昔は長い映画の途中に 「休憩」 なんてのが入ったもんですが。
・・・知りませんか。そーでさーね。
やっとのことで私も揺れがおさまりました。 地面の上にいても余震もないのに 一人で異様に船酔いの如く揺れてる感覚がどーも離れなくて けっこー四六時中微妙にストレスだったわけですが それもなんとか無くなりつつあります。
息子の夜泣きの件も カウンセラーの方に相談することで 私なりに心構えができたことで、今はずいぶんと心丈夫であります。
「恐怖」を受け入れ、安心を心に増やしていくことで 一過性の症状はなくなっていくとのこと。
黒い絵も同様に 幼児においては言葉で表せない気持ちを絵で表現しているだけで これも浄化の手段のひとつになっているそうです。
息子が通う教室の先生にご相談したところ ここを紹介してくださったので参考にリンクします。
福岡市こども総合相談センター・えがお館
親身になってくださったカウンセラーの方に感謝です。
妙なストレスが続きましたが やっと休憩時間に入ったような気がしますです。
もう負けないぞ、と。
断層のバカバカバーカ!!!
2005年03月28日(月) |
きみのせいちょうをこころからいのる。 |
息子は今日からスポーツクラブ主催のキャンプです。
正直夜泣きの件でそーとー心配でしたが 本人の意思を尊重して行かせることにしました。
先生にその旨(地震からこっち、余震の度に夜泣きをしていたこと)を話しておこうと思い、過日電話で連絡をしました。
迷惑かけるようだったら参加を見合わせてもいいと思ったわけで。
すると先生。
「・・・実は私、神戸で震災にあいましてね・・・」
部屋は半壊、想像を絶する恐怖に心も傷つき入院を余儀なくされたという。
だからね、お母さん、ぼくは子供たちの気持ちわかります。 守りますから。本人が楽しみに行きたがっているのだから 私が夜通し守りますからね。
・・・マジで泣きました。涙ぽろりんです。
傷ついて人はまた優しくなれるのかもしれない。 息子も夜泣きの記憶はなくとも 心の底に恐怖が張り付いている。
だけどだからって ずっと抱きしめてるだけじゃだめだよね。
きみが「歩く」と言えば 私は手を離すべきだから。
笑顔でバスに乗り込んでいったきみの後ろ姿をいつまでもみつめて かーちゃんは、きみの成長を心から祈ってるよと心で呟きながら おもいっきり手を振りかえした。
楽しい思い出重ねて またひとつおにいちゃんになって戻っておいで。
毎日毎日
夜、寝る頃になると
余震 マタキタ─wwヘ√レvv〜(゚∀゚)─wwヘ√レvv〜─ !!
状態で 微妙に高層階ノイローゼになりつつあるおかんです。ごっつぁんです。
息子は真夜中に余震がくると 夜泣きをはじめてしまいました。
まいっちんぐです。
しかも本人、覚えてません。泣いたこと。
鬱です。
私が余震でガタついてる場合ではないので 本日から私の基本精神を
「グラッときたら アッソ゚(´ι _` )」
てなことにしたいと思います。
・・・不撓不屈。
今日は幼稚園の終業式。 子供を迎えに行って、玄関先でお母さま方と立ち話をするも 話題はやっぱり一昨日の地震。
わりと博多区のマンションは被害が大きかったらしく 上の階にいる人たちはみな口々に 「食器が割れた」「書棚が倒れて旦那のパソコンが潰れた」「本が飛び出した」「家具が倒れて壁に穴があいた」などと話す。
また家の向きの違いや戸建てや下の階では被害も軽く 食器が少し落ちてきただけというところも多い。 それでも皆、揺れの恐怖は一緒。 無事で何よりだったと 軽口を交えながら皆で安否を確認しあった。
その中で あるお母さまの話を聞いた。 「うちはちょうどお墓参りにいってたんだけどね・・・」
お参りも済んで皆が墓地をあとにし始め 3才になる末娘を連れて一緒に行こうとした瞬間 あの揺れに襲われ、身動きがとれなくなったそうだ。 次々に周りの墓石や石灯籠が倒れてきて 揺れが治まったときは自分たちのいた場所以外は倒れた墓石だらけになっていたという。 振り向けば真後ろに大きな石灯籠がこちらに向かって倒壊していた、と。
想像を絶する恐怖だったに違いない。
