日々是迷々之記
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今日は朝からアタマが痛い。どうも昨日バイクに乗ったので風邪でも引いたようだった。昼頃ダウンして寝ていたら、狙いを定めたように電話がばんばんかかってくる。派遣会社、物売り、などなど。
派遣会社もなかなかやるもんで、私がやりたいと言った仕事とは別のを勧めてきた。同じ会社の同じ部署でやることがちがうらしい。経歴を見た先方がそっちのほうが向いていると判断してそう打診して来たとのこと。まあ別にいいんだけれど4月の末までの予定とのこと。その後はどうなるのか訊いてみたら、出来いかんによっては最初にやりたいと言った仕事に変われることもあるとのこと。こういうパターンだとまあ4月末で終わりだろう。でもまああんまりふらふらしているのもあれなんで、明日は面接に行くことにした。
夕方、区役所に印鑑証明を取りに行って帰ってくると、某区役所から電話があった。母親の生活保護の件だ。もう一度来いとのこと。私は全然行きたくないので仕事があるし、訊きたいことがあれば電話で言ってくれと言った。すると、どうしても直接会って話をしたいタイプの人みたいだった。来いとうるさい。それで何を訊きたいのか聞いたら、「この通帳にお金を振り込んでる○○さんて誰ですか?」という質問だった。知りませんと言ったら、こんな毎月お金を振り込んできているのにおかしいと思わないのですか?と言われた。
親の通帳に誰かがお金を振り込んでいたら、子供はそれについて知っていないとだめなんだろうか。悪いが私はあの人に関心はない。相手は私の他人行儀な態度を不審に思っているようだった。
「私は行きません。自分の用事があるのに他人に時間を割く気はありませんので。最も、私はあの人のことをあまり知りません。調べたいことがあったら興信所でも使って下さい。」と言うと、いや、そういう訳にはネ、それじゃ通りませんよ。と言われた。通らないもなにも、生活保護をもらえないと困るのは私ではなく、母親である。だめならだめでいいっすよ、と言った。すると今度は「申し立て取り下げ用紙に記入する必要があります。」とのこと。どれだけ他人が犠牲になれば済むのだろう。
この国のシステムは誰かが誰かを養うことが大前提でできあがっている。そのつながりが家族や国家を作っている。どうして独立した一個人という考えができないのだろう。今のままのシステムだと、とりあえず生んでおけば、将来老いたときにその子が面倒を見る。生めば生むだけ得なようになっている。「子供が親より先に死ぬのは最大の親不孝」とはよく言ったものだ。
そんな感じでゆううつのネタは尽きずにやってくる。もし生活保護が受けられなくて、私も病院代を払わなくなったら、どうなるんだろうか。うちに差し押さえが来るのかもしれないが、別にまあどうでもいい。何が起こってもこうやって日記のネタにするだけなので。
親子なんてこんなもんである。頼んでもないのに勝手に生まないでほしいもんである。めんどくさい。
2006年01月22日(日) |
心しずかに煮込み料理 |
家人は風邪をひいているようで布団をかぶってすうすうと眠っているようだった。私は遠くのディスカウントスーパーに買い出しに行ってきたところだったので、無用にテンションが高い。
わたしは大量のブラウンマッシュルームを半切りにし、キャセロールにちょっと多めのバターを落とした。そこに薄切りにしたタマネギを投入し、しっとりと炒める。そこにマッシュルームを入れてまた炒めた。キャセロール一杯のマッシュルームは縮んで小さくなってくる。そこで塩こしょうで調味。小麦粉を振り入れさくっと混ぜあわせ、ひたひたの水をそそぐ。私がやるのはそこまでだ。
フタをしてとろ火にすればあとは鍋がスープを作ってくれる。
2時間後、家人が起きてきてお腹が空いたと言う。わたしはペンネパスタを茹で、マッシュルームスープと一緒に饗した。じんわりとしみるような味。バターと塩こしょうだけでこんなに滋味深くなることにびっくり。家人はほっとしたような顔でスープを飲み干し、最近の定番「野菜生活100」を飲んだ。そして風邪薬を飲むとまた寝床に入っていった。
キャセロールの実力というのはすごい。一山100円の不揃いマッシュルームをたいした手間暇をかけずに、あったかスープに変身させてくれるのだから。
冬の食卓には煮物が似合う。明日は水菜と厚揚げの炊き合わせ、それともパブリカのアンチョビ風味、どちらにしよう。青梗菜のクリーム煮もいいなぁ。
