2005年08月31日(水) 熊願望。
「痛くないホルモン注射」に出会ってから体毛の成長率が急上昇しまして、やっと髭が生えるようになってきました。いえ、それまでも生えなかった訳ではないのですが、「髭」というよりは「根性の入った産毛」程度のものしか生えなかったのです。
それがここ一年で「三日放置すると他人さまに会うのが憚られる」くらいに生えるようになりました。やはり「痛くない」というのが重要なのですね。というのはうそで、ほんとうはホルモン剤の投与量が適正値に近付いたからです。
憧れの髭。私の目標は「熊おじさん」なのです。半端に筋肉が発達した、ラウンド髭(口の周囲を囲むように蓄える髭)を生やしたちょっと怖そうな(実は怖くない)おじさんになりたいのですよ。これは幼い頃からの望みで……そこの人、笑ってはいけません。
ただいま思春期の少年に似た生え方ですが、もう暫くすると蓄えられるほどに生えてくるだろうと、髭の整え方を調べてみました。
調べてみて、悲しい事実に出会いました。髭は、世の中では「無駄毛」として扱われているのですね。無駄なんかでは決してないのに。
「無駄なもの」として扱われるがためか、私が見つけた「髭の整え方」と題された記述はすべて「剃り方」であって「蓄え方」ではなかったりします。しかも、調べていくうちに行き当たった或るアンケート調査では、女性の大半は髭を「汚いもの」と思っているという結果が出たのだそうな……熊おじさんに市民権はないのですか。
いや。いやいやいや。古今問わず髭のダンディさんは決して少なくありません。東郷平八郎元帥もパパ・ヘミングウェイも素敵な髭ダンディです。
私は諦めません。何れ髭の熊おじさんになります。厭がられてもいいんです。なりたい自分になります。なるっつーたらなるんじゃーうわーん。
【今日の不眠】
長時間眠ったって睡眠不足にはなるんだよ。
2005年08月30日(火) みかん舟。
家族の者が
南紀白浜に行ってきました。一泊してきたらしいです。その御土産に母がくれたのが、下の写真の品です。
いわゆる「御当地ドラ○もん」です。和歌山県は蜜柑の産地なのでドララも蜜柑の扮装でネットに詰められているのだと思いますが、白浜では蜜柑の栽培は行なわれていなかったりします。
そんな事情はさておき、和歌山と言えば蜜柑なので、御当地キーホルダーの先っちょにいるキャラクタのみなさんは軒並み写真のドララ同様、蜜柑の被りものを着ておられるそうです。
ほかに「御当地キティちゃん」、「御当地加トちゃん」などなどがあるそうで、「御当地シリーズ」のヴァリエーションの豊かさに感心するとともに、蜜柑ドララをぼくへの土産にチョイスした母のセンスに脱力であります。
次は三年後くらいに再び白浜に行って、今度は温泉にゆっくり入りたいという希望を述べるとともに、そのときには一緒に行こうと家族の者が誘ってくれました。三年後には温泉に入るのも気後れせずに済むようになっているだろうから、きっと同行しようと思います。いままで避けてきたけれど、ぼくだってほんとうは温泉が大好きなのですよ。
【今日のこれは贅沢?】
プッチンプリンをプッチンしないで食べる。
2005年08月29日(月) えへえへ。
「調子悪くて当たり前!」の毎日を過ごしてはいますが、そんな中にも愉しいことはあります。今日は失われたと思っていたものを発見しました。
モンパルナスのピロシキ。洋菓子の名店「パルナス」がなくなって、この店のピロシキは二度と喰えないものと思っていたのですが、まだ一店だけ、「パルナス」の味をそのままに引き継いだ店が残っていたのです。何とうれしいことでしょう。
あんまりうれしいので直ぐお取り寄せ手続。ただいま到着を心待ちにしているところです。着便が愉しみであります。
届いたらまた浮かれてこの頁に記事を書くんだろうな。
【今日の予測可能誤算】
各材料を少なく見積もったのに大皿に山盛りの野菜炒め完成。
2005年08月28日(日) もう直ぐもう少しで。
随分先の話だった出発が、とうとう今週末に迫りました。或る目的のために生まれてはじめて渡航します。その出発日が今週の土曜日、九月三日であります。予めお断りしておきますと、九月三日以降は当サイトの一切の更新が止まります。ともすれば、それっきり二度と更新されないかもしれません。
目的地までの足に、ここ数年の間「御家芸」と言えるまでに事故を多発させている航空会社を利用しなければならないこと、物理的に腹を開けること、言葉が通じない、ちょっと治安がよろしくない場所へ行って半月ほど滞在しなければならないことなど、不安は少なからずありますが、もしも彼の地で万が一のことが起こって帰ってこられないとしても、ぼくはきっと文句を言いません。半ばまででも望みが叶った訳だから。
て、万が一のことがあったら文句を言っている暇もなく文句を言えない人になってしまうんだろうけどねー。シニンニクチナシって言いますからね。シニンハシナチクじゃないよ(何を言っているのか)。
まー、帰ってこられないのも、それはそれで「アリ」だなあ、と思っています。
ほんでまた、長い間望んで叶わなかったことがやっと叶おうかというときに、どーしてぼくはこんなネガティヴなことしか言わないかな。渡航先は愉しそうだな、と思っていない訳ではないのに。
【今日のメルヒェン】
AIBOを飼いたいが買いたくはない。野良AIBOとか捨てAIBOとかいないだろうか。AIBO16歳。
2005年08月25日(木) はれ。
三日振りだろうか。さわやかなほどに晴れた。こんなに晴れたら、布団を干さない訳にはいくまい。て訳で干しても無駄のような気がしないでもない煎餅布団をベランダに干した。洗濯もした。ああさわやかださわやかだ。
三時間も直射日光に当てたら布団はふかふかのほかほかになった。干したばかりの布団に寝ると蒸し焼きになってしまうから、粗熱を取ってから布団の上でふかふかしてみた。ふかふか。ふかふか。陽に当てた布団は、焼きたてのパンの匂いがした。
……焼きたてパン?
