怪我から1週間、4回目の診察に行って来た。 「綺麗に治って来ていますし、大丈夫そうですね。ズキズキ痛むとか、ぐじゅぐじゅ化膿して来たとかいう事があれば、また来て下さい」 と言われた。つまり、そういう異変が起こらなければ、もう来なくて良いという事である。 やったー! 診察前に傷口を洗う時に、看護婦さんから、「春さんは痛がりだからー」と言われたけど。 でもそれは、あんた達看護婦が患者の痛みを考慮せずにベリベリ剥がそうとするからですよ! と声を大にして言いたい。 他の患者はどんだけ堪え性があるんだ。 そういや英語では、「患者」と「忍耐強い」は同じ単語なんだっけ。 因みに対義語は「短気な、せっかちな、苛々する」。 うわあ、まさに私の事だ……。
甥っ子は、昨夜は22時過ぎに寝たと言うのに、今朝は6時に起きてしまった。 というのも母親である私の妹が、起きて顔を洗ったり寝室に戻って着替えを探したりごそごそやっていたら、気配で目が覚めてしまった模様。 本当に、妹のこういう所は馬鹿かと思う。今日は仕事が無いのだから、顔洗ったり着替えたりなんて甥っ子が起きてからでいいだろうに。 お蔭で私まで、甥っ子の泣き声で起こされてしまった。迷惑千万である。
起きたものの、全く寝足りなくてずっとグズグズしている甥っ子を、朝食後に乳母車で散歩に連れ出した。 その間、妹は掃除と洗濯。 甥っ子が寝たのを確認して一旦戻り、私は車を借りて買い出しに。今回は手伝い無しの筈が、結局手伝う事になっている。まあいいか。 紙おむつやら便所紙やらを買い込んで戻ると、丁度甥っ子が起きて来たので、膝の上に座らせて麦茶を飲ませてやった。 暑かったので氷を入れて、カランカランとコップを回して一口飲ませ、じゃああとは自分でお飲み、と両手で持たせると、甥っ子は何を思ったのか、
ザバァー
と首の辺りでコップを傾けた……何故。 思うに、真夏のように暑い日だったので、水浴びをしたかったのだろう。 甥っ子は勿論、私のシャツとズボンもびしょ濡れ。 これが台所の床の上で良かった。そして麦茶で良かった。ジュースのようなものだったらベタベタして堪ったものではない。 仕方ないので私は妹の服を借り、甥っ子も着替えさせようとしたら、服を脱がせたところで脱走。 本人は紙おむつ1丁が快適らしいが、幾ら家の中でもそれは一寸。抵抗にあったが、お腹が冷えるので、ランニング・シャツと短パンを着用させた。 それから3人で昼食を摂り、妹が家の中の事を片付けている間、私は甥っ子の相手をし、ズボンが渇いたところで着替えて駅まで送って貰った。
今回のまとめ ・指示語が増えた。「これ」だけだったのが、遠くの物は「あれ」、「うまー」ではなく「いしー(美味しい)」と言えるように ・鳴く鳥はすべて「チュンチュン」。あれは雀じゃなくて河原鶸だよーと妹に訂正されていたが、そんなの大人の私でもわからん…… ・気に入らない事があると、物凄い目つきで睨む。ガンをつけるというのか。目は口ほどにものを言うという言葉があるが、どこで覚えたんだか…… 他にも色々あるが、取り敢えず、大きくなったなあと思う。 もう転がっているだけの赤ん坊じゃなくなっちゃったんだなあと思うと、一寸寂しい。
主人が泊まりがけの研修に行ってしまったので、私も妹の所に行く事にした。 今回は遊びに行くだけ、私はまだ怪我が痛いから家の事はやらないけどそれでもいい?と妹に訊いたら、いいよ来て来てーと言うので、のこのこ出掛けて行った。 向こうに着いて、妹と甥っ子と3人で、車で買い出しに出掛けた。 パン屋に寄ったら試食があったので、甥っ子の口にも放り込んでやると、大層気に入った様子。 口を開けてもっと寄越せアピールをするので、これは試食なので一口だけね、今お前のお母さんが買ってくれるから、お家に帰ったら皆で食べようねと言ったのだが、全然聞きやしない。 黙らせるために別のパンの試食を口に入れてやったが、まだ足りない様子。後でわかったが、おやつを食べる前に保育園から引き揚げたので、かなりお腹が空いていたらしい。 何やら言いながらショーケースに歩み寄り、ケースの上の試食の小さな籠を指差して泣く。