夕方、息子を一徹兄貴の家に迎えに行きました。
「もう迎えにきたの?夜に来てっていったのにっ!」
文句言う言う(笑)
聞けば昨夜は別に泣くわけでもなく 甥っ子と同じベッドで寝ていたとのこと。 ちょっと一安心。
で、今日は一体何して遊んだと?と聞くと
「・・・ぼくねえ!おとうさん←一徹兄のことに公園まで歩かされたと!」ですと。
???
聞けば本日、一徹兄が子供らに 「よーし、今から公園行くよー」と声をかけたところ 一徹の息子や娘たちは、父のこの誘いがどういうことかを知っているだけに 「いやだ」「行きたくない」と訴えたそうな。
しかしこの言葉の意味を知らないうちの息子。 「公園」と聞いただけで「行く!ぼく行きたい!」と大喜びし 嫌がる姪っ子甥っ子を連れて元気に出かけたという。
実はこの「公園行くよ」とは マンションから約3キロの距離にある大きな公園まで ただひたすら徒歩で歩いて往復する、地獄の行軍だったわけで。
「出かける」といえば「車」の我が家において 息子的には「超ありえねー!」展開となったあげく 途中で喉がかわいたと訴えても 「ごめーん、おとーしゃん歩くのに邪魔やけんお金持ってきてなーい」と軽くあしらわれ またもや息子は目がテン状態だったとか。
おまけにたどり着いた公園では滑り台を二度滑っただけですっかり疲れ またもや復路3キロを歩き、計6キロの行軍を終えたとのこと。
すっかりぶーたれていた息子でありましたが 「6キロも歩いてすごいねー。かーちゃんに自慢できるやん!」と 一徹に言われまくったにもかかわらず 息子は私に 「ぼく、おとうさんに6キロも歩かされたとよ」と訴えていたのには 笑ってしまったわけで。
それでも帰るよと促したときには まだ泊まりたいなーと言っていたんで 行軍もなかなか楽しかったのか?
※よく聞いたら「今度は公園いこうって誘われてもぼくは歩いて行くのなら行きませんって言うけんさ!」ですと。
教室もお休みの連休。 息子にはとことん遊んでもらおうと 姪&甥を誘って公園に行ってきました。
大野城いこいの森。 ※入場料無料。駐車場代210円。トイレ有り。ゴミ箱無し。ジュースとアイスの自販機有り。月曜休み。
ここでの息子のお気に入りは 長いローラー滑り台&アスレチック。 タフだなーと感心するほど 滑りおりてはまたアスレチックで登り 滑り降りては登りを繰り返し。
私も付き合おうと息子に誘われるまま年甲斐もなく滑り降りたものの 一緒にアスレチックで登るうちに息が上がって口呼吸でよだれは出てくるし←真夏の犬かよ。 坂になってる板をロープで登ろうとして△のてっぺんで股裂き状態になるし←SMかよ。 上までたどりついたときにはすっかりゼーハー状態でありました。
いかん。 ますます体力アップする息子についていけない・・・
この公園には水遊び場もあり 着替え等は用意しておりませんでしたが それでも子供らは勝手に裸足になってズボンを折り返して 果てしなく遊びまくりです。
公園ってこんなに彼らが楽しめまくるところなのねーと ホントにつくづく思い知るわけであります。
今日は久しぶりにマヒ爺も同行しましたが ほとんど坂道や勾配もない公園の歩道でリハビリもでき 上から眺める景色も良いしツツジもキレイだしでわりと満足しておりましたが 日陰が少ないのが身障者的には大変そうでありました。 親子ジジババ共々帽子は絶対必需品。 子供はタオルが必需品って公園です。
夕方までここで遊びまくり その後、兄貴の家に子供らを送り届け ついでに夕食をごちになっていると 息子と甥っ子がなにやら相談しており
息子「ボク、今日は泊まっていく!」 ですと。
・・・たしか前回はいつだったっけ・・・年少さんの頃だったかなあ。 本人が泊まると言い張って泊まらせたのはいいものの 案の定寝る時間になって「ぼく、やっぱり帰る」といって玄関に行き 一徹兄から「いいよー。じゃーここまっすぐいって右いって左やけん。ばいばーい」 などと言われ 目がテンになったあげく しぶしぶベッドにいったもののシクシク泣きはじめ 甥っ子に慰められるうちに泣き疲れて寝たという過去が・・・
「ホントに大丈夫?夜中に泣かれても迎えにこれないからね」 と聞いてみたものの 「大丈夫!絶対泣かないから!」 といって譲らず。
かくしてジジババと私だけが帰路につき 2度目の一徹兄家お泊まりチャレンジとなったわけで。
・・・もう年長さんだしキャンプとかも経験してるから大丈夫か。
・・・てゆーかウチより春日のほうが余震なくて安全と考えたとか??