みな、お参りのあとだったから助けてもらったのだろうと ケガひとつ無かった母子の無事を喜んでくれたものの
異変は起きた。 その日から、ちいさなお嬢の描く絵は どれも真っ黒な絵になってしまったのだ。
「何を書いたの?」と聞くと 「石が落ちてきたの」と 黒い色ばかりを使ってそれを描いたという。
この話を聞いて私は背筋がゾッとした。 鳥肌がたった。
まだ自分の気持ちを表見することもままならない子供ゆえ その恐怖を絵に吐き出しているのかもしれないのだと思うと 痛ましくてならなくなった。
私はまだ平地にいても揺れてる気がする。 平衡感覚が失われているような 三半規管がおかしくなったような感じ。
みないろんな不安を抱えて余震の中過ごしている。 20日のは余震で、今後あれ以上の本震がくるといったウワサまでまことしやかに広まっている。
きっと神戸も新潟も同じ恐怖を味わっていて いつも地震に見舞われている関東も同じ不安の中に日々を過ごしていて
私たちは知恵で身を守ろう。 私たちは愛情でもって子を守ろう。 人なのだから。
2005年03月20日(日) |
・・・ものすごく揺れたわけで。 |
夫婦喧嘩のあとです。
・・・違います。
いわゆる福岡県西方沖地震です。
我が家は十階以上にあるうえ 北西に面して建っているため これでもかってくらいに揺れました。
ぐらぐらっ・・・ときたかとおもったら あとはもう
どっしゃん!がっしゃん!どしゃどしゃどしゃ!!!・・・ の連続ですよ。
台所で食器を洗っていた私は どっしゃん!が始まった直後にガスを消し リビングの本棚の前で遊んでいた息子にかけより どの方向からも何も飛んでこない位置を見計らい 息子を抱いたまま引きずって移動。 ラグの端をつかんで、いざというときはこれで息子をくるんで上に被さろうと構えつつ 部屋にあるものが日常ありえない動きをするのを凝視しておりました。
私がさっきまでいたシンクの前に、水切りカゴが食器や横にさしていた包丁ごと飛んでくる。 シンク下の扉が一斉に開いて中身が飛び出してくる。 食器棚の5枚の扉のうち4枚が開き食器や酒類が落ちて砕ける。 本棚がひと揺れごとに一歩ずつ前進しながら上段の本を吐き出してくる。 冷蔵庫が右左に揺れながら前進してくる。 パソコンが音をたてて壁に倒れ プリンターやスキャナが棚ごと飛んでくる。 机の上に置いていた書棚と書類ケースがありえない方向に飛んでくる。
・・・揺れがおさまるまでずっと凝視しました。
ひどい揺れがおわり 息子をしっかり抱いて 「かーちゃんがついてるから大丈夫だからね。ここにじっとしてるんだよ」と言うと 息子はこくんと頷く。 まず退路の確保のため、底の厚いスリッパを履いて、散乱した食器の上を歩いて人形ケースが落下した廊下を通りドアを開ける。 次いで外を確認。火災やガスの臭いは無い様子。 隣室の戸を叩いて母&マヒ父の無事を確認。
室内に戻ってテレビのチャンネルをNHKに替え 「地震、怖かったね」と言い続ける息子を抱いて 「大丈夫だよ。お部屋こわれちゃったけどケガしなくてよかったね。ラッキーだったね」と励ましながら 1階にいるはずの夫が上がってくるまで部屋で待つことに。
間もなく夫が階段を上がって到着。 息子に上着をきせ、下駄箱に入っていた新しい靴を履かせ 余震がくる前に夫には息子を連れて待避&夕食の買い出しに行ってもらう。
さあ あとはテレビのニュースで情報を得つつ 軍手を倉庫から出して雑巾出して まずは割れ物の片づけからですよ。
やたらと続く余震で船酔いのようになりつつ とにかく今夜この部屋でも休めるようにするために 私が働かずしてどうなりますやら。 割れた食器や酒をだーっと片づけ こんなとき吸引力がマックスの掃除機・ミーレは便利だよなと思いつつ 細かな破片をがんがん吸い込んで回収。
余震が続く中でただひたすら時間を忘れて片づけを続け 気が付けば夕方。夫から寿司の差し入れがあったのを思い出し、食べる。
八時過ぎに夫と息子が楽しそうに帰宅。 「部屋、ずいぶんきれいになったねー♪」と二人して喜ぶ。 ここで余震を経験させなくてよかったと、息子の笑顔をみて思う。 部屋もベランダや机周り以外はだいぶ片付いたところ。 机周りは夜中中にやってしまおう。