今日は区役所に印鑑証明を取りに行った。例のクレジットカードみたいなプラスチックのやつを差し出し、用紙に書き込んで渡すと待つように言われ、待っていた。すると、ちょっとちょっとと呼ばれた。
もうこの印鑑証明は失効してますよ、一回引っ越したでしょ、と言われた。確かに。家人は単身赴任で2年ほど滋賀に行っていた。そのときにクルマを買ったので、あっちで使うために滋賀で車庫証明を取ることになり、滋賀に一瞬住民票を移したのだ。(車庫証明は住民票の住所から何キロ以内で取らなければいけないと決まっているようだった。)
それからこの大阪の家に帰ってきて、大阪に住民票を戻したのだが、印鑑証明に関しては何もやっていなかった。が、印鑑証明が必要なんである。この度クルマを売ることになったので。で、どうすればいいのかを聞いたらめまいがした。
家人の印鑑証明を作るには委任状と印鑑、そして私の身分証明書と印鑑を持ってきて申し込み、後日家に配達証明郵便で紙が送られてくる。それを持って、家人の保険証と印鑑、私の保険証と印鑑を持って受け取りに来いというのだ。はぁ。
んで、本来ならば家に一度帰って委任状を書いてもらわないといけないのだが、めんどくさいので私は手帳の1ページを破って適当に委任状を作り、はんこをポンポンと押して提出した。怒られるやろかと思ったが、そんなこともなく受理された。
なんか適当である。いいのかそれで。同時に「印鑑証明」ってなんなのだろう。印鑑なんて百均で売っているし、そんなものを登録したからって何になるのだ。意味が分からないのは自分だけだろうか。
今回は所有者がローン会社になっている家のクルマの所有権解除の書類を申請するために印鑑証明が必要となった。そして所有者が家人に変わってから、今度は新しいオーナーに譲るためにまた印鑑証明が必要となる。あんな印鑑押したのが印刷された紙がどないやっちゅうねん。
…というようなことを家人に話したら、へぇー知らんかったわ。で終わりである。何なのだ、この温度差は。
まあ他にも車庫証明とか、住民票とか、本籍地とか、私には意味がよくわからないものがたくさんある。私の考えでは車庫がないのにクルマを買うやつなんかおらんやろうし、住民票みたいな考え方は単身赴任とか長期出張のことを考慮しておらず、本籍地に関しては結婚したら無条件にどっちかのものに変わるというのが意味がわからない。私の本籍地は家人の生まれた家で、現在その住所は存在しないらしい。
こういうものの意味って常識なんだろうか。それならそれで私がアホなだけなんだが、みんなあんまりそういう事を気にしないで生きているような気がする。
またどうでもいいことを考えてしまった。何でこんなに意味が知りたくなるのか自分でも疑問である。
いきなり仕事の話がやってきた。3件は派遣。1件はバイト、これはこっちから申し込んだものだが。派遣の方は2件が今までお世話になっていたところからのオファー。いつものことだが条件が厳しい。
英検準1級以上。MSオフィス必須。英文ビジネスレポーティング経験必須。まあここまではどうにかクリア。が、最後の条件は外資企業での人事部所属経験必須だそうな。正直「そんなヤツでヒマな人なんているんだろーか。」と思ってしまった。担当者曰く、なおぞうさんは外資の企業での勤務経験ありなので、そこをプッシュしてみますとのことだった。まあ、なるようになるだろう。
もう一件は貿易事務。正直言ってあんまり気乗りはしない。貿易事務って結局営業のアシスタントというか雑務係みたいなもので残業は多いわ、それほど語学力を生かせるというものでもなく、無味乾燥な毎日が淡々と続く種類の仕事だ。
最後の一件は派遣会社のWEBサイトで見つけて志願した。大学の国際センターで留学生のサポートをやる仕事。これが一番興味がある。日常会話以上の語学力と、いろんなケースに柔軟に対応できる人が求められているとのこと。私はやるきマンマンでその会社の登録へ行った。
が、しかしこの派遣会社のコーディネータの女子が非常に感じが悪かった。目を合わせずにしゃべるし、何か人を小バカにしたような態度を取る。そのくせ、私がやってきた仕事について語ると、「で、退職理由は何ですか。」と話を遮る。派遣の退職理由って大体契約が更新されなかったくらいしか思いつかないのだが、「上司にセクハラされて嫌でケツまくりました。」とでも言って欲しいのだろうか。あんまり態度がでかいので、私は萎縮してしまい、最後はあんまりしゃべれなくて、ちょっとアホの子みたいになりさんざんな気持ちになった。普段なら、「黙れ小娘!」と怒り大爆発なのだが、精神的に弱モードなのでちょっとしたことが、静水に投げ込まれた小石の波紋のようにじょわーんと心を浸食していく。私はその場から逃げたい気持ちになってその会社を後にした。
