昭和は64年1月7日で幕を閉じました。
その前年である昭和63年を思い起こしてみましょう。暇なんで。
秋には鳩の公開処刑で幕を開けたソウルオリンピック(通称:焼鳩五輪)がありました。病的なまでの肉体美とメイクと脚力で人生までも駆け抜けていったフローレンス・ジョイナーや、この3年後に長嶋茂雄から「ヘイ、カール!」と呼び止められる羽目になった疾風の男カール・ルイス。そして鳥人ブブカが唯一金メダルを得たのもまたこの焼鳩五輪でした。歴史に残る人々大集合ってなくらいにスターが勢揃いの大会でしたね。
歴史に残るといえば、せっかくもらった金メダルを公衆電話に置き忘れたうっかりエンジェル、レスリングの小林孝至さんも忘れられません。 またスタートと同時に三分の一近くを忍者の如く水面下に潜み続け、浮上すること潜水艦の如くダバァッと現れたかと思うと瞬く間にゴール。高々と左腕を掲げたバサロ鈴木氏の名言が「ちょー気持ちいい!」だったらきっと初代スポーツ庁長官にはなれなかっただろうなと思う今日この頃。皆さんいかがお過ごしでしょうか。
そしてソウル五輪といえば小谷実可子、いや、日本シンクロの母・井村雅代を忘れることなど私にはとうていできません。冬の満知子に夏の雅代。井村雅代と山田満知子のお二人は日本五輪の母といっても過言ではありません。宇津木妙子も入れて五輪三母とも言えましょう。まさに聖母。あ、橋本聖子は入れませんよ、ダメ、絶対。
さて、このように思い出深すぎる昭和63年は、後半に向かって次第に自粛ムードへと向かっていくのであります。
そんな自粛ムードのさなか、この年の3月に発売された少年隊最初で最後となったベストアルバム「BEST OF 少年隊」に興奮するジャニオタな同僚らから、病的なまでにこれを聞くようすすめられ、毎日のように「一度聞いてみなよ、ニッキかっこいいよ」だの「ヒガシの声にうっとりするんだよね」だの、あと一人のことは誰も言わないことなどは置いといて、当時の職場でこれをガン無視することはなかなか難しく、無理やり渡されたカセットテープを「ねえ聞いた?聞いた?」と毎日問われるのも苦痛になりかけたため、いいかげん降参するかと買ったばかりのウォークマンで仕方なく聞いてみたところ、ラストに入っていた「少年隊とおしゃべりデート」にツボってツボッて呼吸困難に陥るほど大爆笑。当時の世間は自粛ムードいっぱいだというのに不謹慎極まりない状況に私を陥れた少年隊、いえ、影の人ジャニー喜多川に恐怖すら覚えたことは特筆すべきことでしょう。おすすめしてくれた当時の同僚さんありがとう。おかげで翌年転職した先の会社でこの話題がテッパンネタとなり、ずいぶん長い間笑わせていただきました。「だってオレは...明日がどうなるか分からない仕事してる男なんだぜ」錦織一清はジャニ神。異論は許さん。
そうです。 昭和63年とはこういう年だったのです。
年末年始に向けて世の中の自粛ムードはもうマックスになり、明けて7日早朝、昭和は静かに終わりを迎え、この日の午後には明日からの新たな元号「平成」が発表されました。
そしてその瞬間からゴム印屋と印刷屋はてんてこ舞い。 どこもかしこもなにもかもが、この日を境にしばし慌ただしくなりました。 悼みと時代の転換期のドキドキを同時に迎えるような、複雑な心境だったのを覚えています。
が 今度は違うのです。 不安の中にもなく、自粛ムードもなく、誰もがこのときをわくわくして待っている改元。
天変地異があったので改元するわけでも、崩御されてからの改元でもない、おめでたい改元。
昭和の終わりを忘れられないように私はきっと 平成の終わりもまた、忘れないでいることでしょう。
そして少年隊よ永遠なれ。
平成最後が近づいております。
しかもあなた 4月1日午前11時半に次の元号が発表されるとのこと。
・・・
日本国よ!!それは本当に本当なのか? もしや正午の会見で安倍総理が
「国民の皆さん、あれは嘘でした。エイプリルフールなんで」
などとNHKゼネラルエグゼクティブプレミアムマーベラスディレクター・三津谷寛治的ポーズをビシッと決め、公共の電波を使って壮大な笑いをとってくれるのではないか?などと期待している私はそーとー暇なのか?人生が退屈なのか?小豆の食べ過ぎか?資さんうどんにハマりすぎて困っているのか??←お教えしよう。資さんうどんとは、修羅国北九州に拠点を持つ1976年創業のうどん店である。うどん店にもかかわらず一押しが「ぼたもち」という理解不能なメニューと、24時間という従業員泣かせの営業時間にもかかわらず「味良し、価格良し、元気良し」を旗印にした、やたらカツとじ丼の美味い店だ。ちなみにここの焼きうどんは食べると無性にビールが飲みたくなるという限りなく困ったメニューなので気をつけろ。