私も一段落して夫と息子にシャワーを浴びさせ 布団を敷いて寝かせようとしたところ ズズンっと余震が。
「大丈夫だよ」と声をかける私と夫に 息子は懇願するように「そばにいて」とつぶやく。 いつものように川の字になって息子をはさみ 寝かしつけていると 小さな灯りだけをつけた部屋で 息子の、大きなくりくりお目目が いつまでもずっと見開かれていることに気付く。
「どうしたの?何か思うことがあったらお声に出して言ってみてごらん?」
すると彼。
「・・・地震、ほんとに怖かったね」
「うん、ほんとに怖かったね。でもしゅうはとーとかーがどんなことがあっても守るから絶対に大丈夫だよ。いろんなものは壊れちゃったけど、ケガしなくてほんとによかったね。これからもきっと、何があっても大丈夫だからね。今日みたいに必ず守るから。地震になんかに負けないから・・・」
私が呪文のようにそんな言葉を言い続けるうち ずっと見開かれたままだった彼の目が 少しずつ閉じて、やがて呼吸が寝息にかわっていく。
食器や家具が傷ついたり壊れたりしても また買ってくればいいだけのこと。 思い出の品が壊れてしまっても それは自分の心の中で再生すれば良いだけのこと。
いちばん怖いのは幼い心が受けた恐怖のキズ。 この小さき者を癒せるのは私と夫しかいないのだから。 たとえ体はなにひとつ傷ついていなくても 心に確かにキズを負っている。 あの瞬間が彼の小さな心に恐怖の記憶として焼き付けられている。
部屋は頑張れば元に戻せるげれど 簡単には元に戻せないものがあることを 思い知らされた夜でした。
抱きしめることしか私たちにはできないのだけれど。
2005年03月19日(土) |
・・・ものすごくさぼっているわけで。 |
こっちの日記、書いてないなあと プチ日記を書きつつ思ったわけで。
明日書こう 明日書こうとおもいつつ 今日まで(実は現在3/20am1:00)きてしまった私は
なんだか夏休みの宿題を 明日やろう明日やろう そういえば「明日ひろし」っていたよなあ 元気かなあ などと 考えたりなんかしたりして そろそろ 脳が 溶けかけているヨカーン。
知らずに肉骨粉でも喰っちまったかしら・・・
明日書きます。明日書きます。
2005年03月18日(金) |
呼子と書いて「よぶこ」と読む。 |
朝です。 呼子の朝は早い。
ところで昨夜は 息子が 「どーしてもこれがいい!」と頑として聞かないため 部屋のテレビはずっと 呼子ケーブルテレビにチャンネルが合わせられたままとなり 私たち夫婦は延々と 呼子町民大運動会の様子を 見せられ続けまくった夜でありました。
そう。 親戚や知り合いも ましてや芸能人も誰一人として出ていない 赤の他人が出場しまくる町民大運動会。
ナレーションも何一つない まるっきりホームビデオ状態の番組を これでもかとエンドレス見せられているうち 次第に感覚がマヒし始め 町民の皆様がすっかり他人ではないような錯覚に陥り 「あははは!このおじさんすげー動きが機敏すぎ!」 などと うっかり笑ってしまったりしているうちに 睡魔が襲い 眠ってしまったわけで。
呼子にお越しの際は ぜひ旅の思い出に呼子ケーブルテレビをご覧くださいヽ(゚∀゚)←Said my son.
てなわけで まずはひとっ風呂あびに最上階の風呂へ。 そういえば昨夜は雨だったし、露天風呂に入ってなかったよなと思い ドアをあけて露天風呂にドボンと入ってみたのはいいものの 本日強風警報。 しかもここはしつこいようだが最上階。
ビョヒューーーーーーーーーーッッッッッッッ!!!!
っと吹きつけまくる風に耐えかねて 露天風呂をわずか15秒でリタイア。
すごすごと内風呂に入るのでありました。
さあ 朝食ですよ。
あれ?
・・・うーん。なんか結構普通というかなんというか。
干物は薄いし従業員は若い兄ちゃん姉ちゃんで愛想はないし。 息子用の箸も出してくれてないし、テーブルに醤油はないし。
・・・やっぱ仲居はおばちゃんに限ります。いやマジで。
さあ 朝飯も食ったし 用意もできたし 迎えの車も来たし
一路呼子名物「朝市」へ!