やりたいんだけどなぁ。留学生のサポート。私も留学したとき、学校のサポートのにいちゃんには世話になった。とても気が付く人でわたしに友達がいないと知ると、家に招待してくれ、そこのお母さんの手作りケーキを食べさせてくれたり、一緒に庭の草取りをしたりいろいろ気を遣ってくれた。今でもそのにいちゃんとは友達で、向こうに行ったときは必ず会う。留学生にとって最初に出会い、とりあえず頼る人が学校のサポーターなのだ。私がカナダでしてもらったように、気持ちよく安心して勉強してもらう手伝いがしたい。10年後のギブアンドテイク。
私にとってはそれほどの思い入れがあったのだが、その小娘嬢はそんな話は一言も触れずに、あくまで職歴だけで私を判断した。紙切れの上だけの私は社会人としてかなりイマイチなんだけどな。18歳からフリーターだし。その後入った大学も中退。もっとフリートークさせて欲しいんだけど。キャリアウーマンを気取ってるそこらの小娘とは場数が違うし。
ということでどれに転がるんだろう。そして私はいつまでこうやってふるいにかけられる側の人間なんだろう。若い頃は一発逆転があると信じていた。ビッグな漫画家かライターになって現金で家を建てて、オタク趣味に没頭しつつ毎日決めた分だけ仕事をしてみたいなことを夢見ていた。マンガ読んで、本読んで、音楽聞いて、プラモデル作って、昔懐かしのアニメ見て、季節に応じてダイビングやらスキーやらバイクやら電車旅やらそんなことがしたかった。
しかしまぁ、現実ってこんなものかもしれない。33歳になっても精神的に全然成熟してないし。中身高校生並だし。まあ小金を持っているぶん、あのころよりは余裕があるんだろうが。
なんか仕事が決まれば風向きも変わるのかな、と小さな期待は持っているのだが。
2006年01月15日(日) |
脳みそギリギリナイト |
土曜日は昼から人工スキー場に行き、人工といえどもそれなりに楽しんだ。家に帰る頃、めまいと頭痛、そして頭の後ろの方で砂がざらざらと流れるような感じで血流を感じた。それが何度も津波のようにやってくる。あ、これはやばいんでないだろうか。と感じた。
ごいーん、ごいーんと来て、一瞬幕が下りるように目の前が真っ暗になる。幻聴というのか、電話の話し中の時の音「ツーツー」がたまに聞こえる。あ、本当に頭がおかしくなったんだ。私も脳梗塞とかなんかな、ああ、もう終わりなんだ、と感じた。不思議と死にたくないという気持ちより、手持ちのものを誰にあげるかちゃんと書いておけばよかったとつくづく思った。iBookは妹に、モバイル小物は妹の彼氏に、ドコモダケグッズ、昔のマンガは友達にあげたい。あ、銀行のパスワードとかもどっかに書いておけばよかったと思いつつ、私はヘルメットとカブの鍵を取り、外へ出た。
病院といってももう22時である。どこへ行けばいいのかわからない。とりあえず、以前入院してた病院に電話してみたら今日は整形の先生しかいないとのこと。救急医療センターの番号を聞いて、そこへかける。そしたら隣の駅のところにある病院がいいとのことだった。
ああ、あそこかとカブを走らせる。途中何度か休みながら。耳の奥に響く血流の音がリアルだった。病院に着くと、血圧を測り、熱を測り、血を採った。先生は私の話を聞くと、「脳梗塞では絶対にありません。」と言った。小さな筆のようなものを取り出し、右手左手、右頬左頬、順番に触れ、感じ方に違いがありますか、と尋ねた。いえ、同じです、と答えると、脳梗塞なら感覚に違いが出るとのことだった。
めまいや立ちくらみは耳の病気ということもあるらしかったが、右と左と同時に耳鳴りがする、というのは耳の病気というのは考えにくいらしい。先生は、「何で脳梗塞だと思ったのですか?」と訊いた。
私は母親が脳梗塞で倒れたから、私もいつかそうなる気がする。それに鬱病の薬を二日間飲み忘れてしまったので、それが何か不安であると伝えた。
それは考えすぎです。と先生は言った。脳梗塞は9割方生活習慣から来ます。遺伝的な要素はありません。それにあなたの血液は健康で、いわゆるさらさら血液です。それよりも薬を飲み忘れたりして不安になることのほうが、もっとよくないことです。と言った。
何でも私が飲んでいる程度の量だと、止めてもすぐに差は出ないらしい。もっともそんな強い薬なら、精神科の先生はちゃんと言うし、バイクなんか乗れませんとのことだった。
