2003年09月30日(火)
酒蔵への道〜その6

稽古日記:
あと17回。一と二の扉を通す。はじめての通し。役者も下座もミスが多く、その上両者の連携が取れていないのでぎくしゃくした舞台。それでも冬の水琴窟の世界の尻尾がほの見えた、という点で評価できる。

しかし、このまま行くと前半が45分位、後半(三と四の扉)の方が短くなりそうだ。

酒蔵の画像(有鄰館の一角)

何故芝居をするのか?そう訊かれたらどう答えるだろう?そこに舞台があるから、と登山家のように答えるのか、世界が舞台だから、とシェイクスピアが言いそうなことばを吐くのか、舞台こそが人生だから、と演劇青年風の情熱を見せるのか、訊かれたひとに向って、あなたをよく知りもしないのにどうして答えられよう、とアフリカ(だったか?)の一部族のように突き放すか……

私に答えはない。答えがないから芝居をしている?いや、違う。別に答えを探しているわけではない。強いて言えば、何かを仕上げたいからだ。それは何でもいいのかも知れない。たまたまこの人生で私に与えられた「何か」が芝居だったということかも知れない。

今、窓のそとを玉中の生徒が集団でランニング中だ。あるものは走っている。あるものは走らされている。彼らにゴールは、もちろん、ない。なにもかも失せて薄の中の路(中村草田男)



2003年09月28日(日)
酒蔵への道〜その5

記録:

稽古はあと18回。全四の扉のうち、前半部、二の扉まで一応、通せるようになった。

「ようこそ踊り」がなかなか出来なかったが、単純化して処理する。狂言三本の柱の踊りを使うことにする。いい感じになった。踊りということばに惑わされて、リズムをとって踊ることばかり考えていた。インテンポの踊りはどんなに新しいフリを考えても変化に限界がある。リズムを棄てたことが新しい道を拓いた。

やはり、MDの使用はやめて、生の音だけにする。

冬の水琴窟とは、凍った水琴窟、音のしない水琴窟、深い沈黙の中の水琴窟。どうやって、沈黙に匹敵する音を創り出せるか?



2003年09月24日(水)
珈琲道

前に買ったコーヒー豆がなくなったので、さきほど買いに行った。と言っても、スーパーや、豆の専門販売店ではない。

「ちかのかざぐるま」をやっていた時、何度かいった前橋「小町」のコーヒーがあまりに美味いので、銘柄を聞くとアートコーヒーのストロングブレンドだと言うので、芝居が終わった後、インターネットで検索すると高崎に支店を発見、電話した。話しているうちに何だか様子が変だ。聞いてみると大和屋のような珈琲豆の販売店ではなく、喫茶店に豆を卸す業者らしい。個人でも買えるというので、買ってみた。8月5日のことだ。

500g入りの袋しか売っていない。毎日飲んでいるがひとりで飲む分量はたかが知れている。500g飲みきるのにひと月半かかった。

店は何も知らずに行ったらコーヒー豆を売っているとは想像出来ない作りだ。普通のオフィスにしか見えない。がらんとした店内には女子社員が二人いるだけだった。今日もそうだった。たぶん営業は全員出払っているのだろう。

珈琲党のひとは是非行って見ることを進める。高崎の環状線を北方向に進むとして、左側にBMWがある交差点を右折すると、ひとブロック先の左手にある。アートコーヒーの看板があるので分る。

一番単純なコーヒーミルで挽いているが、挽く時間の調節が難しい。エスプレッソに最適の時間は37秒だが、その時々で微妙に違う。少し出る速度が最近速く感じるので、今日は試しに40秒でやってみたらやはり細かすぎた。

奥が深い!



