Dynamite徒然草
Dynamite徒然草

2024年12月18日(水) 再検査の再検査の再検査の結果。

無罪放免!٩(ˊᗜˋ*)وヤッターー♬*゜

とはいえ、半年後に再検査ですけどね。←その後は一年おきに精密検査するように言われた。←まあ、年一の人間ドックみたいなもんと思えば平和勝次とダークホースっつーこってす。←明るい笑顔を見せとくれ♡

ひとまず入院とか手術とか投薬を免れたので安心致しました。
今後も益々ボケに拍車のかかりまくる老母の世話に明け暮れさせていただきます。←でも私が病院いってる隙にキッチンにオシッコまみれのスリッパをオブジェみたいに置くのやめてーwww

……ストレスで数値上がるわ。

ま、その発散でワンピース2着も買っちゃったけどね!
んなことくらいせんと本人に「いい加減にしてよ!」とか言いたくなっちゃうし、言うの我慢して頑張りすぎるからいろんな数値ひっかかったりあちこちにストレスの塊みたいな腫瘍できまくったりするわけだから、もーこれからは自分で自分を盛大に甘やかすんだ!←BBBA(ボケババア)にやさしくしてんだから自分にもやさしくして何が悪いんだっつーの、プンスカ。←誰も悪いとか言ってないwww



2024年12月16日(月) 乗り過ごし常連の妻(元)。

現骨の旦那がご存命かつお元気ビンビンだった頃(コロナ前の76歳あたりまでは元気でしたよ)、それはもう乗り過ごしのご常連様でありました。

そしてそれを救済に行く、または遠隔救済するのは私。
新幹線ならホテル予約からタクシー指示まで、近隣なら位置確認からのお迎え(電光石火)。
たいてい泥酔しておられる為、第一声は「俺は一体どこにおるとやー!?」でスタートするので、GPSで位置がわかるようにガラケー時代から(密かに)しておりました。←パソコンで携帯の位置確認できてた。

終電前であれば折り返しするよう指示し、以降二度寝しないように電話つなぎっぱなしで駅名を聞きながら「次で降りてー!ちょ、寝てないよね?返事は?起きてえええええ!起きろおおおお!」と叫びながら駅まで車を走らせていたのも懐かしい思い出であります。←折り返しも乗り過ごされて、次に起きた駅までおっかけたこともあるw

いやはや手のかかった夫でしたが、全てが面白おかしいスイート(アルコール)メモリーズってなもんですな。

もちろん私はそういう人を面倒見る側なので、自分がそんな失態をするこたーありません。佐賀県民時代ははっちゃけすぎて終電間に合わなかったら、冷静に駅近のネカフェで仮眠とってシャワー浴びて始発で帰ってました。独身時代は終バス逃したら腹据えて朝まで飲んでそのまま仕事に行ってた女ですから。←顔に出ないのをいいことにやりたい放題。

とにもかくにも、どちらさまも乗り過ごしにはご注意くださいますよう。←眠たいなら無理して電車乗らずネカフェ行きな。



2024年12月15日(日) 謎のがんごやん。

昼から日帰り温泉など行ってぬくぬく楽しく過ごす。←うちの母は極度の公衆浴場嫌悪族につき誘っても絶っっっっ対に行かないため猫とお留守番。
夕飯の準備はできているのでまったりホワホワ気分で帰宅したら、母が昔の紅白をテレビで見ていた。

昭和46年の紅白だった。こういう企画もっといっぱいやればいいのにね。NHKはBSでひたすらアーカイブだけ延々と流せばいいのにとか思ってる。

まあ、それはともかく
母が「あれ堺正章よね」と指さす。合間のコントというか小芝居みたいなのがあって、石川五右衛門かってなボワンボワンのカツラが落ちてどーこーみたいなくだりだったと思う。←よく見てない。

「あんながんごやんみたいなカツラかぶって」

はい出た、母の謎言葉(方言?)がんごやん。

だからさ、がんごやんって誰なんwwwと笑いながら私が問うと

「がんごやんはがんごやんよ、うちの村ではきちんとしていないぐしゃぐしゃのあたまの人をがんごやんって言うと」

佐賀の方言をどれだけ調べても絶対に登場しないこの謎言葉。
母曰く「佐賀ってひとくくりにするから話がおかしくなるとよ。昔は村ごとに言葉は違ってて当たり前だったから。言葉が違うことでこの人はどこどこの村の人ってすぐわかるし」とのこと。オトボケ様の言うことではあるが、これはボケる前から言ってたので、方言にはきっとそういう要素もあったんだろうなと理解する。故にがんごやんは母の出身村限定方言なのやもしれぬ。

