ほっこり日記
ふー



 母の日。

 昨日は母の日だった。私は自分の母親にプレゼントめいたことをしないので、自分でも何かしてほしいとは思っていない。最近気がついたのだが、やはり妹のことが絡むと後悔することが多い。決して比べないでほしいと思うのに、私の話は妹にはすぐ伝わっている。

 ところが、息子が突然近づいてきた、ら、手に何か持っている。何か、困ったことの告白かなと怪しみながらあけてみると、豚の携帯ホルダーがあった。そうそう、近くの雑貨屋で見ていたことがある。ふーん、あんんな女の子の行くような店に、行くんだ。もしかして彼女と???・・・それはまあいい。

 思いもかけないプレゼントが私にもらえるなんて、本当にうれしかった。




 

2006年05月15日(月)



 

ドアの取っ手 大阪の十三(じゅうそう)という繁華街に第七藝術劇場という映画館がある。東京で言うと、ポレポレ東中野とかが似たところになるそう。この映画館には、ここでないとやってない映画しか見に行かないので、いいかどうかは別にして印象に強く残る映画ばかりである。


 『在日』『タイマグラばあちゃん』『わたしの季節』『スティーヴィー』・・・優れたドキュメンタリーを見たければここに行くしかない。というわけなのだが、行くときにはいつもドアが開いていることが多い。そして、朝一番で見に行くときは、スタッフよりも早くについてしまい、というか、スタッフがぎりぎりにしか来ないのだろうけど、というか、それで十分な客入りだからなんだけど、というわけで、しまったドアにお目にかかるときには、ドアの直近で待っていることが多くて、気がつかなかった。


 写真を撮って家で見てはじめて気がついたのだから、撮っているときにさえ気がつかなかった。ドアに文字が描いてあるなんて。


ドアの文字 わざと分かりにくく描いてあったのね。せっかくドアの取っ手に雰囲気があるのに、ドアに字を描くなんてあんまり好きじゃない。それでも小さな映画館にいろんな思いがつまってるんだろうな。支配人さんの勝負魂かね。ちょっとのっぽさんみたいな感じの人。


2006年05月10日(水)



 穴太積み

穴太積み 比叡山に行ったとき、初めて穴太積み(あのおづみ)を見た。以前上司だった人が、何かにつけて引き合いにしていたのだが、その石を見たのは初めてだった。

 本来は自然石を積み上げていったものだけど、写真に撮ったのは最近のもの。自然石ではなくてカットされてはいる。その不ぞろいな形のままに組み合わせていくというのが、面白かった。やり方は決まっていないが目的は果たせる。余りが出ないというのもいい。本来、素材を扱えるというのはこういうことだと思う。要らないものはない。

 自然石のも探してみたが、石がもっと丸くて小さくて、コケむしていた。昔は人間の扱いも、そうだったんだろうな。現場でどんどん合わせていって、どんな素材も扱っていたのだろう。今は規格品ばかり求めていっててそれでいてコモノばかりと嘆いているのではないか。扱える器の人がいないのかもしれない。もっと、お互いを信頼できる余裕が、ただ、ないだけなのかもしれない。

















2006年05月07日(日)



 小さな花。

紫の君 小さな花でも名前を知らない花でも、そこにさいていることに目が向くことがある。だからといってどうということもないが、気がつくというのは出会いなのだろう。

 一昨日、比叡山で道を間違えて引き返すことになったとき、長男と愚痴を話していたのだが、ふと、道の端に笹が左右に触れているのに目がいった。長男も驚いていたが、あれは、山の神様が私たちの愚痴を聞きつけて「まあ、そう言わんと・・・」って手を振ってくれていたような気がした。実際のところ、がけ下から吹き上げてくる風に、たまたまその風を受ける向きに立っていた笹が揺れたというだけなのだが、私たちの心になんだか愚痴を聞かれたような罰の悪さが、起こってきた。

 そこで「じゃあ、またね」といって手を振り返すと突然その動きが止まった。それにも驚いたのが、ああ、聞こえたのだな、届いたのだと思ってほっとした。予定のバスは乗り逃がしたのだが、本当に下山するためのロープウェイには間に合うように守られたのだ、そう思うことにした。考えてみれば、出発が遅くなったことへの家族での言い合いなどを口汚くしていたものだから、反省を促されたのだ。

 本当に神様に聞かれたようにも思うけど、そうした心の動きは自分自身の中から沸き起こるもの。自然のなかにいるとその声が外景にも映されるのではないか。階段の脇においてある小さな鉢に、自然と生えた紫の花は、その階段を上るものにしか見えない。







2006年05月06日(土)



 生えるもの。

うにょ階段の脇に、排水があっていつも濡れている。そこにコケが生えると、うかつに足を乗せようものならこけるんだ。すべるんだ。これで何度も痛い目をしていた。

ところが何の種類か分からないんだけど、小さなはっぱがびっしりとそれを吸ってくれるようになってきた。小さな植木鉢をおいただけだったのが、いつのまにか、鉢が分からないくらいになっている。なにか、うにょうにょ、いるみたいなかんじだ。








2006年05月05日(金)



 銭湯の下駄箱

銭湯の下駄箱

思いつきで比叡山に行きました。なめたらあかん、比叡山。
かなりたくさんの距離を思いがけずに歩く羽目になり、本当に大変だった。

でもいい思い出になりそう。帰りに沿線でお風呂に入って帰りました。
下駄箱の番号は本当は「6」なんだけど、手書きに味があると思って撮りました。
でもこれって、「の」に見える、よね。

「の」なら、いろはで番号振ってあったりして。それも奥ゆかしい。
ただ、このお風呂屋さん、男性用はちゃんと風呂いすがあるのに、女性用にはなにもなし。
常連さんは、お風呂マットを小さくきった?ものや、ビート板(なわけないか)を用意している。一見さんな私は、始終中腰で結構辛かった。


2006年05月04日(木)
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