1箇月半振りに会った甥っ子に泣かれた。もう私の顔を忘れたらしい。 思い出したのか、すぐに慣れたようだけれど。
今回は、誕生日プレゼントを持って行ってやった。 主人からはマラカス、私からは縫い包み。 甥っ子はいつの間にか拍手が出来るようになっていて、シャカシャカとマラカスを鳴らすとそれを下に置いて、「わあー」と言いながら自分で拍手していた。 電子ピアノも買ってやった。どうせなら本物に近い物をと思って88鍵を買ったのだが、流石に大き過ぎた。まだ体が小さいので、真ん中か端っこしか弾けない。 そして、これだとタブレットのキーボードと違ってグリッサンドが出来ないので、甥っ子にはつまらなかったらしい。 弾いている様子を撮ろうとしてタブレットを向けると、「それ寄越せ」とばかりに突進して来る。 そしてタブレットでキーボードを開いてやると、グリッサンドして遊んでいる。その様子を撮りたいのに、撮影機材が無い……ううむ、義弟を唆してビデオ買うしかないのか。
その他のまとめ ・まだ移動はハイハイだが、掴まらなくて立つ事が出来る ・アイ!とお返事が出来る ・ボールを投げる事が出来る。しかも真っ直ぐに ・すきっ歯を心配していたが、上下4本ずつ、綺麗に生え揃った ・手も足も大きくなった。鼻の穴も。去年はベビー綿棒も入らないぐらい小さかったのに ・発音のパターンが増えた。相変わらず何を言っているのかわからないが
それと、私の言う事は割と聞く。 お尻にうんこをつけたままハイハイで逃走しようとしたので、「動くな!!」と私が本気で命令したら、こちらを振り向いてじっとしていた。(主人に言わせると、赤ん坊なりに生命の危機を察したんだろうなあと。私としては、脅したつもりも殺すつもりも無かったのだが) 更に、うんこべったりのお尻を拭いたものの、こりゃ風呂を前倒しにして今すぐ洗った方がいいだろうなと判断して風呂場に連行し、下半身丸出しで掴まり立ちをさせていたところ、風呂場で放尿していた。 おしめを外した居間で放尿に及ばず、風呂場に行くまで我慢していたのは、褒めてやりたい。
仕事で高校の同窓会を欠席した主人が、同級生のブログでアップされた写真を見ながら言った。 「へー、この先生も来てたんだ……皆でこの先生のロッカー投げたんだよね」 ? 意味がわからなかったので、訊き直した。 「ロッカー投げたって、何?」 「だから、ロッカーだよ。職員室前の廊下に、先生方のロッカーがずらっと並んでいて、その先生のロッカーを雪の中に投げたの」 やっぱり、よくわからない。 「なんでそんな事をしたの?」 「理不尽な酷い先生だったんだよ。だから友達数人で、『あいつムカつくよなー』『仕返ししてやろうぜ』って事になって、よいしょよいしょとロッカーを運んで、廊下の窓から外に投げたの。そしたら、翌日になって先生が『私のロッカーが無いんだが、誰か知らないかね』って。夜のうちにドカ雪が降って、ロッカーは埋もれちゃってたんだ」 「それで、名乗り出たの?」 「まさか! 皆で『♪〜(´ε` )』って知らん振りだよ」 「ロッカーは? ロッカーはその後どうなったの?」 「さあ? 誰かが発掘したんじゃない」 ぽかーんとしていると、主人が慌てて、 「そういう時代だったんだよ! 煙草とかシンナーとか吸ってるような悪い友達もいたし。勿論僕はやってなかったけど。因みに、今はもう皆いいオッサンで、普通の社会人になってるよ」 この話だけだと、どんな底辺校かと思うが、当時も一応中堅の進学校だったらしい。 しかし、だからと言って、そういう事をやってしまうってどうなの……と思っていると、 「本当にあの頃は、そういう時代だったんだよ。先生方だって、相当な悪戯好きだったし。でも今は、一寸した事でもキーキー騒ぎ立てるような保護者がいるせいで、そんな事する教員はいなくなっちゃったね。世の中、余裕の無い奴が多いんだよ」
なんか、昭和って凄いなと思った。
覚えておきたい記憶が、薄れてしまう。 両手から零れ落ちる砂のように。
うちの主人はかなり面白い。 今日も面白い事を言ってくれたので、 「それ、絶対うちの妹に言うわ! そしたら自動的にうちの両親の知るところにもなるから」 と笑い転げていたのに、2時間後には何の話だったのか、すっかり忘れてしまっていた。 何だっけ……床に崩れ落ちて、呼吸困難を起こすほど笑ったのは覚えているのに、肝心の中身が思い出せない。 言った本人なら覚えているかもと思って訊いてみたが、やっぱり覚えていなかった。主人は、食べ物以外の事は、すぐに忘れてしまうのだ。 その部分だけ、記憶に靄がかかっているようで、かなり悔しい。
やっぱり、主人の面白発言はきっちり記録しておかないと!