それはともかく
平成が最後になります。 戦争のない元禄時代のような世でした。 これがどうにも「あたりまえ」のように錯覚することがありますが、ほんとうに「字」とはすごいなと、この時代はつくづくと「平成」だったんだなと感慨深くなるわけです。
・・・言っとくけど自然災害は戦争じゃないですよ?地震多かったじゃんなんてのはお門違いってもんです。今に始まったことじゃありません。できた当初からこの地は揺れるし噴火するし台風が来るんです。人の世の話で頼みます。
そう。 字は表す。 表すんです。
5月から始まる次の世が 明るい光のなかでにこにことわらうこどもたちと それを見守るアンパンマンのような強く優しいおとなたちで 構成されているといいですね、やなせせんせい。
1月中旬、用があって車で門司と小倉へ行ったんですが せっかく来たから一泊すっかと駅近のビジホをとり 夜の小倉を吉田類ってみました。
んが、 小倉といえば言わずもがな修羅国本拠地。最近も駅前にあるデパートが閉店するなど寂れたニュースしかなく、これまで仕事で行くことはあっても用が済めばとっとと帰っていた(てか女一人で泊るな危険とマジで言われていた)か、どうしても泊るなら下関に移動してフグ三昧とか、まずもって「小倉泊」って選択がなかったんですよ。
なのでたいした期待もないまま、せいぜいテレビでやってた24時間営業の焼肉屋でも冷やかすかってな感じでホテルを出てみました。
新幹線口側のホテルだったので、駅前に出るには駅ナカを通り抜けるんですが、エスカレーターを上がったところでびっくり仰天
いきなりハーロック。
ベンチには
俺のメーテルw
構内では
車掌にびっくり
モノレールの顔まで
やっぱりメーテル
車内の天井には
Yes!ハーロック
いやはや駅はすっかり松本零士におんぶに抱っこ状態。 エレベーターのドアにもメーテルいましたよ。 私的にはトリさんがどこにもいなかったのが残念でなりません。
そう 松本零士は、いや、小倉は頑張っているのです。 駅はともかく、旦過市場とか魚は安くて新鮮、下関直送のふぐ専門店はあるし、お惣菜もやたらと美味しそう。裏路地には洒落たバルとかビストロっぽい店もあってなんか面白い。
鍛治町あたりに繰り出せばナイトスポットはめっちゃあるし、ちょっと探せばびっくりするくらい角打ちがあるのも楽しい。 しかもあーた、今どきのおしゃれ角打ちじゃなくて、もー筋金入りの角打ちよ。たまらんやろ。
街のいたるところに松本清張、森鴎外、松本零士の文字をみかけ「安全ですよ」「文化的ですよ」「丸腰ですよ」的なアピールをしている小倉。なんだったらゼンリン地図の資料館とか漫画ミュージアムなんか人気スポットですよと言いたいところだけど、どっちかというと私はディープスポット推しですね。飲み屋巡りとかしてもらいたいです。イチ推しは新幹線側のサラリーマンの隠れ家井手商店。ほんとに隠れ家。←行けばわかる
博多から新幹線で15分2110円 快速で1時間10分1290円 ビジホは激安 治安は回復
それを決死の覚悟でもってPRする動画もある小倉。なんかもうめっちゃ可愛いぞ芋洗坂係長。
ちなみに私がツボッたのは駅のすぐ側、24時間営業の焼肉白頭山とその向かいにある立ち飲み屋。 そして立ち飲み屋に隣接する薔薇族専門映画館と
ストリップ劇場ですな。
駅から1分でストリップとかどんだけA級よ小倉?神か!!
朝から雨模様の博多です。
それではお聞きください。 如月レオン様で、「雨」
神曲。←ダンテじゃないほう
雨なのに旦那が「刺身食べたぁい(はあと)」とか言います。
やだなあと思いつつも、後期高齢者なので食べさせないまま明日永遠の別れになると心のこり←(細川たかしじゃないほう) なので、買いに行くのです。もちろん本人も道連れにして傘を持たせますけれども。てか、ぽっくり行きそうにもないめっちゃ元気良すぎな後期高齢者ですけれども。
脳内にレオン様を召喚し、雨天時の買い物へ行ってまいります。
いや、でもほんと行きたくない。←SHISHAMOじゃないほう ←シシャモじゃないほう。
旦那が「麦とろ食べたいなー」と言うので、押し麦を買いました。
押し麦の食感好きなんですよねー私。
てなわけで、未だ結構残っている小豆と押し麦と白米で 三穀御飯にしてみました。
白米2分の1カップ 小豆2分の1カップ 押し麦1カップ ←押し麦推しすぎる
水の代わりに小豆煮汁投入。
はい、できあがりー。
炊きたてに辛子明太子のせて食す。 幸せすぎるー。←麦とろはどうした
山芋買ってくるの忘れたー^^
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