人事異動の時期であるが、今回は転勤が無かった。 という事は、来年は確実に異動である。 これから1年かけて荷物を整理しなければ、引っ越しの時に大変な事になる……。
我が家の転勤が無かった事で1番得をしたのは妹であろう。 転勤になったら、通うのが今よりも難儀になる。 下手すると、1日がかりになるかも知れない。 そして、子守の出口が見えて来た。来年度いっぱいだって! だったら協力してやらない事も無いというものだ。
さて、今月2回目にして今年度最後の子守。 甥っ子は泣き過ぎて中耳炎になったそうで、耳垂れが出ていた。 それ以外は元気なので、家で薬を飲ませておけば、あとは普通に保育所に通って良いらしい。なので私は楽をさせて貰った。 春は別れの季節で、甥っ子が大好きな先生は、今月いっぱいでいなくなってしまうらしい。 でも甥っ子は忘れちゃうんだろうなあ。あんなに先生の事好きだったのに。
今回の甥っ子 ・おしめを脱がせると、自分の股間を指差して「ちんちん!」と言う。何故か満面の笑みで。頼むから外でやらないでね…… ・口を突き出して「ぶぶぶぶぶぶぶ」と唇を震わせて音を出して、ご満悦。巻き舌のつもりらしい ・綿棒で耳掃除しても暴れなくなった。以前は「何それ? 何持ってるの?」と綿棒が気になって仕方なかったのが、大人しく耳掃除されるようになった ・自分でクレヨンと画用紙を指差して、お絵描きしたいと意思表示が出来るように。線を引いたりトントンと点を打ったりして、楽しんでいる ・空き缶を引っ繰り返し、底をクレヨンでトントンと叩くと、叩く場所によって音が違う事を発見して喜んでいた ・やっぱりピタゴラスイッチ大好き。ゴールすると「わー」と言って拍手する。それを見ると大人達も一緒に拍手してしまう
最終日には、妹が車で駅まで送ってくれた。甥っ子も一緒である。 見送るよと妹が言うので、車から降りて3人で歩く。 甥っ子を真ん中にして両側から手を繋ぐと、甥っ子は実に嬉しそうにしていた。そりゃこんな風にして外を歩く事なんて、殆ど無いからなあ。 駅の大きな階段を見た甥っ子がそちらに行きたがるので、仕方なく階段の上り下りに付き合う大人達。 都会の混雑した駅なら絶対無理だが、田舎の駅でしかもメインじゃない所の階段で、人通りも少ないので。 両手を持ってやって、甥っ子が片足ずつ降りるのを支える。こちらは中腰になるので結構辛い。 一番上まで上るのかと思いきや、中腹で「ん」と言って、何故か方向転換。今度は下り始めた。 一番下つまり元の場所に戻ると、上り始める。そしてまた途中で方向転換。これじゃあ私が帰れないんですけど! 仕方が無いので、じゃあもうここでいいわ、またな!と2人を置いて帰りの便に飛び乗った。 甥っ子は眠かったらしい。暫く階段を上り下りして、車の所まで手を引かれてぐずり、車が走り始めるとすぐに眠ってしまったとか。 沢山運動すれば疲れて夜ぐっすり眠ってくれるだろうと思って階段昇降に付き合ったが、私まで帰りの公共交通機関で爆睡する羽目になったのだった。
先週は子守週間であった。 勿論私はヘトヘトだが、それ以上に可哀相だったのは主人。 また体調を崩して、これまでで最も辛い留守番だったらしい。 今回は保育所から呼び出される事も無かったし、甥っ子なんて放り出して帰れば良かった。 でも今月はもう1回、月末にも頼まれているのだ。 いつまで続くのだろう、この生活。
