いきあたりばったり
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2006年07月24日(月) |
意外に体が弱いということ |
大学の3回の時。 ドイツに行っていた一ヶ月以外はずっと風邪を引いていた。 この年に赴任された教授は、 「病弱なら、最初にいっといたほうが良いですよ。」 と心配してご助言下さった。 その時は、 「いや、今年だけで。本当は全く。健康体です!」 といいきっていたのだが。
20歳を超してから、身体はどんどんくたびれている。 こと去年と今年はすごいものがある。 今まで冷え性だとは思っていたが、だからといってなんともなかった。 肩こりはひどかったし、頭痛もあったし、大学に入ったぐらいから タートルネックは着られなくなっていたけれど(着た瞬間閉塞感で頭痛が起こる)、 なんともなかった。 膝は痛くてたまに歩けなくなったり、座れなくなったりするけどなんともなかった。 なんともない、というのはだからといって日常生活に支障を来しまくることはないということ。
冷え性も凝りも膝や腰の痛みも相関関係にある。 けれど、これだけだったら問題はなかったのだと思う。 最近特に困るのが、これに加え体温調節が出来ないこと。 暑いのか寒いのか、分からない。 基本ものすごく暑がりで、汗っかきだ。 でもクーラーはキライだし、汗をかくのも(特に家の中では)嫌いじゃない。 だから、夏はあまりクーラーはつけない。 だけど冬も、窓を開けて寝る。 それほどに冷たい空気が堪らなく好きだ。 そんな私なのに、いや私だからか? 最近「暑い」ということがどうも分からない。 何かずっと寒い。 暑いと感じてはいても、分かっていても肌がさぶいという。 だから、長袖を着る。 すぐ汗をかく。 冷えると体に悪そうだ。
そして度々熱を出す。 自律神経がいかれているのか。 何が原因なのか。
1.自律神経が原因か。ソレで冷え性がおこり肩こり等を併発。故に頭痛もする。 2.身体の凝りがひどい故に、血流の悪さから身体が冷え、自律神経を少し狂わせている。 3.冷え性故に、身体の凝りがひどくなり、様々な痛みを引き起こしている。
どれだろう。 本当にどれもが原因とも結果ともなりそうで、わからない。 身体を暖めることと、ほぐすコトだろうな。
どれも、「改善できる」とよくいうよね。 多分改善できるんだと思う。 だけれども、気をつけながらも悪化していると言うことは、 うんと。 気をつけるふりをしているだけ?
今日も夜塾に出かけるとき、 長袖二枚にストール、レグウォーマーで出かけた。 月曜は、ここんとこずっと調子を崩しているので、 生徒も今日もまた具合が・・・と分かっていて、何も突っ込まない。 でも今日の場合、いつもと違う感じの頭の痛さも熱も、 昨日の頭打ちのせいだったりしないだろうか。
ああへにゃへにゃの文章。
藤本が、2点追加のヒットを打ち今日のオールスターの セリーグの勝利に貢献し、MVPをとった。 MVPの表彰式の時、藤川がヒットを打った瞬間のベンチの様子が映った。 ベンチ中が飛び上がって喜ぶ中、 鳥谷が満面の笑みで、坐っているベンチからその姿勢のまま 文字通りで飛び上がって喜んでいた。
その様子があまりにも可愛らしくおかしかったので、 母に、見てみて!鳥谷がさ〜、藤本ヒット打ったとき こうやって座ったままの姿勢からとび上がって喜んでてさ! こうやって、ほんま、この座ったままの姿勢から・・・
私の実演にも熱が入りすぎていた。 頭の上は天井じゃなく、ふすまの桟だということが 全く分かっていなかった。 飛び上がって、ぶつけたものの 瞬間は痛みも、ぶつかったとも思わず ただ、ボインボガン とものすごい音がひびいただけ。 痛みとともに、頭をぶつけたと分かったのは 目を丸くしてその様子を見ていた、父と母の 「お前ホンマに馬鹿やわ」 という言葉を聞いたときだった。 母曰く、 「家ゆれたで」 というほどの、ぶつかりよう。 いさぎよかった。
