日々是迷々之記
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2004年07月31日(土) オーサカキング見聞録

朝から「せやねん!」を見ていたら、オーサカキング(大阪城でやってるお祭り)の話一色だった。飲食店を紹介する「どこいこ!」でも、オーサカキングの「魔法の粉もんランド」の中のお店を紹介していた。これがうまそうなんである。ということで、番組が終わるや否や、カブで大阪城に向かった。

台風でまっすぐ走れないし、時折ぱらぱらと雨が降ってくる。でも、粉もんランドは大きなテントの中なので大丈夫なはず。私はうまいこと屋根のあるところにバイクを止め、オーサカキングの会場の一つである太陽の広場に向かった。

台風だけどみんな元気やなーと思った。結構混んでいる。「魔法の粉もんランド」は12時30分の時点で入場40分待ち。普段なら絶対ならばないが、今日はそこそこ涼しい(30度くらい?)だったので、根気よく並ぶ。やっとこさ、中に入ったら今度は前へ進めない。前方でテレビの撮影をやっているようだった。背伸びして見てみると、渡辺徹と月亭八光がいた。みんなワーキャー言ってデジカメで写真を撮っていたが、ファンじゃなくても一応撮影するというスタンスだった。

これじゃあカメラ付き携帯って、芸能人にとってはうざいよな。と思ってしまった。テレビ局の人が撮影はご遠慮下さい!と注意していたが、私の前方の家族連れは子供を肩車して、子供に携帯のカメラで撮影させる始末。親がそれじゃあかんでしょ。

気を取り直して中に入るとそこそこ買いやすかった。一度中に人を入れると、その人たちが一通り買い物を終えた時点で次の人たちを入れるようにしているようだった。この方が待ち時間は長いけど、正しい選択だと思う。ベビーカーも結構多かったし。

私は「キャベツ焼」「魔法のマヨキムチヂミ」「ネギポン」を買った。全部で8キング。キングとはこの祭りの通貨で、千円で10キングとゲーム券1枚と交換だ。いやー、どれもうまかったです。

キャベツ焼をさっと食べて小腹を落ち着かせ、キムチがひとつかみくらいどさっと乗っかったマヨキムチヂミのぱりぱり、ホワホワに感動し、最後のネギポン(ソースをつけない素のたこやきにどっさりと青ネギ、マヨネーズ、ポン酢をつけて食べる)は絶品。祭りのくせになかなかやるな!という感じだった。

そのあと、腹ごなしにゲーム券で「たかじんのONEMAN」ゲームをやった。ところどころ針のとびだした通路に大きくふくらませた風船を通すゲームだが、結構むずかしい。商品は番組のピンバッジ。しょーもないもんだが何故か欲しい。くやしい…。

そんなこんなでまだ2キング余ってるし、来週の日曜日までやってるのでもう一度行ってイカ焼きや焼きそばも食べようと思う。

オーサカキング


2004年07月28日(水) グッバイ、らもさん

らもさんが、死なはったらしい。階段から落っこちて脳挫傷、とのことだ。

わたしはこのニュースを聞いて、最初はあまり信じていなかった。と、同時にまぁ、「長寿日本一」には絶対ならんやろなぁとも思っていた。で、日が変わってニュース番組を見た。あくまで関西の人というくくりなのか、ユースケなにがしが結婚していた、というニュースが読まれても、らもさんのことには触れられずに、関西版のニュースに変わってからそのことが伝えられた。

ああ、死なはったんや。
もう、新しい本は出ぇへんのやなぁ。

そう思うと一気にからっぽ感が押し寄せてきた。高校生の時にらも本に出会い、かまぼこ新聞やら、しりとりえっせいやらにずっぽりはまりこんでしまい、と、同時に宝島を買うようになり、ひさうちみちおのマンガにまで興味の範囲は広がっていった。「僕に踏まれた街と僕が踏まれた街」という、青春時代のお話は舞台が関西ということもあり、とても好きだった。当時入っていた漫研で回し読みして、涙していたりしたっけ。漫研は進学校のはぐれ者の寄せ集めだったので、らもさんの書くことがいちいち強烈な説得力で迫ってきた。