今回の甥っ子 ・「ばあ」だけではなく、前半部分も言えるようになった。自分で「ないな〜い」と言いながら身を屈め、「ばあ!」と顔を出す ・世の中にはバナナより美味しい食べ物があるという事を知ってしまったようで、最近はせとかやポンカンや苺を選ぶように。そして人の分も食べようとする。自分の分はもう食べたでしょ、と残りを遠ざけようとすると泣く。粒が大きいから半分に齧らせようとしたのに、欲張ったのか齧るのが面倒になったのか、苺を丸々ひとつ頬張って、鼻から苺の汁を出していた。何故無理をする…… ・嘘泣き及び嘘笑いをするようになった ・好きな言葉は「めつぶし」。リラックマのぬいぐるみの目を人差し指でぐりぐりすると、私が「目つぶし!」と言うのが楽しいらしい。最近は自分で「ぷし!」と言いながら目潰しするようになった。人間にはやらないでね ・私がシュートを外して「まあいいや後で捨てるか」と放置していたごみを甥っ子が拾い、ごみ箱にポイしてくれたので、「有難う!凄いね!お利口さんだね!」と褒めちぎると、非常に照れていた ・積み木が出来るようになった。これまでは積み木同士叩いて音を出したり、積み上げても精々2〜3個だったが、積み木らしく積み上げる事が出来る。しかも接触面積が大きくなるように、なるべく底面(上)と底面(下)を重ねようと努力している
という具合に、成長が見て取れるので面白い。 それと、キメ顔が面白い。下唇をむに〜と突き出し、顎を引いて上目使いをするのだ。 甥っ子の父親は寝ている顔が1番可愛いと言い、祖母(私の母)はどんな顔でも可愛いと言うが、この顔が1番可愛いと私は思う。 この顔をすると喜ばれる褒められると理解しているようで、最近は可愛いと言われたい時にやって見せる傾向にある。ような気がする。
2016年03月03日(木) |
おぼしき事言はぬは腹ふくるるわざ |
他人にどう思われようが構うものか、気兼ねして生きて何が楽しいんだよとばかりに好き勝手言ってる私から見ると、うちの主人はあまり自分の意見を言わない。 特に家の外では。 「それでも、最近はこれでも言うようになったんだよ」 と言うので吃驚した。 「そうなの? 一体どういう心境の変化なの。だって貴方、自分さえ我慢すれば済むんなら我慢するって仰ってたじゃないの」 「うん。でも以前の10倍は言うようになったよ。まあ年取って、それだけ成長したって事かな。長く生きていれば、それだけ嫌な奴にも遭遇するってもんよ」 なるほど。 「成長か……よし、私ももっと成長するぞ! そして今の10倍、言いたい事を言う!」 「いやシオンはもう充分だから。今の10倍じゃあ3000%になってしまう」
3000÷10=300[%]
……おかしくね? その計算。
小学校4年の頃だったか、社会科で47都道府県と県庁所在地を覚える課題があった。 今の学校事情がどの程度緩いのかは知らないが、当時は白地図で都道府県全ての場所も完全に覚えるまで、合格させて貰えなかった。 私はすぐに覚えたが、忘れるのも早く、今ではかなりあやふやで、都道府県の数すら時々間違える。
そろそろ寝ようかとお布団に潜った頃、月末辺りに2人で旅行に行こうかという話になった。 どこに行こう。 北海道新幹線に乗ってみたいけれど、春休みは混みそうだし、トラブル続きのJR北海道には不安要素が一杯だ。万一青函トンネルで何かあったらと思うと、足が竦む。 それに、暦の上では春でも、この時期に北国や雪国に行くのは気が進まない。よって北陸方面もパス。 では四国はどうだろう。 四国って、高知、香川、愛媛……あと1個どこだっけ?となり、何故かそこから、全国47都道府県全部言えるかという話になった。 北から、北海道、青森、秋田……と沖縄まで数えても、3つほど足りない。 九州って言うぐらいだから、県も9つあるよね?という主人に対して、いいえ7つですと答える私。 「滋賀は?」「言った」 「岐阜は?」「言ってなかったな、あと2つ」 「そうだ山梨! 山梨を忘れてるよ、おぼちゃんを告発した若山教授で一躍有名になった山梨大学がある山梨」「知るか!でも確かに忘れてたな。よし、あと1つだ」 そしてやっぱり、どうしても思い出せない四国最後の県。 「四国って言うから、4つなんだよな……土佐、讃岐、伊予、阿波。土佐は高知、讃岐は香川、伊予は愛媛、阿波は……どこだっけ。なあ、阿波踊りって何県だっけ」 「どこだったかしらね……昔、三田村邦彦が高橋かおりとの不倫で芸能レポーターからマイクを向けられていたのが阿波踊りの会場で……あーどこだっけ思い出せない」 関連するどうでもいい情報ばかり出て来るものの、肝心の名前だけがちっとも思い出せない初老夫婦であった。