先日、ちょうど一週間前だったか、吉本ばなな の『ひな菊の人生』を読んだ。 主人公ひな菊には幼い頃ダリアという友人がいた。 彼女がブラジルに言ってしまってから、直接的な付き合いはなかったが、 夢の中で幼い日の2人はよく遊んでいた。 そんなある日、ダリアの夢で、ひな菊はダリアの死を悟る。 大分立ったある日、ブラジルのダリアの母から写真と共に、 ダリアの死の知らせと、彼女がどのように死に至ったかを知らせる内容の 手紙が届いた。 ダリアは、軽い交通事故に遭い、その際近くの電柱柱に頭をぶつけた。 弟一緒に両親より先に2人で別荘へと向かう途中で、 別荘へ着くまでも普通に弟とも会話し、 疲れたから寝ると言って、そのまま目を覚まさなかった。
頭をぶつけた私が、この話を思い出さないはずがなかった。 今日が人生最後の日かも知れないと思った。 明日提出のレポートもまだほとんど手つかずのまま(ヨンブンノイチ程度) 土用の丑の日のおいしいウナギも食べたし、 このシーズンにしては、実も味もある蟹も食べた。 可愛い犬ともたくさん遊んだ。 昨日はなかなか満足行く体の調子でおどりを踊れた(バレエでね)。 もう良いかなと思った。 頭は冷やせどひやせどまだ少し痛い。
2006年07月14日(金) |
綾戸智絵さんのライブに・・・ |
フェスティバルホールで行われたライブに行って来ました。 バックコーラスをしている母の知人のおいかげで、もう! ものすごく良い席!! ど真ん中も良いとこ。 3週間前の地球ゴージャスの席が、全く見えない! 本当に良い席でした。
チケットを切って、入場。 その時から「映画見に聞きたんかいな?」 と思うほど、 「半券をなくさないで下さい!」 と飛び交うスタッフの声。 あまりにも良い席だったため、席に着いてから、 母が近くにいたスタッフのお兄ちゃんに、この席であってます? と確認したのだが、その束の間の時でさえ、三度 「なくさないで下さい」 とお兄ちゃんは訴えていた。
綾戸サンのファンの人には申し訳ないくらい、 テレビで知っているという程度のわたし達親子。
幕が開いて、本当に等身大の綾戸さんが現れ、 ピアノを奏でた。 アメイジンググレース。 とても良いピアノだった。 一曲目なのに、たいしたファンでもないのに。 涙がはらはら流れた。 本当に、良い演奏だった。 その演奏が終わって、 智絵さんは立ち上がり、マイクを持って話し始めた。
後から、チケットを頂いたバックコーラスの方の話を聴いたりして、 強く確信した。 本当に、最後の最後まで今日のステージを、もちろん明日もその次もこの人は、 歌うつもりだったんだ。 今日は歌えない。 そんなことに疑いも持たず。
出ない声・・・といいながら、 どうしても歌いたい! 問うたって下さったテネシーワルツ。 客席は、半ば「いいのだろうか?」 と綾戸さんの調子を心配しながら聞いていただろう。 でも本当に。 本当に素晴らしかった。 綾戸さんの、歌いたい!という気持ちと、 喉の治療に専念しなければ、今後・・・ という切実な想いが。 初めて訪れた私たちや、長くからのファンに「申し訳ない」 クルーに「申し訳ない」 という想いがひしひし伝わってきたMC中も涙したのだが、 テネシーワルツでは、ほんとうに声と歌声と、ピアノと 感動せずにはいられなかった。
7時に幕開けたステージは、 7時半にはひらけた。(おそらく、会館の外に出たらまだ外は明るい7時45分だった)
母と私は、ものすごい場面に立ち会ってしまった・・・ と思いつつも、(特に私は!) 2曲でもコンサートを満喫した気分でいた。
綾戸さんが一度声を失っただとか、 声が出ないからこそ歌うと言っているだとか、 そういうことは聞いたことがあった。
応援はしていたし、もちろん大好きなアーティストではあったが、 熱狂的なファンでもない私たちがこの場に居合わせたことは、 単純に奇妙に感じられた。 この場にいては行けないきがしながら、 自分の中にどうしても綾戸智絵が息づいていく生々しさを感じた。
8/25 焦らないで欲しい。 たとえ、あの素晴らしい席で綾戸さんの表現を目の当たりにする機会を逸しても、 綾戸さんには歌い続けて欲しい。
2006年07月12日(水) |
狂ったように服を作る |
世の学生は、ただいま試験準備やレポートに追われている。 かくいう私も、明日はレポートの提出日である。 (まあ、明日の分は珍しくほぼ完成しているのだが。) にもかかわらず、昨日は結局6時まで服を作っていた。 例のワンピースだ。 ワンピース用の長いファスナーを切らしていたため作業は一端中断。
