今年の夏は、8月12日までだった。案外短かったように思う。 しかし、私に夏を惜しむ気持ちは全く無い。 8月13日から一気に涼しくなってくれて、気持ちが上向く事上向く事! とは言え、特に何かをやった訳ではなく、家の中でダラダラと過ごしていただけなのだが。 これが私の平常運転なのだ。 宝籤が当たらないので仕方無い。
8月後半は、発表会を見に行ったり、隣町まで地方オーケストラの演奏を聴きに行ったりしたのが、自分の中では大きなイベントであった。 発表会は割と面白かった。芸達者な人がいると、ああいうステージは盛り上がる。 しかし録画して主人にも見せようと思ったのに、途中で容量が足りなくなるという事故が。 事前の準備は必要だなと反省した。なのにその反省を生かせないのが私の人生。 地方オケの演奏は、思っていたよりずっと良かった。 但しホルン以外。思わず凝視してしまうほど音を外していて、吃驚した。 ただ客の質はクソ。まあいつもの事ですが。 なんで演奏中にゲホゲホ咳をするの? 少しは我慢するとか口許を抑えて音をさせないようにするとか努力出来ないの? チケットの半券の裏に「客席での飲食禁止」って書いてあるのになんでお茶飲んでるの?読んでないの? 後ろの席のガキ共もモゾモゾして煩かった。 子供は飽きるものなので仕方無いし、そんな席に座ってしまった自分のミスであったが、大人のマナーの悪さは何とかならんのかと思う。 未就学児の入場禁止と同時に、老人の入場も禁止したらいいと思う。 が、最も咳の煩かったババアは老人手前の中高年だったので、年齢で区切るのはやはり難しいのか。 というか、ホール側がもっと徹底してマナーを教え込んだらいいと思うの。 以前行った某地方ホールでは、演奏会のマナーが書かれたパンフレットをプログラムに同封していたが、あれは良かった。 啓蒙活動も大事だと思う。
今年の主人の夏休みは、1週間ほど。例年に比べて永かった。 前半は私の実家に行き、後半は主人の実家方面に行って墓参りでもというつもりだったのだが主人の気分が乗らず、後半は家でゴロゴロしながら主人は合間を見て仕事場に顔を出すという過ごし方になった。
実家には妹夫婦も来ていたので、甥っ子を主人に弟子入りさせるチャンスと思ったのだが、人見知りが始まってしまった甥っ子は主人に懐かず、入門拒否と言う残念な結果であった。 甥っ子を主人に手渡そうとすると、主人の顎を押しのけて泣いて嫌がるのだ。これではどうにもならない。 機嫌のいい時はニッコリ笑いかけて、腕をぺしぺし叩く事もあったが、主人は一度も抱っこさせて貰えなかった。 逆に、甥っ子が大好きなのは、祖父である私の父親だ。新生児の頃から慣れているせいもあるのだろうが、祖父ちゃん大好きっ子である。 父が仕事から帰宅すると、抱っこしてとばかりに高速ハイハイで歩み寄る。ああよしよし〜と父が抱き上げようとしたところを「駄目よ、手を洗ってからね」と私の母に中断され、父が背を向けて洗面所に向かうと泣く。よくも邪魔したなとばかりに母を睨み付けて泣く。 明らかに、祖母より祖父の方が大好きなので、 「何なのよあの子は! お祖父ちゃんなんておしめも替えてくれないのに!」 と母は怒っていた。まあ気持ちは理解出来る。