去年、本物のらもさんを見た。ジュンク堂で催された「牢屋でやせるダイエット」のサイン会に行ったのだ。でかいサングラスをして、手錠をはめており、見ただけで怪しい。アメリカの入国審査でめちゃくちゃ時間がかかりそうな風貌だった。が、サインをするときはサングラスを外し、ひとりひとりと言葉を交わしながら、丁寧にゆっくりとサインをしてくれた。その様子を見て、この人は人を殺したり、だまくらかして金儲けをするようなことは絶対しないようなひとだと思った。実際は大麻でくらいこんでいた訳だが、そんなことは問題じゃない気がした。

ああ、また一人いなくなってしまった。という感覚が強い。ねこぢるが自殺したとき、カート・コバーン(ニルバーナの)が自殺したときも感じたからっぽ感。人が普通持っていない、特殊な能力、感性を持った人間はなぜだか急に逝ってしまう。きっとその人達にとっては、生と死の境界線が、うちら一般人のように大層なものではないのかもしれない。全部つながってるという感覚かもしれない。

とまあ、ウェブの片隅でわたしのような一般人が何を書いても書かなくても、世界は変わらない。でも、ヒマな学生が図書館にサボりに行って、何となく面白そうだなと思って、「明るい悩み相談室」や「啓蒙かまぼこ新聞」を手にとると人生は一気に違う方向に転がってゆくかもしれない。私がそうであったように。



今日は多分らもさんが好きだったと思われる、冷酒を買って帰った。肴はハタハタの干物。冷や奴とかもっとシンプルな肴のほうが良かったかも、と思いつつ。らもさん、私が死んだ後の世界で読むから、ちゃんと執筆は続けといてください。という思いを込めながら、蚊取線香を線香代わりに冷酒を飲んだ。

合掌。


2004年07月26日(月) 衰えよ、食欲よ。

毎日毎日、もうええっちゅうねんというくらい暑いが、夏バテとは無縁の毎日を送っている。何故か分からないが、食が進む毎日だ。

土曜日は焼肉を食べに行き、煙もくもくの店内でがっつりと焼肉、ナムル、キムチ、クッパ、マッコリなどを飲食した。今日は今日で、「まぐろのすき身」からこりこりとスプーンで身をはずし、昆布醤油でづけにして、ネギの小口切り、卵の黄身、ひとひねりの粗挽きのいりごまと混ぜ、どんぶりごはんの上に乗せる。どんぶりの縁にわさびを絞り、まぐろ丼にした。うちの台所は熱がこもりやすい作りなので、ものすごく暑苦しいのだが、食べ物を作るときはそれが苦にならない。



常備菜のなますとレバーのしょうが煮を冷蔵庫から出せば晩ごはんが一瞬でできた。

そして今はすいかを食べている。しかし、パソコンでタイピングをしながらのすいかってむちゃくちゃ食べにくいなぁ。


2004年07月18日(日) おんなの自分探し

先日近所のレンタルビデオ店が5本レンタルすると半額の日だったので、よっこいせと5本レンタルしてきた。

そのうちの1本、「デブラ・ウィンガーを探して」を見た。女優のロザンナ・アークェットが、同業者である女優達にインタビューしてそれのみで構成される、ドキュメンタリーである。テーマはずばり「おんなの自分探し」であった。

観た感想。めちゃくちゃ共感するし、「子育てが犠牲じゃないなんて嘘よ。無責任な物言いだわ。」とか、「映画は年に1本て決めているの。それなら3ヶ月は家にいることができるから。でも、3ヶ月も終わりに近づくと何か自分を表現したくなるの。」とか、日本的な母親像からすると、糾弾されてしまいそうな表現がストレートに出てきたのが気持ちがいい。