・・・そうそう 以前、私の両親と姪っ子と息子とでここへ来たとき 私はこの朝市で 「ほふく前進するアーミー人形」を
これこれ。
ついうっかり購入してしまったという なんともはやな思い出があるわけですが。
もう三年前のことになるでしょうか。 そーいやこのあたりで売ってたよなーと 思い出深くあたりを見渡すと
げ。
いました。
彼はいつだって真剣。
実は呼子名物のひとつなのかもしれません。 おそるべしアーミー人形。
・・・素敵な再会を果たしたところで 早速なんやかや買うことにしました。 いちばん有名なのは「K屋」でしょうよ。 いきました。
行ったのはいいんですけど ここでめっちゃくちゃ不愉快になりました。
干物だのイカしゅうまいだの いろいろ買って 支払いをし、先へ行こうとして旦那が気付きました。 釣りが千円足りないんですよ。
ちょっとお・・・。
ほら ああいうところって別にレジで清算するわけじゃないから 一品ずつレシートに打ち込まれるわけでもなし だーっと袋に入れて、はいいくらって感じじゃないですか。
釣りが足りんやろと言うと 計算した兄ちゃん、すっげーすっとぼけた顔ですよ。 すらとぼけてろくに詫びもせず 1000円札一枚ぬっと差し出すわけで。
はっきりいって ありゃ常習の気配プンプン。 すっげー気分悪い朝市になり なんだかもう
二度とこねえよ!
ってな空気になってしまいましたが 商店街の入り口からほど近い 黄色のパラソルの下で干物やみりん干しを売ってるおばちゃんが 息子にみりん干しの試食を差し出してくれ それを食べた彼はすっかりこのおばちゃんのみりん干しにノックアウト。
「これ買ってくださいよー♪」と強請りまくるので みりん干しを買いながら 夫がこのおばちゃんにさっきのK屋の釣り銭誤魔化し事件を話すと 「まあっ、そんなことがあったね」と 同情して詫びてくれながら みりん干しをサービスにバカスカ入れてくれるではありませんか。
そんなおばちゃんの気持ちが非常に嬉しくなり 夫と私は干物を2パック、みりん干し3パック購入。 やっぱ仲居もおばちゃんに限りますが 朝市もおばちゃんに限る!!! と 心底思ったわけであります。
さて 朝市で時間をつぶし そろそろお昼。
昨日、お昼に行った いか本家いそ浜別館へまたもや向かい そこでまたもやイカ刺しイカ天アジの刺身と 喰いまくり飲みまくり 至福の時をまったりもったり過ごしまくって ここでも土産を買いまくると 福岡から来てくれた迎えの車にのり ぐーすかぐーすか車中で寝まくり 久々の福岡に戻ってきたのでありました。
・・・やっぱイカは活き作りに限るっ!!!
福岡にお越しの際はぜひ佐賀県唐津市呼子町まで なにがなんでも足をのばしていただきたいもんです。
あの舌に吸い付く吸盤をご堪能あれ!←吸盤かよ
そうでした 私は雨女だったんだということを すっかり思い出させる朝になりました。
雨です。
_| ̄|○
まあ、いいですよ。 壱岐の観光はまた今度、気候の良いときにでもしましょうって。
てなわけで朝食です。
で、
ここの朝食。 海を眺めるカウンターでいただくのであります。 なんかいーかんじ。
それだけでなく 料理もよございました。 何がよかったって 干物がサイコーに ( ゚Д゚)ウマーッッッ!!!なのであります。 お宿の自家製らしい干物はマジで絶品。
壱岐豆腐という未知との遭遇もありました。 すんげーデカくてカタい豆腐です。 どんくらいデカいかってーと 一丁が約1キロはあるってーヤツで。
大豆の密度は、とらやの羊羹なみかもしれません。
私も夫も久々に朝食から満足の極み。
それにしてもこの宿はサービスが良くて親切で好感度◎ 子供の料金とらないのに浴衣用意してくれてるのには感動。 こういう親切をされると酒も多く頼んであげたくなるってもんですわな。 仲居様方の愛想も最高だったお宿でありました。 ※壱岐でのお宿「湯庵いさな」