私は何かが切れたように穏やかな気持ちになった。生活習慣に気を遣えば私は脳梗塞にはならないのだ。それにわたしの鬱病はそれほどひどいという訳ではないらしい。薬の服用量からすると、人間の許容量の4分の1ほどであるとのこと。あ、まだいわゆる「アブない人」の領域には入っていないのだ。(差別的だなぁ、この書き方。)ただ、原因がはっきりしているだけに、その原因が取り除かれない限り、つきあわなければいけない種類らしい。
ちょっと休憩してカブで帰った。帰りは途中で休まなくてよかった。
家に帰って15時間寝た。寝るのはいいことだ。寝てる間は何も考えなくていいからだ。穏やかな時間。私にとって日常生活は戦いに等しい。街へ出れば人混みにめまいがし、親関係の雑事の中では「冷たい娘さん」だと思われながらもへこへこしている。何のために生まれてきたんだろうと思う。単に母親が将来面倒見させるために生んだだけなんじゃないだろうか。
民法では親は子を育て、子は老いた親を扶養する義務がある。しかし子を育てるというのはピンキリだと思う。お金がもったいなければいくらでもケチれるし。私なんか色鉛筆は持ってないわ、私学は受験させてもらわれへんわで、えらくケチって育てられたと今では思う。運良く高校は公立に受かったからよかったが、大学は国立一校しか受験できなかったので失敗し、それからはフリーターである。
逆に親を扶養するというのは選べない。勝手に倒れて勝手に手術されて勝手に面倒見られて、請求書が回ってくる。何か損した気分である。
…とまあ毎日こんなことに脳みそが支配されているので、たまにオーバーヒートしたのだろう。ごめんね、我が脳みそよ。一番いいのは考えないことだと分かっているのだが。
もう寝よう。眠りの国は悪夢さえ来なければ安らかだ。
今日は朝から電話攻めだった。母親の入院する病院から、そして派遣会社から。病院からは今日が手術だったのでまあしかたがないだろう。本来なら付き添うのが常識らしいが私は多忙と言うことでことわってしまった。が、しかし、「ねまきをセパレートからつなぎ型に変更してもいいですか?」とか、「術後に腹帯を使用してもいいですか?」などとわざわざ訊いてくるのには少々びっくり。過去にそういうことで文句を言った人がいたのだろうか。私はだめですと言う理由も思い入れもないので「はあ、はあ。」と答えてしまった。
派遣会社からは次の仕事のオファーだった。英語を使える、特に会話が多い仕事だが、ちょっと遠いんですよ、とのこと。調べてみるとバイクで通勤できるんならよさそうだった。月曜日に話を聞きに行くことに。
もうぼちぼち自分の生活に戻りたいなぁと思っていたのでタイムリーだ。母親の方も胃袋に直接栄養を入れるようになれば、栄養状態も向上し、今の骨川筋衛門状態から抜け出すだろう。
人生は必ずしも前向きに生きなければいけないわけじゃない。後ろ向きでも消極的でも生きていると言う事実には変わりない。ただその中で、自分の気持ちをどうするかというだけの問題である。息をひそめてその日を過ごすだけの人生だとしても、何かが心の琴線に触れてエンジンがかかることもあるだろう。そういうときにどうするか、というのがキモなのかもしれない。
そんなことを思った。
夕方家人と大阪駅で待ち合わせをした。混んだ電車に乗ると、幻聴というか耳鳴りというか、そういうものが聞こえてくる。ちょっとまずいなぁと思ったが混んでいる御堂筋線ではなく四つ橋線で移動をしたら普通に戻った。人混みはちょっと今の自分にはキツイようだった。
晴れの日もあれば雨の日もあって、くるくるとチャンスも回っている。はずれを引くのも一興。当たればラッキーだ。
そんなに構えて堅くなることはない。来れば受け入れるだけ受け入れて、消化不良なら吐き出せばいい。極論、ダメなら死んじゃえばいい。がんばれなくたって別にいいのだ。案外生きることは簡単で、バカみたいなヤツでも普通に生きている。がんばったからって必ずしも評価されるわけではないが、だらだらしてたからって天誅を受けるわけではない。どうにでも生きられるのが今の世界だと思っている。
そう思えば生きてることは楽なのかもと思う。生死の分け目だけを自分が握ってさえいれば。
2006年01月13日(金) |
せめて良く生きようと |
どうせ生きてるんだったら、せめて良く生きようと思い始めるようになりつつある。きれいな物もたくさん見たほうがいいし、楽しいこともたくさん経験した方がきっといいと思う。
書店に行き溢れる本を見た。なつかしい「ぐりとぐら」の絵本。大きなパンケーキは今見ても美味しそうだった。「パウダーガイド」というバックカントリースキーのムック、バランスボールでやる体操の本、ホーロー鍋の料理の本などを購入。