甥っ子の位置からは死角なのに、私がそこから取り出したのは見ていたようで、そこにあるのはわかっているらしい。何だか感心してしまった。 会計の時にお店のお姉さんが気を利かせて、泣き叫ぶ甥っ子の手に、買った物のうちの小さい小分けのパンを持たせてくれたので、帰りの車の中でそれを開けて食べさせる事にした。 一口ずつちぎって与えて、甥っ子が大人しくなったので、 「じゃあ残りは私のね。半分こ!」 と言って私の口に放り込んだ途端、 「ぎゃああああああああああああ!!」 と再び泣き叫ぶ甥っ子……さっきより煩い! 「おいおい、独り占めする気だったのかよ、お前。それは流石に甘いぞ。ちゃんと人に分け与える事も覚えないとな」 と取って付けたように教育的な事を言う私に、 「ええと、支払ったのは私なんですが……なのに一口も貰えなかったんですが」 運転しながら妹がおずおずと口を挟んだ。 そういやそうだった。すっかり忘れていたが。
腹を空かせた甥っ子が、今すぐ食べる!という勢いだったので、帰宅して買って来たばかりの惣菜パンを皆で食べ、それで夕食にしたのだった。 よし、晩飯も早々に済んだし、さっさと甥っ子を風呂に入れて寝かし付けて、2人で酒盛りでもしようぜと言っていたのに、こういう時に限って何故か寝てくれないのが甥っ子。 21時前に私が風呂から上がると、甥っ子が玩具を手にニコニコしながら洗面所に迎えに来た。20時に寝たんじゃなかったのかよ……と寝室を覗くと、妹だけ布団で寝ていた。 しょうがないなあもう……と甥っ子を抱き上げて妹の隣に置いたが、すぐに起き上って、嬉しそうに何やら言いながら私に抱き付いて来た。完全に興奮して遊びたいモードになっている。 起きて来た妹と2人で何とか寝かし付けようと、何度も寝室に連れ戻したがどうにもならず、ヤダヤダまだ遊ぶのーとばかりにじたばたする甥っ子を妹が抱きかかえて最後に寝室に引っ込んだのは、22時を回ってからであった。 酒盛りがパァ……。
舛添都知事の記者会見を見たが、知事は壊れた蓄音機のように「第三者の厳しい公正な目で」しか繰り返さないし、人数が多いだけの記者達の追及は甘いしで、途中で飽きて寝てしまった。 会見の中で舛添は、自分のポケットマネーから調査費用を出して「第三者委員会」を立ち上げると言っていた。勿論人物の選定も舛添がやる訳だ。 舛添に雇われた「第三者委員会」が、果たして「厳しい公正な目で」舛添の支出を精査出来るのだろうか。そもそも、それって既に第三者じゃないし。 「厳しい公正な目で」見てくれる弁護士を探すと舛添は言うが、全く信用出来ない。 そこが一番の疑問なのに、居並ぶ記者の誰もそこを厳しく追及してくれなかった。 私のような素人でさえわかる問題なのに、経験豊富でそれで食っている筈のプロの記者達が、何故突っ込まないのか。 夜のニュースでは「会見は紛糾しました」などと形容していたが、ちっとも紛糾してなかった。少なくとも私が見ていた限りは。 ゴッチの記者会見みたいな「隙あらば引っかけてやろう」という気概が全く見られないんだもの。何の茶番よ。 もしかしたらこいつら、舛添に雇われているの?と勘繰ってしまうほどの温さであった。
総理大臣も国民が直接選挙で選べるようにしようという人がいるが、直接選挙で選ばれた都知事なのに、この有様である。 直接間接は問題ではない。首脳を選ぶ有権者の程度の低さが問題なのだ。 著名人だから、イメージに騙されて、よく考えもせずに投票する有権者が悪い。 前にも言ったが、民主主義は主権者である民衆が正しくなければ、結局機能しないのだ。 舛添は都知事職を退くつもりは全く無いようなので、引きずり降ろすしかない。 都民はさっさとこの卑しい男を何とかしろよ。そしてもっと賢くなれ。