録画しておいたロボコップの1〜3を観てみた。 有名な映画だが、随分前に2しか観た事がなかった。しかもストーリーは殆ど忘れていて、兎に角怖かった記憶しか残っていなかったので。 そういう事で改めて最初から観た訳だが、昔の映画なので色々と大雑把である。 人権先進国の筈のアメリカも、当時はこんなものだったんだなーと思った。 死人に人権は無く、遺族の感情も意向も無視って、相当凄い。 序でに観たリメイク版ロボコップでは、流石にまずいと思ったのか、この辺りはちゃんと配慮して辻褄を合わせていたが。 しかしリメイク版は、オリジナル版を観てしまった後では、如何せんテンポの悪さが目に付く。 新しい映画ほど、つまらんどうでもいい描写に時間を割くわな。そしてそのせいで上映時間が長くなってしかも内容が間延びするという。 やはりオリジナル版の方がぶっ飛んでいて面白い気がした。 リメイク版は画像も綺麗だし内容もシリアス方向を目指したのだろうが、面白CMも無いのでどうにもつまらなく、実はまだ途中までしか観ていない。下手するとこのまま消去してしまいそうだ。 そして2はやっぱり怖かった。記憶どおりの怖さ。 3は2に比べると落ちるなあ。ラストも適当だったし。 でも通してみると、馬鹿馬鹿しくて、やはり楽しかった。 昔のアメリカは馬鹿でぶっ飛んでいたんだな。 今はぶっ飛び感がなくなって、ただの馬鹿になってしまったけれど。
そう言えば、リメイク版には失踪者を追え!のビビアンが出ていた。 こないだイギリスのドラマにも出ていたので調べてみたら、イギリスの女優さんだったのね。 失踪者を追え!の第4シーズンから先を観たいわあ……NHKめ。
連休のイベントでセグウェイに乗れるらしいよ、と主人が情報を仕入れて来てくれたので、1人で行ってみた。 そう、我が家はいつも通り連休ではなかったので。 しかも主人が仕事で車を使うので、バスと徒歩で。 1箇月分位歩いた!
憧れのセグウェイ。 乗りたいのは私だけじゃないだろうから、きっと混んでいるだろうなあと思ったら、私が行った時はあまり天気が良くなく、お昼時だった事もあり、殆ど並ばずに済んだ。 私の後ろには親子4人家族が並んでいたが、いつの間にかお父さんと上の女の子が消えていた。 お母さんに尋ねると(知らない人だけれど)、セグウェイに興味はあるけれど怖そうだから嫌、それより火起こし体験をやりたいと言うので、お父さんがそちらへ連れて行ったという。 ええっ勿体無い、と思わず口を付いて出てしまった。こんなに楽しそうな乗り物を体験出来る機会なんてまず無いのに、怖いだなんて。 しかし、セグウェイ社を買い取った人は、これに乗ってて事故って死んだのだから、女の子の言う事も間違いではないのか。 死亡事故の事には触れずに、折角のチャンスなのに残念ですねえと付け足すと、本当に勿体無いですよねえ、とお母さんが言ってくれた。 しかし何故火起こし……?と訊くと、何でも今の子供達は家庭でもガスコンロではなくIHだったりするので、本物の火が身近に無くて珍しいのだという。なるほど! カチカチカチカチとお風呂の種火を点けていた時代は、もう遠い過去なのだ。 火なんか起こしたってつまんないよねえ、とお母さんと一緒に残って順番待ちをしていた下の男の子が言うので、にやりと笑って、 「でも、動物の中で、人間だけが火を使えるんだぜ」 と教えてやった。 「そうなの? じゃあ山火事は? 火山のマグマは?」 と彼がお母さんに質問を浴びせるのを聞いて、噴き出しそうになったが堪えた。 子供の親って大変だなあ!
