Dynamite徒然草
Dynamite徒然草

2013年11月28日(木) さすらいの太陽。

または飛鳥幸子マンガを地でゆくような話に
ショックを受けている四十路です

産院で生後まもなく取り違えられ
電化製品もない高校進学もままならない貧しい貧困母子家庭に育った男性が
50数年後、実の弟たちが依頼した探偵の捜索によって本当の家族(こっちは兄弟全員私学進学も問題ない裕福家庭)と対面

取り違えた病院訴え勝訴

・・・というニュースをみました

想像すればするほどぞっとしてきた.....


反対ならばいざしらず
本当は裕福な生まれだったのに貧しい生活

それこそ少女マンガやドラマでは有りましたが
たいていは少女時代または十代に取り違え判明して色々あってめでたしめでたしなんだけど
この事件はほぼ60年....

うわああああああああああああああああああっっっ
これは苦しい....

そういえば最近も、実話を元にした取り違えのドラマやっていましたが
あれはたしか小学校入学前には判明して子供の交換をしたものの
島という閉鎖的な環境ということで相手の動向がわかってしまうだけに
未練が断ち切れず精神的に泥沼化っぽくなっていたような話でした

嫌だなあ
知らないままでも嫌だし
知ってこれまでの人生なんだったのかって苦しむのも嫌だ
育てのお母さんも何もしらず我が子と思い貧しいながらも可愛がり必死に育ててくれて
何も知らないまま亡くなって...

きっとこの方、いい人だったんだろうなと思います
働きながら定時制高校行ったりって
言うは安し行うは難し辛しですよ本当に

せめてこれからの人生は少しでも生活が楽で楽しく
健康で長生きしてゆとりある幸せな日々を送って欲しいなと
願わずにはいられません
本当にそうあってほしい
八百万の神々に願いを込めて。


..........................



・・・で、話は変わりますが


ふと思い出しました

私が幼稚園の頃、園で盛大に催されるお誕生会の前日
先生から「○ちゃんが生まれた時の話をお母さんに聞いてきてね」と言われ
帰宅してワクワクしながら母に聞いたところ

「あなたはね、出前の帰り(当時実家は大衆食堂だった)に4丁目の亀公園でパパが拾ってきたの。雪が降ってて寒い日だったし可愛そうだからって。だから拾ってきたパパの名前からとって○子ってつけたの」

ガ━━(;゚Д゚)━━ン!!

※雪の降った日に生まれたことのみが実話の、恐るべき母の作り話。

翌日
ショックすぎて可愛い髪形にしてもらっても能面のように無表情で
お誕生会だというのに葬式のような顔の私を優しい先生は不審に思い
何かあったの?と問うたところ

この「私は捨て子だったのグッスン」発言 ※しかも亀公園w

これを聞いて怒り新党心頭の先生は、
お気に入りの素敵なスーツとハイヒールでルンルンとやってきたうちの母を見つけ厳重注意

母的には「冗談だったのに。普通わかるでしょーもー、プンスカ」で、私に本当のことをいうこともなく
私も当時から漢字を含む文字の読み書きはできていたので
後日母子手帳を見た時「なんだ、本当にうちの子なんだ」と知りましたが

それでもやはりさすらいの太陽または飛鳥幸子マンガ世代

私の本当のパパはルーチェバンで出前一丁じゃなくて
黒塗りツヤツヤの外国車にのっていつか迎えに来てくれるのだわ

レースのカーテンが窓についてるような車で
運転手とか召使がいて
「お探しておりましたお嬢様」って泣きながら言うの
パパはパイプで煙草すっててスーツ着てるの
ママは和服姿で奥ゆかしくて
優しくって頭の良いお兄様もいるの
本当の名前は○子じゃなくて「エリカ」

エリカお嬢様...だと?

イヤ━━━━(ノ´∀`*)━━━━ン!!!!