病院に行って、キズパワーパッドの親玉から、小さいのに取り替えて貰った。 化膿も見られないし、順調に回復している様子。 しかし、今日の看護婦がこれまた不器用だった。 キズパワーパッドみたいなやつの小さいのを貼った上から、防水仕様の保護フィルムで包むのだが、なんか上手く行かないけれど、適当に被せて最後にぐるぐる巻けばいいよね!という適当さが見て取れた。 出来上がりを見た医者も、 「これは一寸酷いね……」 と言うレベル。私も同じ事を思ったよ。 「こういうの、苦手?」と訊かれて、 「はい、苦手です!」と正直に答える看護婦。 若い新人ならまだしも、中堅(推定)でこれである。 見兼ねた医者が、 「これはね、こうやって、内側じゃなくて外側で重なるように巻けばいいんだよ」 と説明しながらやり直してくれた。流石外科医、手先が器用である。 見るからにペラペラふにゃふにゃしていて、サランラップ以上に扱い難そうなフィルムではあるが、この人この仕事に向いてないんじゃ……と思うほど雑な看護婦だった。 言われるまで気付かなかったが、救急で担当してくれたのと同じ人だったようである。 あの時も、麻酔を打つのに、当直医に促されるまで酒精綿を出さなかったな……。 よく言えば朗らかで大らか、辛気臭くないのは良いのだが、命に関わる現場では一寸不安になるような。 彼女を見ていて、ドラマ「ちゅらさん」を思い出した。 当時は面白くて夢中になって見ていたが、今思うとあの主人公も大概だったなー。 少なくとも、救急医療の現場には向かなさそうなタイプ。 軽傷の子供相手や、終末医療だったら向くのかなあ。
2016年05月17日(火) |
プラマイゼロ寧ろマイ |
折角当てた2,100円なのに、あっと言う間に治療費で消えてしまった。 それどころか、それ以上の出費て。 自分の不注意を呪って悔しがっていたら、主人が 「まあ、でも良かったじゃないの」 と言う。 それって指先程度で済んで良かったって事? 5等じゃなくて1等でも当てた日にゃ、対価として首をスパーンと落としちゃってたかもって事? と主人に訊くと、 「そうじゃなくて。もっと酷い怪我にならなくて良かったって事。痛みも引いて来たんでしょ」 確かにそうだけれど、でもやっぱり、 悔しいいいいいいいぃぃぃぃぃぃぃ!
世界的日本人演出家の葬式の様子を、ちらりとTVで見たけれど、写真家である娘さんが撮ったという遺影のセンスに驚いた。 かっこいいのかも知れないけれど、なんか見た事ある。 あれだ、「すすきに月」。花札の点数高い奴。 ギャンブラーの遺影としてなら、ありかも知れない。
切った指はまだ痛む。 午前中に病院に行って、絆創膏を貼り直して貰った。 大体血が止まったので、キズパワーパッドの親玉みたいな奴を貼って貰ったのだが、その前に止血用ガーゼを剥がす看護婦の乱暴な事! そんな無理矢理剥がしたら再び出血するだろうが馬鹿が!と言いたいのを堪えて、自分でやった方がマシですと言って、流水でゆるゆる洗い流しながら剥がした。うう、傷にしみる……。 救急の時の看護婦もそうだったが、仕事に慣れるうちに人の痛みに鈍感になるのか、それとも元から鈍感な人がこの仕事を選ぶのか。 家では回復を促すために極力甘やかして、弁当も夕食も作らず、普段以上に最低限の事しかしていないが、それでもまだズキズキ痛むので、処方薬を飲んで凌いでいる。 それにしても、利き手が使えないってのは実に不便である。特にトイレが。
2016年05月15日(日) |
風邪が治りかけたと思ったら |
指先の、爪の無い所を2mmほど、スパーンと切り落としてしまった。
病院に連れて行って貰って、処置が終わってから、「完全には元に戻らないって。もうピアノ弾けないよう」とベソをかいていたら、 「シオンは本当に痛さに弱いよねえ」 と主人に呆れられた。 普通、男は肉体的な痛さに弱くて、逆に女は精神的痛さに弱いと言われるが、我が家はやはり違うようである。 利き手がズキズキ痛くて死にそうなので、食事の支度も後片付けも風呂の支度も何もかも、主人にやって貰った。 ただでさえ仕事が忙しくて、しかも主人も仕事のし過ぎで体のあちこちが痛いというのに。 なんか、仕事を増やしちゃって済まんね……。
金スマでベッキーが不倫騒動について語っていたのをちらっと見たけれど、本人も事務所もテレビ局も、本当にこれで済ませるつもりなんだろうか。 川谷元夫人への謝罪の目処が付いたため、今回の出演に相成ったという話だが、普通に考えて、これ見たら奥さん怒りが倍増するんじゃ……。 見なくても、テレビで何か語るらしいよと聞いた時点で。 事務所焦り過ぎだろ!
