余震。ぐらぐら。 - 2003年09月29日(月) やはり、土曜日からハイテンションで過ごしたのが効いているらしく、ちょっと目覚めが悪い。 遅刻ぎりぎりに自宅を出る。 昼間、二度ほど余震らしい揺れがあった。 揺れるたびに、ととが気にかかる。 やはり本日も定時退社。 ととは、普通に泳いでいた。よかった。 ... 地震と金魚。 - 2003年09月26日(金) 私、ちょっと自慢なんだけど、寝ているときに地震が起こるときって、必ず、揺れ始める一瞬前に目が開くんですよね。 4時50分。 急に、ふっ、と目が開いてしまった。 「やっべー、もしかして地震来たりして」 って思ったら、ぐらぐらー、って。 最初ナメてたら、途中から地球のヤツも本気で揺れ出しました(笑)。 速攻、枕元のラジオのイヤホンを耳に。私は、年寄りのようにラジオが大好きで、ソニーのちっちゃいラジオを毎日聴きながら寝ています。出張にも持ちあるいて宿泊先で聴いてるんですよー。 NHKはすぐさま地震情報。実家のある釧路が震度6弱ということで、絶対電話は繋がらないと思ったので、せめてメールをしようとするが、携帯のiモードは全く繋がらない。 パソコンから父の携帯にメールを入れておく。 運良く、数度目かで電話が実家に繋がり、母と話すことができた。父は、会社のきまりで震度4以上のときは出社しなければならないので、地震から20分くらいしか経っていなかったのに、父は既に出かけてしまっていました。 「コーヒー茶碗が割れちゃったのー」 と言っているが、わざとそうしているのか、意外に声は明るかった。 私が高校生のときにも、震度6の地震があって、そのときは、ふたりで泣きながら割れた食器を片付けたので、さぞかし心細いだろうと思ったのよ。 でも、びっくりしてハイテンションになってたっていう感じだったらしく、電話で話しながら 「ああー、テレビがこんなにズレてる〜!!」 と、やっと気付く母…。 電話を切った後、また布団に戻って、やっとうつらうつらし始めた頃、 ぐらぐらっ。 ひー!! 余震。 けっこう強かったな、なんて思ってたら、母から電話が来た。「だいじょうぶ〜!??」 その後、北海道全域でJR線が午前8時まで運休になり、地下鉄ものろのろ運転だったから、会社に遅刻するひとがかなりいました。 私は地下鉄通勤なので、いつもより、かなり早く出なくちゃならない。 バタバタ、用意をし始めると、内地に住んでいる友人たちから携帯にメールが入る。中には普段ぜんぜん連絡を取り合っていないのに、思い出して心配してくれたひともいて、本当に有難いと思う。 地下鉄に乗ったら乗ったで、 「あー、今大地震があったらどうしよう〜」 って思ってしまって、ドキドキ。 会社には8時頃着きました。 部長が6時過ぎから出社していたらしく、もちろん一番乗り。KDさんも着ていて、方々の病院に電話をかけまくっていました。 こういう慌しさ、大好き(笑)。 昼間は、会社全体が落ち着かないまま過ぎて行きました。 ときどき余震があったりしてね。 私は気象庁のHPを端末に立ち上げっぱなしにしていました。 まあ、こんなんだから、仕事なんかしてないも同然ですよね。でも、昼食のちゃんぽんが、紅しょうが入れ放題で美味しかったです。すごく人心地ついた気がした。 もちろん、残業なんかしないで帰宅する。 今日は、こんな地震なんかに挫けないくらい、行きたい場所があったのだ。 昨日見た熱帯魚が忘れられない。 昨日の夜、私は、家から少し離れたところにあるホームセンターに行って、ペットコーナーをさすらったのです。 今日はお給料が出たし、店員さんに相談して、あの魚が大きくならない種類だったら買ってしまおうと思ってた。で、売約済みにしておいて、しばらく水槽に水をつくってから、迎えに行けばいいのだ。 「あの魚が大きくならない種類だったら」っていう条件付なのは、先の日曜日にロフトで見た可愛い(ほんの5cmくらい)タイガーオスカーを、半ば買ってしまおうと思いながらも、何とか思いとどまって帰宅し、インターネットで調べてみたら、すげーでっかくなる種類だった!、あー、衝動買いしなくて良かった!!…なあんてことがあったからです…。 運良く、そのおさかなは、まだ売れずに水槽にありました。 が。 おさかなは昨日と同じように、よく人に慣れていて、私によろよろと近づいて来ます。 ああ!、何て可愛いんだっっ!! しかし、その喜びも束の間、店員さんを探して歩き始めると、その水槽と向かい合わせの大きな壁面の水槽に、私が欲しいさかなと同じ名前の札がついてる。 「うおわ!!」