昼過ぎに起きて、隣町まで自転車で出かけて、レースなどをさらに追加調達し、 帰宅後、迫る時間の中で(塾とバレエに行かなきゃならなかった、その前に汗を流したかったし) 母用のスカートを作る。 ゴムだし、1時間あれば出来るかな〜とチャレンジしたのだが、 ボビンに上手く下糸が巻けてなかったおかげで、 度々ミシンが止まる。 仕方がないので、母のスカート完成間近! というところで、シャワーにし、塾に向かった。
帰宅後、チャイと散歩をし、ご飯を後回しにして母のスカート完成。 ご飯の後、自分のワンピに取りかかった。 誰も見るわけでもないのに、やたら凝る。 ので、今もまだこちょこちょいじり回している。 が、もう1時間もすれば完成だう。 今日はゆっくり寝たい。 だけど!! もう頭の中で次に作りたい服のイメージが! 作れ作れと私を追い立てる。 今作ってるワンピースは、土曜日に切ると心に決めているので、 明日着ていく服を、今日は作り始めようと思う。 スカートだし、あまり凝らなきゃそんなに時間はかからないはず。
来週は、私も学生らしく死にそうになりながらレポートと、試験の準備をすると思うので、 今のうちにこの変な意欲を満足させてやらねば・・・。
中学生の時、家庭科の時間。 調理は当時からてきぱきこなす私だったが、裁縫は苦手だった。 中一の頃は、友人のを何故か一生懸命作り自分のに時間をかけられなかった。 だから、先生の被服での印象は・・・だったろう。 さらに、中三の時。 何度確認しても、はんぺんの袖を反対に縫いつけていた。 何度もほどいて、何度も確認して、縫って、失敗して、またほどいて・・・。 と繰り返す私に、見かねた先生が、 「面白い物をみせてもろたわー」 と特別に時間をくれた。 本当に真剣に確認して、「よし、次は大丈夫!」 とか言いながら、真剣に間違えて縫っているのだから(しかも何回も!) さぞ面白かったのだろう。 普段は、しっかりしてるとかてきぱきとかそんなイメージが、強かっただけに。 自分でも、不器用だと思っていたのに。 高校の家庭科も、被服はそんなに・・・だった。 なのに、何が楽しくてこんなに服を作るのか。 でも楽しいんだもん仕方ない。決して上手くはないし、粗雑だけれどね。
袖。レースレース。
なんか、影とかチャイとか写ってるけど。 (私が起きてるから犬も寝ない!むぅ・・・。) 着ると意外に可愛いらいんなのです。
2006年07月11日(火) |
趣味料理と服作り?! |
最近服を作るのが楽しい。 2月にミシンが来て以来、ぼちぼち作っていたが、 この間から、衣装のこともあって急にスカートを作る率が上がった。 不思議な物で、2〜3着作ったら、何となく分かってきた。
もともと、バイト先でバレエの衣装何ぞを少しばかり手伝っていたせいか、 ぼややんとは分かっていたものが、少しずつはっきりとしてきた。
それよりも何より、驚いているのはデザインだ。 服をちょこちょこ作り出す前から、デザイン画は書こう書こうとしてきた。 でも描けなかった。 それが、服を作るようになってから、するっと描けてしまうのだ。 むむむ、楽しい。
もう、趣味に服作りと書いて良いかも知れない。 決して上手くはないし、「洋裁」としないところがミソだ。 思い立ったらいても立ってもいられず、もちろん徹夜も苦ではない。 楽しい・・・。
母に頼まれたスカート(スカートはある種類なら簡単に作れるようになった) の生地を買いに、とらやに行った。 母の物と色違いでおそろいのスカートを作ろうと、生地を買ったのだが、 私の分はスカートでなく、ワンピースにしたい。 出来るかどうかは分からない。 上手くいけば、明日には写真をアップしようと思う。 なぜなら今夜徹夜で作り上げるだろうから・・・。
まだ生地の性質がいまいち掴めなくて、断裁の向きとかね。 専らスカートとか、ブックカバーとか小物専門だけれど、 いつかいろんな物を作りたい。 野望は広がるばかりである。
2006年07月10日(月) |
受け入れると言うこと |
あんなに良い気分だったのに。 夜中にりんと電話で大げんか。 おかげさまで、寝たのは4時過ぎ。 1時には布団に入ったのに! 5時には起きる予定なのに!!
