきました。行き掛けから難あり。
JR阪和線が「信号機のシステムダウン」だとかで途中の駅で止まってしまって、ぼくを含む乗客は別の車両に乗り換えるために途中下車させられて、乗ってきた車両はそのまま車庫へ。
次にやってきた車両に乗ればよいのかと思いきや、それも乗客を降ろすなり車庫へ。
中途の駅で降ろされてしまったぼく等乗客はプラットホームに長々と列をつくって目的地まで行く車両を待ちました。
幾つかの車両がプラットホームに着いて、扉が開かないままにJR職員が客席を改めていて、ぼく等はそれを見ていることしかできません。
―――システムダウンって、ほんとうかな。
―――実はテロ予告があって、いまJR職員が客席を見まわっている車両には新型爆弾が仕掛けられているのかもしれない。
―――そんなことを明らかにしたらパニックになるから情報が制限されているのかもしれない。
―――混雑するプラットホームをよく見ると怪しい動きをする人影があり、それに気付いたもと特殊部隊兵の“俺”はそいつを追い、爆弾の設置場所を吐かせて解体し爆破は防いだものの、国家規模の陰謀を企てる闇の組織に尾け狙われるようになり、たったひとりで戦う破目に……。
などと、柘植久慶先生の小説のようなモーソーをして愉しく待ち時間を過ごしました。モーソーはよろしいね。タダだし愉しいし時間は沢山喰うし。某医大病院には三〇分遅れで到着。
一ト通りの検査が終わってしまって診断が確定してしまうと、ジェンダークリニックではこれと言ってすることがなくなってしまいます。主にカウンセリングが必要なのですが、ぼくは地元の心療科医でサポートして貰っているし、わざわざ沢山のお金と時間を掛けて一〇分や二〇分の雑談をしに行くまでもないでしょう。
という担当医先生とぼくとの意見が一致したので、「何か」あるまでは通院しなくてよいことになりました。
次回以降の性別適合手術は某医大病院で、と考えはしたのですが、「お幾らですか」と医事課で訊いてみて眼ン玉飛び出ました。西川きよし師匠になるかと思った。
海外はやめておくべきかな、と先日の経験から思ったのですが、国内での手術はタイでの費用の二倍掛かるのですよ。
こんな訳で国内での手術は保留ということにして、状況に変化があるまでは通院はお休み、ということになりました。そう言えば今年の五月に「治療のガイドライン」の新しい版が出ると言っていたのにまだ出てませんよね、という御話をしたら「まだなんですよ。いつ出るんでしょうね」とぼくが医者先生に訊かれてしまいました。
【今日の大発明】
逃げて隠れる目覚まし時計。こういう発想は大好きだ。これがとんがり帽子を被った小さな人のかたちをしていて物陰で「ふふふ」と笑う機能が付いていたら買うかもしれない。
2005年10月12日(水) 天ぷら。
二、三週間に一度くらいは顔を見せておかないと、実家の母がやたらと心配してくれる。これから当分は作業が詰まって立ち寄ることもできなさそうだし、日用品の買い出しのついでに実家に寄ることにした。
ぼくが顔を出した時間は夕方、母は台所で天ぷらを揚げていた。
母は加齢のため骨が弱くなり脚が痛むし喘息持ちだし、ぼくは時折持病のために寝込んで動けなくなることがあるしで、会えばお互い「調子はどうよ?」と訊ね合うことになる。そんなことからはじまり、身の周りの変化や見聞きしたニュースなどについて話しながら、ぼくは天ぷらを揚げる母の姿を見ていた。
揚げものがそろそろ終わるかという頃、母は揚げたてのきびなごの天ぷらを二尾だけ、ぼくにくれた。きびなごは小さな魚だけど身が真っ白できれいで、食べるとほくほくとして旨かった。
「旨いな。きびなごは身がきれいな。食べさせて貰えてよかった。旨いもの喰うとうれしいな」
そんなことを、多分ぼくはたどたどしく言った。すると母は、
「そうか、うれしいか」
と笑った。
「うれしいな。うれしいことが沢山あると倖せな」
そう答えたとき、ぼくは確かにとても倖せだった。
【今日のミステリ】
午後の時間が深くなるに連れ、喉が締まって苦しくなってくる。自分の身体だが、どうにもならない。
2005年10月11日(火) ささやかに巨きな。
自分が書いたものが確かに誰かに読まれている、それが判るだけでも、単純にうれしいですよね。
もの書きが書く第一の目的は「誰かに読んで貰うこと」なのですから。
【今日の一番早い締切】
明後日病院に提出する書類を忘れていました!