←声にならない声。 驚くほど大きくないけど、明らかに私が欲しいのよりは大きい。それに、まだまだデカくなりまっせー、と言わんばかりの生命力を身体に湛えているのは、見ただけで分かる。 「…」 ダメだ…。 これは私の手に負えない…。 しくしく。 …。 ああ、だけど、私の部屋に何かを連れて帰りたい…。 可愛いカエルでもいいけど、カエルは生きたエサをあげなきゃならないのがツライ。 金魚にしよう…。 金魚。 思い出深すぎて、語るに尽くせない生き物だなあ…。私にとって。 我が○川家は、両親が結婚してから私が小学校の4年生になるまで社宅に住んでいたので、動き回るような動物は飼えませんでした。ペットと言えば、金魚や、釧路川からとってきたおたまじゃくしがせいぜい(ときどき、友だちが天然記念物のキタサンショウウオを間違えてとってきてた/笑)。 人生で初めての金魚は何歳の頃かわからないけど、買うときは必ず金魚鉢でした。青い縁のついた、ひらひらなガラスの手作り金魚鉢。 そして必ず、ペット屋さんで買いました。お祭りの金魚すくいは、絶対にさせてもらえませんでした。 金魚の種類はコメット。 何でって、「コメットは丈夫だから」っていうのが、母の持論だったので。←この持論はどうやら真実でもあるようです。丈夫な赤と白の流星。 最初は一匹だけ買って帰って、 「なんか寂しそうだね」 って、結局次の日曜日に、また同じ店に買いに行くの。 お店の中の水槽を覗きながら(それは必ずコメットの水槽だった訳だけれども)、この金魚がいいー!、って選んだっけ。 てるの家の近くに、今もそこにあるけど経営者が変わってしまっている、当時にしちゃ大きなスーパーがあったのです。うちは当時そこから遠くに住んでいて、そこへは父の運転する車で行っていました。 そこに、地元のペット屋さんがお店を入れていて、お店の入り口には大きないけすがあって、鯉がたくさん泳いでいました。そのほとりにベンチがあって、両親が買い物してる間、そこで鯉を見ながら待ってたこともありました。 小さな私には、その鯉がすごく大きく思えて、その人工の池を覗き込んだだけで、さかなに食べられるような錯覚に陥ったものです。 金魚が欲しいと言った記憶も、金魚飼ってみるかい?、と言われた記憶もないのですが、うちで金魚を買うのは、必ずそのお店で、でした。 欲しい金魚を指差して、それをすくってもらうときのドキドキ感。 ピンクと黄色の紐のついたビニール袋に入れてもらって、そうっと持ち帰るワクワク感。 ずうっとずうっと、上からさかなの背を見つめながら歩いたっけ。 でも、私は、エサをやってただけだったなあ…。 水替えも、死んじゃったときの始末も全部お母さんがやってました。だから、こないだ帰省してたときに、さかな飼いたいよー、って言ったら 「なんも、飼えばいいじゃない。だけど、ずっと面倒見てたのお母さんだったからねえー」 と、軽く批判されるくらい、何もしたことがありませんでした。最も、子供なんて、そんなものだと思いますが。はは。ムセキニン。 だから、金魚も、お母さんにだけなついてましたね。 今の家に移ってから、鳥(コザクラインコのつんちゃん。非業の死を遂げてしまい、○川家、15年経過した今も語るも涙、思い出しただけで涙)を飼った後、金魚をしばらく飼い、何もいない時期をしばらく過ごした後、今のくーたんが来ました。 この金魚というのは、コメットではなく、青文金と茶金でした。その中でも、青文金は母が手を入れると、掌に乗っかってきたくらい慣れていました。やはり可愛く思っていたらしく、母は今でも金魚というと、そのさかなの思い出語りになります。 「すみません、あの金魚ください」 ドキドキ。 茶金の、たくさんの元気なさかなたちの中で、砂利の上にじーっと伏せている、正面から見た顔が可愛いコ。 本当は、金魚鉢で可愛らしく飼いたかった(また、我が家には、水槽を置くスペースなんてないため)のだが、店員のお兄さんに「それはキツイですよー」と金魚に代わって言われ、ろ過装置と、飼育に最低のサイズの18cm立方の水槽を購入。 お兄さん的には、60cm水槽を買わせたかったらしい(商売ではなくて、それが一番コストパフォーマンスに優れているからです。実際、一番流通しているサイズで、それよりもサイズの小さな水槽よりも値段は安い)。…諦め悪く、ホントは15cm立方を買おうと思って手に取ったが、やはりお兄さんに諌められた。ははは。 ===== 本日の買い物 ====== さかな(茶金) 350円 18cm立方のガラス水槽 2280円 水草 198円 ろ過装置 980円 えさ 108円 =================== ガラスの水槽、高いなあ…。 