とりあえず一徹と甥っ子に任せとこう、と。
新種のセミの名前かと思いきや 子供の通信教育だったりするドラゼミ。
さて 息子は年長さんですが 迷路よりも算数 間違い探しよりも国語が大好きです。
なので彼の家庭における遊びのひとつとして この春からドラゼミ小学一年生を受講することにいたしました。 ※元もとは申し込みをしたらもらえる計算マシンが一番のお目当てだったんですが
これだったら先生からのメッセージや添削で 本人的にもおもしろみが増すだろうと踏んだわけですが 先月提出した初回のテストが添削されて返送されてきました。
まず驚いたこと。
添削の字が完璧なまでに美しい!!! これはすっげー驚きまくりました。日ペンの美子ちゃんもくりびつです。
もひとつの驚きは採点の細やかさ。 ひらがなの「はね」「とめ」「はらい」までチェックして容赦なく減点です。 でもこれって大切なことよね。親ではここまでチェックできないわ。
それにコメントもわかりやすく子供が励みになる内容だし
基礎がためとしては最適かもってな感想を抱いた新種のセミならぬドラゼミ。私的には値段的にもコレはあたりだったかもって感じの通信教育であります。
息子は担当の先生がすっかり気に入ったらしく←似顔絵入りのメッセージに心打たれたらしい 「どんな先生かなあ♪かわいい先生かなあ♪」などと ペンフレンドに思いを馳せるかのような発言を繰り返しておりましたが
・・・息子よ、おばちゃん先生だったらどうするよ(・∀・)ニヤニヤ
いかんいかん 夢は壊すまい。
幼稚園の息子が 親に断りもなく 友達と 「今度の土曜日、ボウリングいこーぜ」 などと 約束をしていたことを知ったとき なんかちょっと 笑えた。
過日、 うちの近所にボウリング場があることを知ってしまった息子は 「今度行こうよ」と言い続けておりましたが 私が「いいよ」と生返事をしたのをいいことに 幼稚園の友達と勝手に約束を取り付けて 「じゃー今度の土曜日な!」 ということにしてしまっていたらしく すっかり彼らの中ではこの約束が成立していたのでありまして。
で、その約束が今日果たされることと相成り。
お昼に近くのマックに集合して昼食をとり それから近所のボウリング場へ移動ですよ。
ここは子供でも楽しめるよう 五本指で持てる軽いボール(5ポンド)が用意されていたり ガーターにならないようにバンパーがついてるレーンがあるわけですが おかげでゲーセンのボウリング以外未経験の幼児3人でも 悲惨なスコアになることもなく(60〜90台) 恐ろしいことにスペアなんかもでちゃったりなんかして なかなか面白いゲームでありました。
しかし ありえねー出来事はいつの世も起こるわけです。
ノーガーターのはずなのになぜかガーターになったり (バンパーの手前から既にガーターレーンに落としてるあたり) しかも勢い弱すぎてガーターレーンの途中でボールが止まったり うまいこと投げられても、あまりにピンまで届くのが遅すぎて ターイムアーップ!! とばかりにピンの手前にガードが降りてきたり。
と、まあ ゲーム中、何度係りのお兄ちゃんを走らせたことでありましょうや。
それでも子供らはすっかりボウリングにハマりまくりで もっとやりたい!の連続で4ゲーム完投したわけです。
・・・やりすぎですよ、ボクたち。
我々保護者3人といたしましては 「どうせ途中で、疲れたからかわってーなんて言うよね」と踏んで 残りゲームを楽しもうと思っていたわけでありましたが 結局この日は子供たちに全てもっていかれ なーんもできないまま ただ後ろで笑いまくっていたわけです。
それにしても息子はボウリングにそーとー熱くなっておりました。 「もうムシキングとかしなくていいから、毎週ボウリング行きたい!」ですと。
参ったなあ。
そのうち誕生日にはマイボール&マイシューズ買ってくれとか言われたりして?