しかし謎のがんごやんよ。
たしかにうちの祖母もこの言葉を使っていた記憶がある。
寝起きでくしゃくしゃの頭󠄀をそのままにしていると「がんごやんのごとして、はよ櫛でときんしゃい」的な使い方をしていた気がする。

まさかテレビを見ていた母からこの懐かしき言葉「がんごやん」が飛び出すとは思いもしなかった。ありがとうマチャアキ。あのとき君は若かった。

そしてがんごやん、誰なんだお前は一体。



2024年12月14日(土) 忘年うえーい。

12月があっという間に半分終わりかけとる。早すぎる。

忘年会予定はあと一つあって楽しみ。
あと、ライブも一つある。これまためっちゃ楽しみすぎてヤバい。

イベントは楽しみだが再検査の再検査の再検査がまだ残っている。
これははよ終われって感じ。問題ありませんでした(*ノ>ᴗ<)テヘッを希望。

それにしても、
今年は年始からフィットネスクラブ通ったり、9月からスポーツ始めたりとなかなか頑張ってきたけど、その間に痔の手術したりフットケア通いまくったり、頭のCTとったり腹のMRIとったり造影剤CTとったり血液検査しまくったりと、徹底的に体のチェックしてメンテナンスしまくってきた年だったなとも思う。

痔の手術はやって良かったしケツに違和感の全くない生活は最高。
足裏つるっつるにしてもらった後、シューフィッティングでこのデカ足に快適最適な靴を入手できたのも幸せ。
頭痛専門クリニックの名医先生様と出会えたことはまさに人生最大の喜び。

特に頭痛と靴の件は、私の人生を大きく変えてくれた出来事かもしれない。
本当に「救済された」感が強い。

続けられる大好きなスポーツ(教室)と出会えたのも奇跡。

今年はオトボケ母から与えられるストレスもなかなかハードだったけれど、それ以上にクオリティ・オブ・ライフの向上どころか次元レベルの上昇を感じまくっている。

振り返るとすごい年だったなあ。
2023年はただただ辛さとか大変さとか寂しさを乗り越えるためだけに全力で走り続けたけど、2024年は先に書いたとおり正に「救済」の一年だったかも。

再検査の再検査の再検査は来週で結果も来週。
これが問題無し(様子見でいきましょうコース)であれば、締めくくりはなんとかめでたしめでたしで終われそう。

忘年会はどの集まりもいつもわいわい騒げて大好きなんだけど、今年はいつにも増して手放しでのびのびと楽しめている気がする。
今年はとっても楽しかったね。 来年はもっと楽しくなるよ。
ねっ♡ネコ太郎!

ミーちゃんやらニャンニャンさんやらの次はヘケッの名前ってか、アホか。はよ寝れ!



2024年12月12日(木) 放送禁止用語。

母を後期高齢者健康診査に連れて行った。
大きな問題もなく(スットボケ以外)唯一乾燥肌でカイカイしていたところにお薬を頂いた程度。

採血があったので病院の後に食事へ。彼女のご希望はお寿司。お気楽に行けるチェーン店へ向かう。

賑わう店内で、タブレットを見たり周囲の客を眺めたりと楽しむ母に、食べたいものを訪ねながらちゃちゃっと注文した。

しばらくして私の2つほど斜め後ろのほうに来た客を興味深そうに見ていた彼女が小声でささやき女将のように言い出す。

「ねえねえ、後ろの女の人二人組、さっきからわざわざ大袈裟に椅子を拭いたりテーブル嫌な顔して見たり、レーン見たり神経質そう」

へー、そーなんだと別に見もせずに相づちを打つと、興味を示さない私にこうおっ被せてきた。

「神経質そうにしてるわりに自分たちはルンペンみたいな服着てて、まずは自分の身だしなみくらい清潔にしてから来なさいよって感じ」(小声)

吹いた。
でもってそっと振り向いた。
まあ、うん、彼女の嫌いな感じの中年女性たちだな。

件のお二人はどうやらテーブルが気に入らないのかメニューが気に入らないのか、はたまた注文方法がわからないのか店自体が気に入らないのか、ずっと神経質そうな顔のまましばらく滞在した後、注文もせずに店を出た。

「は、帰っちゃった。何様かってね」

私は一人、口の中で笑いをかみ殺す。

いやしかしルンペンて久々に聞いたわwww

うちのいにしえのお嬢様はほんとにお口がわるうございます。(小声なところだけ無駄に上品)



2024年12月10日(火) 59歳目前なのに人生でいちばん体力あるかも。

金曜日に2時間スポーツで汗だくになり、土日連チャンでライブハウス立ちっぱなし飛び跳ねっぱなしではっちゃけまくり、月曜日に1時半スポーツで汗だくになってさすがに今日は膝にくるかなーとか思ったら全然平気でやだもうあたし、こわい。←赤い嵐のしのぶちゃんっぽく言って♡←これがわかるあなたとわたしはそーとーなでぇベテラン女子。

しかも土曜日はおもわず首とか振っちゃったもんだから日曜日ちょっと首痛いかもとか思ってたけど、それも多少の違和感だけでピューとどこ吹く風。
いやこのBBA元気で何よりだわ。でも気をつけろよ、見えないどっかにガタはきてるし疲労はあるはずだぞ?現実から目を背けるな??