ベッキーは散々だが、WOWOWで放送している「アメリカン・ダンス・バトル」では、彼女の妹ジェシカが活躍中(日本では1年遅れての放映だけれど)。 ジェシカは姉に援助して貰ってダンスの勉強をしたそうだが、それに甘える事無く、ちゃんと努力して実力を身に着けている。 痩せ過ぎの姉と違ってきちんと筋肉の付いた均整の取れた体をしているが、声や笑い方は姉によく似ている。 不倫騒動が無ければ、WOWOWもベッキーに番組宣伝を頼んでいたかも知れない。 つくづく、ベッキーは各方面に迷惑かけたよなあ。 だからこそ、ちゃんと謝罪しないといけなかったと思う。 最初の謝罪会見には多くの間違いがありましたとか、男性から嫌われたくなくて誘いを断れませんでしたとか、自己弁護に走った事こそが大失敗だろう。 素直に、嘘を吐いた事を謝罪し、自分にも責任があった事を認めるべきだった。 そうしなければ、芸能界の外の世間一般的には許されない。 ジェシカは姉に続いて日本で芸能界デビューしようとしたら、「ベッキーは2人も要らない」と言われたのがショックで渡米したという話だが、彼女にとってはそれで良かったのかも知れない。 実力よりコネの日本と違って、アメリカは努力次第で上に行ける世界。 タレントのベッキーの妹としてではなく、ジェシカ・レイボーンとして、実力の世界で頑張って欲しい。 ただ、ダンサーは体を壊したらお終いだから、そこだけ気を付けてね。
ロト7が当たった。 3口買ったうちの1口。 900円が、2,100円になりました!
次こそ! 次こそ私の時代よ来い!!
鼻声が治らないのと、胸がゼエゼエひゅうひゅう鳴るだけならまだしも、今回は胃腸まで不調に見舞われた。 食欲が無く、しかし薬を飲まなきゃならないので少しだけ食べるものの、食べると胃が痛くなり、胸焼けがして、おまけにお腹はずっとユルユル。 処方薬の他に、市販の胃薬と整腸剤も服用していた。 一生治らないように思えた風邪だが、少しずつ、薄皮を剥がすように体調が良くなっているという事を、本日漸く実感出来た。 まず、お腹が減った。 そして、咳は時々出るものの、胸の音が聞こえなくなった。 今週は子守に行けなくて済まんな、しかしこの分なら月末には行けそうだと30代の妹に電話したら、「40過ぎたら治りが悪くなるのは仕方ないよー」と言われて、軽くムカついた。
甥っ子は、うんこの報告が出来るようになったらしい。 まだ喋れないけれど、保育園で、出た事を先生に教えたとか。 いいぞ、その調子だ! そして私が次回行くまでにはどうか、出る前に知らせられるようになっていて欲しい。と切に願う伯母であった。
2016年05月11日(水) |
日本(政府とマスコミ)死ね |
パナマ文書の公開後もあんまり騒がれなかったというか、何らかの力でも働いたのか、日本のニュースで取り上げられる事が少なかったが、租税回避地を利用した個人や企業は何のお咎めも無いようである。 なんでも日本では、税金逃れをする気満々でしたと白状しない限り、罰せられないのだとか。 最近の殺人犯も「殺す気は無かった」と言えば殺人の意思が認められずに死刑を回避出来ると学習しているし、日本の法律は犯罪者に甘過ぎると思う。それではやった者勝ちではないか。 先月BS1で見たフランス2のニュースで言っていたが、フランスでは租税回避地を利用したら禁固刑になるらしい。 だから、牢屋に入るよりは追徴課税を支払った方がマシだと考える人々が次々に自己申告していて、今年のフランスの税収は例年よりかなり(2000万ユーロだったか20億ユーロだったか、具体的な数字が上がっていたけれど忘れた)多く見込まれ、国税局はウハウハなのだとか。いいなあフランス。 日本では13日にヘイトスピーチ対策法が衆院に送られて、そこで可決される見込みだそうだが、言論の自由を侵害するそんな法律なんかより、遡って租税回避を罰する法律をさっさと作るべきだと思う。 租税回避地に回っているお金を集めたら、消費税上げなくて済むのに。 日本国民は政府にもマスコミにも馬鹿にされ過ぎ。 あーテロでも起こしてえ。面倒臭がりだからやらないけれど。世界は私が行動力無い事に感謝すべきだと思う。