【今日の新たな決意と希望】
無事に帰ってきたら、きっとタンシチューを煮よう。
2005年08月23日(火) 制止した流れの中で。
夜明け前は勿論のこと、今日は日が昇ってからも随分涼しい一日だった。身体を起こすとふらついてしまうぼくは、一日の大半を床に就いたままで過ごした。窓を開け放していても、屋外から何の音も聞こえてこない不思議な一日だった。
涼しく、静かな日中。聞こえない。暑くも寒くもない。風もない。そんな中で眼を閉じて横になっていると、世界が制止したかのような錯覚を覚える。
何もない。何もない。何もない。
自分の生命さえ制止してしまったかのような空間を、ぼくは心地よいと思った。
【今日のあとで知る事実】
涼しいなあ、と何度か呟いた今日の日中の平均気温は、二七.五度。毎日の気温に比べればかなり涼しいけれど、ぼくが幼かった夏の最高気温だった温度だ。あの頃も、夏は暑かったのだけど。
2005年08月22日(月) びよーん。
身体が弱っているときこそ、しっかりと喰わねばならない。暑さだとか疲労だとか、そういったものと戦うには熱量も栄養も必要だからだ。
という訳で食事を改善したいのだが、バテ気味なので食事の用意に手間を掛けていられない。
そんなときにTVで「焼きビーフン」のCMを見た。ビーフンつまり米粉で拵えた麺が乾麺になって袋に入って販売されている。それはフライパンで調理するものだが、電子レンジだけで調理を済ませることもできるという。
味付けの手間も要らない。調理も簡単。合わせる具材を変えることで味や摂る栄養に変化をつけることができる。なかなかよいのではないか。
一ト袋買ってきて、試しに喰ってみた。
調理の仕方は間違ってはいなかったし、むしろ上手にできた方なのだと思う。しかし……明らかに旨くない。もしかしたら不味いと言ってもよいのかもしれない。味云々ではなく、食感に馴染めない。これは丁度、あんな感じだ。
塩漬けになった、伸びた輪ゴムを喰っている感じ。
ぼくは輪ゴムを喰ったことはないが、喰ったらきっとこんな歯ごたえに違いないと思った。ほかの食材ではたとえようがない感触。おもしろい。
これが本場の味というものなのですか、
ケンミンさん。
【今日のそういうものか】
夏の野菜料理と言えば、酢豚だよな?
2005年08月21日(日) 谷とか捨てるカミとか山とか拾うカミとか。
眠剤なしのはじめての夜と朝の間。案の定と言いますか早速と言いますか、イヤナコトガアリマシタヨ。ちょっと宇宙人訛りになってしまうくらいに厭だったんですよ。
夢を見ました。「薬なしでは巧く寝つけない」ことと、それによって「定められた時間を寝過ごしてしまい、約束の時間に遅れてしまう」ことへの潜在的な不安が見事に映像化されて、それを主観的に見てしまう上に「これは夢だ」とよしんば判っていたとしても自力で覚めることはできない訳ですから、最早や拷問ですよ。
まるで「新世紀エヴァンゲリオン」の「電車」の場面を、「時計じかけのオレンジ」のように無理矢理に延々と見せられているような苦しさです。眼が覚めた途端にどっと疲れが押し寄せてきました。目覚めた瞬間にくたくたです。「悪夢」とはこのような夢を言うのだと思いました。
それほど苦しいのだから早く忘れてしまうのがよいのだろうとは誰にも明らかなのだとはぼくも思うのですが、眼が覚めて意識がはっきりとした途端に「これは記録しておかなければならない、早くしないと忘れてしまう」と夢の内容を急いでメモ書きにしてしまった自分が何だか哀しいように感じます。
記録して、まとめて。それについての考察と合わせて他人さまに読んで頂けるかたちにしなければ、と考えてしまうところがもの書きの性ってものなのでしょうか。何せ今朝ほど絶望的な気分になったのはおそらく生まれてこれまでになかったことなので、書いておくべきだと思ったのでした。
だから、今日付けの当記事にはその夢の詳細とその夢についてぼくが思ったこと、考えたことを書こうと考えていました。しかしそうすると、何とも辛気くさい記事になってしまって読んでくださるみなさまにしんどい思いをさせてしまうでしょうし、午後になってうれしいニュースを入手したことで見事に気が晴れてしまったので、厭な話は御蔵入りにします。
あまりの疲労感と絶望感と睡眠不足(眠剤を服めないため)で「今日は一日寝込む」と思っていた上に食事が巧く摂れないために低血糖で目眩は起こすわ、外出先で大雨に見舞われて足止め喰らった上にずぶ濡れになるわで、誰に何を訊かれた訳でもないのに「だめです」と繰り返し呟いていたぼくの気分をぐーんと昂揚させてくれたのは、このニュース。
千秋真一(指揮者)、CDデビュー。演奏はR☆Sオーケストラ。「のだめカンタービレ」が「ラヴコメディ」か否かの論議はさておいて、千秋くんが(タクトを)振るならブラームスも聴いてみようではみようではありませんか、という偉そうな気分になれました。千秋くんが振った曲は沢山ありますが、その中で「ブラいち」が選ばれた理由は、やはり「R☆Sオーケストラ」が演奏するという一点でしょうか。
どちらかと言うと、Sオケのちょっと危うそうな演奏を聴いてみたい気がするのですが。Sオケのベートーベン3番だと、別トラックでのだめも入れると思うのですよ。いや、「のだめのピアノ」は禁じ手か?