2005年10月10日(月) おはながなー。
遠足に行ってきました。学生時代からの友人と自主的に。秋には秋の花が咲くから花が咲いているところへ行って花見弁当でも喰ってみようと。
今日一日、当地方はほとんどの時間が雨だったのですが、私どもが出掛けて食事する頃だけは降らずにいてくれました。
こんな感じで秋桜なども咲いていて、その周囲では蜜蜂が一生懸命仕事をしていました。働き者だねえ、などと感心しつつ見ていました。
ま、当たり障りのない写真はこれくらいで。
私どもが行ってきた緑花センターという県の施設には上のような謎のオブジェがあったり、
このような和柄の謎の木の実がなっていたりして、そこそこ笑かして頂いたのでした。
花はきれいだったし弁当も旨かったし、直ぐに雨に降られはしたものの、愉しい時間を過ごせましたよ。
花を愛でることができるくらいの気持ちの余裕は持っていたいものだと、常々思っております。
【今日のちょっと冷静になってみれ】
マッチ箱−近藤真彦完全生産限定シングルコレクション−うわ! こ、こんな……買うかも(青春のはじまりは80年代)。
2005年10月09日(日) ぎすぎすぎすにや。
逃避行動中。昨日浮かんだ草案を今日も練り練り。そろそろコンテに取り掛かれそうなところまで進んでいます。トレーニングジムでエアロバイク漕ぎながらとか、自宅で掃除機掛けながらとか、理髪店でバリカン掛けて貰いながらとか、ずっと考えていました。でもこれ原稿料出ないんだよねー。
……締切があって原稿料が出る原稿から先にやりなさいって。
昨年一年間は、素直で気が弱めの坊やとか元気で前向きなあんちゃんとかが出てくる、割りとポジティヴな感じのものを書いていたので、今度はぎすぎすした救いようがない感じのものを書きたいと考えています。
ほんとうは陰惨な感じの、ぎすぎすどろどろしたのが好きなのですよ。そういう筋立てを考えていると何だか顔がにやけてきますねえ、えへふふふ(危)。
巧く制作を続けられるかどうかは副業(哀しきかな現在の主収入源はこちら)の具合いに掛かってきますが、巧く行ったとしてもこれは直ぐには仕上がりそうにありません。もともと長編ばかり書いてきたもので、長編用の筋立てをつくるくせが付いてしまっています。できるだけ短くまとめても、二〇〇枚は越えそうな感じ。
そういうこともしたい一方で、ブラッドベリだとかK・ディックだとかハインラインだとか、学生時代に読んだSF作品を再読したいな、などとも考えている文学の秋であります。
【今日の納得】
理髪店で仕上がりの鏡の中を見た途端に呟いた。
「怖いぞ、このおっさん」
2005年10月08日(土) やる気とがんばる気の間には。
調理する環境が少しよくなったのでいろいろなものを、とは思ってはいるのですが、漠然と「いろいろ」と考えるだけで具体的には何をつくって食べればいいのか判っていません。……考えるのが面倒なのですよ。献立をつくるための基礎智識も不足していますし。
このような次第で、献立を考えてくれる人が近くにいればいいなあ、なんて考えています。「飯をつくってくれる人」とか贅沢なことは言いません。調理は面倒がらずにやりますから、献立を。
不意に草案が浮かんでしまったので、それを一日中練り練り。半ばぼーっとした状態で御話の概型を考えるのも、考えていることのかたちが少しずつはっきりして「物語」の体裁になってくるのも、愉しいです。
でも、この作業はとても沢山の時間を使う割りにあまり進行しないし、手許に「眼に見えるかたち」として何も残らないし、何よりほかの仕事ができなくなります。
つまり傍目に見るとぼくは今日一日ぼーっと何もせずにごろごろしていたように見える訳です。締切がある原稿を放ったらかしにしてそんな状態だった訳ですから、ほぼ何もしていないのと同じなのかもしれませんが。
これは、やっぱり逃避行動なのでしょうか。どう考えても、締切がある原稿の方がプライオリティが高いはずですよね。「ばりばり書いてばりばり稼ぐぞー!」という気持ちは充分にあるというのに、どうしてやらないんだ>自分。
【今日のだけども】
つくるのもよろしいですが、読む方もがんばりたい。と思うのだけれど、全部やるには「時間」が足りない……。