2016年05月10日(火) |
長崎も忘れないであげて! |
オバマ大統領の広島訪問が決まったらしい。 謝罪の有無に焦点が当たっているけれど、別に謝罪なんてしなくていいんじゃないのー?と私は思う。 原爆被害に遭った人々は謝って欲しいのかも知れないけれど、謝罪の次は賠償を求めるに決まってる。お隣の国に毒され過ぎかしらね。 でも被害を負ったのは日本人だけではない。そうすると外国も巻き込んで色々と面倒な事になるんだから、慰霊目的だけでもいいじゃないのかね。
謝罪しなくていいから、アメリカは度量衡を国際単位系に合わせて欲しい、という書き込みを見て、その通りだと思った。 あいつら、アメリカ式民主主義を世界中に押し付けるくせに、自分達は頑として今でもフィートやら華氏やら使ってるんだよな。 本当に迷惑だからやめて。 日本政府もアメリカに対して年次改革要望書を出してやれよ。これじゃあフェアじゃないだろ。
東京都台東区で、今年2月に母親を殺した容疑で、今月に入って15歳の娘が逮捕された件。 娘は小さい頃から虐待に近い躾を受けていたらしい。 そのニュースを聞いて、自分の子供の頃を思い出してしまった。 うちの母も結構厳しい教育ママだった。 余所の母親がどんなものか知らないし、それが普通だと思っていたけれど、今思えば行き過ぎだろと思うような酷い事もされた。 尤も私だって、今なら恐らく何かの診断が付くような扱い難い子供だった訳だし、抑圧されっ放しではなかったので、流石に親を殺そうとまでは思わなかった。 それでも、下手したらこの子みたいになってたのかなあと思うと、なんか複雑な気分になる。 もう少し待てば、親元から離れて自由になれたのにな。 親を殺して自分の人生まで台無しにするこたあ無いよ。
2016年05月08日(日) |
ブラボージジイは滅びよ |
日曜の夜は教育テレビでN響の演奏を聴く。 マーラーやブルックナーだったらパスだけれど、今回はブラームスとニールセンだったので、TVをつけておいた。ていうかニールセンって誰。 主人によると、シベリウスとかショスタコに影響を与えたとか何とか(ちゃんと聞いてない)で、なんか私の苦手な感じらしいので、ブラームスが終わると私は風呂に入った。 風呂から上がると、ニールセンは終わって、残った時間で指揮法の授業をやっていた。 どっかの音大の学生達がサンプルになって、手取り足取り世界的指揮者から直に教えて貰うという、教わる方にしてみれば夢のような企画なのたが、サンプルの学生達が一寸酷かった。もう少しマシな学生はおらんのか。 それでも、私のような素人にも、なるほどー!とわかり易い説明をしてくれる先生。流石世界的指揮者。 横を見ると、主人はいちいち頷きながら、真剣な眼差しで番組に見入っていた。 偶々つけた番組だったけれど、見られて良かった。今日のプログラムがマーラーやブルックナーじゃなくてラッキーであった。 そして主人がニールセン嫌いじゃなくて良かった。興味無い曲だったら、さっさとチャンネル変えて、折角の指揮法を見逃していただろうから。
そういや、最近の放送では出入り禁止になったのか、ブラボージジイがいなくてホッとする。 ブラボージジイと言うのは、演奏が終わるや否や「ブラボー!!」と叫ぶ迷惑千万な聴衆である。折角の演奏を台無しにする無粋な輩である。余韻もへったくれもあったもんじゃない。 何なの?あれって。 俺が誰の拍手よりも先に、一番に声を上げたぜ!って自慢したいの? 誰かと競争でもしているの? 本人は得意になってるんだろうけれど、他の客からはうるせえ死ねと思われているんだよ?
そういや今週は、行きたい演奏会があるんだった。 風邪が治らないので子守は妹の姑さんに代わって貰って、日程的には聴きに行けそうなのだけれど、何しろ風邪だからなあ。 咳がゲホゲホ出る状態では、他の客の迷惑になるし、何より公衆衛生的にアカンやろと思う訳で。 涙を呑んで、お家で大人しくしていようと思う。つーか、クスリ効かねえ!