といいつつ今夜はママ友忘年会!超楽しみぃぃぃ〜っ。
まあお座敷でジョッキ片手にキャッコラ騒ぐだけだから休息日みたいなもんだわ。
楽しく飲むぞーい!←肝臓の数値は全然問題ないんです私。←7日の京都、ガンマジーティーピのデビューレース超絶ウケたわwww(ゴール前の実況)馬の成績が上がっても馬主さんのγ-GTPが上がりすぎませんように。武豊あいかわらす美しく見事な騎乗スタイル。まだまだ魅せ続けて欲しいであります。



2024年12月08日(日) Happyで埋め尽くされた脳が騒がしい夜。

これまで行ったライブの中で今夜が一番行きから帰りまで最高にHappyで完璧だった!!!なんなんもう人生終わっちゃうの?走馬灯なの?いやああああ!

昨日のセトリもすごかったけど(2daysだった)今日のセトリは初手からワワワワワワワワワワワワワワッッッッってもう超凄くってMCもツボッたし楽しかったし前後左右は史上最強に完璧だったし降りてきた先生は目の前でキラッキラのギュィィィィィンでズギュュュュュゥゥゥゥンだし降りてきたマガちゃん様はこのドビーめに手をのばしてくださったのでおもわず手を出したらこの手をギュッとしてくださった!!なんたる光栄!!←このあたりから記憶がヤバいw

ライブハウス出てから入った店のアテも全て旨かったし左右の客も平穏。てかおすすめのボラ白子の味噌漬けホイル蒸しめっちゃうまかったんですけど?あー最高過ぎて頭󠄀からチェンソー出てきそう。はー、白子と熱燗は全部ワシのもんじゃあああああ!

てな感じで今夜は怖いくらいにしあわせです。ありがとうございました。八十八ヶ所巡礼しか勝た〜ん♡



2024年12月07日(土) 深海のあかり。

スポーツクラブで同じクラスの先輩奥様が話しかけてくださった。
「介護してるって聞いたんだけど」

あ、はい!介護といっても元気にボケてるだけなんで、身の回りの世話しているだけなんですけどね!

そういうと「ひとりでよく頑張ってるね。うちは3人介護してきたけど、夫婦でやれたから乗り切れたのよ」と労われた。

3人!!

それからしばし介護談義に花が咲き、他のメンバーさんも加わって「私も母と一緒に祖母の介護をしてきたから、一人では大変なのすごくわかる」と言って貰う。

自分だけが大変だーとか、そんなことは思ってなどいなかったが、一人で認知症の面倒をみることの大変さを心底共感してもらえたことには、正直言って深海でヒカリキンメダイ同士が出会うかの如き安心感があった。

私が介護の大先輩たちから共感や労いやアドバイスをいただき心がホワホワしたのは良いが、大先輩たちはきっとそのまっただ中にいた時は、それはそれは筆舌に尽くしがたき大変さだったことは想像できるし辛かったりストレスだったり、それこそこの深海からいつ抜け出せるのだろうかと絶望したり虚しかったりしたやもしれんわけで、私の寝たきりでもない認知症母の世話など「取るに足らん」と思われても仕方ないことなのに、一人では大変と労ってくれる優しさ。

そんな些細な一言だけでも私は救われるし、外出時間の持てる自分の環境をまだありがたく感じることさえできる。

深海魚は深海魚なりに楽しむのだ。さ、ライブいこ!



2024年12月05日(木) これでもかってなくらい。

一日一善一日十パンツ履き替えを習慣としているウチの認知症高齢母のために、もーこれでもかってなくらいパンツ買いまくった結果、彼女の引き出しにぎっっっっしりたーーーーっぷりとそれはもう見事にパンツばかりが並んでおります。

そして私は毎日の大量母パンツ洗濯ストレスから解放。←モノ増やしたくない私にはこれだけでもストレスなんだが洗濯ストレスよりマシと判断。

わかるかなあ、旦那と二人だった時は2日に一度の洗濯でもたいした量ではなかったのに、母と二人だと2日に一度で20枚以上のパンツ洗って干してんですよ。

まあ、パンツが増えたからって洗濯物が減るわけではないので単に3日で30枚になるだけですが、ひたすらパンツ「だけ」のために雨でも具合悪くても時間なくても毎日毎日毎日毎日ドラム式洗濯機回す必要がなくなっただけでもマシかなと思うわけです。