「のだめカンタービレ」という作品のすごいところは、演奏場面に書き文字が一切ないのに(ないから?)画面から音が聞こえてくること。聞いたこともない曲ですら本の中から聞き取れてしまいます。
それほど読み手のイマジネーションを刺激する作品に、具体的な音を与えてしまうことはもしかしたら自殺行為なのかもしれませんが、多くの人をクラシックへの入口へと導くということは決してよくないことではないのでしょう。クラシックもポップスもロックも、何れもやはり「音楽」で、分野の別を問わず「聴く」ということは、作中でミルヒ(シュトレーゼマン)が言うように「楽しい音楽の時間デス」から。
ついでと言ってはナニですが。
クラシックの智識はあるが漫画を読まない人のための、「のだめ」への入口。……このように、「楽しい音楽の時間」のことを妄想込みで考えていると、起き抜けの重苦しい疲労感は身体の中からすうっと抜けてしまって、すっかり愉しい気分になったのでした。御陰さまで御覧の通りの長文を書くだけの元気が出たのですよ。
「夢」の話も「ニュース」の話も、ぼく以外の人にしてみれば何れもたいしたことのない話なのでしょう。そんな他愛のないことでぼくはいつも大きな波に揺られますが、それが愉しくても苦しくても「生きている」ということなのかな、と、いまとても旨い玉ねぎを喰いながら思っています。
ああ、この玉ねぎの旨さは劇的と言える。有難う。
【今日の前途よれよれ】
浅く短くしか眠れないみたい。亡くなった人の「安らかな」眠りを祈る意味が判った気がする。
2005年08月20日(土) はじめての夏。
このところ、食欲が落ちています。食事の用意が面倒になるくらいに。これまでそんな経験もないし、そもそも自分に起こるとは考えられないことだったのでまったく気付かなかったのですが、この暑い時期にものが喰えなくなるというのは、もしかして夏バテですか。
だとしたら、ちょっぴりうれしい。
「朝礼の途中で貧血を起こして保健室に運ばれる」と「暑さにやられて食欲が落ちる」、これは私の憧れだったのです。何せ無縁のことだったので。一遍でいいからなってみたいと思っていました。
はじめての夏バテ。経験したことがなかったことを経験できるのはよろこばしいことだと思います。でも実際なってみるとあんまりいいことじゃないヨ。
ヨーグルトしか喰えない状態から回復して、いま何を喰っているかというとやっぱりホットケーキだったり(哀)。主にホットケーキの調理に使っている炊飯器もバテてきたので、普通にフライパンで焼くようにしました。
ホットケーキは、焼くとふくらみます。フライパンの上でホットケーキの生地がふーくふーくとふくらんでいくさまを見るのは結構倖せを感じられていいですよ。おすゝめ。
【今日の情報収集】
旅行本の定番「地球の歩き方」など取り寄せて渡航先の御勉強。判ったような気になってはいるけど、きっと判っていないのだろうなとも思う。
2005年08月19日(金) これから。
故あって、服み続けてきた持病(鬱病とパニック障害)の薬を、先月から減薬していました。薬を服まないと「ものを考える」ということは疎か短期記憶すら儘ならず、明らかに生活に支障を来しているのですが、それでも今日を限りに約一箇月間断薬しなければなりません。明日から一切の薬が服めなくなります。
過去一〇年間で心療科の薬を服まなかった時期はほとんどなくて、食事をしない日はあっても薬は必ず服むくらいの生活でした。まったく薬を服まない期間は、服薬開始からはじめてのことです。はじめてだけにどんなことが起こるのか予想がつきかねますが、眠剤を服まなくなることで睡眠時間が不規則になることは容易に想像できます。
眠る時間も、眠りにつく時間も、眠りから覚める時間も、自分の意志で制御することが一切できなくなるでしょう。
という訳で、更新が滞りがちになっている当記事は、今後一箇月と幾らかの間、更に更新の頻度が下がると思われます。通ってくださるみなさまには申し訳ありませんが、御了承頂きたく思います。
実際のところ、呼吸をして、眠って、起きて、とそれだけのことで精一杯の毎日です。眠剤を断つと「眠って、起きて」もまともにできなくなります。しかし、呼吸さえしていれば取り敢えずは生きていることになるようなので、死ぬ心配はなさそうです。
……と、このような御話をしますととても悲愴な感じがしますが、心配ごとはあっても心配はしない方針で、いまのところそれなりの毎日を過ごしていますのでみなさまも御心配なく。
一箇月の断薬期間内には、生まれてこれまでまるでなかったことを体験することになります。服薬を再開して調子が整ってきたらそれ等のことを記事にまとめたいと考えています。
いまはばりばり「書く」ことができるようになることと、断薬期間の終わりに控えている某アーティストのライヴが愉しみでたまらんです。