そのうち 「中山律子にコーチお願いしたいんだけど」とかせがまれたりして?←幼児は中山律子知らんって
まあ、観戦していても日焼けしないんで しばらくはボウリングにハマッてもらっても私はかまいませんよ。ええ。
今日は親子遠足であります。
現地集合のためチャリで向かったのは 我が家からほど近い大きな公園。 ここは大きな銅像が目印だったりするわけですが その周りも今は地震のおかげでぐるりと立ち入り禁止となり ヒビが入った台座の点検修復作業が続いている模様。
頼むから遠足中に地震が起きたりなんかせず 頼むからこの銅像が上から転げ落ちてこないことを願いつつ 賑々しくイベントは始まったわけです。
音楽が鳴り響き、子供達がいつもやってるらしい体操を一発。 元気なのは子供だけ。私は息子が横でやってる体操を見よう見まねでやるのが関の山。 で 次はゲームだそうですよ。 何でも音楽が流れている間、子供は母親の周りをスキップでまわり 合図の拍手が一回ならお母さんが子供を抱っこ。 二回ならぐるぐる周り 三回ならおんぶ、と。
・・・あのー先生?
うちの子、体重24キロ近くあるんで・・・
それってすっげー辛いんですけどーっっ!!(´Д⊂
お子さまが小柄なママさんたちはキャーキャー楽しくゲームができてますが 私は拍手が1回または3回なるたびにその場にしゃがみ 妖怪・子泣きジジイと化したかのようなクソ重たい息子を 抱っこしたり背中にのせたりした状態で 必死で立ち上がらねばならないわけですよ!!
39歳にこんな苦行を強いるとは・・・ヽ(τωヽ)ノ
そしてゲームはいろいろ続き 最後は「天国と地獄」ゲームだそうで。
天国と地獄ゲーム? そりゃ一体どんなもんなんでしょう、先生。
はーい、先生が持っている箱の中に 青いボールと赤いボールがありまーす♪ お子さんが箱に手を入れてボールを取り出し 青いボールならお母さんと手をつないで走る 赤いボールならお母さんがお子さんをおんぶして走ってもらいまーす♪
なーんだ だったら青いボールひいてくれりゃいいだけのことじゃん☆と 軽く考えたのが運のつき。 はたして息子がひいたボールは 見事に赤!
モ(゚∀゚)━ウ( ゚∀)━( ゜)━( )━(` )━ダ(Д` )━メ(´Д`)━ポ(;´Д`)━━━!!!
これまた必死で子泣きジジイをおんぶしてコースを走る39歳丙午。 小柄で小さなお子さまをお持ちのお母様が 今日ほど羨ましいと思ったことはございませんでした。
恐るべし天国と地獄ゲーム。 私にとっては地獄続きのハードな遠足でありました。
幼稚園最後の参観遠足は こうして己の基礎体力のなさと加齢ぶりを痛感させられる なんともはやな一日であったわけであります。はい。
・・・やっぱもう第二子はいらんわ。
2005年04月20日(水) |
余震で震度5強はあんまりだよおまえさん。 |
ズズズン・・・という地鳴りのような振動で目が覚めかけた瞬間 すさまじい横揺れと共にそれはやってきたわけで。
横で寝ている息子に布団ごと覆い被さり とにかく身を守るので精一杯の中 ちょうど一ヶ月前と同じ音が響いてくるわけです。
ドッシャン!ガッシャン!ガチャン!バリン!ガシャン・・・
モ(゚∀゚)━ウ( ゚∀)━( ゜)━( )━(` )━ダ(Д` )━メ(´Д`)━ポ(;´Д`)━━━!!!