2003年09月23日(火)
酒蔵への道〜その4

今日は桐生、有鄰館での稽古。何しろ劇場が板張りではなく、コンクリートの打ちっ放しなので、まず、舞台空間の確保に約2時間。
その後6本の柱、および、その間の空間を使った演戯の稽古。

やはり現場での稽古は安心感がある。多少不便なところはあるが、客の位置や視線、声の響き具合、照明などすべて本番を想定できる。

今までいつも本番と同じ劇場で稽古をするという、とんでもない贅沢な環境でやってきたので、役者staffみなとまどい気味だ。

芝居を打つということはとんでもない労力を要する。それでもやるのは、やりたいからだ。どんなに大変でも、やりたいことがあるからやる。ちょうど山があるから登るように。登ることに何の意味もなくても、登りたいから登るように。

きょうは何故か激しくくたびれ果てた。慣れない場所での稽古のせいか?でも、おかげで、帰り道に立ち寄って食べた四川ラーメンは、その分だけ、美味しかった。



2003年09月21日(日)
酒蔵への道〜その3

稽古状況:

昨日からの長雨だ。一日雨で気分が重い。稽古場の使用許可証を持った係が寝坊した。中に入れず、一同軒先で立ち往生だ。今日は一体どうなるやら。

だが、役者たちはがんばりを見せ、いい場面を作った。一応完成していた「トンネル讃歌」を手直しして、より存在の塊としての迫力を得た。

動きというものは大変な力を持っている。声が動きに連動するとさらに意味が深化する。無意味の意味が膨張して行く。



2003年09月17日(水)
時は戻せない

おぞましい事件が起きた。昨日、家でTVを見ていたら、突然爆発が起こった。もちろん点けたばかりだから何が何だか分らないが、とんでもないことが起こったことは分る。爆発の衝撃?のせいか消防のホースが途中で破れて水が吹き上がっている。2台あるうち一台の梯子車のホースからは水が飛ばない。早く火を消せ。見る方は勝手にいらいらする。現場はそれどころでない修羅場だ。だが、ひとが中にいるというにしてはあの梯子者の放水は消防訓練のようにのんびり見えた。

1時間くらい経ってからだろうか、爆発の瞬間の映像のうち、なかにいる支店長らしいひとが耳をふさいで窓のすぐ近くでよろけている姿が一瞬映った。これにはいたたまれない思いがした。おそらくこの直後に(あれだけの爆発なのだから)酸素を奪われて気を失い、その後に死亡したのだろうが、このひとをすぐに助けられなかったのだろうか、そう思ってしまう。同じ映像が何度も繰り返し映し出される。ますますその気持が大きくなる。もし、耐熱服に身を固めた消防隊員がすぐに梯子をかけ、窓を破れば、救出できたのではないか?現にああして窓のすぐそばにいたではないか!

しかし、である。それは間違っている。もちろん、救出できればよかった。だが、そういう手順を踏めば救出できたのにという想定はヴィデオを見たあとに私のこころに浮かんだものであり、けっして時間の流れに即したものではない。

人間はそんなにすばやく動けはしない。また、限りなくすみやかに動けたとしても、店長がどの窓の近くにいるかは知るよしもない。全知全能ではない。だから、店長はあそこにいたのだからあそこで待ちかまえていればよかったのに……そういう要求が無理難題だということは明白だ。

全部、あとから付けた理屈なのだ。ヴィデオがなければ、あっという間の大惨事であり、そういう突出した時間として私たち(もし現場にいたとすればだが)の記憶に残り、生の、死の、生々しさを思い知らすだろう。一方、ヴィデオは事件を体験するひとを無限に拡大し、また、次の事件のための智慧を蓄積するかも知れないが、だからといって私たちが生きる時間の性質まで変えるわけではない。灰は薪には戻らないのだ。

以前にもフォーミュラカーレースの死亡事故の時、同じ、いたたまれない思いをしたことがある。(セナの事故ではない。)前を走る車に乗り上げたレースカーが宙に浮き、飛行機のように時速300km近い速度で鈴鹿の第一コーナーのタイアバリアーに突っ込んで行く。事故のシーンが繰り返される。車が宙を飛んでいる。ああ、まだ、レーサーは生きていたのだ。死にむかって一直線に生きていたのだ。もちろん誰もなすすべはない。

しかし、私は、ついさきほど死亡が確認されたレーサーが、今TVの画面の中でまだ生きている、という事態を受け入れられず、狂おしい思いにうろたえていた。

今回も同じ思いがする。その思いが人為的な時間の中でのみ湧き上がる故ない思いと分っていても、それでもなおかつ、何もできないことを理不尽に憤る。

私たちはヴィデオのようにプレイバック可能な時間帯には生きていないのだ。すでに亡くなったひとはけっして生き返らない。私たちは刹那、刹那に生きている。

無意識の裡に、現代の技術がそういう刹那の生を寸断し、分断し、破壊してしまっているから、私たちはそうとも知らずについつい、ああ、あの時ああすれば……と悔やむ。現代技術は私たちが悔やむ可能性を極限まで広げたと言える。これは豊かさなのだろうか、虚しさなのだろうか?