山火事もマグマも自然現象だからねえ、とお母さんが答えている時、丁度私の順番が回って来た。 初心者なので、ちゃんと指導員が付いてくれる。 ヘルメットを装着して、両手でハンドルを持ち、指導員が押さえてくれている本体に足をかけた。 まずは真っ直ぐ静止させるところからだが、これがなかなか難しい。真っ直ぐ立っているつもりでも、どんどん後ろに下がりそうになる。 体重移動で動くのは知っていたが、前に体重をかけているつもりなのに、なかなか前に進まない。下手するとこれまた後退する。 しかしすぐにコツが掴めた。右左折も出来たところで、単独でコースに出る事を許される。 コースと言っても、公園のコンクリートの遊歩道のような所をぐるりと回るだけだが、段々スピードにも慣れて来た。寧ろもっと速くてもいいぐらい。 ついテンションが上がって、ウヒョーとかヒャッホーとか、変な声が出ていたと思う。 それぐらい楽しかった。 写真撮りたいなあと思っていたら、指導員さんが、良かったら写真撮りましょうか?と訊いてくれた。なんて有難い!
乗ってみたいという欲求が満たされたら、今度は欲しくなってしまった訳だが、確か日本の道交法では禁止だった筈。 と思って調べてみたら、今年の7月から、申請が受理されれば公道でも乗れる事になっていたらしい。 しかし現実を考えると、かなり面倒臭い。 そして何より、皆様の通行の邪魔になる。 老人の電動車椅子ですら邪魔なのだ。それに加えて、あっちこっちでセグウェイが走っていたらどうなる事やら。 やはり、宝籤を当てて、広い敷地内にコースを設けて、そこで楽しむしかないのか。全然実用的じゃないけれど。
2015年10月10日(土) |
また人を殺してしまった |
物凄く疲れる夢を見たせいで、今日は寝起きが悪かった。 市街地での銃撃戦に巻き込まれて、味方を見捨ててこっそり逃げる私。 目覚めた時に感じたのは、嗚呼自分は何て薄情な奴なのだという慙愧の念ではなく、
銃の扱いと正しい撃ち方を、ちゃんと習わなければ……!
という強い思いであった。大丈夫か、私。 多分これは、アメリカドラマの見過ぎのせいだと思うの。 CSIとかクリミナルマインドとかメジャー・クライムズとかロー&オーダーとか。 その割に、英語は相変わらず全然わからないっていうね!
2015年10月09日(金) |
ナヴァロ&ポインター著「FBIプロファイラーが教える『危ない人』の見分け方」 |
ふらりと立ち寄った本屋で、偶然目に留まって衝動買いしてしまった。 ハードカバーで税別2,000円もするが、その価値はあったと思う。 翻訳が微妙な箇所もあるが、断言しよう。 これは良書である。
日本では性善説が蔓延し、人を信じる事が美徳であるように言われているが、それじゃ駄目だと私は常々思っていた。 世の中には、信じて良い人間と、信じるべきではない人間が存在する。 著者の一人、ジョー・ナヴァロの言葉を借りれば、
「世界には2種類の人間がいる。 カップに飲み物を注ぐ者と、それを飲み干す者だ」
という事になろう。 自分の目の前にいる人間はそのどちらなのか、どうやって判断すれば良いかを、この本はわかり易く教えてくれる。 犬養毅は「話せばわかる」と言ったそうだが、相手によっては話し合いなど無意味どころか、余計事態を悪化させる事もあるのだ。 そういう場合はどうするか。「逃げるが勝ち」なのだ。 余計なお節介の大好きな善意の第三者が、 「あの人にも事情があるのよ。支えてあげて」 と言うのに流されてはいけない。 自分の直感に従って決断し、危険なものから身を遠ざける、これが自分と家族を守るために必要な事なのだ。 私がこれまでもやもやと考えていた事を、はっきりと明確に文章として記してあったので、読んでいていちいち頷いてしまった。 殺人鬼ほど危険ではないにしても、不愉快な気分にさせられる人物、一緒にいても楽しくない人物、攻撃的で心を傷付けて来る人物というのが、あなたの近くにもいるだろう。 友達は多い方が良いとか、顔が広いのは良い事だという風潮だが、果たしてそんな人物を自分の友人リストに載せていても、自分の心は喜んでいるだろうか。