会社の同僚の人とかを見て思っていたのだが、仕事、母親、妻を全部完璧にやる姿がちょっと痛々しい。しんどいわぁと言っているので、体調悪いんですか?と聞くと、前の晩に3人の子供が1時間おきに帰ってきて、そのたんびにお肉焼いて、おつゆ暖めて、寝たのは2時なのよ、とのことだった。世間のおかあさんてそんなに自己犠牲しているんだったのか、と私は冷や汗をかくと同時にやっぱり親にはなれないと感じた。

映画の中では、8歳の娘が行かないで!私も行く!とすがりついて来たときどうするか、ということを話し合っていた。そのうちの一人が、「一緒に来てもいいけど、あなたはホテルでずっと一人で待たなければいけないの。おもちゃも絵本もないのよ。お友達もいないの。それでもママと一緒に来たいの?」と言うと言った。その一方で、その年齢のその子に接することができるのはその瞬間しかないと悟り、休業する人もいた。

しかし、一方で年齢を重ねた女優がどうあるべきか?というのも語られていた。なぜなら、男優に比べて女優は年齢が限られている。アル・パチーノ、ロバート・デニーロと同じ年齢層の女優はおらず、強いて言えばメリル・ストリープとスーザン・サランドンがその域に将来届くだろうということだった。作り手が男性である以上、若手か主婦くらいの年齢の女性にしか目がいかず、40もしくはそれ以上の年齢の女性の役自体がないのだとも言っていた。

でもだ、実際この「デブラ・ウィンガーを探して」に出てくる女性はみんなとても魅力的だった。ウーピー・ゴールドバーグの人なつっこくて、スラングを連発したあと小さく舌を出したりするところや、今は引退してしまったデブラ・ウィンガーだって柔らかく上品で、高級な毛布のようなすてきなおばさんだった。(ちなみに料理研究家の栗原はるみ先生に感じが似ている。)

とまぁ、30女であるわたしは非常にこの映画を楽しんだわけだが、この映画を男性が観たらどう思うか考えるとちょっと恐ろしかった。映画好きなら、ある程度好意的に観るだろうが、その他、そこらのおっさんや、大作しか観ないような20代の若者は、「おばはんが何ぬかしとんねん。」というように感じるのではないだろうか?きっと多分そうだと思う。

加齢を成熟ととらえるような文化が生まれれば、若いだけで価値があるみたいな考え方も少しは減ると思うのだが。と、思う一方で、加齢が無神経、傲慢、自己中心主義に拍車をかけているだけの人が目立つのも事実。うーん、オチがないなぁ。


2004年07月16日(金) 空調服!

仕事に行く以外の用事は日が沈んでから出かけることが多くなった。先日もレンタルビデオを返そうと、晩になってから家を出た。

日が沈んだといえども自転車をこいでいると汗が出てくる。ビデオを返してから、向かいのコンビニで涼む。結構同じ目的の人がいた。銭湯帰りの一家、運動部の帰りの女子中学生(上下体操服)などなど。私は昨日出たばかりの週刊文春を手にした。

最初に読むのは、伊藤理佐の「おんなの窓」。読者投稿ページの真ん中という微妙な場所に10センチ四方くらいのひとこまマンガが載っているのだ。今週は「買っちまったよ、空調服」だった。なんでもシャツにファン(パソコンの筐体に付いているようなやつ)が付いていて、長袖なのに涼しいらしい。でもちょっとダブダブでグレーというかネズミ色であんまりかっこよくないらしい。

家に帰ってからwebで調べてみた。ありましたよ。うん、確かに婦女子が外出着にはしにくいデザインだ。でもよく読んでみると、これは工場などの作業現場で使うことを想定しているらしい。なるほど。確かに作業現場は異常に暑い。

以前勤めていたペリカンが荷物を運んでいるというイメージの某社は、オフィス棟と倉庫棟が隣同士に建っていて、たまにお客から輸出前の貨物の様子をデジカメで撮影してほしいと言われて撮影しに行ったことがある。オフィス棟は寒いくらいだが、倉庫棟はすざまじく暑い。貨物の採寸をしているおっちゃんなんか、手の汗がボールペンをつたって伝票をぐちゃぐちゃにしていた。