十数秒かそれ以上続いたんでありましょうか。 揺れがおさまって息子をのぞき込むと 何事もなかったかのようにぐーすか寝ている寝ぼすけ具合に プッと吹き出しつつも、安堵しまくり 息子に覆い被さっていた私の上に、さらに覆い被さっていた夫と共にやおら起きあがると リビングを確認いたしました。
・・・割れてる割れてる。
ワイングラス、ビアグラス、茶碗蒸し腕、酒瓶、おちょこ、湯飲みの蓋、コーヒーカップ、小皿、マグカップ、ロックグラス、蓋付の器・・・
これらは先の震災を生き延びたばかりでしたが ついに再度の生存競争に負けてしまったのであります。
Ω\ζ°)チーン
ですが 今回の被害がこの砕け散った食器類だけで済んだのは 言わずもがな先の震災のおかげでもあり。
前回、寝室では棚にあるものが相当散乱してもの凄いことになっていたわけですが その後、チェストの向きを変えたり、ものの置く場所を変えたり また棚に置いたケース類の下には滑り止めマットを敷いたり
またビデオ類はきっちり隙間なく収納して飛び出し防止策をとっていたおかげで 寝室での被害は皆無でありました。
また前回とんでもない被害だった机周りも今回はほぼ無傷。 プリンターやスキャナ類、またそれを置いている棚には全て滑り止めマットを敷いたことと
机上の本棚の向きを変えて、本もきっちり隙間なく詰めたこと、 小物類は飛び出し防止として棚と棚の隙間に飾り棚を挟み込んだこと、 また書類ケースにも滑り止めを敷いていたことなどが功を奏して 被害はパソコンの本体が壁側に倒れて斜めを向いていたのと ブックエンドで支えていた本がずれていただけで。
前回上棚から本が飛び出しまくった部屋中央の本棚は 本を並べ替えたことと、やはりきっちり詰めて入れたことが良かったのか 本棚はそーとー動いていたものの 本は一冊も飛び出しておらず。
観音開きになっている押し入れには 先の震災後に取り付けたコレ↓のおかげで
中からものが飛び出してくることもなく。
また前回倒れてしまっていた家具は チェーンで防止策を施していたので
やはり今回、倒れるのを免れたわけです。
また今回の生き残りとなった九死に一生グラスたちの生存要因の一つとして
滑り止めマットに底が広く面していた というのがポイントだったようであります。
で 思いましたね。
対策ってのは しておいて孫正義。いや、損はない、と。
非常持ち出し袋よりも滑り止めマット。 保存食より軍手と雑巾とゴミ袋のストックと強力パワーの掃除機。 防災頭巾より家具やインテリアの配置の見直し。
災害で道路が寸断されて孤立するような村でもないかぎり 都市部では災害で餓死するほどいつまでも食料が不足する事態にまでは陥ることはないとおもわれ。
なので 私の経験から申し上げますれば 非常持ち出し袋のような意味不明に高価なだけの「逃げる」準備を焦るよりも まずは復興復旧作業のための準備と その対策を立てておくことがいちばんの得策だよなと 実感体感痛感した 私の福岡西方沖地震被災体験なわけであります。
他に幾つか気付いたポイントをあげつらねておきます。
・キャスター付きの家具は揺れを逃がすので被害がほとんど出ずポイント高いです。
・年寄りのベッドは柵がついているほうが安全です。←マヒ爺、今回の余震でベッドより落下。下が畳だったことと布団が先に落ちたのがよかったのかケガ無。
・棚の本やビデオはできるだけきっちり詰めておくと飛び出し防止になります。
・テレビの転倒は多いものの、キャスター付きの台に乗っていればほぼ転倒はあり得ないようです。←とはいえ小さめのテレビを高い場所に置くとすぐ落ちてくるので低い台に変え、ゲル状の耐震シート類を敷くことをすすめます。