やっぱりマリちゃんにしとこうかなあ
いや、近所のマリちゃんは意地悪だからダメだ

でもどうみたってあたし「エリカ」って顔じゃないもんなー
どうしよう
まあ、とりあえずお父様にお願いして名前だけはこのままにしてもらおう

あー、早く外国の車で迎えに来てくれないかなー

あ、でも亀公園で拾ったのにもかかわらず
名前を「カメ子」にしなかった育ての親にも感謝しよう、うん。


。。。などと、あれこれ妄想していた幼稚園児が
時は流れ
黒塗りの外国車ならぬシルバーのベンツ(中古)で迎えに来た23才年上旦那と結婚するとはwwwwwwww

妄想するものですな。
妄想も時には形を変えて一部現実化する、と。※なんのこっちゃ。


では股。



2013年11月21日(木) 筑紫美主子。

佐賀の代表的芸人、筑紫美主子(ちくしみすこ)さんが
先月亡くなったことを知りました

15日に用事で佐賀に戻っていたとき
偶然つけていたテレビの、偶然そのチャンネルにしていたNHK佐賀で
筑紫さんの追悼番組がはじまり
驚くやら慌てるやらでテレビに釘付け。

彼女が心血注いできた「佐賀にわか」
苦しみ深い人生を背負ってきた一人の女性が、生きる為に選択した笑いの道

なんだろう
不幸は人の肥やしなんだろうか

もちろん
不幸で弱ったり腐ったり枯れてしまうものもあるけれど

これを肥やしにできた生き物は強い

耐えて乗り超え、生き延びた先に「成長や進化」があったりする

不幸に直面すると人はついうっかり
「私は不幸」「私はかわいそう」「どうして私ばっかり」ループに陥りそうになるけれど

筑紫さんは
スタートからハンディだらけの人生を与えられてもなお
舞台も生き様も常に
「私は生きる」「私を生かす」道の探求に徹してこられたような気がしてなりません。

番組良かった。
見られてよかった。



2013年11月13日(水) 噴水。

最近、公園などで
噴水していない噴水をみることがあります

たいていそこには
「節電のため停止しています」
と書かれてあるわけですが

電力事情や景気に左右されるくらいなら
とっとと撤去するなり
撤去費用がないなら土入れてタキイかサカタの種でもまいて緑化したらいいのに
などと
水のない虚しげな噴水をみるたびに
思ったりなんかしますがまあそれはおいといて


噴水といえば「俺たちの旅」のオープニング。

ざばーっと入って肩までつかっちゃうカースケが印象的なやつ

きっとあれ見て当時の「俺たちシリーズ」にはまっちゃったヤングマンたちは
東京の大学行ったらカースケみたく噴水にざばーっと入ってやるうっ
なんてーことを思ったに違いありません
(でも決して一人では入れない。要、酒と道連れ数名)


あれ以降
ドラマで「噴水に入る」ってシーンは
ちょくちょく見かけるようになりました
※最近でいえばフジの「結婚しない」第一話とか

今も昔も
噴水=テンション上がる
ってイメージなんでしょうか


私が幼稚園の頃の写真に
丸くて、中心から一筋だけ単調な一定の圧でもっと拭き上がるだけの
シンプルな噴水の前で撮ったものがあるんですが

当時のローカル公園の噴水といえば
白くて丸い石でできた
周囲がちょうど座れるくらいの高さの
水は一筋しかでていないか、またはその一筋に向かって周囲から
ハウス・ゼリエース的なラインでもって水が噴き出してくるような

その程度のものでした


小学生になって
どこかの大きな公園で
水の圧が時間であれこれと変化する噴水を見たときは
たしかにテンションあがりましたっけ

全てのパターンが把握できるまでは離れがたく
カウントをとってタイミングを計り
パターンを全て暗記できるまで見ていた覚えがあります

10でザー
15でぶしゅー
30でシャワー
20でチョロチョロからの
3でドバー

みたいな


今、ああいう昔ながらの噴水ってお目にかかれませんね
公園のは子どもが突撃できるような「噴水遊び場」系が多いし
他は「オブジェからバシャバシャ」系ばかり


ハウス・ゼリエース型噴水を思い出の中で懐かしみ
ああ
あの水が自動販売機と同じオレンジジュースだったらもっときれいなのに
などと考えていた
噴水型オレンジジュース自動販売機を知る世代の私でありました