さて 雨だし、船の時間もあるし とっとと港に向かうことにいたします。 昨日到着して立ち寄ったのは港と宿だけですけど いいのです。 我々の目的は「魚を喰う」ことなんですから。 観光にほんとに興味のない家族です。食と湯だけでいいんです。まるでご老公御一行です。由美かおるです。
そんなこんなで
次ぎに向かったのは佐賀県の呼子(よぶこ)。 呼子と言えばイカ。
つーことで今日の予定は「イカ三昧」です。
壱岐から呼子へは、フェリーしかありません。 まったり畳敷の二等客室で、これまた小一時間の船旅と相成り。 雨の中、慌ただしく乗り込んで3人転がる場所を確保。 二等客室の定番、小さなビニール枕もレンガのように積まれております。 息子はこれを積み木にして遊んでおりました。
で 私はというと バッグを枕に横になってるうちにすっかり寝込み あとは記憶にございません。
しかし ぼんやりと途中の記憶があります。
船が揺れて体が動き、 乗客がザワついてるような声が耳に入ったような・・・。
とはいえ殆ど記憶にございません。 はっきり目覚めたのは、 船が港に着く10分前くらいだったわけで。
で 私が起きると夫と言いました。 「海がシケてて船がすごい揺れよったぞ」と。
へえー。
息子も言います。 「ボクね、船が揺れて、畳の上をころころころって転がったんだよ!」
へえー。
「俺が寝とるところに転がってきて止まったぜ」
へえー。
「他のおばちゃんたちとか、きゃーきゃーさわいでたよ。かーちゃん気付かなかったの?」
・・・はい。
スマンコッテス
そうでしたか。 今日はそんなに海がシケてたんですか。
そんなに鳥羽一郎日和だったとは。
雨を呼び、雪を呼び、シケを呼ぶ女。 ついに私も悪天候を極めつつあります。
さあ 港につきました。 今宵の宿の車がそのうちやってきました。
まだチェックインまで時間があるので 荷物だけ預かってもらい お昼ご飯に出かけることにします。
もちろん狙いは一つ。 「イカ」ですよ。 夜もイカ喰うってのに我慢ならないんですかねこの夫婦。
てなわけで ホテルの目の前にあるお気に入りの店へ。 雨の中 出かけました。
徒歩2分程度の距離ですが 風雨が。
風雨が我々を!
ひーっ!
負けませんよ。イカ喰いにきたんだから。 観光だったらすぐリタイアするでしょうけど。 旨いもんのためならあきらめません、夫も私も息子も。
きゃーきゃーいいつつ到着。 「いか本家いそ浜別館」であります。 ここは座礁した船が真横にあるのが目印。
海が見える窓際の席を陣取り さっそく透明でキラキラでうにょうにょのイカを喰いまくりました。 うごめく足をもハサミでヂョキヂョキ切りながら食らうのです。 まさに(゚Д゚)ウボァーです。
スペシャルどっかんと乗った超豪華ウニ丼にも舌鼓。 呼子名物イカしゅうまいはもちろんですが ここのオリジナル「イカぎょうざ」も身がびっしりつまってて( ゚Д゚)ウマー!でした。 願わくばこの店に個室があると超サイコー!であります。はい。
さて ホテルに戻って部屋に案内されましたが ここももちろん全室海に面してて絶景です。 でも案内してくれた若い姉ちゃんがいまいち無愛想。 フロントのねーちゃんは結構美人で愛想よかったのになあ・・・。 旦那も私も明らかにデカいのに、浴衣のサイズの変更もいいだしてきません。 茶も入れてくんないし。 ちっ。
お前みたいな気のきかんやつにはチップあげないよーだ。べー。
やっぱ仲居は三十路を過ぎた年増に限ります。 若い仲居は気が利かん。 年増万歳! 若いモンは色気がなさ過ぎるんだよ。つまんねーよ。
と 従業員には不満を抱きつつも 風呂は温泉じゃないんだけど最上階にあってこれまた景観良!だし グルメプランで頼んでおいた夕食は これまたイカ&魚&伊勢エビ&アワビで( ゚Д゚)ウマイジャナイカーッッッッッ!!!だし 夕食に関しては文句ナシでございました♪ ※呼子でのお宿「旅亭新や」
海っていいなあ! 食い物が!!!