今年も例年通り、我が家に連休などない。 主人は1日だけ休みを取れた。
その休日に、主人の友人を連れて、津波被災地に行って来た。彼等が共に過ごした、思い出の地なのだ。 友人は外国人。25年前に1年間だけ日本に住んでいた事があり、主人とはその時に仕事で知り合った。 「俺は日本語覚える気は無いから、お前が英語を覚えろ」と言って、主人に英語を仕込んでくれたのは、この人である。 彼が日本を離れて以来没交渉だったが、数年前にフェイスブックで彼が主人を見付けて連絡をくれたのが、再交流の始まり。インターネット凄い。 本当は昨年来日の予定だったが、家族の急病で急遽キャンセルになり、再会は今年に持ち越されたのであった。 「日本に来るなら是非会いたい。こちらまで足を延ばすのは大変だろうが、君はあの土地をその目で見るべきだと思う」という主人の勧めもあって、今回東北まで来てくれたのだ。
ところで、私は英会話はさっぱりである。センター試験の英語こそそこそこの点を取れたものの、あんなのは所詮マークシート方式だし、大学入試の時をピークに学力は低下の一途。 今回異人さんと英会話するにあたって、予習しなきゃと思ってはいたが、結局何もしなかった。子供の頃から勉強せずにぶっつけ本番で試験に臨むタイプなのは、大人になっても変わらないものだ。(←開き直り) 準備と言えば、主人に頼んで英和&和英の辞書アプリをタブレットにダウンロードして貰った程度で、後は英語ペラペラ(当社比)の主人に任せたが、蓋を開けてみれば、永年英語を使っていない主人の英会話レベルも私とどっこいどっこいだった事が判明したものの、結局は何とか意思の疎通が出来た。 というのも、日本滞在当時は日本にも日本語にも興味が無かった友人だが、その後帰国してから勉強したという事で、思った以上に日本語が通じたためである。英単語と言えば真っ先にファッキンぐらいしか思い付かない私の片言の英語より、彼の日本語の方がレベルが高いと思う。
前日にはこちらに来た友人と夕食を摂り、その夜は近所の宿に泊まって貰った。本当は我が家に泊めて持て成すべきだが、狭い賃貸での転勤生活、客用の布団も部屋も無いのだ。 翌朝は3人で車で出発、昼には沿岸部に到着した。 海の幸で腹拵えをして土産物を買い、嘗て友人が住んでいた辺りを回ってみる。 そこはもろに津波を被った地域で、残った建物には線が記されて、「ここまで津波が来たよ」とわかるようになってた。 グーグルストリートビューで予習していたし、彼が住んでいたアパートは当時から古かったので既に無いのはわかっていたが、それでも実際目にするとショックだったようで、 「(当時の物は)何も残っていない。ナッシング」と言っていた。 まるで別の町みたいだ、とも。主人によると震災以前に区画整理がされたようで、道の形自体が昔と違うのだそうだ。 そして隣の区画には、瓦礫がまだそのままに積まれていた。5年経つのに全然復興してないな……と唖然とする主人。政治家やマスコミや土建屋の関心は熊本地震や東京五輪に移ってしまい、もう東北の復興なんて忘れ去られているのだろう。 同じ津波被災地でも、大規模な嵩上げ工事をやっていた所もあったというのに、一体何が違うのだろう。そしてどれが正解なのだろう。答えが出るのは何年後になるだろう。 その後は、彼と主人の過去の職場も訪れてみた。こちらは津波の被害は無かったけれど、震災の前に建て直されていて、やはり当時の面影は無かった。 それにつけても、街中を走りながら主人が「ここにはこんな店があったんだけど無くなっちゃったな」とか「あっまだこの店残ってるんだ」とか言うのは、殆ど全てが飲食店……この人の記憶は本当に、食べ物中心に構成されているのだなあ。
沿岸部を離れて、内陸部の新幹線駅まで彼を送り届けた。 この後2人で食事するんでしょ、僕の事は置いてって大丈夫だよと言われたが、時間もあるし折角なのでホームまで見送る事に。 そしてホームでお別れの抱擁をするオッサン2人。実に微笑ましい光景である。 主人は別れ際に、「君が幸せそうで、僕も嬉しい」と言われたそうだ。正直な外人の目にもそう映ったのなら、主人は本当に幸せなのだろう。安心した。 今日は有難う、とても楽しかった! 今度は僕の国にも遊びに来てね!と言って、彼は東京に戻って行った。 遊びに行きたいのは山々だけれど、3日で和食が恋しくなる身としては、世界一飯が不味いと言われる国に行くのは、悩ましいところである。
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