すずキみるくのGooden 妄言
旧牛乳式形而上精神論理構造研究所日報

2008年04月22日(火) 殺人メディア

これだけはどうしても書いておきたいので。

というのは、今日の山口県光市の母子殺人事件の犯人が死刑になった件ですが。

おそらく死刑は確定でしょう。最高裁ではたぶん審理拒否でしょうね。

遂に、メディアが現実的に人を殺す記念日になりましたね。とりあえずメディアにはおめでとうといっておくべきでしょうか?

んで、今回の死刑ですが、素人からみてもかなり重いと思います。最近はそうでもないでけど死刑ってのは大体3、4人ぐらいを殺したら死刑かなっていう感覚です。当時の18歳という年齢で初犯で被害者は大人1人と赤ちゃん1人という事情を鑑みれば、まあ、無期懲役が相場ってところでしょう。(こういうので相場っていうのもどうかとおもいますが。)

じゃあ、なんで彼が死刑になったかといえば、理由は一つ、マスコミが煽ったからです。被害者の夫の本村さんがメディアの前にでて、死刑をうったえて、それはワイドショーや報道番組にとってすごくおいしい素材だったために一時期はマスコミ全体で少年死刑にしろキャンペーンが高まりました。

この事件の一審、二審までのマスコミの報道の仕方は、完全に本村さん側に立っていました。無期ではすぐにでてくる。死刑にならないのはおかしい。まあ、言いたい放題でしたな。当時私は人を合法的に殺せという意見を平気で垂れ流すメディアに不快感と不信感を抱いていました。

いくら被害者の人権とか言っても、人の命をうばう意見をメディアで流すのはどう考えても、おかしい。メディアはあくまでも報道者であり、裁判官ではない。無責任な立場のくせにワイドショー等で死刑にしろということを平気で放言した連中はおおいに問題があると思います。

それのおかげで最高裁から審理拒否されたため、一気に死刑の公算がたかまると、今度は逆にマスコミがビビりました。今まで、さんざん死刑キャンペーンやってきたのに、そこにきたとたんに、「公正中立なメディア」になりまして、加害者側の言い分も被害者の言い分も公平に扱うようになり、この事件の報道自体も、時間もあったとおもいますが、下火になりました。

死刑が現実化したことで一番こまったのは実はメディアなんじゃないかと思います。たぶんメディア側でも、この死刑は想定の範囲外だったでしょう。この件ならばどうやっても無期懲役にしかならないとタカをくくっていたことと本村さんというわかりやすいヒーローが現れたために被害者の人権という美名のもとに死刑にしろというちょっと考えれば、あまりにも残酷な意見をメディアで報道しまくった。自分たちが使うメディアの影響力をあまりにもかるく考えすぎていたとしか思えません。

たぶん、メディアの連中は、無期懲役の判決がでることを前提に本村さんにつきあって、無期懲役が確定したところで、涙をながして悔しがる本村さんを悲劇のヒーローとしてパッケージングするというシナリオで当初から取材をしていたはずです。本村さんというわかりやすいヒーローがでてきたから乗っかるのは簡単だったはずです。それであまりにもやりたい放題やってしまった。視聴者は基本的にそういうのがくれば反射的に死刑にしろと無責任な意見をだすもんにきまってますが、TV局の視聴率至上主義はその大衆の床屋政談にあまりにも簡単に同調してしまいました。そりゃ、メディアは視聴者のみせたいものを見せてくるもんですが、そこに良識でブレーキをかけるということがまったくできなかった。そして、その世論が裁判に影響をあたえ(ということに一般的にはなってますね。)このたびの死刑判決というわけです。

つーか、メディアを利用して、日本国中で殺せと合唱すれば実際に死刑になるのね。言霊とかペルソナ2の世界とか冗談抜きで思い出しちまったよ。

これで、まだメディアがある程度しっかりした論理と意志と正義感をもってこういうことをやったのならまだ救いはあるけど、そんなことはないからねえ・・・。スキャンダリズムと独善と悪乗りと大衆への媚(視聴率ほしさ)でつくられたワイドショー的感覚で大暴走しただけだからなあ・・・。死刑が現実化したときには自分たちが一番びびったんだろうなあ。まさか本当になるとはおもわんかったからね。結果的にメディアが合法的に殺人をおかしたようなもんですからね。やっちゃいけないことやったってわかっちゃったからねえ。ただもう、そんときは焚きつけた大衆が燃え上がっていて鎮火できなかったんですね。わかります。

死刑を示唆した最高裁も個人的にはどうかとおもいます。世論を反映したと巷間いわれておりますが、もしそれがそうだとしたら本当に大問題だとおもいます。司法をつかさどる最高裁は三件のなかで、一番世論と遠いところにあるはずです。その最高裁が世論を反映させた判断をしたというのは、もしそうだとすれば本当の大問題だと思います。最高裁っていうのは、がちがちの法律の塊のような存在で世論なんてものは最初から無視してしかるべきだと思います。最高裁はそういう場所だからそういう判断をしてほしいとおもうのですが。

つーか、世論を気にする最高裁は本気でダメでしょ?最高裁がそんなことをしたら三権のなかのどこがブレーキをかければいいのよ?そもそも国会は世論を反映するもんで内閣は支持をとるためにいつも世論にビックビクでしょ?その上最高裁が世論(この場合はマスコミが旗振った無責任な意見)をとりいれたらだれが世論の暴走を防ぐのよ?

たしかに民衆の意見を取り上げるのが正しい民主主義だけど民衆の暴走を防ぐというのも民主主義には必要な機構なのよ?ワイマールとか知らんはずないのになあ。大丈夫か?こんな国で裁判員制度なんかやって。

あと、今回、本村さんが被告を死刑にしたような感じになったので、被告に刑を執行したら否応なしに本村さんが彼の死をせおう形になっちゃったけど、それでよかったかも本当に疑問です。あんな下らん人間の死をせおうべきじゃないとおもうんだがなあ。一生彼を憎みつづければいいんだけど、憎しみさえそんなに長続きするもんじゃないからなあ。被害者の人権をまもることを加害者への厳罰とイコールでむすんで本当にいいのか?金はかかるかもしれないけど他の方法もあるんじゃないのか?ハンブラビ王の時代にもどってもいいのか?

というわけで、起こった時からずっと疑問におもっていたことをつらつらと
書き連ねました。・・・おかしいかな俺の考え方?んでもああいう報道だと公開処刑を楽しんでた昔のヨーロッパあたりの連中と感性が同じだとおもうんだけどなあ。平気で人を死刑にしろとがなりたてるメディアは、俺の歓声だとおっそろしく危険で不気味だとおもいます。


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