2005年10月07日(金) 二〇年遅れの。
ぼくには反抗期がありませんでした。思春期というのは何かと苛々してもどかしくて、誰かに何か言われただけで確たる理由もなく反抗したくなるものなのだそうですね。ぼくにはその経験がないのですよ。
心理学によると反抗期がないと精神面の何かが欠落した人間に育ってしまうらしいのですが、自分を見てみると実際にそうなのだろうなと思います。
それはさておき。
その、思春期の苛立ちだの焦燥だのを、たったいま感じているように思います。しかし、ぼくも年令だけは喰っていてそれなりにオトナなので「確たる理由もなく」という隠れ蓑に隠されたその理由は自分で推測することができています。
「何かをやりたくてとにかく動き出したくてじっとしていられない自分」と、「何かやりたくてうずうずしている自分がいることが判っていながら、具体的には何をしていいのか判らなくて困っている自分」が、ぼくというひとりの中に同時に存在していてコンフリクトを起こしているのでしょう。おそらくこれが「思春期の苛立ち」の正体ではないかと思うのですが、違うのですかねえ。
ぼく自身は二〇年遅れの思春期として捉えているのですが。
いまぼくが抱えている苛立ちだの焦燥だのは、「具体的な何か」を見つけ出してそれに取り掛かってしまえば解消されるものとは思いますが、その「何か」はおそらくきっと、ぼくの「いまやらなくてはならないこと」とは別のことなのですよ。
この場合は「何か」が見つかった方がいいのでしょうか見つからないのが身のためなのでしょうか。むう。
【今日のいつかは】
会ってみたい人がいます。一度はお会いして御話させて頂きたいと思っているのですが、申し出たら会って貰えるかな……特段何の話をしたいというのはないのだけれど。
2005年10月05日(水) さみすい、かも。
しとしと雨が続いていて、空気が冷たくなってきました。そのせいなのか、秋という季節のせいなのか、それともコイビトタチの姿をよく見掛けるからなのか、しみじみと「寂しさ」というものを感じるようになりました。
いままでこんな気持ちになったことはなかったのにな。
何だろ。何だろ。あれー。
何だか不思議な気持ちです。「孤独を感じる」のとは違う寂しさです。こういう気持ちははじめてかもしれません。自分だけでは、どうにもならないのかも。
という訳で。
どなたかお付き合いを前提にぼくと知り合ってください(何だそれ)。
【今日のほんとうの理由は】
新しい抱き枕がほしくてカタログを見ていたせいかなあ。
2005年10月04日(火) 秋霖の午後に。
さーて気候もよいことだしちょっと(かなり)やっつけっぽいけど気に掛かっていた作業も済ませたし、ばりばり仕事するぞー!
……と思っていたのですが、ざーざー雨が降り出すし、いざ仕事の態勢に入ると急激にテンションが下がってくるし。雨が降っても仕事はできるんですけどね。むしろ、こもって仕事をするときの大雨は歓迎です。
「やらなければならないのだけど、やりたくない」仕事ってのが一番厄介ですね。「やらなくてもよいが、やりたい」仕事と同じくらいの停滞振りを見せてくれます。
……別名義の仕事をしなくてもよい生活を心底望みます。
「やりたくない」のは、いま抱えている仕事に情が持てないからなのでしょう。仕事そのものよりも「情を持つ」ことに主眼を置いてみることにします。
「情を持つ」ことを努力する一方で、「情を捨てる」努力も、ぼくはしなくてはなりません。
既にぼくの手から離れたはずの者たちが、ぼくの仕事の手を止めることがたびたびあるのです。彼等にはそれぞれ自分の生活があって、ぼくはそこに介入できる訳ではないのに。彼等は既にぼくを必要としてはいないのに。
「いい加減オトナにならなけりゃさあ」と、ちょっと大人びたヤツが遠くから苦笑混じりにぼくに言います。判ってるよ、と「あの頃」のヤツに似た乱暴さで言い捨ててはみるのですが、ぼくはなかなかそれがうまくできないようです。
【今日の記憶の底で】
風呂上がりに飲むのはやはり「りんご水」だ、と思っています。
2005年10月03日(月) 告知っぽいことを。