・自己中心的 ・情緒不安定 ・パラノイア(偏執狂) ・プレデター(捕食者、略奪者)
親切にもチェック・リストまで用意されており、これらの人物には近付くな、関わるな、出会ったら逃げろ! というのが著者の教えで、出来ないとか無理とか四の五の言っていないで、そいつが親だろうが子供だろうがさっさと行動しろやという話であった。 でもそんな危険な人格を野放しにされると迷惑だから、親や子だったら逃げる前に処分して欲しいなというのが、私からのお願いである。
一言一句が尤も過ぎて、ついつい音読してしまっていたら、読み聞かせなくてもいいからと、何故か主人に拒否された。 平和過ぎる日本でぬくぬくと暮らしている性善説信者にこそ、是非とも読んで欲しい一冊である。 そして目を覚まして欲しい。
2015年10月08日(木) |
映画「Frozen」 |
2013年公開の、アメリカのディズニー映画である。 日本では翌2014年に公開された「アナと雪の女王」を、遅ればせながら観てみた。 最初は日本語吹き替えで観るつもりだったが、冒頭部、長老の台詞の日本語訳が気に食わなかったため字幕版で。 (だって、"Listen to me, Elsa"が「よく聞け、エルサ」だよ? そこは「よくお聞き、エルサ」じゃないのかね。私は英語はわからないし、ましてや翻訳の事なんて全く知らないが、仮令同じ意味でも、どの言い回しを選ぶかというのは大切だと思う。吹き替え版の翻訳をした人は、よっぽどセンスが無いのだと思った。字幕版は単に「エルサ」と呼びかけるだけだったが、そっちの方がまだマシである) 序でに言うと、邦題のセンスもどうかと思う。 そのまんま「フローズン」よりは良いとしても、どう見たってこりゃ雪の女王じゃなくて氷の女王じゃん。
内容は微妙であった。 所詮子供向けファンタジーなので、突っ込みどころ満載。 だがいちいち突っ込むのは野暮と言うものらしい。ファンタジーだから。 しかし雪国育ちとしては、ファンタジーとは言え、雪と氷の世界に温度を感じないのは如何なものかと思うのだ。 半袖で雪遊びなんてしたら、風邪引くよ! 素手で雪球作ったら、霜焼けになるよ! 南極でもないのに、息が白くないのはおかしいよ! 何じゃこのアニメは、マイアミの人間にでも作らせたのかよ、と文句タラタラで見ていたら、 「シオンはファンタジーに向いていないよね……」 と主人に言われた。そうね。 とは言え、絵は美しかったし、音楽も良かった。 特に「Let It Go」。昨年あれだけ大ヒットしたのも納得である。 しかしやっぱり翻訳が……。 エルサの口の動きに合わせた和訳を考えなければならないので、大変な苦労があったとは聞くが、あの和訳での歌を散々聴いた後でアニメを観ると、イメージと全然違っていた。 松たか子或いはメイJ版だと希望に溢れる歌のようだったが、実は「もうどうにでもな〜れ」という投げやりな歌だったというね。 それとこれは、会ったばかりで人となりのよくわからない人と、何か知らないけれどビビビと来たからって婚約するもんじゃありませんよという、若い女の子向けの教訓を含んだ話だったのかね。 ある意味、運命の出会いを全否定して、自由恋愛を推奨する物語であった。 ま、出会いはどうでもね、最終的に幸せになれればいいんですけれど。