夜中にトイレに起きた時、また思い出して気になってしまったので、ネットで調べてしまった。 正解は徳島県。 言われてみれば、あーそうだった!という感じである。
2016年03月01日(火) |
痴呆老人遺族対JR東海訴訟の最高裁判決に思う |
徘徊ボケ老人が線路に侵入して撥ねられたために電車が止まったから賠償金払え!という裁判に対して、家族に責任無しと言う判決が出た。 最高裁判決なので、これで決定らしい。 正直、絶望した。腹が立った。裁判官は馬鹿じゃないかと思う。 温情判決として歓迎する声も多いが、アホか。裁判に温情なんていらねえよ。 だったらJR東海にも温情かけてやれよ。巫山戯んな。
そもそも、線路に侵入するのは犯罪だ。撥ねられたから可哀相という問題ではない。 自殺者についても同じだが、列車は止まるし、飛び散った死体の片付けは他の誰かがしなきゃならないのだ。 発生した損害について、鉄道各社は片っ端から遺族に賠償請求するべきだ。家族を亡くして可哀相とかそういう問題ではない。寧ろ、死に場所に選ばれて勝手に飛び込まれた鉄道会社の方が可哀相である。 非常に意地悪な見方をすれば、今回の遺族は、これで痴呆老人の介護から解放される。万々歳だ。ありがとうイーストシー!ぐらいの気持ちで、一審判決が出た時に720万円を払っても良かったのに。 それが最高裁でひっくり返されてしまった。遺族は消耗するほどに痴呆老人の面倒を見ており、転寝した隙に老人が家を抜け出して徘徊、そして電車に撥ねられたので遺族に責任は無いと、今回の裁判では判断されてしまった。 これで前例が出来た。全力を尽くした振りをしておけば、痴呆老人を抱える家族は、老人が他所で何かを仕出かしても、お目溢しされる訳である。 誰も責任を取ってくれないなら、痴呆老人に損害を与えられた側はやられ損である。泣き寝入りしか無い。 更に、痴呆老人だけでなく、知的或いは精神障害者の家族にも適用される惧れがある。今回の判例を逆手に取って、家族は責任を免れる事が出来るのだ。これは大問題である。 誰が被害者なのか。誰が加害者なのか。 そこを摩り替えてはいけない。 感情で捻じ曲げてはならないのだ。 そしてもう1つ、この判例は、線路を姥捨て山にする可能性がある。 一瞬目を離した隙に痴呆老人が勝手に徘徊して列車に轢かれたという形を作ってしまえば、介護地獄から解放される、そんな希望を一部の人々に与えた筈だ。 断言しよう、これは真似する奴が絶対出て来る。鉄道自殺が後を絶たないのと同じように。
以上の観点から、今回の最高裁判決は、到底容認する事が出来ないものである。 これは社会のためにならない。 痴呆老人の世話が大変なのはわかるが、それで支払い義務無しとしたのでは、鉄道会社の負担が大き過ぎる。 介護施設を増やせという人もいるが、介護の世界はもう限界だ。これ以上、未来ある若者が自分の世話すら出来ない生産性の無い老人の犠牲になってはならない。労力の上でも金の上でも。 もうとっくに、日本社会は本気で、安楽死や尊厳死を考えるべき段階に入っているのだ。 現実から目を背けてはならない。
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