だけど、ガラスを5枚組み合わせただけで、プラスチックの枠組みもない、すごくスタイリッシュな水槽です。わーい。 水草は、すごくオーソドックスなやつ。 酸素で膨らませたビニールに、水とさかなが入っている。それを手に持って、お会計を済ませました。 …昔みたいな、紐付きのビニール袋には入れてくれないのかあ…。 そのまま、他の道具と一緒に買い物袋に入れられたさかなと帰宅。 信号で止まるたびに、助手席の荷物を確認しながら。 家についてすぐ、水槽に水を張り、しばらくビニール袋ごと水槽に浮かべておく。温度がなじんだ頃、水槽に放しました。 ぴちぴちっ。 でも、緊張の面持ちであんまり動かない。 …これから君と一緒だね…。 だけど、とりあえず、今日は疲れた…(笑)。 ... 今日は勤勉な1日でしたよ。 - 2003年09月20日(土) お休みです。 実は、昨日の朝(というか、昨日は一日中)「今日は月曜日だ」と思って暮らしていた…。長く休むとこんなふうにボケていくんだね…。だから、おはスタ見て、「何で番長が出てないんだー?」とか言ってたもん。ははは。 すっかり北海道は秋です。 寒くて、起きてまずはヒーターを点けてしまいました。 こうして、やがて毎日毎日暖房器具を使っていくんですね…。一雨毎に寒くなるっていうのは本当です。 朝ごはんは、昨日買ってきた北欧のドーナツ。←ミスドじゃないのが貧乏臭いが、今の私は本当に貧乏だ。 実家で言われたとおり、ちょこちょこと片付けて掃除機をかけたりする。洗濯もする。ミルモを見ながらお皿も洗う。 昼ごはんに、ちょっと気張ってポテトグラタンをつくってみるが、失敗(泣)。ジャガイモは、焼く前に電子レンジにかけておいたので火が通っていたのだけど、ホワイトソースをゆるゆるにつくってしまったので、まるでミルクスープにジャガイモの具が入っているようになってしまった。 …。 まずくないけど、全く別の食べ物になってしまったじゃないか…。こんなはずじゃなかった!! さて。お昼が終わって、地図持っておでかけ。 大きなホームセンターに行くのだ。釧路で母と出かけたお店と同じチェーンで、そこでクマノミとイソギンチャクを物色するのが目当てです。ついでに、物干しにする突っ張り棒を買い(つまりそれまで洗濯物はカーテンレールにかけて干していたのだ)、細々した食料品を入れるカゴを探してこようと思う。 地図は、昨日買ってきた、新しい市内地図。 ライトマップル札幌小樽道路地図。お値段もライトな800円。 市内地図っていうと、実はこっちに引っ越してきてすぐに、折りたたみのものを買ったんだけど、その地図は中心地しか載っていなくて。 郊外型の大規模商業施設大好きな私には、正直何の役にも立たなかったのね。だから、ずっと欲しかったんだけど、思い切って、昨日会社の帰りに買ったのです。 自動車で出発。途中まで、よく使う道なので、簡単に行ける(やっと札幌の主要道路のつながりにも慣れてきました)。 ホームセンター到着!! でかいけど、母と一緒に言った釧路のとこよりは小さいかな。でも、これくらいの規模でさえ、迷いそうになる…。 クマノミ。 釧路のお店よりも数も種類も豊富! やっぱり「ファインディングニモ」の影響で、カクレクマノミが大人気のようです。でも、同じ水槽にいるイソギンチャクがどう見ても、ぐったりしている。 「…」 イソギンチャクって、魚よりも飼育が難しいって聞きました。 こういうのを実際に見せられるとますます、客としては、買う(飼う)気が減退するよね…。だから、お店としては熱帯魚オタクみたいのを雇えばいいのに。そんで、いつもイキイキ、可愛い元気なお魚たちがお客様をお出迎え!!…みたいな。 技って、習得するまでに、長い時間がかかるじゃない。だから、もともとのお店の人に「じゃあキミは今日から熱帯魚担当だ!!」とか言ってやらせるよりも、プロフェッショナルをぽいっと連れてくりゃ、育成する時間と経費が浮く上に、もしもそのひとにちょっと気の利いたとこがあれば、店員さんとして大成功するだろう。 …そうか。 そんな訳で、ヘッドハンティングってのは、有効なんだな…。←ヘンな悟り。 結局生き物は何も買わずに。 またフツーに帰ってきてしまった…。 何か、どうなんだ、このムダな動きはー。 でも、あれが自宅に来ると大変なことになるのは違いないからなあ…。 寂しいーなー。 夜ご飯。 気合を入れて、だしをとって、ものすごくしっかりしたお味噌汁をつくった。