日々是迷々之記
目次


2006年08月28日(月) 夏のゆらゆら

朝起きたらだるくてしょうがなかった。会社に行こうとドアを開けたら一歩が踏み出せなかった。とうとう来たのである。うつだ。

家に入りもういちどパジャマに着替えて横になる。最初は心臓がどきどきしたが、だんだん落ち着いてきたので時間を見計らって会社に電話をした。

11時過ぎまで眠った。起きて家の片づけをした。それからずっと懸念だった振り込み用紙を持って郵便局へ行った。歩いてスーパーへ行く。地面からかげろうみたいなものがゆらゆらと上がってくる。

何だかなぁと思いつつもなるようにしかならないことは分かっている。母親の入院から来る自分の未来に対する行き詰まり感。なんぼ嫌でも働き続けなければいけない、給料は右から左、親戚からもっと親を大切にしろ、見舞いに行けと怒られる。

この嫌々スパイラルはいつ終わるのだろう。来月か20年後かはわからないが、早く終わって欲しいもんである。


2006年08月21日(月) 自己崩壊

今日は盆休み明けの仕事始め。携帯に病院から電話があった。転院の件。最近母親のことはすっかり忘れていたのに思い出した。病状は安定しているらしい。

先日、母親のところに同窓会のお知らせが来た。田舎の人たちは入院しているのを知っていてそういうものを送ってくる。「容態はどうですか?」と書き添えて。私は素直に「半身不随で入院しているので参加できません。今後、こういったご案内もご遠慮ください。次女○○」と書いて返送した。

私はこないだから次女になった。長女は母親が前に生んだ人で、妹は三女になるのだろう。日本語と言うのはよくない。ただのシスターが、長女、次女、三女というヒエラルキーを与えられる。「長」の表す漠然としたリーダー感覚に私はずっととらわれてきた。ちゃんとしなければいけない、ぼんやりできない。お金も稼いで、家事もやって、将来親が倒れたらめんどうをみなければいけない。それは若い頃から覚悟をしてきていた。それを支えていたのは、何だかんだと言っても、あの母親は私しか頼るところがないのだろうという思いがあったからだ。

しかし、実際は隠しごといっぱいだった。父親のことを聞くと怒り出して手を上げたりして、幼い頃から「聞いてはいけないこと」だと刷り込まれた。

今の私の人生は平和だ。賃貸だけど庭のある家、ちゃんとだんなさんまでいる。仕事もあって、家事も適当。酒を飲んだり、バイクに乗ったり、能天気でもちゃんと生活していける。

そんな生活の黒い影が母親の存在だ。正直、私が独り者なら外国へ出て、どこかで結婚して二度と日本には戻らないだろう。民生委員だって外国までは追ってこないと思う。しかし、ここでこうしている以上、軽くアイデンティティを崩されながら、生きてゆくしかないのだろう。

騙す方と騙される方、神経さえ太ければ騙す方が絶対得だ。親が子供を騙すというのはどうなんだろう。子供は半ば洗脳されるわけだが、それは罪深いことだと思う。しかし、良心の呵責さえなければ、都合のいいように洗脳して思った通りに動かす方が得は得なのだ。

ちょっと前に畠山容疑者が新聞、週刊誌で叩かれていた。でも、考えの浅い母親はああいうふうになるだろう。人前では友達親子っぽくふるまって、家の中では気に入らなかったら暴力、他に面白いことがあれば子供なんか放置。うちの母親もああいう系の人だ。しょちゅう「生まなきゃよかった。」と言っていたし。消されなかっただけ、彩花ちゃんよりはましだったのかもしれない。

30年間騙されていて、それを30年かかって取り戻すとしたら、私がそれにとらわれないで生きる人生は10年ちょっとしかない。長くて短くてそしてくだらない。そしてそこまで自分を保っていられるのだろうか。

ちょっと自信がなかったりする。


2006年08月14日(月) 真夏の気持ち

ただいま盆休みである。家にいるのは10年ぶりぐらいのような気がする。バイクの免許を取ってからはほとんどキャンプだったし、結婚してからは離島やらなんやらで家にいることはまずなかった。

だんなさんは五島列島に行ってしまい、私は家で読書の毎日だ。

さてこの盆休み。本来ならばキャンプとかに行く休みではなく、亡くなったご先祖様が戻ってくるのを出迎えるかなんかの目的があるようだ。私の育った家は、仏壇、神棚の類はなく、そのへんは経験せずに大人になった。

友人の話を聞いてみると、お供えを買いに行ったり、お坊さんが来たりといろいろするらしい。

ふうん、そうなんやと思い、やっぱり私は特殊な環境で育ったのだなあと思った。親戚づきあいもないし、いとこが今どうしているかも分からないし、ついでに最近姉がいることがわかった。だから今の人生がどう変わるわけではないが。

私の母親は一人勝ちの人生であるな、と思う。お寺の息子と結婚→第一子出産→子供を置いて離婚→当時既婚者だった父親と出会う→私を妊娠出産→父親離婚→父と母親結婚→妹を出産→子供を置いて再び離婚→後に私たちを引き取る→私たちが結婚する→株、金貸しなどをやって暮らす→倒れる→寝たきり

姉とは前のだんなとの間に出来た子らしい。おばさんに聞いたのだが、私が高校を卒業した頃、祖母が亡くなって、そのお葬式に来ていたらしい。それがきっかけでつきあいが始まり、一時は金銭的援助をしていたらしい。何でもその元だんな(寺の息子)が死んでしまったかららしいが、多分わたしより10歳くらい年上の人間になんで金銭的援助がいるのだろうと思った。おそらくロクデナシなのだろうなあ。

母親が倒れた後、いろんなことが明らかになった。あの人は何も言わない人で、妹は父親の顔も名前もおぼろげだろう。しかし陰で私や妹から徴収したお金(うちは高校を卒業してから二人とも働いている)をその最初の娘に援助していたのだ。あーあ、私は水商売までしたのになあと思った。

というわけで品がなくて卑しい人生を自由に闊歩した老人が一人、そして騙され続けて30余年の愚か者がここにいるのだ。民法上、親子の縁は切ることができない。ということは親というのは子供に殺されない程度に好きにしていいのだ。倒れれば養ってくれるだろ?それが義務なんだよ、ゴルア!ってことで。

明日は病院に呼び出しをされている。転院の相談らしい。私としては見舞いに行く用事もなく、死んでから連絡をくれればいいので、入院費用を振り込みで、おむつは病院側が用意してくれるところなら、北海道でも沖縄でもどこにでも動かしてくれてかまわないのだ。でもまあ、住民票や保険証の手続きのことを考えると関西が無難か。

しかしまあ生きるのはむなしい。子供の頃は怒られるんじゃないかとびくびくして、ほめられるために勉強して、大人になったら金銭的負担を強いられる。あの人が亡くなるまで私の月収の半分は持って行かれ、墓、葬式で多分ローンを組むことになるだろう。

私はきっと親にはならないと思う。霞が消えるようにいつのまにか死んでしまうような死に方がしたい。何も残さずに。


nao-zo |MAIL

My追加