2008年02月25日(月) |
スーパーの子供 その2 |
夕方、スーパーに買い物に行くと、就学前らしい男の子が2人、鬼ごっこをしていた。 親は何しとるんじゃ、と思って見ると、若い母親同士はお喋りに夢中……。 自分の目の前で子供が走り回っているのに、である。 店員も注意しないのねー。何か起こって困るのは店側なのに。 もう放っとけと思って買い物をしていると、私の買い物籠を押しのけて、子供が走って行ったので、軽く切れてみた。 「こら! 店ん中で鬼ごっこするんじゃない! 危ないでしょ」 子供はそのまま母親の許に走って行き、こう告げた。
「先生がいた〜」
ち、違うよ……。
それにしても母親、 「だから言ったでしょ」 って、お前がいつ何を言ったんだ? 第一、言えばいいってもんでもないだろが。 ちゃんと言う事聞かせろよ!
帰宅して主人にその話をすると、こう言われた。 「斉藤さん?」 そ、それも違うよ……。
日曜日の、もう「朝」とは言えない時間にもそもそ起き出してTVをつけると、しょこたんこと中川翔子が、べそをかきながら何やら謝っていた。 どうやら番組内で、不適切な発言があったらしい。 一体何を言ったんだ?と思い、すぐにPCの電源を入れて調べると、イージス艦に撃沈された漁船に乗っていた親子の家族の事を「遺族」と言ったらしい。(ネットって便利だね) つまり、行方不明の2人を、もう死んだものと扱った事が問題なのだとか。
えーと、それの何が問題なの??
別に、死ねとか生きて還って来んなとか言った訳じゃないし、客観的に考えてこの状況なら生きてはいまいという普通の発言なのに、それを何故責められなければならないのだろう。 それに、遺族もとい家族だって、花束やら千羽鶴やら、船の上から海に投げていたじゃん。(あのゴミ、後で回収したんだろうか。今時リボンのついた花束を海に投げ捨てるなんて、不法投棄だろ) あれって、普通に遺族のセレモニーだと思うのだが、どうだろう。 それに、事故が起こってもう5日。 アメリカじゃあ、3日ぐらいで「捜索」は、生存者ではなく「死体の捜索」に切り替わる。 ジョン・ジョン(ジョン・F・ケネディの息子。1999年に事故死)の時も、そうだった。 有名人相手でも、海に落ちたら3日で死亡扱い。アメリカってドライだなーと驚いたのを覚えている。 これが日本だったら、死体が上がるまで行方不明のまんまだもんな。
どっちがいいとか悪いとかじゃなくて、この程度の事でヒステリックに騒ぐのは、どうかしていると思う。 真冬の海は冷たくて、体温が奪われるため、10数分と持たないと言われる。 そりゃ生きていて欲しいし、生還したら素直に嬉しいが、客観的に無理なんじゃないかなあと思うではないか。 だから、しょこたんの発言は家族に対しては失言かもしれないけれど、騒ぎ立てるほどのものではないと、私は思うのだ。
東京に行く前に、旅のお供にと、文庫本を買い求めた。 本屋に入ると、今売れている文庫本のコーナーがあって、人気のある順に本が並んでいた。 評判の「チーム・バチスタの栄光」でも買うかと思っていたのだが、チーム・バチスタは上下巻だった。 2冊も買うのは嫌だし、旅には面倒なので、他に面白そうなのは無いかと思ってそのコーナーで足を止めて見てみると、トップは帚木蓬生著「閉鎖病棟」だった。 帚木蓬生は読んだ事が無いが、1位という事は、それなりに面白いのだろう。 宮部みゆきとどちらにしようか迷ったが、値段を比べると、「閉鎖病棟」の方が安かったので、こちらを購入した。