懐かしすぎて鼻血が出そう。

ちなみに瓶入りジュースはミリンダが好きだったペプシな私です。


では股。



2013年11月10日(日) 人間丸くなった測定器。

最近
大泉洋で
笑えるようになった私は

「丸くなった」に違いない。


長く険しい道のりであった...........。



2013年11月09日(土) すっきやねん。

「ごぶごぶ」
という番組を見ていたら
「すっきやねん」という流れて激しくウケまくる。

そこはかとなく
「名古屋はええよやっとかめ」風味で好きだなーと思い
誰の歌かいなと思ったらなんと奥さん

「河内のオッサンの歌」でお馴染み
ミス花子ではあーりませんか。

私の中の2大おっさんソングですよ
え、もう1曲は何かって?
そりゃあなた
たけしのオールナイトニッポンでお馴染み「ハイサイおじさん」に決まってますわ


そこのあなた

いきなり「おっじっさん」で始まる桜たまこの「東京娘」とかうっかり思いませんでしたよね?
もちろん伊東きよ子の「花と小父さん」でもありませんよ?

この2曲はおっさんソングというより
中年オヤジの妄想大爆走スーパーMAXソング。

ここはあくまでも
エロ系オヤジではなく
酒飲み系おっさんの生態を生々しくも高らかに歌い上げるおっさんソングでいきましょう。

さて
「すっきやねん」
で何がウケまくったかというと

東京よりも
大阪のほうが
淡路島に近い

って歌詞。

もうね
こっちにきて知った
大阪人の「淡路島にたいする限りなく深き愛」を知っただけに
わかるんです

だって私も
九州に帰ったら思うにちがいない
「ホテルニューアワジ」の
CMが見られないその寂しさを
淡路玉ねぎが売ってない虚しさを
淡路のすべてを〜〜

・・・はい、最後は愛(淡路)の讃歌になりましたね。

兎にも角にも
大阪は住めば住むほど面白い国です。 ←独立国家扱い



2013年11月07日(木) りぼんとばあちゃん。

息子に頼まれている
「週刊少年ジャンプ」を買い
なにげにぱらぱらと読んでいるうちに

回想モードにスイッチ入りました
しばしおつきあいの程。


子どもの頃、私には月に一度のお楽しみがありました。
母が小学館の「小学○年生」を発売日に買ってくれるのです

「学習雑誌」の名目でありますから
これは無条件に買っていただける
年相応のありがたーい娯楽本でありました

一年生から二年生くらいまでは
それで十分だったんですが
さすがに三年生にもなると

従姉妹らが買っていた
「りぼん」や「なかよし」のかわいらしさや華やかさにも多少心ひかれるようになり
また、ふろくもあちらのほうが可愛らしくて
いいな
と思うようになってきたわけです

とはいえ
そんなことを口にしたってうちの母には
たとえ天地がひっくり返っても受け入れてもらえないことは百も招致なので言い出せず
週末には従姉妹の家でマンガを読ませてもらいつつ
彼女らが持つふろくを

かわいいなー

眺めておりました。


そんな中
やがてこの、谷ゆきこマンガ的に不憫な孫に
哀れみの手をさしのべてくれる救世主ばあちゃんが登場いたします。


隣町に住む母方の祖母と私は気が合い
月一くらいの頻度で、週末に泊まりにいき
土曜の夜の「全日本プロレス」を一緒に見ては
二人してテレビに向かって声援をおくったり敵をやじったり
日曜の朝には二人して
スクランブルエッグと魚肉ソーセージ炒めのソースかけ朝御飯を食べながら
決まってチャンネルは「時事放談」
細川隆元に同調したり相づちを打ったり反論したりと
共通の行動を取っていたものでした


祖母もさほど裕福でもなんでもないことは
子供心にもよくよくわかっておりましたので
私が彼女に何かねだるとか甘えるといったことなどすることなく

ただ一緒にテレビをみたり
ただおしゃべりしたり
大きなアシダカ軍曹が住み込みでセコムしてくれる離れのお風呂に、ばあちゃんと一緒に入ったり
一緒に近所の商店街に買い物にいって荷物を持ったりと

そんなことをして祖母宅での土日を過ごしておりました。


ある日、一緒に買い物にいったとき
私がこの商店街の一角にある本屋で
先月号や、先々月号の、りぼんのふろくが
店先の段ボール箱に入れられてバラで売られていたのを発見し
ひとまとめに括られて百何十円かの値札が貼られているのをみて

これなら一週間ちょっとの小遣いをためれば月遅れででもふろくが買える...と
あれこれ考えを巡らしていたところ

ばあちゃんが後ろから
「それはばあちゃんがこうてやろう。ママには内緒ばーい」

え?
いいと?
でも...