喧嘩の内容はいつも同じ。 しかも、今まで必死に訴えてきたことが、ようやく分かってもらえたらしい。 らしいというのは、本当に伝わっているかどうか怪しいからだ。 彼にあまり頭の良さとかそういった物に関する期待はない。 なので、今まで「わかった」といっていたことは何だったんだ! ということに怒りはない。 ただ、やっぱり分かってもらえていなかったんだなと思うだけだ。
それにしても、私は人を好きになるということは、 その人の嫌な部分でさえ、それを含めて、分かった上で好きということだと思う。 嫌いな部分も許せるということだと思う。
だけど、彼にはどうしても私の中に認められない部分があるらしい。 私は、自分のそういう部分もひっくるめて自分だとは思っているけれど、 その部分は好きではないし、なるだけ改善したいと思っている。 そうして気をつけてきたつもりだ。 その努力も認めてもらえず、いつもその部分を頭ごなしに否定されて、 「俺は、その部分は受け入れられない」 といわれ続けてきた。 いくら好きでも、そんなのしんどいではないか。 私ばっかりがんばっている気がしてものすごく疲れる時がある。 不毛だ。 こんなのいくら好きでも、騙し騙し付き合っていくようなものだ。 それなら、いっそ別れたらいいじゃない。 そう思う。 真剣に思う。 確かに、なれ合いすぎて、私が寄りかかりすぎて、人と人との間に最低限必要な思いやりを持てていないなという時期があった。 ものすごく反省して、気をつけないとと思った。 他人と付き合う限り、やはり最低限の思いやりは必要なのだ。 家族は、時にそれを欠いても、何らかの事情を察してくれる。 というか、私の親しい友人達もみなそうだ。 優しい。 甘やかされすぎているのかな。 でも、甘えてばかりではいけない。 けれどどうしても、私は自分をさらけ出した人には、 うっかり気をつけられないときにも、許して欲しいということを、 求めてしまうようだが、彼には求めてはいけないようだ。 それは、実はとても苦しい。 家族の次に、一番求めたい人ではないだろうか。 今は、我慢がきいても、そこんとこ本当に分かってくれないと、 私は苦しい。 根本的に受け入れられていない、そういうことはとても苦しい。
今は「わかった」といってくれた言葉を、信じるしかないだろう。
てか、おかげさまで大事な最後の授業に行けなかったあるよ。 気分丸つぶれ。
2006年07月09日(日) |
最悪と至福のない交ぜな日 |
4時半に目が覚めた。 目は覚めたが、身体が重い。 何かが全身に被さっているかのように重い。 起きあがれない。 なので、もう少し寝る。 次に起きたのは10時過ぎだった。 りんの家の冷蔵庫に忘れた物を取りに行くつもりだったのだが、 どうにも起きあがれないので断念。 ものすごく熱さが身体にまとわりついて気持ちが悪かったので、 何とかクーラーだけつけて、もう一度寝る。 (私の部屋のクーラーは、20年以上物なので、リモコンはない) 起きると12時を過ぎていた。 頭ががんがんしているが、もう起きなければと思い起きる。 新喜劇をみて、昼ご飯を食べ、再びベッドでよしもとばなな。 ダメだな、と思いつつも暑さに耐えきれずクーラーを入れる。 頭はひどく痛む。 ふと、窓からあおーい空が覗いた。 あれ、としばらく見ていたら、このままじゃダメだという思いがふつふつふつと湧いてきた。 思い切ってベッドから降りて、クーラーを切り、思い切りよく窓を開け、 下に降りた。 犬と一緒に、お空を見て、ふーっと心を入れ替える。 でも頭は相変わらず痛くて、あんまり何をする気にもならないので、 今日は風の通る一階の部屋の畳の上で、またまたよしもとばなな。
クーラーや暖房を、ほとんど受けつけない私の身体。 頭痛の原因は、間違いなくクーラー。