これだけを、闇の彼方に見える光明のように拠りどころとして、呼吸を繰り返しています。
【今日の不意に気付く】
頭髪の生え際が、地味に後退してきているのではありませんか。気のせいですか。
2005年08月18日(木) そんなにも。
そろそろ夏もの衣料が値崩れする時期です。今年は着てみたいなと思いつつ購入の機会を逃していたアロハシャツを、やっと一枚購入しました。定価二三〇〇円の品が七〇〇円になっていましたよ。マア何テオ買イ得。
でも、あんまり変な柄ではないのです。当たり障りがないと言いますか。もっと変な柄のシャツが欲しかったのですが、私好みに変な柄はなかなか入手しづらいようです。
さて、アロハシャツに半丈ズボンにサンダル履きに無精髭というとても緩い恰好で日中の繁華街を歩いていたら、前方から歩いてきた学生と思しき少年少女の一団が、私をそーっと迂回して通り過ぎていきました。どうやら怖かったみたいです。
昨年は作務衣姿で理髪店のお兄さんに怖がられてしまった私ですが、アロハ姿も駄目ですか。……そんなにガラ悪いですか、私。もしかして衣装のせいではないのですか。
そう言えば昨年は背広姿のときも「組長」って呼ばれたりしましたね。悪人相に大決定。何せ父親とそっくりだから仕方がないよなあ(ヲイ)。
【今日のタダでも】
一日に平均五〇通ほどのメールが届きます。そのうち、必要なメールは三通あればいいところです。
2005年08月17日(水) 荷づくり模索中。
三日も更新なしで相済みません。動けなかったり不安発作を起こしそうになったり同級生の息子を叱って本泣きさせたり怖い思いをさせてトラウマを拵えてやったりしていました。
書きもの仕事はまともにできないので開店休業状態ですが、割りと忙しく動きまわっているようです。あ、自分のことなのに推定ですよ?
あと半月くらい経ったら、遠いところへ行きます。暫く帰ってきません。帰ってくる予定はあります。飛行機が墜落しなかったらきっと帰ってきます。
つまり、飛行機に乗って海外へ行く訳です。北海道とか四国とか九州とかではありません。確かな言い方をすると国外へ行くのです。「海の外」を意味する言葉が「国の外」を表す言葉とほぼ同じ意味だなんて、我が国が四方八方を海に囲まれた島国であるということがよく判りますね。
渡航先での滞在予定期間は二週間です。そんなに長く旅に出たことがなくて、しかも海外ははじめてですから、どんなものを鞄に詰めればよいのかが判らなくてゲシュタルト崩壊を起こしそうになったりもしていましたが、やっとこさ概ねの荷物のかたちができました。
多分洩れはない、と思っています。ま、何か持っていき忘れたとしても、不便はあるかもしれませんが、旅券と航空券とお金があれば何とかなるでしょう。……と思っておかないとまたゲシュタルト崩壊を起こしそうになります。
(ゲシュタルト崩壊 : 全体性を失って個別のみを認識するようになること。
たとえば、ひとつの文字をじっと見ていると意味のない線の集合に思えてくることがあります。
これがゲシュタルト崩壊の一例です。詳細はゲシュタルト心理学の中でどうぞ)
「全体性を失う」だけでなく、両腕を身体の前に突き出して「あわあわあわ」とか口走りながら右往左往したりしてしまうのでとても危険です。
出発するまで渡航のことで頭が一杯でほかのことを考える余裕がなさそうな予定(予定?)。
【今日の熱】
このところやたらに身体が熱をはらんで暑くてなりません。熱中症対策にクーラーファンを増設した方がいいですか。
2005年08月13日(土) ああん。
JALWAYS機、離陸直後にエンジンから発火。旅客機が地面から浮いた途端に火を噴いたそうです。しかも、地上に部品をばらまいたそうです。怖いよう。
何が怖いかって、ぼくはこの会社の飛行機を三週間後に利用する予定があるってことです。
しかも、このニュースを知る直前にはまたもや原因不明の腹痛に襲われてしまったし。胸の直ぐ下辺りがきりきりと痛かったから、いつも通りに胃痛だろうと思って常備薬(キャ○ジン)を服んでみました。しかしなかなか痛みが引かなかったので、これまたいつも通りにコンビニエンスストアに走って液○ャベを購入。服んで一〇分もすれば痛みは引くだろう……と思っていたのですが。
何だかいつもと様子が違う。
痛い部分がどんどん下がってくるのですよ。腹の中程から下腹部にかけてが痛くなってくる。腹具合いがおかしくて手洗いに頻繁に立つようになり、安静にしていようと思うけれど、痛くてじっとしていられない。手掌で腹を撫でさすりながら「痛いの痛いの飛んでいけ」と唱える。
治った。
うそみたいですが、ほんとうのようです。いま痛くないから。下した訳ではないけれど腹具合いがよろしくないので手洗いに行く度に粘膜が痛むのが大変ですが、お腹抱えてごろごろのたうつような痛みはなくなったので一ト段落です。