電車の中で読み始めたが、これがなかなか、かったるい。 のっけからぐいぐい惹き込まれるような展開でもないし、今まで慣れていなかったタイプの文体に、私は馴染めなかった。 それでも、往きの電車で少し、復りの電車で半分以上読んでしまうと、後は楽だった。 帰宅してから残りを読んだ。
精神病院を舞台にした話である。 派手さは無いが、心に語り掛けて来る、何かがあった。 良い本だと思った。オススメである。
2008年02月14日(木) |
東京駅地下のかりんとう最高! |
折角の上京なので、友人にも会って来た。 お土産に、子供用のコートを持参。 コートを作るのは、これが初めて。 色んな参考書と首っ引きで、構想半年、製作2日の力作(私にしては)である。 「そうか、東京に来るなら詳しい予定を教えてと言っていたのに連絡が無かったのは、これを作っていたからなのね」 と彼女。す、鋭いな……。 彼女はPCのメールは偶にしかチェックしないというので、日程については携帯にメールしなきゃと思いつつ、私がミシンを踏んで後片付けをしてお風呂に入ってよっこらしょとPCの前に腰を落ち着けるともう深夜、携帯にメールは不味い時間帯だよな〜の繰り返しで、結局前日の連絡になってしまったのであった。 初コートだったが、喜んで貰えたようで、ホッとした。 友人は子供に、去年私が送ったワンピースを着せてくれていた。 本人もお気に入りらしい。 よーしおばちゃん、また張り切って縫っちゃうよ!
彼女親子は、翌日東京駅まで見送りにも来てくれた。 別れ際に、子供を抱っこさせて貰ったんだが、いいにおいー! 頭をくんくんして、いい匂いだねえと私が言うと、 「シオンちゃんがそう言うとおもったから、昨夜ちゃんと頭を洗ったのよ!」 と彼女。何でもお見通しですか……。
大人になってからも友達は出来るけれど、子供時代・学生時代に出来た友人っていいなと思う。 勿論、「親しき仲にも礼儀あり」は忘れちゃいけないけれど、変な気遣いをしなくて済むから、楽なんだよね。 私には友人が少ないが、少数精鋭の友人に恵まれて良かったと思う。 それでも1番の理解者は、大人になってから知り合った主人なんだけどね。
今回の上京の目的は、従姉の婚約祝いである。 以前私の実家に遊びに来た時には、父と共通の趣味を持つ彼女が、父の晩酌の相手をしてくれた。 実の娘である私は日本酒を嗜まないし、酔っ払いが嫌いなので飲んでいる父には近寄らないし、妹は当時未成年だったので、父は大層喜んでいた。 その印象が強かったので、婚約祝いに日本酒を選んだのである。 もし好みじゃなくても、料理酒に使えるからいいかと思って選んだのだが、叔父と従姉と婚約者の3人で、あっという間に720ml瓶を空けてくれた。 土産物を喜んで貰えるのは有難い事が、よーし、もう1本!て……おじさん飲み過ぎですよ。
叔父は、婚約者からオペラのCDを贈られたらしい。 そこには一寸した行き違いがあったようで、叔父はそんなにオペラは好きじゃないんだけれど……という感じだったので、どれどれと見せて貰った。 なんと、マリア・カラスのCDセットである。 曲目を調べると、案の定、あの名曲が入っていた。 「凄いじゃん、マリア・カラスだよ。私も買ったけれど、寄せ集めみたいなCDでイマイチだったんだよね。聴いてもいい?」 と言って、早速かけて貰った。 やはり、叔父は良いCDを貰ったようで、私のとは全然違う。欲しくなってしまった。 「あ、この曲。日本語に聞こえるんだよ」 曲がカスタ・ディーバにかわり、さびに差し掛かる直前で、全員に注意を促した。 わかるかな〜?と思って様子を見ていると、叔母が隣りで肩を震わせている。 「あ、おばさん、わかった?」 「うん……なんか、いぼ痔って聞こえたんだけれど……シオンちゃん、なんでこんな……」 叔母は、エプロンで顔を覆ってしまったが、どこでそんな変な物を仕入れて来るんだ、と言いたかったのであろう。 仕入先は、全部主人ですよ……。