なので、あっためないと。 という気持ちもあって、畳でごろごろしていたら、 母が 「お茶しにいかへん?」 と誘ってくれた。 炎天下にお散歩してお茶か〜とは思ったけれど、無理矢理にでも動かさないと 治らないな〜と思って行くことにする。
さて、そうして母とお茶に行ったのは、この2ヶ月くらい二人して気になっていた場所。
ある日隣町に向かう道路脇に、冠婚葬祭用の建物のような、なんかの工場のような、白い建物がどーん出来ていた。 春休みに入る前、2月くらいか、春から大学生になる妹のために、 地元のバイト情報を見ていたら、どうやらその建物でバイトを募集しているらしい記事が。 けれど、「スィーツレストラン」というのがどうも納得いかない、建物。 それ以降も、その横を通るたびに、どう見てもそうは見えないので、 母と2人、色々と憶測していたのだ。 で、遂に!! という感じで、2人でのんびり散歩をしながらそこを目指す。 やっぱり、どう考えても、入りにくい真っ白な建物。 少し、坂をあがると、その建物の雰囲気とは全く違う、 アジアンな重たい木の扉が。 その自動ドアが開いた瞬間、夏の暑さを一瞬で吹き飛ばす、冷たい空気が流れ出て、一歩踏み込んだそこは、 意外にも普通のレストランだった。 広い。 中と外が違いすぎ。 びっくり。 タイカレーや、パスタのランチ、ディナーまでやってる・・・。 びっくりした。
私は、フレッシュジュースとアフタヌーンケーキセット。 母はアイスティーのアフタヌーンセットを頼む。 アフタヌーンケーキセットには、ケーキ2つと焼き菓子が付く。 アフタヌーンセットには、焼き菓子のみ。 焼き菓子はクッキーだった。 アメリカンサイズで、アメリカンな味のクッキーだった。 しっかり甘い。 余ったら持ち帰りも出来る。 家に帰って夜に食べたら、意外と癖になりそうな甘さかもと思った。 夜にお茶とつまむとちょうどいい。 私がチョイスしたケーキは、サツマイモのタルトと、チョコムース。 サツマイモのタルトも普通においしかったが、チョコムースはちょっと絶品。 こんな田舎であって良い味じゃなかった。 濃いし、味が深い。 舌で味わうことの出来るチョコレートだった。 今日は買わなかったが、いろんなチョコも売っていた。 チョコムースがこの味だったら、チョコは期待できると思った。 だけどやっぱり、広すぎるし観光客がちょっと立ち寄りたくなるような外観ではないので、 なかなか気に入った母と私は、潰れない家に何度か来ようと心に誓った。 勿体ないな〜。 あの場所だったら、もう少し入りやすい雰囲気にすれば、ある程度繁盛するだろうに。 マンゴーのフレッシュジュースも濃くておいしかったしね。
レストランですっかり冷え切った私の身体は、15分かけて暑い太陽の下を歩いても、黒い出で立ちで歩いても、冷えたまんまだった。 頭痛が少しぶり返したが、此処で止まっては行けないと思い、 母と2人買い物に出かけ、 帰ってからは、猛然とカレーを作った。 この熱さのせいで、2人ともとてもカレーが食べたかった。 しかも、立ち寄ったスィーツレストランでタイカレーの文字を目にして、 俄然夕食はカレーとなっていた。 タマネギをふんだんに使った、ミンチと茄子のカレー。 絶品である。 自分でつくっといていうのも何だが。 母がものすごくはまっている。 この一ヶ月で、三回はもう作った。
夕食に満足した今夜は、良い風が吹いていた。 縁側の椅子と机に、(10年近く置物となっていた)ランプを置き、 テーブルには紅茶とクッキー。 何だろうこの雰囲気。 絵に描いたような空気の中で、よしもとばななを読む。 こんなまったりしている場合じゃないけど。 こんな日曜日だから、明日からきっと頑張れる。
こんな感じ。
2006年07月08日(土) |
偶然じゃなく必然の自分的ばななたいむ |