書店の外に出ると、ちょうど私が駐輪している自転車の前で、二人の外国人女性がプリントアウトした地図を片手に思案顔。私はああ、道に迷ったのだな、と思い、エクスキューズミー、メイアイヘルプユー?と声をかけてみた。すると、このしゃぶしゃぶ屋に行きたいのだが、と紙を見せてくれた。その地図は大雑把でこれじゃ日本人でも分からないやろと思わせるものだった。
私はそこに書かれた電話番号に電話をし、店の場所を尋ねた。そこから歩いて5分くらいだが、路地の雑居ビルの奥手にあるらしかった。それを英語で説明するほどの英語力もないので、アイドンシンク、ユートゥーキャンリーチザレストラント、イージリィ。シャルアイショウユウザウェイトゥゼア?と言い、直接案内することにした。
道中で、女性は私の英語はとても上手だ、海外で勉強しましたね?と言われた。素直に喜ぶべきなのだが、本当に上手な人ならナチュラルに英語圏から来た日系の人だと思われるのだろう。道中、私がどこで英語を勉強したか、など色んな話をしながらそのしゃぶしゃぶ屋に行った。
幸い、その店は雑居ビルの奥にあったが、通りに立て看板を出していたのですぐにわかった。ヒアイティイズ、プリーズエンジョイヨァディナー。と言い、その場を去ろうとすると、サンキューベリマッチ、ユーアーベリーカインドガール。と言われた。
ユーアーベリーカインドガール。あなたはとても親切な女の子ですね。ということだ。年齢的には全然女の子ではないのだが、西洋の人から見たら幼く見えるのだろう。「とても親切ですね。」私は日本でこんなことを人に言われたことがないので、素直に感激してしまった。
「ユーアーベリーカインド」かぁと思うと何かいいことしたなぁと気持ちでほくほくする。実務では大して役に立たない私の英語力だが、こういうところでは能力が発揮できる。それはとても嬉しいことだ。勉強してよかったよ。
人間が後世に残すのは生き様であると誰かが言っていた。私はよい子でもなかったし、よい妻でもないが、せめて良い人ではありたいなぁと思う。死んじゃおうかなと思った途端、やってみたいことが出来るのは何だか不思議なものである。
とうとう、と言うか何というか、母親に生活保護を受けてもらうことにした。正直もうこれ以上の金銭的サポートはきついのだ。ということで母親の住民票がある某区役所に行って来た。
まず初日。生活保護を受けさせたいとの旨を告げると、カーテンで仕切られた個室に案内される。そこにいかにも区役所という感じの三つ揃いの茶色のスーツを着たおっさんがメモ帳を持ってやってきた。この人が大変嫌な感じだった。
最初っからタメ口。まあ確かにルーズなジーンズにスニーカー、ニットキャップにザック背負って行っている私はそこらへんの中坊風なんだろう。中坊じゃなくて、中年なんだけどな。まあそれは置いておくとして、「あんた」はないだろう。そしてその口からでた言葉が「あんたが何で養えないの?」である。
るせっ!バカ者。嫌だからに決まっておろうが。毎日こつこつつまんない仕事して、その収入の約半分をあの母親に持って行かれるのである。それが最悪20年は続く。その状況に耐えられないのだ。
…と思ったが初見のじじいにキレてもしょうがないので、「鬱病なんで働けないです。」ととりあえず全部をまとめて結論だけ言った。他の兄弟姉妹はどうなの?と聞かれたので、長女にあたる姉は所在不明、妹は関東でフリーターしてて経済的に誰かを養えるほどではないということにしておいた。
んじゃ、これ書いて持ってきてと書類を渡される。今話したようなことを書くようだった。それなら最初から書類渡せよ、あんたと話すの時間と気力のムダ、と思ったが言わずにおいた。
そして翌日、母親名義の通帳をあるだけ、年金、国民健康保険の書類などを持って、再び某区役所に出向いた。もう最初から鬱々してつらい。でもここでがんばっておけばこの先20年間の無意味な搾取から逃れられるのだと思って頑張る。
で、書類を渡した。すると質問攻め。母親の通帳を見て、毎月お金を振り込んでいる○○さんて誰?とか、この日32万円下ろして何に使ったの?とか、知らんちゅーねん!という質問ばかり。母親の通帳に誰かがお金を振り込んでもその相手がいちいち誰か知っている娘なんてこの世の中にどれだけいるのだろう。倒れる一ヶ月前に32万円下ろしていてもそれを何に使ったかなんか知るわけないだろう。バカ、黙れ、と私のイライラはつのるばかり。