※明日へと続く
明日は幼稚園の卒園式なので年中組の息子はお休み。
と、 それをいいことに、いきなり夫が「魚喰いに行こう!」と言いだしました。
魚を喰いに料理屋でなく 魚を喰いに壱岐へ行くわけです。
久しぶりの大分熊本以外へ行く旅となりました。
壱岐。 福岡の博多埠頭からジェットフォイルで小一時間と近いわけですが 福岡に近いのにここは「長崎県」で しかも最近、「市」に昇格したばかりでありまして。
私が壱岐へ行ったのはもう十年以上も前の話。 それだけの月日が流れて「壱岐市」にもなって そりゃーもう発展しているんだろうとばかりおもって 下船しましたら。
・・・別にちっとも変わってません。
逆に安心してしまいました。
港には予約していたホテルの従業員様が旗を持ってのお出迎え。 なんか照れます。 照れますがありがたいです。
だって だってですよ
港からお宿は島の正反対位置にあるわけで。 島を縦断しなきゃたどり着けないわけですよ。
島のあちこちを眺めて やっぱり相変わらず変わってないところが また妙に落ち着くのであります。
そうだ。
実は私、独身時代に社員旅行で壱岐へいったとき 後輩とレンタカーを借りて島巡りを決行 あちこち名所を回ったあと 島のちょうど真ん中あたりにあった 「リス園」ってとこに立ち寄ったんですよ。
で リス共にエサをやっていたら 私の手の上で2匹のリスがエサの取り合いをしはじめ 負けたほうのリスが八つ当たりで私の指にがっぷり噛みつきやがりまくり 私の左手人差し指は大流血。
リス園の奴らは知らん顔で絆創膏ひとつよこさず 私はレンタカーをぶっ飛ばして町に戻り 薬局のばあちゃんに事情を話して消毒液で手当をしてもらい 絆創膏を購入して止血したという なんともムカつく思い出があるわけで。
・・・以来、私は小動物が大ッキライになったわけですが。
で そんなことを思い出しつつ 旅館のお姉さんに聞いてみました。
「そういえばここ、リス園ってありましたよね?」
するとお姉さん。
「あそこ、何年か前につぶれちゃったんですよ。それでリスが野放しにされてしまって、今では島中に野リスがいっぱいいて農家はすごい迷惑してるんですよー」
・・・まさにノラ犬ならぬノラリス。
今こそ積年の恨みを晴らすべく 害獣と化したきゃつらの駆除を手伝っても良いのだか。
さて それはともかく。
本日のお宿は「湯庵いさな」 お部屋は窓から海が見えていい景色であります。
で 早速風呂です。
風呂。
桶に湯をとり タオルをつけました。
さあお立ち会い。
白いタオルが透明な湯につけたら 茶色になるではありませんか。
・・・ハンドパワーです。
違います。ここの温泉は鉄分たっぷりなのです。
露天風呂から眺める海もまたいいもんでありました。
さあ 壱岐の夜はなんつったって「魚」でしょうよ! お料理3000円アップのコースでがっつりたべました。 どいつもこいつも魚づくしです。 酒もすすみます。 てゆーか既にジェットフォイルに乗ったとこから旦那と私は飲みまくってますが。
そーとー堪能しましたよ。魚。 ワインもあけちゃったりなんかして のんびりまったりと夜は更けゆくのでありました。
・・・オヤコデ( ´∀`)・ω・) ´_ゝ`)マターリ・・・・
※三十路お勧め壱岐の観光スポット!ヽ(゚∀゚)ノ 塞 神 社(さいじんじゃ)※そのご神体、絶倫につき。
2005年03月09日(水) |
・・・決してひとりでは見ないでください。 |
m川゚Д川m
いや、いいもん見つけたので拾ってきてしまったわけで・・・
・・・息子が言いました。
「ぼく、北海道大学に行きたいなあ」
私は言いました。
「通学するのに雪かきしなきゃなんないよ」
息子は言いました。
「じゃあ、やめた」
・・・息子が言いました。
「そしたら沖縄大学にいく」
私は言いました。
「沖縄大学は台風がくるたびにお休みになるよ」
息子は言いました。
「じゃあ、やめとく」
・・・息子は言いました。
「東北大学は?」
私は言いました。
「東北なんだから・・・ナマハゲがでるよ」
息子は言いました。
「やだ」
・・・息子は言いました。
「そうだ、東京大学は?」
私は言いました。
「東京だから・・・ベッキーに会えるかも、叶美香にも。みのもんたにも」
息子は言いました。
「ぼく、東京大学に行くよ」
・・・息子5歳、進路を決めた模様。
私の花粉症ですが 鼻と喉は、ずーっと飲み続けているお薬でなんとか呼吸もスムーズになり 脳味噌にも酸素が供給されるようになり 私のナーバス具合もだいぶ回復にいたってきたわけですが。
ですが、 昨日あたりからなんか 目が痒いんですよ。目が。
しばしばさせているとだんだん痒くなり ついつい手でグリグリっとこすってしまい アイシャドーとアイライナーが混ざりに混ざって三十路パンダのできあがりでさーね。
ウワァァァンヽ(`Д´)ノモォドナイセーッチューネンッ!!
このクソ寒い、太陽光などろくにささない三月に サングラスかける勇気もなし!!!
もういいよ! かけますよ!サングラス!!!