でも、何で腹壊したんだろう。悪いものでも喰ったかな。憶えがないんだけど。
近いうちに飛行機に乗って遠い街まで行って暫く滞在しなくてはならないと言うのにこの先心細くなるアクシデント連発の御話でした。
【今日の友人】
ぼくの友人はイカしたヤツ。仰向けに寝転んで顔の前で月刊少年ガンガンを開いて読む。
2005年08月12日(金) 幾つになっても。
もうめずらしくもない「動けない日」が二日ほど続きまして、本日何とか復調。明日からトレーニングジムも御盆休みに入ってしまうので、今日のうちに各処の筋肉を動かしておこうと過密気味のメニューに黙々と取り組んでいました。
二時間半ほどでトレーニング終了。クールダウンをしていると、ジム常連の御婦人が話し掛けてきました。
「兄ちゃん、ようがんばるなあ。だいぶ痩せてきたやん」
体脂肪率や体重の数字はそれほど変化がないので、見ためにはたいした変化はないと思っていたぼくは、こう言って頂いて吃驚したのでした。同時に、うれしく思いました。
他人さまの目にも明らかになるほどの効果が、この四箇月間トレーニングを続けることで表れたのだということよりも、地道に続けてきたことを「よくがんばっている」と評価して貰えたことがうれしかったのです。
無論、誉めて貰おうと思ってやってきたことでもないし、その御婦人のためにやってきたことでもないのですが、それでも、誉めて貰ったらやっぱりうれしい。殊に、三〇歳代にもなると他人さまから誉めて頂く機会もめっきり減りますので。
名前も知らない、これまで話したこともない相手にわざわざ御世辞を言うこともなかろうし、と、素直に浮かれて帰宅して、そのままいい気分で自宅の大掃除なんかもしてしまいました。「豚もおだてりゃ木に登る」とはこういうことを言うのだなと実体験しつつも「ビバおれ!」と自賛しておきました。
それにしてもぼくは糊付けが下手だな。
【今日の省みる】
刺激を与える本来の目的の上腕二頭筋に刺激が行かず、大胸筋と広背筋に負荷が分散してしまっていたのは、アームカールの姿勢が悪かったからと気付く。
2005年08月09日(火) ゴ。
その影が視界をかすめるようになったのは何も最近のことではなく、幾らか以前からたびたび見掛けてはいた。黒と言うほど黒くもない、焦茶色の一ト片。さかさかさかと素早く視界の隅っこを駆け抜けていく。この、と小さく舌打ちをしたぼくが新聞紙を棒状にまるめる頃には既にその姿は何処にもないのだ。
直接に何か厭なことをされた訳でもないのに、ぼくはどうしてこの焦茶色の生きものを始末しようとするのだろう。ときどき、そんな疑問を感じながらも気付かない振りでばしばし床や壁を叩いていた。でも、少し前にそうしなくなった。
考えてみると、ぼくは焦茶色の「ゴ」が付く生きものに、痛いことや気持ちが悪いことをされた憶えはないのだ。一度だけ足の上を這われたことがあるけれど、それも一瞬のことで、それがぼくの生死に繋がるような重大なことだったかというと、そうでもない。その一瞬だけ、背すじにもぞもぞと体毛が逆立つような奇妙な感覚を味わっただけだ。
穏便に生活したいのは、ぼくも「ゴ」もきっと同じだ。だから、身体をかじられるだとか、痛い思いでもさせられない限りは殺生はやめておこうと思った。この部屋に住むのなら家賃を払ってくれ、とも思った。
友人がこの部屋に遊びに来ることになった。友人は、「ゴ」が大嫌いだ。
来て頂く客人に厭な思いをさせてはなるまい。噴射して暫く部屋を閉め切っておくタイプの殺虫剤を使うことにした。ほんとうは一匹一匹に直談判をして出て行って貰うのがよいのだろうが、それをしている暇もなく、おそらく「ゴ」は人語を解さないしぼくは「ゴ」の言葉を知らない。
ちょっと高価な殺虫剤を仕掛けて、ぼくは暫く部屋を空けた。
白い雲がもくもくと湧き立つ夏空の下を走って、ぼくは外出先から帰宅した。部屋の扉を開けると、玄関先に焦茶色の「ゴ」が腹を見せてひっくり返っていた。殺虫剤ってほんとうに効くんだな、とぼんやり考えた。
部屋の真ん中と、台所でもそれぞれ一匹ずつ、都合三匹の「ゴ」が悶死していた。台所で見つけた一匹は、まだ足の一本で力なく空を掻いていた。
部屋の中一杯に身体に有害な霧が満ちて、苦しくて逃げまどって、その末にここで「ゴ」たちは身体をひっくり返してじわじわと死んでいったのだろう。それが容易に想像できてしまう姿で、何れも動かなくなっていた。
害虫とは言っても、ぼくは害を実感したことがないのに。
申し訳ないことをした、と思う。思うだけで、きっと明日にはこう思ったことすら忘れてしまうのだろう。何れ同じような気持ちでもっと大きな生命を奪うのかもしれない、と、ぼくは自分を気味悪く思った。