先日、近所に新しい店が出来たので、行ってみた。 今風に言えば、「新しいカフェがオープンした」となる。 丁度お昼の時間で、何組かの御婦人達が先客として座っていた。 空いているテーブル席に座っても良いかとボーイに尋ねると、お一人様はこちらでお願いしますとカウンター席に通された。 座面が小さい上に硬く、座り心地が宜しくない席で、まるでさっさと帰れと言われているようである。 しかも椅子が高い。チビやデブなら、乗り降りするのも一苦労である。 提示されたメニューにはランチが二種類記載されていたので、高い方を頼んだら、それはもう出てしまって今日はパスタしか無いと言うではないか。 それなら何故最初からそれを告げない? 料理は美味しかったが、随分気の利かないボーイだなあと呆れてしまった。
今日は気が向いたので、正午前に同じ店に行ってみた。 客は私一人だったので、テーブル席に座らせて貰えたが、これまた座面が硬く、尻が痺れそうである。 飲食店は回転を上げないと儲からないのは解るが、居心地悪いのは一寸如何なものかと思う。 今日は高い方のランチにありつけて、これも美味しかったのだが、会計時にそれも吹っ飛んだ。 1,200円に対して、小銭が無かったので千円札を2枚渡したら、お釣りが何故か百円硬貨2枚であった。 私もボケっとしていたので、財布に入れる直前になってやっと気付いた。 「あれ? ランチは1,200円だったよね?」 と、掌の上に貰った釣銭を見せると、彼は 「あ、そうですね」 と誤魔化すような薄笑いを浮かべて、正しいお釣りを返して来た。 レジもレシートも使わないこの店のシステムに問題があるとしても、間違ったのはお前なんだから、まずは客に謝れよ……! ヘラヘラしていて好印象を持てないボーイだと思っていたが、これにはムッとした。
という話を主人にしたら、 「あれこれ怒る事が多くて、シオンは大変だなあ。僕なら、『嗚呼こいつは頭が悪いんだなあ』と思ってお仕舞いだけど」 と言われた。 「そりゃ怒るわ。寧ろ、何故貴方は怒らないのか知りたいぐらいよ」 「いちいちそんな事ぐらいで怒っていたら、心がもたないよ。その程度の事は仕事中に山ほど遭遇するからさ」 なるほどねえ。 ゆとり世代を相手にしている人は、忍耐力が無いとやって行けないらしい。 それにしても、こういうとき都会なら選択肢が山ほどあるのだろうけれど、田舎だと「美味くて煙草臭くない店」が少ないので困る。 料理は良くても、接客のマナーがまるでなっていない店員のいる店には、あまり行きたくない。あのボーイ、さっさとクビにしてくれないかなあ。
買い出しからの帰り道、いつもの抜け道を車で走っていると、前方に何かが落ちていた。 スピードを落としながら近付いてみると、猫の死骸であった。 勿論避けて通る。 こういう時、可哀相と思ってはいけないらしいが、ザマアミロとも思えず、やっぱり可哀相にと思ってしまった。 聞いた話によると、可哀相と思ってしまうと、付いて来ちゃうらしい。霊が。 しかし、果たして動物には魂があるのだろうか。 霊体験豊富で、あの世のものに詳しい主人に訊いてみたところ、 「凄いねシオンは、デカルトみたいな事を言うなあ」 と言われた。聞き覚えはあるが、誰だっけデカルト。 「哲学者だよ。二元論を説いた人。『我思う、故に我あり』も、この人の言葉だね」 ルネ・デカルトはフランスの哲学者、数学者。合理主義哲学の祖であり、近世哲学の祖として知られる。(byウィキペディア) 「『我思う』は知ってる〜。自分の存在を疑う時、疑っている自分は確かにいるのだから、自分は存在するのだって奴だよね」 「まあそんな感じ。二元論ってのは、世界には物質世界と精神世界の2つが存在するのだという説で、その両方を兼ね備えている、つまり肉体と魂を持っている唯一の存在が人間であると彼は主張した。 つまり、二元論的には、猫に魂は無いと言う事になる」 流石に私より長生きしているだけあって、主人は色々な事を知っている。 凄いなあと素直に感心した。 「なるほど、デカルト的にはそうなるのね。じゃあ貴方の説は?」 「猫にも犬にも魂はあると思うよ。デカルトは人間以外の動物を『自動機械』と位置付けたけれど、うちの実家で飼っていた犬も猫も、僕は心で通じ合えた実感があるから、動物にも魂はあると思うよ」 「じゃあ、どこまでが動物? 単細胞生物は? 植物は? どこで区切られるの?」 「植物にも魂はあると思うよ。固体による区切りではなく、生きとし生けるもの全てに存在するんじゃないかな」 なんだか仏教的な話になって来た。