そういうところなら、この空調服は生きると思った。

「空調服のアロハシャツ」なんてあったら思わず買ってしまいそうだ。
「空調服」→http://www.rakuten.co.jp/pc2b/

余談・マックのATOKで「くうちょうふく」を変換すると「食う重複」になる。これって朝ごはんを2回食べるとかそういう意味だろうか。


2004年07月12日(月) 料理の道と親の愛

今日のお昼ゴハンの話題は「お料理教室について」であった。未婚の女子は結構お料理教室に行っているらしく、興味深い話をたくさん訊くことができた。

彼女は炊き込みごはんと薄切り肉に野菜を巻いて焼いたもの、おみそ汁を作ったらしいが、家で再現することはできなかったらしい。どうしてと聞いてみてちょっとびっくりした。作業する課程で、分業制になっているらしい。つまり、私野菜切る人、あなた肉焼く人といったようになっているようだ。彼女はつけあわせのキャベツを切る係で、ずっと切っていたらしい。それもほとんど初めてだったので爪をけずりながらだったとのこと。

「マニキュアどころか、爪までけずっちゃいました…。」とちょっと悲しそうだった。悲しいけれど主婦の生活とはこんなもんだ。いくらネイルケアをしてきれいにしていようが、米を研ぐだけでマニキュアははがれ、包丁でいらんもんまで切ってしまう。そのうち手のことなんて気にしなくなって、指毛ボーボーになってしまうのだ。(ちょっと極端か)

更なる悲劇は、薄切り肉が意外なまでに縮んでしまったことだ。できあがった肉巻きは人差し指くらいしかなくて、一人あたりそれ1本じゃおかずが足らず、お母さんが別のおかずを作ってくれたそうだ。

おみそ汁に至っては、普段だしを取る習慣がないけれど、敢えて削った鰹節のパックを買ってきて入れたら、味がしなかったそうだ。6人家族のおみそ汁にかつおパック1個じゃそりゃ足らないやろと、思うけれど、彼女にしてみればどれくらい入れていいやら見当が付かなかったのだろう。

「お料理って大変やなぁと思いました。」としんみりと彼女は言った。私はいつもの癖で、「そんなん慣れや。」と言いそうになったが、押さえてうまい言葉を探した。そして、マーボー豆腐の素なんかを使えば、作り方も書いてあるし、まずまず美味しくはできるよ、と言った。

すると彼女は「煮物って作ってみたいんですよね。」と言うのだった。

煮物。煮物である。高野豆腐とか、魚の煮物なら特に考えなくてもできる簡単メニューの筆頭だと思っているので、彼女にそれを告げるとびっくりしていた。何かマニアック?なことをしなくてはいけないと思っていたようだ。

そもそも、人はどうやって料理を覚えるのだろう。私の場合は、中学生のときに母親が家事を放棄してしまったのでしょうがなくやることにした。そこまで行かなくても、一人暮らしがきっかけになったりと、要は必要に迫られて、というパターンが多いようだ。

でも今は親御さんが至れり尽くせりな家が多いみたいなので、なかなか料理を覚えにくい環境だと思う。30歳オーバー、自宅通いでお母さんがお弁当を作ってくれるとか、アイロンをかけてくれるとかはそんなに珍しいことでもない。私は今までそういう人をバカにしていたが、よく考えるとそれは友好的な親子関係の賜物なのだ。そういう優しい関係を作り上げたのは本人同士の努力である。

今も昔も不満が多いくせに人に何かを頼むのがめんどくさい私は、母親とこんな会話をした。
私「おかあはん、お弁当にごはんとししゃもだけ、っていうのやめてーや。」
母「お母さんも眠いねん。いややったら自分でやりや。」
私「ほな自分でやるわ。」(実話)
こうして13歳の春に母親は弁当作りを放棄した。