明日から私を西部警察の大門(団長)と呼んでください。ええ。
2005年03月06日(日) |
タイミングの悪い子供たち。 |
兄貴の息子 つまり私の甥っ子が 過日、七歳の誕生日を迎え 隣室の両親ちでお祝いをすることになり わいわいと集まってきたわけですが。
主役、顔が赤いです。
微妙に発熱中の模様。
ここへ来る前に病院に行ってお薬もらってきたばかりだとのこと。
(´Д⊂
他の子供たちはケーキや料理を前にテンション高いってのに 主役ひとりが通夜状態。 メインイベントのロウソク吹き消しも やっとのことで消し 私がプレゼントした「エキサイトベースボール」にも ニコリとしただけで激しくテンション低いわけで。
そーいえば数年前にも 姪っ子が自分の誕生会の日に発熱しまくって病院送りになったり クリスマスパーティ当日の午後になって発熱したり 一番下の姪っ子なんて 家族旅行に出かけた初日の夜に高熱&発疹だったりと 一徹子供らは微妙にタイミングが悪いのです。
しかし他の子供らは主役の具合の悪さなんてお構いなしで がっつかがっつん遊び回りまくり 情け無用の容赦ないB型家族であります。
まあ、インフルエンザでなくて一安心といったところでありましょうか。
暮れから立て続けにイベント続きでしたが 甥っ子の誕生会でとりあえず一段落であります。 あとは夏まで何もありません。 私も貯金ができるってもんです。
( ´ー`)フゥー
あ
春休みに息子は、入会しているスポーツクラブのキャンプがありました。 絶対行きたいとせがまれてOK牧場と言ってしまった私でした。
参加費用33000円也
(´Д⊂
・・・よし、これは君が正月もらったお年玉で支払いたまえ。
息子へ。 キャンプの参加費を支払ったらキャンセル料とられるんだから 絶対当日に熱とか出すのだけはやめてくださいね・・・
2005年03月05日(土) |
明日に向かって・その1 |
打つべし!打つべし!打つべし!!!
・・・いや、別に今からボクササイズでもやらかそうとかって話でなく。
脳を鍛えるなんたらかたらドリルみたいのを購入し 声を出して読みまくっておりましたら 夫と息子が反応してきました。
「なにやってんのー?」
・・・かーちゃんは死にゆく自分の脳細胞を数えて悲観する人生よりも、残された細胞を鍛えて明日に向かう決意をしたんだよ。
夫は「俺もやるー!」といっていきなりこの難問に取りかかりました。
それは「ストループテスト」 文字の「色」を答える練習であります。
つまり
みどり←これは「あか」と答えなければならないわけで。
さあ それではみんなでレッツトラーイ!
あか みどり きいろ あお きいろ みどり
きいろ みどり みどり あか あお あか
・・・息子、低速だが確実に言おうとする。
・・・夫、早く言おうとして間違えつつ言い直しも早い。
・・・私、リズムをとりながら言えてるのはいいが内心そーとー必死。
んなもん色だけいやいーんじゃんよー?などとタカをくくっていた私は 最初こそ調子よくいきつつも 一旦ひっかかりそうになったとたん内心焦りまくり 転びそうになりつつも必死で態勢を立て直そうともがいて泳ぐような格好をしてしまうランナーの如く ゴールを目指して「あか、きいろ、きいろ、みどり、あおっ・・・」と 繰り返し続けるのでありました。
慣れるまでけっこー苦労するゲームです。はい。
伊藤家のみなさんに例えれば五月みどり状態にだけはなりたくないと思うわけで。
それにしても ボケ防止って大変な作業だわ・・・(´Д⊂
2005年03月04日(金) |
ワタシニデンワシテクダサーイ。 |
何も 私の家にはあの幻の「スタイリー」が存在するという話でも スタイリースタイリーってCM覚えてるあなたと私は同胞同胞って話でもなんでもなく。
(´-ω-`)
ドコモの携帯には メロディーコールなんてサービスがありまして。
私は以前から留守電だのキャッチだのといったやつを使っているため (キャッチはいらんだろと思うが、夫は私のケータイが話し中だと不機嫌極まりないので致し方なく。) 四つのオプションまとめてお得!なんてー口車に乗りまくり このメロディーコールサービスを利用し始めたわけなんですが。
問題は選曲ですよ。 何を私が選曲したかって そりゃーもうなんつったって
マツケンサンバでしょうよ。
マツケンサンバが流れる前は 松平健が 「ただいま呼び出しております」 みたいなことまでいっちゃったりなんかするわけで。
しかも別になーんにも相手選ばずの設定にしているわけで。
なので時々電話をかけてくる人が 私が電話に既に出ているってのに 笑い続けて話にならないケースもままあるわけです。
電話をかけるだけで楽しくなれるなんて。 いいわね、あなたたち。
私は私のケータイにはかけられないので ちっとも楽しくなんかありません。
ですが 私に電話をかけてきた人が楽しい気持ちになってくれるのですから いいのです。これでいいのです。
私に電話をかけると プルルルの呼び出し音に成り代わり 末代まで語り継がれる大ヒットソング「マツケンサンバ」が聞けることでしょう。
・・・悲しいかなこれが聞けるのはドコモ同士に限られますが(´Д⊂
ケーキ好きの息子が ケーキ屋のショーケースをのぞき込んで言いました。
「ひなまつりケーキ買ってよん♪」
お前は女の子かーっっ!!(=゚ω゚)つ)゚∀゚)グァ
2005年03月02日(水) |
呼吸ができるようになってきました。 |
花粉症ですねと 白衣の兄ちゃんからあっさり言われたのは2週間前のこと。 二年前にも言われたことがあったけど その時はわりかしすぐに治まったので アレルゲンの検査をしておらず
で 昨日、私のアレルゲンが特定できました。
杉様です。 おすぎです。
(´Д⊂
いや、ふたりとも結構好きなんだけど・・・
私は見事に杉アレルギーだったわけです。
なるほど 私の夫はたしかによく温泉宿の仲居等に 「お客さん杉様によく似てるわぁ♪」などと やたら色目を使われまくったりする後家キラーですが←仲居を後家と決めつけてるあたり それで私は彼の神経質さにもアレルギーなんですか!