その日の夜、お風呂に入っていると、磨り硝子(と言っても素材は硝子ではない)の向こうで、主人が、 「チャオ」 と言うのが聞こえた。 何?と訊き返しても返事が無いので、居間に戻ったのかと思って呼び出し釦を押して、主人を呼び戻した。 どうかした?と言われたので、 「いや、今そこにいたでしょ。よく聞こえなかったけれど、何て仰ったの? チャオ?」 と訊くと、 「知らないよ、ずっと居間でテレビ見てたもん。その音だったんじゃないの」 と言って、主人は居間に帰ってしまった。 この家には主人と私しかいないし、さっきのは男性の声だったからてっきり主人だと思ったのだが、ほかに誰かいるのか。 まさか、昼間の猫じゃないだろうな。チャオではなくてニャオ……。 しかし猫の声ではなかった。ううむ。 いよいよ私も霊能者の仲間入り?
ワールドニュースを見ていたら、オーストラリアのとんでもニュースが飛び込んで来た。 とある神父が、自分が同性愛者である事を告白し、更にパートナーと一緒に暮らしている事まで公表したという。 その報道を、主人と一緒に見ていたけれど、
駄目だろう、それは……。
というのが、我々2人の共通見解である。 キリスト教は、本当はホモ禁止の筈。 聖書にちゃんと書いてある。ソドムとゴモラは、そのために神によって滅ぼされたのだ。 プロテスタントはかなりいい加減だからホモ牧師とかいるけれど、この人、神父だよね。カソリックだよね。 緩いプロテスタントと違って、神と繋がるために肉欲を退けるので、そもそも妻帯を禁じているのだ。 なのにパートナーて。 ホモだからOKとでも? 縦んば性的関係は持っていないとしても、それってどうなのさ。 当の牧師は、 「悩みに悩みました。しかし神に祈って、この答えを得たのです。私は許されました!」 みたいな事を晴れがましく言っていたが、えーとそれって、神様じゃなくてサタンって奴じゃないのかな、多分。そんな気がするよ。 キリスト教信者でもない素人の自分ですら、これはアカンやろと思うのだが、バチカン的にはどうなのだろう。 ただでさえ聖職者による少年への性的暴行(しかも神の名を騙って。信者じゃなくても許し難い)が問題となっているのに、教会がホモを容認したら、余計問題が増えそうだが。 しかし今の法王は、離婚や中絶に対して寛容な、良く言えば革新派らしいので、下手するとホモも容認してしまいそうで怖い。 減少の一途を辿る信者を獲得するために、各所への門戸を広げたいのだろうが、そんな事になったら世の中はどうなってしまうのだろう。 宗教の役目は、人々の心の拠り所になるだけではなく、人々を正して世の中を良い方向に持って行く事ではないのか。
残された最後の砦は、イスラム教だけになってしまった。
タレントの北斗晶が、自身の乳癌を公表した。 手術を受け、これから闘病生活に入るという。 私の母も乳癌で、乳房と腋下リンパ節を切除した。北斗晶と同じである。 結局は取った訳だが、母も乳房切除を嫌がった。 私の母なので巨乳ではないし、子供達はとっくに大きくなってもう使わないのに、それでも嫌がった。 女性ならその気持ちは理解出来るものらしいが、正直私には今でも理解出来ない。……おかしいな、一応性別は女性なのに。 しかし、精神的に大事なのは乳房でも、機能的に大事なのはリンパ節の方である。 乳房だけならまだしも、リンパ節まで取ってしまうと、取った方の二の腕が浮腫んで太くなってしまう。 スリムな服だと腕が入らず、袖のダブッとしたダサいシルエットの服しか着られなくなるのだ。 母が乳癌だったという事は私も遺伝的にその惧れがある訳で、幸い今のところ発症していない模様だが、私は乳房よりリンパ節切除の方が怖い。 何としてもリンパ転移の前で阻止しなければ。 乳房に関しては、再建が利くならそれでいい。 そりゃ自前の方が便利だろうが、再建出来るなら再建して欲しいぐらいだ。 少し大きめでお願いしようと、今から図々しい事を考えている。