「優しい親御さんの家庭に育つと料理ができなくて、殺伐とした家庭に育つと料理がそこそこできるようになる。」なんか、救いのないまとめだなぁ。


2004年07月11日(日) 毎日の勤労と体の関係

金曜日に定時で会社を飛び出して美容院に行った。ショートカットのくせに2ヶ月に1回しかカットに行かないので、ムッシュかまやつ風のヘアスタイルでここ最近過ごしていた。ところが、湿気が多いとまさにムッシュ全開だもんで、意を決して切りに行くことにしたのだ。

さっぱりとカットをしたあと、アシスタントの女性が肩をもんでくれるのだが、「あいかわらず、堅いですね。しんどくないですか?」と訊かれてしまった。100均の肩もみ棒みたいなものでもみもみしていたのだが、そんなに効果は上がっていないようだった。

翌日、朝起きたら体が重い。でも今日はバイク屋に行って、晩は飲み会なのでよろよろとフトンから抜け出し、一日を始める。雨が降ったりやんだりする中を地下鉄でバイク屋へ行った。

このころからちょっとやばかった。私は空調に弱い。ストーブ、こたつ、扇風機なんかは平気だが、エアコンというのが苦手なのだ。カキーンと冷えた地下鉄の中で私は微妙に腸が動くのを感じていた。

でも、バイク屋にはエアコンがほとんど効いてなかったので大丈夫。問題はそこからだんなさんの車でモスバーガーに行ったときだった。これが寒かったのである。しかもアイスティーなぞを頼んでしまったからたまらない。うひゃー、暑かった。のど乾いたねーと言いつつごぶごぶ飲む。食べ終わって車に乗る。すると車の中は蒸し風呂状態なのでエアコンを効かせる。突如、胃袋の中でお坊さんががんがん鐘を打ち鳴らすような衝撃が来た。

た、助けてくれ…。私は死にかけ5秒前だ。「ちびまる子ちゃん」でまる子が必死に尿意を我慢する場面を思い出す。が、「まる子は尿意だけど、あたしゃその上行ってるんだよ。トホホ」というつぶやきが漏れる。やばい、腹の中のお坊さんは木魚も鐘も打ち鳴らし、腸の中が酸欠ライブハウス状態だ。

私は意を決して、だんなさんにトイレに行きたいから車を止めてくれと告げた。が、土曜日の昼下がりの大阪駅近辺。地獄のように車が混んでいる。目前のヒルトンホテルのトイレが希望だが、ヒルトンの回りは違法駐車花盛りだ。だからと言って、はらいたくらいでホテルの1時間1500円の駐車場などに入れる気もないのが事実。

手前の信号で車が止まったとき、私はうおー!とリアルにつぶやきながら、小走りでヒルトンホテルのトイレに駆け込んだ。結果は良好。あー、ヨカッタヨカッタと全てを忘れたように外へ出ると車が見つからない。や、やばい。だんなさんの携帯電話にかけるとちょっと離れたビルのところに駐車しているという。私は魂が抜けたような体を引きづって、車に到着した。

大丈夫?と訊かれて、まあねと答えたものの、実は微妙にお坊さんが息を吹き返して来つつあった。そしてふたたび訪れるビッグ・ウェイヴ。うぐぐ、区役所の横の公園に公衆トイレがあるから停めて欲しい…と息も絶え絶えに訴えた。が、区役所の横の公園の横は消防署でとても路上駐車はできそうになかった。100メートル先のライフの駐車場に滑り込む。ラッキーなことに10台分しかない駐車場は空いていた。私は走りたいが走れない、腸の様子をうかがいながら、フランケンシュタインの如くゆらゆらゆれながら、でも急いでトイレに向かった。

ふう。

今回もぎりぎり大丈夫。実は最近土曜日になるとこうやっておなかの調子が悪くなることが多い。最初は単なる寝冷えだと思っていたのだが、実は平日は便秘状態が続き、土曜日になるとぼーっとしているので、それが解消される。そこに暴飲暴食とかエアコンで冷やされるとかが重なると、今回のような惨事につながるようなのだ。

仕事は体にわるいのだろうか?実はそんなに仕事に集中しているわけでもなく、昼食後は決まって半分眠りながら仕事をしている。最近はエスタロンモカという眠くならない錠剤を飲んだりするところまで行っている。