もう本当にずっとここのところ、吉本ばなな或いはよしもとばなな一色である。 で、久しぶりに、よしもとばななの公式サイトを覗いたら、なんと! 文庫の新刊ラッシュ!! これは! と思い、本屋に行ってよしもとばななをたくさん購入。 今までずいぶんと買っていなかったようだ。 よしもとばななドットコム、の日記の本も5巻から買っていなかった。 びっくりだ。
読みたいときに、読みたい物がたくさんあるのは本当に嬉しいことだ。 ほくほくした気持ちになって、うちに帰る。 で、なんとなく日記から読み始めた。
しかし、今日の夜は暑い。 うちの家で一階が暑いというのは、本当に暑いと言うことだ。 うちは、本当に涼しい。 日本家屋というのは、本当に日本に適した家なんだ! というのを実感できる家だ。 だから、夏は涼しい。 冬は寒い。 風通りがものすごくよいのだ。 なのに、風が通らない。 むっとする。 熱帯夜だ。 こんな時二階は、死ぬ。 しかも、南向きで太陽が昼間降りそそいでいる私の部屋なんて最悪だ。 たまりかねて、クーラーをつけて寝た。 睡眠不足でおどり疲れてべろべろの身体にクーラー。 湯船に浸からず、疲れを取りきらない身体にクーラー悲惨なことになるのは、 目に見えていたんだよね。
七夕ですね。 りんりんの家族が、そのお兄ちゃんの彼女の実家である長崎の何とか島にりんだけ置いていってしまったため、 今りんの家に来て、りんの家のパソコンでこれを打っています。 りんも、バイトに出ていなくて、私は夕ご飯の支度をしながら、 さっきまでまた吉本ばななを読んでいました。 今日は『ハネムーン』。 昨日は『アムリタ』を読んでいました。
本当に些細なこと。 それは、雨上がりの夜の月が美しかったとか。 各駅停車の、いつもは乗らない車両に乗ったら、毎日見ているはずの車窓からの景色が、全く違ったものに見えたとか。 それから、『アムリタ』を読んだせいで、でもって『ハゴロモ』を読んでいたせいで、 無性に食べたかったラーメンを、食べられたこと。 夜中の11時半を過ぎて、たまたま見つけたそのラーメン屋のラーメンが、 とてもおいしかったこと。 そんなすべてが、どんなにか自分を豊かにするのか。 そういったことに、普段は忘れてしまっているそういうことに、 改めて気がつき、目を向けるようになる。 いかに人間が、不必要なものを必要と思い込んでそれに固執し、 かえって自分を不自由にしているか。 私たちは、自由を履き違えていて、自由を享受しているつもりで、 自ら不自由の中に飛び込んでいる。 それに気がついたからといって、具体的にどうこうできないようなこともあるんだけれど、 些細な、本当に当たり前のことに目を向けて、それを素直に享受し喜ぶことは、 なんて幸せになれるんだろう。 自分を幸せにするんだろう。
ばななを読んでそんなことに感じ入って、幸せで。 当分この気分を手放したくなくて、吉本ばなな続行中なのです。
で、りんりんの家で勝手にくつろぐ私。 昔住んでいた家につくりが似ているせいか、 何度もお邪魔しているせいか、 それともこの家の人たちの持つ空気のせいか、 いやいやそれとも私の生来の図々しさのせいか、 とってもくつろいでいます、本当に。 自分の家でもそうなんですが、家人の居ない時間が好きなのです。 家の中が、しんとしていて、妙に空気が凛としている。 そんな中で、淡々と物事をこなしていくのはとても好きなのです。 だけれども、りんが帰ってくるのは11時を過ぎるので、8時半の今からではあまりすることも無く。 トマトソースを煮込んでいる鍋の様子をたまに見に行くくらい。 重たいので、勉強の本も持ってこなかったし。 なので、勝手にゴッドファーザーでもただいまから観劇しようと思う。 有名なシーンとテーマソングは知っているんだけれど、 ちゃんと見たことが無いような気がするんだよな。
他人の家で勝手する。 いいことではないか。
というか、なんかお腹の調子悪い・・・下痢??