そして、知りません、わかりませんとばかり返答する私に相手は不信感を抱いたようだった。「お母さん、兄弟何人?」と聞いたときに「知りません。」と答えたのがその決定打となったようだ。これは本当に分からない。ばあちゃん自体が後妻だったので母親は長女と言うことになっているが姉がいたりするからだ。親戚一同が集まって、ということも今までになかったし。
まあ、世間ではそれはちょっと異常なことだろうから、私が嘘をついているとでも思ったのだろう。不審ならそっちで興信所に頼んで調べてくれればそれでいいし。一度、わたしの姉にあたる人を捜そうかと思ったのだが、基本料金が20万円ということでやめた記憶がある。今更見つかったからって用事もないし、私と妹に一切秘密にして連絡をとりあっていたわけだから、それなりに満たされた親子関係だったのだろう。
だんだんこのおっさんとしゃべってると鬱が入ってくる。もう自虐プレイの域に入っている。「んで、本人さんと話せなあかんねんけど、おねーちゃんはいつも付き添ってんの?」と来た。このねちこく親しげなしゃべり方が気に障る。区役所は職員をマナー教室にでも通わせるべきだ。
「いえ、行きません。毎月支払いの時に行くだけです。」と正直に答えたら、あっそう、ふうんと何か言いたげにつぶやいていた。鬱だ。
「じゃ、帰っていいよ。ごくろうさん。」と言われたので私ははてはて?と思いつついろいろ聞いてみた。実際に審査にはどれくらい時間がかかるのか?など実務的な内容が一切話されなかったからだ。すると「こっちから連絡するから。」とのことだった。
帰り道私は大変くらい気持ちになった。何であの人の子供として生まれただけでこんな目にあわなければならないのだろう。法律は何で「子供には親の扶養義務がある」なんて定めたのだろう。法律的には親は子供に好きなことし放題で、どれだけ嫌な思いをさせても、年を取れば「アンタ養う義務あるんやで、ほれ金よこせ。」と言っても何のおとがめもないわけだ。一度でも養育を放棄したら将来の扶養の義務はなくなることにしてほしいものである。
しかし、最悪パターンとして、区役所が姉を捜し出し、私の妹にまで連絡を取り、さあみんなでお金を出し合ってお母さんを養ってくださいね!ということになったらどうしよう。私は絶対自殺するつもりだ。もうええっちゅうねん。疲れました、はいさようならー、でファイナルアンサー。
そんなこんなで私は最近とても憂鬱だ。何かもう疲れたよ、パトラッシュ…。ネロにはパトラッシュがいて最後は天使様が連れて行ってくれたけれど、私の時はどうなるんだろう。私にはパトラッシュもいないし、ここは日本だから天使様も来ないだろう。
疲れたなぁ。
昨日の日記を書いた後、思わずうなされてしまった。夢の中に親が出てきたのだ。夢といってもわたしの記憶がそのまま反復されるだけという夢だった。
3歳くらいの私、アパートの庭。そこには雪がうっすら積もっていた。そこで母親は青空の下洗濯物を干している。当時父親はたまに通ってきていた。おみやげがあるにはあったが、今思えば個性的で微妙にトンチンカンなものばかりだった。20色入りのコンテ(絵を描くときのクレヨンみたいなもの)、スヌーピーのマンガ英語版など。別に母親の趣味が絵であったわけでもない。
次は父と母が結婚し、マンションに引っ越して妹が生まれた直後くらいの日常だった。思えばこのころが一番家族らしかったかもしれない。父親はいつも焼酎やジンを飲んでいた。膝に妹を乗せ、私が本を音読するのを聞いていた。そのころ、父親のお土産は本ばかりになっていた。安野光雅の森の絵本、天動説の本、ピカソの本、マチスの本。森の絵本はともかく、その他の本は当時小学校1,2年生だった私には理解できなかった。
そして私が小学校6年生の時に移る。このころは一番修羅場だった時期だ。父親が酒を飲んで大暴れして、母親が玄関の鍵をかけて閉め出したら歩道橋の上で寝てしまい、警察に保護された。それを引き取りに行くともう一発大暴れし、母親は足の親指の爪が剥がれてしまった。さらに父の母親(私のおばあちゃん)が新興宗教のお坊さんを呼んできた。何でもうちの家に悪い物が憑いているから家庭がうまくいかないのだとのこと。
私はへんな文字の書かれた札などを渡されたが、母親はそれをたたき落とし、妹と私の手を引いて家を出ようとした。するとおばあちゃんと母親が階段でもみ合いの大げんか。私はものすごくくらい気持ちになったのを覚えている。
そして私と妹を連れ、母親は井の頭動物園に行った。そこでファンタオレンジとみたらしだんごを食べて、動物を見た。母親は出不精で教育ママだったので私はこのことをよく覚えている。