【今日の贅沢】
かけそばに天ぷらをひとつだけ載せる倖せ。
2005年08月08日(月) うまく。
夏はやっぱり豚肉だろう、と他人さまにはよく判らないだろうことを考えて、豚バラ肉ブロックを買ってきて角煮をつくりました。要は豚角煮が食べたかったということです。
角煮をつくるのは難しいことではありません。ただ、ゆでこぼしたり何だりに手間と時間が掛かります。それが面倒なので普段はあまりつくらないのですが、今日はどうしても食べたくなったので。
上手にできました。
脂もほどよく抜けたし、味付けも無難に落ち着きました。めずらしく土生姜を買ってバラ肉と一緒に煮たので匂いもさっぱりしています。成功。
それはいいのですが、肉って煮ると小さくなるのですよ。大きいブロック肉を買ってきたのに、ちんまりと小さく煮上がってしまって、それが何だか寂しかったです。自分の身体も煮こぼしたら脂が抜けて引き締まるのかな、などと薄ぼんやり考えたり。うちの風呂は追い炊きできないしな。
しかしな。
上手にできたばかりに、直ぐに全部喰っちゃった。調理時間二時間、喰う時間一五分ほど。有難みなしとは言えまいか。旨かったけどさ。
【今日の窮地】
「ギックリ背中」になってしまってうろたえた。
2005年08月07日(日) よかったと思う……よ?
映画を観に行ってきました。今年に入ってから五本めの映画です。今年はよく観に行っていますね。昨夜レイトショーで観たのは
「亡国のイージス」です。
……ああ、はい。踊らされているなーってのは、自分で判っていますから放っておいてください。
ツッコミどころは多くてナニがアレでしたが、冒頭のイージス艦「いそかぜ」甲板から艦内への映像だけでぼくは満足しました。ここだけでレイトショー料金一二〇〇円はペイ。艦船ヲタクだもーん(開き直り)。あとはどんなにナニがアレでも文句言わないや、という気分になれました。
でもパンフレット一〇〇〇円は高いと思います。巻末の台本は要らないからも少しお安くしてほしかったところです。横開き(横長の判型)もやめてほしかったです。書棚に並べるときに困るでしょう。
キャストが豪華でねえ。特に、寺尾聡さん、真田広之さん、中井貴一さんの三人をひとつの画面で見られるなんて贅沢ざます(ざます?)。「いそかぜ」の艦橋でこの三人が並んでいる場面でうっとりしてしまいました。恰好いいよ……!
また、いい芝居をしなさるのですよ、みなさん。
役者も豪華、自衛隊装備も豪華、セットも豪華。物語の整合性だとか、そういうものを求めなければ劇場に観に行って損はないのではないかと思います。
以下、ネタバレを含む内容ですのであぶり出しにしておきます。詳細お知りになりたくない方はあぶり出さないように御注意ください。
この作品に限らず、ぼくが今年に入ってから観た映画何れにも言えるのですが、内容が尺に合っていなくて、原作のダイジェストのような仕上がりになってしまっているのです。だから、細かいことが判らなくて各キャラクタの人物像が平たくなっていて、そのために物語の厚みを感じられなくなってしまっています。
たとえば、物語のキイとなる如月行がどんな少年時代を過ごしてDAIS工作員としてどのような訓練を受けてきたのかが劇中では描かれていません。そのせいで如月が優秀な工作員であることが観客には判らず、そうするとDAISが遂行しようとしている任務がどれほどの重要性と難易度を伴ったものなのかが判らず、つまりは物語の要である事件を把握しづらい状態のままで映画は進んでいきます。
そもそも「DAIS」とは何か、ということすらこの映画は教えてくれないのです。これでは警察庁と防衛庁(DAIS)との対立の構図も判らないし、そうすると佐藤浩市さん演ずる渥美大輔が何故艦艇から遠く離れた場所で悪戦苦闘を強いられているのかも判らない。制服組の混乱が描かれる意味がなくなってしまう。おそらく劇中で一番大切な台詞を口にしているのは渥美なのに。
原作を読んでいない人には難しい御話になっています。原作を読んでいない人など最初から相手にしていないということなのでしょうか。
また、中井貴一さん演ずるホ・ヨンファが溝口哲也三等海佐の身分と名を騙り仲間とともにFTG(海上訓練指導隊)を装って「いそかぜ」に乗艦したのだということも、某国工作員だからこそ母国語以外の言葉も流暢に操れるということも、「GUSOH」なる特殊兵器を入手し一部の自衛官を煽って叛乱を促したのだということも、ジョンヒとの関係も、すべて描写されていなくて、それがとても勿体ない。
内に潜む理知と狂気の二律背反を中井さんが非常に巧みに表現しておられて、キャラクタを立てるに充分な描写があればもっと迫力が出たのだろうにな、と残念でなりません。