「よかよか、ばあちゃんがこうてやる。ばってんママに怒られるけん、だまっとかんね。持って帰ったら怒られろうが。やけん、ばあちゃんちで遊びんしゃい」

もううれしくてうれしくて
そりゃあもううれしくて

はじめて「りぼんのふろく」を手に入れたことがうれしくて

ぜーんぶ出して広げては
かわいいなあーと眺めたり
なんか、箱とか作ったり

ばあちゃんが好きなのは前からだけど、もっともっと好きになり
ばあちゃんちの風呂場の壁の巨大軍曹まで愛おしくなるほどに
好きでたまらなくなったものです


あんまり私が喜んで
ふろくを大事にするもんだから
そのうちばあちゃんは月遅れのふろくだけではなく
発売月のりぼん本体を隔月ながらも
これまたこっそり買ってくれるようになり

私のばあちゃんち通いは頻繁になっていったのでありました

やがて、さすがに4年生の終わり頃にはこの件が母バレし
ばあちゃんちに行くのを禁止され

5年生になった頃に母から
今後は「小学○年生」を買わないから
お小遣いを月払いであげる
というお達しが出て
私はりぼんを自腹で買えるようになったわけですが


・・・ばあちゃんちへはその後も隠れてこそこそ行っておりました。


これ以降
ばあちゃんが私に何か買い与えることはありませんでしたが
(バレると私が怒られるのを知っているので)
それでも私はこの優しいばあちゃんに何かお返しがしたくて

とはいえ貧しい身分ではありましたが

何かしたくて
そうだ
敬老の日ってのがあったと

その日に向けてなけなしの小遣いをチマチマためたり
瓶を拾って店で換金したり
わずかな駄賃を目当てに手伝いをしたり

そうしてなんとか貯めたお金で
蓋付きのかわいい湯飲みを買いました

ラッピングもしてもらいました

ばあちゃんちに行って
「敬老の日やけんこれ」といって渡しました

驚いて
喜んで
お茶を入れて飲んでくれました




私が高校生になる前くらいに
ばあちゃんは叔父夫婦と同居することになり
同じ区内の離れた町に引っ越していき

叔父夫婦に子どもも生まれ
ばあちゃんは赤ちゃんの世話が楽しそうで
嫁さんとも仲良しで

そして秋になるといつものように
「栗おこわができたけん、とりにこんね」と電話があり
黒い重箱にはいったお赤飯の栗おこわを
家族で食べたものでした。



私が18才の夏休み

真夜中に電話が鳴り
叔父さんの家に駆けつけると
奥の隠居部屋で
白衣のお医者さんと、叔父、伯父、その嫁らに囲まれ
ばあちゃんが最後の息を必死でしているところで

瞬間
うちの母が玄関から部屋へものすご勢いでかけていき
ばあちゃんに取りすがって取り乱し
「おふくろ!!!おふくろ!!!」って
泣き叫んでました


・・・びっくり。

ばあちゃんが死ぬことは
悲しいながらも年功序列なので不思議でないことですが
うちの母が取り乱しているうえに叫んでる
あの人目気にしいの気取り屋さんのお上品ぶりっ子さんが
「おふくろっ!!!」って泣き叫んで取りすがってる不思議。