オマエガムシンケイスギルンダヨッ■━⊂( ・∀・) 彡 ガッ☆`Д´)ノ
それはともかく 私のアレルゲンは杉花粉、ハウスダスト、コナヒョウダニの3種類と判明。
なるほどー それで私は離島の民宿とか釣り客用宿とか行くとクシャミがとまらないんだ!
あたしゃてっきり民宿アレルギーかと思ってましたよ。 掃除しろ、民宿。←全部の民宿がそうとは限らないわけで
あと 塩素アレルギーもあるかもだそうです。 実は塩素たっぷりの水で湧かしたお風呂に入るとクシャミがでるんですよ。 朝一番に水道の蛇口をひねったときとか。 面倒な女ですね。シンクロの鼻栓でもしとけよってかんじですが。
兎にも角にも 先生に処方していただきましたお薬各種を延々と飲み続け 最近ではようやく鼻呼吸ができるようになってきました。 これから益々スギ様およびおすぎが空気中を乱舞しまくる季節です。 私の鼻の下は大丈夫でしょうか。
・・・ティッシュを買い置きしまくるのはそんなワケですから。
・・・決して別の意味ではありませんから。←どんな意味だ
昨年の冬からこっち 息子の幼稚園送り迎え手段が すっかり車に戻ってしまっている三十路であります。
冬にチャリは寒いっつーの。 私は耐え難きは耐えられないし 忍び難きは忍んでられない体質なのであります。
てなわけですっかり車登園に逆戻りなのでありますが 今朝、いつものように住宅街の狭い路地をぶいーっと走っておりましたら 前方左側にヨロヨロ自転車爺を発見いたしました。
幼稚園へ急ぎたい気持ちは山々ですが 余命幾ばくもない爺を自転車ごと跳ねとばして←勝手に余命を決めるな。 私のこれから長く続くであろう人生を棒に振りたかないので ここは爺をやり過ごせる処まで ノロノロヨロヨロ運転に付き合う覚悟を決めました。
すると交差点の手前 ヨロヨロ自転車爺は私の車に気付き ひょこっと頭を下げると 右手をまっすぐ水平にのばして 右折していくではありませんか。
おお!!! 懐かしの手信号!!!
ヨロヨロ自転車爺だとばかり思っていたのに そのおじいさまってば←呼び方激変 後続の私に対して手信号を出すお気遣いをなさったうえに 左手一本で右折がついーっとできる あざやかな運転技術の持ち主であられたわけであります。
感動です。伴宙太です。
自転車にもミラーとウインカーつけるのを義務づけて欲しいなあと 以前からマジで思っていた私は ご老人の手信号で なんともいえない心地よさを感じたわけであります。
手信号と言えば たしか 「小説家を見つけたら(FINDING FORRESTER)」のラスト近くで 主人公のショーン・コネリーが自転車で町を走りながら 手信号を出すシーンがあるんだけど
なんかそれを見た瞬間と このヨロヨロ手信号爺が オーバーラップしたわけです。←ショーン・コネリーには失礼な話。
今じゃ年寄りしか覚えてないだろうこの動作を 他の人のために後続車のために 自然とやってくれる心配りってのが 新鮮に感じてしまうほど
私はどっぷり自己中に生きてるんだなと 気付かされてしまったわけです。
手信号ひとつ。 気遣いひとつ。
・・・年寄りは大切にしよう。
・・・感じのいい年寄りは。←こら
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