今回も、お盆で里帰りしていた私の幼馴染が遊びに来て、沢山のお下がりをくれた。 ケチで荷物を増やしたがらない妹が決して自分では買わないであろう育児グッズや玩具や、可愛らしい服などを山ほど。 甥っ子は新しい玩具が気に入ったようで、早速ガチャガチャと音を立てて遊んでいた。 買ったら大層な金額になると思うので、翌日改めて妹と一緒に追加のお土産を持って彼女の実家を訪問したら、また大量に追加のお下がりを貰ってしまうという。しかもおうちに上がってお茶とお菓子まで頂いてしまうという。 おじさんが、これも持ってけ!と赤ん坊より遥かに大きな縫い包みを下さりそうになったが、こんな古いのなんてダニの巣窟だしゴミになるから駄目だよ!と幼馴染が全力で止めてくれた。 あれはあれで楽しそうだが、確かに貰ったら持て余すだろうなと思ったので、残念な気はしたが同時にほっとしたのも否めない。 久し振りに幼馴染とその両親に会えたし、私にとっては良い夏休みであった。 帰りの高速で、珍しく渋滞に巻き込まれた以外は。直前に立ち寄ったSAでトイレに行ってて良かったと心底思った。
安保法案の事もあり、終戦の日に照準を合わせたのだろう、今月に入ってからのテレビ番組は矢鱈と太平洋戦争特集を組んでいる。 だが私は、戦争のセの字が出た途端にチャンネルを変えている。 星新一の「白い服の男」みたいに、戦争と言う言葉からして怪しからん!というのではなく、毎年この時期に繰り返される辛気臭い話にうんざりしているのだ。 国のために戦った兵隊さんや巻き込まれた市民などの戦死者を悼みましょう、二度とあの悲劇を繰り返してはなりません、というのは理解出来る。 だが、あの戦争は間違っていただの、日本は中国や朝鮮に酷い事をしたのだから日本人は謝り続けなければならないという押し付けが、たまらなく嫌いなのだ。 戦後70年も経つのに、なんで毎年この日になると、国民全員で喪に服さないとならないのさ。 お隣韓国では、この日を日本の支配から解放された記念日として光復節と呼び、まるでお祭りのようなイベントも行われるらしい。 日本にとっては敗戦の日だけれど、同時に戦争から解放されたのだから、見方を変えれば喜ばしい日でもあるのだ。 毎年テレビ局によって半強制的に鬱々とした雰囲気にさせられているが、これがもし戦争に勝っていたら、この日は戦死者を悼む雰囲気になっていただろうか。 多分無い。やはり隣国のように祝日扱いだったろう。(となると、戦勝国でもないのにお祭り騒ぎしている隣国は一体何なのかと言う話になるが) 要は、戦争に負けたから、70年経った今でもその悔しさを引き摺っているだけではないか。 戦没者追悼と言いながら頭を垂れているが、同時に敗者の悔しさも味わわされているような心持になってくるので、何が目的なのか良くわからなくなって来た。 買っても負けても犠牲は出るので、戦争はしないに越した事は無いが、他国に対して無防備でいるのが正解とも思えない。 戦没者追悼の日の筈なのに、それを利用して、安保法案を戦争法案と呼び憲法9条に拘泥する連中に対しても、纏めて腹が立つ。
先日は、8月6日はぱるるの日!と呟いて炎上したアイドルがいた。 8月6日はいわずと知れた、広島に原爆が投下された日である。 それなのに、ぱるるの日だとは何だ怪しからん!という人々が少なからずいたようであるが、実に馬鹿馬鹿しい。 別にいいじゃん。ぱるるが誰なのか知らないけれど、ただの語呂合わせでしょ。 大勢の人が死んだ、或いは重い障害を負う事になった日なのに、お巫山けに使うとは怪しからん!と言うのだろうが、そこまで叩かれるほどの事か? この件に限らず、最近こういうのが多い。 下らん事ですぐに問題視する馬鹿と、尻馬に載って叩く馬鹿。 折角年に一度のハムの日だと言うのに、日本ハム・ソーセージ工業協同組合は広島関係者に配慮して何のイベントも開催しないという。実に勿体無い。 ハム祭りやってよ!大安売りしてよ! 広島のせいで8月6日は永久欠番なの? 毎年8月前半は皆が葬式気分で過ごさなきゃならないの? こんなに同調圧力をかけられると、逆に追悼気分になんて全くなれないんですけど。
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