2006年07月05日(水) |
吉本ばななを読んでいる |
バッテリーの五巻と一緒に新潮文庫新歓の『ハゴロモ』を買った。 読んだら、何か他のも読みたくなって、 昨日は電車のお供に『キッチン』を選んだ。
吉本ばななとの初めての出会いは、『TSUGUMI』だった。 難波ウォークの難波駅よりの端っこのブックファーストに母と2人立ち寄ったとき、 何かおもしろいのないかな〜。 何か読みたいんだよな〜。 と母に話したら、そういえば最近コレが面白いって言ってたな〜 そういって母が、吉本ばななを手に取ったのだった。 小学六年生の時だ。 私は当時の友人の影響か、速読にはまっていて、業間という20分の休憩の間に、ティーンズハートという少女向けの文庫を1冊ないし2冊読む、 というのを日々自分に課していた。 そのせいか、そろそろそういったお子様むけなものから脱却したい、 そんな思いもあったのかも知れない。 ぱらぱらとあらすじを見たり、中を見たりして、面白そうだ。 と思った。 母に買ってもらい、家に帰って読んだ。 そこにあったのは、大好きな世界観だった。
中学に上がって、図書館に吉本ばななが入っていたことで、ますますはまる。 中学の頃読んだ本と言えば、ダニエル=キイスに吉本ばなな、金蓮花だろう。
私の中で『TSUGUMI』が占める位置は大きいが、吉本ばななの本で一番好きな本を、 といわれたら、迷わず『哀しい予感』なのである。 だけどこの本は、本当に読みたいときいつも私から姿を隠す。 今もなぜだか、この本だけは所定の位置に納まってくれてなかった。 キッチンに続いて、選んだのは『N・P』。 『アムリタ』もいいのだけれど、今は短時間で読める本。 なので『N・P』を選んだ。 どうして好きなのか。 吉本ばなな。 そう問われれば、あの空気が好きなのだと答える。 家の近所の有名なお寺の東大門に、早朝、或いは雨上がりのもやの中腰掛ける。 1400年前の時代にタイムスリップするかのような感覚に囚われることが、 ままある。 あの世とこの世ではなく、いくつかの時間が重なる幽玄の時間。 吉本ばななの世界にはいつも死があり、お寺に腰掛けている時間のような、 柔らかで優しくて、でもきゅっと胸を締め付けて、胸の奥底にじりじりと、 青い炎を灯される。 それが、その空気が好きなのだ。
どうしようもなく駄目なとき、しんどいとき、 吉本ばななを通じて私は「生きる」ことを再確認するのだと思う。 おいしくご飯を食べると言うこと、 ご飯がとてもおいしく感じられると言うこと。 生きている幸せを噛みしめるために、忘れないために、思い出すために 私は吉本ばななを読むのだと思う。
土曜日、スタジオプレビューといって、レッスン場にお客を入れて、 おどりを見せるという試みがあった。 モダンでも、バレエでも。 正直、モダンが終わったとき、今日は3時からのバイトも、その後のバレエも無理だ。 このまま家に帰って寝たい・・・というくらい疲弊していた。 けれど、もう一度気分を入れ替えて。 夕方のバレエでのプレビューでは、会心の出来!という出来映えで、 ほくほく満足。 けれども、そうまでした身体の方は随分こたえていた。 このまま疲れをほぐして寝ないと明日大変なことになる・・・ そうは思ったが、勝てない。疲れに勝てない。 かろうじてメイクだけは落として、寝入る。
日曜日の朝は、塾で打ち合わせがあったので遅くまでは寝られずに、 九時には起きて、朝風呂。 全身倦怠。 湯船に浸かりたい。 疲れを取りたい。 けど時間がない。 シャワーを浴びて塾に向かう。 幸いものすごい風雨だったので、塾までは車で送ってもらう。 しかし、帰りは雨が上がっていたので15分の距離を歩く。 こたえる。 疲れた肉体には、こたえる。 いや、こたえてみたいだ。 昼ご飯を食べた後、月曜日に備えてテストの用意をするはずが、 6時過ぎまで寝潰してしまった・・・。
そして来る月曜日。 テスト勉強を2時過ぎに切り上げたのも関わらず、 朝起きて学校行く用意をしていたら、吐き気に襲われる。 胸が焼ける。 気持ち悪い・・・。 2限は諦めるか・・・。 諦めたくない、でもしんどい。 3限は必ず・・・胸に近い眠る。 しかし、起きたのは11:30。 今、たった今電車に乗らなきゃ間に合わないじゃん・・・。
気分はすっかり良くなったが、別の意味で気が滅入る。 こんなんばっか。 取れる単位は取ろう。 好きな授業だけれど、正直今の状態でレポ抱えるのはしんどい。 やることだけはたくさんある。 毎日やることだけはたくさんあって、頭は回らない日々。 毎日学校に行けば良くなるのか? でもまだ未だにペースが掴めない。 自分の研究と、授業と。 腐る日々。 いっそ腐りたい日々。
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