……これ絶対全部棺桶に詰め込んでやるからな♡

あ、この報復として母の家から唯一持ってきた古いアルバムは全っっっ部燃えるゴミに出しました。どうせ認知症だからアルバムの存在すら覚えてないし。←鬼娘。←失敗の尻拭いは迅速かつ怒鳴らない叱らないあなたの言うことやることなすこと存在全肯定、好きなモノだけしか与えない快適安全優しい毎日を提供しているんだから、カビくさい写真などゴミとして捨ててもバチはあたらないと思うんだな。うん。

はー、捨てるってほんとストレス発散だわー。



2024年12月04日(水) 再検査の再検査の再検査。

なかなか通院から解放されませんねー。
ホルモン検査でひっかかってますよー。

MRIの結果は予想通り「あるけど悪性じゃないしまあ今後要観察」コースでしたが、安静採血で出た結果が再検査→次回投薬実験後の採血となったわけです。

まあ、私は検査結果の数値に一喜一憂しないタチなんでいいんですけど。←致命的じゃない限り。
むしろ結果に異常値出てると自分であれこれ実験したくなる性分で。

実は昨年まで十何年もとある数値が高くて要観察続き(医師によっては投薬投薬せからしいけど、私が信頼していた医師は他の数値みて観察でヨシだったんで私はそっち採用してた)でしたが、十年がかりの実験(食生活とかあれこれ)で今年に入りガクンと正常値に戻ったんですよ。

「投薬治療もしてないのに何したんですか?」って聞かれましたけどね。まあここでは書きませんけど。複合的要素かもしれないし、こういうのって個々の体質に合う合わないあるだろうしそれぞれなんで。

で、今回ひっかかったホルモン検査はまあ、今後の検査結果で私もあれこれ考えなきゃかなとは思います。来年のテーマはこのことをきっかけに明確に見えてきましたね。

自分を甘やかす!

年明けたら59歳なんだから、誰かのためじゃなく自分のために生きたいかな。



2024年12月03日(火) 転倒はスローモーション。

そーとー久しぶりに転びました。
佐賀県民時代に玄関で盛大にすっころんだとき以来でしょうか。

しかも今回は母連れての買い物帰り、両手両肩に大荷物であっちに気を遣いこっちに気を遣いしていたところで段差に蹴躓いたのであります。

あっ!ヤバッ……と思ってから五体投地までがもうスローモーションすぎて面白かったものの、立ち上がると膝いたーい。なんか懐かしい痛みだわ状態です。ジーンズ脱いだら擦りむきキズできてました。服は破れてないのにね。不思議〜。

手は無事でした。両手両肩の大荷物が助けてくれた感じです。こいつらが原因でもあるが、クッションにもなった模様。そして謎なことに卵は割れてませんでした。奇跡〜。

そして私が盛大に転んだのを真横で目撃していた母は、その2分後に私が椅子に座って大きな絆創膏を両膝に貼っているのを見て「えー?どうしてケガしたの?何かあった?」と言うので「さっき玄関の前で転んだんよ」と答えると「えー?出かけてたの?」と驚いたように言うので膝痛いのも忘れて腹抱えて笑いました。いや、どんだけ何も覚えてないんwマジウケるわ。

それにしても両膝以外無傷だったのは助かりました。
そうそう、スローモーションで五体投地までの間、私の脳内では木こりのおっさんが「たーおれーるぞー」と叫んでおりましたよ。杉の木の気持ちがよくわかりました。ほんとにもう、足下には気をつけなさいよオバサンなんだから。



2024年12月01日(日) 冬の合図。

福岡国際マラソンの日を迎えると、あー冬が来たんだなと思う。
もはや地域限定季語である。

この日は昼前からゴールまでヘリの音が止まないのも風物詩。
車でどこにもいかない一日なのもお決まり。

昔はちょくちょく旦那が「ちょっとテレビに映ってくる」などと言っては博多駅まで歩いて出向き、朝日ビルの角あたりで声援送ってる姿を中継で見ては笑っていたものだった。←彼はその後、いきつけの寿司屋で酒などひっかけて帰宅するw

母と猫にはコタツを出したが、私のデスク周りはエアコンのみだと足下が寒い。てなわけで先程電気ブランケットを出した。温い。温いは正義だわ、うん。

今年の冬は電気熱燗器でも買うかな。
コタツでヒレ酒とか楽しみたいし。


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書いてる人 : Dynamiteおかん