うちは家族で外出したことが多分ないと思う。おばあちゃんの家に正月行くくらいだ。それもバスで4つくらいのところにあった。父親の連れ子だった兄は10歳年上で中学校から寮に入っていたので顔もあまり憶えていない。父親とはよく近所の公園に行った。白黒フィルムの入ったカメラで私と妹が遊んでいる姿を撮影していた。
私と妹は父親になついていた。それが母親にはくやしかったのだろう。父親は酒乱だがそれは母親にだけ矛先が向けられていたし。毎日苦労しているのはアタシなのよ!なのにあんたたちは!と思っていたのではないかと推測する。
でも母親のことがあまり好きではなかった。とにかく勉強しろばかり言っていたし、誰々ちゃんと遊ぶなとか、誰々ちゃんは賢いからお友達になりなさいとか、俗っぽいことばかり言っていたからだ。それにすぐぶん殴るのも嫌だった。
そして程なくして父親が当時できたばかりのディズニーランドに行くから支度をしなさいと言った。私と妹は嬉しくてわくわくした。お母さんは行かないの?と聞くと母親はお父さんと行きなさい、と言った。そして私たちは父親に連れられて千葉の親戚の家へ連れて行かれた。そして父は私たちを置いて帰った。これは父親が私たちについた最初で最後の嘘だった。
そのころ母親は荷物をまとめて、友人を頼って大阪に来ていたようだった。要は離婚したはいいけれど、私たちを育てるのに困って親戚の家に押しつけたのだった。母親は手に職のない専業主婦。父親はフリーランスの翻訳家で子供は好きだが生活能力が全くなかった。
この辺で呼び鈴が鳴って飛び起きた。佐川急便が来たのだ。今日ばかりは佐川急便に感謝である。あのままあの続きを見る気にはとてもなれないからだ。
正月時期、家族のある人はとても幸せそうに見える。結婚した子供もみんな帰ってきて、みんなでカニを食べたとか、お鍋を食べたとか、プレステをやったとか、ただただ楽しそうだ。わたしはそういう世界とは別の世界に住んでいるような気がする。わたしもあっち側がよかったな、とたまに思う。
マンガとかだとこういうときに救世主が現れたりするわけだが、現実の世界では何も起きない。ただ日常が続く。そして今日も夜が来るはずだ。
今日は夢を見ませんようにととりあえずお祈りしておこう。
2006年01月07日(土) |
愛は幻想のファミリズム |
うーん、いきなりだが、家族とか愛とかって何なんだろうって思ってしまった。今日は母親の入院している病院から電話があり、次の手術は一週間後に決定しました、との連絡があった。
どんな手術かというと「胃ろう」の手術である。要はおなかの表面に穴を開けフタを付ける。そこから栄養とかを流し込むようにするらしい。今は鼻から胃袋に管を入れ、そこに栄養を流し込んでいたが、むせたりとかして時間がかかるのでそうしたほうがいいんではないかということだった。
そこまでは年末に聞いていて知っていたが、その手続きが意外とめんどくさいようだ。まず話を聞きに行った。そして再度行き(熟考した結果という形を取るらしい)、承諾書にサインをする。んで手術に立ち会う。半分ボけているが、一応話は理解できるので本人にサインなりなんなりさせればいいと思うのだが。(もっとも右半身は不随なので字は書けないが。)
今日の看護婦さんはとても事務的にしゃべるヒトでしゃべっていてだんだん気が重くなってしまった。麻酔を使うのでサインをしていただかないといけません、何かあるといけないので立ち会ってもらわないといけません、先生は平日の昼間しかいないので、平日の昼間に来て頂かないといけません、などなど。もう、いけません、いけませんって、もういいよ。
今私は働いてないからいいが、普通に会社員しているヒトや、子育て中のヒトとかならかなりしんどいと思う。今手元には母親宛に来た年賀状が30通ほど積んであり、それの返事も考えなくてはいけないし。
何か二人分の人生を生きているような気分だ。これが超セレブ婦人のゴージャス人生とかなら悪くないが、惰性で余生を送るような人生だ。しかも100%誰かの力に頼って生きている。
生きる意味とか考えてもしょうがないことはわかっているのだが、母親に関してはやはり考えてしまう。胃袋に直接栄養を入れられ、絶対回復しないのに「がんばって。」とか言われながら生きるってどういう意味があるんだろう。今は年金と私の出費で入院費をまかなっているが、そのうち福祉の保護を受けることになるんだろう。その生活保護だって出所は税金なわけで、もうちょっと有効な使い方があるやろにと思ってしまう。