データを消失させて死に体になったり、なかなかうまくいかない海外の代理店との意思の疎通にいらいらしたり、昼休みに振り込みに行ったら昼食は抜きだなぁとか、そんなことばっかりに気持ちが持って行かれる平日の日常。

もしどっかに「いらいらしなくて心静かにくらせる国」があったら、と子供の単純なお願いみたいなことをたまに思う。そしたら土曜日になるたんびに、おなかの中ビッグ・ウェイヴに脅かされることもないわけで。

今回のハライタは家に戻るなり、薬を飲み、水分を取り、1時間ほどぐっすり寝たらあっけなく直った。それから飲み会に行ったが全然OK。気の合う友人達と美味しいものを食べて笑えばそれでOKということみたいだ。人間の体は以外と単純なのかもしれない。


2004年07月08日(木) 路上飲食の限界

ちょっと買い忘れたものがあったので、それほど近所でもないけれどshop99へ自転車で行った。私が買う物を持ってレジに並んでいると、制服の下からジャージをはみ出させた女子高生が傍らの電子レンジを開けに来た。

彼女はレンジを開けてものを取り出した。その物体は袋入りの野沢菜ピラフ。そして店員さんに「スプーンください。」と言った。店員さんは、プリンとかゼリーに付ける小さいのしかないですけど、と言い、透明のちいさなスプーンを彼女に渡した。

そんなもん、家に帰ってから食えよ、と人並みに私は憤りながら店を出た。すると先ほどの彼女と友達が4人で路上に車座になって座っており(しかもあぐらである)、件の野沢菜ピラフやら、ごぼうサラダ、1リットルの紙パックのウーロン茶などを地面に置いてしゃべりながら食べている。

ひさしぶりに嫌なもんを見たな、と思った。彼女らのものと思われるプリクラをべたべたに貼り付けたママチャリ、エルメスのフールトゥも傍らに置いてある。ものすごいアンバランスだ。私はそそくさとその場を去った。

で、翌日(今日)はいつもと違う道を自転車で走っていた。大阪駅の近所に専門学校の集まる集落のようなところがある。そこでも専門学校生と思われる若者がファミリーマートの裏口のわきに車座になってざるそばとこれまた1リットルの紙パックのドリンクを直接飲みでまわし飲みしていた。これまた女の子はブランドもののバッグを持っている。今度はルイヴィトンのモノグラム・ヴァヴァンだ(多分)。

うーん、なんかこれって世の中に容認されているんだろうか?路上で車座になってごはんを食べるのは、工事のおっちゃんたちだけだと思っていた。おっちゃんたちだって、現場そばのもうちょっと片隅でやってるのに、若者たちは脈絡なく突然路上にいる。

近頃の若者は…とすっかりオバハン化しながら家路を急いでいたら、スーツを着たサラリーマンのおっさんが、虚空をみつめつつ菓子パンを食べていた。

うーん、何でもありですか。わたしはやらないけれど。


2004年07月05日(月) ニコンCOOLPIX3200に感動

土日にカメラを持ってうろうろ撮影して回った。撮影しているときからかなりいい感じだった。

まず起動が早い(ような気がする)。これはあくまで3年くらい前に買ったデジカメと比較してなので、最新機種とかはもっと早いかもしれないので、話半分ということで。

次に、接写がめっちゃきれい。カタログによると4センチまで寄れるとのこと。これで家のバジルに咲いた白い花を撮ってみた。背景がほどよくぼやけていてむふふふであった。

家に戻ってから、パソコンに接続して写真を取り込んでみた。Nikon View6というオリジナルのソフトウェアを使うのだが、見てくれはともかく、性能はたいしたもんだと思った。

まず、MacOSXにちゃんと対応しているのがえらい。よくあるのが、「添付アプリはウィンドウズ用」とか、「テレビCMなどで目を引くような機能はウィンドウズ限定」というパターンで、マック好きには非常にかなしい思いをしていたと思う。が、ニコンの偉いのはちゃんとマック用にも全部の機能が使えるようにしてあることだ。