自分は娘に「ママ」とか呼ばせといて
自分は「おふくろ」。

あは

ばあちゃん
最後にいいもの見させてくれてありがと。


それからその夜、一晩中
私がばあちゃんの横でお線香とろうそくの番をしてた
離れたくなかったし
明日、私がすることって別にないし

ろうそくの火でまた本読んでた

ばあちゃん起きてまた言いそう
「いつまっでん暗かとこで本読んだらめくらんなるばい」って

可笑しくなった

そうだ
りぼんありがとう

ふろく、たのしみやったよ

りぼんのふろくみるたんびに、ばあちゃんに初めて買うてもろうたときのことば思い出すっちゃん

家ん中で死ねてよかったね

明日には広い斎場に連れていかれるらしいけん
もう二人で夜すごすの、これで最後やね

またね。


翌朝、なぜか知らないけど大きな虹がかかってて
ばあちゃんがもう、極楽浄土におるばーいって合図くれた気がして笑った。


そうそう
火葬終わって叔父さんちに帰ってきて
みんながわらわらと形見分けをはじめたとき
叔父さんの嫁がハッと立ち上がって台所に行き
「そうそう、これは○ちゃんに!」
って
食器棚から湯飲みを出してきた

「これ、○ちゃんが子どもの時お義母さんにくれたんやろ? お義母さんその話いつもしてくれてね、大切にしとったとよ。これは絶対に○ちゃんに形見にかえしとこうとおもって。覚えとう? これ」

だって。


覚えとうよ。

本当はもっと値段高い湯飲みのほうがデザインとかよかったけど、高すぎてお金足りなくて、考えて考えてやっと決めたやつやもん。

本当は渡したあとも、何ヶ月か「りぼん」買うの我慢すれば、もっといい湯飲みが買えたっちゃけどって、ずっと後悔しとったっちゃもん。


形見の湯飲みもらって帰った。

そしてそれは、先の福岡西方沖地震のときも割れずに耐えて
今も佐賀の家にある。

割れたら困るから、使わない。

私がばあちゃんになったら、出して使おうかなと思う。


孫が泊まりに来たときにでも。



2013年11月01日(金) 伊勢日記、その2。

伊勢日記 2:おはらい町探訪記。

おはらい町にはいり
赤福も通り過ぎ
どんどん歩いていくと
大行列大混雑エリアを過ぎたあたりで

このような銀行を発見

百五銀行内宮前支店

町並みにハマりきってる感が素敵
目玉おやじ的奉祝ちょうちんも素敵


するとその先にはこのような郵便局が


五十鈴川郵便局


可愛らしいなあと思いつつ
そういえば息子に送るものがあったなあと
レターパックを買い求めて
品物を入れ
封をしたところで

五十鈴川郵便局記念スタンプを発見したので
これみよがしに押してみました。

郵便局の先は本当に何もない普通の町状態っぽかったので
ここで踵を返し
左側を歩いておりましたところ


・・・これは趣きのある、一体何屋さんだろうか


河西隣水軒

左端にくるくる回っている3色のサインポール....

まあ!
ここは理髪店ですか!!!

......私が男だったら絶対記念に散髪したに違いない......


それから人が多すぎて写真とれませんでしたが
ファミリーマートも一見レトロな駄菓子屋かと見紛うほどに
いい感じでしたよ

あと、お店の商品が可愛かったのが「おかげ犬」のグッズが並ぶ
「もめんや藍」


ここで売ってた
「おかげまいり」と書かれたノボリを
首輪がわりの〆縄に挿してる犬の置物がたいへん愛らしく
一瞬心が揺れましたが

私は本日身軽気軽な一人旅
土産は「荷物にならない伊勢音頭」一つでよかろうと

周辺の店の軒先に並んで伊勢うどんをすする皆様を横目に踵を返し
伊勢山田駅に向かうバスの中でひとり

「正調伊勢音頭」を心のなかで
エンドレスリピートするのでありました


伊勢はナ 津で持つ 津は伊勢で持つ
尾張名古屋は ヤンレェエ 城で持つ

伊勢へ伊勢へと 芽の穂もなびく  
伊勢は芽ぶき こけらぶこ

伊勢はよいとこ 菜の花つづき  
歌もなつかし 伊勢音頭

伊勢に行きたい伊勢路が見たい
せめて一生に一度でも

紅い灯のつく新古市で  
心引かれた伊勢音頭



次回はきっと、鈴木水産 内宮前店で
ビール片手に牡蠣&松阪牛&伊勢海老食べたいですっっ!!!


ではまた。


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書いてる人 : Dynamiteおかん