↑こういうやつ。 ちょっと高価だけどテレビやパソの下だけでも置いておくと良さげ。ちなみに写真のやつは5×5(センチ)。4枚1セットで敷きます。
・プリンターやスキャナ、ケース類その他は、高価な耐震マットでなくても震度6程度ならホームセンター等で売ってるメッシュ状の滑り止めマットでも十分耐えてくれます。もちろん食器類の飛び出し防止にも多少なりと役立つことと思います。
これこれ。
・軍手、室内用の底の厚いスリッパは必需品。スリッパは子供用も必ず用意して欲しいグッズの一つです。
・ガラスが散乱した室内で片づけ等の作業を続ける場合は靴を履いて行ってください。軍手も絶対着用してください。軍手は束で用意しておきましょう(ガラスを扱うので使い捨てになるため)。
・燃えないゴミ袋のほかに厚手のビニール袋も用意しておくと便利です。(割れたモノを入れるのに薄いビニールだけでは危険なため)土嚢袋のストックがあればベスト。土嚢袋の中にビニールを入れて割れ物を入れていけば、より安全です。
・部屋に鉢植えを多く置いている人は、できるだけ床の上に直接鉢を置くか、家具の上に置く場合はキャスター付きの家具の上に置くほうが安全。滑り止めを敷いておくともっと安全。倒れたら部屋中土だらけです。←母の部屋がまさに土だらけとなり果てました。
・熱帯魚や金魚の水槽。これもキャスター付きの棚に置いたほうが良いと思います。
・冷蔵庫の中もそーとー揺れて踊ります。冷蔵庫に残り物等を入れておくときはタッパーやジップロックコンテナ等を利用することをおすすめ。でなければドアを開けると悲惨なことに。小さな瓶類はカゴに入れておくと中で転倒してこぼれるのを防げます。
・揺れたからといって家具を支えようとかテレビを支えようなどとは絶対に考えないでください。今回の余震ではこれでそーとー怪我人続出でした。揺れたときはとにかく上下左右の確認をして落下物のないところに逃げることだけを考えるのが基本です。プラズマテレビを守って死んでもテレビはあなたに感謝なんかしませんから。残念っ!
以上、「余震で震度5強はあんまりだよおまえさん、の巻」完。
「さくらさくら」 と聞くと 「いま咲きほこる」 ではなく どうしても 「弥生の空は」 と続けてしまう 永遠の昭和女おかん39歳です、こんにちは。
さて 本日は幼稚園のママ様方に誘われ 御一同と共に住宅街の一角にある小さな公園で子連れ花見と相成り。
大きなブルーシート敷いて始めは各々弁当など食って談笑しておりましたが ついに 一人が「花見ってやっぱ酒?」と 口火を切ったらさあ大変。←言っとくけどあたしが口火切ったわけじゃないわよ!・・・煽ったけどヽ(゚∀゚) 酒屋へ買い出しに行くもの、家から焼酎持ち出してくるものありと それはもうなんともはや 行動の早い主婦らでついに真っ昼間の公園で酒宴となり果て。
私としては外で飲む酒は酔わずの酒ってのが基本形なんで ホドホドの酒で楽しく過ごしたわけですが ワロタのは酔いのまわった奥さん方。 通行人の青年に「彼女おるとー?」だの 「こっちきーよー」などと 逆ナンしかけまくり。 つーかあんたら激しすぎっ≧∇≦ 真っ昼間の公園でそれはヤバいだろ、と。
そんな酒宴やらかしてる母親たちの後ろで 子供らは地味な児童公園で飽きもせずいつまでも遊びまくりなわけで ハタから見ると そりゃーなんともはやとんでもない主婦の集まりではないかと 絶対絶命思われてるだろなって感じ1000%
たしかに近所の婆さんらしき人が あきれ果てた顔でこっちを見てましたけど。
いやーなんかちょっとマジであたしこの仲間にいるのハズーかもー!!!