最初慣れているのでiPhotoでやろうかと思っていたのだが、Nikon Viewの方ができることが多いし、メールに添付するにしてもオプションが多くてわかりやすい。もちろん、アプリの見た目はiPhotoのほうがスタイリッシュだけれども。

わたしが気に入ったのが、サムネイルをどばっと並べて1枚の用紙に印刷できる機能だ。これがあると、サイトに写真を複数枚アップするときに構成を考えるのに非常に便利だと思った。

iPhotoに取り込んで、それからフォトショップを起動して…という作業をしているマックユーザーの皆さんは、このニコンのアプリケーションを使ったらあまりの楽さに感動すると思う。iPhotoにほんのちょっとプラスの画像編集機能がほどよい感じで、ちょっとした修正なら十分だと思う。(もちろん、なげなわで選択とか、RGB,CMYK変換とかはできないが。)

というわけで、今回はイイ買い物ができたようでうれしい。


2004年07月03日(土) 見てはいけないものがちらちらと

見てはいけないと思われるものがちらちらと見えてしまったのだ。

夕方、日が傾く頃を見計らって自転車で外出した。ある交差点から、私は20歳前くらいの女の子がこぐ自転車の後を追う形となった。その彼女は、腰が丸見えだった。多分、上から見たらおしりが二つに割れていることすら確信してしまうほどの見事な見えっぷりだ。下半身はローライズのカプリパンツにレースのビーチサンダル。上半身はシャーリング素材のビスチェ。それもブラががっちり食い込んでいるので、一昔前のコカコーラのガラス瓶のような背中になっている。

すれ違いざまの男性の視線があからさまだった。信号待ちをしている軽トラのおっさんまで彼女を目で追っている。鈍感なのか、自信があるのか、定かではないが、他人の目を引くことは確かだ。

目的地のターミナル駅近所に自転車を止めて、私はウィンドウショッピングをしていた。つまりただ見てるだけなんだけど。

お店はバーゲン最初の週末ということでごったがえしていた。私は遠目で見ながら、通り過ぎようと前を向いたら、目の前にとぐろがあった。

そのとぐろとは、女の子の背中の毛のとぐろである。右側の肩胛骨の下あたりにぐるぐると背中毛がうずまいている。肩ひものないビスチェをきており、ブラのストラップはシリコンの透明のものを付けているのだが、いかんせん、背中が毛のとぐろなのだ。とうもろこしの毛のような人工的な金髪、ピンヒールのミュールを履いているが、膝を曲げたまま歩いているのでとってもみすぼらしい。

露出するのは勝手だが、はみ出ているブツのこともちょっとは考えてほしいと思った。脱毛するとか上になんか羽織るとかできないんだろうか?

今の時代に若者でなくてヨカッタとわたしはほっとしながら、バーゲン期間でもなお高値のお気に入りの店で、ゆっくりシャツを見ていた。いいねー。流行ってない店は。つぶれるかもしれないけど。


2004年07月02日(金) 誰もが知っていると勝手に思っていたこと

今日の予想最高気温は31度だったので、昨日の決断通り自転車で家を出た。

結果。もう汗でぼとぼとである。隣の区に住んでいる会社の同僚のおっちゃんも自転車通勤らしいが、20分が限界やろと言われた。確かにその程度にしていたほうが良さそうだ。前髪がおでこに張り付いて魔太郎みたいになっている。

魔太郎とは、もちろん「魔太郎がくる」の魔太郎なんだが、「もちろん」と言うほど誰もが知っているキーワードであるか自信がない。こんなことはよくあって、先日、会社の昼休みに「ダイエット中のKONISHIKI」の様子が話題になった。私は彼がベッドの上でベッドの真ん中の方にころがったままにじり寄ってゆく姿を「おなかの肉がスライムみたいでしたねー。」と言ったところ、「スライムってナニ?」と聞き返されてしまった。