今は、犠牲者に黙祷を捧げるのみ。



2003年09月15日(月)
酒蔵への道〜その2

土日の稽古で、こんどの劇の第一の扉(全部で4つある)の大枠のかたちがついた。今回は下座と役者の呼吸が大事なので、これからの稽古は念入りに息を合わせないと、生煮えの舞台になってしまうから気をつけねば。

かぼちゃ絶叫、トンネル讃歌がほぼ決まり、かもめの2場面の型もついたが、舞台として、熟すのはまだまださきの話だ。

できれば、1から4までの扉がすべて独特な空気で満たされていればと思う。人間一度確定すると、それに執着してしまう習性があるので、潔く離れる覚悟が必要だ。棄てるべきは棄てるべし。

いつも思うことだが、舞台の初日を迎えるまでにどれほどの場面を棄てたかが、舞台の成功の鍵だ。棄てる余裕(精神、時間)がないと舞台は生硬なものに成り下がる。たくさん生んで、気前よく棄てて、はじめてモノが作り出せる。



2003年09月13日(土)
酒蔵への道〜その1

舞台を作る、舞台の空気を醸す、劇の世界を囲い込む。何と至難の業だろう。実質的に4日から冬の水琴窟の稽古を始めたが、まだ4つある扉の一番目も開かない。今日は昼間一日稽古。やっと薄く隙間がのぞいたか?

開幕の空気がなかなか熟さない。開幕の闇が見えてこない。本当に「おもちゃ、下さい!」だ。

もっと遊ばなければ、いい芝居はできない。几帳面な職人には小道具、大道具は作れても芝居は作れない。羽目を外せ。外した羽目が客への矢になる。芝居はただ真面目なだけじゃお呼びでない世界だ。不真面目な真面目、さようなら!
真面目な不真面目、こんにちは!

空を見上げると火星がもう月からかなり離れ、天空の中央で輝いていた。



2003年09月11日(木)
暑い夜には……

寝苦しい夜がこのところ戻ってきた。となりのエアコンが低く鳴っている。いわし雲、別名、うろこ雲、学名、絹積雲cirroscumulus、が月のまわりを覆い尽くしていた。

What was I dreaming of?
Clouds.

好きな詩の一節が思い浮かぶ。

詩の一節は強力なくさびで記憶に食い込んでいて自分でもびっくりすることがある。

「冬の水琴窟」を書いていたときにも、あたまのなかで「おとなの怒った声が叫ぶ」そんなフレーズが何度もわき上がってきた。何の詩だったかとっさには思い出せず、もどかしい思い出しばらく考え込んだ。からだをすこしよじった時にはっと記憶が甦った……「石鹸の泡」Soapsudsだ。

子供のころ訪れた(たぶん)親戚の別荘の思い出を語りながら、すぎてしまって取り戻せない人生への哀惜の情を吐露する詩だ。久しぶりに訪れた別荘の風呂場の石鹸の香りから回想が始まり、風呂場の蛇口から出るお湯を受ける手は、もはや子供の手ではない、という句で終わる。

時間の残酷があぶり出される。その中でクリケットを遊ぶ場面がある。親戚の叔父さんが、Play、と号令を掛ける。だが、記憶は曖昧になり、また、人生の重々しい現実の認識が露わになり、Playという号令は、だんだん、命令に、そして、いらだちに変わって行く。

And the grass has grown head-high and an angry voice cries Play!
草はいつの間にか背の高さまで生い繁り、怒った声が響く「遊べ!」と。