他にも叔母は、私の発言にいちいち受けていた。 母と私が、妹の発言にいちいち受けるのと同じなのだろう、多分。
その後は、マリア・カラスはダイエットのためにサナダムシを飲んだという話になり、その流れで、従姉と婚約者は翌日、目黒寄生虫館に行ったようである。 勿論、勧めたのは私だ。
母は叔母夫婦の家に泊まったが、私はホテルを取ったので、従姉が駅まで送ってくれた。 なんだか色々と情報が錯綜していたようだが、落ち着くべき所に落ち着いたようで安心した。 雨降って地固まる、とは一寸違うだろうか。でもそんな感じがする。 それにしても、婚約者が10歳近く年上なのには吃驚した。 やはり、ジジ専の家系なのだろうか……流石にその単語を発するのは気が引けたので、 「オッサン好きなのね、私達って」 と言うに留めたが。 10年振りにあった従姉だが、血の繋がりを感じた。
私は寒冷地に住んでいる。 氷点下の凍て付いた路面でも、転ばない。主人は転んだけれど。 一寸雪が降っただけで電車が止まり、何人もが転んで病院に担ぎ込まれる東京を、密かに馬鹿にしていた。 それなのに。
雪の無い、氷点下でもない東京で転んじゃったよ。
一週間前、東京に行かないかと母が電話をして来た。 親戚の家に集まるらしい。 急な誘いだったが、仕事も無いし主人の許可も出たので、2泊3日の予定で宿とJRの切符を取った。 そしてこの日、私は東京に降り立った。 冬なのに雨が降っていた。 東京は暖かいなーと思いつつ、駅から徒歩で親戚の家を目指す。 歩くには少し遠いし、雨も降っているし、バスに乗ろうかと思ったが、どこで降りればいいかわからなかったので、そのまま歩き続けた。 しかし、この前訪れてから、もう何年も経っている。 あれ、この道でいいんだっけ?と自信を失くして元来た道を引き返そうとした途端、靴の裏が滑ってバランスを崩した。 私が踵を返したのは、マンホールの真上だったのだ。 雨降りの住宅地で、目撃者はいなかった。 誰にも醜態を晒さずに済んだのは、不幸中の幸いだろう。 お土産と鞄は、数メートル先に吹っ飛んでいた。 よいしょと立ち上がってよく見ると、ストッキングの膝部分に大きな穴が開いていた。 そしてこれまた大きな擦り傷から血が。子供みたい……。 雪道で転んでも、せいぜい尻餅をつく程度で、服を汚したり膝を擦り剥いたりする事は無い。病院に運ばれるなんて、東京人はどんだけ。 濡れたらこんなに滑るような素材でマンホールを作るなんて、管理する東京都を訴えてやろうかと思った。
すぐ近くにドラッグストアがあったので、1番大きな絆創膏と消毒液とコットンを買った。 店の片隅に椅子があったのでそこに座り、買ったばかりの品物をさっさと開封して、1人で手当てをした。マキロンが沁みる。 誰もいなかったが、ストッキングを脱いでいる途中で誰かが来ては困るので、膝部分でぐるりとストッキングを破り捨てた。 片方だけではヘンなので、もう片方も膝から破り捨てた。 東京は暖かいと思っていたが、素足になったら、途端に寒くなった。
お土産の状態が心配だったが、転んだ時にボウリングの玉のように前方に投げ出した格好になったのが良かったらしく、酒瓶は無事だった。 しかし、間違って、主人に勧められたのとは別のお酒を買ってしまった私。 次回はオススメ最高級を買って行くよ……いや、送るよ。 雨の中、あんなに重たい物を持ち歩くのは辛い。もう転びたくないし。
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