ドラクエのスライムではなく、子供のおもちゃのスライムのつもりで言ったのだが、説明に困った。あの、蛍光緑色のでろーんとした物体が、手のひらサイズのポリのごみばこに入っているやつですよーと説明したが、余計分からなかったようだ。で、ついに、「それってナニに使うの?」と聞かれてしまった。そんなことわかりません。

それと「つるにはまるまるむし」。この絵描きうたはたいがい誰でも知っているような気がしていた。少なくとも「かわいいコックさん」くらいに有名なはずだった。が、そうでもないみたいで、最近の自分は世間からなんだかずれている気がしている。

物事はどのへんまでを誰もが知っていると思っていいんだろう。(会社の若い女性が、「台湾ってどのへんにあるんですか?」と真顔で聞いてきたときはちょっとびっくりした。村上龍って誰ですか?もすごかったけど。)


2004年07月01日(木) カブ90でヤンキーに煽られてみました

朝の情報番組で、今日の大阪の最高気温は33度と聞いた瞬間、自転車通勤はお休みにした。ものの本によると、気温が35度を超えた中でのサイクリングは危険らしい。33度でもアスファルトの照り返しを考えるとなんだかやばそうだ。

ということでカブで家を出た。帰りは1時間だけ残業して会社を出た。家まであと5分くらいのところで、ふとミラーを見るとガラの悪そうなシャコタンな白いカローラワゴンがマフラーをボビョーとうならせながら車間距離を詰めてくる。

カブにはよくあることなので、抜かさせようととしたが、そこは50mおきに信号があって、左端はびっちり路上駐車で埋まっているのでなかなか抜かさせるポイントがない。カローラワゴンはいらいらしているのか、センターラインを明らかにまたがって私を抜く機会をうかがっている。

で、私は右折なので、真ん中に寄って、タイミングを見計らって右折した。と、その瞬間、私の右側を抜いて行くではないか。なめとったらあかんで!と私はセカンドのまま加速し、結局抜かさせなかった。大体、右折したらすぐスクランブル交差点なので、そんなに加速しても意味がないんだけど。ガソリンの無駄遣い。

そこのスクランブル交差点で左折だったので左に寄った。すると、テキも左車線に入ってきた。まだ青になっていないから停車しているのに、パッシングしてくる。その時青になったので、私は左折したが、乱暴に抜き去って、30メートルほど前方で方向指示器も出さずに車を左側に止めた。

やる気やな、と私は身構えて急停車した。というか、左折で外から抜かれてすぐ左に停車されたらこうするしかないのだ。

車から降りてきたのは薄汚いエメラルドグリーンのニッカボッカに、インチキサーファー風の茶髪の若いあんちゃんだった。下品な白いカローラワゴンのリアウィンドウは真っ黒スモークが貼られていて、上の方にイタリック体のローマ字でそいつの苗字と思われるローマ字が○○familyと書かれている。け、おめでてぇな。私は念のため、エンジンを切ったがヘルメットを脱がずにいた。殴られても痛くないぞ!ってことで。そのニッカボッカ兄貴は車を降りるとこちらに一瞥もくれずに、私の横の立ち飲みに入っていった。

!!!

ナニかい!アンタは「早く飲みたい」一心でカブをあおりたおしてたんかい!はぁ〜。脱力。つーか、車で立ち飲みっていいのか、それに○○familyってことはアンタは父親じゃないのか?ナナメ向かいは交番なんだけど。(まぁ、この交番に人がいた試しはないけれど)

手持ちぶさたな私はとりあえず、立ち飲みの横の酒屋に入り、黒生を一本購入した。まぁ、家を出るときに今日の分を冷やすのを忘れたし、ということで。

なんかこんなしょーもないことでイラついたりしている自分が情けなかった。もし、こっちが先に手を出していたら、まちがいなくこっちが悪いことになるだろうし。(んなことしないけど。)

家に帰るとシャワーを浴び、ベランダに椅子を置き、沈みかけの夕日を見ながらさっきの黒生を空けた。足下にはバジルと大葉と島とうがらしが元気に葉っぱを茂らせている。

平和だなと意味なく思った。そして明日は暑くても自転車で通勤しようと思う。


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