ふふん! それからしばらくして、バツ丸からメールが来た。 クルマを買うのに、いろいろ迷っていたらしい彼女は、今日、日産に行ってマーチにしたということだった。 そうか、と思って、返事のメールを打ったら、彼女はそのレスポンスの速さに私が暇だということを悟ったらしく、すぐに自宅の電話にかけて寄越してくれた。ネットも最近さっぱりで、誰からも電話も来ないしFAXも来ないのに、何故私は電話をつけているのだろう、と疑問に思っていたところだったので、ちょっと不思議な気分だった。 しばらく、クルマの話とか、クルマを買うキッカケになった彼女の仕事先が変わることとかを取り留めなく話していたときに、彼女の携帯に電話が入った。彼女は医者だから、何かあったか、と思ったが、聞いていると携帯に着信したのは、彼女の彼らしい。 話題と言えば、察するに、今日のどこどこの当直はダレ先生?、みたいな、実に仕事ライクなんだけど、私が思うのは、電話をかけてくれるひとがいていいねー、ってこと。 私、いないよ。そんなひと。 今の自分があるのは、自分の過去の選択の積み重ねであり、自分以外の誰の責任でもない。 最近の私の人生訓です。 8月の社員研修の先生が言っていたの。 例えば感情に関しても、そのことを明るく前向きに捉えるのも、暗く悲しく捉えるのも自分の選択だよねー、って。 だから、悲しいなー、ってあんまり思わないようにしていたのよ。確かに悲しいことは悲しいに違いないんだけど、ちょっと目先を変えるとか、次は頑張ろうと思うとか。 それでもときどき、どうしようもなくなってしまうときがある。 …そんな、万策尽きたときは!! 寝る!!(笑) ... 学校。 - 2003年09月16日(火) 今日は、てるの仕事先へ遊びに行く日です。 彼女は、私と彼女が青春時代を過ごした(笑)学校に、事務のお姉さんとして勤めています。 どうも、今の時期は特に忙しいこともないらしいので、お昼ご飯になるものを買って持ってって、事務室で一緒に食べてこよう、という計画。ちなみに、事務室には彼女しかいないとのこと。 てるとしか会わない、という心づもりなので、髪の毛は二十代後半の者がしてはいけない、真ん中分けで後ろに二つ結んで、カーゴパンツに半袖Tシャツ(いくら何でも、寒くねーか?)。要するにルール違反の若作りでございます。 学校まで1時間くらいかかるかなあ、という算段でしたが、お土産を途中で買っても、けっこう早く着いてしまった。てるの誘導で、ずうずうしくも学校の敷地内にクルマを停めさせていただく。 てるは、フード付のトレーナー着てました(←当たり前☆、だって18℃くらいにしかならないんだもん)。対して、何て季節感のない私…。しくしく。 ご飯食べてたら、私たちが現役の頃に教えてくれていた社会科のM先生が来て、私をまんじりともせず眺めながら、てるに郵便物の発送を頼んでいきました。 そういえば、この先生が私たちに授業してくれてたとき、彼は今の私たちと同じ年齢だったんだな。 …わー、何か、すっっごい不思議ー。 続けて 「おいっ、ここでこんな美味しいもの食っていいと思ってんのか(笑)!!」 と、てるの担任だったT先生登場。…もしかしてM先生が、○川が事務室で遊んでましたよ、とか言ったのか? そして、私が買ってきたチョコレートを食べて行く。相変わらずお元気そうで安心しました。 てるが、この事務室で働けるのは、来年の1月までだと聞いている。だから、もしかしたら、私がここでこうして遊べるのも最後かも知れないなあ。 体育祭が近く、昼休みに現役の若い子たち(っていう言い方もどうだろうー?)が、長縄跳びの練習していました。 それを見ながら、てると私は言いたい放題(笑)。アヤしいギャラリー。 「…もう少し大きく縄を回さないと、列の先頭の子が跳べないよ。あの子のところだけ綱が高くなっちゃうよね?」 「そうだよー。…だからもっと大きく回せって言ってるじゃないかー!!、下まで大きく回さないと、跳び越えられないよ!」 「あーあ。3回も続かないじゃん」 「ぐわー、もどかしい!!、誰か彼らに教えてやってくれー!!」 しかし、ああいう、長縄跳びの姿から12年経過したからこそ、こんなことが言えるのかも知れない。 私がこの学校にいたときは、あの、長縄跳びの練習をしているほうの立場だったのだ。跳ぶだけで精一杯、縄を回すだけで精一杯。 客観視ってできていたつもりだったけど、できてなかったんだね、きっと。 ...
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