悔しくて悔しくて、思い出し悔しがりの日。
地域イベントのじゃんけん大会で、決勝まで残ったのに負けたのだ。 グーを出そうと思ったら、ポン!の直前に、相手の出したパーに私がグーで負ける図が見えたのに、そのままグーを出して負けてしまったのだ。 何故、何故変更しなかった!と自分を責め続けている。 いつまでも引き摺って悔しがっていたので、主人に思い切り呆れられた。 たかがゲームじゃん……と。 たかがですって? ゲームと雖も勝負。私は負けるのが嫌いなんだよ! 賞品は、地元の有名菓子店の詰め合わセットだった。 「だって悔しいんだもん! あのお店、美味しいから大好きなのに! じゃあ賞品と同じ物を買ってもいい?」 と訊いたらいいよと言って貰ったので、早速明日買って来よう。
でもどうせなら、ただで欲しかった!
秋の運動会シーズンである。 甥っ子の保育園でも近々運動会があるらしい。 まだ歩けないから参加しないのだろうと思ったら、義弟もやって来て親子で参加するらしい。 何の競技に出るのかと訊いてみたが、妹もわからいないと言う。
そういや今度、保育園の運動会があるらしいよ、と話の序でに主人に言ったら、何だか驚いていた。 「どうやって? あいつらなんて、並べておくぐらいしか出来ないだろ。走らない・跳ばない・投げないじゃあ、スポーツにならないよ」 「投げるよ、一応。明確な意思は持っていないと思うけれど。というか、投げて欲しくない物に限って投げるね……そしてボールを持たせても、投げずに齧ると思う、多分。」 「じゃあ駄目じゃん。一体何をどうするつもりなんだろう」 ここで素人が思い付くのはハイハイ競争ぐらいだが、主人は違った。 「玉転がしみたいに転がすのか? 『さあ、誰のお母さんが一番速いでしょう!』って」 まさかの赤ん坊転がし!
幼稚園なら兎も角、保育園だと対象年齢の幅があるから、運営側は大変だろうなと思う。 赤ん坊なんて、ほぼ寝ているか泣いているかのどっちかだろうし。 参加する事に意義はあるんだろうか。
10月になっちゃったのに、まだ喉が痛いよ! 痰が絡んで老人みたいだよ!
最近は私だけでなく主人も不調で、首が痛い肩が痛い頭が痛いと言って苦しんでいる。 というのも、先日仕事中に負傷したのだ。 頭の怪我は擦り傷だけで、X線写真の結果、骨にも中身にも異常は無かったようだが、頭を打った時に首もやっちゃったらしい。 紹介状書いて貰って整形外科にも行くように言ったのだが、仕事が忙しくて遠くの病院まで行く暇が無い様子。 本人がいいならそれでいいけれど、痛いだの動けないだの言って私に迷惑かけないで欲しい。 痛々しかった擦り傷は、日が経つにつれて塞がって来たけれど、心配だったのは髪の毛である。 何しろ髪の生え際をズザザザーと擦ってしまったので、髪の毛も持って行かれたのだ。 これは下手をすると禿げになるな……でも、ザビエルや月代みたいに真ん中じゃなかっただけマシか。 そう言って慰めていたのだが、本日主人から報告が。 「見て、髪の毛生えて来たよ!」 どれどれ、と顔を近づけて見ると、桃色に再生した皮膚から、ちょぼちょぼとした髪の毛が生えて来ているではないか。 良かったね、おめでとう!と祝福して、 「序でに職場の禿げ共にも自慢してやったら? ホラ見て、毛根死んでなかったよ!って」 と言ったら、 「何故わざわざそんな他人の恨みを買うような事を……こぞって転勤運動を起こされちゃうだろ。まだ転勤したくないのに」 と反対された。 転勤かー、先が見えない不安……。
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