もはや遊ぶこころを喪った自分を思い知る刺すような場面だ。今度の劇ではこのヒントが「おもちゃ下さい」の台詞に実った。



2003年09月09日(火)
本を読む

さきほど、坪内逍遙に関する悪意に満ちた本、津野海太郎「滑稽な巨人〜坪内逍遙の夢」を読み終わる。

自分を坪内に対して「好意の眼鏡」をかけた人間といいながら、この本に展開される坪内像の創造(再創造)には決して好意の感触は感じられず、ただひたすらに大人びた態度で逍遙を小馬鹿にする姿勢を貫いている。そもそもこの津野という人間は漢字はいずれ消えて無くなると本気で考えるような、人間の精神世界のなんたるかを理解しない(あるいは理解していると勘違いした)コンピュータおたくにすぎないのだから、いちいち目くじら立てて論評する必要はないのだが、このような人間愛の片鱗もない書物に「〜の夢」などというふざけた名称を与える出版社に腹が立って、書いている。

人間は失敗しながら生きている。そういうものだ。その失敗をあげつらって、ほら、そんな精神構造だからそういう失敗をしたんですよ、といった感想は個人の内部や狭い共同体の内部で漏らすのはいっこうに問題はないが、そもそも本を出版するということの意味を考える時、伝記を隠れ蓑にした個人の名誉毀損がゆるされるはずがない。しかも、著者はその点は十二分に承知していてこの一線を越えることはない。だが、その代わりに採用した作戦は、もっと品のないものだった。つまり、「好意の眼鏡」を掛けたフリをしながら、徹底的に茶化すのだ。冷淡に、限りなく冷淡に。しかし、本人はそれを「冷静に」と思いこんでいるかもしれない。とにかく、文体が冷たいのだ。

ここまで書いて、ふと思ったことがある。そういえばふと思ったことがある。コンピュータというメディアはそういう冷たい人間を作り出すようだ。私もそのひとりかも知れない。何故か私の知っている情報技術のエクスパートは冷たいひとが多い。そういうひとに質問する時はよーく考えてからにしなければいけない。不用意な質問などしようものなら(もちろん、質問というのは不用意なものなのだが)、なに、そんなことも分らないでパソコンいじってるの、ふん、という顔を露骨にされる。それで大体はめげて、パソコンの不具合を我慢する方がましか、とあきらめるのだ。

もちろん、そんなひとばかりではない。この日記のサービスをしているshiromukuさんは質問すれば、その日のうちに丁寧な返事をくれる。だからコンピュータが非人間を作り出しているわけではないのだが、そういう傾向は否めない気がする。

津野という人間は演劇を理解しない。世界劇場などという考えは知りもしないだろう。だから、坪内がシェイクスピアから学び取ったと思われる演じることの大いなるうねりも、津野の手にかかるとただ滑稽な大立ち回りに変わる。ひどいものだ。そして、滑稽なことを強調したいあまり、シェイクスピア全集全訳の偉大な業績についてはほとんど触れない。触れても彼独特の文体をからかう時だけだ。

こういうのは本当に我慢ならん!



2003年09月02日(火)
幻の村落

ゆったり望郷の湯につかってきた。頭痛も治った。帰りに、トマト園でトマトを買い、ずいぶん前に何で行ったのか覚えがないが、ふと迷い込んだひっそりした農村を思い出し思い出し、訪ねてみた。

もっと早く思いつけばよかったと思うくらい感性がつまった場所だった。まだこんな場所があったのかと思うくらいひなびた村落。

古い建物は廃墟に近いくらい古く、一方で何軒も新築している。そのうち一軒の屋根を見て魂が消えた。なんと金色(おそらく銅葺きしたばかりでぴかぴかなのだろう)。そういう人間くさいところが無かったら、ゴーストタウンと思いこんでしまいそうだ。

写真を撮っていると、おばあさんが話しかけてきて、いつまでもいつまでも話しつづけていた。村のことを教えてくれたので、ありがとうございます、と言って私は車の方へ歩き出したのだが、もう50mくらい離れてよく聞き取れなくなっていてもなお、私に向って話しつづけていた。話し相手がいなくてさみしかったのだろうか?

こういう場所が私には何カ所かある。でも、どこだったか思い出せない。つらい。福島県だったか、新潟県だったか……景色はすっと思い浮かぶが、地図の上では見つからない……たぶん永遠に。


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