えー、先月行ってきましたバンコクでの体験をブログにまとめました。かなり大雑把な文しか書いていなくてその点は後日修正するかもしれませんが、内容は大きく変わらないはずです。
トップページの左下に入口があります。興味がおありのかたはどうぞ。
この10日ほどの強行軍で仕立て上げたもので、大変ぐったりしております。今日はこの辺で。
……これで明日から本業に専念できる(ヲイ)。
【今日のこざっぱり】
やっと粗大ごみを出してしまって、部屋が広くなったよ。
2005年10月02日(日) ロボットがいる風景。
ぼくは掃除が好きではありません。あまり家事を進んでする方でもありません。
それでも食事の用意はしないと喰えませんしやりはじめるとそれなりに愉しいのでやりますし、洗濯は気が向いたときに洗濯機のスイッチを入れておけばあとは勝手に洗濯機がやってくれます。
掃除は……やらなければならないな、とはいつも思うのですが、なかなか手を付けません。
何がいけないのだろう。考えてみると、掃除機を狭い部屋の中で振りまわさなければならないのが煩わしいようです。はー、小さい掃除機を買った方がいいかな、しかし、小さい掃除機は吸引力も小さそうだしな。そんなことを考えていた或る日、床の上をくるくるまわりながら移動している円盤状の機械がTVに映っているのを見ました。
それは「ロボット掃除機」。床の上を自走して、障害物を回避しながら掃除してくれる夢の機械らしいです。
でも、「障害物を回避」ということは、テーブルなんかにぶつかったらテーブルはよけて、何も置いていない床だけを掃除してくれるんですよね。「テーブルの下」は掃除してくれないんですよね。
それだったらうちみたいな狭い部屋にキミは必要ないな。などとTVに向かって呟くぼくに「そんな狭い部屋ならとっとと自分で掃除機かけろ」という天のツッコミが入ります。
……ぼくだってそれが判らない訳じゃないんだよ。
これでも10年前はぼくは掃除屋をやっていて、使命に燃えて仕事していたのです。ぼくが掃除していたのは一般家屋でなくテーマパークだったのですけどね。
「万能フランク」がうちのこと諸々をやってくれる日は、くるのでしょうかねえ。
【今日のおたのしみに】
先月末日で応募を締め切りましたバンコク土産プレゼント、当選者のみなさま宛てに本日発送致しましたので、到着をお愉しみに。
2005年10月01日(土) またはじめるよ。
今日からトレーニングジム通いを再開しました。とは言っても、以前と同じ重さのウエイトを挙上するのはまだ怖いので、だいたい以前の半分くらいの重さからスタートです。腹筋運動と背筋運動は直接腹の術創部分に負担が掛かりそうなので控えています。
有酸素運動を中心に先ず一ト月はゆるゆるとやっていくつもりでいます。
今年に入ってからずっと同じジムで一箇月券を購入して利用していました。先月受けた手術の準備の関係で、8月末辺りから通っていませんでしたから、今日はまるまる一ト月振りだった訳です。窓口の係員さんが「お見えにならなかったのでどうされていたのかと思ってました」なんて言ってくださいまして、恐縮しました。ぼくはあなたのことを憶えてはいなかったのにな、なんて。
「あはは、ちょっと入院してたんですよ。お腹切ったんで、休んでいました」
「えっ、大丈夫ですか!」
「多分大丈夫です。ぼちぼちやりますから」
などと話していて、何故腹を切ったかを訊かれなくてよかったと思いました。
「子宮と卵巣を取ったんですよ」
とか
「二、三年後にまた手術する予定です。今度は腹じゃなくて股を切るんでちょっと怖いですねえ」
とか、言えませんしね。言う必要もありませんが。言われた方も困るでしょうし。
久し振りに筋肉に刺激を与えると心地よい疲労感があり、汗が出ると悪いものも出てしまうようで気持ちがいいです。自分が思う動きができるというのはとても有難いことです。気分がいいな。
で。さっぱりして帰宅したのはよろしいが、何かと雑用ばかりしていて仕事に手を付けられませんでした。駄目じゃん。明日こそは!……と明日も言わないように気を付けたいところです。
【今日のよろしくない】
書きもので行き詰まると煙草に逃げてしまうくせを何とかしないと、です。