この「失業日記」は当初、「無職状態にある自分が、どのような生活を送っているか」を記録し、自分の(主に精神?)状態をチェックするために毎日書こうと思っていたのだが……。ずいぶん間があいてしまった。毎日、それなりにいろいろな出来事があるのだが、「いろいろなことがある→書きたいことが増える→しかしなかなかまとまった時間がとれない→たまっていく→どんどん面倒くさくなる」という、ありがちな悪循環に陥ってしまっている。同様に、一年前から「会社を辞めたら一通り目を通し、それから捨てよう」と思っていた新聞も、玄関脇に積み上げたまま放置してある。「やることがたまればたまるほど、それに比例して面倒くささが増していく」この心理は、どうにかならないものだろうか。しかも季節は冬。「会社や学校に行く」という社会的な枷を失った今、身体は完全に冬眠モードに入っている。「人間は、動物である」という事実を思い知らされている、今日この頃である。 そんなわけで、ことさらに冷え込んだ今朝も、昼近くまで布団にくるまっていたのだが、点けっぱなしにしていたテレビから「真剣10代しゃべり場」(再放送)が流れ始めたので、ついつい見てしまった。 私がこの番組を見るのは、ずいぶん久しぶりである。そういえば以前、ホームページに「真剣10代しゃべり場を見たが、若者たちの賢さにびっくりした」などと書いたことがあるのだが、今日の放送を見て、そんな自分の過去の行為をひどく悔やんだ。何なんだ、あの番組は。腹立たしいことこの上ない。今回のテーマは「フリーターをバカにしないで!」という、今の私にとってはかなりタイムリーなものだったのだが(というか、今の私はフリーターでさえないのだが)、「安定は大事」「自分がどうキャリアを積み上げていくか、しっかり考えなきゃ」などとのたまう10代たちは、見ているだけで息苦しかったし、「自分は夢のためにフリーターをやっているのだが、世間からよく批判される。自分の生き方を認めてほしい」という、テーマ提唱者にも共感できなかった。 今回のメンバー(第12期らしい)には、「17歳ですでに1児の母」という女性がいた。私はもちろん、「17歳で子供を産んだ」ということ自体をとやかく言うつもりはないのだが、気になったのは、その言動である。フリーターの彼女にしてもそうだが、「『世間一般の生き方』とは異なる人生を歩んでいる」という意識のある人」は往々にして、「自分は、他の『<世間一般の生き方>から外れた道を歩んでいる人』とは違う」ことを、やたらとアピールしたがる。「自分はフリーターだが、夢がある。夢がないフリーターと一緒にしないでほしい」「自分は17歳で1児の母だが、安定した仕事に就いて、しっかり働いている。その辺の、フラフラしている連中と一緒にしないでほしい」といった具合に。彼らが一生懸命に生きているのもよくわかるし、「『世間』の風当たりが強いのだろう」「その分、攻撃的にならざるをえないのだろう」というのも容易に想像できるが、「世間」や「常識」とのせめぎあいを経て、自分たちが、恐らく自分たちを疎外してきた(であろう)「常識」の強烈な支持者になってしまっていることに、彼らは気づいていない。「常識でしか物事を考えられない人」(これも極めて曖昧な概念だが)というのは、まだかわいい方である。世の中でもっとも始末に負えないのは、「『常識なんて関係ないよ』などとうそぶきつつ、『常識』にすがりついている人」ではないか、という気がする。 全体的に、「朝まで生テレビ」並に不愉快な番組であったが(コロッと考えを変える自分もどうかと思う)、第12期のメンバーの中には、一度だけ会ったことのある、役者志望の青年(夏の終わりに、自主制作映画の手伝いをしたのだが、その映画に彼も出ていたのである)も混じっていた。その点だけは何だか嬉しかった。
●今日の行動 ・夜、27日(土)に行われるイベント「gaku-GAY-kai」(ミュージカル「贋作・大奥」)の練習のため、世田谷区下馬の公民館へ行く。この公民館を訪れるのは一年ぶりなのだが、昨年の記憶がやたらと鮮明で、とてもそうは思えなかった。改めて「月日の経つのは早いなあ」と思った。 ・練習の後、友人が無職の私を哀れんで、高円寺で鮨をご馳走してくれた。ありがたかった。 ・明日から大阪。十数年ぶりに、8歳まで住んでいた町(毒蜘蛛発生騒ぎがあった高石市)を訪れようと思っている。何だか今年は、過去を振り返る機会が多いような気がする。 ・名古屋や京都が大雪にみまわれているらしい。「関が原で新幹線が止まったりするかもッ」「京都の雪景色が見られるかもッ(これは「かも」どころか、間違いなく見られるであろう)」と思うと、何だかワクワクしてくる。
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