と ちーとばかり真剣に思ってしまった さくら舞い散る公園の中で。で、ありました。
よし もう参加せんどこ(笑)
2005年04月04日(月) |
永遠のモラトリアム。 |
実は私の後輩の一人が この春、K大I学部に入学することに相成り。
・・・つーかモマイは何歳だっての。
既に別の大学をとっくに浪人も留年もなしに卒業してるってのに。
私はよく 「んっとにアンタは永遠のモラトリアムやね」と言うんですが 彼女はこれを否定することなく 「モラトリアムって言葉は私のためにあるようなもんだなとつくづく思います」 としみじみ頷き。
頼まれるとイヤと言えずまっすぐで子供みたいに単純で。 イイ子すぎて人を傷つけられなくて。 信じすぎて騙されやすくて。 頑張りすぎて自分を痛めつけて。
つくづく思うのです。 こういう子が生きにくいってのが世の中かと。
なので自分の好きな勉強をひたすらひたすら続けることで 何かを保とうとしているのがものすごくよくわかり だけどそれだけでは女ひとり食っていけず 不似合いな仕事をしてもそれがいつしか体と心の変調をきたしたり。
こっちが地元の子じゃないけれど なぜかこの街に住み着いてしまい ついには大学をこっちに決めてしまったわけですが
I学部ならもう進む道は決まったもんだから もう逃げることなく貫けよと ただそれしか願うことはなく。
頼む。 体だけは大切にして しっかり卒業しておくれ。
やっと見つけた自分の生きる道なら ただ無心に貫いておくれ。
あんたの言うとおり合格祝いはしないよ。 そこをきっちり卒業するその日まで おめでとうは言わないから。
がんばれ三十路新入生。 なんなら年下のいい男見つけてついでに年貢も納めてこいよ!
2005年04月03日(日) |
離婚される女、離婚しない女。 |
長きに渡って闘争を続けた後輩が この度目出度く略奪に成功し この春 入籍&新婚生活の為 東京へ行くことになりました。
今日は彼女の送別会。 近場の温泉で日帰り湯浴み&宴会です。
離婚された相手の元奥(50代)には 既に成人した子供有りで 一千数百万の慰謝料&不動産で決着がついたとのこと。
もちろん闘争期間中には元奥に乗り込まれるわ引っぱたかれるわと そりゃー筆舌に尽くしがたい日々だったようですが 己が選んだ闘争人生 彼が元奥と絶対別れたいと固く心に決めていたことと 長き闘争にひたすら挑み続けた後輩の根性が勝ち取ったものと思われ。
で、 思いましたね。 私は既婚者ですが 正直いって そこまでして離婚される女房ってのもどうなんでしょう。
この元奥は一千数百万の現金と不動産で手を打ったわけですが そこまでのブツを提示できないだろう又はしないだろう男の女房の場合だと 往々にして 離婚には一切応じない&聞く耳持たない&別居したって別れない てなケースがほとんどだったりするもんです。 そりゃ致し方ないわけで。
離婚も甲斐性次第というこの現実を あなたはどうお考えでしょうか。綾小路きみまろ子です。
今日の宴の主役である彼女は 略奪成功で新たな生活を始めるにいたったわけですが この宴には 現在進行形の輩もいたりして
聞いてましたね。 「ちょっとぉっ!どーしたら成功するのよぅっ!!!」ヽ(`Д´)ノ
真剣ですよ。マジですよ。
でもねえ 成功した彼女と 現在進行形の彼女とでは 絶対的に違うことがあるわけです。
現在進行形組でネックなのは「子供」と「仕事」。 成功した子の場合は闘争中に子供がすっかり成人してしまったので 養育費ナシの価格で治まったことと 女房が専業主婦でなかったことが 栄光ならぬ成功への架け橋だったわけですが 子供が小さい&専業主婦のところでは これはなかなか夫婦の愛がシベリアの真冬以上に冷めてても 子供への愛が微妙に相手の切り札になっているわけであります。
私は離婚絶対否定派ではありません。(略奪肯定派ってわけでもないが) うちの兄貴は前妻と離婚後良縁に恵まれ現在は幸せであり(←但し前妻との間に子供なし) うちの旦那も前夫人と既に離婚してたおかげで(←以下同文) 私とすんなり再婚できたわけです。
我慢だけが人生じゃありませんて。 耐え難きを耐え、忍び難きを忍ぶ時代は過ぎました。
なので! ほらそこの!! 愛人から離婚迫られまくってる御貴兄!!!
・・・離婚切り出す勇気も甲斐性もないんなら愛人なんて作ってんじゃねーよっての。
┐(´ー`)┌
・・・現在進行形の彼女に成功者は言いましたね。 「略奪はそれそーとーの根性と覚悟でもってやってください」、と。
えー 私は結構元気で 毎日のように出かけてたりなんかするんですが 微妙に日記さぼり症候群です。みょーに。
子供が春休みだから私も春休みだとか?
私の脳はすっかりお休み中であります。
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