ぼくがこれ等の人物について知っているのは、映画を観る前に原作上下巻のうち下巻の途中までを読んでいたからで、原作もパンフレットも読まずに映画に当たった人は劇中の男たちが何ゆえにそれぞれに戦っているのかが判らなくてつまらなかったのではないかととても心配です。
こういった物語の構造の部分が気にならなくて、かつ、艦船や格闘術が好きなら観ていて愉しい映画だと思うのですけどね。
幹部を残して曹士以下を総員離艦させた「いそかぜ」の中で、真田広之さん演ずる仙石恒史海曹長はヨンファ一党と戦い、満身創痍になりながらも指揮権を取り戻し、「いそかぜ」からGUSOHなる化学兵器が搭載されたミサイルが東京に撃ち込まれる惨事を防ぎます。
この真田さんが恰好いいのです。流石JAC出身、基礎ができているので殺陣も安心して見ていられます。打ち合う(撃ち合う)場面だけでなく、攻撃されて転倒する姿も負傷して足を引き摺りながら移動する姿も見応えがあります。
真田さんの芝居が巧すぎて、ともに行動する如月役の勝地涼くんがかすんでしまっていて、ちょっと可哀想なくらい。
「いそかぜ」艦内での白兵戦が何度か見られるのですが、これが「戦国自衛隊1549」よりも本格的な近接戦闘なのですよ。
関節の極め方だとか逆の取り方、小物(ナイフや銃などの武器)の使い方が結構マニアックです。終盤の仙石VSドンチョル戦では何が起こったのか判らない人の方が多いのでは、というくらいのアクロバティックな戦術が取られていて、うっかりまばたきすると見逃してしまうくらい素早く決着してしまいます。うひー恰好いい……けど、見る人を限定しているな、とも思ったり。
最後にはヨンファはミサイルからGUSOHを抜き取り、手に持って露天甲板に向かいます。何故手に持って甲板に出たのか判らないけど。それを追う仙石がマストに上りその先で追い詰めたヨンファと対峙……護衛艦のマストの上で中井貴一さんと真田広之さんが格闘するのですよ、この画だけでどきどきしませんか! そんなのはぼくだけですか! とにかくゴージャス過ぎです!
この甲板上でのヨンファのターミネーター振りが素敵です。倒されても起き上がってくる。この怖さは中井貴一さんでなければ出せなかっただろうな、と思うほど。「プルメリアの伝説」がうそのよう(そんな昔の話を)。
このシーケンスで仙石は何度かGUSOHを抱えたヨンファを背中から銃撃するのだけど、そんなに近距離から撃ったら弾が躯幹部を貫通してGUSOHの容器に傷をつけてしまうぞ、というツッコミはしてはいけないのね。
でも、背中を撃たれたはずのヨンファがしっかり胸から出血していたし、やっぱり貫通したんじゃないですか。GUSOHを東京湾に撒き散らす一番の危険はヨンファではなく仙石だった、ということに。
さて、ヨンファを倒した仙石はGUSOHを確保し、その旨を衛星を通じて手旗信号でDAISに伝えるのだけど。
映画の構成を見てみると、仙石が「DAIS」という組織の存在をどうやって知ったのか、「GUSOH」という兵器の名を何故知っているのか、政府が航空自衛隊F2支援戦闘機を使って「いそかぜ」を撃沈しようとしていたことをどうして知っていて手旗を使ってまで伝達しようとしたのかが描写されていないのですよ。だから、一見「めでたしめでたし」に見えるけれど何だかすっきりしないのです。
更には「いそかぜ」は「舵が利かなくなって暴走」してしまい、その行手には火力発電所が……せっかくGUSOHを確保してもそこで爆発でも起こせばGUSOHは首都圏に撒かれることになってしまう。さあどうする!という展開に……って、舵が利かなくても機関を緊急停止させれば惰性がなくなったところで艦は止まるんじゃないの? 駄目なほど湾の奥に入り込んでいたっけ?
どうやって止まったかというと「偶然」としか言いようがないのですよ。宮津副長(寺尾聡さん)が、如月が仕掛けた爆弾の場所を知って(これもどうやって知ったのかが判らない……如月にカポック(救命胴衣)を着せたときにでも聞き出したのか?)、爆弾を銃撃(起爆装置を銃で撃ったからと言って爆発するのかという疑問は棚上げ)して艦を爆破しなかったら止まらなかった訳で。
それが仙石が海上自衛隊の回転翼機に救助された後だったから何とか「よかったね」と言えなくもありませんが、仙石と一緒にGUSOHが「いそかぜ」から引き揚げられたという描写もなかったので「爆撃されても同じじゃないか」という気持ちは拭えず。
仙石は「いそかぜ」を守ろうと一旦離艦しておきながら再度戻って戦ったのですが、結局「いそかぜ」は爆発炎上沈没してしまいます。
しかし、その次の場面では仙石は登舷礼(入出港の際に乗務員が舷側に並んで艦外の人に敬意を払う礼式)に並んでいて……新しい艦に配属されて出港するところだということが、登舷礼を知らない人にも判るのかが心細いところ。
などと思っていたらエンドロールが!