もっと愛情があればそんなことは思わずに、自分の生活を捨て母親の看病に私の人生の全てを傾倒するんだろうか。いやー、絶対しないな。
「先生は何のためだと思ってこの手術をするのですか?」と先生に訊いてみたい。直接的な目的は胃に栄養を入れるためだが、そうすることによって一体あの人の人生の質みたいなもんにどんな変化があるのだろう。
いや、期待しすぎかなぁ。先生はあくまで医学的手法で患者を長生きさせるのが仕事であって、患者の人生の質を上げるのが仕事ではないのだろうし。
母親の人生と私の人生。二つが一緒くたになって続いてゆく。子供の時に親を尊敬したり愛したりする努力をしとけばよかったと少し思う。そうすれば、今の状況を愛を持って受け入れられたかもしれないと思うのだ。
アル中暴力父親と計算高く自分の保身が第一である母親。どちらも親としてという以前にダメな大人だと小学生くらいのときに悟ってしまった。そして生意気な娘になり、「あんたはあの男にそっくりでかわいくない。生んで損した。」と言われるに至ってしまった。負の気持ちが伝わり負の言葉を生む負のスパイラル。誰が悪いかという以前に相性が悪いんだろうな、きっと。
友達の年賀状を見たりして、「家族って楽しそうだなぁ。」と思うことはないわけではない。子供がいたら一緒に絵を描いたり、ゲームしたり、バイクに二人乗りしたら楽しそうだなぁと思う。でもそれはフェラーリを買うことと同じくらい今の私には現実味のない話だ。
明日も母親は半分口を開けてぼんやりとテレビを見ているだろう。私は250の方のバイクでちょっと初走りの予定だ。二つの人生は完全に密着してしまったわけではない。その事実が私をほっとさせる。
年明けは新潟県で迎えた。スキー目的で6泊7日。私はそこに2冊の本を持っていった。「ノルウェイの森」上下巻だ。
わたしはこれを宿のベッドの上で読んだ。上巻を読み終えたとき、下巻を読もうかどうか迷った。おもしろいのかおもしろくないのかわからないのである。でも、結局スキーしている以外の時間はテレビもパソコンもないのでやることがなく、下巻も読んでしまった。以下感想。
本の帯によるとこれは「恋愛小説」らしい。しかしこういうのんが恋愛ならわたしは恋愛なんかしたことないような気がする。
おもしろいとは思えなかった理由の一つとして、主人公のワタナベ君が苦手なタイプだというのがある。こう自分では行動を起こさないくせに何か不満は多いような男の子。でも常時何かしら女の子が回りにいてぬるい。でもまあ作者が男性なのでこれが生身の男性心理というものなのだよ、と言われてしまえばそうかもしれない。
出てくる女性たちはみんな癖があるが、それなりに魅力的である。ゆえによく分からないのが何でそういう女性が屁のような主人公の回りをうろうろするかということだ。世の中にはもっと小ましな男がおるやろが、と思ってしまう。
結局一人の女性が死んでしまい、生きている方とつきあうというのが結末なのだ。死んでしまったほうの子が痛々しいまでにストイックだったので、この結末は少し残酷だと思った。「助けられなかったくせに生きてるほうとつきあうなよ。」というのが正直な感想。その生きていたほうの女の子も二股かけられてるのを知っているくせに、まとわりついたり、距離を置いたりというかけひきを繰り返し、最後は待つというスタンスを取る。
いやー、こういうことは現実にあるんだろうなあ。計算高く粘り勝ち。しかしこれが作者の言うところの恋愛ってやつなんだろうか。
ということで読み応えはあるが、面白くはないというのが感想。私はほとんど恋愛小説に興味がないので元々向いてなかったのかもしれないが。
が、しかし、「ベルサイユのばら」だとか、「バナナフィッシュ」とか今までにロマンスに感動したことがないわけではない。今でもたまにくらもちふさこや岩館真理子のマンガを出してきて読むこともあるし。
話はそれたが、本2冊を読み終えてもまだまだ時間があったのでこの小説をドラマ化することを考えてみた。以下は空想キャスティング。
ワタナベ君…妻夫木くん 直子…広末涼子 緑…矢田亜希子 ハツミさん…?(思いつかず) 永沢さん…要潤 レイコさん…山村レイコ 突撃隊…びびる大木
しかしエロ的描写が多いのでテレビや映画ではやりにくいだろう。削ってしまったら訳が分からなくなってしまうだろうし。
というわけでスキーに行ったのに何故か読書感想文を書いてしまった。スキーの話はまたのちほど。(の予定)
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