お……おもしろかったけど、うーん?という感じです。パンフレットを見てみると、この作品は随分派手にメディアミックスしているようです。何と「別冊フ○ンド」にまで連載が! こんなおっさんばっかり(失礼)出てくる無骨な御話が少女漫画になるとは時代が変わったのか……と思ったら、如月を主人公にしたアナザーストーリイだそうで。さぞやオトメ好みにラヴ要素が強い御話なのでしょうね。別フレだもんな。がんばるな講○社。
それから、あの「横須賀海軍カレー」の亡国のイージス版、というのもあります。ここまで便乗商……んがぐぐ。
そうそう。
序盤で如月たちが乱闘騒ぎを起こした街は「いそかぜ」が立ち寄った由良分遣隊(和歌山県の中程にある海上自衛隊の小さな基地)周辺ということになっているのですが、如月たちを捕まえた警察官がきれいな和歌山弁を喋っていたので吃驚しました。映画だとかドラマだとかに出てくる和歌山弁は大抵大阪弁をもう少し訛らせただけという感じになっているものだし、この場面は和歌山である必然性もそんなになかったので。
【今日のどうする】
ロー○ンの月見とろろそばが好きです。でも冷えた食べものは苦手です。でもでも冷蔵庫の外に出しておくと傷んでしまいます。
2005年08月06日(土) 発達中。
トレーニングジムに通いはじめてからまる四箇月が経ちました。ちょっと停滞気味かな、などと思いつつもとにかくトレーニングを続けた途中経過がこれです。
ナルシズムに満ち満ちていてみなさまの御気持ちがしおしおと萎えてしまうこと即ちドン引きを覚悟で。何せ鏡を使ってまでの自分撮りですし。反対側の手がカメラを構えているのがばっちり写っているところは御愛嬌であります。何処まで自分大好きだ、というツッコミ上等であります。
「どうだすごいだろ!」……とはまだまだとても言えない状態ですが、割りと順調に発達してきていますので、経過報告までに。肩の方が発達振りが判りやすいのですが、写真に撮りづらかったので取り敢えず腕を御覧くださいってことで。
もっと盛々の大盛りになるようにがんばります。目指せアームストロング少佐(目標高過ぎ)。
【今日の食管理】
いっそのこと糖尿食に切り替えてみようか……。
2005年08月05日(金) ……絶句。
月に一度の大買い出しに出掛けて、めずらしいものを見つけた。カ○リーメイトコーンス−プ味。
めずらしいので一本だけ買って帰宅。夕食に飲んでみた。
……ふ。ふふ。
これわコーンス−プ味でわない。とうもろこしゆで汁風味。ま、ま、ま、三〇年近く以前に発売されたプレーン味だって最初は飲みものの味じゃなかったしなあ。がんばれ大○製薬。応援してるよ!(拳)
勇んで六本パックなんか買ってこなくてよかった。
【今日の懐かし】
今日の当記事表題を御覧になって「懐かしい」と思われた方。単行本で読まれましたか文庫で読まれましたか?
2005年08月03日(水) かがみよかがみ。
久々に鏡というものを見た。
正確に言うと「鏡に映った自分」を、久し振りに見た。改まった席で他人さまにお会いするときでもなければきちんとした恰好もしないので、このところまじまじと自分の姿を見るという機会も減ってきていた。前に自分の姿を自分の姿として見たのはいつのことだったか、はっきりとは憶えていない。「服装」や「髪型」や「体格」などは、時折見るのだけど。
何だか、やたらとおっさんくさくなっているよ。
そう言えばむかーしむかし、何とかという雑誌が「中年は何歳からか」というアンケートを採っていて、その結果がいまのぼくの年令だったと記憶している。それから、中年ではなく「実年」と呼びましょう、などと言葉は世代交代したものの、その定義の年令は変わっていないようだ。
ぼんやりしているうちにおじさんになってしまった。玉手箱を開けた浦島太郎はこんな気分だったのだろうか、と思った。
だからと言って、特段がっかりした訳ではないのだけれど。
【今日の歪み】
鏡を見て背骨が明らかに歪んでいることにも気付いた。左右の肩の高さが眼で見て判るくらいに違う。整体とか行かないといけないのでせうかセータイとか。腰痛いし。
2005年08月02日(火) ずびずば。
あはははは。
貰いものって、何故か重なるものなんですよね。沢山の食料品を複数箇所から頂きまして、当分食料には困らないぞ。と。それどころかケン○ッキーのフライドチキンを一ト箱まるまる貰ってしまって普段喰わないものだし新しい味も混じっていたし喰ってみたら旨いしひとり暮らしだからほかに喰う人もいないしで自分だけで一ト箱まとめて喰ってしまったがために胃痛起こして寝込んでいたヨ馬鹿だなあはははは☆
いい加減オトナになろうよ自分。先ず学習能力を学習しよう。
来月、半月ばかり不在になります。
旅の支度をしないといけないのですが、何しろ五日以上の旅をしたことがないので何をどれだけ鞄に詰めればいいのか判らなくてあわわわわです。
【今日のチョコレート】
「チョコレート」より「チョコレート菓子」より「準チョコレート菓子」が好きなのです。